HOME 文責・作成・佐藤敏宏 | 佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日 |
ことば悦覧録 |
和田寛司・小西由吾さんに聞く 2017年1月・31日京都市内にて その1 その2 その3 その4 その5 その6 |
その3 和田:インテリア 思っていたのと全然違うとなって。入ってからですね。 佐藤:あらあら、試験はなかったんですか 和田:論文というほどではないですけれど、何か書いたと思います。それだけでOKです。 佐藤:1学年何人入るんですか 和田:300人ぐらいいたんじゃないですかね 思ってたのと違うなと。入ってすぐ僕がやりたかったの建築やったんやと思って。大学へ行きなおそうかなーと思って考えたんですけど。とりあえず2級のライセンスとってから、やめようと。ライセンスをとって一応卒業して。 佐藤:2級建築士だ おめでとう! 和田: その年ってちょうどアネハ事件があって、僕らの年だけ卒業設計が無かったんです。2級建築士の試験がアネハ事件があったせいでめっちゃ難しくなるっていう、 噂があって これのせいで、強化するぞみたいな。卒業設計は無しですと言われて。 佐藤:2級建築士の受験対策が最優先になったと 和田:それでも作品作るんやったらおれみたんでーという先生はいらっしゃって。僕はアトリエに行きたいと言っていて。でも卒業設計もなにもない。一応教育は受けたけど、作品作りみたいなのは研究室もなかったんで。誰かに教えてもらったわけでもない。どうしようかなと思って。インターンとか色々行ってたんですね。 そこで設計事務所に、そこだけ長いこと行っていて。最初アルバイトだったんですけど。そこで働くことになりました。 佐藤:実家から通てたんですか。 和田:自転車で15分ぐらいで。 佐藤:なかなか小西さんには出会わないね 和田:かなり後なんですよ。3年間働いて、独立するんですね。 佐藤:看板をあげて独立したと 何年ですか 小西:6年違いますか今年で 和田:今年で6年 20010年とか11年 佐藤:東日本大震災があったときですか 和田:あ、そうですね 12年です ちがう2013年です。事務所登録しました。一応管理建築士とって。 佐藤:2級建築士で 仕事はできるね 和田:そうですね、とりあえず2級でいいかなと思って 小さな住宅かなーと。運よく仕事を友達がくれたりして。何件かやっているうちに、今、居る場所の改修工事を友人から頼まれて。ここで小西君と出会った。 佐藤:ここで小西さんと出会ったと。道路に接してないけど広い敷地だね、新しい建て物を建てるのは難しいかも知れないけど、京都にはこういう敷地が一杯ありそうだね 和田:そうです、空き家問題でこういう物件が一杯あって大家さんが頭を抱えて困っているんです どう活用するかみたいなので。 佐藤:では 小西さんが登場したので 生い立ちからお願いします。 小西:香川県の高松市で生まれました。 佐藤:さぬき饂飩と栗林公園と 小西:その近くで高松中央病院で生まれました。育ちは兵庫県の明石市というところです、オヤジの転勤の関係で。育ちは兵庫県なんですよ。言葉は関西訛り。幼稚園から高校まで明石です 佐藤:明石のタコ焼き喰いながら大きくなったんですか 小西:あんまり食べないですけどねふふふふ 日常的には食べないですけど。簡単に言うとスポーツ少年だったと思います 野球。ピッチャーですね。 佐藤:かっこいいじゃないですか。体小さく見えるけど 小西:身長180超えているんですふふふふ 佐藤:顔が小さくって足が長いのか ふふ ふ 小西:よく言われます。野球するまでは、ずーっと虫取りばっかりしてた。外でうろうろして。マンションの敷地が山を削った所だったので、裏の岡が公園になっていて。玄関 開けると岡がばーんと在って。そこが全部草原で。 佐藤:南は瀬戸内海が見えて 北側が岡で草原だったと 小西:明石大橋が見えました。虫取りばっかりしてたけど、兄貴の影響で野球を始めるようになって。兄弟二人です。 佐藤:兄貴になぐられながら 遊んでいた 明石大橋 絵ネットより 小西;体格では兄貴に勝てなかったので、兄貴の尻を着いていくように野球を始めて。 うーん、そうですね。それしかしてなかったと思います。 佐藤:スポーツ三昧で、マンションの家はどんな 小西:4LDKじゃないですか。 佐藤:広いね 小西:割と 家族4人、各部屋あるみたいな。 佐藤:リトルリーグに入ってたんですか 小西:リトルリーグじゃなくって、ソフトボール部ですね。説明がややこしいから野球と言ったりするですけど。小学校に地区で分かれて3つチームがあって。それで競い合いながら、たまに県大会に出ないかん、みたいな。そういうチームで、そんなに強くはなかったですけど。性格形成においてはたぶん、最終的にはキャプテンでピッチャーで三番みたいな 僕的には人生で一番黄金期がそこやったかなーと思っているんですけど。 佐藤:小学校のときが人生の黄金期ってはやすぎねーか 小西:そこからそれ以上においしい経験はしてないような気がするなーと思うんですけど。 そのまま中学校も野球選手になれると思っていたんで、なるつもりで、入って行くんですけど。高飛車やったもんで叩かれたりする。 ソフトボールから野球に対応があまりできなくって。だんだん自分の実力がそこまで無いと気づく中学校時代で。初めての挫折みたいな感じですかね。 佐藤:練習に行かなくなっちゃったの 小西:いや、負けないように毎晩 部活終わってから公園に行って、決めたメニューをやって 佐藤:お父さん巨人の星 状態でしたか 小西;全然野球できない。お兄ちゃんもしない。一人で黙々と素振り300回振って、腹筋300回、メニューを、あと坂道ダッシュを10本みたいな。中学校はそんな感じで部活終わって自分の練習して、家に帰ってご飯食べて。お風呂入って寝るみたいな。 佐藤:中学の成長期にめちゃ体力づくりしてたんだ 小西:そんな感じです 佐藤:丈夫な体になっちゃうね 小西:なったと思います。でも 先生がけっこう好き嫌いのある人やったんで、采配に。僕はあんまり好まれなかって。一人の人の考えで。絶対的なエースがいて。内野でした。 遺伝子違うんじゃないかぐらいのふふふふ 入学した段階で。 佐藤:桑田+清原が来たーみたいな 小西:キャッチャーと ピッチャーはそんな感じで。彼らが中心のチームになったんで。僕は目立つ存在でもないっていう状態になって。そこから頭を使うようになった。 佐藤:体力じゃなくう頭で対抗するしかないと気づいた 小西;それで、小学校2年生から中学3年生までの8年間ぐらい。野球選手を考えていたんですけど。それはやめるというところで 高校は勉強しようと思って。普通科の特進クラスみたいなの。明石高校。一番近かったからなんですけど。 佐藤:猛勉強しちゃったんですか 小西:神戸大学に行こうと思ってたんです。 その4へ |
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