種田元晴博士に聞く  2022年8月27日@あび清 文責・作成:佐藤敏宏  home 
左下 種田元晴博士
右   花田達朗先生
 種田元晴博士を知ろう(入門編

佐藤が初めて種田博士にお会いしたのは2020年末のZOOMでワイワイでした。博士と聞くと博士論と地酒を交換するのが常なので、メッセージで「福島県産地酒と博士論文を物々交換しませんか」と提案し、博士論文と『立原道造の夢みた建築』を送っていただいた。そうして種田博士の仕事の一端を知ることになった。
リアル種田博士に会ったのは2022年8月27日。その日の午前9時、松戸駅集合し森純平さんの活動拠点の一つ「PARADISE AIR」を体験し神田駅そばの「あび清」にて、午後3時から地酒を茶碗で呑みながら語り合いが始まった。そのweb記録です。果たして種田元晴博士入門になっているのか不明だ・・・。



種田:・・・呑み会をやっていて、布野先生を呼んでくれて、初めて会ったんですよ。『立原道造の夢みた建築』をお渡ししたら書評を書いてくださって。
花田:ZOOM座談会で会った人ですか。あの座談会はめちゃくちゃでしたね(笑)
佐藤:混濁しヤクザな世界・建築系が集まるとめちゃくちゃが浮かんで面白いんですが。20世紀に活躍したと胸を張る建築雑誌編集者も参加してました。
花田:何が話の焦点なのか分らなかった(笑)

佐藤:会って酒を呑むで無礼講が建築系のワイワイだと思います(笑)今日訪ねたパラダイスエア活動を起動支援され10年以上すぎてる体験を持つ森純平さんと対極に生きる建築系の人々が集まり・・・でした。人を見下す感じもなかなか興味深いですよ。

種田:森さんはどんな話しだったんですか?
佐藤:元ラブホをアーテスト・イン・レジデンスへ転用し、世界各地のアーティストを松戸市での制作と地元の自治会や新住民との交流などを10年前から支援してきた内容でした。八戸市美術館で偶然、森さんに会い記録をつくり大絶賛し推しているので、花田先生と中村睦美さんに、現場を体験して森純平さんと活動を記憶していただきました。

種田:森さんが東京芸大の助教だった頃しか知らないんです。4,5年前です。
佐藤:私は、6月23日と今日、二度会っただけです。
種田:僕は1回しかお会いしてない。いろんな人を巻き込んでいろんな活動してますよね。
佐藤:彼はそういう意識も少ない、今は流行りの全国各地の芸術祭のような、地域起こししていいね・・・そのような主催者気分は無いくて、いい感じでした。(森さんとの3時間ワイワイ記録へ)

種田
:楽しいことを好きなだけやっている?

佐藤:市民の自由な意思とアート制作が起動する現場の活動を支援するのが主ですね。相手は世界中のアーテストが来て制作していまして、さらに松戸の人々とアーティストの交流支援をし、その様子も楽しんでいる感じでした。で、彼は今年でお仕舞にして、来年からは若い人に継いでいくそうで、若い人の活躍する場、世代交代も促進している方でしたし、賃金も均等割りだそうです。支援・関係者それぞれが別に専門職を持って集っている。未来の仕事の仕方と人事のありかたも示していました。

 












博士論文『立原道造を端緒とする建築家の住宅図面に表現された田園的建築観に関する研究』2012年3月法政大学

『立原道造の夢みた建築』帯
見果てぬ夢の、続きを見よう
ありのままの風景に溶け込んだ建築を志向し、昭和初期に夭折した詩人的建築家・立原道造。
彼のピュアな「田園的建築観」を通して、21世紀の撲たちに託したメッセージを感じることの出来る一冊。長岡造形大学 准教授 津村泰範

午前9時から語り合う様子
森さん黄色のシャツ
ラブホを改築したPARADISE AIRの一室。
空間構成は八戸市美術館と同様で、制作する人、語り合う人、既存の作品などのレイアーが重なり合っていて、存在して森さんの一貫性が示されている場

  福島県産地酒で乾杯し合う

佐藤:花田先生を紹介します。現在はフリーランスの社会学者です。私とは20年付き合っていただいてます。俺は出会うと長く付き合ってしまう方々が多いです。途中で亡くなっている友人もいます、現役バリバリの先生と付き合いは珍しいです。
花田:佐藤さんが主催していた「建築あそび」に2002年3月3日に呼ばれて(講義録)
種田:いきなり呼ばれたんですか?
花田:仙台メディアテークのオープンイベントで会い、呑みました。

佐藤:2001年8月22日、台風とともに仙台に行った。花田先生がイベント会場で公共圏のようなことを語ったので興味をもち、呑み会にも付いていきました。後日、「俺の家で、建築あそびをしているから来てください」とメールし、来ていただきました。東大の先生で、さらに研究所の所長さんだとは知らなかった(笑)

種田
:はははは
佐藤:東大の教授を福島の俺の家に呼びつけて、講義をさせてしまう。なんて乱暴なんでしょう(笑)「来なかったら偽物でしょう・・・」なんて言っていた。建築あそびに参加し田花田先生の感想を読む)

種田酷い!

佐藤:3月3日来ていただいて、2002年11月2日にも再度講演してもらいました。(11月2日の記録)会津の酒蔵ツアー付でして、内容もなかなかいい感じの建築あそびでした。2つの記録は、花田先生の全集・花田達朗ジャーナリズムコレクション3巻『公共圏ー市民社会再定義のために』に収録されました。

2002年3月3日花田先生の講義の様子



真夜中まで語り合い雑魚寝の後、朝飯を食べる


『公共圏ー市民社会再定義のために』

その社会空間の主体は誰か?権力と対峙する市民社会の創造とジャーナリストのために。ハーバーマスの哲学で、日本の言葉/社会と格闘した、花田の研究拠点

種田元晴さんの博士論文

佐藤:博士論文『立原道造を端緒とする建築家の住宅に表現された田園的建築観に関する研究』(法政大学・2012年3月)の方はマニアックな内容ですね!

