20220204伊藤立平さん丸山美紀さん新田有平さんと語る 作成:佐藤敏宏
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1994年東京工業大学の様子

佐藤:1人で独立系建築家になって押し黙っては仕事頼まれないのね。分かる、建主さんとにらめっこしてても仕事来ないよね、
伊藤:喋らないと仕事はこないです。 

新田:にらめっこしてては仕事来ない ふふふふ。
伊藤:しかも関西はある程度落とさないといけないし、僕が落とせるわけもないんですけど。抑揚をつけないと話にならないですね。

佐藤:なるほど、もうかりまっか?ぼちぼりでんがなーの環境に喋りを鍛えられたんだと。
伊藤:はい。

佐藤:新田さんはマイペースで大学の環境だって軽く拒絶していました。が、大変身したのでこれからも楽しみですよ。三人の近況のことが何となく分かったところで、今から大学、東京工業大学の話に戻りたいと思います。入学したのは30年ぐらい前になのでしょうか。そんなにならないかな・・・入学したのは何年でしたか?1995年ですか。

丸山:94年ですね。
佐藤:阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が起きて、Windows98が爆発する前年ですね。
丸山:そうですね。
伊藤:そうです。

佐藤:冒頭に伊藤さんが東京工業大に当時は女性がほとんどいなかったと。私が聞くところでは、今は4割ぐらいが女性だと。さらに女性の方が優秀に見えます。卒業制作コンテストなど見ているとそう感じることもあります。
社会に出ちゃうと建築の世界は男が主導権を握るかのように男性がメインになっている、特に政治家の世界は酷く男性だらけです。建築の世界で女性が表にでてこなくなる。学生だと女性が優秀なんだけど、卒業して10年ぐらい経つと消えていってしまうのか?目立たなくなります。なんで・・・だろうか?気になるところなんです。

その話にいく前に、当時の、丸山さんから見た男社会の東京工業大学に入学した時の様子ですね。男性だらけで気持ち悪くなかったですか?

丸山:私が大学に入った時は化学学科だったんです。入試の点数で振り分けられるだけなんです。2年生からは転移しました。でその中でも雰囲気は違っていて、東京工業大学の建築は比較的特殊な感じはありました。東工大全体として見ると そうでもない
 














地図絵:WEB地図より

佐藤:篠原一男さん居たりして、あ!1986年、定年退官でした。ですが男性のトイレだけで、女性用なかったんじゃないか?建築に女性がいない、そういうイメージがありました。トイレが無くって困ったんじゃないかと。そういうイメージがありますが・・違ってますか。

丸山:女性用トイレもあったし、人数は少なかったので、いつも空いてましたね。数はあったと思います。
佐藤:女性の先生は居ましたか?
丸山:助手の方では女性が何人かいまいしたし、今はたくさんいますけど、教授は居た?
新田:女性の?
丸山:一般教養とか教えるてる授業の非常勤の先生とかは女性の人が居たと思うんですけど。
新田:建築学科の先生、みな男だったよね。
丸山:うん、女性は1人も居なかった。

佐藤:今でも他の大学でも建築の先生は女性は少ないと思いますよ。(土木・建築14.6%)女性が多いなと思うのは美術館の学芸員ですね、彼女たちも博号もっていそうです。あの領域は女性が活躍していると思いますが建築学科はどうなのか?分からない。
女性のスター建築家も少はいるけど、男性に比べたら少ないと思います。

丸山:全然多いんじゃないですかね。
伊藤:でも優秀者って女の人多かった、先輩も同期も含めて優秀者は多かった気がしますね、それは1995年から女性が優秀なのは変わらないかもしれない。

佐藤:でも今は同期で優秀な女性の多くは消えてしまっているのではないですか?
丸山:我々の同期の当たりだと皆さん身体を壊したりとか、そういう事情で、だから女性ならではの生真面目さみたいなものが好くない方に出ちゃったりするのかなーとは想ったりしますね。当時はハードワークが当たり前だったし。 

佐藤:ハードワーク、だから女性が働きやすい学びやすい環境ではなかったという事ですね。子供を産むの・・・どうしようかと。まったく女性の特性に配慮されてない学びの場だったんですよね、今でもそうかも知れない。
当然、男性と同じように働けと。女の特性なんか知らんわいと配慮してない、建築業界は今でもそうかもしません。

丸山:今でもそうなんじゃないですかね。

 (絵:理工学分野における ジェンダーバランスの現状と課題 令和2年(2020年)6月5日日 本 学 術 会 議
 第三部 理工学ジェンダー・ダイバーシティ分科会 PDFより)


絵など男女共同参加局より

我が国の女子の科学的リテラシー及び数学的リテラシーの点数は,男子に比べると低くなってはいるが,国際的に見て点数が悪いというわけではなく,むしろ諸外国の女子及び男子よりも高くなっている。
■ 学びと労働環境、女性にとってどうなの?

