佐藤敏宏
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2021年3月の日記        






 肉声だけ埋め込み練習中

 3月30日  黄砂が飛来しているとかニュースが賑わっている


■腹部左側の側面、あばら骨から背骨にかけて、なんとなく動く瞬間に痛みが走る。もしかすると通風かも、それとも内臓がわるくなっているのか。暇な時間に検索してみよう。

■令和2年の確定申告をだす。廃業同然だが死ぬまで建築士事務所登録は出し続けようと思い直したので、、確定申告が無いと更新手続きがめんどうなので提出。
 福島税務署の東側にあった放射性廃棄物は全てなくなっていた。仮置き場のはずだが、中間貯蔵施設にもっていったのだろうが、残り20年で廃棄物の最終処分場が決まるとも思えない。そのまま何崩しにされ福島県内に置くことになるのだろう。

■my長男、山形県の 文化財保存審議会において、文化財保存活用大綱策定のための臨時委員なったそうだ。もしかするとこの10年の試行錯誤が活かされ「山形モデル」となって津々浦々へまで社会性を持つようになるかも・・・おおいに期待する。







 3月28日  気温上昇にて暖かし 20数度あったかも

気温上昇とともに眠くなる、春は眠気がマスのか

■400頁ほどの本、全頁を撮影する。古書で買うと17000園円の値段がついてたので、しかたなく借りて撮る。

■市役所に国民健康保険に関する申請の相談をする。高齢者にとっては国保はありがたいが細かい使い方は知らなかったので相談。親切である

■確定申告の準備をはじめる。今年は4月15日までなのでサボりすぎていた。今週中には申請しておこう。






 3月27日  暖かい1日 満開の桜 明後日は散り始めそう

■ Pc内ソフトでは表示される音だけアイコン好い感じなんだけど。 アップすると表示されないである。今日も音だけ埋め込みタグ使えこなせず。1日やっても分らない。試行錯誤で毎日ためしてみればそのうち偶然分るので、目標は来月末にはスイスイアップ表示がなされればよしと。






 3月26日  庭の桜満開 

■ 農協直販所に行き玄米を買い精米してくる。10kgは重いね。

■ レンタルサーバ迷い一旦解約した 無料サーバが1Gであるのだが、住所が入力できず登録できなかった。

■ホームに動画を埋めんでいたけど、音だけ埋めこもうとあれこれやってみた。一部できた。


     

 3月25日  のち  気温さがりぎみ 昨日は暖かすぎた

■感想文を仕上げる こんな感じ これで第一章の感想はとりあえずお仕舞にし、来月から第二章の感想にとりかかる。2月ほどで仕上げる予定

■レンタルサーバあれこれ迷う、申込解約しようかと。もっと安いサーバが見つかってこともあって、長年使うなら安いのがいいので。





 3月24日  気を温上昇し桜が開花し木蓮は満開となる

■ 昨日につづき感想文公開する。この頁は戦前の結核について調べた内容を主にコメントをつけた。こんな感じになる

■午後食材買出しに 暑いくらいだが通年今日ぐらいいい天気だったらよさそうだとありえぬことを思う。

■レンタルサーバーに新サイトをつくるべく昨日申し込んだが、支払いはコンビニを通して4月7日まで済ませればよいので、サイトの表紙をあれこれスケッチ。ドメイン名もあれこれ考える。これから10年お付き合いしようと思う新サイトなので新しいものにしようか、20年つづけたfullchinでいくか思案中。


 3月23日  仕事場寒い庭の桜数日中に開花しそうだ

■『立原道造の夢みた建築』第一章の感想文を公開する。こんな感じで長い長い感想の一部。213の地震にショックを受けてしまい、ブレーキが掛かったのだが、なんとか持ち直して書いていたが、320にまた地震が来てしまった。めげててもしょうがないので、コツコツ作業しようやく公開できた。
 一章の感想はのこり2web頁あるので、今週中には公開したい。

■4月1日から新サイトを公開しようと急に思い立ち、レンタルサーバー申し込んでしまった。年間12000円ほどだから月千円だ。容量は300ギガだったからHTMLだけでは使い切らないだろう。音声も動画もアップできるだろう。

