2022年2月4日
ゲスト伊藤立平さん
    丸山美紀さん
     新田有平さん


作成:佐藤敏宏
01


佐藤:お久しぶりです。前回お話を聞かせていただいきましたのは2009年10月でした。
丸山:そうでしたね。

佐藤:今いる所、設計事務所を自分で開設したのでしょうか。
丸山:そうです、前に来ていただいた時にはマンションで自宅兼用で設計事務所もやっていたんですけれど、相変わらず自宅兼用ではあるんですけれど、引っ越ししたんですよ。2011年に2世帯住宅にして、地下に仕事部屋を造ってます。

佐藤:自宅兼事務所を新築されたんですね。
丸山:そうです、上に住んでいます。上に生活スペースはあるんです。仕事は近いです。
佐藤:大きさ広さはどのぐらいの事務所なんですか。新田有平さんが入ってきました。
丸山:同じ部屋に居ます。
佐藤:それはいいですね。
新田:こんにちは。
佐藤:おひさしぶりです、こんにちは。ハウリングしますね。
新田:ハウリングしてますね。
丸山:大丈夫です、聞こえてますよ。
新田:どっちか音を切ればいいのかな。
丸山:どうしようか、私が・・・操作しようか。

佐藤:伊藤さんも入室しましたよ。

伊藤:どうもこんにちは。
 みななでこんにちは
丸山:ご無沙汰しております。
伊藤:ご無沙汰しております。
丸山:はははは
伊藤:めっちゃ!久しぶりです。
丸山:伊藤さんどこからですか。
佐藤:新田さん!姿画像が消えしまいましたよ。顔が出てませんよ。
丸山:ハウリング、音声対策間違えたかな。ヘットフォンを使ってみます。

佐藤:時間があるので、対策は焦らずゆっくりしてください。新田さん接続しました。
   伊藤さん画面、表示されていません。トラブル起きたかな。伊藤さん聞こえますか?
・・・・操作している・・・伊藤さんご無沙汰いたしておりました。
伊藤:ご無沙汰しております。

佐藤:新田、丸山ご夫妻は見た目がらりと変わりましたね。私はお爺さんになりました。
新田:笑う

佐藤:丸山さんが準備している間、雑談をしましょう。今日はお忙しいなかお付き合いいただきありがとうございます。
伊藤・新田:いえいえどうもありがとうございます。

佐藤:伊藤さんは今zoomはとこからでしょうか。
伊藤:今、現場からです。朝現場から仕事が入ってしまいまして。兵庫県の現場です。
佐藤:丸山さんが準備できましたら始めます。

新田:ハウリングしてますね。 

 丸山新田、打ち合わせ調整中がやがやワイワイ  あーああ、テスト・・・

新田:話しているときはミュートにすればいいんじゃない。

佐藤:なんとか聞こえるので、あまり酷かったら再度調整するということでどうですか。そういうことで伊藤さん始めますね。


13年ぶりと5年ぶりの語り合い

佐藤:今日はZOOMに参加いただき皆さんありがとうございます、

 かいじょう ご無沙汰しております
佐藤:新田さんと丸山さんにお会いしたのは2009年で、神奈川大学の曽我部先生に呼ばれ教室に行きました。その時、紹介されました。講義の後、横浜の町で一杯呑んだね。で盛り上がり泊めていただきました。丸山さんの話ですと、今は新しいお家を造って、地下に事務所を設えたとのこと、おめでとうございます。

丸山:ありがとうございます。造ったのは10年以上前です。

佐藤:東日本大震災が起きて私の家にも放射能が積りましたので、大混乱してしまい、いろいろご無沙汰しておりました。伊藤さんとは2017年に京都のお好み焼き屋でお会いし、記録を作っております。ですから伊藤さんとは5年ぶりです。京都の語り合いから、5年経ったので伊藤さん!お話しましょうと連絡しましたら、俺たち二人で語り合うよりも、誰かを誘って語り合いしましょうとなりまして。伊藤さんが丸山さんと新田さんと話したいとのことで、連絡差し上げました。お忙しいところ、こころよく応じていただきありがとうございます。
伊藤さんと丸山さんと新田さんとはどのような繋がりがあるのか分かっていなかったです。もしかすると同窓生かな?と思いました。違いますか?

2009年10月29日神奈川大学で
丸山さんと佐藤は出会う
佐藤の日記

丸山:私と伊藤さんが同じ学年です。新田が1年上です。

佐藤:2009年の聞き取りのときに、新田さん大学に行きたくなくなってカラオケでバイトして留年、時々、大学をサボってたたようでsう。人に会いたくないと、で、大学にも行かなくなったようでした。独特な人生を歩んでおられましたね。でも、とても独特な考え方で面白かったんです。私は初めてお会いしたときに泊めていただいたので、人嫌いでもないんだなーとも思いました。
 丸山・新田 わらっている
で、新田さんは大学に行かなくなって、1年バイトして、伊藤さん丸山さんと同学年になったということでしょうか。東工大の奥山信一研究室で一緒だったんですか?

