023/3/14 花田達朗 教え子と語る@浜通りを視察し福島市内の居酒屋「藤むら」にて 
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 その02 

■ 災害伝承館



絵:牧内昇平さんのサイト
「ウネリウネラ」より
2023年3月18日現在

見学した、双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館について

佐藤:牧内昇平さんに俺の情報を聞いてもらい、彼のサイト原稿で生かしてもらい、時々酒を飲ましてもらえれば、楽しそうで可能性あると思いました(笑)
小池:一升瓶だと安いですよ。
佐藤:美味い純米酒でも3000円ぐらいだから安いか(笑)
小池:牧内さんは伝承館について書いているんです。お二人で発信して欲しい。牧内さんのネットメディア「ウネリウネラ」のURL

花田:牧内さんは伝承館をテーマ化したいようだね。
小池:伝承館について記事を書いています、建築家の佐藤さんからの意見も取り入れれば・・・新しい視点で書けそうですね。佐藤の投稿を牧内さんサイトで公開

佐藤:牧内さんに役立てれば・・・本当にいいな。今日は伝承館の学芸員との対話を仕組んでみたけど、うまいこと学芸員が出て来てくれて、花田先生との対話も良かったですよね。
小池:よかったです。僕は希望を見出しましたよ

佐藤
:受付で、3度、脅かしふうになっていたけど、問いを発し続けてたら、学芸員の方が登場した。思っていた対話の壷には入ってくれた。受付の方は俺の質問の意図が分ってないということが分った。定期的に学芸員との対話を開く仕組みづくりをしないと、鑑賞者と伝承館のいい関係は構築できないと痛感しました。今日の学芸員の方は真摯な応答だったですね。あれを横で聞いてた小池さんが希望を見たという意見にも同意しますね。
2023年3月13日
東日本大震災・原子力災害伝承館の中を行き来して、花田先生と学芸員が語り合いしている様子

花田
:学芸員の方と話していて分るのは、彼にはまったく悪意がない!もちろん悪意がないことがすべての弁明にはならないんだけども、でも悪意がないことはいいことだね。隠された悪意を見い出そうとする態度は有効な場合と有効でない場合がある。このケースは有効ではない場合だね。

佐藤:ここから牧内さんと小池さんと俺の協同作業をスタートさせると有効な伝承館の姿が見えてきちゃうと思うね。伝承館を敵として腐すことはいくらでも出来るんだけど、そうしつつ真摯な学芸員にエールを送る。彼を首にさせてはならない。改善し続けていただくための、在野の者応援団になっていく。行政と学芸員にエールを送りつつ批判を続けて、改善に務めてもらう、同時に対話の場も設けてもらう。伝承館応援団となるのがいい。
花田:そうそう、そうなんだけど、それが難しい。
佐藤:その努力をしないことには伝承館を語ることにならない。そう俺は思っていたのでいろいろ質問したら、受付の方にはきつかったようで、学芸員が登場した。本丸御殿の住人が登場してくれました。県の担当課と学芸員との橋渡しも同時にしないと、俺たちが想うことが実現しない。同様に施設や展示をデザインした方に取材を申し込んだり、覆面座談会を開いたりしていき、いい伝承館に共に育てる・・・危険だけど、そういう態度は震災から12年経った現在では不可欠だよ。


企画展にあった床に敷き詰められた事故前の地図と事故後の地図。光部位が事故を起こした原発の辺り
小池:伝承館を見て思ったのは歴史がないんだな・・と。面白かったのは、学芸員の方が特設展示を案内してくれたところで、この一帯が旧日本軍の飛行場だったというのは凄いグッときて。もうその時代から既に国策だったのかと。あれは面白いですね。
佐藤:空軍の飛行場だったが、その後に国土開発が塩田と称して手に入れ、その土地を福島県の知事・佐藤善一郎などが国土開発の堤氏のところに日参して県の開発公社が用地を手に入れて、東電誘致のお膳立てして、GM設計コピペ(笑)設計図使いまわしで安く福一原発を造ってもらった。(『電力県ふくしま』民友新聞社、1973年刊行。『原子力政策研究会─100時間の極秘音源』新潮文庫、2016年刊行などを参照)。加えれば『資料マンハッタン計画』を紐解くことから始めたいですね。原発は本質的に軍事技術の民需転用の一例だ。平和利用というマヤカシで原発誕生だから、そういう前段の歴史が掲示されていない。だから理解が偏って(東電敵視の言動に終始し)事実究明は深まらないと思う。そのように記事にしても人は興味もたないが、科学技術史も再確認しておきたいですよ。でもそれらを記事にして掲示してもらいたくないと県は考えているだろうね。県の黒歴史になってしまった現在ではね。

