佐藤敏宏
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2023年01月の日記          

1月31日  雪が溶けだして自転車で行き来できやすくなりつつある

■午前中徒歩で、食材買出しする。

■午後13:30分家をでて病院に行き、MRI検査を受けてもどる。16時すぎとなる。今日から毎日病院行となる。すこしくたびれるので帰ってから30分ほど横になる。

■東北電力がスマートメーター付けての、月々の電気使用量が伝票がこないので、通年の使用料と料金が分らなくなって、何がスマートなのか、不明。で毎月葉書を送るように電話で連絡した。

先月なぜか普段の1.5〜2倍の電気料金が請求されて驚く。戦争と円安の影響なのだろうか?それとも冬はどうしても暖房などの使いすぎになるのか?謎だ。

1月30日 ときどき 寒さはかわらず

■今年は「博士による師弟対談」web記録を数本つくりたい(目標)
石榑督和博士と青井哲人博士、師弟対談校正ゆっくりと進みだす。(2022年11月27日@神田あび清)師は50代以下希望。



■2017年8月岡田治子さんに聞く 依頼があったので、すこし修正する。
治子さんは美空ひばりの歌が好きで、「知床旅情」を日ごろから口ずさんでいたという。検索したら動画が落ちていましたweb記録に美空ひばりが歌う知床旅情を埋め込んだ。メディア混合いい感じ

■「myブーム」聞き取りしweb記録に音楽を埋め込むこと
web 記録は今世紀になり大流行りだ、特徴てき愉楽はメディアミクスに尽きる、(中身はどうでもいいかも・笑)世間は仕事に追われ、忙しい人々ばかりで他者の話や記録など見ている暇は無い。で長いweb記録など読まれることはない。だが、メディア混ぜ合わせの面白さに魅せられてしまうと誰かに読まれる、読んでいただくなんて思いは消えてしまうから愉快である。多量の公開されている情報は共用のためのタグがあるから著作権問題は起きない。欠点はそれらのURL記録が削除されていつwebから消えるか予測できない、穴だらけのweb記録になることだ、それもまたたのしい。さらに昔のTVのようにmy記録にコマーシャルが流れる不思議さもある。紙媒体ではこのような事が起きないから面白くないと俺は思う、いろいろなモノに邪魔され侵入され審級され何かがなっていく、それが面白い。
■聞き取り記録作成後推し曲を聞くと想像していない曲が飛び出して面白い事極まりなし。なので歌・楽曲を埋め込む、癖になってしまいました。
■篠山市に移住し椅子を製作販売している大橋力さんの推し曲、最近聞いている曲はYMO - Behind the Mask ~ La Femme Chinoise (live at 1993 TOKYO DOME)2頁めの最後に埋め込みする。
https://www.youtube.com/watch?v=cfY9AKKK28M&t=14s
http://www.fullchin.jp/2210osaka/0929oo/hasi02.html。


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1月28日 朝方雪のち  

■大橋さんweb記録を修正しつつ仕上げる。のち大橋さんに連絡してチェックをお願いする。
■午後、あれこれデータ整理する。

FB投稿 

2022年9月29日大橋力さんに聞く チェック用記録まで完了
大橋さんは私が呼び掛けた「津波被災地支援に」唯一社会人で大阪・茨木市から支援にくてくれた方です。現在は丹波篠山市に工房を構え手作りの椅子を制作販売しています。
























1月27日  相変わらず寒い気温低し

■薪が無くなってきたけど、山形の薪やも全て売れてしまったとのこと、なんとかケチってこの冬持たせたいが、3月には温かくなってほしいな。意地悪なおてんとうさまはどのように応じてくれるのかな。

