HOME 文責・作成・佐藤敏宏 | 佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日 |
ことば悦覧録 |
川井操さんに聞く 2017年1月29日 彦根あたりにて その1 その2 その3 その4 その5 その6 |
その3 川井:小井田 康和さんていう作家の人、その辺は見てて。これも面白いなーと思って、丹治さんは卒業しちゃうから後継者を探してたんですよ。談話室の「僕やります」と言って。 佐藤:言われる前にね 川井さんは不幸を自分から背負いに行くね 川井:そうそう 森田:ふふふふふ 川井:僕が一回生の後期で 建築家の人に連絡とって。それは8回目の渡邉義孝さんていう方なんですけども。その人に僕は神楽坂で喫茶店に入ったときに、たまたま会う機会があって。その人がアジアを回る本を書いてたんですよ。『風を食べた日々』っていう。 旅しながら建築設計事務所で仕事をしてるみたいな人で、すごい面白いなーと思って。 僕はアジアも凄い関心があったから。話聞きたいと思ったんで。その人に連絡を取ってお呼びして、「ぜひ行きます」と来てくださって。建築の旅のスライドを、彼は中央アジアを回っていたんです。 (WEBより→) 佐藤:パワポまだないでしょうからスライドで 川井:そうそう 昔のスライドをガチャガチャやりながら。それを企画してやって謝金も自分で会費集めて交通費だけとりあえず出したんです3万円。それが凄い快感っていうか、癖になって、一回生が企画しても上は4年生ぐらいまでばーっと人集まって来てるっていうのが、快感で。ざまーみろみたいな。ざまーみろっていうか 佐藤:お祭り好きだな 川井:そうそう。先輩も凄い喜んでくれたんで、これはいいやと思って、これは病みつきになるわと思って。 1年生の終わりでDANWASHITSUを継ぐことになって。同級生の友達と決めて企画して1年に2から3人ぐらい自分が好きな人を呼んで 8回から19回まで僕が5年間掛けてやっていたんですよ ふふふふ。という感じでしたね 佐藤:それで、学部生の時に最優秀賞を受賞したりしなかった? 川井:卒業設計は今は無いんですけど、仮設住宅をやりましたね。災害復興建築みたいなの事に関心があって。 佐藤:神戸の大震災後ですね 川井:そうですね。それは富島先生という歴史の先生の研究室に入ったんですけども。 セルフビルトとかそういうのに関心があるっていうことで。色々彼とディスカッションしんがら、昔の人は災害後自分たちでやっていたみたいな話から。 そういうのを研究していた、今和次郎さんの戦後の復興建築の資料集めたり、そういう研究をしてて。 だけど設計演習めちゃくちゃ優秀ってわけでもなくって。まあまあだったんですよ。へたくそでないけど。 アジアを 中国をすごい回りましたね。 佐藤:研究じゃなくって 放浪、てきとうに彷徨い歩いたの 川井:適当というか それも、『住宅建築』の連中と 佐藤:なんで中国なんですか 川井:とにかくアジアに関心があったんですよ。バックパッカーブームの陰りぐらいのときで、 佐藤:アジアのどういう点に興味があったんですか 川井:ごみごみしたとか、がやがやしたとか。なにか生きている感じが 凄いするんだろうなーっていうのが。インド旅行しましたとか、中国へ旅行しましたとか、アジア旅行記みたいなものを読んでて。それでむちゃくちゃ中国に 佐藤:祖先が中国人だとかじゃないの 川井:全然 違います なんでかよくわからないですけど 佐藤:妙に魅かれるわけだ、そこに行くと気持ちいいわけですね 川井:そうそう、 切っ掛けがあったんですけども。『住宅建築』という雑誌の、神楽坂建築塾っていうのに入っていて。それが中国建築ツアーみたいなのをやっていた 森田:やってたね 川井:鈴木さんんていう、平良さんが一緒に行っていて。そこに1年間行っていたんですよ。 中国建築取材っていうの夏休みになるとやってて。それに初めて同行して。平良さんたちと一緒に集落を回って。 