小池:僕は今、雑誌で市長とか、町村議の悪口を書いていますが、売れ筋ではないんだけど、僕としては昔に飛行場があったとか、そちらの方が面白い。自分の住んでいる町村議の悪口を書いているから、その人たちにこういう記事をチラと見てもらえればいいかな。そういうことは何時も考えているんです。妥協する記事と自分が書きたい記事を抱き合わせて書く。

花田抱き合わせが重要なのよ。抱き合わせは妥協ではないんだ。
小池:よかった!
花田:抱き合わせは高等戦術だから。

歴史と地形によるコンビネーションの視点・意識の作られ方

佐藤:歴史に興味がなかったんだけど、長男が小学校へ入るまえから歴史好きで、今は江戸末期の18〜19世紀仙台藩の災害と社会についての研究者になった。俺もその影響で歴史に関心を持つようになりました。
小池:息子さんのこと、花田先生からお聞きしました。
佐藤:3・11直後から長男と一緒に津波被災地巡りして古文書や古美術、そして蔵を含む古建築のレスキューしていました。だからその土地の歴史を踏まえ、そういう情報を根拠に自分の情報を発信しないと、根も葉も豊かに成らないと・・・3・11被災地で実体験したことが効いてます。多くは足の引っ張り合い。噂話か通常のマスコミ情報かに影響を受けて流されている。だから浮っついた内容になりがち。双葉町の伝承館では、原発史は3・11大震災が起きて、全電源喪失して事故になったというとこから始まっている。その前のマンハッタン計画から原爆がつくられ、広島長崎へ原爆投下されたあと、戦後は核の拡散をふせぐため、米国が核を一括管理したいがため、原子力の平和利用へと誘導される。福島県の原発誘致は県民あげての実現した黒歴史だが、それが記載展示されていないんだよね。原発ができるまでの話、敗戦直後から福島県会津地方の只見川電源開発の話しも含めると、東電第2原発を含め県内に原発10機も建造させた、当時(1960年代末)の県民の心情を知ることも肝心だと俺は思っている。福島県が首都圏への電源供給県から人類史に刻まれる原発被災県に、そうなってしまった前段の経緯を明らかにして掲示しておくべきですよ。

小池:学芸員の方の、小良ヶ浜と小良浜の違いの話しとか・・・あれも面白い。
佐藤:あの学芸員の方は歴史資料勉強会で同席していました。東北大学では無料でしたが歴史文化資料保全コーディネーター講座があり、福島大学でも歴史資料保存に関して有料の公開講座があって、俺はどちらにも参加してました。だから学芸員の彼を一方的に知っていたんです。民家に埋もれている古文書などの資料を救い出して、研究者が連携して(市民活動)活かしていこうという運動で、1995年に起きた阪神淡路大震災が切っ掛けです。直後に神戸大学の奥村弘先生などが地域の歴史資料保存の道を拓いた。その後、奥村先生たちの活動を基点に全国歴史資料保全ネットワークという名称で各地に普及しました。今はHPの専門家がHPを更新しているけど、長年、俺は宮城歴史資料保全ネットワークのHPも更新していた(笑)それで仙台の資料ネットの人たちの活動を詳しく知っているんです。



    絵:佐藤が更新していた宮城歴史資料保全ネットワークのHP目次

花田
そうなんだ。それは知らなかった。
佐藤:学芸員の方は福島大学から転じて来ているので、俺の事なんか覚えてないでしょう。伝承館の受付でギャーギャー言っていて、学芸員の方が登場するとは思っていなかったんです。でも出て来た! 花田先生との対話を聞いていて、公開講座のときに居た人だと思い出したんです。地理の研究者だと言ってましたね。伝承館では拓本を実際に展示していましたので、協力の仕方次第では、俺たちと好ましい関係を構築できると思いました。お金が回ってこない文系・歴史系の学芸員は力が弱い。技術系研究者は東電からも金とれるので金廻りがいい。3・11以前から今も変わってない。館長さんは歴史家じゃない県外の人が居座っているでしょう。国が全額出しているから、フクシマの記録と記憶も彼らは支配したいと。(3月現在、公文書開示申請中)

