佐藤敏宏
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2021年4月の日記        

4月30日 

■柳沢究さんWEB頁に画像などつけ終え、再度読み直し必要な絵を加えたりして、午後3時頃ほぼ終えた。2時間聞き取りだと1週間かかると予想していたが、いろいろ生活しながらなのでほぼそんな感じだ。
 オンライン聞き取り(建築食堂 えで図 営業)その後のWEB頁記録づくりは、1週間かかるとして一月に3人制限がいいようだと実感する。無理をすれば、4人は聞きとり記録もできるかもしれないが、そればかりやってしまう日常もよくない。

■夕方、県立図書館に行き本を返却し、次回石川初さんとzoom聞き取りのための資料など借りてきた。夜いろいろ読み込んで調整するための段取りする


4月28日  のち曇り 天気は下り坂なのか

■朝から柳沢究さんのWEB頁記録づくりをする 今日は画像を貼ったり頁を分割したりする
■午後一番に食材を買い出す

■フェースブック投稿

全5web頁に関連画像をはった
「幸せ建築家柳沢究さん」とzoom2時間文字にし関連画像をはって全5web頁の全貌現れた。
12年間にわたる話だったので画像データの整理が下手な私は画ぞう探しに手間取ってりまった。画像を探す途中でいろいろな事を思い出してしまい記憶の掘り起こし作業と成り、とても楽しく意義深web頁づくりに作業になるっている
それは「建築あそび」と「ことば悦覧」今年から始めた建築食堂‘@オンライン「えで図の記録」も同じなので、今後もじゃんじゃん記録つくる予定。誤字など多いだろうが、連休中には完成しそう




4月27日 

朝から晩まで柳沢究先生のWEB頁を作り続ける。写真は柳沢先生のHPや 2009年のことば悦覧で撮ったものなど様々なデータを活用している。20年WEB続けているとデータもいろいろ繋がって使えるようになってきている。

 東日本大震災がなければ聞き取り活動は何度行っていたのか、想像するのも楽しい。出来たらzoomなどオンラインを使って、一度しか聞き取りできなかった人から順に記録つくっていきたいと思う

■柳沢先生のWEB頁のために題字をつくった 。そうしたら俄然WEB頁のイメージが湧いてきて嬉しいものだ。案ずるよりは産むがやすしである、あまり考えこまずにコツコツさぎょうするのがいいわけだよね


4月26日 

 朝から晩まで柳沢究先生の文字おこし、続いて2度聞き訂正にはいる、半分ほど修正。二度目は頁分割の目印をつけつつ作業する

■夜はオンライン練習する ただ単にだべりながら機能チェックしているけれど、いろいろ分らずまだ使いこなせない。あまり上手になる必要はないけれど、声かけてワイワイできるような気になってきている。
 話す内容によてオンラインワイワイも豊かになることが分ってきた。話題提供のために、資料仕込みもするとでさらに対話が豊かになることも分ってきた。これは使えるようにするためにも作業は要る。老人のボケ防止に役立つことまちがいない。日々違う話題を提供する出来ることもワイワイを続けるためには必要だ


4月25日 

■柳沢究先生とzoomでワイワイの肉声を、朝から晩んまで文字起にしていた、60%ほど文字にする。俺の方が多く話してしまっているような、聞くのか語るのか対話なのか、明確になっていない 話し合いとなったような気配あり。
まずは全部文字にするのが俺流なので、文字にしてしまおう。編集するかどうかは後で考えよう。

■夜 ZOOMワイワイの練習を1時間ほどする。夜なら照明、音声に拘る必要があるのだが、機材を買ったり、Wi-Fi能力をアップしたりするようになるのは嫌だなー。ラジオやテレビの放送局ではない。が料金を取るならそれらは愛パットでzoomは質が好くないことは分る。スタジオが要るよ。手持ちの簡単なTI機器でどこまでできるかだ。音声が割れたのは機械能力かWi-Fi能力の不足なのか不明だった。
 何しろWEB頁をつくりアーカイブするのが俺の目的だ、それは忘れないようにしていきたい。















4月24日  好い天気続く 庭の鈴蘭咲く

■311個人時系列表をつくろうと思い、南相馬市が刊行した『東日本大震災記録誌』を参照にしつくり始める

■11時にスーパーに出向き食材を仕入れる、土曜日なのですこし混雑していた。昼飯兼朝飯を喰う。少し休んで、午後2時開始の柳沢究先生とのzoom会議のセットをする。天気がいいのでベランダで話そうかと思ったが紫外線が強い季節だし、白内障に悪いので、室内でにした。

■午後2時15分から2時間弱ワイウィする、4時10分頃まで。 
FB投稿より
柳沢究先生(京都大学・居住空間学)と2時間ZOOoOM
柳沢先生、休日に長時間おつきあいいだたきありがとうございました!(記録作ります)
 2009年8月4日@京都市内で聞きとって以来12年ぶり。お嬢さん一人から3人のパパに12年とは間が空きすぎて、お聞きせねばならないこと多過ぎた。
横浜市金沢区での生い立ち話まで至らず。生い立ち編はあらためてお聞きし記録することに。(中身てんこ盛り・いいす)
 2009年8月4日 暑ーい京都柳沢さんの家で2ショット お互い若いかも
いきなりビールで4時間はたべってたな。五条の橋とたもとの居酒屋にも行ったし。6時間かも、
画像が荒いのはザーバーが小さくてでかい画像アップできなかったからだ