新田:もともとは2歳上です。休学して1つ上になったんです。
佐藤:3人は研究室は同じなんですか?
新田:僕と丸山は一緒ですね。


奥山先生のこと
新田さん團研究室から奥山研究室へ そこに丸山さん
  伊藤さんは仙田研究室
 

佐藤:伊藤さんとはどういう関係ですか?伊藤さんから丸山さんあるいは新田さんを紹介してもらう方が理解が進みますね。

伊藤:丸山さんとは同期なんですけれど、凄くお付き合いというか、知り合ってからは長くって、だけれど、ちゃんとお話したりしたことが無いかも知れません。
佐藤:じゃ今日初めてなんですか、はははは。

伊藤:そうですね。そうでもないですけれど、たぶんじっくり話したことはあまり無いです。学校の課題提出の時に、ちょっと話したりはしてますけど。話さない、そういう事って同期は多いのかなーと思いますね。
佐藤:同期の面々はお互いがライバルという関係に、なっちゃうなのかな?
伊藤:うーん。
丸山:全然、伊藤君はスターでした。

佐藤:え!伊藤さん東工大の同期のスターだったって、初耳です。伊藤さん丸山さんのことを紹介してください。みんなの憧れのマドンナでしたとか、何か紹介してください。
丸山:おおわらいしている

伊藤:本当に!僕らの頃って建築学科に女性が少なくって。今だと4割ぐらいは女性の学生なのかなーと思うんです。当時(1994年)は凄く女性が少なくって、1/10位の割合ですかね。そういう感じだったので、丸山さんは高根の花という感じでした。話す機会など無く。

佐藤:高嶺の花でお近づきになれなかったと。
伊藤:お近づきになれなかったです。
丸山:とんでもない、そんなにいい話ではない、ふふふふふ。


佐藤:伊藤さんは新田さんとは丸山さんを通じて知り合いになったということですか?
新田:同じ研究室だったんです。
佐藤:伊藤さんも同じ奥山信一研究室でしたか。
伊藤:私は違います。

佐藤:伊藤さんと新田さんの関係がまだ理解できてないです。

伊藤:場所も離れているんです。新田さんはもともと團研究室というところにいらっしゃって。
佐藤:あれ?前回の聞き取りのとき奥山信一研究室と語られていましたよ。
新田:僕は4年生の時に、團紀彦さんの研究室に居たんです。修士になってからは團研究室がなくなっちゃったんです。なので、違う研究室に行かなくちゃいけなくなり、奥山研究室に修士から入り直したんですよ。

佐藤:なるほど。團研究室が無くなって奥山研に移籍、そういうことでしたか。



團紀彦さん絵:WEBより 
新田有平さんの卒業設計

伊藤:丸山さんは最初から奥山研なんで、研究室所属になってから、研究室の位置が離れてしまったので、あんまり話ができなくなった。4年間でもあまり話は出来ていないかな?

 新田・丸山 わらっている

でもそんなに遠い感じもしないんですけど。

丸山:伊藤さんはいつも凄い成績がいいなーと思って観てました。
伊藤:何を言っているんですか。
丸山:東工大のキャンパスは凄い広くって、都会にしては広々したキャンパスで、奥山研究室が在った所と伊藤君が行っていた仙田研究室、一駅離れた所でした。授業で行き来はするんですけれど、べったり大学院で生活しているような状態のなかでは、行き来が無かったなと。

伊藤:新田さんとは卒業設計をお手伝いして、すごく昔から可愛がっていただいていました。

佐藤:新田さんからは修士論文の話はお聞きしたけど、卒業設計の話は聞いてないですね。どんな設計だったんですか?
新田:わらっている。たいしたことない設計です
伊藤:いやいや。

佐藤:たいしたことない卒業設計に手伝わされる後輩もたいへんだよね、いいかげんにしてほしいよね。
丸山:プールになかに柱が落ちている・・・。
佐藤:なになに?!

伊藤:僕がひっかき乱してしまったので、僕が当時、コラージュプレゼンに凝ってまして、いろいろ切り貼りとかしてたんですが、方向性を見失ってしまい。
佐藤:後輩の伊藤さんが新田先輩の作品を乱してしまったんだと。
伊藤:はい、そうです。
佐藤:それで、今日久しぶりに謝りをいれたいと・・・はははは。

伊藤:そうですね、それはちょっと謝りたいですね。

新田:ははははは。いやいや。

佐藤、神奈川大に呼ばれ、丸山さんと新田さんに会う

佐藤:20年ぶりに先輩に謝罪を述べておきたい!そういうことでしたか。伊藤さんが丸山さんと新田さと知り合いだったとは、先月まで知りませんでした。ZOOM誘ってよかったです。
私が丸山さんと新田さんに出会ったのは2009年10月29日に神奈川大学の曽我部先生に呼ばれそこに、丸山さんが助手されていたんですね。最下部にあるその日記を読む

丸山:はい、そうです。

佐藤:その時に新田・丸山さんのマンションに泊めていただきました。横浜で新田さん曽我部さんと4人で呑んで、その後、泊めてもらっちゃいいました。曽我部さんには「このご夫妻は冷蔵庫持ってない不思議な夫婦なんだ」と紹介されました。冷蔵庫持たずに都会で暮らしているに興味がわいて、泊めてもらっちゃいました(笑)。翌日は曽我部先生の自邸の屋上で秋刀魚を焼いていただき、屋上バーベキューに招待されたのを少し思い出してきました。
新築された丸山・新田さんの自邸にも冷蔵庫は無いですか?

丸山:あります。新型コロナの自粛期間中はちゃんとご飯を作るだけの生活してましたね

佐藤:新コロナで丸山さんの人生哲学、だいぶ変わりましたね。聞きたいこと一杯ありすぎるなー困ったな。伊藤さんの大活躍ぶりを新田さんと丸山さんはご存知ですか?

