20220204伊藤立平さん丸山美紀さん新田有平さんと語る
作成:佐藤敏宏
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原発事故が教えてくれた地方の豊さんとその危うさ
 後期主本主義・システムを支えるためのエネルギー政策の破綻から見えたもの

佐藤:建築家などが町づくりと称して入って行っても、地域の人も賢いから、直ぐに追い出したりはしないけど、自分たちで判断して、都合が悪くなれば追い出すと思います。役に立つうちだけ歓迎する。伊藤さんが言われるように上意下達観が無い関係の中で民衆のパワーが炸裂して、いつの間にか村境に伊藤さんが埋められちゃう、そういうことも起るわけですよ。本当に地域の人々が自らの自立しちゃうと起りますよ。したたかな点もあるので、大きな箱物を造ったりすると、現代の行政システムでは国の予算をいただいて、設計士も頂かないと手に入れることは難しい。地域の人が設計者を選んで設計の良し悪しを判断し建設なんて出来ない。そもそも地域にとっていい建築なんて日頃から考えてことないんですから。

福島県内にも放射能が降ってしまい、人が住めない土地が2011年後から11年経っても存在しています。将来も生活できない土地がある。そこは全く人が暮らせず野生の動物だけが生きている動物のためのアルカディア大地とも言えるかもしれません。人が踏み込めない悪夢のような世界がいまだ続いています。お二人に語っていただいた地方の楽しい夢のような暮らしをしていた人たちは放射能を沈着させられたことによって、地域の暮らしなどすべて蒸発してしまい被災者は貨幣経済、お金主義といいますか、お金で何でも解決しなければいけない、主体的でありますが、お金最優先の生活の中に投げ込まれてしまいました。純粋な資本主義で暮らしていかなければいけない、今までのようなアルカディアを出て移住先を彷徨っている。で、新たに以前と同様の共同体をつくるのは酷く難しいと思います。
 
図は第50回原子力委員会定例会議 一部の内容 赤茶●点は佐藤が暮す場所
2012年平成24年11月13日(火)10:30〜環境省の放射性物資汚染 対処特措法の施行チーム森下チーム長代理講演録へ
 
中山間地でお金を介さず野菜などの農産物を交換したり、結いとと言われた、労働力を貸し借りし暮らしが成り立っていたわけです。老人たちは食べ物は自給していましたので、お金にさほど頼らずも、物々交換で暮せたんです。作物に放射能も移行しますから、特に茸や干し柿などはいまだに要注意で市場には出荷できません。
伊藤さんが今語った地方の豊かに見えている人たちも、何らかの災害が起きると一瞬にして貨幣経済最優先主義の社会にぶち込まれてしまいます。そこドライなシステムが駆動しているだけですから、自己責任、個人の能力だけで生きていく術を求められる場なんですね。補償金で新しい家を建て替えても、ちっとも嬉しくなんかないし、楽しくなんかないんです。

原子力発電で地方にはいろいろな名目で助成金が落ち、一見豊そうだったが、実は原発のシステムが崩壊すると、その豊かさは一瞬にして消えてしまう。そういう気付きを与えてくれたのも原発事故の教訓の一つでした。長閑で楽しそうに見えるが資本主義経済にどっぷり組み込まれている脆い暮らし方の一面だったのです。今浸っている既存のシステムが崩落した時も一人一人が楽しく豊かであり続けることが可能なのか?そこにも視線を払いコミュニティーの中の人間関係を耕し続けられるのか?そこが肝だと思います。見た目の楽しさだけでは危うすぎます。

佐藤の故郷で実験的除染始まる
2011年10月10日福島民報








地域人々の暮らしの楽しさは豊かさは土地(風土)やそこの歴史と一体になって継続していたものだから、100km先の安全な場に移民・植民してもその豊かさは再現されない。だから非常時に遇って移民したとしても、30年から50年掛けてもとの豊かさを造れるようなロードマップも提示する義務もあると思います。放射能災害に遇って思うことです。建築で再生できるものもあるかも知れないけど、歴史や土地の豊さんはお金、資本で手に入れられないから難しいですよ。

都合の悪いよそ者は村境に埋められる。コロナとも共存する以外にないのですが、村境に埋めるのが当然の顔をして自粛警察が現れたりします。
放射能災害に遇うと、純粋単純に地方の人々の暮らしは豊かで楽しいそうに見える、とは受けとめられなくなって、へそ曲がりお爺さんになってしまいました。そこの豊かさを支えているのは何かそしてそれは持続するのか、目の前にある豊かさを支えているものが一瞬で消える、と、どうなるのか?とも想うようになりました。

伊藤さんは南相馬に入られて何をやられていたんですか?