 データをGAFAに収めるおから離れしようと思ったのでサーバ借りたい。この1年こつこつ使ってみたい。そうして来年また考えてみたい。


 3月22日  いい天気だった。

朝から感文をしあげつづけた。長い文章がすこしずつ仕上がっていくので面白い。

 『立原道造の夢みた建築』第一章の感想文を書いているが3web頁になった。今日は1頁目を仕上げた。戦前の知識がないし、本もない、まったく手がかりが無い中でどうやって書くのかも課題だったけど。なとか書いた。 書くと勉強になるし、思いもよらない地平に立ち風景を眺めることにもなってしまい、長く書く事が楽しくなってしまう。
 この1年は、とにかくなんでも長く書くように努めてみよう。


 3月21日   気温さがる

■ 感想文や新グループの所信を書き、PDFに転写して機械にボーカロイドに読ませながら聞き込む。聞いては訂正し直すを繰り返す。所信は早口で読ませても20〜30分掛かるほどの量となる。

今日はこつこつ感想文を整えているがまだまだ順番が整わない。こんご数日は掛りそうだ。のんびり作業しよう。

■昨夜の6時すぎに大きな地震に遭う、ベットでごろりとしていたら警報がなり数秒後に強い揺れに襲われる。被害はほとんどなかった。暖房機器の耐震装置が働き、停止する。リセットすると復帰、水道ガスなどのインフラは問題がおこらなかった。
新幹線も真夜中まで止まり在来線は今日も動いていないようだ。

■ DB投稿より

「もどっておいで」と言えなくなったよ@二度地震

 廃炉40年だったけど既に10年経た。原子力学会が配布したロードマップから外れている。原発事故跡の解体処分は100年掛かっても完全に取り除けないような気分になている中、それに加え、放射能廃棄物は県外に搬出なんて、それ出来っこない。
 八方ふさがりで2・13と3・20の地震に遭うと、「もどりましょうよ」なんて声かける気にならないし、言えなよ。言っている輩は人間じゃなく彼らはシステム機械だと言えるよ
 強烈な揺れに遭うと311、あの日からのことを強烈に思い起こしてしまうね。これからも頻繁に地震は起きるので、何度も何度も、あの日々のように気分が蘇る、そのことだけ想っても重い鉛のチョッキ着たまま戻って来てなんて言えんわ
表はフリーランスのジャーナリストが作成したものだそうです 。webからとどけられました 廃炉系の人が住民になっているだろうから元住民がどれだけ帰還しているのか分からない。 1割チョイな気がす


 3月18日 曇りがちな

■庭の木蓮が咲いた。蕾は少ない、隔年おきに多少を繰り返す木蓮。庭の桜の蕾も膨らみ出したので、気温がたかめれば数日うちに開花しそう。

■『立原道造の夢みた建築』の感想を書く。長すぎたので切りまくる。切ったり書き加えたりしすこしずつ出来上がる。

■4月からスタートする新グループのwebサイト用、最初の記事を書く。ほぼ出来たけど、アネハ事件のことを加えたら長くなってしまった。意図が不明になるかもしれない。が書きたいことを書くことにする。

 3月17日  庭の桜のつぼみが色づいて見える、そんな気がする

■新しいグループ各位に与えられた宣言文を書く。PDFのボーカロイドを使って肉声に代え聞く。そうして間違いや聞きづらい文字の羅列を訂正したり、さらに変化させたりして、楽しむ

■午後、スーパーに食材を買いに行く。油や牛乳を3本買ったので重たかった。

■『立原道造の夢みた建築』の本編の感想を書いているが第一章の感想が多くなりすぎたので、3webに分割した。そして1web頁分を書き直したり付け加えたりする。途中PDFに変換しボーカロイドに読ませて、さらに修正する。その作業を行ったり来たりする。

ボーカロイドに読ませてて修正するのは、一人作業を脱したような相方に読んでもらっているような気分になり、web文の重苦しさからかいほうされた気分いなる。

手間は掛かるけれど「こんなに手間かかるのならもっとましな文章にしようと思う」そこもまたいい。

 3月16日  

■外へ出ず、コツコツweb頁をつくる。一つ1は『立原道造の夢みた建築』についての感想文の一部。第一章の感想を書き始めたらとても長すぎるものになってしまった。で3web頁に分けた。それでも各web頁長いだけど。
 誰も読ないだろうが、長文をまとめるた後は短い文がキリとし濃厚なものに成るような気がする。
 この1年はなるべく長い文章を書くために、練習する時間としてしまおう。