■銀行に雑用に行く。帰り道スーパーで食材を少し買う、自転車は歩道に雪がたくさんあるので危険だから徒歩で行き来する。

■お昼ごろ、藤村龍至さんから連絡があり県庁にて表彰式があったから来たとのこと。よかったです。

■県職員の大和田さんからメールがあり、いろいろ教えていただく。ありがたいことだ、で結果は気にせず、いままで通り、できることは死ぬまで活動し続ける予定だ。色々な人に迷惑かけそう(笑)

■昨年9月29日に丹波篠山市にて聞き取りした大橋力さんのweb記録にようやく絵を付け終わる。少し見直して、大橋さんに修正してもらい、公開しよう。

■今日のFB

藤村さん皆さん、受賞おめでとうございます!
私が藤村建築in福島」を初めて見たのは2018年12月23日だった。藤村さんは仲間を引きつれて現れた、建築あそび」ふうの内部抱きかかえた建築で、皆で共に小高に参集して記念写真をとりまして、から藤村建築を案内していただいた。あれから4年経った。当時の感想は「フクシマらしい表情をしていて福島の建築だと思った(理由省略)」あれから、藤村建築はどう成長したのか?今後さらなる展開にすすみ小高の町中建築たちと連動共振し合って、小高の再生に寄与してほしいものだと願っています。みなさん頑張ってください。たのしみです。
「小高中学の生徒は言葉を失ってしまい未来も希望も口に出来なくまりました。そうした状況下でなんとか生徒たちが語りだし先生たちと共に作った「群青」という歌を知ってますか?悲しい歌ですが 小高(群青の町)で再会したいとう願いがこもっています」小高中生はいまでも歌いづづけています

小高の中学校で311被災,し友を津波で失い、原発事故に遭いちりじりに避難し、いまだに会うことも叶わず、彼らが言葉をつむぎ先生が曲にした群青という歌です 
















1月26日  とても寒い朝で頭がキンキン鳴るほどとはいすぎかな。

雪が多いので予約した病院に徒歩で行く、片道1時間ゴム長靴で歩道を歩くと疲れるけれどいい運動か。今日はCTスキャンで被曝線量10.8GY(グレイ)だと言われる。造影剤を入れると身体が火照るもんだね。病院は新築なって数年しか経っていなうようで真新しく、システム化が進んで、簡単で便利だけど、後期高齢者にとって対応はハードル高いだろが、若い人は情報化社会になれているので、利便性はかなり良いと感じるだろう。診療と往復で約4時間かかった。

■10年間言い続けた、お願いしつづけた福島県建築文化賞の動画記録が公開された。(まだ一本だけど素晴らしいことが始まった。県職員の大和田さんにいろいろ感謝しておきたい、ありがとうございました!ここからはこつこつ動画や記録を増やしたり議論の場を設けたりして、福島県内の建築家などと受賞者との交流から始め、福島県の人々や建築関係者で共に独自の福島建築文化と言われるものを、つくり上げていけばいいだけだ。あとは時間をかける、やる気がある人を探し出して連携強力、継続するだけだ。いや素晴らしいことだ。
公開された動画はこれ

今日のFB投稿
■病院通いと除雪三昧
予約の時間割を間違えて重なり、大雪も来て自転車で往来できないので、歩くしかない往復2時間いい感じだ。身体のガタは老化現象なので死ぬまで生きればいいだけなので、医師にいわれるまま病院通いだが、病気はきにならない。
電子化進んで、10年前より手順はだいぶん楽ちんだし、混雑も緩和されている。コロナはうつるのはしかたないし、気にせずなので、うつさないように病院でだけマスクしている。

■スマフォからフェースブック・アプリ一気に削除した。
10年間使たので、PC操作に切り替えた。問題ないな。
〇県美 ずがもれな感じ
■今時分はジビエで食う季節。少年のころ野鳥を獲りの兎とり、爺ちゃんは山鳥や雉を、

■福島県建築文化賞受賞者の動画公開され始めました!
(建築好きの方々、拡散お願いたします)
まずは第37回、須賀川市の施設からです。(あれこれ言ったりやったりし10年間掛かりました!福島県住宅課さんやりました、ナイスです)