伊藤:南相馬で、公園でちょびちょび、今は途絶えてしまっています。

 米国人にとっての スモールタウン

佐藤:新田さんのコミュニストというか、地域主義者としての考え方も面白いと思います。後期資本主義下では原発事故被災のように一瞬にして共同体が蒸発します。壊れるので次に担保するものがないとバラバラになって地域も消えてしまうよと。

伊藤さん丸山さんが地方に出て、大都会にはない不思議な豊かさを体験されたものが資本主義で造られたシステム障害で一瞬にして消えてしまうんだ・・・と言いたいだでけです。

新田:凄く難しい問題で、話を戻しますね。建築の社会性みたいな話で卒業設計でね、学生さんがコミュニティーでやるというのは確かに気持ちが悪いところがあるんですよ。というのはお前たち社会の事何も知らなくせに、社会のことをテーマに卒制するなよというのはあるんですよ。学生たちだからこそ、社会も何も知らないからこそ、篠原一男さんみたいに、ハウスイン横浜とか横浜埠頭の案とかで勝負できるのに、なぜ何も知らないくせに社会のことをやっているの?と疑問、気持ち悪さはちょっとあります。
その話で言うと、建築家って社会に貢献したいとか、建築家じゃなくってもいいんですけど、ある程度、大人になってから社会のために、自分は役に立っていきたいという感情は、これは凄く自然なことだと思います。人間の成熟してくると公共心みたいなものが芽生えて来て、お金ではなくって、世の中のために自分の力を役立てたい、という感情は芽生えるのはとても自然なことじゃないかなー、と思います。
で、建築家として、例えば寂れちゃった町があります、放射能が降ってどうしようもなくなってしまった町があります。それを建築家としてどうしましょうか?というのは凄く難しいです。
建築として何かやれる場合もあるし、何もやれない場合もあるかなーと思っています。放射能の話で言えば原発を造ったのは間違いだったということなんじゃないかと思います。
で、それは話が大きくなってしまうので置いておいて、建築として、まちづくりを何かやるというのときに、僕の感覚ですけれど、大きい箱モノをつくればいいかというと、もちろんそうではないんですね。じゃーどうするかという話です。難しいです。

絵:ハウスインヨコハマ 
  WEBより 

ここから、別な話になるんですけど、僕の従妹がアメリカに住んでいるのがいます。まだ20代とか30代ぐらいなんじゃないかなと思うんです。ものすごい田舎町にソルトレークはユタ州の州都なんだけど、車で1時間ぐらい掛かる凄い小さな田舎町なんですけれど。その人の所に遊びに行った。その時にユタ州の田舎の町に住むのと、例えば東京みたいな都会に住むのと、どっちがいいという質問をしたことがあるんですよ。私はもちろん東京の方がいいという返事が来るのかなーと思ったら、そうではなくって、僕はこのユタ州の田舎町がいいと返事をするんですよ。でその理由は凄く難しい理由です、彼に言わせると東京にはこういう町はないでしょう?日本にはこういう町はないでしょう?という理由なんですよ。
こういう町という時のこういうというのが凄い難しくって、僕の言葉で言うとスモールタウンという感じなんですよ。アメリカ人のノスタルジーックな感情を呼び起こすようなスモールタウンという言葉がおそらくあるんですよ。そのスモールタウンというのがアメリカにはあるんだけれども、日本には無いでしょうという言い方なんですね。
で、どうしようもない田舎町をまちおこししようと思ったら、このスモールタウンを造るしかないかなーと思った。それは難しい、いろんな意味で。でもそれしか道はないと思っている。僕のまちづくりというのはそういう感じですね。

佐藤:スモールタウン。なるほど。丸山さんはそれについてはどうでしょうか?

丸山:多くの地方でされているまちづくりって、そういう感覚かなーと、その場所に合わせた、もともと持っている伝統的な文化だとか、人の繋がりを確認しながら、少し移住者とかを見つけながら、何とか生きながらえさせようという、いわゆる小さなコミュニティーから始める、ということからやっているんじゃないかなーと思いますけど。何かつくるものが予め決まっているという事ではなくって、コミュニティーそのものを再生するみたいな、方法を考えるというのを皆さんされているじゃないかなーと。そういう気はしますね。

佐藤:伊藤さんにも同じことをお聞きしたいのですが。新田さんからスモールタウンという、アメリカの地方都市の町の概念が出されました。それに対応する21世紀において日本にも通用するようなスモールタウンみたいな概念というのは何となく分かるんですけど、明確に聞いたり接したりしたことはないんです。伊藤さんは消えちゃったよ、あら?・・・・消えたので、丸山さんにお聞きます。新田さんが言われたスモールタウンという概念、美波町ではどう事になりますか。理想の地域、そういうものをイメージされたり、言葉にされたりして共有されていることなど実践されていますか

丸山:う〜ん。ベースになっているのは場所で、例えば美波町は四国88箇所のうちの番札所が在ります。お寺があるんです。そのお寺から真っすぐ延びている商店街があって、かってはそれが参道だったんだけど、今はそれが廃れてしまいましたよと。それをもう一回参道的なものに修復というか、復活させながら新しいコミュニティーを強化していきましょうと、防災的な機能も加えながら、寂れ行く漁港があったりして、漁獲高もすごい少なくなっているなか、6次産業化も含めて漁村的な風景、網納屋があったりする漁村的な風景を資産として残しながら、新しい人間的なつながりも絡めていく、地域から離れない、もともと有った資産を共有しながら小さなコミュニティーを幾つかつくっていく。そういう感じになっているかなーと思います。