丸山:佐藤さんのフェースブックで押しかけ建築家になった!あの記事を読んで、凄い衝撃を受けました。

伊藤:押しかけ系ね、はい。そうなんですよ。

丸山:大学の時の印象とほとんど違うから、びっくりしてます。その辺を聞かせていただけたら。





2009年10月29日曽我部先生







■ 二人で、鎌倉の海を見ながら空が綺麗だねと語り合う

佐藤:時々福島市から遠出して、聞き取りしているんです。2017年2月寒い京都で聞き取りしていたら、伊藤さんが押し掛けますと連絡してきたので、OKということで時間を調整して、話をお聞きして、そのまま記録にしました。では、伊藤さんの近況から始めましょうか?

伊藤:私の近況ですね。今は大阪と鎌倉を行き来している感じです。仕事のバランスで滞在比率が違うんですけど。関西の大学で教えたりしているので、その学生さんたちにも協力いただいたりしています。今は兵庫県と奈良と鎌倉で現場が動いています。

佐藤:粋な湘南ボーイは、今は大阪の下町に住み込んで町内会のお世話していると、言ってました。それも相変わらず続けているんですか?
伊藤:そうです、この前、町内会のオファーが有ったんですけど、さすがに時間がとれなくって、お断りしたんです。

佐藤:どこに行っても人気者だね、大阪の下町で人気者となってるとは本物だね。

伊藤:物凄く、商店街が高齢化されていて盛り上げたい気持ちもありますが、それはお断りはしたんです。佐藤さんと京都でお会いして話した大阪の事務所の場所はそのままで、変わらずに暮らしています。商店街の一角で事務所を開いてやっていますね。

佐藤:見た目の印象と随分、伊藤さんは違っていまして、社交的、活動的でして、東日本大史震災で放射能沈着している南相馬市にも入って支援していました。京都の人を聞き取りしているのに大阪から押しかけてやって来て、伊藤の話を聞いて記録しろと。見た目だと押し強くなさそうなんだけど、行動範囲も広いんですし、最初にお会いした時のイメージでは伊藤さんの方が新田さんより引き籠りっポイント高い、人だと思っていたけど、まったく違っていました。

伊藤:僕が鎌倉に居る時は新田さんに必ず呼び出されて、鎌倉でよくお茶をさしてもらっています。
佐藤:あ!お酒じゃないの、お茶なの。鎌倉で二人で会ってどんな話をしていたんですか?

伊藤:海を見ながら、空が綺麗だねと語り合っているんですよね。ふふふふ。本当です。

丸山:この二人の関係は謎なんですよ
佐藤:共通点は眼鏡かけているぐらいだけど。

伊藤:
丸山さん全然変わらないですね。
佐藤:そんなの嘘だよ、丸山さん、今日ZOOMに登場したとき、丸山さん??分からなかったよ。髪の毛金髪だし、眼鏡掛けているし。あんた誰だ?と思ったよ。2009年に会った時と今の姿はまるで違う。当時、新田さんは話してる内容もだけど、暗く重たい感じだったし、新田さんは他人には興味ないぜー!という感じ、それを醸したしていたので面白かったんです。

新田:大笑いしている








大阪の下町最寄りの 弁天町駅

丸山美紀さん推し曲
NINGEN ISU / Toshishun
(人間椅子 / 杜子春)
歌詞へ

佐藤:見た目はだいぶ変化し、新田+丸山のお二人、外観一気に変えましたね!

新田:変えちゃいましたね。

佐藤:どういう心境で変えちゃいましたか
新田:髪を短くしたので、見た目は変わつちゃいましたね。
佐藤:性格もかわりましたか?
新田:性格も変わったと思います。
佐藤:この12年の間に何があったんですか?
新田:趣味で、自転車に乗るようになって。あんまりガチの自転車じゃなくって。散歩の代わりに活動するみたいな、適当に乗って海の方まで走っていく

伊藤:いつも自転車で鎌倉に来られていて。新田さんと僕の最後の会話は「自転車に乗りながらどういう曲を聞いたらいいかなー」と。それで、最近クラシックにはまっているんだよねというので、マタイ受難曲か?そんな何にかを聞くのがいいよね、という話になっていたかなーと思う。

推し曲教えてください

新田:自転車に乗って音楽を聞いていて、一時期はクラシックも挑戦して聞いていたんですけど、最近はKポップを聞いています。ふふふふ。

佐藤:新コロナが流行りだしてからZOOMしてます。今から1年前に布野修司さんからzoom誘われて、初めて参加し、ワイワイしたら面白かったので、ZOOM契約して月の4日に俺さまZOOMを開いていました。ここで話合ったのはそのまま文字にしたり、加筆修正してもらったりしながら、WEB記録を作り公開しています。3時間ぐらいは話し合うので、WEB記録にすると長い。ですから登壇した方々の推し曲をYouTubeのURLを教えていただいて、記録に埋め込んでいます。

伊藤:なるほど。

佐藤:新田さんは自転車漕ぎながらクラシックやKポップを聞いているように、このWEB記録は推し曲を聞きながら目を通していただきましょうと、文字起こし作業も、記録を読む人も馴染みやすい記録にしている(?)つもりなんです。

新田:
Kポップをお知らせします。

佐藤:楽しみです、登壇者の推し曲もいろいろ個性がでたりして面白いんです。いろいろな曲を紹介してもらってます、若い人からはボーカロイドとの融合したYOASOBIの曲などの推しもありました。ラジオを聞いていると引切りなしに音楽を流しますので、文字記録も楽曲を埋め込むのがいいな・・・と思っているのです。WEB文字記録も頻繁に音楽動画が埋め込んでるのがいい。脱線しましたけど、後日、皆さんの推し曲を教えてください。