種田博士論文を書くためにだけ書いたものです
佐藤:特徴的です。が、涙物語にも・・・視点の強引さなども面白いです。

花田:建築の博士論文は初めて見ました。たいてい私が論文を見るときには、文献も、もちろん見るんだけど・・・。
佐藤:竹内泰先生の仕事場には都市と宗教に関する本が多く、博士論文は『京都における地蔵の配置に関する研究ー都市形成と聖祠の配置の関係性に注目して』(京都大学・2020年3月) 竹内先生は布野さんの教え子だったと思うけど、論文審査時は他の大学へ移っていて先生がかわりました。

種田:最近書かれたんですか?
佐藤:俺が知ってるのでは東日本大震災で会った時から書いていた・・・ですね。
種田:意外です、もっと前に書いたと思ってました。
佐藤:労作です。途中、途中で講演していたので、拝聴しに仙台に行きました。
種田:長い間、三菱地所にいらって宮城大学に移られましたからね。

■実・種田博士に会うのって初めて

佐藤
:リアル種田博士には初めてお会いします。キリと締まったいい感じですね。ZOOMでの印象は体積が不明なので、印象が違いますね。もうちょっといかついデカイ方だと思い込んでました。種田博士は声楽、歌も歌っています。普通の歌謡曲ではないです。

種田声楽っぽい。
佐藤:オペラのような内容を歌うんですよね。本格的に声楽されているんですか?
種田:全然、独学で適当に歌ってます
佐藤:燕尾服を着て、舞台で歌ってた動画チラ見しましたよ。

種田みんなでホールを借りて1年に一回公演しているんですよ。2022年も12月に公演します。
佐藤:その時には花田先生を招待してください(笑)
種田そんなの恥ずかしくって無理です(笑)お見せするようなもんじゃない(笑)本当に仲間の音楽発表会ですから。
佐藤:それが面白いんですよ。なぜか歌を歌っている、なぜ歌うのか?はこれから聞きます。種田博士の人生まったく知らないから聞かせていただきます。

種田
:森純平さんって幾つなんだろう?

佐藤:37才と言ってました。
種田:意外に年取ってるんですね。僕は40才です。あまり変わらないですね。
佐藤:俺、シツ濃いんだけど、森さん推し!彼のような感じの構えの人に会ったことない。日本にもこういう若者がいるのか!ああいう活動を20年間続けているというから、それにもびっくり。どうして知らなかったのかと不思議。
種田20年!

佐藤:学生の頃から活動していてきたそうですよ。東京芸大に入って活動し始めたんじゃないかな。
種田:そういう人だから芸大に行くでしょうね。
佐藤:芸大を卒業しているのだから、描いたり作ったりするのは簡単にこなせるんだけど、それはしない。
種田:基礎力は全部身に付けてある。センター試験も出来ているはずだから。

中島敦『名人伝』アニメ作品








佐藤:いろいろ忙しくって、うろちょろうろちょろ見ているだけ、仙人技になっている。中島敦『名人伝』の名人のようにアートを忘れてしまっている。アートを語らない。あの若さでそこに到達するとは珍しい人物ですね。
先に少し話しましたが、花田先生は東大から早稲田に移られジャーナリスト教育と研究所を開かれ、退職後の今現在はご自身の全集、花田達朗ジャーナリズムコレクションをまとめられているところです。全7巻でしたか?

花田:全6巻。で今は最後の6巻をつくってます
佐藤:退職後、出版社から拷問並みに仕事させられている、人生初で拘束されどこにも遊びに行く暇が無い。死んでから弟子がまとめろと思うけど。自分で編集するのは珍しいんじゃないですか?
花田:普通はそうだよね。だけど私にはちゃんとした弟子がいないから。
種田:はははは
佐藤冗談言ってますね(笑)

立原道造は建築家なのか

佐藤:立原道造は建築実作を残してないのに何度も全集が刊行されています。東大の建築系の人々がよってたかって語り合って、こともあろうに、ヒヤシンスハウスを造ってしまって、建築家だと言い張っている人が多い?のかも知れません。立原道造は弟子はいないですよ。

花田立原道造が建築家だったとは知らなかったね

佐藤:それが今日の語り合いのテーマの一つです。建築家と言っていいのか?問題をワイワイする。立原道造を建築家と認めるのであれば、博士号を取得してる種田元晴さんも建築家だし、今日これからやって来る浅古陽介さんのように透視図を描く人も建築家というべき、建築造りの裏仕事する人も皆ひとしく建築家と呼ぶべき。そこになぜ差別意思がはたらきつづけて、東大卒から設計する人々から建築家と呼び始めたのか?その問題。

花田:種田元晴さんの本のタイトルがね『立原道造の夢みた建築』、夢みたと入っている処でそれを躱(かわ)しているんだと思う。
種田:笑
佐藤:それはそうだ。
花田:立原道造を建築家だとは言ってないわけですよね。夢みたん人だった。イマジネーションの世界では立原は建築家である。

種田
:まったくおっしゃる通りだと思います。
佐藤:それででも、立原道造の作品に着目して博士論文を書いてしまった学生が目の前にいらっしゃる。
花田:詩人、立原道造は常識の類だけど、それを建築と結びつけるというのはね。

佐藤:丁度1年前ですけど、頂戴と言い張って送っていただいて。こういう研究する人もいたんだと。不思議だと思い感動もしました。博士論文は2012年3月、10年前に世に出されたんで本2016年の刊行で違います。

種田:本は6年前にだしました。

本になるわけねーだろう!

佐藤:博士論文から本が刊行されるまでに4年間掛かっています。博士論文が本になるのは珍しいのではないですか?社会学でも多いですか?
花田:博士論文から本を出すのはあるよ。
佐藤:建築系の論文では珍しいのではないでしょうか?
種田最近はけっこうありますね

佐藤:俺が会った博士では五十嵐太郎さんの『新宗教と巨大建築』しか知らない。田中浩也先生も博論を本にしてなかったですね。

種田:昔はあんまり出てなかったかもしれない。最近は本を出せと言われるんですよ。で、学校が、お金を出してくれたりすることもあるんです。僕は応募したけれどはねられました。はははははこんなの本になるわけね〜だろう!」と。「透視図を統計解析しているものは本にならない」と言われ跳ねられた。で、本は全部一から書き直して。だから博士論文とは別物です。

佐藤:思い出しました、石榑督和(まさかず)博士の『戦後東京都闇市ー新宿・池袋・渋谷の形成過程と都市組織』がある、博士論文と同じ内容なのか書き直しているのか?聞いてないです。

花田:大抵は博士論文とは別物になるよね。別物にならないと本にならない
種田博論のままでは面白くもなんともないですからね
佐藤:『立原道造の夢みた建築』のターゲットリーダーは一般読者で建築系の人に向かってないですよね。透視図解析を入れたら建築図オタクと言われちゃうかもしれないよね。
種田:(笑)

花田:編集者から「ああいうのは全部外して」と言われる(笑)