徳島県
赤松防災拠点施設 2017年竣工
マチデザイン 
同上内部

佐藤:伊藤さん途中で途切れました。新田さんからアメリカの従妹の方がスモールタウンという概念を持ち出されて、それを基礎に自分の人生を豊かで誇りのもてるものにしているということをお聞きして、思います。丸山さんは美波町で地域が持てた地形と歴史性と産業、お経路さんの参道的な町なみなど歴史性と絡めて、そこからもう一度地域をつくて、ある種のスモールタウンの核になるものが美波町では歴史的なお遍路さんの町というようですよね。
伊藤さんは、いろいろな地域に入って、かなりスモールタウンなる概念というのは地域ごとに違って見えていると思います。だから相対化してスモールタウンという言葉を日本の言葉に置き換えて語れる立場にもいるのではないでしょうか?そう思います。いままで関わってこられた山口や青森や福島や奈良でも、いろいろな所に共通しいたもの概念、スモールタウンなるもの基点は、丸山さんのキーワードでは歴史と産業だと思います。何か思うところがありましたら、お願いします。

伊藤:お二人の話を聞いていて思ったのは。僕としては自分ごとというか造るってことを、もうちょっと生活者に近づけるということ。何となく意識しているのかなと思ってました。それは僕が林業とか山との関わりで、そういうのに気付き始めたことも関係してるかも知れないんです。今、DIYも流行っていますし、あるいは生活の選択肢みたいなものに関して、奈良の地域マガジンで生活の仕方みたいなのを取り上げたことがありまして。上意下達じゃないんですけど、いわゆる意識せずに環境というのはこう作られているということを、自覚するというか。実は能動的よりも選択する立場に立てば生活というのは組み立てていける。ある程度造ることに関われることに興味があって。今は、福祉とか、DIYとか、木工とか、木育みたいな分野でもあるんです。木工というと近いかも知れないんです。そういう、最初は製材所みたいなものが近くに在れば、町の中に製材所というのが在って、こういうことをやりたい、できるかなということで、簡単に繋がれたのがホームセンターになってしまって。いろんな見えない部分が逆に増えてきたりしていいて。
僕が地方で感じた、先ほどいいなと思ったのは、それぞれの仕事のプレーヤーが見えることはあります。大きな所に所属するのではなくって、それぞれがプレーヤーとして立ち振る舞っている感じがある。奈良みたいな感じの大阪・都市近郊の人口の多い所で、仕事している同士が結びついていくというのが重要なんじゃないかなーと。

浅川商店平群駅前計画
奈良県生駒郡平群町
伊藤立平さんサイトより

同上内部

■ 貴方が居なくっても仕事場回よ

佐藤:生活者に近いという意味は、林業をやっている人、林業の木材を使って教育をする人、それらを実践している人それぞれ個人の人たちの顔が見えているんだと。それが豊かさであるということで、そう受け止めていいですか?
東京や組織事務所で設計し工事に関わっていると、木材を製材している人、伐りだす人、だれだか?分かりませんし、運搬するのも誰だかわかりません。素材を作っているプレーヤーそれぞれが見えることが豊かさの源だと。

伊藤:生活の豊かさかどうかは分からないですけど。少なくても自分事で、自分がこうしないと、こう成らない。みんなそれぞれ考えて繋がっているわけです。僕が最初に大きい組織設計事務所に感じていた、無力感というか

 新田 声をだして笑っている

交換可能な感じ僕が居なくってもこの仕事は回る
あるお施主さんと話ていた、その時に昔役所に勤めていたお施主さんが居て、その方が物凄いあるプロジェクトを頑張ったらしいです。頑張り過ぎて体を壊しちゃったらしいんですよ。血を吐いて体を壊して、そしたら仕事を引継いだらしんです。引継ぎが済むとちゃんと自分でしか出来ないと思っていた仕事が回っている・・・ということに気付いて、ショックだったと。
それは我々人間の繋がりもみなそうだと思うんです。自分が居なくなったら、誰かがやると思うんです。そこに関われて、絵を描いてほしいみたいなことを真剣に言われると、本気で描く。人間そうなると思うんですよ。それが楽しいと。

佐藤:伊藤さんから生活者の視線の交換というのかな、その重要性が出たんですけど、新田さんの生活者の思いというのは、何か、ないですか?


新田:さきほどのスモールタウンという話をいしたので、その補足というか、付けたしですけど、スモールタウンという音楽がアメリカの歌があるんですよ。後でYouTubeのURLを貼りますけれど、その英語の歌詞を日本語に訳した訳を今読み上げますね。
ジョン・クーガー・メレンキャンプ(John Cougar Mellencamp) という人の曲です。
歌詞は

そうだよ 俺はちっちゃい町に生まれ ちいえせい町で生きている
たぶん ちいせい町で死ぬだろう
小さい つながりのなかでね
友達も みんな ちいせいこの町にいるんだ
俺の両親も ちいせいこの町で生きている
仕事も ちっちゃな町だから ちっちゃなチャンスしか巡ってこない
教育を受けるのも ちいせい町で ちっちゃな町でイエスへの 教わる
この小さい町で 空想にふけったものさ
ぼーっと ロマンチックにひたっているのが 俺ってわけさ
ちいせい町で 見るべきものはみんな見た
この小さい町で いっぱい楽しんだよ
ロサンゼルスの お人形さんと結婚して連れて帰ってきたんだ
彼女も俺と同じ この小さい町と同化した
どこから来たんだか思い出せない
俺を愛してくれた人を 忘れられない
そう この小さい町で自分らしく居られる
俺がやりたいように みんながさせてくれる