2009年に柳沢究さんを「幸せ建築家」と冠したが、2021「幸せプロフェッサー」の称号をも重ねたいほどだった。
記録コツコツつくろう



4月23日 よい天気だ

 川井さんオンライン聞き取り記録おえたので、今日はのんびりしようと思う。思うもずーっと記録づくりしていたので、頭が止まらない。でいろいろ考えて次なにするのか思いめぐらす 922 9507 6844
■明日京大の柳沢先生とオンラインワイワイする。(午後2時からスタート)
 柳沢先生は学生をつれて福島に来て、県庁の方々とも語り合ったので、その記録もつくった。前回2009年8月4日京都5条そばのマンションの一室で聞き取りした記録もある、し博士論文もいただいた。あれから13年も経ってしまった、俺48才、柳沢w先生34才だった。h6HMci
 明日聞きたい、ワイワイ内容を簡単にメモした。13年はやはり長い。沢山聞きたいことが並んでしまう。多すぎるように思う。とっちらけないのように聞き取りしなければならない

■311の個人時系列表をつくろうと思っているが、南相馬市の災害誌2021年3月刊行をながめていて、ああこれをモデルにしようと思う。で全頁記録してみた 1.3ギガぐらいのデータ量になる。原発事故と地震は誰が作っても同じ時系列になるだろう、だから南相馬市のデータをベースに俺が必要と思われるも事項を加えてつくればよさそうだ。空き時間いコツコツつくろ

4月22日  好い天気のいちにち 夕方すこし風あり

6時頃目覚めてしまったので、川井さんのWEB頁にいただいた画像を貼りだし頁つくりをし、昼飯前に終わる。アップして知らせる。夜に再度訂正の連絡があり、更新して画像を入れ替える。数日漬けて置きし 一度読み直してみたい。こんな感じの記録になった
 聞き取りした内容は、体調が崩れた因について、語り合うも、俺が10倍語る様となった。批判というか提案というか、里山主義者に対する疑問を記録する結果となっている。こういう話題が出るとは想像していなかった。多くの聞き取りは、自分の人生を逆に見ることになる。それは読者を面白がらせてお金を取る媒体が目的ではないからだ。無料媒体で読者に気を遣う気はないから、そうなると思っている

■午後、髪の毛を電気バリカンで自刈りし、自分でカミソリを入れる。長年やっているので、慣れてしまったし、年老いて髪の毛がぐーんと少なくなっているから、洗面所に立って簡単に自刈りできてしまう。床屋談議と呼ばれるあの時間が嫌いなだし、お金も掛からなのに、自刈り者になってしまう。おばあさんの髪型デザインし床屋だって出来そうな気分だ。

■夜9時半からroomワイワイする。会社内の同僚が新コロナに感染し働き方が変わってしまったとのことで、いろいろ聞く。いずれ放射能汚染と新コロナ下の会社員の心境をテーマに文章を書くことが訪れたら、この体験を活かし記録しておきたい。オンライン対話をしていると取材モードになってしまうので、予想外に勉強になる。
 オンラインをスマフォでするときの、技もいろいろ発見することになる。気軽に練習できる相手がいるのは、多様に幸いだ。老人が毎日オンラインすると語り掛けるために声を出すから喉の健康にもとてもいい、声を出すのは効くのだ。
 以前、毎日発信していた自撮り動画は10分物で1.5GBぐらいのデータ量になって、Wi-Fi詰まりが起きてばかりだった。1時間使ってもzoomやroomだとデータが軽いようで、さほどのWi-Fi詰まりが起きないことも分ってきた。スマフォが熱くなるのは同じだ。
 上手に安価でオンライン!それが老人のオンラインライフの目標だ。毎日誰かとオンラインする老後は新コロナがくれた老人への貴重な贈り物だ、そう思う。


4月21日  風すこしあったけど快晴 新緑が美しい

■布野先生に依頼された二時間半弱の文字おこし完了して送る。HTMLで送っているので、ワードに貼っているのか、枠が出るとか、一太郎だと出ないのでアメリカのソフトと相性が合わないのだろう。少し研究してみよう

■川井操先生からデータが送られてくる。明日からWEB頁に貼り付けよう。
知り合いの会社ないで感染が広まりつつある。


4月20日  暖かい1日だった

■昨夜サバを食って鯖骨で食堂を傷つけて痛くてしょうがないから、第四小学校西隣の草野耳鼻科に行き内視鏡で診てもらう。喉には骨はなく一部腫れていて痛いようだ。食べ物が飲み込めれば問題ないので数日様子を観るように言われ3000円の費用を払う。徐々に痛みはとれている。新コロナ対応で消毒と距離が保たれていた。そもそも病院に行く人が少なくなっているのかもしれないが待合は閑散としていた。

■新グループSLABの活動で布野さんが聞き取りした内容を文字起こデータが送られてきたので、コツコツ暇をみては文字に起こす、今日はもと建築文化編集長の田尻さんの話だ。2時間半ぐらいの聞き取り内容だ。終末完了をめざしている 昼寝しながらすすめる