佐藤:博士論文の餡子を外してしまったら皮しか残らないね。でも本を見た時にショックを受けたんですよ。立原道造を建築家と呼んで研究する人がいたのか?!と。この本は第三章から種田節が鳴り響くんですけど、個人的な思い込みはいいですよ(笑)
種田:妄想です
佐藤:妄想も創作だから、そこも面白いんだけど。この本には立原道造は建築家とは書いてありましたか?忘れちゃった。
種田:僕もあまり覚えてないですが書いていると思う。 












『戦後東京都闇市ー新宿・池袋・渋谷の形成過程と都市組織』2016年9月発行
アンビルドの建築家

花田:帯には詩人建築家・立原道造と書いてあるね
佐藤:帯に書いてあるね。種田さんが言っていると受け取ってしまう。

種田
:津村泰範さんという方は僕より先に立原道造を研究していた人です。何人かいるんです。磯崎新さんも書いています。故・鈴木博之先生も書いています。東大の人たちはみな書いてます。自分たちの先輩ですから。「立原道造に憧れて建築学科に来た」と言っている人もけっこういます。

花田:そうなの。
佐藤:で、いつの間にか建築家と印象付けられてしまっていた(笑)
種田:東大の人たちですから、東大の人たちだけはそう言っていい(笑)憧れて建築学科に来たと言っていい。後輩ですから。

佐藤:種田さんは法政大学ですから、立原道造建築家・・・誤解が広がるかも。
種田:でも、建築の実作はないけど、アンビルドの建築家ですよね

佐藤:種田さんは何時、立原道造に出会ったんですか。存在を意識した時期です。花田先生は宮沢賢治で。バリバリ賢治心酔者ですか?
花田:そうでもない。誕生日が一緒だから

 会場笑う

佐藤:そうだそうだ、今日は花田先生(1947年長崎県佐世保市・生)と宮沢賢治(1896年)の誕生日でした!もう地酒呑んで祝ってますが、さらに、祝いましょう、乾杯!おめでとうございます。50歳ぐらい違うのかな。(51才ちがい)
花田:もっと違うはず。





津村泰範さん

今時、立原道造の詩を読んで感動しない

佐藤:東大の建築学科に入学した人たちが立原道造に憧れを抱いたのはソナチネ・詩、図面に憧れたのか、論文に憧れたのか?
種田東大に行く人は教養豊かだから、立原道造の詩は読んでますよね。だけど世代的に上なので、僕らの世代で立原道造に憧れて東大に行くという人はいないと思います。
佐藤:今時、自傷の時代だし、女性も自立して働いているし、日本武道館でも、あいみょんさんは、目玉くりぬいたり、腕を切って身体に巻き付けると「貴方解剖純愛歌〜死ね〜」男性への愛を表現してます(笑)。今の女性も立原道造の詩を読んで西欧の女性姫に憧れたような詩、あれを詩吟されても感動しないでしょう。(下動画 萱草に寄す


種田感動しない!まったくしない。(笑)

佐藤:オジサンの俺でも、よあそび、あいみょん・・とか、スガシカオの詩は現在に合ってて、いいな、と思うけど(笑)現在の若者たちは共感しないよね。デートするときに墓地にする、なんて考えられない。
種田:なよなよしすぎてるというか。
佐藤:立原道造が、死ぬ間際に岩手や九州の文学仲間を訪ね旅してるけど、彼女を同伴してないのも、今時の人には理解できないよ。一緒に居たいなら・・どこへでも連れ歩け!と背中を押したいぐらいだ。

種田なよなよしているくせ、凄い実際には積極的なんですけどね。書くときにはなよなよ書くんです。
佐藤:それでは女性もじれったいし、寂しいね。なよなよを演じ詩を書くならプロだけど。そういう芸風の役者だなんて、見て来たような嘘をつく!種田博士はいいね(笑)

種田:ははははは、だって手紙が全部残っているから。これはとんでもない人だと分るじゃないですか。
佐藤:結核が発症して脊髄の病になっているんだから、一緒に旅行すると思うよ。遠くで見ている方が妄想が湧いて詩に仕立てやすいのかな。明治男たちの気持ちは理解できませんね。花田先生は女性の話しは一切しない人なので、ここでもうやめます。

花田:いいよしてて
佐藤:今日は女性との付き合いかたを話すために集まったんじゃないんで、やめます。
種田:くすくす笑っている種田博士




貴方解剖純愛歌〜死ね


塾講師時代、立原道造とであう 

種田:この本の表紙は私がデザインしたんです。僕が撮った浅間山の写真です。色味と紙を選びました。

佐藤:脱線していたけど、話しを戻すと、立原道造を研究するようになった経緯はどんなだったんですか。
種田:大学生のときに塾講師をずっとやていた。大学1年生から博士終了するまでずっと塾講師をやっていたんです。
佐藤:長いね。
種田:個別指導の塾なので、補習塾なんですよね。全科目やらなければいけない。数学、英語、社会、理科、国語など全部。学年も小学生、中学生、高校生、へたしたら浪人生、さらに下手すると「就職活動の付き合い方を教えてくれ」と言う人もいる。いろんな人たちの相手をする。僕は数学とかできるわけではないので、国語ばかり受け持っていたんです。
国語の授業って、問題を解かせなければいけないから、暇なんですよ。問題を読んでから解くので、読ませている間は暇なんです。やることないから国語便覧とか読んでいる。読んでいると立原道造が出てきて建築と書いてあった、そこから、ちょっと興味を持ったというのが半分。
佐藤:国語便覧には立原道造、建築家と書いてあるんだ。

種田:建築学科卒、建築家とは書いてなかったかも知れない。建築を学んだ卒業生だとは書いてある。それと、ほぼ同時期に、その時は大学院、修士課程だったかもしれない。非常勤の先生で、豊川斎赫(さいかく)さん、分りますか?
佐藤:丹下健三の研究もしている先生ね。

種田:豊川先生が非常勤で法政の建築学科に来てたんですよ。豊川さんは本当は立原道造を研究してたんですよ。だけど、丹下健三の研究の方にシフトしたんです。豊川先生は修士論文も「立原道造と丹下健三の比較」なんです。博士論文は丹下健三、一本で書いてます。半分は立原道造研究なんです。だから授業でそれらをずっと教えてた。もともと豊川さんが日本設計にいたので、辞めて非常勤をやりながら東大の・・・
佐藤:小山高専だかで教えてなかったですか?
種田:その前です。修士を出て日本設計に入って、日本設計を辞めて東大の博士課程に戻ったんです。その間に法政で非常勤講師をやっていて、その時の学生が撲だったんです。
で、立原道造の話しとか、豊川さんの博士論文の書いていることを授業で教えてて、毎回凄いレジュメを用意して。マニアック過ぎて私は読めないレベルでした。法政の学生なんか誰も分かってない。(笑)全くなにも理解してないですね。僕は豊川先生を好きだった、建築家の話しが出てくるので、豊川先生は面白いなーと思って。一回「僕も立原道造のことを修士論文でやりたいと思っているんです」と話しをして、一緒にご飯食べに行って、それがもう一つの切掛けとしてあります。
度その二つがあって
もう一つは、ずっと建築家の研究をしたいと思っているので、系譜、誰が誰の弟子でとか。誰が誰と関係してとか。