■4月から始まる新グループでは自分にとっての宣言文のようなものが各自に求められている。昨日から書いていてほぼできていたが、終盤を書き上げた。すこし寝かせて、来週読み替えし仕上げよう。webアップせず寝かせて保管すておくと、時が経つと、どこに保管していたのか・・・忘れることが多い。で フォルダ名をめも(SLAB/000)


 3月15日  のち 

 昨年まつそして新年そうそうから準備活動していた。その新しいグループの名前が決まり、参加者それぞれの活動内容も明らかになりつつある。各自じぶんなりの方法で参加するための要点をまとめるため画像などをつくる。

 4月(3月20日?)から発足することになった。

 4月は参加者それぞれの方が所信表明というか思い語ることになった。そこで今日からそれを書いてしまおうと作業を始めた、8割ぐらい書いた。


 3月13日     

my長男より5回連載の河北新聞、杉仁さんの著書が宅配にてとどく。新聞は紙面でみるのがよい、web版は見え方がすこし歪むので、新聞をネット版にするのは注意する点が多いと気づく。

■小雨のなかスーパーに食材に行く。

■ 資料を整理する、5時からのzoom会議ようにあれこれ整える。今日は二階の物置スペースから発信だ。

2時間45分もワイワイしてしまい、コンセプト共有がなった








写真本間さんのFBより

948 9064 3380

 #EC54qfi0j

 3月12日  だけどどんよりしてはいない

■昨日おくった311に際して、返信もあり、多くの方は元気に暮らしている。応答無い人もいるが、忙しいのだろう。

■my動画の一部を活用してくれた奈良文化財研究所の動画を全編見る。

■図書館からかりてきた資料を撮影する。福島県立図書館には日清戦争に関する軍事関係の貴重な資料が保管されていて、目録もあるという。自衛隊関係者などのあいだでは有名な佐藤文庫と称するようだ。機会をみて実物を拝見してみよう。

 FB投稿より
本間さんの土蔵にて能が奉納されました
双子土蔵でしたが一つが壊れ一方を助けるようなかたちて、凄まじ多量な瓦礫に半埋まりで峻立しておりました。関係者の見事な連携には刮目すべき教えてがたくさん詰まっております。次の来るべき災害に備えている多くの方に訪れて頂きたい場所のひとつなのでお知らせいたします。
本間さんご本人にお会いするのがよいですよ!






 3月11日  高気圧につつまれて快晴

■目が覚めて「書いておこうとおもった。今日の気持ちを書いておく。内容は311に遭い10年目にあたりだ。俳句に記念につくってみた

大新忌 しんまでひたる 湯船哉
 
311のおりお世話になったなーと思う人に片っ端からメッセージを送った。(それほどの数ではないえれど)

■午後予約していた歯医者にいき被せものを作ってもらいはめる。被せものは10年で交換するように、だとか虫歯があるとか歯医者だから言いますがと断りもなく言われる。半年後に医療費2割になったら治療しようと、一端他の歯の治療をやんわり断る。

■2月13日の大きな余震で被災した県立図書館は今日から再開した。借りていた本8冊を返し、新たに10冊借りてきた。破損した硝子窓にはベニヤ板が貼られ足場で囲われていた。県議かいで予算承認ご正式な修繕をするのだろうが、応急処置してでも開館してもらえたのは、とても嬉しい。


:
  https://zoom.us/j/94890643380?pwd=WW1NbndBUHRaNGZpT3Jtcmp1ZHc1QT09






 3月10日 午後3時頃まで風ややつよく建具が音をたてていた

■感想文を書く。末を付け加えおおよその形を整えた。不要なな言葉や付け加えなければならない資料などを検討する。 とりあえず決めの言葉も書いてみた。

■福島県内の新コロナは二本松・郡山の病院や介護施設にクラスターが発生していたがまだ収まっていないとのラジオニュースが流れている。死者は80代のかたが2名亡くなった。予防接種のニュースが無いのだが順調に準備しているのだろうか。

■仕事場の窓に種蒔き兎がぼんやり現れる
マスコミ友は「なんか、いまお祭り騒ぎ」
あんたは10年音頭に浸ってる真っ最中
和歌山のみかんたべる

■映画『ヒトラーの最後の12日間』は地下壕で秘書をしていた女性の証言をもとに製作されているので、彼女の証言DVDを観る。良心の欠落やヒトラーの最後の言葉と行動を映画本編と合わせてみる。ヒトラーを演じたブルーノガンツの好演にて身近な狂気をもった人間となっていると思う。
 映画館でも観たけどmy長女のDVD棚にもあった。DVD の良さは何度でも観ることができるし、解説動画もあるし、映画館では味わえない内容もたくさんある。映画関係者になりたければDVD を手に入れて研究し尽くすことができるよい時代だ。