■浜松市にくらす若き建築家の辻琢磨さんのオンライン聞き取り、えで図食堂と名付けている活動。新コロナが収まるまでの一時対応聞き取りだ。奥さまから製本が送られて来たのでWEB頁に貼り(了解済み)1時間の内容を3頁に分け昔(2010年)の辻さんの言葉の一部もつけて仕上げたWEBにアップする
 浜松市に行って聞き取りが実現するか、それは不明だがなりべく三回目は現地で聞き取りしたい。

■知り合の会社員の職場で新コロナに感染した人がでたようで、様子をいろいろおしえてもらう。




4月19日  ときどき 夜になって寒い

夕飯たべったら喉にサバの骨がささったようで気になる

■12日にオンライン聞き取りした辻琢磨さんのWEB頁を仕上げ始める ほぼ出来た
奥さまは製本家なのだが、新聞や街角製本所の案内など届いたので眺めた、FB投稿をする。

2021年4月19日FB投稿より)
街角製本所さんよりの贈りもの届く
 辻琢磨さんのパートナーである村上さんとその仲間達は浜松市尾張町の空き店舗を1年半掛かけて改修し、製本所、食堂、野菜市、家づくり相談所などを運営始めていた。多様な職種をもつ若い人々が連携し街を空き家を再生している。同時に新聞『みかわや』2021年(日付けなし)創刊号も刊行してしる。さらにラジオ配信もしている。
 手作り製本家の姿勢を投影したかのうに、丹念にそっと時間をかけ物と人々を編集し、そうして町も人も再生していく施設が容易に伝わってくる。そのような若い人々の熱意に敬意を表してしまう。(20世紀型の集いとは異なる連携の姿だ)
 町の角地に在り、店先にはアーケードといえるようなものではないが、屋根が掛かっている。たまから歩道の空気をも再生しさらに育んでいくようすが伝わってくる。彼・彼女たちは新コロナ下で困難なこも抱えることが多いのだろうが、無理ぜず健やかに生きつづけ、暮らすことの楽しさを伝え続けてもらいたい



4月18日  上空に冬並みの寒気はいったとかで目まぐるしく変わる夜冷え

■川井さんのWEB記録を3頁に分解などしてみる。データが届いたら貼り付けられる内容を見て頁を整えるようてい。

■花田先生がサイト活動を休止予定とのことで、預けてあるデータをmyサイトに移動し始める。Wi-Fi能力のせいだと思うが電波詰りがおきてしまい、移動一気にいかずとぎれとぎれなのでさほど、はかどらない。1月掛けてこつこつ移動しよう


 4月17日  気温下がる

■朝から川井操先生のオンラインワイウィ文字におこし、整え完了したので、川井先生に送る。返信で各種データが送られてくるとの知らせあり。
■知り合いの職場で新コロナ感染者が現れたとのこと。大阪では毎日多量の千人超の数でこれから数年は収まらないだろうと思う。
■柳沢先生の書 『住経験インタビューのすすめ』を読み直して、自分が体験した家の図をいておくため、スケッチをはじめた。数年かけてこつこつ完成してみたい。柳沢先生に連絡しROOMでワイワイを申し込む 近々実現しそうだ。room聞き取りも年齢によって聞き方を変えた方がいいように思う。ROOM聞き取り技を体得したいものだ。

 4月16日    ときどきつよい

 いまごろ、春先は目まぐるしき天気変わるので服装などで対応するしかない、体調も崩しやすいので要注意だ
 
■昨日オンラインで聞き取った川井操先生との内容を文字におこしている1日 
■午後 スーパーに買出しにいく 暖かくなったので灯油屋が配達してくれないので、ポリタlンプの買い置きを36リットルほど注ぐ、まだ朝晩冷えるので床暖要る


 4月15日  山笑うと言われるが萌え色刻々と変わる

■辻琢磨さんの文字起こし完了しWEBに落とし辻さんに連絡する (えですフォルダーに格納)

■午後4時から県滋賀大の川井操先生とオンラインインタビーする。面白いが物足りなくもある贅沢な時間である。

■夕飯食べて後少し文字起こす。文字にするのはさらに楽しいから不思議だ


4月14日  夕方一時風強し、7時頃小さな地震あり

■辻琢磨さんとのROOMワイワイ1時間を文字にしてしまう。あしたからWEB頁を作ろう。

■汚染水海洋投棄決定にともない雑感を書いて記憶保全する

 フクシマ問題をSLAB(新しい会の名前)で取り上げるのは困難が伴う。

分っているけど、できることだけやる、記録を残すしかないと、取材申し入れも反応が鈍すぎるのでほとんど諦めてもいる。数日押しているけど、それらを片目でみながらも、多くの欠落したものを持つ欠陥記録になることは、記録する前から明らかだ。
 それは東電公認の被災民である私も足が鈍るし、またフクシマ県内の聞き取り対象者も口元が固まり、声が凍りついてしまうのが常態だから無理強いはできない。そんなフクシマ内で元気に語り取材しつづけ情報発信しているのはプロ的・稀人のような、あの日あの時「フクシマ放射能」をほとんど吸ったことが無い人々である。彼らはには「フクシマ人のような体内に抱えている未消化の現在形が無い。」私から見ると、彼らの活動は特殊な正義感でのみささえて特異な解答である。フクシマ人は正義感をもつことができない、加害者であり被害者であり、原発建設当時、原発に関してはまるで無知だったからだ。そのことを知っているからだ。福島県内は交付金で作られた施設が多数存在している。県庁の本庁舎は東京電力と東北電力の多額な寄付(やく半分)によって造られた。