豊川斎赫(さいかく) さん

歌舞伎の系譜好き

佐藤:
日本人建築家の系譜なら150年間しかないので、そう難しくないのかな。

種田:小学校の時に歌舞伎が好きだったんです(笑)歌舞伎役者って面白いなと思って、名鑑があるんです、あれが好きで・・・。
佐藤:男系の血縁者が継いでいく世界が好きなんだ。

種田:何々屋は誰の息子が誰でとか、ああいう系譜を見ているのが好きで。それがあったから、『日本建築家山脈』村松貞次郎先生の書いている本があるんです。それとか、日本の建築家という1981年までの建築家が全部載っている新建築が出している本があるんです。そういうのが好きで、この中にも全部入っているんです。そういうの暗記するのが好きだったんです。

佐藤:変わってて、いいね。建築造るのは好きじゃないんだ(笑)

種田:途中から建築造り好きじゃないと思っちゃって。系譜を見る、そっちの方が楽しいなと。建築造るもの嫌いじゃないんですけど。それより、どう考えても調べものの方が得意だと思って。どうしてもその思いが捨てがたくって。系譜をやりたかったんだけど、そうすると視点が定まらないから修士論文がまとまらない。「誰かひとりに絞りなさい」とアドバイスされるわけじゃないですか。





僕の先生は、この博士論文の指導教員である安藤直見先生がいるんです。簡単に言うと、安藤先生の博士論文はヨーロッパの広場の研究なんです。広場の研究というと歴史っぽいじゃないですか。安藤先生は広場の形の研究です。広場というのはまるっこいと。(笑)まるっこいとはどういうことか?それを言うと面積に対して周の長さが短いと言い換えられます。そうすると図形としての特徴が、周の長さと面積の関係から研究し。面積に対して円が一番短い周ですね。それを1と考えると、例えば、長方形は0.6だかとか数値化できる・・・ということをひたすらやっている。
もう一つは囲まれ方として、周りに囲まれているものに窓がどういうふうに開いているのか、ランダムに開いているとか。バラツキだからこれも数値化できるし、屋根のガタツキ具合も数値化できる。数値化すれば都市の特徴というのが把握できる、それをやって。都市の形をいろんな広場を何十個も集めて、全部形を数値化して、その特徴を分類して、パターンを付けるような研究をやっています。

佐藤:なるほど感情とか感性を介在させず全て数値化して比較研究すると、その姿勢が種田さんに感染したと。
種田:うつっちゃった。それを僕は立原道造の透視図でやってみた

佐藤
:いろんな研究者の思いが融合して博士論文になっているんだ。
種田:逆に言うと、何か方法が無いと論文がまとまらないから、対象は透視図にする。で主役は立原道造とする。方法は安藤先生のやり方をお借りすると。僕の先生の手法で論文を書いている人、僕の先生以外に一人も居ないので。このやり方は絶滅するから一応やってもいいだろうと。(笑)

佐藤:なるほど、本ができる前のことは理解できました。



安藤直見先生


種田:僕が勝手にやった博士論文の研究なんで、僕の安藤先生はびっくりしていました。「よくお前同じやり方でできたな!」統計解析の仕方も全部先生に聞くと怒られるから、自分で勉強して(微笑)

佐藤:数学、好きじゃなかったんじゃないですか。
種田:好きじゃないけど、一応本を読めば考え方ぐらいは何となく分かる。先生に怒られたくないから「いちいち聞いてくるんじゃね〜!」と怒られる。
佐藤:絶滅するような研究手法を活かして論文を書いてしまった、面白いね。一方の豊川先生は千葉大の先生になられた、違いました。

種田:博士号を取得し小山高専に行って、今は千葉大の都市環境工学科かな。
佐藤:豊川先生とは今も交流しているんですか?
種田:ぜんぜん連絡とってないです。

設計しても親父に、勝てない

佐藤:豊川先生の感想もお聞きしたいですね。お父さんの話にかえますね。今日、森純平さんに会って、これから種田さんに会ってワイワイすると伝えたら「お父さんを知っている」と言ってました。お父さんは建築界で名を馳せている方なんですか?
種田:全然有名じゃないです。何で知っているの?
佐藤:分りません。お父さん東大でているんですか。
種田:日大です。布野先生が今勤めている学校の卒業生です。本当に撲の親父かな(笑)

佐藤:建築界でも種田姓は少ないから間違いないでしょう。種田山頭火なら誰でもしているけど。
種田:森さんと親父の話はしてないからわからないです。親父は現役です。

佐藤:お酒は自分で注いで呑んでね。とうちゃん、設計事務所を経営していて、息子は親父のあと継がないんですか?
種田:同じ事やってもしょうがないじゃないですか。
佐藤:俺もそう思うけど、日本全国建築事務所に目を移すと親父の後を継いで、絶対継がないと言う人人少ないじゃないかな・・・そこも面白い。

種田
やっても勝てない

佐藤:法政大学の建築学科を卒業しても、建築設計と関係無さそうな研究だし、親父嫌いが滲み出てて分かる。とうちゃん淋しくないのかな・・。


本を刊行して自分を発見した

棚田僕の爺さんが学者で、東京経済大学で産業技術史をやっていたんです。その爺さんは母親の親父です。母親の方は皆学者なんですよ。そっちの方が面白そうだった。親父の方は皆実務の人なんです。で、僕は母親の実家の2階に住んでいたので・・・。

佐藤:爺ちゃんの研究資料に囲まれて育ったんだ。
種田:母親の父親、爺さんと話をしていた。だから爺さんの影響を受けていると思う
佐藤:本の最後の章で文学の理想的村の話しがあります。野尻湖コミュニティといえばいいかな。あの別荘はお爺さんの所有物ですか。

種田爺さんと婆ちゃんが建てたんです
佐藤:技術史研究され、文学者とも交流されていたんですか。

種田今まさに調査しているんです。黒姫山荘の改装もやるんですけど、研究もやっているんです。改装とコミュニティーの研究、両方しているんです。
佐藤:どんどん文学に偏っていくね、なんで?