佐藤:調べたことないんで、推測です。社会に出ると建築士でも男女の賃金格差、今でもあるんじゃないかな。学校の教員を含む公務員は同一賃金でしょうが、会社員になると女性の方が低賃金じゃない。アトリエ系設計事務所の労働環境を比べたら、ブラック企業並みだったりするのではないかな。そうだとすると他産業のアンバランス比を批判することは出来ないんでしょう。けど発注者からの請負い仕事で成り立っているだろうアトリエ事務所は労働環境はいいとは思えないです。不動産など資産をたくさんもって潤沢な資金でアトリエ設計事務所を経営している人いるかもしれない。
丸山さんに当時の大学の環境を聞いているのは、その当時は女性が少ないから男に合わせて学んでください、そういう考え方を引き受けてしまったのか、女性が少ないのは気に成らずに学んでいたのか。アンバランスの遺産をいまでも引き継いでしまって、当然なのか?と考えてる女性も多いのか・・・かもしれない。で、女性で男に混じって学んで辛い思いしたことがないか?卒業設計が始まると夜通し作業する、学校で床に寝て制作したりすると聞いてますが。女性でも床に寝たりしていましたか。

伊藤:そういえば丸山さんの卒業制作スタイルは知らなかったんですよ、徹夜とかしてましたか。
丸山:徹夜してましたね。卒業制作の時は製図室で寝袋で寝てましたね。その当時は、男性に負けないように、とも思ったことないですし、何も考えずにそういうものだと思って、卒業制作をやっていた、ところもあります。だからそれは、今思えば無批判に受け入れていただけなんだと言えなくもないですね。

佐藤:伊藤さんは同期の女性たちが床でゴロゴロ寝込んでいるのを見ていたことはないんですか。
伊藤:あんまり記憶が、男性女性で見てなかったような気もしない。
佐藤:女性だと思って見てない、扱ってないということなんですね。
丸山:そういう意味だと1/10ぐらいなので、意見を言えないぐらい少ないですからね。ははははは。

伊藤:僕の周りには女性がいなかったりしたかもしれない。女の子は固まっていたかな
丸山:あいうえお順で製図台使っていた。伊藤は前半の方で前、丸山は後半の方。たしかに女の子は固まっていたかも知れない

佐藤:しつこく聞いているか?と言いますと、人口比で女性の方が少ないとはいえ、建築家は快適な空間をつくろうという割には、足下で共に働いている女性の労働環境を考慮しない、気にしないでいるのを見て、いい加減な人たちなんだなーと思うんです。女性にとって快適な空間を提供することはできるのだろうか?と疑問に思うことがあります。

丸山: 
その話いいですね ふふふふ。

伊藤:本当にそう思いますよ。

 表:男女の雇用格差と賃金格差 阿部 正浩
(獨協大学助教授 PDFより 2005年


佐藤:今、女性建築士や建築家の労働環境は酷くないか?または男性は脳の片隅でも考えた事ないんじゃないか?と。丸山さん自身もそういえば男扱いされていて、疑問に思っていなかったことが分かりました。それで何が悪いのか?そういう環境だから当たり前でしょうと受け入れ過ぎている点がある、そのことが分かります。
で、学生時代には優秀な女性がたくさんいるんだけど、丸山さんが話されたように体調を崩したりして、更年期障害だと、女性の方が酷い症状を10年ぐらい続く人もいますから、男性と同様に徹夜を含めて働く環境では酷すぎると思います。出産し子育てする、そうすると育児で休んだり、育児しながら設計したりすることになります。子供を生むことを端から断念している女性もいることでしょう。建築界で働こうと思う女性にとってはそういう状態は酷だけど解決されずに放置されている。大きな課題がありそうなんです。でも内部から語られない。だから顕在化しない。人間として守っていかなければどうにも快適な労働環境にはならないんじゃないかと。
大学の建築教育の現場では、女性に対する環境整備について配慮されていなかったのか?されていたのか?そこをここで確認しておきたいので、お聞きしました。




丸山美紀さん推し曲
フジファブリック 花屋の娘

丸山:東工大の教育の中では、性別についての話は一切無かったと思います。
伊藤:そう無かった。
佐藤:現在、神奈川大学の生徒は男女比はどういう割合ですか?

丸山:半々まではいかないかなー。建築学科全体で75対25、デザインコースで70対30ぐらいです。神奈川大学に限らず、全国的に工学部から出て建築学部をつくろうとしてて、それで、女性を入れようという動きはあると思います。

佐藤:もう一つの点、活躍していた女学生たちが卒業して建築界から消えてしまうこと。それから東京工業大学はサラリーマン、会社員設計士になる人が多いのか?今日集まっている面々は独立系建築家たちだから、サラリーマン建築士、中でも女性の建築士のことなど気にしてない。そういう女性の存在すら知らない。
「311を語る」と題し福島県職員、建築系の方々の聞き取りを1年ほど実施しているのですけれど、職場に技術職の女性は数名しかいないんです。とても少ないんです。聞き取りし始めた時には女性職員に女性に興味がなかったんだけど、最近いろいろな人の話をお聞きしてい,女性のことに焦点を当てたいと思たりしてます。