新田:分かりました。


佐藤:新田さんと伊藤さんは自転車乗って聞く音楽の話をして別れたんだと。建築の話はしないですか。野暮なことは話合わないですね(笑)
伊藤:一個だけ、建築の話だと、宮崎県に日南市の話をしたような気がします。道の駅のコンペあったんです、それより少し前のコンペに新田さんも出されていて、最終選考の話とかを聞かせていただいたりしてましたね。私は凄い参考になったんです。あの提案も商店街か何か、活性化というか。

佐藤:新田さんと丸山さんは一緒の事務所からですが、建築の仕事は一緒にされてないんですか?
丸山:やったり、やらなかったり・・・ですね。仕事することもありますし、メインの担当を決めてそれぞれがサポートし合うこともあります。いろいろです。私は大学の方に相変わらず行っているので、大学の関係の仕事とか、そちらの関係の人と共同して仕事をしたりもしています。


 新田コレクションを見る2009年10月

佐藤:2009年のとき新田さんは骨董品の建築金物を集めて、骨董品にはまっていました、設計は興味が無さそうでしたが、そこも変わりましたね。
新田:大笑いしている。
佐藤:新田さんの変わり振りが激しいので、伊藤さん解説してくれませんか。

伊藤:そうですね、撲は自邸兼事務所はお伺いしたんですけど、その時丸山さんが居なくかったんですよ。たしか2014年ぐらいだったと思います。四国かなにかに出かけてらっしゃいました。新田さんに案内していただて、見せてもらいました。マチデザインぽいなーというふうに僕は思ったんですけど。

■ なでられた自邸 下見板張り

佐藤:マチデザインぽいってどういうことでしょうか?
伊藤:凄く、新田さんの思いがかなり感じたんですけど。その辺りをちょっとお聞きしたいなと思っていたんです。

佐藤:語ってもらうと・・・・マチデザインぽい、その意味が分かるかもしれないので、お願いします。

新田:写真があると一番わかり易いんです。古い和風みたいな形はしているんですね。外壁が下見板張りなんです。中は土壁柱や梁が見えていて。

佐藤:木造建築ですか?

新田:地下はRCなですけども地上は木造です。今話している所は地下なんです。
佐藤:場所は、どこに建てたんでしょうか?

新田:横浜です。
丸山:神奈川大学の近くです。

佐藤:外見は和風で下見板張りなんですね。
新田:そうです。古い日本の木造の建物みたいな感じですね。
佐藤:擬態建築ということですか、新しい現代建築だけど、日本の古い木造建築のような降りしている。騙してしまうとうことですか。

伊藤:下見板を縦て桟で抑えていると思うんです。
新田:押し縁下見板張り。本当に日本の古い建物の外観です。

佐藤:下見板張りって明治以降、大流行りしたんじゃないですか?そんなには古くない外観の一つだと思ってました。
丸山:辞書でみると北海道から来たといいました。

佐藤:そうだ俺が、去年読んでた藤森照信著『日本の近代建築の』(上)36頁以降を読むと下見板張り由来が詳しく書いてあります。日本の近代建築は南からと北から入ってきていると、いろいろ書いてあります。下見板張りは日本にはなかったはずなのに、明治以降大流行したので古い日本建築といってもいいのかな。


丸山:凄い伝統的に見えてますけども、実はそんなに言うほど歴史はない。
佐藤:そうなんだよね。確かに施工が簡単で壁が朽ちない、雨が多い日本には合理的な外壁ではあるけれど、新田さんの話の腰を折ってご免。古い日本家屋みたいに見えてるけど、防火地域では使えないんじゃないですか?

新田:そうなんですよ。準防火地域なんですけど、窓硝子には網が入っているんですよ。だけど外壁を木で造りたかったので、いろいろなメイカーを調べて、ダイケン工業が持っている大臣認定なんですけど、ボード、名前はダイライト、下地にダイライトを貼って、その上から木を貼ると防火地域でもよくって。
伊藤:それも北海道の特許ですよね。北海の施工者が認定を取得している。

佐藤:個別認定を受けた板張り外壁だと。そこまで拘って外壁を押し縁下見板張りにした理由はどのようなものでしたか。

新田:木にしたかった。はははは。
佐藤:いいねー。ふふふふ。
伊藤:僕は懐かしくて、あの板!僕は鎌倉出身なんですけど、鎌倉はノ電が町の中を縫うように走っていて、昔から下見板の民家の間を縫っている体験が原風景であるんです。

丸山:出来たばっかりの頃は近所を散歩しているオジサンとか叔母さんが家をなでていきました。いいなーって触っていきました。

 みなで たのしそうに笑う

江ノ電2000形 前面展望
藤沢-鎌倉 2020年初夏






襖絵師に描いてもらう

佐藤:新田さんの凝り好き、孤立好きは一人っ子だったからでしょうか、他の人を気にしない感じで、そういう発想だったんだけど、今は、随分と変わりまして、なでられる建築を造ってしまた。変わりましたね。「なでられた建築」って聞いたことないですね。それは凄いね。

新田:わらっている
伊藤:あとは襖ですよね。はいろいろ凝っています。
伊藤:中がすごい綺麗なんですよ、照明もそうです。なかなか襖を使う建築家って少ないなーと思って。