種田:そっちの方が興味があるから(笑)物語の方が面白いじゃないですか表象文化論という分野があるじゃないですか。あれだと建築も一つのイメージだから文学も建築も同じように一つのイメージとして扱っていく分野です。僕はそういうのを分っていなかったんですけれど、『立原道造の夢みた建築』を書いてからそういう分野の人たちと話しをするようになって。「僕がやってることは、そういう事だった」と段々解ってきて。

佐藤:本を刊行してから自分を発見する機会を得たんだ。

種田:建築のコミュニティーだと少ないからそういうことが分らなかった。しかも法政大学は、設計する人ばっかりなんで、表象文化を研究者ほとんどいないから。分からなくって。同級生も研究に興味が無いし。そういう感じだったんです。

佐藤:建築雑誌などにも研究の面白さは、書いてないでしょうし・・・。

種田:法政大学、陣内先生、都市史の先生は居ましたけれど。都市史と設計しかないから、計画系はそれ以外はフィールドがまったく無い。京大だって文学的なことを研究している。

野尻湖コミュニティー

佐藤:何もないところから博士論文を得て、本の刊行に至り自分を発見できて好かったですね。野尻湖コミュニティーはお爺さん、お母さん連なりでしょうか。

種田野尻湖コミュニティーって元々はいわさきちひろとかが居る所なんです。その上に童話・児童文学者の坪田譲治がいる所なんです。坪田がもともと野尻湖に疎開していたんですけれど、それを初代町長。

佐藤:結核・病気疎開ですか?
種田:坪田は戦争疎開してて、それで、周りの人とうまくいかなくって、東京に帰って。その時に要らないから土地を町長に寄付したんですよ。寄付した見返りに別の山の方の土地をくれたんですよ。だけど坪田譲治はそこ要らないから、後輩たちに譲った。それで20軒。基本的には童話系の絵本作家とか、童話作家とか編集者のコミュニティーなんです。その中の編集者の人の旦那の同級生が家の爺さんでした
だから学者仲間で、何人か童話作家の仲間に学者も居たんです。学者と編集者と児童文学作家たちのコミュニティー、今でもあります。今は3代目。僕も3代目。それがあったので、そういう事に興味を持ったこともあるんです。小さい頃からそこに連れていかれてたし。一昨日もゼミの学生を連れて行ってきたし(笑)

佐藤:別荘というか、東京からの移民、入植なんだね。荒れ地に町が造られていく情報が全て詰まっていそうで、面白そうな研究ですね。

種田:今でもでも超過疎地ですからね
佐藤:町長さんが等価交換したような荒れ地に作家たちのコミュニティーが出来ていく過程と維持、でとうなっていくのか、その研究だから、当時の理想の挫折も含まれているだろうし、面白そうだ。
種田3代目になってくると、1代目の人がほとんど亡くなっているので。そのコミュニティーがあったことすら忘れられちゃうから。それをちゃんと記録したと思って。

佐藤:種田さん一人じゃなくって声かけ合って集まってはいないんですか?
種田声かけ合って集まってました。東京にほとんど住んで居るので、当番のようなものを決めて。20軒あるんですけれど、その山荘が一つの工務店が管理してて。そこに誰かが雪下ろしお願いするとか係を決めているんです。そういうルールがあって、勝手に売ってはいけないとか。お店を営業してはいけないとか。

佐藤:ルールの変遷史も面白そうさね。

種田そのルールがあることによって、ドンドン過疎化しているんじゃないか?という気もするんです。ちょっとそのルール変えた方がいいんじゃないのという気もしてるんです。3代目は皆さん作家じゃないから。作家たちだった頃は自分たちの創作の場を守りたいから、邪魔されたくないからそのルールでよかった。今の三代目は作家じゃない、もうちょっと活性化することを、活性化じゃなくっても・・・いいけど「ここをもうちょっと楽しく使える場所にしたほうがいいんじゃないの」という気はしているんですよ。





坪田譲治へ

築の世界は二つしかないように見せる 心病みかけた


佐藤:経過研究よりそっちの方が楽しそうだね。
種田:活性化しなくっていいんですよ。
佐藤:それはそうだ。活性化という人が集まって来て商売して似たような風景になって、それ以前の記憶を失ってしまう行為が多いから、詰まらないよ。
種田:そう。あそこの錆びれた感じをどうやって楽しむか。黒姫高原って遠すぎて誰もいかない。

佐藤:冬は雪がたくさん積もるね。
種田:そう、スキー場もあるんですけど、子供向けのスキー場だから若者は来ない。みんな妙高まで行ってしまうんですよ。それから新幹線も停車しないので行くのも不便だし。車で行くことはできるんですけど。東京から行くと軽井沢で半分ですからね。遠すぎます。

佐藤:そんなに距離があったかな。一度、友人が設計した野尻湖の傍の別荘建築を観にいった。福島から新潟県通過すると同じぐらいかも。
種田:その錆びれた感じがすごい。

佐藤
:種田さんはお爺さん系列で、研究者の血が流れているんですね。建築学科に、たまたま、入学してしまったんですか?

種田親父がやっているから、っていう安易な発想ですね(笑)
佐藤:しょうもないかもの動機だね。入学したら設計と都市史だけだったと。今当時を振り返ってみて、18歳ぐらいから関わっているんですが、入学し10年大学に関わって、ようやくろくでもない世界だと分ったとか。

種田:親父を見てたから、何となく実務家としてはこういうふうに行くだろうな、というのはなんとなく見えるし。普通の建築設計士だったらこうなると分るし。それで飯を食えている人はこうだと分る。一方で大学に入るとアトリエの先生ばっかりじゃないですか。二つあるのは分るけど、この二つしか世界には無いような、見せ方なんですね。

佐藤:喰えないプライド高い系だろう、アトリエ経営の先生が大学のほとんど教えているんだから、建築設計事務所像は日本の事実と異なり歪んでしまうよね、そうなるよね。

種田:何か嫌だなーと思って。なるべくOBの人たちと会ったりとか、とにかく知らない人に会いに行く。大人になる前に会いに行くことをやってました修士の1年生の時に、心、半分病みかけて。「何やっているんだろう、俺は?」大学に行くのをやめて、とにかくいろんな人の講演会に行ったり、とにかく人に会いにいく・・・そればっかりやって。