またZOOMでワイワイしていると大学でキャリア教育というを実施してて、会社に就職することが大学に入ることで一番優先される目的になっていることのことでした。
自由な建築的思考教育とか交流の場を作りにくいかもしれません。キャリア教育は10年以上前から行われていると思います。女性の学生は丸山さんのように理解あるパートナーを見つけて共に活躍できる環境を手に入れている人は稀で、そうなると女性は仕合せなことだと思います。そうとばかりはいかない、どうしても建築界というと議論したり、1人の優秀な人のアイデアをマンパワーで支えて色々な人々と関わって建築を造りだす、そういう労働形態、女性には酷な環境になると思います。そういうことで徐々に女性が邪魔者扱いされたりし易くなるかも知れない。
女子学生の方が真面目に学ぶようにも思います、でも数十年経つと消えてしまっている。

丸山:女性たちは真面目です。

佐藤:今後の少子化社会では、消えて行ってしまっていた、真面目な女性建築関係者と、どうやって協力して建築を造るのか?そこも大きな課題になると思います。
1994年当時は女性につては何も考えずに、丸山さんとういう同期東工大のマドンナを2歳上の新田さんに連れ去られえてしまったよ〜・・・・ということでいいのかな。

丸山:それは置いておくとしても、特に、男性学生は・・・ハウリングしてて聞き取れない・・・むしろ性別の話を意識せずに議論できることは素晴らしいという、ニュアンスだったと思います。

伊藤:僕も意図的に同列というか、対等にというか、そういうフィルターを掛けずに建築の話が出来た大学ではないかなーと思ってましたし、今でも思っています。

佐藤:聞き取りしてて分かることは大学ごとに大方男性で固まって人間関係が出来てしまっているということです。同期と先輩、後輩では階級がはっきり固まっている。で意外に他とは交流が少ないんですよ。今日もそうです同じ研究室仲間との交流が主になる。新田さんが2歳上で伊藤、丸山の面倒を見ている。社会に出ても先輩が偉そうで後輩が召使になる構造になっていますね。優秀な奴は年下でも優秀として扱えばいいんだけど、不思議な階級制度があるんです。

丸山:いまだにそんな上下関係が厳しい大学はありますか?

佐藤:私が聞き取りしているのは、Z世代の人は居ないんです、ミレニアル世代も少ないです。ですから、現在の大学での人間関係については分かっていません。私の聞き取り対象者は30代以降で独立系建築家を聞いているので、現役の大学生たちがどういう人間関係をつくっているのかは分かっていません。ミレニアル世代の人がようやく聞き取り対象となってきた感じです。
聞き取り始めて20年にぐらい。現在40〜50歳の人が多いです。丁度大学の先生になったり、軌道に乗って有名建築家と呼ばれ活躍するようにはなってる人たもいます、そういう人たちしか知らないんです。去年の10月ZOOMで25才の方と初めて語り合う機会がありました。が、Z世代の人たちは5,6年経たないと聞き取り対象にならない。で、交流の場がないので分かってないです。今後は努めてZ世代とも関わっていきたいんですが・・・。彼らにも、大学に内にあった上下を持つような人間関係は今どうなっているのかなーと、気になっている点の一つです。




伊藤立平さん 推し曲
宇多田ヒカル『One Last Kiss』
映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に書下ろ曲
新型コロナ襲来以降の3種類以上の授業形態

佐藤:新型コロナに襲われて思うのは、オンライン、オンディマンドとリアルな教室で3種類の人間関係で授業を受けているようです。ですから以前のような研究室でお酒を呑んで上下関係が生まれるような人間関係で、もまれてから社会に出ていくというのが無くなるんだと思うんです。旧来のコミュニケーションを受けて育つ、熱苦しい人間関係は少なくなるんだと思います。
学生も家をでて大学には行くんだけど、隣の教室、あるいは図書室や食堂でオンライン授業を受けている、そういう学生も居ると思います。不思議な距離のある、それぞれが好みの距離が保てる人間関係がつくられ場を選んで授業をうける、そうなり始めているんだと思います。新コロナによって新しい人間関係がつくられつつある、そういうふうに思うんです。
ここからは新田さんが活躍する時代になるんだと思います。鍵っ子で1人で遊んで、1人で学ぶのは子供のころから新田はやっているわい!と。人間はあまり好きじゃないよと。時々大学に行く、そういう行動が定着するのでしょう。新田さんの様にナイーブな大人になった人は、授業はオンラインで受けるけど教室や研究室には行かない好みの場所で受ける。だけど、同じ講義は隣の図書館でオンラインで聞いても、気に入ったら何度もオンデマンドで3回ぐらい聞くと。授業内容を細かく分析して論文やレポートを提出する学生もでてくることでしょう。学び方も、人間関係の作られ方も複雑多様になってきていると感じます。
だから今後は面白いとも思います。酒呑んで皆で肩組んでやるぞーという雰囲気はもう作れないんだと思います。新田さんのように個人的は興味に浸り深めていく学生が多くなるのではないでしょうか?オタクが高度に深化する、それぞれの学生の楽しみ方をつくりたり、選択できるようになったんじゃなかと・・・そう思って観ています。
丸山さんの大学でも授業の受け方などは新型コロナで大きく変化したんだとおもいます。