(どうように建築系の本は鹿島、大林、積水ハウス、LIXIL TOTOなどの設備業者におんぶにだっこで多数刊行されている。それは業界と癒着した媒体が刊行する広報本の一種であるとも言える)

■政府による汚染水海洋投棄決定に際し雑感

 建築メディアにあっては、建築界の日の当たる表面だけが多く語られる。建築家も研究者もその日の当たる場で生きていく、リア充を求めることで成り立っている。特殊な表やくざの営みとも言えるかもしれない。それは裏社会にささえられて生き続けている世界であるからだ。(政治家に似ている)

 1970万博の会場を作り上げた労働者は全国津々浦々の出稼ぎ労働者であったし、日々の建築現場を支えていのも日雇いと言われる山谷や釜が先を代表とする、また地方の農業家が兼業土方人夫が支えた。現在は研修生や派遣という現在の奴隷制によって支えられている(前川國男設計の福島市の教育会館は福島市親たちの勤労奉仕や県内教職員の数年におよぶ月給天引きによる寄付などによって建設された特殊な例がある。)

フクシマ第一原発の廃炉作業は1日6000人が従事する巨大な、作るではなく廃棄するための建築現場であるけれどを、その工事を請負っている人はそこで働きている人人の姿を知っている建築設計業界や研究者はほどんと居ない。 さらに汚染水を少なくするための凍土壁建設と汚染水を貯めるタンクを製造している建築会社名を知っている人はほとんどいない。




4月13日   つよく一日中建具がガタガタいう

■福一現場からでる冷却水を処理した汚染水の海への投棄を政府が決めたので、県庁に反対している人の様子を観に行く。2年後に放流なので政党的は反対者だけで40人ぐらい抗議集会ひらいていた。中国と韓国のメディアもめだった。民報新聞が写真をとりまくっていた。

FB投稿
処理水海洋投棄反対表明しにくる
取材陣の方が多い。もっと大勢集まると思ってだが県民意は表明する人少ないかも
政府壊れて久しいが
もうじきな衆院選で意思表示を

■夕方から辻さん聞き取りを文字にし始める 15分分ほとおこす。のんびりすすめよう
























4月12日 

■2004年3月27日に石川初さんを講師に建築あそびを行い、その記録は公開しているのだが、画面中央に移動したり、画像や動画を加えリメーク2021版をつくり公開した。

目的は20年間借りつづけているサーバーをデータを減らして無料にすること、リメーク版は2013年から使っているサーバーに移動してしまうこと。リメーク版をつくっている2000年以降の画像はデジカメの性能が悪いことと、サーバー容量をへらすためにピクセル数が少なく、見栄えがすこし悪い。近頃は高性能スマフォで高画質をアップするので、Wi-Fi能力オーバーで無駄が多いので軽くて綺麗にも見えるほどほどのデータに落とすのが閲覧者にも負担にならない。
できたら昔のスマフォが2台あるので、戻してしまうのも一つの方法かもしれい。動画も写真も充分使える。

■記録をリメークするいは画像データを直ぐ取り出せるようにしておく必要があるので、すこしづつ全く整理してなかったので、見易くホルダを作り直そう。

■夕方から浜松市在住の辻琢磨さんとROOMを使って1時間話す。ことば悦覧のROOM版だ。初対面では難しいかもしないが、スムースに話合え、音も質は好くないが文字起こしできる程度のものだ。新コロナ社会は出歩くのが好きではない人には都合がよい。老若男女出歩くことが少なくなったから、ROOMに誘いやすくなった。大学の先生などは毎日zoomで授業しているのだろうから、アカデミシャンには声かけにくい。

FB投稿内容
浜松在住の建築家 辻琢磨さん「ことば悦覧」聞き取る
 辻さん確定申告などお忙しいなかお付き合いありがとうございました! 次回はづづきをお聞かせください。(浜松に行くのがいいのだがな〜)
 ROOMを使って「今からスタート!」と互いにスマフォ確認し合えば、あっという間の1時間ワイワイできてしまう。辻さん思わず青春期のおもろい話し、俺が想定していなかった言葉を発する連続でした。
今日は生い立ち編でした 卒業設計以後にっいては2018年新宿で聞き取っていましが、まだ浜松には行ったことがありません。新コロナがあるので収まるのをまっていると何時になるか分からない。でROOMを使って聞き取りはじめました、欠点は多いけど、ROOM使った聞き取りこれも面白いですよ〜!

