HOME 文責・作成・佐藤敏宏 | 佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日 |
ことば悦覧録 |
満田衛資さんに聞く 2017年1月30日 京都市内にて その1 その2 その3 その4 その5 その6 |
その1 佐藤:では はじめます 満田:はい 佐藤:8年前に賑やかなお寿司屋さんでのインタビューして以来です 満田:そんなに前でしたっけ 佐藤:その後3・11が起きて、そのおりに義援金を集めていただき、ありがとうございました (2009年年8月5日→) 満田:かえってご負担になったのではないかなーと 佐藤:いえいえ、被災地で古建築被災調査や港町づくり支援などいろいろ活動してしまいました。5年ごとに聞き取る予定だったんですが、震災ショックでのびのびになってました。今日は近況からお願いします。仕事は日本各地広がりましたねー世界へはまだですか 満田:世界へはまだ行ってないですね 佐藤:新幹線に乗り暮らしている感じに見えますが 満田:外へ行くと暇やから、つぶやくみたいな感じなんで ふふふふ 移動中、つぶやくことが多いんで。忙しくはさせてもらっているんで。仕事の方は充実しています。この8年間色々ありましたけど。仕事はすごくいい感じでいってます 佐藤:それはなによりです。8年前はSNSは流行っていなかったなので地理的距離の隔たりが情報が途絶える因でした。今はSNSが大流行りで、どこに居ても隣の部屋に友達が居る感じがあり、分かった気分になりますね 満田:パット発信したことに対して九州の人が反応してくれたり、広島もそうだし。いろんな地域の人と仕事が出来るようには なっているのは、そういうの、お陰かなーとは思いますね。 佐藤:多くの人がSNSを使っているので「聞き取りしなくってもいいかなー」と思ったりしますども、現場に来ないと分からない事もあるので。ショートメッセージで分かった気にならずに現場に来て見聞きするのが肝心かと 満田:あれは編集もしてますから、短いなかにも。 佐藤:そんなことで今日は満田さんの現在を色々聞かせてもください。聞き取っている現場は新築なった満田さんの家です。段が多い家ですね。視線も通るのが印象的なんで、近況より自邸建築の話にずれてしまいそうです。 満田:ふふふふふふ 佐藤:前回は構造事務所を始められたばかりでしたかね 満田:そうですね、2006年に独立したんです。関西で始めたのが2007年なので。丁度10年経つところなんですよ。 ようやく関西に根を張れたかなーという感覚はありますね。前回の時は、まだまだ根は張れてなくって。まずは知ってもらうことを重視してた感じはあります。 「やっている中身と対応してもらっている」と思ってもらえる事に注力していたところはありますけどね。 佐藤:写真撮りますからちょっとまってくださいね 満田:電源とか自由に使ってくださいね 佐藤:わかりました。 (少し写真を撮る佐藤) 満田:なんで、あの当時は必死さの方が 佐藤:私の印象だと地元に戻られて来て、いろんな仕事があって、全部受けた方がいいのか、迷われてたような、 満田:選ぶっていう偉そうなことは出来ない中で、だけど自分のやり方はある種 貫きたい。ちゃんと示していきたいっていう気持ちはあったので。 そういう中で、一方的にこっちから選ぶとかじゃなくって、逆に相手に選んでもらう っていうぐらいの方がいいんじゃないかなーって。あの人と合わないという判断も大事だと思うので。 佐藤:そうですね、あらゆる人と仕事が出来るわけでもない。構造設計家はどちらかというと意匠を支える裏方さん的な感じもありますからね。その後そういう事を経て、SNSとかを通じて選ばれる構造家へと 満田:SNSは、若い人、同じ世代とかに対しては切っ掛けにはなります。上の人とか、場合によっては組織設計事務所もそうなんですけど、作っている作品自体で、評価されてしまうので。 そこはオモロイこと言っているなーってだけじゃ全然相手にしてもらえない世界があります 佐藤:プロの世界だからね 満田:そういう意味では作品も含めて選んでもらっているなーという感覚があって。2012年に出来た建物で、2013年の日本構造デザイン賞を頂いたんです。(サイトへ) 意匠設計者は佐藤総合計画の方が、個人でやられる母校の建物の仕事だったのです。平屋で200uの小さい4号建築なんですけど。凄く出来が良くって。当然会社の人たちにも案内されるじゃないですか。 (絵3枚上記サイトより) で「次の会社のプロジェクト頼む」っていう話で。 