佐藤:新田さんは襖の取手に興味を持って骨董を集めていた人だから、今時、変人なんだよ。
新田:使わなかったですよ。全部集めたのは。
佐藤:あ、そうでしたか、取っ手は何を使ったんですか。
新田:自分の家で使おうと思っていろいろ集めた物は使わなかったんですよ。

佐藤:古い建具を集めてて、それに合わせて家を造る時に使うのかなーと思って、骨董品の話はお聞きしていたんです。
新田:それもいいですね。
佐藤:自邸は建具も金物も全部、新しいものを使ったと。
新田:そうですね、材料としては全部新しいですね。ただ建て方というんですかね、建具は襖にしたり、外壁は下見板張りにしたりとか古いやりかたを使ってます。襖もメーカーの襖の紙じゃなくって、襖絵師さんという作家さんに書いてもらったり、そういう拘りがあります。

    


佐藤:襖の取手や襖絵に対しての拘りかたが違いますね。伊藤さんが見た新田丸山さんの自邸、その他に、室内が凝っているとはわかりました。

伊藤:ここで寝起きしているんだよ、みたいなのを見せてもらった気がするんですけど、生活感が何も無かったような印象。ただ畳があるみたいな感じだった気が。

新田:その時は布団は全部納戸にいれちゃった。

伊藤:何も無い感じなんです。僕の印象なんですけど、家具が無いね。

佐藤:俺が一度泊めてもらった時も家の中に何も無かった感じでした。徹底しているんだな。テーブルはあったけど、冷蔵庫は無い。

丸山:そう聞くと流行りのミニマリストみたいですね。そういう感じではないですね。

佐藤:団地の鍵っ子が、このように成長していく、その一例として聞いていて面白かったですよ。俺は中山間地の農家で生まれたから周り山だらけ。丸山さんも安曇野ですから山の暮らしについてはご存知でしょうけれど、新田さんは団地で鍵っ子だから、鍵を首いから下げて遊んでいた。一人遊びしかしてなかい、と言うので、田舎で山育ちの私は新田さんがどういう人なのか謎めいてまして。
新田:わらっている。

佐藤:話を聞いてても実態が分からないんですよ。修士論文は少し変わっているんですよ『現代日本建築におけるヴォリュームの形態からみたビルディングタイプの研究』丸と三角と四角の組み合わせで、主な日本現代建築を解明してしまおうという野心的なものですよ。青木淳の潟博物館は丸と三角がこう配列であるという、そういうことを語る人だから。襖紙で同様で、相変わらず一人遊びに更けっている人なんだと思ってお聞きしました。襖絵もそれに近いので感心して聞いてました。そういう拘りを持っている人なんですよ。自邸の話を聞いていると、形態の事は蒸発させていますが部位には拘りはある。で凡庸な人々とは質は違う人になっちゃったなーと。伊藤さんは新田さんの修士論文を読んだことありますか?

伊藤:すみません、ちょっと。

新田:あんまり他人の論文は読まないね。我々は。
伊藤:勉強不足で読めてないです。タイトルは薄っすら知ってました。何となくは分かっていました。

佐藤:丸山さんは大学で言葉で一生懸命建築を説明させているということでした。建築を言葉で説明したいという。他方の新田さんは形態で語ることを研究されていて、お二人の組み合わせが面白かったんです。

伊藤:丸山さんはそういう指導を学生にされている。

丸山:私が指導というか曽我部研究室のアシスタント的な立場でやっているので、必ず打ち合わせは必ず対話の壁の質にはなりますけどもね。

伊藤さんの建築近況

佐藤:言葉と形態の話はさておき、新田さんはあれから実作は造られましたか。
新田:造ってないですよ。立平君の1/10ぐらいかな。  新田、丸山 笑っている
佐藤:自邸が最初の実作ということですか?

新田:初めてですかね。丸山と一緒にやったりするので。
佐藤:丸山さんは曽我部さんと設計して受賞されてましたね。東京都の建築士会だったでしょうか受賞されてましたよね。
丸山:神奈川だと思う。

佐藤:新田さんは建築の話は少なかったんだけど、伊藤さんは違いますよ。俺がちらちらネットで見ただけでも、造りまくっていますよね。
伊藤:ぜんぜんです。

佐藤:山口県で造ったり奈良でも、青森で福島県内でも造っていました。山口の木材屋さんの建築は何か受賞されました。(以下伊藤建築の画像は伊藤さんサイトより

   
   木の風景 山口県長門市東深川 2016年竣工

伊藤:ですね。クライアントがとても仲良かった東工大の後輩なんです。英語研究部の後輩です。彼が地元に帰ってバリバリ仕事していたんですけど。山口県の長門が故郷とお父さんの製材所を継ぐということで。それをお手伝いした。 

佐藤:お手伝いの域を超えて大胆な木造建築を造っていました。普通の木材の使い方じゃないけど木材を多量に使って造っていました。今年のメール年賀状は青森の方でしたか木造の蒲鉾を立てたような形の外観。

伊藤:あれは青森です。泊りという所です。木材で造っています。先ほどの新田さんの押し縁下見板張りに繋げると、あれは下見板張りなんですね。最初は台形の断面を曲面で曲げて、貼っていこうとしたんですけど、なかなか上手くいかなくって。結局下見板張り形状ではないんです。平板を重ねて。

  
  長門おもちゃ美術館 山口県長門市 2018年竣工

佐藤:伊藤さんは材木の扱い方はとても変わっていて、材料を粘土ロックのようにいじりますね。そうして変わった形に造りますよね。

伊藤:あれは登米の森林組合に曲げてもらったんですよ。朝ドラの舞台になった宮城県の登米の『おかえりモネ』です。実在する森林組合が在って、そこは東北の大学の方といろいろ研究をされていて、CLTも含めていろいろ挑戦されていまして、自然乾燥とか空気乾燥のいろいろな設備を持ったりして、凄いいい製材所でした。