佐藤:学生なのに〜交通費あったよね 森田:そうですよね 佐藤:中国に青春18切符あるのか〜 川井:船で行きましたね ふふふふ 森田:船が一番安いんだ 川井:そうなんですよ 船だと 上海まで往復で3万円なんで。48時間で。ふふふ 彼らと現地で合流して一緒に回って。僕はその後も残って中国を回って、2年生とか3年生のときはやっていて。 佐藤:何かテーマを絞って観てたんですか 川井:ただ集落を観たいっていのが凄いありましたね。なんなんでしょうね。何か塊で群造形みたいな、ああいう環濠集落とか、一つの建築、集まって美しい態をなしているっていうか、すごい好きで 佐藤:f故郷の安来の空気に似てるんじゃないのかな 川井:それもあったと思いますよ。瓦の風景が非常に似てるとか。それが中国の方がより原始的な感じに見えて、それではまって。神楽坂建築の人と回ったり、自分でお金貯めて雲南省の方に行ったり。 佐藤:国内の集落は無しですか、似たようなのありそうだが 川井:国内はしてなくって、でも東北の方に現代建築を観て回ったりとかしてたけど。それは何か・・義務的にやってましたね、そんなに好きじゃなくって。 日本は現代建築を観て回って。 佐藤:日本に在る千年村に行かずに中国に行ってしまったと かいじょう ははははは 森田: 中国の村もだいたい千年続いているよね 川井:何千年のね世界があって。そうしたら、学部の時は川井イコール中国好きだみたいな感じになってしまって。僕もその気になってて ふふふふ わいわい がやがや 「大学院に行って中国に留学しよう」というのはその時から決めてましたね。だからDANWASHITSUとかやりなが、関心は中国集落みたいなことに・・。 佐藤:建築を作るというよりは集合態が作る建築の面白さに興味が向かった 川井:そういうのが凄い好きで 佐藤:でも単体の建築も、相変わらず好きだったんでしょう 川井:そうですね、みんなで議論するのも凄い好きだし。人呼んできてワイワイして呑んでっていうのも凄い好きで。 佐藤:内井先生に感動して建築家の道に行かずに、どこらあたりから横滑り人生が始まったのか、分からないんですけど。中国に行き集落が好きになったっていう理由が・・・建築家がつくる一個の建築よりも、無名の人たちが作る建築の群の全体性に魅力を感じるっていうの、どこでそうなっていったのか聞きたいですね。あまり自覚してないですか、いつのまにかそうなっていたと 川井:そうですね、いつの間にか。内井先生の作品が好きっていうよりもバナキュラーナ感じが凄く好きなのは、素材感とか、そういうのに魅かれたけれども。建築家の仕事であるとかに関心があるわけじゃなくって。土を使っていたりとか、煉瓦使っていたりとか、そういう感覚は凄い好きだったんでしょうね。 佐藤:なるほど、そこで中国の集落を観て、卒制はそれがテーマですか 川井:いや、じゃなかったんです。卒業制作はセルフビルドで出来る仮設住宅みたいなのをやって。で大学院に入って、実際、自分でセルフビルドで南彦根駅前の店舗を仲間たちと作ったりとか。そういうセルフビルト性みたいなことをずーっともっていて。 佐藤:他者からお金をとって川井さんがセルフビルトやってたの 川井:そうそう、 佐藤:職人さんも実践しながらね 川井:そうそう、それはやってましたね 佐藤:パン屋の職人やりながら学費を稼ぐようにね 川井:みたいな感じで、それでセルフビルドで 佐藤:学生しながら仕事を受けちゃうんだ、この人たくましいね 川井;ははははあは 佐藤:パン屋で職人やりなが夜学生やって。今は大学だけど本当の仕事はプロのセルフビルダー的職人さんだったりして うふふふふ 川井:そんときに、内装で左官を使いたいなと思って、森田さんに初めて相談したの・・覚えてないでしょうね。なおひこさんたちと京都の飯屋で初めて会った 森田:あのときに会っているのか〜 川井:知人にお願いして森田さんにお話さしてくださいと 森田:そうなんだね 川井:M1のときはそういうことやってましたね。