丸山:そうですね。

佐藤:リアル授業になっても1割ぐらいしか教室の授業に出席しないとも聞きます。
丸山:オンラインもやるし対面も同時にやる状態になっていますね。

佐藤:オンデマンドは動画撮影技術と手間がかかるからやらないんですか?
丸山:オンデマンドの動画もあります。今の話のように選択制ができるので、学生が主体的に学びの意欲を燃やしているような機会が増えればいいなーと思う一方で、ただ単に・・・支援を得られる情報みたいなものが、落ちやうと思っています。そういう意味ではただ単に(リアルの教室へ)能動的にアクセスしなくっても、ちょっと目に入るだけでも先輩いたなー、みたいなので教えられ上達してたり刺激を受けてた・・そういうのなことが無いので。それが凄い変わっていて、人からの、感覚的になすことは皆さん対面の授業が整備されればいいねが。完全に再開して前のような授業になったとしても、なかなか元の教室の感じを取り戻すのって5年ぐらい掛かるかも知れません。そんな感じはしてます。

佐藤:丸山さんのおっしゃるような元の授業風景には戻らない気がします。どこからでも学びやすければ学生は年齢や地域を問わず増えるかもしれませんよ。先生と生徒の垣根のないメタバース建築大学が登場するかも(笑)

丸山:いずれにしてもいろんな人たちの事情があるので、選択制の道は残されると思うんですけれど。それでも、本当に図面の描き方からして完全にデータベースになってしまうので。その辺はどうしてもオンラインだけだと伝えられない処はありますよね。

佐藤:なるほど。

丸山:スケールが伝えられないんですよね。それは難しいなと皆さん思っています。いろんな工夫をされていると思いますけど。

新型コロナ下でも建築家の現場監理はオンラインなしよ

佐藤:伊藤さんは現場監理はどうしているんですか。
伊藤:僕は超現場主義ですね。現場好きの人しか周りに居ない。オンラインでは何もやっていないです。全部現場です。

佐藤:新田さんは自分の家を造る時はどうしたか?自邸はいつできましたか。
丸山:2011年。
佐藤:新型コロナ襲来よりは前でよかったですね。

新田:現場に行きますね、現場に行った方が早いし。

佐藤:新コロナを気にしていたら現場が動かなくなってしまそうです。気にしないで働いている人多いのでしょうが、気にする人に新型コロナ気にするなと言っても無意味ですので、それぞれの対応が難しいですね。
伊藤さんは新型コロナが襲来したけど、暮らし方は変えてないんだと。

伊藤:新型コロナに関しては思うことは山ほどあるんですけど、あまり個人的には全く変えるつもりはないです。
佐藤:スカイプはあったけど、多くの人と同時に対話、ZOOMが出て来て、これもいいなーと思っています。老人になってしまったので出歩くのも面倒になりつつあったから、これは便利だとも思っています。
残念なのは、丸山さんと新田さんの自邸まで行く道程を楽しんだり、実見してみないと分からない点を落としてしまいます。写真を観ても分からな点も多いので、オンラインは寂しいなーとも思います。手間をかけて訪ねて行っても記録には残せない情報が一杯あって懐かしいし、好かったなーとふりかえったりします。記録から落ちている情報が自分の生活の豊かさを支えていたんだな・・・とも気付きますものね。刺激が強いエッセンスだけ強調して取り出して味わっても、記録としては面白いんだけど。オンラインだけだと、他の生身の人が生きているという実感は無くなってしまい、これが高じていくと大好きなメタバースの世界を選んでそこで、楽しく暮すような事になってしまうのかなと。そうなっていくので、俺としては炬燵でメタバースして老後を過ごすのはとても危うい、好きになれそうない、面倒臭い暮らしが好きな老人でいいです。
お爺さんが好きなメタバースに入っていって、若者あるいは少女を演じて、日がな一日を楽しく潰す。それはそれで面白いんだけど。
お酒を呑んで体臭をぷんぷんさせたり、唾を飛ばしあって罵倒したりする面倒臭さを優先したい。で、丸山さんと新田さんの家に泊めて頂いた時も神奈川大学の学生さんが付いて来て、俺が攻撃的なことを言ったのかどうか?分からないんだけど、突然泣き出してしまって。

丸山:そういえば居ましたね。

佐藤:なんで?泣いているのか?興味があるから付いて来たんだろうけど、可哀そうだなとも思いました。でも、あのリアル場の予想不可能な面倒くささに慣れているので、まだユニバースは離れがたいです。で、リアルの場では日常茶飯事のように予想外の事が起きていますけれど、メタバースでは快適な仲間としか出会わないことになっているのだから、不快なことは何も起きそうもないでしょうか。大地震がくれば電源切れて、メタバース界も消えてしまい、会えなくなることはあるかな。

 みな大笑いしている

新コロナ後のITがさらに進んだ社会は功罪、両面ありますけれど、伊藤さんはユニバース推しで以前の暮らし方を変えてないと。丸山さんは授業で最適解を模索中と。オンデマンド授業を放送するためには視聴しやすい動画に録画しなければいけないですからね。


丸山:そうですね、大学では(私自身は今年度は講義を担当していない)オンデマンドもやっています。
佐藤:音声収録技術も映像の撮影技術も、画像の挿入なども、TVスタジオ並みの設備とスタッフが要るでしょう。1人ではそれらをこなすのは出来なさそう・・だと思うのですが。大丈夫ですか?
丸山:私が今やっているのは講義みたいな授業、座学的授業はやっていないので、ZOOM上でやりとしたりとか、よく使っているツールとしてはミロというオンライン上のホワイトボードみたいなもの。