小池:歴史それ自体がストーリーです。
花田:彼はまさに学芸員だよね。

佐藤:もう一つ重要なのは福島県の地形です。会津、中通り、浜通りの地形で人の交流が仕分けされちゃっている。奥羽山脈と阿武隈山地という地形から、歴史(藩から県へ)がつくられている。東中西で人の交流の質が違う。中通りに居ると、東西の交流は地形に阻まれて少ない・・少なかった。どうしても、中通りの者は東京へ、浜通りの者は仙台や水戸へ、会津の者は大川から阿賀野川へと川の流れのように新潟へ行くことになる。情報を身に付けている人の移動は近世期までは地形に逆らわない。文物の移動はし易いわけですよね。








土蔵から古文書などをレスキューする様子










動画 <災害文化の新展開>神戸大学人文学研究科・奥村弘「災害の記憶継承に向けての新展開」



福島県の地形 web地図より

明治4年の廃藩置県にはじまり明治19年まで福島県の姿は変わり続けた

慶応4年(1868年)の福島県内の藩(県通史より)
オレンジ色は河野広中の誕生の藩小池さんの故郷、二本松市は二本松丹羽藩10万石
福島県幕末の藩 (県HPより

・会津藩(松平氏、親藩、23万石)・
・福島藩(板倉氏、譜代、3万)
・下手渡藩(立花氏、外様、1万石)
・二本松藩(丹羽氏、外様、5万石)
・三春藩(秋田氏、外様、5万石)
・守山藩(松平氏、親藩、2万石)
・長沼藩(松平氏、親藩、2万石)・
・白河藩(阿部氏、譜代、10万石)
・棚倉藩(阿部氏、譜代、6万石)
・中村藩(相馬氏、外様、6万石)
・平藩(安藤氏、譜代、3万石)
・湯長谷藩(内藤氏、譜代、1万4千石)・
・泉藩(本多氏、譜代、1万8千石)

花田
:学芸員の方は「専門は地理だ」と言ってましたね。
小池:言ってましたね。
花田:まさに地理と歴史のコンビネーションの視点だよね。それがないと立体的にものが見えない。
佐藤:明治維新によって奇妙な事に会津藩は賊閥にされた。核のゴミ捨て場のある六ケ所村辺り、青森県の三沢あたりの斗南藩に士族たちは流された。どうしても見返してやりたいという意識が会津の人々は強く持ち続いている。で、電源開発による電力県福島を目指しちゃった。電力県の素地が明治維新で生まれたと言ってもいい。浜通りの原発地あたりは理由は分らないが福島県のチベットと言われ、不毛の地扱いされていた時間が長い。地域の歴史資料に興味を持つ人がほとんど居ないなので、歴史研究と歴史資料保全に金が回って来ないので、ボランティアに頼るしかない。そこを何とか切り拓きたいというのが、長男と俺の3・11後の願いだったんですが、敗北気味です。

花田
:歴史研究者の佐藤さんの長男と一緒に伝承館に行って、地理研究者である学芸員の方ともっと突っ込んで話したら、非常に面白い奥行のある、内容が引き出せると思う。
佐藤:富岡に出来た「とみおかアーカイブミュージアム」学芸員の方も長男の後輩だそうです、福島民友新聞記者から富岡町に転職した方が居るんですよ。伝承館が立ち上がる準備の委員会の議長はmy長男と共に、先ほど紹介した「地域文化歴史保全コーディネーター講座」を開いていました。
俺は受講してその受講証明書も頂戴したり、懇親会があったので、その方に福島県の伝承館建設に際しての委員会の内容や経緯について質問したことがあります。県と国に挟まれているから歯切れが悪い答えだった。仲良くなって経過を聞き取るしかない。公文書公開請求を提出して基礎データを手に入れてから、伝承館を使いやすく育て、そうして世界の人々にとってもフクシマ原子力発電所の災害を考えるための、意味のある場所に、記憶と体験の場所に育てていくしかない。