佐藤:それは初耳、珍しい行動だね、内に籠らないで外に出て行った。

母親はジャズシンガー

種田:とにかく学校に行っても詰まらないから、同級生たち、その時修士課程は工学部だから一杯いるんですよ。一杯いるけどみんな就職するつもりでいるから、何故も何もなく普通にみんなが就職するからと思っているわけじゃないです。
佐藤:大学に入ったら修士卒業して就職すると。

種田僕の家はそういう家庭じゃないから、そう思わなかった。
佐藤:父ちゃんのアトリエ設計ですでに上がった姿を毎日、見ているしね。

種田:母親の方は音楽家と学者しかいないから、みんな不良なんですよ
佐藤:俺も不良爺さんって言われるけど、不良と言われていいじゃん、お母さんの影響で歌うんだね。
種田母親はジャズシンガーなんで。小さい頃から横で歌っているから耳は鍛えられましたね。
佐藤種田元晴博士像がだんだんはっきりしてきた(笑)母ちゃん不良なのね、それはよかった。自分より親に先に不良されちゃうとやりにくいね(笑)お父さんバリバリの実務家で、お母さん、不良のジャズシンガーでは建築学科にはいって心病むね(笑)
種田:で同級生はみんなまともに生きている。
佐藤:毎年、金太郎あめのような若者が生産てれるんだ。種田さんは友達できないね。
種田:僕だけ頭オカシイじゃないか?と。仲良くはしてくれるけれど絶対、僕だけ頭オカシイなと。

佐藤:周りの人とは心の底から友達になれないよね、質のいい(笑)既製品になっていく人間しか見ることができないんじゃ。それは友達を求める気が起きないでしょうよ。

種田元晴さんの脱出劇

種田
友たちとしてはいいけど、目指す方向は違うなと。
佐藤:人間の質が違うから、その環境では若い種田さんの孤独が満たされることは無く病むね。そういうことか。
種田:学外にも友達もいないので、僕のいた研究室は先輩もいないし。安藤先生もかなり変人なので。法政大学ってまともな人間が多いんです

佐藤:文学教えている島田雅彦先生がいる!『パンとサーカス』刊行して人気だし、面白い先生。
種田:他の学部はね。建築学科の学生、上手く見せるのが巧いんですよ
佐藤:母校の悪口になってきたよ(笑)

種田:コンペとかの提出物の体裁を出来ているふうに見せるのが得意な人が多い。読み込むと中身がないというのが僕の母校の感じなんですね。僕も同じだからそれが嫌で自己嫌悪になるわけですよ表面とりつくろって見せるのばっかり巧くって、中身がない感じだな、俺もって。それが凄い嫌で。その感じをどう脱出するか・・・みたいなことをずっと悩んでいましたね。

佐藤:どのように乗り切り脱出したんですか?

種田:僕の安藤先生はすごい変人なんですよ。表面見せるの、巧いけど中味は普通でいたい。そういう学生は絶対来ない研究室なんです。僕は逆に変人を求めていたから、真面目な学生が行く人気の研究室なんか絶対行きたくなくって。
当時は渡辺真理先生とか、富永譲先生とか、大江しん先生とか、陣内秀信先生とかいらっしたんです。そういう研究室にはいかない。俺はまともじゃないから人気の研究室に行っても幸せになれないから、行かない。
第一志望で僕の研究室の先生についたのは僕だけ。他は人気の研究室落ちて来る。僕の先生はHPで考えを発信しているんですけど、誰も読んでいないですけどね。僕は全部読んで、この人面白いなと思って門を叩いて入れてもらった

佐藤:今から何年前です、2000年ごろかな?
種田:2004年とかです。コンピュータが得意な先生なので、早くからコンピュータをずっとやっていた先生です。
佐藤:だからPC操作早いんだ。
種田:鍛えられたかもしれないけど、僕はPC得意じゃないです。ZOOMで話した会で石井翔太君、いたじゃないですか、彼も同じ研究室です。彼も変な奴です。

佐藤:石井さんは種田さんの相棒で写真撮影担当されている方ですね。

種田僕と彼だけが安藤研に自発的に来た学生でした。二人とも博士号はとっていんるです。石井君は大江宏の研究で博士号をとりました。
佐藤:法政大学は建築の社会のなかで、東大東工大、芸大・・ずっと下位人気で、あまり相手にされていなかったんでしょうか。

種田:最近は人気上がってきました。僕が入学したときは相手にされていなかったです。
佐藤:法政大学卒業生は脇で雑用してな・・・・のような扱いだったんだ。
種田:元々はそうだったんです。最近勢力図が変わってきて。今は工学院大学とか凄いレベル高いんですよ。今は、私学では、早稲田、慶応、理科大、明治、工学院という順番ですね。明治はずっと高い人気なんです。たぶん偏差値を維持する中に戦略家がいるんですよ



島田雅彦さん


サイトより
政治的関心を失った民衆には、食料(パン)と見世物(サーカス)を与えておけば支配は容易い。
戦争、犯罪、天災、疫病――どれもがサーカスとなる。
不正隠蔽の犠牲となった父親の復讐を果たすため、CIAエージェントになった男は、
日・米両政府の表と裏を巧みに欺き、いつしか日本国民の仇をとる。
ヤクザの二代目、右翼のフィクサー、内部告発者、ホームレス詩人……
世直しか、テロリズムか? 諦めの横溢する日本で、いざ、サーカスの幕が上がる!
「私の暴走にどうかお付き合いください」 ――島田雅彦

■博士、恩師と語るそれをテーマに

佐藤
:青井先生か(笑)次回の博士と語るは、石榑督和さんと青井哲人さんとのワイワイだから、手伝ってください(笑)

種田:石榑君は優秀だからぜひ手伝います。石榑君と久しく会ってないです。
佐藤:京大の同級生の青井さんと竹内泰先生、ライバルでもあり友達。ワイワイするのは俺が何か理由を作って竹内先生のところに遊びに来たいだけ(笑)遊びに来るにも理由が要るだろうから「博士と語る」にしようと。竹内先生とお弟子さんの語り合いしたいんだけど、竹内先生の教え子で博士号取得している学生いないんだね、俺は知らない。で、竹内先生は時々青井さんの話をしているから。青井さんと竹内先生のガチ対談では一発目では辛いので青井先生と弟子である、石榑さんの語り合いにしました。

種田:石榑君はほぼ同時期に本を出したんです。彼の『戦後東京と闇市』の方が売れてます。建築系で闇市研究を扱う間では彼は第一人者で。都内の新宿、池袋、渋谷、上野などの闇市。ターミナルと闇市の関係を研究者。