 3月9日  風なく春めいて 
 昨夜から今朝小さな地震が2、3度あり大地震の前ぶれでなければいいのだが。

 暖かくなってきたので、炬燵作業を脱しラジオを付け放ち机作業に切り替える。ラジオ俳句が聞こえてきて「原発忌」が3月の季語になっているようだ。記憶ではさほど変化していないようだが10年経ってしまうのか・・・と。真夜中に遭った213の大きな余震が311の状況や行動録をリアルに思い出させる切っ掛けとなり、10年経った報道も過多と成り、どうも過敏になっているようだ。

以下きょうのFB投稿

■ようやく1web頁できそ!
 第一章の感想文は長すぎるので全3web頁に分割しただ。213のテガい?余震に遭い県立図書館も311そっくりに被災しちゃい、即休館してしまった。酷い無能仕事にショックを受けそれを抱えてしまったようだった、で感想文がグシャグシャになって出口が見つからなくなった。背中がおとくなるだけで、しゃーない日々だけだった。でもたった半月ほどだけど。
 仕方なく毎日そのはちゃめちゃな感想福島を書き続けてみた。
 西山夘三著『住まい方の記』をメモしまくることで落ちきだした。西山世代の虚しさにくらべればまだ、ましだと思うに至った、だけなんだけど。でも迷うグシャは役立つね。


■妻を締め殺さずに済んだ!10年だった
 宮城県沖地震は今・明日にも来ると覚悟して暮らしていて。強い揺れが来た時は「ようやく来た!」と思ってこの程度かと安心し机の椅子に座って揺れが過ぎるるの待った。その後は事前に脳内シュミレーのまま地震後の行動をすませた。原発事故もあると想定していたので、チェルノブイリ事故のプルームの移動範囲を想像していて、300キロはゆうに放射能が拡散すると想定していたけど、家人の心の病を合わせ想定していたので、放射能が沈着して強制移動を命じられても、避難しない!と決めていた。もちほん米は1年分200キロを玄米でストックし、燃料は薪一年分ストックしてた。塩味噌も当然確保してた。
 食糧は確保していても、家人の心身は乱れる。避難所ではさらに乱れる!人間会うことがストレスになるのだから当然乱れる。放射能は見えないので測れない。だが他者がもたらす放射能関連の情報の多さが家人の病を一層重篤なものとする。コンクリートの家に留まり手に負えないときは絞め殺す!」しかないと決めていた。だが幸い人殺しにならなくて済んだ。どうしてなのか?分からない。

人が狂気、心を患うのは「生きたい」ことの証拠である。だから家人がどのように攻撃的で狂った言動をしようと絞め殺す気はない。無かった。だが人間性が全くなくなる、あるいな生気がなくなったら、家人に対しても何の権利もないのだが絞め殺すつもりだった。単に私が生気を無くした家人を見続けるほどの、たくましさかがないだけの人間性だと言うことで、精神病を20年ほと抱えて孤立していたいたからだろう。
激しく狂った言動が現れたが生気を失くす、無くなることは無かったので殺人者に成らずに済んだけた。
 放射能漏れ人災に遭い、国も東電経営者たちも、そして勿論、三権の長たちもそれを追求し、人の無能を検証することは無かった。
何人人をころしてもこの国の権力者たちは責任さえとらない、政治家たにも過ちを明らかにして、人間の愚かさを共有し、次の世間をすこしでも人間らしくいきられる社会をつくり出す気はない。新コロ対応もおんなじメソッドだけ。
くだらない10年が来たので連呼、カレンダーお手軽ネタでやったふりばかり。
馬鹿やろたちで埋め尽くされてしまった。


気の毒なのは放射能漏れ人災にてパートに自殺された、片割れ人、あるいはその家族たちだ。自殺した者に寄り添い死を止められるなかった、生きてる間晴れるこのない、虚しさ地獄に突き落とされたままだ。訴訟に勝ち金銭で、その無念を解消できるはずもない。
人間として他者としてのパートナーにたいする、自分がなんて無能で欠陥をもつコミュ能無しを自認し、抱え生き生地獄の只中にとどまっている。
私はそのように生きる、よい人間になりたくないだけだ。