花田:
いいじゃない、長男さん、東北大の教員としても。
佐藤:福大の縄張りですから、下地を練り込んでから長男に協力してもらわないと、福島県歴史家サイドには無視されたり嫌がられますから、時間かけるしかないけれど、コラボできるようになりたいですね。


学芸員との語り合いの肝 グッと反応したくなる問いを発すること

佐藤:それらを小池さんの雑誌社でやる時期が来るのか?それは別の話しです。

小池:4頁ぐらいだったらいけます。
花田:伝承館の彼から情報が出させればいいわけだから、その時に同じ研究者の東北大の日本史(近現代)研究者が行って、いろいろ話しをすれば、真面目に対応しないといけないなーと、真摯に話をするでしょう。

佐藤:双葉町が故郷で双葉町の歴史に詳しく熱い!若い歴史研究家が今は石巻市の資料館で学芸員しています。牧内さんには浪江町立請戸小学校で伝えたんだけど、『大字誌ふるさと請戸』を出しています。その方と請戸の人たちが中心になり・・・請戸の酒蔵の社長さんがボスとなり、住民を集め、お金も出し、全国の歴史研究者が力を合わせて刊行した。(右絵がそのときシンポジウムのチラシ)地域史だから、地域には生きる知恵が満載なんだけど地味になっていく。
小池:歴史はどうしてもそうなっちゃいますよ。
佐藤:地域の歴史を重ねて災害史を語ると地味にならざるを得ない。戦後教育で大好きな成功譚じゃないから(笑)一層地味に見えてしまう。世界を普遍的に覆うかのような人の知恵があると信じこむ刷り込みが強過ぎるマスコミもそういうふうに見てしまう。

花田:お腹すいたから釜めし頼みましょう
佐藤:五目釜めしだと何でも入っているけど、幕の内弁当ふうになりますので、好きな具はなんですか?
花田:今、喰いたいのは椎茸の釜めし。
小池:五目釜めしと鯨の竜田揚げ、お願いします。

震災遺構浪江町立請戸小学校の2階に
展示されている地域誌の数々

佐藤
:今、話したようなことで伝承館の学芸員の方などと協働するにはロードマップが要るんだよね。
小池:今日会って、研究者って鬱屈しているんだな・・・と思いました。研究者は好きだから学芸員をやっているわけですよね。
佐藤:鑑賞者が学芸員にとって効かない緩い問いを発するから語らないんですよ。
花田:聞かれれば喋るんだよ。私もそうだけど(笑)

佐藤:聞かれないのに喋る者は、俺のように仕事をもらうために喋るセールスマンとも言える。研究者は聞かれないと語らない。いい質問ぶつけないと言わない。
小池:今日の学芸員の方は生き生き語ってくれましたよね!
花田:あ、やっと聞いてくれる人が現れたというかのように、彼は嬉々として語ったね。
小池:皆さんシャイですね(笑)
佐藤:乗ってきたら合いの手を入れる、それからどしたと(笑)学芸員の前で鑑賞者が自説を述べてしまうと、学芸の方にとっては迷惑千万だ! 応答しなくなる(笑)花田先生は自説を述べない珍しい来館者だった。

花田:ちょっと刺激を与えて、相手がしゃべる気持ちにさせる。 
佐藤:学芸員の方も自分でも不満だと言っている、「このように改善していきたい」と言っていましたよ。やる気あるんだから、市民が学芸員を支援する態度が不可欠。この施設では学芸員にとってどこが使い難いですか?と聞くと、語り出してもいました。円形平面の展示場の動画の調整が難しいなどと語ってましたね。

小池:役者が揃っているというか、言うべき相手、理解しようとする人が居たと彼には分った。
佐藤:で、語り出して、とめどなく質疑応答が続き、入口まで戻って来て、さらに対話が始まった。最後は目玉、力を入れた床に敷いた地図の展示の意味まで、大きな体を揺らしながら行き来して説明してくれたんですよね。
花田:そうそう。最初に苦言を呈したから。いわば挑発なわけです。「欠点を指摘されちゃったな」と。学芸員の方も「うん」と思って、挽回しなくちゃと思うじゃない。それで展示でメルトダウンの言葉を使っていないとか、また反撃喰らって(笑)
小池:最後に自分のつくった企画展に案内したときは生き生きしていた。あれを見て、僕はよかった。あの展示の説明を彼から聞いても面白かったし、1階のホールに絵地図を置けという感じですよね。