4月11日  快晴だったが気温はぽかぽかとはならず

■HPのRemakeをしようと思い、石川初さん2004年3月27日のWEB頁からつくり始める。思ったより時間が要ることが分った。新コロナ禍なので出歩くこともままならないのでリメイク作業はあんがい適しているように思う。
動画を検索してみたが、Wi-Fi能力を高くした方がいいかもしれない

■東日本大震災から10年1ヶ月の日なので、ラジオからは被災者の声など地震関連のテ
ーマの番組が流れていた。

■庭について の小論一つ 
2004年3月27日建築あそび講師だった石川初さん。近々オンラインでワイウィできそうなので(?)逕庭SLABに関係する「庭」について 石川さんの著著より
石川初著 『ランドスケールブックー地上へのまなざし』2012年9月11日LIXIL出版 114頁より打ち込んでみた

 第五章 庭のスケール 
庭は「外部のもろもろの要素と有機的結合関係という社会性や眺望性(landscape性)を表す」(進士五十八)
庭という言葉は魅力的だが、その意味するところは広い。一般的には庭は植物を植えるなどして美しく設えた場所を指すことが多い。「前庭」「中庭」といったように、建物に付随した屋外空間で、施設としてはっきりした輪郭がある場合もある。あるいは特定の空間に限らず、たとえば「この街は私の庭だ」というように、より広域に、自分が親しく、よく知っている土地や領域を指して庭と呼ぶこともある。しばしば似たような意味合いで使われる「園」が、より囲まれた、場所の状態を指すのに対し、庭はもっと広がりのあるニュアンスがある。
庭は、必ず誰かの庭である。庭はいわゆる公共空間ではなく、個人的な場所である。実際に土をいじって手入れしるにせよ、親しい場所として勝手にそう思い込んでそう「見なす」にせよ、誰かが主体的に関与して、働きかけることで何らかの「関係」を結ぶ、庭はそういう対象としてある。庭は制度ではなく、よそよそしい土地を打ち解けた土地にするための「働きかけ」である。農地はそのままでは庭と呼べないが、耕作者がその田畑を庭と見なすことはできるし、そのような関わりかたは農地に「生産施設」とは異なる意味を与えるだろう。公園や広場はそのままでは庭とは呼べないが、誰かがそこに「私の庭」と見なすことも可能であるし、実際に地域住民による緑地や公園の管理への参加などは、そこを「私の庭」にする喜びが動機になっている。
庭はそこにまず既存の環境がある。その土地の環境と、そこへの人の関与との相互関係として庭はある。種を植えるとか、水をやるとか、毎日見かけるある場所に名前をつけるとか、そんなふうにして 「見知らぬ場所」を私の場所に変えてゆく、それを庭と呼ぶとすると、庭は人と土地の原初的な関わり方であり、人と土との関係の最小の単位である。


















 4月10日  気温は下がっていて寒いのでひざ掛け電熱線使う

■昨夜は朝まで寝ることにして12時間寝た。すっきりしてやる気湧く気分。
■HPのインデックスはこの半年まともに作っていなかったので、すこし画像をつけて整理し始めたら半日かかった。
■フェースブックの無料ROOMを使って聞き取りしようと思いたち、県滋賀大の川井先生と大阪豊中市あるいはイタリアで暮す井口さんに連絡を入れた。川井先生は出張中で家にもどったらスケジュール見てワイワイ日時を決めるとのこと。井口さんは本『イタリアの小さな町ー暮らしと風景』を出版したばかりだから本の宣伝を兼ね近況を記録したい。はたしてメッセージは伝わるのか。 コロナ禍でどんな聞き取りが可能かできるだけたくさんの事例を積み重ねてみたい。

■そこでFB私的なめメッセージを投稿する(以下投稿内容)

みなさんお元気ですか 暇がありましたらROOMを使ってワイワイしませんか

 絵は2000年以降、わたしが出会い聞き取り文字記録をつくりweb公開した主な方々のアイコンです。みなさん新コロナ下でもお元気でお過ごしでしょうか。
 あれから20年間がすぎました、私はあたりまえの高齢者になっており、その間、福島の原発事故の放射能も浴びましたし、新コロナの影響下でたんたんとした日常を暮らして生きております。家人の病も治すことができ30年ぶりにようやく対話が成り立つ人間らしい暮らしをしております。
あと10年ぐらいで平均的な死に至りお会いすることも叶わなくなるでしょうから、ここらで20年間に出会った人人とROOMでお話し記録しておきたいのです。さらにフクシマ問題のこの10年も記録し福島人の声の記録を福島人が発信するための記録をつくりたいと思っております。

 フクシマ問題を記録しようと思いますとどうしても思い出したくもない、思い出しても辛い、東京ではだいぶ前にアンダーコントロールだったようですが、福島では現在も続いている問題なんですから当たり前です。しかし感情に流されふ情報が多く、肝心の廃炉現場の奥を訪ねたことがありません、またそこで作業に当たる1日6000人とも言われる作業員の方に会って話を聞いた事もありません。みなんさんと同様、フクシマ問題は耳学問の域を出ないわけです。いい加減な情報を基に想像できるほどの、ひりひり切ない身につまされてしまう切実な実感は少しあります。そう思い福島人の深層を記録しようと思うと予想より辛い、またマスコミ情報にはなるべく触れないで暮らしていませんと感染して詰まらぬことを書いてしまいますので福島問題を静観しつづけていました。
 2月13日の地震に遭いました。今の収入では手が届かない高価な30年愛用した電気スタンドがハチャメチャに壊れてしまいました。電気スタンドが壊れる崩れる時のガチャンという音は、私的なレベルできちん稚拙であっても記録を残しておきなさいと聞こえたわけです。そこで色々な方に「お話を聞かせていただけますか」とお願いしていますが、これが思ったよ困難が伴います。のんびりコツコツ10年は続けていこうと思いますけれどもにわか作業はそうそはかどらない。