そのタイミングで布野さんがちょうど 佐藤:いま聞きたかったのは親に見放されて学費を自分で稼いだからかなーと 川井:学部までは親が出してくれてたんですよ。大学院に入って奨学金ももらって、学費は親が出してくれてる〜と思ったら。実は実家が相当火の車で。お金が無くなってる状態で・・ 佐藤:はははは 川井:「僕は休学して中国に留学しに行きます」って言ったときに、教務っていうか大学は騒ぎになって、「あいつ 学費収めてないのに休学して・・」 かいじょうははははは 「留学しようとしているぞー」っていう、えらい騒ぎになっったんですよ。そこで俺は初めて親が学費を払ってないってことを 森田;はははははは 川井:気づいたんですよ。がははははは それで僕、留学資金だと言って、40万ぐらい貯めてたやつを・・そこで払わなくちゃいけなくなったんです。すっからかんになって。「留学に行くって」言ってるのにー。すっからかんになって、どーしようと思って、こいつはしょうがねーやと思って。布野さんに借りようと。 かいじょうふふふふう 川井:ははははは 佐藤:図々しい奴だね 布野先生の財布は俺の財布なんだと。借金あるのみと・・はははあいいねー 川井:布野さん 当時宇治に住んでいて。あそこの家まで行って。 まず電話して。「布野先生きょう僕もゼミ参加させてもらっていいですか」当時 京大のゼミまだ引継ぎでやってたんですよ。「当然 来いよお前来い来い」みたいな感じで言われて。「わかりました行かせてもらいます」と言って。ゼミが終わってみんな帰った後に・・。 佐藤:借金談判 ははは かいじょう がははははgっがははあは 川井:今から本番なんですけど、「ところで お前何しに来たんだ」みたいな感じで言われて、「実はこうこうこういうことで留学するお金が無くなったんで20万ほど貸してもらえませんか」 ぶっふ って言って ぐふふぐぐぐふふふ 奥さんも居たんですけどね がははははは かいじょう ははははは 佐藤:会って数か月の奴に金を貸す!? 川井: そしたら貸してくれて。それで20万抱えて留学しましたね、それがM2のときでした。 佐藤:そのときは布野先生、県大へ来てどのぐらい経ってたんですか 川井:2か月 ははははは 森田:ははははは 川井:しかも俺 布野研じゃなかったですからね ははははははは 森田:面白すぎますねー (布野先生FBより→) 川井:布野さんに会ったその時はアジア好きで「こないだチベットに行ってきたんですよ僕」「県大も面白い奴いるやんけー」みたいな 布野さんは感覚としては京都大から都落ちして来たって気持ちがあったようで、ちょっと湿気てたんですよね。そしたら「けっこうエネルギ−のある奴が居るじゃん県大にも」 ふふふふふ 佐藤:京大生は金持ちだー!川井さんの親のように貧乏パパは居ないだろうよ。週刊誌に載ってるのは東大京大は親が金持ちだから入れる!だから 川井:そうそう。それで貸してくれて、西安にそこから1年間留学をしたんですよね 佐藤;図太い奴だね、図々しいしね 川井:めちゃくちゃ図々しいですよ 佐藤:聞き取りするの忘れちゃいそうだよ! で中国は留学って集落を観てあるいてただけですか、のんびり観光しちゃったとか 川井:M2のときに、布野さん来たばかりで「9月から留学しよう」と言ってて。半年ぐらい布野先生ともディスカッションさしてもらってて。「西安だったらこういう面白いテーマがあるよ」って言われて、それは凄く関心がありますって。 佐藤:その20万は学費なんでしょう 川井:学費ていうか留学費用ですね、生活費も込みです 佐藤:全部込みで1年間くらして20万 川井:20万 ふふふふふ 佐藤:西安でパン職人の技を生かして、麺〜職人で稼いだ・・とか言うの 森田:ははははは 川井:向こうの受け入れ先の先生が京大の西川研、布野さんの関係の人で、生活費と宿泊費、住まいはやるって言われたんです その4へ |
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