伝承館 各階概略図

伝承館の建築の問題と学芸員応援の仕方

佐藤:全体計画がなってない、2階に詰め込み過ぎ(笑)、照明は暗いし黒い壁だし。
花田:詰め込み過ぎになっているね、展示スペースが狭い。

佐藤:1階と2階は入れ替えた方が鑑賞し易いですよ。意味のない、だらけた1階の円形ホールと斜路。拷問されているような斜路はまったく理解できない! 斜路も長すぎて面積も喰っている。だから2階の入口付近に人が鮨詰めに貯まるね。そして展示場所にシワ寄せが生まれ、主要な壁面の長さは縮められているように感じてしまう。暗いし狭ま苦しい一方通行で、行き来できず、さっさと出て行けと指示される気分ですよ。〆は被災民にとって無関係で無意味に近い、復興(?)を宣伝するような展示(笑)

花田:展示説明版も、字も小さい。もうちょっとゆったり展示すべきだね。あんなに芝生の土地が余っているんだもの(笑)。
小池:(笑)確かにそうですね

佐藤:展示室を狭める下手な変形平面と、どでかい先細る玄関ホールと、前に広がる1ヘクタール(?)の芝生(笑)あれは、呆れますよね。伝承館建築の軸線が北を指して設定されているので原子力発電所を背にして入る動線になり、入口の位置もぎこちない。入口を入るとデカイ玄関ホールは、使いかたが難し転用しにくい。さらに外壁形状は変形し、ホールと最初の円形映像ホールは完全にダブっている。山師の玄関が連続するようなトートロジーだ(笑)展示内容も西田敏行ナレーションの動画は不要ですよ。小さなモニターで各自が見ることが可能な手法で十分だった。1階の長い変形したホールの天井の高い硝子面の上部半分を展示壁にし、回遊できるバルコニー付けちゃえば展示壁は現在の数倍になり、筒状丸型壁より長くつながっている壁展示の方が、凸に湾曲している壁よりダンゼン見易い。1階を展示室にして自由に出入り、展示空間を分節しつつ、ホールへ出入りも回遊も可能の方が鑑賞しやすい。学芸員や事務職員などの部屋は2階にあって問題ないでしょう。それを書くのは牧内さんにお願いして、原稿料を稼いでもらいたい(笑) 俺は牧内さんに伝承館の建築的な基礎情報だけ提供し、自由に若い感性で発信してもらえばいいと思うんです。



広島平和記念資料館と原爆ドームにある軸線を赤でしめした絵はweb地図に赤線を加筆

花田:じゃ、伝承館についての言論活動は牧内さんに任せるということ?
佐藤:そうです、稼いで子育てしてもらわないとフクシマ問題は外部へ伝わっていかない。学芸員の方を応援するための支援組織をつくり、中身を抜いてしまって今日会った学芸員イズムで展示してもらった上で、在野の応援団的な支援活動がいいですよ。
花田:伝承館を応援しながら批判する。
佐藤:学芸員と有効な関係を築きつつ批判することが出来る手法を身に付けることが肝です。
花田:そうね。
佐藤:例えば。広い芝生の上に原発に関わることを展示する、ワークショップ開いて出来た作品を展示してみんなで喜ぶ、そういう応援活動もいいように思う。

小池:芝生の上!いいですね。最終的には産業交流館解体ですね(笑)
佐藤:伝承館から原発の方向を見せないように知恵を絞り、産業交流センターを目隠し屏風にしちゃった(笑)交流館つくったのに!解体とは過激(笑)何か実現してもらうには10年ぐらいの計画で進めないと。
小池:辞めされられちゃうこともありますよね。
佐藤:学芸員の方が首切られるような活動と行為は禁止ですよ。学芸員や原子力災害に対する研究者が少なすぎる。もしかすると福島県民はそういう人を雇ってなくって、だれも県内に居ないし、災害の記憶保全の芽を育てようとしてないかもしれない。