こういう曲です




 絵: John Cougar Mellencamp
  WEBより 
佐藤:なるほど、いいですね、

新田:この曲は、でも具体的なことは何も書いてないんですよ。小さい町とはどういう町なのか具体的なことは何も書いてない。でもアメリカ人が聴くと、ああいう町ね、とういうのは皆、分かる。そういう感覚が日本でやれるのか、やれないのかっていう話じゃないかなと思います。なので、特徴であるとか、経済的な特徴とか、いろいろあると思うんですよ。歴史的な特徴とか。でもそういった諸々の要素がおそらく、ノスタルジーの中で合体している。で、そのノスタルジーが人間と土地をくっつけている。接着剤のようだなという。そういう状態をつくるという事が町づくりの本当の意味なんじゃないかなとは思っています。
John Mellencamp -

小さな街 詩の朗読を聴いて

佐藤:Small Townを読んでいただきました。面白いと思ったのは小さな街で空想して、都会からお人形さんのお嫁さんを連れて来てその人と結婚するという豊かさでしょうか。現実と空想をつなぎ合わせて、なおかつ巨大な都市生活を批判しているようです。そういう批評の仕方は面白いと思いましたし、都会に暮らしていると空想すらできないほどシステムの中で生きているのか?個々人違うのでしょうから、詳しくは分かりませんが。
丸山さんは今の詩を聴いて何か感想を持ちましたらお聞かせお願います。小さい町だと何もない?そこを空想で生き抜き豊かになれるという構えはとてもいいと思いました。空想で結婚もできちゃう。そのように転倒していく人間の面白さ、発想の豊かさというのでしょうか。そうい対処は凄く面白いと思いました。

丸山:この歌詞を書いた人は、ロサンゼルスに住んでいるんじゃないですか、と。
新田:そうかも。
佐藤:笑っている。小さな街ではレコーはド売れないしデビューできないし。
丸山:そうそう、なんだろう、教育もこの、ちっちゃな町で受けたという歌詞。その部分、その教育って、どう違うのかなーと、今、感じました。

佐藤:両親も友達もみんな仕事も小さな街に暮らしているということで、人間関係が完結している。だが大都会を巻き込んで小さな町の空想、理想を壊そうとはしてないので、好感を持ちました。丸山さんが仰るのは、作者が聞いたらよけいなこと、言ってんじゃねーよ。ばらすなよ、という感じだと思うけど。ははははは。
丸山:まあ、まあ。はははは。

佐藤:伊藤さんはどうですか。どんな感想をもちましたか?反グローバル主義というかね、巨大になり過ぎた世界に対する拒否表明でもあるし、今は一瞬にして新型コロナが爆発してしまっているから、小さな町の詩が作られた時とは、まったく違う世界が出現してしまっています。当時は工業生産が行き詰ってしまった、ポスト工業社会になっていた時だから、迷いもあっただろうし。今は小さな町にもコロナウイルスはやってきてしまいます。なかなかガードの仕方が難しい、だからこそ小さな町の豊かさを守り続けたいという感情も分かります。
新田さんの読み上げはいい感じですよね。

伊藤:新田さんは、ノスタルジー、共同のイメージみたいなものによって結びついているみたいなことを仰って。でも、イタリアの町とかに行くと、道の石畳をお婆ちゃんが拭いているとか。町、僕らの日常生活では想像できない事に、町とか自分の暮らしてるモノに思いが強いということって起きうるんだ、ということが、それをやっていく、後押しするような事は個人的には凄い、やりたいし、憧れてはいるんだけど。難しいところです

新田:難しい、たぶんSmall Townという、概念が我々の中に無いために、アメリカ人には有るんだけど。日本人には無くって。我々にも無くって、なかなかそういう感覚を掴むのは難しいのかなーと思うんです。
変な話をすると、インターネットでSNSって一杯あるじゃないですか。いろんなSNSが有って、英語圏のSNSを僕はちょっとやったことがあって、遊び半分なんですけど、うまく会話できないんだけど、ちょっと遊びで。経緯は省きますけれど、ユーチューバの人とお話をしたことがあります。
オークランドという町があるんですよ。ニュージューランドに、3番目か4番目デカイ、オークランドの人とSNS場でお話したときに、オークランドってどんな町ですか?住みやすいですか?という話をいしたら。オークランドは凄い好い所で、非常にラブリーだよと。ラブリーな都市だよと。ラブリーという単語が一杯出て来て、都市をラブリーとあんまり言わないけど、オークランドの人たちはそういう感覚を持っている、だからラブリーって日本人はあまり使わない。
東京はラブリーだとは思わないし、よく行く地方の町はもしかしたらラブリーな処もあるのかもしれないし、全然ラブリーじゃない田舎もあるかもしれないし。さっきのSmall Townという話もそうだけど、ラブリーな町というのはどこかに在るはずで、そういう町を造ったらいいなというのが、僕の中にずっとあるんです。