伊藤:へーえ。
丸山:ミロを使って学生がアイデアをそこに描いていったり。リアルタイムで出来るので、それをやったりとかしていて、そこでかなりの量の情報は交換できるんですけれど、リアルサイズなものは伝えられない。そこは問題あるなーというところです。三角スケールが当てられないとか。



携帯電話を見ながらの対話 インスタ映えなど

佐藤:大学の関係者にお聞きしたいのは、昔は呑み会をゼミでやっていたと思うのですが、今はやらなくなっていますか?禁止になってますか?人間関係はお酒を呑んで本音トークでつくられて行く、以前はどこにでもあった呑み会、コミュニケーションならぬ呑みニュケですね。今はまったくなくなって寂しいという人と、いいんじゃないの・・・という人に分れるんです。神奈川大学は今どうでしょうか?

丸山:学生だけだったら、コロナ以前はけっこう呑み会やっていたと思います。先生たちが入ってというのもさほど厳しく禁じられてもいなかった。で、学生は楽しいと思っていたかどうかは分かりませんが、時々はやっていました。

佐.藤:楽しくないけど、一緒に生きているから付き合うか、という面倒さがあるのは良いと思います。建築専門雑誌に載っている建築家の悪口を、研究室の先輩や先生からも聞いたりして、事実を知る手がかりにしていた。メディアで作られた情報とリアルにある事実、それぞれの情報の質の違いを学んだりする、その場が呑み会だったりしていたと思います。
非公式の場だから人間性が露わになって、嫌いになったり親密感が増したり、リアルの場にいることで人間の複雑さんを学んだりすることも。だけど新コロナ後の今は学生を演じたり、先生を演じたりするかのようで、お互いの人間性を見せ合う機会はつくれない、本性を確認し合うのは難しそうですね。人間の存在そのもの、面倒くさい、だけど、これが人の当たり前なのさ・・・・をどうやって学んでいくのかなと。

丸山:この10年間で大学の呑み会でも、呑み会に限らず、ですけれど、学生は話を聞いてないかもわかりません。聞きたいときは聞くし、それ以外の時は携帯を見ている。そういう感じかも分かりません。個人の選択制になっていますね。選択権は学生にあります。

佐藤:今、学生はインスタグラムを使うようです。それを見て、この建築いいね!格好いいです、そう言って先生に示すそうです。紙媒体、建築雑誌は見ていないと聞きます。インスタグラム内の建築を見て課題のデザインをして参考にする。もちろん、伊藤さんはインスタグラムを盛んに使ってらっしゃるんでしょう?

伊藤:一応、ぜんぜん。ほぼやっていないです。
佐藤:建築家はインスタグラムで発信している人が多いようです。学生さんたちがインスタを見るので、そこに向けて発信すると。当然のIT社会の対応だとは思います。

伊藤:そうですね、若い人が見ますからね。

佐藤:そこで問題になるのは伊藤さんに資金が潤沢にあったとしましょう。そうすると伊藤さんはインスタグラム発信所員をたくさん雇って伊藤建築に関するインスタ情報をたくさん発信し続けることが可能です。インスタ以前だったら、建築の実力を現地に観に行くことで分かったんだけど、紙媒体に代わり、デジタル化が進んでインスタグラムになっている。フォロアースが多い人ほど、自分の作品を拡散させることができる。建築家の人気もお金で買えてる、作ることができる。人気をお金でつくり出し易くなっています。
そこを確認しておきます。面白い社会でもありますし、事実と違う要因で建築の存在価値が決定していく危険さもあります。その辺りは意識して情報発信していないのですか?インスタグラムで発信しないと若い人(次世代)に知ってもらえないよ!問題。

丸山:大声で笑っている



 絵・分:WEBサイトより 
Instagram(インスタグラム、略: インスタ)は、メタ・プラットフォームズが所有するアメリカの写真・動画共有ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)であり、ケビン・サイストロム(英語版)とマイク・クリーガー(英語版)によって作成され、2010年10月にiOSでサービスが開始された。2012年4月にAndroid版がリリースされた後、2012年11月には機能限定のデスクトップ向けインターフェイス、2014年6月にはFire OS向けアプリケーション、2016年10月にはWindows 10向けアプリケーションがリリースされた。
■ SNSどうなのよ 

伊藤映えというのが、・・・なかなか苦手ですね。載せた方がいいですね、本当にいろいろ載せていく時代なんだろうなーと思っています。

丸山:いまいち、その流れに乗り切れてなくって、根本的に載せた方がいいですか?
伊藤:載せていくと伝わる載せないと伝わらない、SNSの時代にますますなっていると思います。

