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 佐藤敏宏 被災地に入る若者に聞く
    
 
 
 片岡佑介さん編  (2012/10/23 in 志津川 桜沢)

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その02


佐藤:18才のとき かっけぃーと単純に思ったと。
片岡考える人になりたいんだけど どうしたらいいか分かんないから。とりあえず高校の先生に相談したら。「建築家になるんだったら大学へいかないといけないよふへへへへへ 言われちゃったんんですね。

佐藤
:大学はいれるわけねーだだろう べんきょうしてねーんだから
片岡:ぜんぜん勉強してなかって。ぼくの高校三年生のテストでアルファベットを全部書きなさいって出るような学校だったんでふふふふふ。へへへへへ。まあそんな高校だったんですけど。なんとか書くことはできたんですけどふふふふ

そこから 高校4年生の6月に配管工の仕事を辞めて。辞めちゃいましたね もー間に合わないっていうんで。8月ぐらいに初めて2次関数みまたしたもの〜っていうぐらいしてなかった。ルートとかもわけわかんねーしと思っていたんですけど。そこからばーっと勉強して地元の高知工科大学

佐藤:勉強たいしてしてなくっても入れるの〜
片岡入れます
 

佐藤
:いいねそういう大学っての。建築つくるのアタマ悪くってもつくれるしなーふふふ
片岡そんなことないふはははあははははは
佐藤:高知工科大学に順調に入学しちゃったんだ!?げーすなー。
片岡普通に試験うけまして 入った。
佐藤:高知工科大学で4年間 建築の勉強しちゃったんだ

片岡:さっきの松井貴之さんの話しじゃないですけど、「おしゃれな建築家がどうこうとか」って雑誌とか見て
佐藤:大学の図書館とかで お洒落な建築家を見ちゃんだ〜

片岡
:そうです。建築の世界ぜんぜん知らないから、そういのが建築なのかと。そう思っちゃうんですよ。さらに地方で他に大学とかもなくって。閉じているからもうそういうもんだと思っちゃう。
佐藤:東京で造られた建築系雑誌の垂れ流しの建築情報をがばがば浴びていたと

片岡:それに非常にどっぷりと毒されて あのとき「なんか偏っていなか〜?って思ったんですね。大学生の1年の時に。偏ってんなーと思ってて。大学院の2年生になったときに渡辺菊眞が教員として登壇したんですふふふふふふふ すげー人来たな-と思って。なんなんだこれはと。そこで意気投合して。渡辺菊眞は奈良で事務所をもっているけど 本人自身は高知にずーっと居るんですよ。高知でも活動出来る場所欲しいな-という話しがあって。そこで僕は高知の事務所に就職をするんです

佐藤:いきなり建築事務所の所員になっちゃったんだ
片岡うへへへへへへへへあははははははは
佐藤:夜間高校から大学出たら〜いきなり大学の先生の事務所に雇われる ラッキーだね 悪運強いね ケツバット横道君だけど
片岡悪運つよいですよ。思います。

佐藤:今は渡辺菊眞事務所の所員なのね 
片岡:そうです 名刺は青いやつです。
佐藤:所長は赤の名刺でね 江崎さんは何色ですか
片岡:黒だったんですけど最近黄色になりましたあはははははは 黒じみだろう〜って ふはははは

佐藤
:渡辺軍団は色彩教団なのか ふはははあはははは 怪しげでいいねー先生に巻き込まれたと。ここ被災地志津川滞在は菊眞事務所から派遣されているんですか。
片岡:もともとこっちに来た切っ掛けが去年の8月の末に早稲田で学会がありまして。そのときに布野先生と竹内先生と
佐藤:学会で発表したんだ
片岡:僕 工科大学でやっていたことを発表しに早稲田に行っていたときに。布野先生と竹内先生と渡辺菊眞と 4人で昼間ら呑んでるシーンがありまして。そこに僕居合わせておりまして。竹内先生と渡辺菊眞がそれぞれ 布野先生に「こんな感じです」って話しをしてた。「今の状況はこうですよ」って。それを聞いた布野先生は「ちょうどええのおんなー」と。「あなたちょっと行きなさい-よ」と「あなた行けばいいじゃない
佐藤:余計なおせわだっちゅうに

片岡ふふふふふふふでそこで「はい!」って返答して。で1週間後にぼく志津川に来た。

佐藤
:それが去年の9月の話しだと 学会で発表した偶然の出会いがずるずると被災地志津川に来る羽目になった。動機は無く先生に反応したと「行け」「はい」でね
片岡うーんと〜 。動機はどういう状況か見たいと、そういのあったし。その当時は出来る事あるのか 無いか分からんかったけど
佐藤:何を思って被災地になんか来ちゃうわけ〜「はい」でくるのはいいけど動機は? はいって応答したとき何考えたの 行けばなんとななるだろーですか

片岡:そうですね。「なんとかなるかー」と思いましたし 、設計できるのか-と思いました。
佐藤:そうか、そうか。設計したかったんだ
片岡設計したかったんです、ただどういうふうなモチベーションで行っていいか〜 僕車で来たんですけど。

佐藤:車で高知を発ち おれなにしに志津川にいくんか??なと。考え続けたと。いきなり何を志津川でしたですか。去年の9月だから瓦礫は道路から無くなっていただろうし。民地からも瓦礫は消えたかものときだよ
片岡道路はまあ通れるような状態でしたね

佐藤:番屋を設計したんですか 
片岡:番屋の次のわかめ工場を初めて設計した

佐藤:すごいねー設計しちゃった 人生初設計、被災地に在りと 建物できた??
片岡出来ました〜
佐藤:すごいねー 希望が叶ったじゃないか。
片岡はい
 

佐藤
:できちゃったと。人生初建築 おめでとうございました とんとん拍子すぎるなー どっかで泣きが入らないとweb頁読者、観客としてはおもろないよ〜漁師に虐められたとか、ないとなー 涙物語無いのは つまらんなー

片岡:いやいやその当時 僕が住んでいたのはこのテントに住んでいたんです。
佐藤:設計監理中の 志津川暮らしは〜 テント生活が悲惨だったと。報告しなきゃいけないね
片岡:しました
  
佐藤:私 初建築が出来たんで、これで被災地から出ますと。また戻ってちゃった〜がはははは
片岡あはははははは 
佐藤:大きさは 
片岡:30坪

佐藤:すごく単純でいいね- 片岡さんの名刺の色に合わせる単純な処理もわらえていいね
片岡うはははははは ははは



佐藤
動物がマーキングするように片岡色つけてマーキングね ははははは このいやらしい魂胆がいいね

片岡
結果的にそうなっっただけです。漁師さんと色々話して。
佐藤:志津川でまずは片岡人生初建築が出来ちゃったと はくしゅーぱちぱちぱちぱち〜すばらしいねー もうやることなくなっちゃったね〜 お嫁さん見つけることぐらいかなー

片岡
嫁さん探しは重要ですねふふふふう
佐藤:嫁さんもらって 志津川で漁師になればいいんじゃない とんとん拍子すぎるから横ずれ無しでh 片岡建築 らしくないね

片岡
そうです 発表はまだしてない
佐藤:あこがれの雑誌に投稿して 被災地建築家としてデビューだな
片岡ふふふふふふふ
佐藤:雑誌に相手にされないって事態も人生では重要ではないかなー。投稿したらいいじゃないの
片岡:そうですね
佐藤:雑誌にあこがれたんだからさー 投稿しなくちゃー
片岡ははははは

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