 3月8日 

■ 家人の血糖値さがる。5ヶ月ちょいのカロリー計算にもとづく野菜中心の食事対応にて正常値にかりぎなく近づいていることが分り家人喜ぶ。血糖値が高いと手術もできにくくなるので要注意だ。食欲は衰えないので、若い時分のまま食べていると過食となるのだろうか。太らないように体重計に乗り続けるもの後々効くように思う。

■民の声新聞に福島市の311災害時のときの市民に配布したり市民の声を聞き取ったりした資料が廃棄されているとの報道あり。公開質問してみたくなるなー
 FB投稿 あら!
現市長は原子力災害を記憶を継承しつつ、風化させることなく、など。そのシンボルとしてサンチャイルド像をたてたはずだ。市長はそう公言していた2018年8月28日コメント発表。
現在、市長は原子力災害の何を記憶継承してるのか?公開してもらわねばならなくなってるぞい@一福島市市民

■午後税金や灯油代を振り込みに銀行に行く。さほど混んでいないし消毒液は備えてあるので、振り込み後手を消毒するぐらいか。
 高齢者は医療従事者ののち予防接種と市政だりょりにあったが、いつになるのか、まだ不明だ。

■夜、my長男河北の5回連載記事公開されたと知る

■こつこつ感想文をまとめる、今日は戦前の高校生寮生活の部分をまとめた。

 3月7日  

■昨夜は音楽系ユーチューバーの投稿動画を見て、あれこれ研究してみる。これで一生食えないので、どうやってマスメディアに載せて、リアル仕事にむすびつけちゃうかは個人の能力次第だ。まったく新しい表現をして数十万に支持されるわけではなく、既存表現領域で受けるだけだから、媒体が違っているだけで、新規感はない。
 新たらし情報なんて既に要らないのだろうともおもう。この点についてはしばらく見続けないと言い切れない。

■資料整理しつつ、web頁を訂正しつづける。web頁のベクトルが浮かび上がって見えるかのようになってきた。一気にここに到達しないのは才能がないうえに知識もないからだ。でも時間を掛けるだけで、そのこ一気に到達するだろう地平が浮かびあがるし、寄り道してて他の情報も身に付くので、天才的にそこに行かずとも楽しみは増すように思う。
一人一人の速度で止まらず歩めばいいだけだ。

■今週は朝から晩まで10年だコールが鳴り続けるので嫌だなー。浮かれず静かにしている。

3月6日 木枝の先が揺れるほどの風  時折強くふく
 暖かくなり野鳥は活動しはじめたようで時折さえずりが聞こえてくる

■山道拓人さんが4月から法政大学に研究室をもつそうだ。名があらわすように建築の未開の地を次の「建築」やその教育、やがては社会をも拓いてほしいと期待したい。新自由主義下にあってもそれらのイズムに冒されず明るく公平な人柄、新コロナいこうの建築に風を起すかもしれない。『建築雑誌』の企画で「G86」というグループと土じゃぶりの日比谷公園内でワイワイしたことが初めての出会いであった。1986年生まれのひとたちによる活動グループだったから、山道さんは35歳になったのかも。ときどきお嬢さんの写真をフェースブックに投稿しているので、一児のお父さんでもある。

■3月11日が近づいているので、マスコミが日々あおるので、「311後10年でカレンダーふう企画」が溢れていて、311で体験したあの記憶が蘇るようで気分が悪くなる。当事者じゃない人は浮かれ出すかのように色々語るのだが、真の被災者の口が重い。なかなか本当の感情を露わにできないのではないかと推測している。
 そんなか、関西学院大学の研究者たちが自主避難者へ対するアンケートをとり、福島県内のに限らぬ自主避難者の声を集めて分析している。 
正式名称はこれ 関西学院大学災害復興制度研究所 避難疎開研究会 「原発事故で避難された方々にかかわる全国調査」(概要)最新版1
アンケートは現状の課題を浮かび上がら、被災者支援はどうあるべだったのか?その点も考えさせるようなないようだと思う。一部アンケート情報はPDF公開されている

 3月5日 風なく温かくも 


■朝方 スケールの大きな誕生に関する夢を見た。何か新しいことが起こるのだろうか

■今日の朝から年度末土木工事で賑やかだった。
  食材を買い終え 資料を読みこむなどする。資料を読んでいると、「早熟者の早見えの不幸」という言葉が浮かんだ。 鈍重リアルな生き方をしているので対極にあるので、深く知ることも無かったので興味深い資料の数々。数日寝かせて、来週からはまとめを始めようかと思う。