1月25日 断続的に雪がふり、この冬一番の寒いひとなる。

■予約していた歯科医院に行き親知らずを抜き、歯周病菌の手入れをする。すこし歯医者に通うよてい。感染症防止に抗生物質をもらったら、気が進まないけど呑む。

■歯科の帰り食材を買いにスーパーに立ち寄る。吹雪いているので空いていた。寒さ対策して家に籠っている人がおおいのだろう。

■午後、大橋さんの文字記録に絵を付け始まめる。2011年の画像を探し出すに少してまどったが、無事見つけたす。画像を年度別に仕分けして見つけやすくしたいと常に思うけど、フォルダば滅茶苦茶になっていて、頭の悪さを反映してるので、治りそうおない、困ったものだ。

■FB投稿

〇雪の降る夜は薪ストーブで焼芋
熱い美味い!!@福島市。今日は二度目の除雪。一緒に、おでんもコトコト。

〇名前知っている方いましたら教えてください
G86とよばれた東工大生たちと俺(2008年8月8日日比谷公園)先日、すこし話題にのぼったのg86で、名前を覚えているのは山道さんだけですがしっていましたら教えてください。

〇この冬初めての除雪
スキーには絶好の雪質だ。ついでに岩塩に似た親知らずを抜く。歯形のケースに入れ渡される。









1月24日 たり たり

大橋力さんの肉声を文字にしてしまった。こここから数日かけて絵などをつけてweb記録を仕上げていく。

■fb投稿
大橋力さんに聞く 記録づくり
数年前に丹波篠山市に家屋敷を手に入れ移住し「椅子づくり」と「美容室」を大橋夫妻が始めていました。で、とことこ現地に行って近況など聞いてきました。物づくりはいいなやー!(訳あって俺は絶対ものづくりしない派)
■大橋さんとのご縁ができたのは、新建築社に依頼され3・11直後のことを書いたらことだった。その記事を読んだ大橋さんは、俺が、津波被災が多大だった気仙沼市内で「港まちづくり支援」をしていた。その時に支援に来てくれた唯一の社会人でした(大学の教員は除く、学生は世界中から来たがあまり被災地域の実働には成らず、地域の老人たちの心を癒してくれ若返らせた、それも大切なことではあったが)
■でその後、12年間の間どのように生きて来たのか?丹波篠山市に遊びに行って観てきました。■大橋さんとのワイワイ記録は他者にとってはヤオイふうに近いけど少し違う、そのような記録にちかずいていい感じです。これふう記録もいいなやー


災害被災地で被災者の声の聞き方
一軒ごとに個別訪問、虱潰しに聞くのが、いちばん地域の本音マップを手に入れやすい。同時に今何をすべきかは確実に聞ける。車座対話だと慣れている者やデカイ声地鳴りする有力者の声が残るだけ。で、女性や地域の弱者の本音の声は聞き取りしそこなう。行政との対話は個別の声は伝えることが困難だ。ロの字型の対話はどうも堅苦しくなる、などそれぞれの対話形式には弱点と利点がある。使い分けるのが後々はなり効き目を表す。急いでまとめようとすると分断と対立を自ら作り出す事に成る。対立が生まれたら両者の家に行き、個別に聞き取り、落としどころを見つけ、各自に説明すると和解し易い。絵は気仙沼市で撮ったもの。
〇学生が被災地に学ぶことは多いが、地域の人の集会と分け対話や発表を実施しないと、問題が起きる。絵は学生による地域まちづくりの提案、地域の人はだれも参加しない、夢物語だと知っているからだ
〇 学生を漁民が働く海上につれだし、漁業の作業を体験させるのは効く
〇女学生に被災地取材してもらいフリーペーパーを発行すると飛ぶように配れ、地域の課題を共有し易くなる。新聞やフリペは絶対要る。お爺さんたち自分が紙面に載ると親戚一同に配るので配布効率は抜群にいい
〇 被災地では女子会をつくること。彼女たちは忙しいので、頻繁に会合を開くことはできないのだが、地域を支えているので何をすべきか?女性たちの声を聞くと明確になる。だだし男性に恨みを買う可能性が高い





