HOME     文責・作成・佐藤敏宏         佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日
ことば悦覧録

    
 
 満田衛資さんに聞く 2017年1月30日 京都市内にて
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 その4 

佐藤:関西に来るようになったのは、30年前ほど前ですが、関西で建築家が自主的な勉強会を開いていたので参加したことが切っ掛けでした。仲間内で自主的なコンペ案講評会だとか、いい空気が流れ続けていましたね。

大学卒業して一人前になる間を先輩建築家たちが話し合って鍛え合う。村野さんだか西沢文隆さんだったか、私塾を作ったのが始まりだと聞いてました。大学でもない職場関の勉強会でもない、建築家の勉強の場が作ってずーっと続いているというのが大阪の力なので いいなーと感じたことがあったんです。

その後、渡辺豊和さんが受け継いで、豊和塾と名前を変えまてます。渡辺豊和さんの話ですと「最初の塾生が安藤忠雄さん」だとのことです。磯野英雄さんや高松伸さん古山正雄さんなどが主宰して京都にもあったと聞いたように思うんです

豊和塾から引き継いでアーキフォーラムと名前を変え大島哲三さん宮島照久さんが開いていたんだと思います。今休んでいるのは大阪の建築家による若い仲間への愛情が薄くなったのかもしれないですね

満田:僕、全然わかってない学生生活だったし。建築に目覚めたというか、それは佐々木さんの所でだったので。雑誌もそうですし、佐々木さんの先生は木村俊彦さんなんだけど、その木村さんの特集本とか、木村系列の人が集まって出来上がった特集誌みたいなのがあったり。そこで何となく師匠と弟子、スクール的なものの重要さってに気付いたのと。
 同じ時期に佐々木さんが単行本で『構造設計の詩法』というのをだされてて。最初の方はガウディーの話とかミースの話してたりとか、建築家について語ってて。その後に自分の作品の解説が入って。建築を知るところから始めるというか。技術論だけではないっていうところに凄く憧れました

佐藤:誰に届くのか分からないけど、まずは各種媒体に載せて出すと。本を出す方が編集者が入るのでまとまりますよね
満田そうですね
佐藤:編集者によって本の質が保たれる。WEBの場合は

満田投げっ放しですよね。SNSは見にくいところが丁度いい。その一言で人生変えられても困る。発言には責任を持つようにはしたいです。生成されていくときの精錬の具合が全然質が違うじゃないですか。

佐々木さんの所にいたときは一番勉強になったのはそのへんで。雑誌社とも凄いやりとりするし。当時はファックスで返している時代ですけども。原稿あがってきたのを赤書きで、真っ赤にして。一言一句、凄く丁寧に対処されたんで。それがそのまま世に残るっていることに対しての、意識の高さが凄くあって。

インタビュー上がってきたときに「そういう意見で言ったんじゃない」とか編集者相手に怒っている姿も見てましたし。自分で文章を書いた原稿に対しても出版社に送る前に僕らに見せたりするんですよね。で解決するんですよ。

そういう行為をすることで一回自分の中で反芻して、もうちょっと書き換えるわ、と手を抜かない感じのこと。

佐藤:本づくり しながら教育しつつ所員の方は考えて学ぶ。刊行なった製品としての本だけ見てるだけでは、著者や編集者のそこの部分が分からない。ストレートに信じてしまうことになったりする、本は編集意図によって加工されていると。そういう事実を体験されいたので、本屋で本を手に取ったときに本の読み方がまったく変わりますよね。舞台裏を隠して、できた本だけ見せる人も多いと思いますね教わるってことはそういう先生がいてそこの部分ですよね
満田:それって何か、授業とかじゃなくって。事務所っていう場の中でしか成立できないので。それは極力見よう見まねで。継承っていうとたいそうですけど。自分がそれを信じてやっているので。それでよかったんだろうなーという感じですよね

佐藤:同じ姿勢が続いているということは何よりなことです
満田:だから次のステップに進むためにどうしていかなければいけないかと言うのも。今年はこっちの方にもチャレンジするぞーみたいな話をしながら。場合によっては本当に先生になっていく可能性はゼロではないので。
事務所留守がちになるから宜しくっていう訳にもいかないんで。機能していくようなスタイルを作ってからじゃないと。