 フクシマ問題に取組もうとすると、どうしても肩がこり詰問型人間に成る自分がわかります。そうして相手に不快感を与えてしまうことになっていると気付いていますが、どうにもならない。そこで「それを防止しつつ何かないか」と思いを巡らした末が、過去に出会い聞き取りした人々とROOMで語りあうと和らぐことが可能ではないかという思いつきです、冒頭のお誘いになりました

 暇でしょうがないのは私しかいないようです。皆さんに声を掛ければだれに聞いても「忙しい」と返ってきます。現在人のステータスの一つが「忙しい」という勲章のようであります。だが私には「なんでそんなに忙しくしているのか」さっぱり分らないんですね。狭い日本どこに行っても新コロナだらけ、のんびりオンラインでワイワイしながら10年は解決しないだろう新コロナの時を暮したいと思うわけです。
 いかにゲノム解析で新薬をつくっても新コロナは簡単には収まらないと思います。それは日本で結核が爆発的に流行りった記録を見たりしているからです。結核のピーク時は1919年頃で10万人あたり平均死者数260人だったようで、大都会で300人以上亡くなっていたかも知れませ、1000万人の現在の東京なら3万人は亡くなるという数です。2,30人の死亡で医療崩壊なんて言っていいのんかー、この程度ではない。当時の感染率は80%ほどだったそうで自覚している人はすくなかった。結核と新コロナは違うでしょうが、結核の流行が過ぎ収束するまでには80年以上時が必要だったのです。ですから私はワクチン接種を2度すればもうじき解決するという新コロナ情報をさほど信じてはいないのです。

そこで、10年掛るんだな、どうせ俺は寿命が来る頃合いだ。だったら今から10年間は新コロナと共に暮らしていけばいいわけだ。コロナ的日常が人生の終盤の暮らし方というこだ。抗っても疲れるだけだ。このように呑気に考えてのお誘いです。まあ、馬鹿なお前と(老人)ROOMで暇つぶしするか・・・と思われるかたはメッセージください。




















新関さんと2ショット

 4月8日 

■昼飯まえに食材買出しする
■午後、事務所協会に行き住宅課県職員の10年について取材依頼をする、いろいろいい感じに展開しそうだ
■歴史家からみた福島の10年の記録の手法などワイウィについて同意を得るも一堂に会してオンラインでするか個別にするか検討中

■記者クラブ発行の3・11から1年半ほどの会見記録集に目を通す。プロは誰でも呼んできて語らせる、素人の私にはできないアンテナの広さを実感する。そういうメディアになるための実績と人脈が豊なのだろう。じっと手を見る。

■南相馬市が3月に刊行した『東日本大震災記録誌ー100年後に届とどける記録』が図書館に入ったとの連絡ありて、借りて来る 700弱と分厚くて重い。が行間が広く文字が大きいので老人には読みやすそうだ。チラシには南相馬市博物館で販売するとあった値段は書いていない。

■FB投稿より
3.11から10年。福島前線当事者による発信
(まだ準備段階です)
 長年県職員として昨年度まで活躍された新関永さんに取材依頼(アイデアも頂く)
 ◆福島のような多重災害に遭っても少ない人材で無駄のすくない災害対応のあれこれを発災前に「福島の311経験」を知って頂き次に遭う多重災害現場に生かして頂きたいと思うのです。
◆福島県民による福島内部からの発信です。商売のためのマスコミ情報にせず、役所的な数字の羅列情報でもなく、福島人による4重災禍おいても血の通った、人によるものとし被災者感情に流されない情報を発信することにします。
◆わたしのような老人がする仕事ではないのですがね。2月13日の地震に遭い「やらねばね!」と勝手に思い始めます。(311以降の日々を思い出すのは嫌なんですが)web記録にしますので簡単明瞭な記録とはならず長い連載になるような気がします。興味のある方は記録を見たり、また福島人による情報はこんなのいいなーがありましたら投稿ください。
(温泉・果物・景色いいよのネタ類は発信いたしません)










 4月6日 

■週刊誌画像に収める。3・11記録も撮影して本のフォルダに入れる。

■12直前からEVANGELIONの新作映画を観る。けっこう長い3時間ほど。

FB投稿
泣ける!アニメでしたよ。
す立派パパの息子シンジ君可哀想すぎるよ!良いおねいさんたちに囲われ共に生けてる幸せ分からない設定なんで、面白い訳ですよ。
合戦シーンが少しダレたけど、あとは哲学風言葉がぎっしり詰まってるので飽きる事なし3時間くらいなのかな。
関西弁も棚田も未来の廃墟の農作業も、廃墟そのもの、も宇宙空間のような合戦場も見所満載。
碇シンジ君よかったね。凡庸やパピーエンドきましたよ。これが凡庸に見えないのシナリオ作家の技ですね。読み方多様に出来る傑作アニメですね、10歳ほどの子供が観てわかるのか?疑問ですが
シンジさんの鬱の因はパパの思念だと描かれてましたが、私には敗戦した数多の男たちのアメリカベッタリしか脳のない馬鹿真面目さとして受け取り観ていました。戦前オヤジ(現在80さいぐらいか)やっぱウザイですよね。廃墟は福一原発事故跡地に重なって見えてしまうんですよね。セシウムとしちゃんには。これでは雑すぎるので
パンフを買って来たので改めて感想を書いておきたくなってます。