小池:学芸員の方はイノベーション・コースト構想の職員でもあるから、下手に頑張って動いちゃったら辞めさせられる雰囲気はありますよね。

絵web地図より。絵の下が南の方向で発電所(下図参照)左 原子力災害伝承館中央の下 産業交流センター


双葉駅 原子力災害伝承館、ふたば交流館 原発の位置関係 web地図を用い作成した図

溜める、発酵させる、そういう連帯・連携活動にせよ

佐藤:マスメディアの情報で悪い点は溜めがない、単純に分り易くしてしまう、根気なし醸成しない放送が多いように感じる。
花田:溜めがあって初めてジャーナリストだ。溜めは、まずは時間的な溜めだよ。つまり例えば情報を得てすぐ書く。これは条件反射だ。条件反射がジャーナリズムじゃない。

小池
:新聞社にいたので、条件反射行動してしまいます(笑)
花田:日本のマスコミは条件反射だから、つまり時間の溜めがない。時間の溜めというのは自分の中で発酵させる時間。そのあとアウトプットしていく。発酵する時間、これが時間の溜めだ。だからこそ日刊紙、週刊誌、月刊、季刊とあるわけよね。これは時間の溜めのスパンの違い。新聞の日刊紙はデイリーだから、時間の溜めが短い。もちろん、取材記者がある程度時間的に溜めたあとで書くということはある。それから、溜めは時間だけじゃない。
小池:時間以外だと何だろう?
花田:抽象的だけど空間的な溜め。時間的な溜めと空間的な溜め。
小池:空間的な溜めと言うと、まず取材の現場に居ますよね。いったん離れますよね。そういうことでいいですかね。
花田;それも一つだけど、場所的、空間的溜め、寝かせる溜め、それで発酵させる味噌づくりとジャーナリズムはそこが似ている、発酵期間、重要です。
佐藤:空間的な溜めは地上で同じような問題を抱えてるので取材場所を移動し比較しながら考えて書くことも入るんじゃないかな。
小池:そうです。とんでもない想像もできないものが生まれます。
花田:ジャーナリズムにとって重要なのは酵母だよ。酵母の発酵作用が要る。速報主義は時間の溜めがない。空間的な溜めもない。正確に言うと速報主義はジャーナリズムではないよね。時間的、空間的溜めがあって初めてジャーナリズム。小池君やるべきことは一杯あるね。
小池:あります。
花田:福島から新しいジャーナリズムを。
佐藤:同意しますが、手法がまだ分ってない。
花田:メンツが揃ったからさ、3人。佐藤さんは溜めについてもよくわかっている。ここでジャーナリストの小池君と牧内さん、そして佐藤さんと3人、福島で揃ったから。
佐藤:若い二人は子育てやりながら暮らしてる、生きていく給料を稼がなければいけない。で、若い人は急いで換金したくなるよね。
花田:だからそれも抱き合わせだよ。急がないと格好が付かないことあるから、それはそれでやると。だけど時間的空間的溜めの路線のプロダクトもやる。

佐藤:時間の溜めは、仮目標を立てておいて、進んでから目標変更もあっていいと。ドキュメンタリー映像作品はシナリオ無しで作業をスタ─トしてますよね。で、どんどん現場でネタを集めて、そのつど筋書きも目標も変更しつつ作品に仕立てていく、これが一般的だと思う。伝承館をどう成長させたいのか?それを議論して始めないと、県庁批判をしただけでは「やった気になる壷」に堕ちるよ。俺たちこういう内容をこういう空間で見て、学びたかった・・・という姿勢を共有しつつ、そういう発信が重要だ。県庁の職員だって「いい伝承館にしたい・・・」と思って取組んできたんだから、そこを無視して言ったり書くと、伝承館育成情報づくりとしては自己満足でしかないし、無意味な行為になる。
委員長はじめ伝承館づくりの事前委員や関係者は後悔してるし、忸怩たる思いも持っているんですよ。政治家にごり押しされたりしている筈だから、彼らを否定したり、なじる姿勢で書くのは彼らの傷に塩を塗る行為で嫌がられる。その立場に立って自分ならどう動いたか?を噛みしめながら記事にしていかないと、次に取材に行ったら会話が成り立たたないし、面会拒否されるよ。「福島の原発事故現場と3・11後の福島県内の状態は人間にとって宝の山だ」と俺は思うんです。災害公営住宅づくりの話も面白いんです。国策として住宅造らないと決めていたが、公営住宅を造らざるを得なくなった、大急ぎで造る必要になって出来てしまった。その検証も要る。