構造設計部が居て、その下請けでじゃなくって、構造の基本計画の段階から、意匠設計者と構造設計者という関係で やらせてもらえるようになったんで。 面積がある公共の建物、図書館だったりとか大学の校舎だったりとかいうものも手掛けるようになって。仕事の幅がどんどん広がって。 作品を通じで評価してもらうっていうのは、目指している世界なので。そういうことが出来るようになってきたかなーと。 それと並行して、最初にも制振構法の話をしてたと思うんです。話してた内容とは若干ズレはするんですけども、同じ制震構造の種類の中の連結制振構法というダンパーで建物をつなぐっていう話で2014年に博士号をとることが出来て。 (二棟連結制振系の減衰および固有振動特性と地震時応答特性の関係、京都大学博士学位論文、2014.09) それを使って村野藤吾の建物の耐震改修をするっていうのをやっているです。あと2か月ぐらいで完成ですけど。それも佐藤総合計画の仕事なんです。 自分がなんとなく思い描いてたことを ちょっとずつ、サイクルに載せながら実現していくみたいなことは出来ているんじゃないかなーとは思いますよね。 佐藤:なによりです。幅も広がり仕事が多くなるとスタッフの問題がありそうですが 満田:今は4人。柳室と後藤は卒業しているんです。その後一人 新卒で採っているんで、相変わらず4人態勢でいますけどね。 今やっている規模からすると、4人でちょっと足りないぐらいですね。スタッフが増えたら、その分を稼がないといけなくなるんです。あと一人二人居ても問題はないかなという感じですけど。 僕自身が佐々木睦朗さんの下で頑張っているなかで、今のスタイルを身に着て。で、そもそも東京には修行に行っていたというつもりでいるんですけど。 就職活動していた97年98年は、行きたい事務所というのが関西に、目に見えて来ないんで。今みたいにSNSも無い。インターネットもまだ黎明期で。構造事務所でホームペイジなんて、どっこも無いんで。 そうすると、書物中心に 行きたい事務所を探すわけです。その中で佐々木さんの色々な作品とか、論説に触れて。行くならここだ。御本人にも会いに行きましたけど。 建築家と組んでやる仕事である以上、頼むならこの人って、みんなが思えるような事務所が。充実してないと、よくならないはずだという感は学生ながらにありました。関西で自分はやるっていうことは大きな目標。 それを自分の中である種の正義にしていたので。それはひたすらやって、10年経ちましたというのが今なんですね。 佐藤:その10年間で印象に残る建築は 満田:色々ありますよ。うーん、どれって1個2個に絞れない ふふふふ。ただなんだろうなー関西の若い人と一緒に物づくりが出来る時に、そういう感性で整理できているなーと。それが結果的に関西の中にできているかじゃなくって。ということの方がおおきいかなーという気がする。 佐藤:ちょっとずらしちゃいました。スタッフの人たちを佐々木事務所で目指したような構え方、その感じがだんだんスタッフの方たちに伝わってて 満田:伝わってくれると嬉しいなーと思うんですけどねふふふふ。出来るようになっているかどうかは、今はまだ分からないっていうのが。 だけど、最初の柳室君なんかは僕の所で7、8年働いて僕しか見てないわけですから、まずそれが彼のスタンダードになってて。その上で彼のオリジナルを加えたり、逆に減じたりという。 出来上がる建築が何かを意識しながら、構造のジャッチメントを。単にこれだと確認申請面倒臭くなりますからやめましょうみたいな ふふふふ それも大事なんですけどね。一つ一つの判断が結局建築の出来上がりに影響してますよーっていうことは解っているはずですから。 やりとりの中でそういうことをちゃんと出来るか。もちろん構造設計者として守んなきゃいけない、確認申請大変になるよというのがトータルで迷惑掛かっていく、建築家も時間掛かって責任問題になって来るので。 そういう処をちゃんと、両方見据えながら説得しながら、やっていくので。 奥様:仕事に行ってきます ごめんなさい 佐藤:いえいえ 奥様:ごゆっくりしていってください 佐藤:突然おじゃましまして 奥様:とんでもないです ごめんなさい何にもできなくって すみません行ってきます 満田:はい 佐藤:お仕事何されているですか 奥様:実家の手伝いをしてます、実家が帯やなんですよ西陣で。 佐藤:帯つくっているの?! 奥様:作ってます 佐藤:売ってもいるんですか 奥様:小売り屋さんに売っている製造元です 奥様は実家に働きにいきました その 2へ |
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