組織事務所を出て、ラブリーな地域をさまよう

佐藤:なるほど。歌詞の中にある幻想の町を造ってしまうぞと。そういう思いがあるんだと。伊藤さんの思うラブリーな地方、ラブリーなものを語ってもらえませんか。造ることを通して、造る顔の見える人と関わった関係で。
組織事務所に最初に入ってしまって、入れ替え可能な人間になった事もあったので、その時のことも振り返って顔が見える地方、ローカルな組織の方が良いと。
近代のシステムが作り続ける疎外感だからね。効率よくして資本を増加させる。で顔は見えなくて儲かればいい。そうして資本を投下され都市が巨大になり続けている。法律を変えて、建て替えてドンドン高層ビルも高く成り続ける。意図的にそういう仕組み。
伊藤さんは21世紀なったので資本膨張のための奴隷奉公はいやだ!と。変えるために頑張る、というふうに思っていますね。組織事務は辛かったということで、そこまでは考えていないのか?もしれないですが、地方の顔の見える暮らしが楽しく見える。そういう思いを起こさせる源を申し少し話してもらいますか。組織事務所を出て独立系建築家として活動されているんですから。

伊藤:ラブリーの思いの一つ、野に放たれてから彷徨っているうちに、そういう人たちと出会うことが多くって。その人たちの影響もあるんです。ある林業家さんと出会ったりして、その方は山を持っているわけです。山というのは、勿論所有物でもあるけど。大きいですし、昔から共同で山に入ったりして手を入れるみたいな歴史は長くあるんですけれど。それがどうしても、ある時期に経済の切断、佐藤さんがおっしゃったような原発問題じゃないですけど、地域を壊すような。昔がいいかどかは分からないんですが、ある変革が起きてなかなか、もう一回行き着けないところに、丁度バブルが終わった僕らぐらいの世代の、新しく山を考えていかないといけない人たちと出会うと、似たような問題意識を持ってるわけです。
そういう方々がいろいろ繋がっていって、今そういう人たちと付き合をしながらいろいろ議論重ねてるんです。福祉とかあるいは、我々に近いモノ造りの人たちとか、エネルギーとか、あるいは山に入る人たちもいる。
そういう人たちの会話を聞いていると、自分たちのやっている事が新田さんが仰っているラブリーという、自分たちを思えるような、繋がりを生み出しそうな、場面にたまに出会うのです。そういう人たちとやると、そういうことが出来るんじゃないかという、ちょっと希望は持っています。どうなるか分かりませんけど。

佐藤:組織から出て独立系建築家として設計事務所を開所された。そのことで俺のような変なオジサンに出会ってしまったり、山持や山守の方々に出会ったりしたと。一人一人の顔が見えてくることはとても豊かさを感じるということですね。

伊藤:そうです。

佐藤:発注する人の顔も、造る人の顔も見える。SNSに投稿できにくくなるほど密接で親密な関係になり、仕事を成していると。組織で設計している場合は、個人が前面に出ることはないので、現在のような親密で継続的な関係は生まれ難い。SNSを使って投稿すると上司から叱られてしまうでしょう。組織の一つの部位や部品として動き振舞うことしか許されない。
組織から出たことによってラブリーな関係とは何かを想うことができるようになった。これから親密な関係が出来た人々の暮す地域をどうやってラブリーな場にしていくのか、と悩まなければいけない立場になったと。それが豊かであると。そういう事態は愛すべきものだとも思います。伊藤さんの話をお聞きしてそう思いました。組織を脱出したからこそ、その先に豊かさを教えてくれる顔の見える人々がいるんだと。スモールタウンという概念はまだ掴めていないけど、造ることに一生懸命になっているからしょうがないと思います。
丸山さん、伊藤さんの変遷をお聞きしてきましたけど、丸山さんは学生時分は優秀だった伊藤さんの現在の悩についてはどんな感想をお持ちですか。 (右と下絵:WEBサイトより

丸山:そんなに悩んでいないんじゃないですか、そんな気がします。学生の時の私の一方的な印象では、伊藤君が作る作品というのはオーセンティックで、上品な。名建築的なものをイメージして制作していたんじゃないかなと思うんです。けど、実際造っているものと学生時代に作っていたものは全然印象が違うなと素朴な感想があります。
それは地域、作る場所、造るものも違うな、という気がしています。それぞれの場所でいろんな人の影響をいい意味で受けているのかしら?と思いながら。直接はいままで話したことが無かった。そういう感想を持っていました。

佐藤:伊藤さんも地域に育てられちゃっているんだよと。
伊藤:そうですね。
佐藤:限界集落のような状況を抱えている地方に行けば行くほど、気付かされるという事が多くあったわけでしょう。

伊藤:ありました
佐藤:スモールタウンのような概念の境地までは行ってないけど、今、芽吹きつつあるんだと。現在は50才ぐらいですか。
伊藤:47才です。

■ 2022年 これからの夢などを語る

佐藤:これから20年ぐらい経つと違った境地に立っていることでしょうから、ここからは、3人のこれからの夢や希望を語っていただき、今回の3人で初回のZOOMをお仕舞にしたいと思います。とりとめもない感じでもありましたが、各人のこの十数年間の変遷をお話いただいていると思います。東京工業大学を卒業されてから、今日、初めて話合ったんでしょう。