1月22日  寒気が押し寄せているそうで吾妻小富士すっぽり暗雲に包まれている

■昨日はたまった段ボールを薪ストーブで燃していたら、午前が煙とともに消えた。

午後はアサノさんの講義感想文を書いてアップした。ついでにFBにグループ「ay2」をつくり情報の共有し易くした。(アサノさん講義の感想記録) 左はグループの扉絵にしたもの、

■今日から昨年9月末から10月初旬に大阪で聞き取りした言葉を文字に。作業再開だ。コツコツ作業で4月末には終えたいのだが・・・。

■渡辺豊和さんと「新都白河計画」を発表(その基地は鹿嶋神社)

世話になった鹿島神社、日本一早い豆まきした!懐かしいな。「白河市の文化センター始まっていらいの超満員だ」と施設の方が教えてくれた。その時の基地が鹿嶋神社であった。禰宜さん建築士だったから遷都話に積極的で、事前事後の話合いに何度も社務所を使わしてもらった。で、渡辺さんはじめ多数の人と泊まり、赤飯焚いてワイワイまでした貸布団代あんがい高価だったよ(笑。神社に泊めてもらった人すくないんじゃないかな。
 



1月20日  今日も快晴吾妻小富士も美しい

■書くことが多すぎて、思いつくまま書いたら1万字は軽く超えてしまいった。その原稿を短くして福島県のことと柳柳美里さんの事にまとを絞り書いた。二つの話と時間が行き来するので書いていて面白かったが、どうか。 編集長からの返信だといい感じみたいだ。画像と略歴と質問の問いを送り、一端はまどおり視察のことはお仕舞。対談の校正があるのかそうかは不明。

■夕方からアサノコウタさん初建築を体験し夜講義を拝聴する。
■21日県美術館から招待葉書が届いた。3月5日までなので観に行こう。



1月19日  すっきり快晴、吾妻小富士から家型山まで雲一つなくみえた

■朝いちで病院にいき診察を受ける、さっさと入院検査の手続きまで進、癌の疑い濃厚らしい、まだ決まったわけでもないが、決まっても暮らし方は変えないで、活動する予定。
体力消耗しないように、すこしだけ自制しながら活動する。

磯崎新さんの国会議事堂など移築案
311後多様な提案あったが、磯崎案が日本の状況に鑑みベストだと思うよ。皇居は京都にもどすのかも?宿舎で閉じずに、対面させるべき https://ken106.hatenablog.com/entry/20110907

五十嵐太郎さんの磯崎さんについての記事おちてきた。寄稿 「磯崎新の教養とサブカルチャー」

■癌持ちオヤジなのなの?
この模型分かりやすいくていいよね!◆気まぐれに市民検診受診したら「デカイ病院で精密検査せんかい!」と指示され、今日からスタート癌道の新入生となる。(俺の感だとほぼ癌だな)どのあたりに癌細胞があるのか?CTとMRIで断層写真を撮り確認。そのごゴルフボールに似た大きさにある癌細胞めがけ注射針を刺し、ここが生ガン!の在処を目掛け吸い取る取るんだそうだ。
すぐに死ぬわけではなそうだが、いつ死んでokな年齢なので死ぬのは気にならない。女医さんいろいろ心配してくれるので、ご指導のまま行動します。地酒はmy癌(決定してないな)に支障なしとのこと、酒は呑めるよ(笑
◆50歳すぎたら市民血液検査で分かるので受診をお勧めします。早めに分かるのいいのか?その判断は俺には分からない。癌細胞と共に仲良く天寿を全うできれば満足なり。癌に気をとられず、気にせず活動するのでお誘い頂戴ませ。
前立腺癌について詳しくのっているweb頁見つけた 