佐藤:ネット媒体はなくならないので、現役建築家は載せるが価値!ですよ。ネット発信して20年過ぎてますけど、記録を残すためにはSNSはとても便利な道具だと思って毎日使っています。SNSで発信しても一覧性は好くないんですよ、でSNS投稿をまとめてWEBテキストに直して一覧性を高くして公開しておくと、何かと使いやすいんですよ。一手間を掛ける、そこを心掛けています。私は人に見せるという意識はほとんど考えてないです。下手くそなWEB頁なんです。記録を作るためのメモ代わりにSNSを使うのは便利です。携帯を持ってからは思いついたらSNSに即、載せちゃう。
そういう使い方がいいんじゃないかなーと思ったのは新田さんと丸山さんにお会いしてから、2年後に東日本大震災と東電福一原子力発電所が事故って放射能沈着が起きました。あの時のSNSはTwitterが一番役立ちました、次にYouTubeが使いやすかったです。PCで使うインターネットは停電で直ぐに使えなかったんですが、携帯電話でTwitterは使い続けることができました。Twitterは文字情報だけだったのですが、軽いので頻繁に使えたんです。

私が住んでいる福島市にも放射能も降った!それは後で公式に発表されたんです。2011年3月11日、地震が起きた瞬間から投稿していました。時刻は自動で記載されてツインログが残るように設定してたんです
記録を見返すと、隣のお婆ちゃんの所に行って困りごと相談受けてきましたとか、老人たちは家に入らず車の乗ったまま一夜を明かしましたとか、水を汲んでいる人がいますとか、とにかくその場で思いく次第投稿し続けました。そのツインログは今も見ることができます。同時に自分の日記にコピーしているので、当日のままの文字が並んでいて、とても生々しい感情が記録されています。遠くの友達からTwitterで交信と連絡が残っていたり。
Twitter見ていた東京の方がアイフォンで現場を撮影して発信せよ!とアイフォンを送ってきた!で、動画で撮影して被災地の情報を流しまいたら、30万ビューになった動画もありました。今でもままYouTubeに保存しています。
そんなことで11年前の体験ですけれども、記録づくりにはSNSはとても役立ちます。伊藤さんが言われたように、無理しても情報を発信してこらうと、面白い建築つくっているなーとか伊藤建築について少しは手がかりが得られるので、フォロアーとしては嬉しいですね。次に伊藤さんに会ったら青森の丸い外壁の建築についていろいろ聞いてみようと記憶に残ります。そして聞くわけです。
また、新田さんが先ほど取り上げた湘南の伊藤建築はあれだなとか分かるわけです。話題を絞り込める、そういう利便性はSNSの投稿があると高くなりますね。
 いいねを気にして使っている人はどうなのか、私にはわかりません。凄く便利ですよ。


2011/04/01佐藤人生初自撮り動画

このたびの震災において多くの皆様にご支援いただき被災地などの撮影活動をすることが出来ております 感謝を込めて定期的に「自撮り」番組をつくり 現況報告をもって 多数のご支援の御礼に代えさせていただたいと思います(自録りって 恥ずかしいもんですな〜)

伊藤:僕の場合は施主さんとのコミュニケーションもほとんどSNSになっていています。
佐藤:そうなんだ!
丸山:公開されているってこと?
伊藤:メッセージでやり取りしていていまして、記事をアップするとこっちの仕事がどうなっているだと、仕事のことを気にしてアップ出来ない。これを断ってまでこっちを仕事しているんだ、みたいなことも気になってあげにくい。

佐藤:そういう時は伊藤さんは施主を除く、建築友達をメインにした伊藤友達グループ、非施主グループをFBにつくって、いいねボタンを外し(設定方法知らない)発信すれば、施主には伝わらないでしょう。

 伊藤わらっている。

伊藤:インスタグラムがいいですね。インスタはいつやたことないから、分からないから。さらっとタイムラグをわざとつくってあげる、みたいな。

佐藤:利害関係のない人とのSNSのような情報交換できるツールがあると便利だけどね。HPは公式な発信としてよそよそしい感じがする。仕事をしてる領域に向けて情報を発信するのは宣伝広告の類になるんだけど、フェースブックは親密度が増し過ぎるツールだからね。

伊藤:そうなんですよ、マチデザインのお二人はお洒落アイフォンだと思うんですけど、安いアンドロイドで写真が格好好く撮れないんですよ。買い換えないといい写真を撮れない。

佐藤:便利なSNSが登場してるけど、そこでもいろいろ苦労させられて興味深いです。
伊藤さんは大学で教えられているとのことです。



 絵: マチデザイン サイト



伊藤立平さん推し曲
シューベルト「セレナーデ」
フリッツ・ヴンダーリヒ
大学で教えて 学費ローン

伊藤:丸山さんは今、助手ですか
丸山:私は研究員という立場で。
佐藤:授業のサポートですか
伊藤:非常勤でバイトみたいな感じです。
佐藤:講師代が出ている先生ということですか?
伊藤:そうです。

佐藤:大学と本業の割合はどうなっていますか。定期的に週に何回とか決まっている?
伊藤:僕の方は多いときは四半期は週に2〜3回あります。少ないときは週一です。設計課題とか4年生の卒業前の課題とか、院生のサポートにいったりします。
佐藤:丸山さんと大学の関係はどうですか?
丸山:私は特定の授業のサポートではなくって、研究室でやっているいろいろな活動や卒制や修士制作を万遍なく。時期によって週に何度か行ったりすることもあれば、行かない週もあったりします。そんな感じですね。