伊藤:初めてです。

佐藤:初めての話し合いにしてはまとまってきた、と思います。2022年、あるいは新コロナ前と後に分けていただいてもいいですが、これからはこんな感じで仕事を続けていきたい、そういうことがあればお話いただけますか。無理に絞り出して語っていただいてもかまいません、記録しておきますので。5〜10年後にまたお話し合ってみたいと思います。
では伊藤さんから話ていただけますか?無いならないでもいいんです。どうぞお願いします。

伊藤:無責任に言っちゃいますと、奈良の人間関係が出来てきた所だと僕は思っているんですけど、共同体主義と言われるかは分かりませんね。コモンみたいなやつの、山版というか、都市近郊の山を皆が価値を共有して、山周辺の生活を繋げていくという息の長いプロジェクトがあるので、公園と言い換えてもいいんですけども、それを中心とした人の繋がりを作っていく、人づくり。そこに仕事もあることを実現したいということが一つ。

もう一つは山間部で地産地消建築というのを何個かトライしてみて、挫折もしているんですけど、それをもう少し。地域は、今地域おこし協力隊とかいろんな若者が移住したりとか、いろんな方々がいるので、そういう人たちの、活躍できる場所としても、地産地消というのはもっと、新しい形で実現するんだと思うんですね。コロナの感じで、移住していままで通り都市部の仕事を持って行ったりする人もいるので、そういう人たちを考えると、地域でしっかりと、構想しながら作ってくださることが可能になるのではないかと、その2点に注目しています。

佐藤:身近な、近郊にある山守しながら都市や近郊の人たちがフォロアーになってもらって、若い人のために地域や仕事をつくって、人づくりも支援し続けていこうと。そうするんだということですね。
伊藤:そうですね、ファンになってもらってということですね。

 (下絵:WEBサイトより

佐藤:
独立系建築家の役割というよりは、何て言ったらいいんでしょうか?

伊藤:建築家は雑用的に一杯要るんですよ。雑用係みたいな感じで、今も開発をやっている、別の用途のものをエリアごとの開発で別の用途に転用したり、法的な雑用というのがありますし、細かいところでの、これが要る、あれが要る、結構要るので、雑用的に使っていただくというスタンスでいきたいなーと思っている。

佐藤:ボランティアをするということですか?
伊藤:仕事として、それなりの理由を立てて説明しながら。
佐藤:スポンサーは森林組合になるんですか?

伊藤:事業者さんですとか、社団法人さんですとか。

佐藤:山関係の人々とつながっているということですね。
伊藤:そうです。完全に民間の仕事に近いです。

伊藤さんのこれから

佐藤:
2021年9月前の俺様ZOOMで神奈川県山北町で林業見習いしながら林業の課題など記事を書いている元高知新聞・記者の方とも語り合いました。日本の林業は急傾斜での仕事が多くとても危険であると。また、山が荒れてしまっているから、間伐とか倒れた木を処置するとかいろんな仕事があるが従事する人が少ない、人が少ないから票が稼げないので政治家が目を向けないと。そうい困難な状況を語っていました。
地産地消と同時に山守として近郊のフォロアーを動員を仕掛けるんだと。アイディアとしては面白そうですね。まだ方策は考えていないんですか、企業秘密ですか。

伊藤:なにかファンというかフォロアーを作るための仕組みというやつと、実際の生業として日常にしっかり、利害関係も含めた地域ならではの、そういうものと二つあって、両方をやっていかないといけなくって。両方をつなぐ処に建築を役立てる感じがありますね。行政とつないだりすることもあるんです。

佐藤:従来の図面を模型をこつこつ制作し続けてた建築家とは違うけど、多様な領域の橋渡し役活動しながら、一緒に地域を豊かにしていくと。そうして、ラブリーな場を増やしていくと。そういう社会参加の仕方で、自分たちが考えている豊かな暮らしを地産地消型をもって作っていこうと。大いに期待しますが、その時に伊藤さん自身が俺は建築家であったということを忘れていくんだという気はします。

伊藤:そこが難しい、建築の話にあまりなっていないんですけど、そこは難しくって悩んだんです。そんなところです。

佐藤:日本の中世の僧たちは建築も造っていたし天皇とも関わって鎮護国家を支援していたし、福祉的活動も宗教普及活動もしてたり、などして地域づくりも人々を救う活動してましたしいました。この間の150年間の近代的建築家像は1970年代でお仕舞で、今はさらにターンするしかないことが明快になっています。いままでの少しの間が特殊な建築家像だったということです。伊藤さんが悩む必要はなく、今の活動を継続することで、いいのではないかと私は思います。




 坂巻陽平著『「中山間地を維持するための処方箋〜優秀な林業従事者を散りばめよう』

丸山さんのこれから

佐藤:丸山さんの今後数十年先のことなどを、今までを振り返ってこの先の事もお話お願いします。
丸山:神奈川大学は工学部から建築学部になって、ファブラボ的な工房が出来るんですよ。そこでやる、もの造りの授業を担当することに、今年の後期からですが。その中で、週一回で、最近の学生さんと付き合っていて、気になることとか、学生さんの元気の無さみたいなものは気になっていて。こんな私みたいにぶらぶらしててもちゃんと生きているんだよと、いう。