佐藤:凝った木材系の情報を手に入れ方がうまいんだね。
伊藤:それも本当に繋がりで、佐藤さんに南相馬のお話をしてから、その後に二本松の農家の改修をやりました。佐藤さんわざわざ来てくださったときも、震災復興での繋がりの工務店なんですけど。
佐藤:二本松の建築は南相馬行きの新幹線で隣合わせの席の方で、そこから仕事が生まれたという話でした。




おかえりモネ』は、2021年度前期放送のNHK「連続テレビ小説」第104作として、5月17日[3]から10月29日[まで放送された日本のテレビドラマだという。

   
   二本松の農園交流所 福島県二本松市 2019年竣工

伊藤:そうです。新幹線でたまたま南相馬の支援に行っていたときですね。東北新幹線に乗っていて、隣の人が僕の見ている資料を気にして、横から声かけて来てくれて、そこから建築造りが始まったというプロジェクトです。

佐藤:新幹線で被災地支援に来て、仕事にも出会うという、仕事が増やしていく、優れ者だね。
伊藤:それも多賀城の工務店に手伝ってもらったんですよ。だから仙台の近くまで僕が新幹線で行って、一緒に青森まで車で北上するという。

佐藤:行き来の労も大変そうだけど、青森の工務店に仕事はさせる気はないんですか?

伊藤:最初いろいろ、相談したんですけど、難しいところがあったので、曲げ加工とかね。でちょっと協力してもらったというか。

佐藤:新田さんの押し縁下見板張りは素直な技術でどこの誰でも張れる技術だけど、伊藤さんの台形下見板張曲げ加工して、打ち付け張る。それは簡単には曲げられないでしょうから。伊藤さんの木材の使い方は個性的で変わっています。新田さん材木をくねくね曲げて張ったりするの間違ってるんじゃないですか?感想ないですか。伊藤さんは木材を個性的で面白い使い方をしています。新田さんは伊藤さんの建築を見たことはないですか?

新田:ありますよ。立平君が造った鎌倉マリーナかな。ふふふふ、それは鉄骨造です、非常にモダンな感じの建築です。壁面は硝子とかポリカーボネートとか、非常にモダンな感じの建築なんです。鎌倉に観たいので・・・・ハウリングして聞こえない・・・サイクリングで走って行くと、在った物で時々は見ていたんです。あれは好かったですよ。

伊藤:ありがとうございます。なかなか難しい部材の取り合いだらけで。建築関係者にだけは苦労の後が見ていただけるかなと。そういう物に仕上がってますね。
新田:あれはオープンハウスみたいなのやらなかったの?
伊藤:タイミングを逸して、いつやってもいいんですけど。まだ出来ていないです。

  
  湘南モノレール富士見町駅改修 神奈川県鎌倉市 2016年竣工
 

佐藤:新型コロナが襲ってきたのでいよいよ新田さんの時代が来たなーと。世界中の多くの人たちが引きこもって暮すようになりました。新田さんは逆に今は自転車で出歩いている。驚きました。多くの人は引き籠りを薦められてるんです。建築を観に行く、人に会って建築談議で唾を飛ばし合うことはさせない、しちゃいけないかのような世になりました。新田さんにとって今の新コロナ時代状況はどう感じで見てますか。

新田:あまり世の中の事に興味が無いもんですから。
佐藤:それはいい暮らし方ですね。絶妙にうまいことズレまして着地して暮らしてますね。いいなー。世の中には興味ない、まさか新型コロナが今爆発しているっての、知っているんでしょうか。
新田:それぐらいは知ってますよ。はははは。

佐藤:それはいいです。コロナが落ち着きましたら、お二人の家に行って泊めていただいて、自邸談議をしたいと思います。その時はよろしくお願いします。伊藤さんは相変わらず、湘南には住所を置いてはいないですか。

伊藤:鎌倉事務所があります。前にお話したか、分からないですけど、僕のパートナーの妻が、割と地元関西愛が強いというか。
佐藤:お聞きしました。
伊藤:そうですよね。なので、今はいろんな地域の魅力を感じ過ぎているところがあって、先がどうなるのか。いろんな地域には継続して関わっていきたいなーとは思っています。ただ僕らでも体力ってたぶんこれから落ちていくと思うんですよ。

佐藤:それはそうだ。50歳前後で男も更年期障害がで始めるから、体力は落ちるでしょう。
伊藤:それを考えると建築家ってどこかを拠点にしながら、活動するっていうのが一番いいのかなーと思うんです。

佐藤:伊藤さんは所員を雇っているんですか、相変わらず一人で奮闘しているんですか。
伊藤:今は二人体制でやりつつバイトのみんなに協力してもらっています。


 
 絵:webサイトで感染地図で見る
丸山さんのこの12年間

佐藤:伊藤さんの近況は以上にしまして、次に丸山さんの近況を聞いたら、昔同期だったことの東工大の話をしてもらうことにしましょう。丸山さんの近況はなんかなか掴めないですね。
丸山:近況ですか。