佐藤:10年かけて作ってきた道が乱れますよね。学生にエネルギーを吸い取られるだろうし。それらは次回聞くとこにします。色々展開が楽しみですね。

俺は爺だから思うんですけど 満田さんTLで時々体調が悪くなったりと書いているので老化していく対策ですね


満田:そうなんですよ。最初のインタビュイーから僕は三つ大きなことやっていて。
佐藤:体調の話ですよね、何しちゃったんですか

満田:2011年に胆石患ったんですよ。
佐藤:それは痛かったでしょ!
満田:2013年だ この家が出来て直ぐの6月に。本当に痛かったですね。前兆もなくはなかったんですけど。小豆島のドット・アーキテクトの 木馬キャンプってあるんです。、その竣工式展みたいなので行っていた時に発症してしまって。血尿は出るは、これ大変や!っていう。
佐藤:それは死にますよふふふ

満田:君、あと一日遅かったら死んでたぜ ふふふふ感じにだった。
佐藤:荒行してるんじゃないんだから
満田:それは本当に厄年ど真ん中だった。本厄の年だったんですよ。厄って人間の体でそういう時期だから。厄年っていうのもそういうふうに言われるようになったんだなーってふふふふ感心してて。へへへへ。

で後厄が終わって2015年か。今度は網膜剥離をやったんですよ。自覚症状もないまま進行しますので。ある時飛蚊症って目の中にちらちらする奴が急にドロッとした大くなった。これは大変やーと。

次の日直ぐ眼科に行ったら、「これもう破けているからふふうふ直ぐに入院しなさい」って。剥離ってペロンとじゃなくって僕のは割けてた感じだったんですよ。それも3週間ぐらい入院しましたね。

で今年は今年でサッカーやっている最中にふふふふ。 Aカップってご存知ですか。
佐藤:建築仲間のサッカーチーム大会ね
満田:あれですよ。

佐藤:激突したんですか。
満田:激突じゃなくって、ボール追いか駆けっこしてて。学生の方が早かったんですよ。微妙に接触してたんで除けたんですけど。除けたさいに疲れていたのか、転倒しちゃって

佐藤:骨が折れたのは激しいスポーツをやめれば防げるけど、網膜剥離と胆石は対策は食生活ですかね。
満田:まー ポンコツっていうのをふふふふふ半分慰めで言っているんですけど。体を健康にしなければいけないなーというのは凄く感じているんで。

例えば事務所で遅くまで働いているっていう事を減らすっていうのもあるんです。けど。運動をちゃんとしないと

運動をする時間と事務所で働く時間と、時間自体は変わらないから、体の疲れ具合から言うと運動してる方が疲れているかも知れないんですけど。体にとってはそっちの方がいいでしょう。睡眠時間仮に同じだとしても、運動が混ざっている方が体にはいいんじゃないか。と今そう信じてふふふ生活しているんです。
佐藤:事務所まで歩いて行くとか 

満田:事務所は地下鉄の四条の駅 烏丸御池駅 あの辺ですね。天気が悪かったりとか、現場とか移動するときは地下鉄乗りますけど。自転車で行くときが多いですね。20分ぐらいで着いちゃう。

ちょっと体動かしたいなと思たときは遠回りして帰ってくるとか。20分で帰ってくると運動した気にならないので。40分ぐらい掛けて帰って来たりとか。

体 鍛えなきゃ!っていう。今凄く強いですね。今年は語学も鍛えてみようかなと。去年海外に行く機会が2回あって。コミュニケーションできた方が面白い。

佐藤:何語を鍛えるんですか

満田:基本は英語です。行ったのはイタリアとアメリカだったのでけど。いきなりイタリア語からというのは、まずは英語をきっちり、聞くも喋るも出来るようになっておこうかなーと。

京都って外国人の方も来るし、建築家のだれだれさんが外国人連れて来ているので呑みに行きましょうか、と。そんな話もよくあるんで。

構造の事に関心が有る人、無い人、それは気にせず。どんどん喋れる方が面白いだろうなーと。

佐藤:8年前は外国人の方が京都の不動産に投資する話は聞かなかったですけれども、今回は仕事で外国人と関わっていますね。リーマンショック後だったから、そういことが無かったのかも知れませんが

満田:そうですね。京都の観光戦略もあるんですけど。投資対象になってますよね



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