絵は断面図です。女医さんに許可を得て撮りました。これが有ると説明しやすいね。ボールペンの汚れ跡がガンぽい!のかな



1月18日  

午前中原稿を修正し 出典を書き入れる。
■午後いちでスーパーに食材を買いにいく。その後出来た原稿をAIに読ませて、間違いを修正すること数度繰り返す。原稿つくりには便利な道具が一杯ありいい世の中だが、ネタ元はこつこつ書籍にあたり現場に立って探しださないと、気に入る原稿は書けない。そんな気がする。

■FB投稿 
わーい、依頼原稿─完成した! 
雑誌掲載になったら物議をかもし、叩かれもしてほしい!もんだ(笑)みな元気がないから読まれもしないだろう。思うまま書いたら15000字にもなってた(馬鹿だね俺)2000字縛りだと気が付き、ぶった切りつつ書き直す─・・・しかしひどく勉強になたし、気が落ちて病気になりそうにもなった、だからまま、2万前後で、もっと長くなるか?web記録をつくりたくなった。対談内容と重なるのを避けながら書いたが、対談の校正は何時で連絡くるのか?な・・・。そんなことより、オモロイ貴重でいろいろ出会いもあり、ナイスな原稿書き10日間だったよ。(明日からは聞き取り記録の続編開始だ)
書き終えると、また続き、あるいは掘り下げてさらに書きたくなるから面白い。
時間が掛かったんは書く内容ではなく、引用文の在りか記録するため、何冊も頁をめくりまくったからだ 思うに任せて福島の「フクシマ問題は書けないよ




1月17日 

my長男の誕生日とあって家人元気で思い出を語る1日

■前立腺の検査を受けるため予約している病院に向かい所用時間を確認する。家から20分ほどで着いた。当日は30〜40分予約前に家を出よう。

■病院の帰り道、県庁本庁舎にいき、311で被災し除去された時計塔観に行く。守衛の方に案内され屋上まで登写真を撮ることができた。また施設管理課にも案内された、親切な守衛さんだった。旧知の鈴木勝巳さんが主幹の席にいて、ワイワイ情報交換が出来た。鈴木さんは相変わらず気さくである。在りし日の時計塔の画像のコピーして頂戴する。

福島県本庁舎の時計塔跡を観る
消えた時計塔であるが守衛さんに屋上まで案内されるほどに多くの県民にいまだに記憶されている時計塔。
施設管理課にも守衛さんに案内される。鈴木勝己主幹と少し語り相談にも乗っていただく。

国交省による被災調査報告(時計塔の被災状況もあり)http://www.nilim.go.jp/.../h23tohoku/110314kentiku.pdf 



■1月20日 福島市内でも若い人びとが語り合う場をもてるのうか?第一回ワイワイ開催する。
昨年末建築文化に関することでショックをうけたので、協力しあい模索してみたい。(2022年3月16日地震による災害バブル再発しているような気がする中)ツバメ主催でテーマは山崎さんによるモマの日本展についての博論などからショートレクチャーだったような気がする。関東圏は建築に興味を持った人が集まる場ではあるが、建築文化はどこにでもあるので福島市ないでも若い人などが語り合う場は恒常的に要るような気がする。

1月16日  寒さがもどってきたようで西風冷たい

■お酒のせいか?下痢が酷く10時ごろまで寝ていた。起きて1日中『電力県ふくしま』を読む。只見川開発に伴う出来事を詳細に記述してあり、原発が稼働しはじめ第一に6機設置が決まっていた1972年10月27日の大竹作摩、木村守江を囲む対談は興味深い。木村は放射能の問題にたいして、さほど知識が無いことが分る。で10機も福島県内に設置してしまっていたわけだ。詳細に書いておこう。