佐藤:ぶらぶらでも生きていけることを伝授すると、素晴らしい。
丸山:その見本だし。学校に行って学生と付き合えたらいいなーと思ったりしています。その中で、そうは言っても非常勤なのでどの程度ことが出来るか、どれくらいいるのか分からないんですけど。せっかく工房みたいな開けた場所が出来たので出来ればもの造りに自分の手を使いながら考えていこうと、しばらくやってみようかなーと思っています。

佐藤:こんな建築を造りたい、というのは無いですか。
丸山:建築はそういえば十数年前に佐藤さんと話した時に出ていたと思いますが、その時は、同じようなことを聞かれていて、こういうのが造りたというのは無いんだけど、こういうのは造りたくないのはありますよねと話をしていました。
あれから何軒か造ってみて、自分が造りたいものって何なのかなというのが何となく分かってきたなと思うんです。さっきの美波町のような歴史とか文脈みたいなもの接続という部分をやりたいと。自分は重視しているんだと思うなという気がしています。
地域の町づくりの話でも、地域の人の顔とか個人が直接つながることの良さとか大事さといのがある一方で、自分の子供世代、次の世代、その次の世代に残していけるものというのは、同時代の事だけでは、そこだけに目を向けていたのでは足りないものが出て来ちゃうだろうなと思います。そういう時に振り返る、前の世代、その前の世代をふりかえって、仕事していくとか。今の人たちには理解されなくっても次の世代とか、その先の世代の人には理解されているんじゃないかぐらいな、ロングスパンで何かを考えていけたらいいなーと思っています。美波町については特にそう思っています。

佐藤:美波町で活動することで、歴史的視線と建築造りへの眼差しが融合してきて、自身の仕事もそういう視線で見ることが出来ていると。これから、若い人をどのように指南されていくのか楽しみです。では新田さんお願いします。

新田さんのこれから 自転車

新田:特にお話できるようなことはないので、週の半分ぐらい自転車の乗っているんです。
佐藤:小田原あたりまで自転車を漕いで出かけているんですか
新田:小田原までは行ったことないですけど、平塚までは行ってますね。
佐藤:どんどん健康になりますね。
新田:凄い健康的ですよ。夜はバトミントン はははは。
佐藤:運動しすぎじゃないですか。

新田自転車はすごい自分に合っているのでこの先も乗るんじゃないかなーと思うんですよね。
佐藤:ママチャリに乗っているのではないですよね?
新田:ママチャリではないけど、いわゆるロードバイクというレース用の自転車でもない、その中間ぐらいの自転車です。

佐藤:ヘルメット着用して乗ってるんですか。
新田:ノーヘルですね。
佐藤:危ないじゃないですか。
新田:凄い危ないですね。
佐藤:国道1号線を突っ走ったりするんでしょう?
新田:そうです、産業道路みたいなデカイダンプが行き来してます。
佐藤:風圧で吹き飛ばされそうですね。
新田:いつか死ぬかなーとは思います。

佐藤:中途半端に怪我すると困るよ。へルメットぐらい着用しなさい。
新田:中途半端はいやですね。
佐藤:50過ぎると男性更年期障害も起きますし、方々老化しますから。目も弱って視力も衰えますから、自転車のスピードに身体が追いつかないようになりますよ。

新田:ふふふふ。
佐藤:そういうことで、新田さんは自転車に乗りまくって暮す人生ということで、これから楽しそうですね、忌野清志郎の老後も自転車に乗っていたので似るかも。
新田:はははは。











■ お互いへの質問

佐藤:もう少しでお仕舞にします。すこしそれぞれに質問したことが残っていましたらお願いします。 3時間経ちました。伊藤さんどうですか。

伊藤:本当はもうちょっと、お二人の取組みを具体的に本当は知りたくって、丸山さんが前に、震災の時にみんなの家とかお手伝いされていました。
丸山:行ってました。
伊藤:凄い、評価をされている方が何人かいて、構造の桝田さんとか。
丸山:初めて聞きました。
伊藤:そうですか。また聴いてみたいなと、今日は時間が無いので。
佐藤:まだ続けても問題ないですけど。3時間話したから疲れるでしょう

 みなさん笑っている

仕事などの邪魔になると悪いから、遠慮しているんだけど。

丸山:みんなの家って、宮城県仙台の集会場。
伊藤:そのときに家具とかいろいろ
丸山:そうです、あのときは企画が伊東さんがいわゆる、みんなが、さっきから言っているノスタルジックな家みたいな形で集会場を。仮設住宅地の中に造るという計画で、それで熊本でもやっているので、続いている活動の一番最初のモノですよね。その時は資材も熊本からの人たちが、アートポリスの関係で伊東さんが。それがあって、いろんな種類の、幅も直径もいろいろな種類の挽かれた板から、学生たちが現地で造れるような、家具。というので、設計したんですね。それは曽我部研の活動の一環でしたけど。
学生と一緒に行って、造りましたね。今でもそのまま使われていますね。
マンパワー有るといいですよね。学生さんが行くと。被災地の方たちにどれぐらい役に立ったかは分からないんですけど、それでも一瞬でも、ちょっと人気があって。学生さんが何もわからない状態で田舎に行くっていうのは何かいい企画だったなーと思っています。