佐藤:丸山さんは自宅の事務所で設計をされているんでしょうか。
丸山:自宅でやってます、やってます。
佐藤:そこで建築の設計をなさっているんですか。

丸山:佐藤さんに会ってから10数年何をやったなかーと思って、書き出していたんです。

佐藤:それは素晴らしい!ので、この記録にも貼っておきましょう。
丸山:たいして設計してなかった。はははは、見せられるようなものではない。この半年は何もやっていなかったな。
佐藤:その後建築を造ってなかったですか。
丸山:造ってます。

佐藤:ではその話をお願いします。私は丸山さんと新田さんそれぞれがどんな建築を造っていたのか、知らないので教えてください。

丸山:そういう意味ではこの自宅と兄弟というかシリーズのような家を1軒造りました。これは実家の方で長野です。それは長野の中心の地域にある民家の形式を踏襲したような形式の建築を造っていまして。大都会横浜で押し縁下見板張りをやるよりはなるほどなーという感じの板張りの家を造りました


   

   

丸山:その後も、神奈川大学にはずーっと行っていて、その関係で徳島県の美波町という県境に近い所のまちづくりに関わるようになってました。最近は新型コロナの関係であまり行ってないです。2014年ぐらいからは多いときは月の半分ぐらいは向こうに行っている感じで。古民家を改修したり、そういう建築家的な活動もしたり。津波の被災が予想される場所なので、避難タワーを幾つか設計しました

伊藤:あれはいいですね。

丸山:それらをやっていました。あとは自動車の免許をとりました。ふふふふ。
ふたたび四国の壁、瀬戸内を越えられない

伊藤:自動車の免許をいまさら。
丸山:とりました。
佐藤:自転車じゃないのか、二人で自動車を漕いでいるんじゃなかったんですね。
伊藤:徳島に行く時に自動車が要ると。
丸山:山の中なので、現場に行くのに。人の車にいつまで乗せてもらっても・・・・と思って免許をとりました。

伊藤:防災拠点すごい素晴らしいですよね。
丸山:ありがとうございます。大屋根で大きな唐破風がある。私は前回の1月4日の佐藤さんのZOOMの記録を読んで、渡辺菊眞さんが高知でなされていて。四国の壁に当たったという話、まったく同じ経験をしたので、おもしろいなーと。

伊藤:四国の壁ってなんですか?
丸山:現地の建築家の人たちに受けが悪かったという話ですよね。

佐藤:限界集落で起きたことです。台風の襲来で神社が壊れてしまい、その神社を造るだめに、老人しかいないし、お金もない限界集落に神社を再建する話です。高知工科大の学生と渡辺菊眞先生が設計施工で造った神社の評価についてです。

丸山:凄いですよね。

佐藤:総工費数十万円で移動の為の車もついた建築。「いい建築だから、どうして建築学会賞くれないの?」と聞いたんですよ。そしたら建築学会四国支部があるのかな、そこで弾かれてしまう、と。丸山さん記録を読んでいただきありがとうございます。

丸山:面白かったです。

  

佐藤:四国の在来の建築家に受けないで弾かれる、それが四国の壁です。伊藤さんは全国各地を渡り歩いて建築を造って、さらに賞もらっています。四国地域の壁、中国地方の壁、青森の壁も突き破ってぶち抜いて、賞を総なめにしてしまうんだろうけど。あまりにも時代の最先端建築を実行してしまうと、同業者に理解されないんだね。菊眞さんのように時代や社会にとって最先端の建築って建築設計行為に見えないんですよ。
丸山さんは徳島に行かれて、地方の今の建築状況は理解されていると思います。限界集落で老人しかいない、その地域の神社を再建するとは思うがお金も無い。どうにもこうにも成らない状況の中で地域の精神、心を支える神社をどうやって再建・再興するのか?それは日本各地の大きな地域の課題なんだけどね。
それを、ロードサイドの建材やで売っている鉄パイプを買ってきて、学生さんが建材を担いで山に登って運んで、自分たちで神社を造ってしまった。そういう素人仕事での、神舎再興なんて認めたくないんでしょう。そんなもの建築として認めたら俺たちプロ建築家が設計している仕事は何なのか?・・・喉元に突き付けられる問いになる。そういう問いは作らず無かった、ことにしたいんでしょう。そういう状況で全否定されてしまうんですよ、で四国の壁を乗り越えられない。

伊藤さんの場合は明治期に大衆化してしまった下見板張りでも湾曲させてしまうので、これは凄い今しかできない木造加工技術だと、どんな壁でも突き破って受けると思うんですよ。専門家建築家が納得という建築と日本の現在の社会的に大きく評価される建築というのは違うんだと、その二つは、だいぶ違う考え方なので、同じ位相・場では評価されることは無いんだと。そういうことで四国の壁についてでした。

金峯神社遥拝殿建設(里の拝殿)
渡辺さんのFB コメント
金峯神社プロジェクトをまとめた動画です。金峯神社のこと、再建指針、「里の拝殿」建設、「森の本殿」建設、旧社殿解体、祭礼の復活 をまとめています。同動画は「日本建築の自画像」展の再現「里の拝殿」のそばで展示します。




丸山:壁ってあるんだろうなーと思っています。なかなか理解されるまでのタイムラグっていのはいろいろあるんだろうなーと思います。

佐藤:神舎は山の上に造ったんだけど、限界集落の老人たちの足腰ではどうもお参りするのも苦労するということで、里に拝殿をつくて、分けたんだね。本殿は山の上に造り、拝殿は里に造ったんです。そういう対応も地域の事情を把握してつくりだされた建築で、いいんですけどね。なにせ見た目が単管足場パイプだから、これは建築じゃないと言いがかりを付けたいようです。想像ですが・・・地域のプロたち、彼らの否定したい気持ちも分かる。
丸山さんの近況もなんとなく分かったところで、私が想像を絶したように変わっていた新田さんに。大変驚かされました。今日はTシャツ姿で短パン姿で若々しく、地下室で設計活動されているのには本当にびっくりしちゃいました。