■夜布野修司さんとFBルームを使って30弱話す。議題は新会合の課題について。

■my長女DVD棚にEVANGELIONテレビ版あるのを見つけて、数日かけて見て感想を書く予定。

 4月5日 

■打ち込み文字を修正する。(『新建築』2011年4月号を借りてきた。編集長だと思うけど四方さんに原稿依頼され書いたのを思い出したから、それを文字にもういちどしようと思い、本を借りた)

■311直後の資料を見たり、撮ったり整理するの思ったより辛い。思い出してしまうのだ、記憶がよみがえるとも言えるかな。



 4月4日  少し気温さがる

■図書館にいき、『新建築』2011年4月号を借りてきた。編集長だと思うけど四方さんに原稿依頼され書いたのを思い出したから、それを文字にもういちどしようと思い、本を借りた。データ探すとあると思うが、紙面を見ながら文字にするつもり

■食材を買いに出かける。

■昨夜のzoom会議は長かったので、関係者の声を掛けておいた。面白い活動が始まると思うけれど、若い人は真面目に育っているので応答しようとし過ぎて、負担が大きすぎるようにも思う。匠ないなし技がないだけに直に来てしまい困難に思い過ぎるだろう。

2011年『新建築』4月号 P13〜14 

 私の被災状況と希望 (3月19日に書いている)

佐藤敏宏

はじめに 

地震、津波、原発事故、に遭い8日目、福島市に暮らしております。この間twitterと電話による各地からお寄せいただきましたお心遣いと多数の「支援しますよ」の言葉に対し、心より御礼申し上げます。強い余震が続いております。原発事故の推移は未だに予断を許さない状態のようです。地震によって原発事故が起きる危険性は指摘され続けてきました。過去の事故をみますと広い範囲にわたり、黒い雨が降り、地形や風の作用で放射性物質が体積(堆積の間違い)した場合は放射線監視地域になてしまう可能性を否定できないようです。体内被曝防止も続けましょう。
 福島第一原発では放射線を浴びながら最悪の事態を阻止しようと懸命に作業を続けている人びとがいます。彼らの存在を心強く思いつつ成功を祈っております。同時に作業をされている皆さんの家族の方々の不安を推測し心痛を覚えます。
 報道されないのですが、連動するように起きた長野県栄村の大地震が気になります。村のHPを見ています。「高齢化40%、何もない村」を「ねこつぐら(猫の家)」や五穀の特産品をつくりだすことで再生させた村の被害です。村民の皆さんの活躍の経緯はこれから始まる「地域経済再生のモデル」
になるだろうと考えていたからです。村の皆さんの無事と震災下での健闘を祈っております。

私の被災状況

家は壁式鉄筋コンクリート造2階建て、仕事場は同三階建て、すべての家具は壁に固定し転倒を防止しています。東西に長い揺れだったので本がすこ飛び出したり、瀬戸物がふたつ落ちました。13日午前10時まで停電。床暖房と電気こたつが機能しませんでした。植木鉢に昔風に炭をおこし昔風の炭火こたつに仕立てました。ガスは一度も止まらす炊事に困ることはありませんでした。飲料水は樽に70Lと地震直後に風呂に200L貯めました。私の生活が成り立たないと近隣の独居老人の見守りが出来せんので、水の確保は大急ぎで済ませました。webの使用は通電と同時で13日から再開しまし、多くの人に実情を知らせようとtwitterで発信しまくっております。共感と速報性が特徴のツールなので災害時に威力を発揮しました。


近隣を見回り

1週間は持つように我が家の備えを整えました。翌日から近隣を一軒ずつ声かけつつ被災状況を見回り始めるためです。内部の被害状況を見つつ対応を考えました。声かけて住人の顔を見て健康や問題点のありかを知ろうとしました。
近隣の独居老人たちの木造建築は内・外部ひび割れが生じ、家具は転倒し壊れ、瀬戸物や仏壇飾りが一面に散乱していましたので、もくもく片付け、家具の配置を整えました。外部は石塀が崩れ落ち屋根瓦は道路や隣地に落ち散乱していました。危険を知らせる表示物を道路に備え、倒れかけた石塀の撤去命令を発し取り払っていただきました。続いて毎日徒歩10分で通っている県立図書館に本を返却に行きました。硝子と天井の破損が酷く、閉館になっておりました。