伊藤:いいですねー。
丸山:徳島県にも連れて行って何かやったりしています。
伊藤:なるほど。
丸山:意外に学生さんも素直に地元の人に怒られるんですよね。凄い理不尽に怒られる。ちょっとフォローした方がいいかなーと思いながらも、自分の立場を意外とわきまえて、素直に罵詈雑言を浴びて。
伊藤:丸山さんもそこで、間に入って、楯になったりとか。
丸山:必要に応じてですね。バランスを見ながら対応してました。

伊藤:なるほど、ありがとうございます。実物を見たいんですけど。どんな感じだったのか見たい。
佐藤:新コロナに遭ってしまったので、リアルな場で東日本大震災をふりかえるために、現地に集まって語り合うのはまだ時間がかかりそうですね。

丸山:スペイン風邪のことを思うと5年ぐらい掛かりそうですよね。
佐藤:検査体制と予防注射と飲み薬ができれば、インフルエンザのような5類の対応になるだろうけど、時期はまだ分かりませんね。新田丸山さんの自邸には私が一泊させていただけるような部屋はありますか?
丸山:家は畳敷なので、合宿場みたいなはははは。
佐藤:次回の語り合いは伊藤さんと私が、丸山・新田家に泊めていただいて、語り合うということで。

 丸山 はははははは

伊藤:そうですね、はい。
丸山:横並びでよければ

  

  

 絵 4枚 マチデザイン より

伊藤
:今日は新田さんのマチデザインの共同のイメージがあるという話だったんです興味深くって面白かったですね。考えたいなと思います。新田さんとは鎌倉でまたちょっとお茶したい場所もあるので、前ラインで言ったじゃないですか。

新田:俺が行きたいと言った所?
伊藤:はい。
新田:そうだな、そこにね、季節が好くなったらね。

 佐藤がWEB記録に付けるデータなどのお願いしている

佐藤:新コロナ時代の神奈川つながり仲間でワイワイ記録になります。次回は新田丸山さんお家に伊藤と佐藤が押しかけてオープンハウスをしていただきまして、泊めていただき建築を十分に味わった記録を残したいと思います。今日は長時間お付き合いいただきありがとうございました。さようなら

 一同ありがとうございました

新田有平さん推し曲

22年ぶりに同窓生が集まって語り合う2022年、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 文責:佐藤敏宏         01 02 03  HOME 

参照 WEBより 

Well I was born in a small town
And I live in a small town
Probably die in a small town
Oh, those small communities

そうだよ 俺はちっちゃい町に生まれ
ちいせい町で生きてる
たぶん ちいせい町で死ぬだろう
ああ 小さい繋がりのなかでね

All my friends are so small town
My parents live in the same small town
My job is so small town
Provides little opportunity

友達もみんな ちいせえこの町にいるんだ
俺の両親もちいせえこの町で生きてる
仕事もこのちっちゃな町だから
ちっちゃなチャンスしか巡ってこない

Educated in a small town
Taught the fear of Jesus in a small town
Used to daydream in that small town
Another boring romantic that's me

教育を受けるのも ちいせい町で
ちっちゃな町でイエスへの畏怖を教わる
この小さい町で空想にふけたものさ
ぼーっとロマンチックに浸ってるのが俺ってわけさ

But I've seen it all in a small town
Had myself a ball in a small town
Married an L.A. doll and brought her to this small town
Now she's small town just like me

ちいせい町で見るべきものはみんな見た
この小さい町でもいっぱい楽しんだよ
L.Aのお人形さんと結婚して連れて帰ったんだ
今じゃ 彼も俺と同じ でこの“ちいせい町”と同化した

No I cannot forget where it is that I come from
I cannot forget the people who love me
Yeah, I can be myself here in this small town
And people let me be just what I want to be

どこから来たんだか思い出せない
俺を愛してくれた人を忘れられない
そう このちいせい町なら自分らしくいられる
俺がやりたいようにみんながさせてくれる

Got nothing against a big town
Still hayseed enough to say
Look who's in the big town
But my bed is in a small town
Oh, and that's good enough for me

でっかい町に歯向かおうって気はないよ
俺みたいな田舎モンも
でっかい町には誰がいるのか
口にできるまでなったってことだよ
俺の休むベッドはこの小さな町にあって
ああ そいつが俺には合ってるってこった

Well I was born in a small town
And I can breathe in a small town
Gonna die in this small town
And that's probably where they'll bury me

ああ 俺は小さい町に生まれ
そしてこの小さい町で息をしてる
死ぬのもこのちいせえ町んなかで
たぶん この町で埋葬されるんだろうな


(Words and Idioms)
have a ball=大いに楽しむ(enjoy oneself greatly)
hayseed= 【名】〈米俗・侮蔑的〉田舎者,干し草の種

日本語訳 by 音時