新田:大笑いしている。何もしてないですけど。

佐藤:見た目の身軽さ、スポーティーな感じが大変身じゃないですか。僕の周りには居ない新田さんなので、初めてお会いした時には凄い戸惑いました。
丸山:ははははは

佐藤:丸山さんの前でこんなことを言っては怒られちゃうんだけど、どうやて新田さんと付き合って暮らしているのか?不思議だったんです。最後に建築的骨董品をたくさんだして見せてくれたし。家にあまり物がないし、どうやって生活しているのか?と戸惑いますよね。生き方が分からなくって、不思議でしょうがなかった。

丸山:冷蔵庫はあったんだけど使ってなかったんです。

佐藤:伊藤さんは料理も得意そうも見える、現場の人に何か作って食わせそうだ。そういう雰囲気を持っているんだけど。新田さんは1人で美味しいもの探して食べて、にやにやしているような感じ。それが無くなって全然変わっちゃった。でも明るくなってとりつき易くなった感じでいいじゃないですか。

新田:わらっている。

佐藤:以前の様子も面白かったんだけど、この鍵っ子的凝り方を面白いというと失礼かなと思って言えなかったんです。

丸山:2009年に来て頂いた時に、学生にも何かインタビューしてただいて、結構学生には割と厳しい感じ、はははは どういう反応するかなーと思っていたんだけど。以外に素晴らしくってそれはびっくりでしたね。聞き取ってもらって好かったなと思っていました。

佐藤:知らない場所に行ったら、知らない人にいろいろ話を聞いて、記録収集しているんですよ。建築家とか言われるなだけど20年ぐらい設計してない、エア建築家だと自称してたんだけど、震災後住宅たのまれて設計したから元エア建築家にもどったけど。丸山さんの教育方針ではないですけど、言葉をちゃんと話せる人が少ないので、いろんなことを聞いたり、聞きだしたり、語り合ったりしようと思っています。説教する人はたくさんいるんだけど若い人に聞く、語らせる人は見かけないので、若い人に話す機会を設定したいと思っていました。
大阪に最初に行ってお会いしたときには、今の様に伊藤さんが話す人だとは思っていなかったです。

伊藤:喋らないと生きていけなくなってしまったんですよ。

 (右絵:記録は佐藤HPの旧サイトでご覧ください


伊藤立平さん推し曲

辻井伸行 ラ・カンパネラ


その2に続く
佐藤敏宏の日記転写

2009年10月29日 晴れの福島、曇りの横浜 

俺・超早起き!5時に起きて、始発の新幹線にて横浜市の白楽駅をめざす。早朝なので冷え冷えの構内はマバラに人が行き交う。眠い。講義開始は10:45分なので10時迄神奈川大学に着ければよいのだが。

(曽我部昌史先生、丸山美紀先生)

乗り換えナビの指示通りに事が運ぶ、正確さ。時刻表をあれこれ調べる気にならないだろう。9時20分白楽駅に着く。ドトールで朝飯のサンド一気し、神大に向かう。駅周辺の町並は人間にあったスケールと配列だ。楽しげ通りと、普通道の二重構造が面白い。都市農業の野菜など捜しつつ歩く。高低差と住宅や商店など混在していて楽しい。正門傍に発砲スチロールに植えられたミニトマトを発見する。正門、10時到着ホッ

白楽は 横浜から僅か電車で5分ほどの位置にあるのだが、駅から15分ほどにあるキャンパスも ここが 横浜であとを忘れるほどに 周辺の住宅に溶け込んでいる。適度な地盤の起伏もあり視線の上下も楽しい。正門前芝生や東屋は近隣に人々に開放されているので子連れのヤングママ達が5、6組遊んでいる。なかなかよさげである

10時10分ごろ、曽我部昌史先生と、丸山美紀先生に挨拶し、3人で教室に向かう。PCが投影されないことが多いので、事前にチェック、マイクも各員。案の定、三人はPCに明るくないので投影されず、急遽学生に手伝ってもらい。PC像 投光に至る。myPCはキーがはがれてないので、直接接続できないので、使い慣れてない、pc操作に戸惑うもなんとか講義開始5分前に準備は終わる。

1時間15分にと想って作っていった資料の1/3ほどしか?トホホ 紹介で終える。集合写真を撮って、受講5、4と丸山先生とで 中庭で昼飯を食う。色々食べる。学生にインタビュー受ける人が居るか?と問いかけると修士課程の4人ほどが名乗りを挙げる。










週一のゼミに当たっている日なので、pm10時まで掛かって4人ほど音録をする。内2人は芝生の上や東屋の下の外部での録音ができた。 

(インタビュー順・小金丸信光さん、村上啓祐さん長谷川明さん、坂本友里恵)

お前の家は俺の家だが実現し丸山先生の家の泊めてもらえることになる。pm10:30頃着く、夕食をとる。

11から丸山美紀先生と御主人の新田有平さんのインタビューを3時間ののち1時間雑談し寝る・長一日はAM3:30頃終わり寝る、耳奥で色んな肉声が交錯ているような気分で夢うつつ状態が朝まで続く。

絵: スクラップ 2022年2月7日 神戸新聞 に紹介された坂本友里恵さん

 その2へ続く