花田:新宿の思い出横丁とかですね。

2017年10月3日
石榑博士と思い出横丁で呑む
その記録へ

佐藤:石榑さんの本と、俺が酒代支払って交換しました。思い出横丁で聞き取りしたんです本は読んでもよく分らないんだけど、戦後の渋谷新宿の土地勘無いし、土地の所有関係とか分らない。今は「エラボ」活動で取り上げた関西学院大学の三田校舎で教えていますね。
博士と語るに戻すと先生が50代で弟子が30代の語り合いでワイワイしてもらうと面白そうなんです。竹内先生世代とその先生との語り合いだと、高度成長期の先生だからワンパターンで上下関係がはっきりしてしまって、それは誰かに任せたいので。
建築教育界の50代の先生と弟子30代が語り合う。誰が居るのかわからないので、たまたま出会ってワイワイしてる人から始める。そうして継ないでその先生達から名を聞いて語り合っていくと、面白い世界と記録が残せそうな気がするんです。俺に体力があるかどうかですが
横道それましたけれど種田さんの人生を少し聞いたけど、独自の横道を一人で歩いている感じがいいし、面白いですね。



論文完成から10年経ちました

佐藤:論文完成してから10年経ちましたが、どうですか?
種田:恥ずかしいですよね。(笑)

佐藤:自分の未熟さが一層見えてきてしまって恥ずかしいとか?俺は、博士論文を書いた人生じゃないので、分らないんです。そういうもんですか?誰でも最初に出した本って恥ずかしいものなんですか。

種田あの頃やった方法は、今でもよく思いついたなと思うし、よくこれだけの方法を先生にも相談せずに、ちゃんとまとめたなとも思うけど。中に書いてある文体が本当に酷いものなので(笑)文章は酷いですね。本の方も、今考えると若い、文章を巧く書けるようになりたいです。

佐藤:種田さんの文章を巧く書く、その内容をすこし詳しく願いします。
種田:『立原道造の夢みた建築』を出して、いろんなチャンスを与えて頂けるようになったんですけど。今、『同時代』という同人誌に参加していて、もともとあるんです。

佐藤:その同人誌は建築の話しが中心じゃないでしょう。
種田:建築じゃないですね。長尾重武先生、武蔵野美術大学の学長だった先生がいるんです。長尾先生は詩人で、俳句もやっている人なんです。長尾先生が幹事をやっている『同時代』という芸術文学系の同人誌があって。偉い年配の先生方が一杯いるんです。そこに誘ってくれたんです。そういう所に行くと皆さん文章のプロばっかりなんで、一緒に載せてもらうのが恥ずかしくって(笑)言葉を撲の方が知らないんですよ。日本語能力低いんですよ。(笑)

佐藤:能力が低いと感じるのは生まれて来た時代の違いと関係ないですか?
種田:関係あるかも知れないけど、メールでも長尾先生とメールしていると、美しいんですよね。(笑)言葉の運びが綺麗なんですよ。長尾先生は別に気を張らずに出来るんですよね。普通に言葉が出て来るんですよね。

佐藤:花田先生と20年付き合いしHP更新お手伝いしているので、門前の小僧になっていています(笑)花田先生の文章は綺麗に順序だって結論に至る、整然として美しいですよ。俺には身に付いてないし、出来ない文章術です。


長尾重武さん情報サイトより
文章のプロを目指し

種田
:だけど佐藤さんは文章読まれているから、言葉は一杯ご存知だし、誤字脱字は一杯あるにしても(笑)それは方針の問題であって(笑)スタンスの問題じゃないですか。だけど、そもそも言葉を知らないことが恥ずかしい。それを今、突き付けられています。長尾先生たちは鍛えてくれていると僕は思っているんです。授業料として同人費を払う。そういうことで参加しているんです

佐藤:博士論文に文章の美しさを要求されるんですか?!取り上げている中味の問題と論じ方でないんですか。

花田:分野によるよね
種田:建築系は文章酷いですけど。だけど私自身は嫌じゃないですか。文学的なことを扱っているのに文章下手くそは許されない。(笑)

佐藤:文章の上手い下手の境が分らないんですが。
種田読んでいて、すっと入ってきて、すっと入ってくるけど通り過ぎる感じでなくって、言葉の運びが印象に残るような

佐藤
:プロの技じゃないですか。
種田:そこを目指したいんですよ。

佐藤:目指すは作家なんですね。
種田:なので、願望としてはいつかは読み物をちゃんと書いて大学を辞められたら幸せだと思っています。(笑)

佐藤:種田さんの好い文章はお爺さんたちの書いている好い文章だから、今の世代の人たちが求めている、好い文章ではないんだね。同人誌を主宰している人、長尾さんはお爺さんですよね?
種田:お爺さんかもしれないけれど、その人たちの・・・・。
佐藤:現在の人たちにも通用する面白い文章なんですか?

種田少なくっても僕は魅力的と思っているんです。(笑)
佐藤:種田さんが魅力的だと感じているんで、それならしょうがない。種田さんが身に付けてたとしても、現在の世で売物になるか、あるいは通用するのか?分らないですよね。

編集者との出会い

種田:分らないです、今となっては使われてないような言い回しかも知れないけど、僕はそれでもその言葉の方が美しいと思っちゃうから。何て言うんですかね、言葉の幅がありますからね、この『立原道造の夢みた建築』も、あるお年配の方が編集者で、関わってくださったんですよ。
法政の建築の卒業生の方です。僕が同窓会活動で知り合った方が1年半ぐらいずっと、原稿を見せて「うーん」と言いながら直してくれて。編集してくれたんです。

佐藤:お爺さんボランティアで見てくれたんですか。
種田:ボランティアです。最終的には、そこの会社が本の制作をやってくれているんです。鹿島出版は版元だけど作っているのは南風舎です。南風舎の社長だった方が全部やってくれたんです。この方は伝説的な編集者なんです。知る人ぞ知る編集者。
昔、相模書房という出版社にいて、元々は新建築にいたんです。相模書房は二人しか編集者がいないんです。長谷川堯先生のデビューさせ、布野先生をデビューさせた出版社です。

佐藤:そういえば布野さんが神子さんと話していたのを文字にしました。建築士会の会報に参加してる現役の記者ですね。

種田:神子久忠さんと小川格さんという相棒がいるんです。二人で相模書房、80年代まで編集作業してたんです。小川格さんが僕の文章の師匠で、小川さんが全部編集をやってくれて。例えば最後の章「夢のひとひら」とありますけれど、これは最初、僕はダサイ言葉を書いていたんです。「それは、ひとひらという言葉の方がいいんじゃない」とポロっと言ってくれちゃって・・・それが「ひとひら」。その言葉を僕は使ったことがない(笑)同じ意味だったんだけど、僕はもっと下らない言葉を使っていたんです。「僕が言いたいのはその一言、その言葉だ」と思って書き換えたとか。あるんですよ。