建築あそびと近隣見守り

落ち突きを見せ始めた17日午後の見回りで「新しい繋がりのある近隣をつくろう!」と提案しました。食料・ガソリン・灯油があればほぼ日常になりましたので、この機会を逃すとつくれいからです。そう考えた理由を説明します。長年「俺の家はお前の家」だから遊びに来いと他者を招き我が家でワイワイ雑魚をする「建築あそび」家人の病が再発したのを機に4年前に始めた「お前の家は俺の家」おしかけ建築あそびですが、「ことば悦覧」と名付けました。日本各地に出向き30才前後の独立系建築家などに話を聞かせていただき文字を起こしwebページをつくり公開する活動です。ふたつの活動の目的は「建築あそび」の場と「ことば悦覧」の記録を通じて「他者と他者が繋がり続ける人の場をつくり、そこから多様な活動が再生産され増殖すし続ける社会をつくるための媒体としての建築家の姿」を想い描いての活動です。
波及は東京のLIVE ROUND ABOUT JOUNALや大阪のDESING EAESTとなっています。彼らは議題を設定し多くの若者と共に建築やデザインについて語り合い、私たちが暮す社会のあり方までもつくり直そうと意気込んでいます。


活動にある問題点

「建築あそび」や「ことば悦覧」の活動の姿勢は俯瞰的になりすぎる欠点をもっています。web縁を活用すれば近隣の人びとと乖離があってもいきられます。泉のように湧いてあるべき近隣との無縁が固定される欠点もあります。今回の災害で皆さん隣人の大切さを実感されたのではなないでしょうか。二つの欠点を解消したいと考えておりました。俯瞰的に階層を下り各領域に繋がり広がるベクトル、泉が湧きだすように各階層を上昇し各領域に広がるベクトル、両者が交じり循環し続ける場の設定。それらをつくらなければならないと思っていました。二つのベクトルがうまく稼働する場があれば、閉塞した地域と疲弊した建築家達の領域を再生させることができるのではないかと考えていました。ふつのベクトルに同時に身を浸し、触媒としての活動を想い描き実践してきました。
泉のようなベクトルの実践は行っていませんでした。被災を機に近隣を見回ることでつくりたいと考えています。やがては隣人のネットワークをつくり「近隣の泉」を湧き上がらせたいと考えています。
俯瞰のベクトルは多数身に付けています。それらは過去の活動に生まれて続いている事態です。各地に暮ら多くの友人達、早稲田大学のジャーナリズム教育研究所とそこの関係している多くのジャーナリストたちとその活動、長男が事務局長を務める「宮城歴史資料ネットワーク」の9年間にわたる県内の資料救済活動、研究の成果である『18世紀仙台藩のおける災害と社会』などには、賢く対応し生き抜いた江戸時代の人びとの姿が記述されております。
 私が身につけることがなかった、下から湧き上がるベクトル、「新しい繋がりのある、近隣をつくろう!」と呼びかけ見回り芽吹いたと確信しております。各階層とそれぞれの領域の人々の活動の重なり合いや、過去の人びととの知見の連なりによって「災害前とは異なる社会を発明するぞ」とひとり冷え切った被災地で、現実が駆け抜けて行きすぎ続けても、希望を掲げるために夢想しております。



 4月03日  よい天気 桜もうじき散りおえそう

■蛍光灯が壊れたので交換する 
■資料とデータ整理し、震災に記憶としての都市や建築に関して本を読む

■ 17時から2時間半zoomワイワイする 長い時間zoom観てると疲れる。それが分っただけでも大学先生たちの苦労が体感できた。


4月02日 

■ 午前中はデータ整理
■午後 町中銀行にいき雑事すませる

■ 午後、資料整理する。後、今世紀、我が家に来ていただいた面々に「311から10年、何してましたか」聞き取りる人々にメッセージを発信する。
 応答、芳しい人から、肉声を聞き取り記録をつくる予定。 
 好反応は一人 

https://zoom.us/j/94890643380?pwd=WW1NbndBUHRaNGZpT3Jtcmp1ZHc1QT09

・会の概要確認
・ブログの運営方法について
・神子さんのインタビュー日程・内容について
・進撃の建築家2の進捗
・所信表明の進捗
・その他










 4月01日 

■岩瀬村のmy建築を見るため電車にて須賀川までいく。発注者の方に自家用車で迎えに来ていただく。
 もうじき竣工から30ねんに成る。その屋根に上りチェックする。厚板鉄板を加工し亜鉛溝付けし特別仕様だ。シーリングが劣化し、水や砂埃や木の実やいろいろなゴミが劣化部分から侵入し、ちょっとした堰になっているのだろう。しこし天井に染みができていた。
 シールを取り除き、耐熱シールにして補修すれば問題ないだろう。それでも心配な場合はシールの上から、鉛のシートを貼るのが良さそうだ。

 まずは地元のシール屋さんにお願いして、新しい耐熱シーリング材に交換することだ。

■地方の建築は敷地がたっぷり在るそこがいい。さらに空気もゴミも少ない。不便なのは日常の食材などの品々が身近に無いことぐらいだ。

■調査を終え、地酒一升と苺などいただき、家まで送ってもらう。久しぶりに車の中でもワイワイできた。お互い年はとっている。竣工時、幼稚園前だったろうか、お子さんたちもすでに社会人となり働いている、とのこと何よりだ。
■南相馬市のことを少し調べ始める

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