佐藤:サポートだと人生相談も受けているということですか?
丸山:最近の学生さんには無いですけど、無くはないですね。

佐藤:ミレニアル世代もそうなのかな?Z世代は学生ローンを背負わされてしまう問題があります。結構な金額なので、返済は大変そうです。だから私立の大学だと授業料は年間120〜30万円なでしょうか?卒業するまで4〜600万円程度の借金を背負って卒業するようです。で、卒業したとたんにローン返済になったりするので、真面目に働いてローン返済して40才半まで返済期間があるとすると、Z世代にとっても精神的にはキツイと思います。だからキャリア教育を真面目に受けたり、不思議な丁寧語を身につけて、若いんだけど凄い気配りしている、無礼な若者が見かけなくなってしまいました。不思議な若者が、若い人は生意気で差別したりして、俺なんか糞ジジイ五月蠅いと言われるのが当たり前だと思っていたんだけど、丁寧語で相手される、となんだか嫌な気分になる。




 絵:WEBサイトより 

丸山;謎な敬語を使ってますよね。
伊藤:はははは。謎な敬語!
佐藤:なんでもへり下って語るから、こちらが戸惑ってしまいます。
丸山:そういう日本語を使われると、すごい怒らないで殴らないでという感じのガード姿勢に見えますね。誰も怒ってないのに、凄い防御姿勢が強いなーと。

佐藤:少子化だから親の話を聞き入れすぎて、自分は親を傷つけない、いい人間を演じることを、子供の頃から心掛けてたり、親の期待に応え過ぎているのか?
けなげに努力しているのか、世間知らずで我がままで言いたい放題はしない、好い子を演じているのかも。そう思い込んでいるのかもしれない、それは分からないです。
新田さんは2009年にお会いして聞いたときは、一人っ子だけど親のことなんか気にしてないと、感じでした。すがすがしい奴だなと思いました。親は他人だし気を使ってもきりがない。親の期待に沿おうとするし、先生にも気配りするし、周りの仲間にも気を遣うので、関係性の病に罹る気もします。自分の本音を出して生きない。そういう窮屈な気配はあります。

新田:可哀そうですね。 

教育ってなによ 先生の話聞く必要あるの?

佐藤:ここで新田さんに登場していただいて、一人っ子で引き籠り気味に生きてきたからお前らも他人を気にせず楽しく暮せと言っても、そうはしない。じゃどこまで他人に気を使って生きればいいのか?

新田:学校の先生は他人です、親も他人なので、あまり気を遣わずに。

佐藤:新田さんは一人遊びが上手で、他人に影響を受けないし、嫌な環境は避けて一旦休学したりしますので、いい生き方だなと思ってんです。
   新田 大声で笑う
他者に構わず骨董品、建築金物の骨董品に凝って追求してしまう。身の回りの社会が作り上げた価値から開放されて生きる、自由さが新田さんにはお会いした最初からあるんです。

新田:この人はいいなーと、この人は悪い人だなと、・・・ハウリングしている・・・・先生だから言うことを聞かなきゃいけないとか、親だから言うことを聞かなきゃいけないというのは、そういのは気にする必要ないんじゃないかなーと思いますね。

佐藤:新田さんはその哲学というか、境地はどこで手に入れたんですか。

新田:僕は鍵っ子って寂しい印象ですけど、いろんな人の愛情を一杯受けて育ったなーという感じはあるんですよ。だから逆にたいした愛情が無い人間関係もあるじゃないですか。そういうものに振り回される必要は無いんじゃないかなーと思いますね。
佐藤:相変わらずいいね。

新田いい人だなと思う人の話を聞いていればいいんじゃなですかね

伊藤:今の大学の教育って、課題があるともう少し周りのことを考えろとか、関係を考えろと言いガチですよ。先生ならばそう言うのかなーと思いますけど、その点は新田さんはどう思いますか。

新田:いろんな先生が居て、いろんな事を言うんだけど。そんなのは本当の教育じゃない。例えば建築学部で教育と言うのは建築が本当に好きだよという人が何人か居るじゃない。その人たちと直接話をするというのが教育なんです。例えばここはこうした方がいいよとか、ここはこうしろとかテクニックの話はね、いつでも学べるので。必要な時に学べばいい。

伊藤:でも新田さんコンペとかではめっちゃ繋がりとか書いていませんでしたか?日南の時も、めちゃ繋がり感満載の提案じゃなかったですか。
新田:あれは僕の理想というか、けっこう信じてはいるんですよ。地域の人たちが地域社会を幸せに、つくってくれたらいいなーと。そういうのはあるんですけど。だからといって自分の、本当にリアルタイムで周りに居る人たちとみんな繋がりたいとは思うか?というと、そんなことは無くって。この人は面白い人だなーと、この人はどうでもいいかなーと取捨選択はいいんじゃないかなーと思います。