小川格さん webより

佐藤:種田さんの処女作を読み進めると終章に進むほど不思議な感情が湧いてきますね。
種田:それも、面白いと思うかどうか。特にテーマがどちらかと言うと年配向きだから。その人たちが面白いと思わないと売れないので。若者は買いませんよ。(笑)立原道造なんて知らないから買わないですよ。

佐藤:今だったらネットを介して、新旧並列に並んでいるネット社会ですよ。YouTubeでも昔の音楽・歌謡と新しい音楽が等価に並んでいる表示される。だから立原道造も古くはないんじゃないですか。立原道造の書籍の伝え方がうまくいっていないとか・・・。小説、随筆、古典の主な朗読データも落ちていて、日々朗読ものも作家の話し、古いのでは戦争当時の事を知るために永井荷風、若い作家では町田康・島田雅彦などを聞いたりしますね。
本を買って読んでなくても知る機会がたくさんあります。で、現在の若者の方が立原道造にも反応するような気がする。王朝文学で彼女を口説いたり。今日はパンクロックで口説いたり、使い分けて楽しんでいるような気がする。

種田:今だから、もう一回はあるかもしれない。そこまで届いてない。若い人は買ってないと思います。逆に言うと年配の方々に向けて書くとしたら、その人たちが、若い人が書いているから許容できると思うぐらいの文章じゃないと読めない(笑)

佐藤:午前中の話し合いも一部建築編集者の役割についてになったんだけど、編集者の役割はそうとう凄いし、重要だね。
種田:凄いです、僕らを育ててくれる人たちですもの

佐藤:午前の部では、編集者が社会基盤の考え方をつくる、ベースを支える話はあったけど、建築家を育てる話にはならなかった。
一方で功罪がありますよね。流行りの波に載せられちゃう。本来種田さんが乗るべき道を誤るってこともあるでしょう。路線から逸脱している方が後々役立ったり面白い書き手になることもある。その辺りはどう考えてるんですか。

種田:僕としては逆に、凄い年配の編集者なので、その人に今更師事しようとする僕らの世代は居ないだろうと思っているんです。僕としては、よくお話しする人はだいたい80代とか70代の人で、でもその人たちの方がはるかにモノを知っている。その人たちと付き合っている方が僕としてはいろんな事が分る。僕一人としては同世代に勝てないから。年配の人たちの知恵を使って、何とか同世代の中でオリジナリティーを築いていこうという、気がしているんです
昔からそうなんですけれど、僕のじっさいの爺さん、産業技術史を書いてた。

佐藤:勝てないという言葉が時々でますけれど、ファザコンとか爺さんコンプレックスとか何かあるんだね。種田さん世代で何かに勝、必要があるのか?と、思うけど

種田爺さんコンプレックスはあります。爺さんたちのほうが凄いから、爺さんたちの考え方を途絶えさせないように、僕はどうしたらいいんだろうと思っていたので。

佐藤:酒の間に水を呑むのがいいので、水呑んでください。お爺さんコンプレックスあるんだと。

種田:そうです。

花田:昔は編集者ってそうだったんだよね。今は世代替わりしている。昔の編集者って、編集者黒子論というのがあって、表にはでないけど後ろで操っているみたいな。そういう玄人っぽい編集者がいた。
種田:まさに小川さんはそうですね。

佐藤:今日会った森純平さんは黒子か?どうかの話もしてました。
種田:森さんは名前を出して活動しているから黒子ではない。

ニッチを攻めろ

花田:ただ、彼は建築のユーザーに委ねて建築の作り手として、あまり前面に出ない。だけど実は伏線でいろいろな仕掛けをしているんだけども、俗っぽく言えば出しゃばらないっていうのかな。空間を編集していますみたな態度。控えめな立ち位置
種田:なるほど、空間を編集する。編集者として振舞っているんだと。
花田:うん、でユーザーに委ねる。とは表向きそういう顔をしているけれども、かなりしたたかで、いろいろな仕掛けがビルトインしてあって、ユーザーがそれに気付くかなーと。使いこなせるかなーとか、そういうのを見て楽しんでいる。そういう人だね。

佐藤:相当、育ちがいいと思ったけど。あのような身のこなし、構えで育つ若者には初めて会いました、珍しい出会いでした。種田さんも珍しい若者ですよ。建築学科に入って、独自路線を歩んで来ている、その豊かさを知らない人が多い。大学で学んでしまって、きちんと自分の道を外していない良さがある。

種田:それは爺さんから習った。「とにかくニッチを攻めて、誰もやっていないことをやらなければ幸せになれない」ということは爺さんから植え付けられました。

佐藤:爺さん「ニッチを攻めろ」と教えるの(笑)いいね(笑)
種田:だから爺さんも誰もやっていない産業技術史を始めたんです。産業技術の歴史なんか誰もやっていなかったですから。爺さんは化学と経営・経済学の両方でているんです。
花田:私が知っている名前では中岡哲郎ですね。産業技術史。
種田:たぶん仲間です。内田星美(ほしみ)と言うんです。産業考古学会というのを作った。

花田:中岡哲郎の本を読むと面白いよね、産業技術史って分野の話。
種田:産業技術史が相手にしているのが土木とか機械とか繊維とか鉄道とかあるじゃないですか、建築は扱わないんですって。建築は純粋な工学じゃないからだそうです
花田:なるほど。

佐藤:わかる。建築界は人も現象もごった煮でやくざな世界、工学じゃない(笑)
種田:書斎に2万冊ぐらいあったんですけど、建築の本がほとんど無いんです。僕にとっては全然、役に立たない。
花田:建築は生産技術とは見なされないね。技術史の中心は生産技術だものね。
種田:生産技術と機械。産業遺産とかをやっていて、ドイツに産業遺産の学会があって、そこの日本支部みたいなもの、産業考古学会をやっていました。

佐藤:浅古さんが来たので迎えに行きます。
花田:じゃここで、帰ります。

佐藤:今日は早朝からお付きいただいているので、疲れてしまいましたでしょうから。
花田:なんたって今日は6時に起きたからね(笑) 夜行性動物だから早朝は・・・。

佐藤:ではここで一旦、切りますね ありがとうございまいした。最後になにか質問ありますか

花田:初対面だし、予備知識もないので・・・。
佐藤:ではここで止めます、浅古さんを迎えに行ってきます。




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