 分からないことを調べて書こうとすることは新世界を見に出かけて行くような感情も湧くので、面白いし飽きない。まとめ方の上手下手はさほど気にせず続けるこことがよいだろう。 

 3月4日  

■朝からガーガーガッガツと大きな音を響かせ、年度末恒例の土木工事のようだ。

■my長男に関する記事3回目はビュー・ランクインせず。写真が何を撮っているのか不明な点がアイキャッチできなかった主要な点だろうと思った。4回目もどうよう写真にインパクト力が無いと思った。読者を引き込む文章力もやや炸裂していないように感じる

■感想文をあれこれ付け加えて書く、敗戦前の人々の暮らし、寮生活や兵営の様子を書こうとしているのだが、体験していないうえに聞いたこともないので、書けない。そこで本を調べる、抜き書きなどしつつ想像してみる。(敗戦後に書かれた本なので、当時の率直な思いなのか、はっきりと判断できない) 
 感想文を書くのはとても勉強になるとシミジミ思うのであった。明日もこつこつと少し書き足したい。

 3月3日  かぜもなくひな祭りにふさわしい穏やかな快晴

■春のみかんの代金を振り込む 料金は10kgで3000円+送料が1300円ぐらい

■午後 歯のかぶせものが取れたので予約してた歯医者にいく。左下奥歯の治療だが歯茎の掃除などされるのかと思い込んでいたので、いきなり治療に掛ったので驚く。隣の客は掃除されていたので、俺の歯は汚れてないのだろう。若いときは酒呑んでは寝こんでしまい、たくさん虫歯をつくったが、40代からは長年食事ごとに磨いているので歯ぐき周りの健康にも効いているのかもしれない。治療費3200円ほど。

■my長男に関する河北記事がヤフーニュースにも配信されたとのこと、第二回目の記事もビューランキング1だったとのこと。疫病のことも記載されているので、「災害と仙台」はとくに読者に興味を持たれるのかもしれない、くぎ付け感でているのはmy長男にも被災地に生きる人々にも効くはずだ。

■感想文の全体構成を作り直して眺める。俺流で全体がまとまってきている感じがする。書きだした時には想いも付かない、想定していないところに着地したいものだ。

 3月2日 朝方風強く小雨

■my長男の記事 アクセス数最も多い記事となったそううだ。(5回にわたり河北夕刊に掲載。記事へ一定期限でリンク切れとなるかも

・午後 2回目がweb公開されたとのこと めでたし 

■隈さん奨学金ができたそうだ。(月5万円15人に返済義務なし)








 3月1日  春めいてきて、穏やかな天気 卒業式もあるとか

■『追善 小島菊』の所在をたしかめるため、観光物産交流協会へ電話する。協会の係の人は自分のサイトについて知らなかった。予想外の反応にあきれる。調べてもらったが「保原の歴史資料館にあるかもしれない」と言う。

■午後 食材買出しにいく、213余震以降多めに買うことにしているが、自転車で運ぶのが重いほど。

■和歌山県御坊市から春のみかんがとどく、産直ならではの瑞々しさと甘さにて春を実感する。柑橘類はいい香りだね

■my長男の記事が5回に渡り河北夕刊に掲載されとのこと、今日第一回のweb公開があった。(記事へ一定期限でリンク切れとなるかも

タイトルが「災害と仙台 江戸時代・天保の古文書から(1)地震と水害 立て続けに城下襲う」であった。冒頭をコピーしておこう。

江戸時代の日本は災害が相次いだ。特に後期の天保年間は冷害や地震、台風が仙台藩を襲い、多くの被害が出た。東日本大震災から間もなく10年。災害関連の古文書に詳しい東北大災害科学国際研究所の佐藤大介准教授(歴史学)の研究を基に、約180年前の仙台を訪ねる。(年月日は新暦。古文書の意訳は佐藤准教授による)

 1833(天保4)年の飢饉から立ち直りつつあった仙台藩を大地震が襲ったのは、35年の7月20日昼ごろだった。天保の「宮城県沖地震」だ。
 近江商人中井家の日記「四番諸事日下恵」には、「中井家仙台店では蔵の壁が破損、瓦が落ちる」「養賢堂(仙台藩校)の火の見櫓(やぐら)から人が落ちて死んだ」などの記述がある。