伊藤:僕もそれは永遠の課題というか、同感ですか。

新田:今の若い人たちは、真面目すぎるのかもしれませんね。可哀そうだなーと思っていると。

伊藤:でも教育自体がなんとなく、そういう、丸山さんがどういうふうに学生に言われているか分からないですけど。何となく。


佐藤:仙台で卒業設計日本一展をやっていて、2019年の3月に競技会場に行ったんです。評価の仕方が審査員それぞれ違う。
例えば地域主義絶対者と、建築家独自の建築を編みだす者を評価する人と、工業化していくなかで課題を読み返す者を評価する者と、審査員の評価基準がバラバラに分かれていて。地域主義者というのは気持ち悪いほどに、地域住民との繋がりとか環境との繋がるとか言う、地域ファシストと言ってもいいほどに、地域に拘る。それが価値絶対なんだね。少子高齢化限界集落蔓延、シャッター通りだらけだとはいえ、そこまで地域再興を目的に言い張る必要はないだろう?と。地域の人は大切だと、それはヘタレタ地域に更に建築仕事をつくるための方便なんじゃないか、そこまで信じ込む人がいる、ある種の地域再興狂とも言える。
人が居なくなってしまう地域に更に建築をつくるという不要な夢を見ているのではないか?地域の人の生き方をネタに盛り上げりたい建築の構えには疑問に思います。が、好きにしなさいと思いました。皆が地域重要だからと言い出したら建築は面白くなくなりますよ。独特なフォルム好きがいたり、言語で建築をつくりだそうとする人がいたり、哲学をベースに建築をつくろうとしたり、する、時代の社会状況の先にある社会を観て提案する人もいるなど、篠原一男さんのように構成主義のような建築を追求したりするなどいろいろな人がいい。競技会で多様な価値をごった煮にして語るのには好くないと思います。
伊藤さんは地方の山口県とか、青森とか、丸山さんは徳島県の美波町ですか、地方に行って分かると思うのですけども、中央集権化とういうか日本政府でつくった企画を日本中の市町村に垂れ流して、上意下達で受け入れて、建築を造っていく。それを150年ぐらい続いている。で、地域の人が建築に対して考えたり、意見を言ったりすること、地域には自ら考えられる人間、意見を言うことが出来る人間が居ないし、育ってもいない。
意見を語る人が居ない、その地域に行って意見を言いなさいというのもどうも行動が予定調和にしかならないと思います。建設予算を賄う建築費を美波町自身で賄えるわけでない。補助金を頂戴して建設するので、そこに向かって上手にプレゼンしないとお金が落ちて来ない。建設する予算を確保できない。
造るサイドが外交辞令として地域主義だとか地域の歴史だとかを巧みも使って言葉を弄するなら理解もできるんだけど、真顔で信じ込んで審査する壇上から若い人に向かって言い放つのを見ちゃたりすると、興覚めします。現状とズレすぎて俺は地域主義者の真意が単純すぎて理解できなかたです。

逆に言うと都会のタワーマンション、高層事務所ビル万歳!という方々と同じ言質だからね。 本当の建築の面白さ、卒業の若い人が知るべき建築の面白さんは、それかよ?とおもいました。その当たりは地方に出ている伊藤さんと丸山さんはどう思いますか?今どう見えてますか? 地方とそれぞれ二人の建築の間にはどのような課題が浮かんでいるんでしょうか?


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伊藤:僕は、大学まではずーっと神奈川と東京の行き来たったんです。まったく外は知らなかったに等しいですよ。で、もともと勤めていて、強引に関西に暮すことになったわけです。そこから関西の地、野に放たれたわけです。開放されたと言うか。でも、何でしょう、まず、暮らしている人たちの生活の仕方が、楽しく見えましたね。僕が関わっってきた仕事のそれぞれの場所の人たちはかなり、楽しく、魅力的に見えて。そこと建築というのとの位置づけはなかなか難しいんです。何か、上意下達観はないですね。

佐藤:丸山さんは美波町に行き来されて、実際町づくりをやられていて、上意下達観は無いですか?建築を公的資金で造る時の締め付けというか、約束事は多いと思います。語れる範囲でお願いします。地域が独立して自分たちで建物をつくってしまうなんで出来ませんよね。

丸山:全然、ないですよ。実際はスーパー公務員的な人たちが居て、いろいろ作文を書いて、中央からお金をもらって来て、それを何かしら、まちづくりの事に分配して。そいうことが多いですよね。
で、今も町としては移住者を凄く募っています。いろんなお店を開業させたり、それに対して手厚く支援をしたりとかしますけど、移住者頼みみたいなところはありますし、誰が来るのかぜんぜん分からない状況で、それに予定もどう動くのか不透明であるなと。

 
 絵:美波町津波タワー マチデザイン より

一方で伊藤さんが言ったみたいな、いわゆる田舎暮らしをしている人たち、上意下達の仕組みの中に居ない人たちも居て。そういう人たちと接しているのは、楽しいかなーと思っています。
私が行っている美波町は人口が6000人ぐらいの町です。街中を歩いて見えている人たちは、ほとんど知っている。どういう人なのか?分かる、見えるところにはそういう人たちしか居ない。
私が行って楽しいなーと思っているのは、何て言うんですかね、現代社会ではない、寓話的な出来事みたいな。何て言うか、小さい田舎町だと、因果応報の縮図みたいなものが目に見える形で見えて来るんですよ。本当に冗談みたいに、展開しいくのが、意外に見えて。それが面白くって。そういう意味では部外者として観ているので、よそ者的に傍観者として扱われているのもあります。
そういう意味でもかなり楽しい。

佐藤:よそ者は村人にとって都合が悪くなると村境に埋められますが・・・。

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