小池:空いている住宅多いですよね。政府が望んでいる人数は入居してないんですよ。
花田:確かに宝の山ですよ。しかも12年経った今こそ宝の山が発酵し始めている。放置されていたから発酵されてきた。2011年の出来事だから2012年が一番食いつき時かというとそうじゃない。12年後の今の方がずっとジャーナリズムの対象になるね。
小池:東電の記者会見に出ている記者は本当に少なくって、毎回出席しているのはフリーの記者。門外漢の人なんですよ。いわゆる大手マスコミの出身じゃない人が毎回東電の記者会見に参加している。

NHKカメラマンに捉えられた佐藤
2012年11月11日

フクシマからマスコミが発信する事例の絵

フクシマ内部の視線と外部の視線 ふくしま会議は再エネ派の踏み台だった 

佐藤:
そういう人たちは被災者と行政の橋渡しはしていないと思うんですが、どうですか。橋渡しが下手に、あるいは不在に見えるんですが。
小池:ああ、まあそうですね。
佐藤:情報発信会社の聞き手が好い事をしているとして目立ちたいのでは?と思って・・・そういう姿勢と内容が想像以上に多かった気がする。東電から被災者認定され補償金少しもらった俺が見ていると彼らは片手落ちだと思う。みなさん一生懸命対応して12年経った。足の引っ張り合い、虐め合いしてもらっていては被災者は浮かばれない。関連死者の無念を誰がはらすのかは、県民自身ですよ。被曝被災者から見ても、県職員に対して横柄だったり、突っ込みすぎたり、仕事の邪魔をするような輩が多い。見ていても心地よくない行為だ。外部から来て自分が目立ちたいんじゃないか?と。外部からやってきた者たちが、目だったりするのは?他所で自立できずにフクシマにコバンザメして自立しようとして独善的に活動しているように見えてしまうよ。彼らの役割は認めるとしても、フクシマの実情を伝えているとは思い難いことも多いね。外部の人による笛太鼓、あんなネタにフクシマ被災者が乗るというのはどうなのかな?と思いますよ。

花田
:そこが内部の人と外部の人の視点とか立ち位置の違い。
佐藤:フクシマ・プロの人に会ってみると、福島の被災民はこういうストーリーで描けば商売になる・・・・そう考えて取材対象者を人選しているんだろうね。来福の前にフクシマ物語を持っていて、それに合わせた人選にしか見えない。だから外部から来る人たちを「震災スター育成者」と俺は呼んでいるよ。福島放射能被曝者内スター育成者だね。実際一番悩んでいる人はマスコミに登壇したくない人だよ。取材受けるとセカンド被災になり心をえぐられるからだ。マスコミになんか登壇したくないと思うよ。へらへら登場できる奴は阿保に見えてしまう。一般の被災者はそのような心情の区別も付かない、で作品を見て本当に悩んでいる人に会ってみないで、その情報にのって語るのは問題が多すぎるよ。完成した作品を被災者と互いに練り込む時間の溜めがあれば違う印象と、共有し伝えるべきことが分るんだろうけど。そういう関係が成り立たない。フクシマ内の有識者も、県民も、政府の意図に乗って活動している者が多いと見えて、反発している者とに分解してしまった12年間だった。

花田:それはそうだね。それは超難しい話だね。もしも区別すると、フクシマについての福島外部からのジャーナリズムと福島内部からのジャーナリズム。
小池:中からやるとしたら、必ず後めたい感じのやり方ですけど。
花田:それも含めて。

その03へつづく
 


福島外部の人たち(?)が立ち上げたかのような「ふくしま会議」は2016年に消滅
2012年11月10〜11日佐藤の日記参照

左動画 2012年11月11日
佐藤作成「フクシマでの会議後の懇親会」

2011年、福島大学を会場に「ふくしま会議」がスタートし、マスコミを賑わわせ細野復興(?)大臣も参加するなどした。佐藤は2012年11月12日に参加し、スマホで撮った動画をまとめた

 その03へつづく