■先日の浜通り視察から原稿書きまで一連の作業を続けていると気分が悪くなる、どころか下痢までともなってしまうのはこまったことだ。復興とはいえ被災者の声がどのていど受け止められた構築されているのか?かいもくつかない、望まれてつくられているのか、行政や地域の人々は雛段にかざられていただけのような気もする、その基本的な点はふめいなので、どうも気分は優れない。

■県庁の本庁舎にあって、311地震で倒壊した時計塔を観に行こう。

FB投稿
おさらいする 電力県ふくしま
大竹知事によると県民一体となり私利私欲を捨てて国会のため地域社会のため団結した!と語っている。東京圏に電力を送るために福島県民は一丸となるのは常識の一つでなんであったようだ。
◆奥只見発電所 田子倉ダム 観光と発電所、只見線なと連動し。建設当時は囚人も動員され1日6000人の作業員でごった返す。饗宴も5年間連続、東山温泉は官僚や電力会社、県関係者。地元は映画館ができたのか?ふめいだが、お金の出入り盛んにて銀行出先機関は出来るも、作業員の財布の紐は硬く家に送ってしまうため、只見の町はさほどだったそうだ。

渓流や川釣りの釣り好きにはたままラン場でもあった。今でもそうですね。




1月15日 曇り

花田先生より「生きる」映画招待券。送られてきて受け取る。こういう映画は見るのが辛い、みなければと思いつつ、歳のせいか、真冬なので寒くって気が弱っているせいなのか、どうも、元気がでない。

観るのは実に辛いと思うが観よう。大川小学校津波裁判を闘った人たち。わが子がなぜ学校で最期を迎えたのか。10年間の親達の記録。特別招待券をプレゼントされる。

■石巻市に通っていたので、実情は見聞きしていた。生き残った関係者は針の筵に生き続け居てるのだろうから、じっと見る義務ぐらいはありそうだ。だが・・・。

1月13日  

朝から夕方まで依頼原稿を書く。ほぼ出来た。(註)もいれつつ、日時など探しながら書いているので、思いのほか時間が要る。

■FB投稿 
久しぶりの紙媒体用の依頼原稿(笑)
長くなりすぎて困ちゎうが、柳美里さんの困難抱え続けるひとり町づくりを一推しとしたよ。ほぼ完成間近!ボケ老人になったのか、慣れてないからか?不明だが、紙媒体用依頼原稿はweb用原稿の字数制限なしとは明らかに面倒くささが違うと再確認。

投稿したの忘れる。で自分の投稿シェアした(笑)
只見川開発のおかげで7億円かけられたと語り県庁舎建設にあたり東北電力と東電から寄付を受けた金額明示している。原稿書いてキーとなる証の対談録見つけた 1972年10月27日だった (民友新聞発行書籍なはず)



1月12日 ときどき晴れ

疲れたようで唸り声あげていたと家人は言うのだが、あかるい陽射しを受け、河川の上を軽快に空飛ぶ列車の車窓からの展望のを楽しむ、そんな開けたいい夢を見ていた。のんびり9時半まで布団にもぐっていた。

■昨日の原稿書きデータをしていたら昼になる
■午後、近所の農協直販に行リンゴを買う。

FB投稿

廃炉40年、中間貯蔵30年はぴんとこない

既に12年経った。俺にとって40年、30年間先は死んでしまうはずの時間なので、ピントこない。自分が経た40年前と現在を繋ぎ合わせ想像するしかない。この手法は『すずめの戸締まり』で被災した少女を成長した女性が会いにいく筋がき、東京プリズンという小説も過去の自分に会う筋だと聞く。能などにもありそうな普遍的なストーリーなのだろう。

そこで自分の40年前に会ってみることにしよう。土湯温泉の路上を3日間占有し身体表現、やトークショー、臨時ラジオ放送局から発信、アート作品展示などを主催した。(今は行政も支援する人気コンテンツ、各地で開かれるアートイベントだ。)
我が家を完成さ入居し40年間だ。どちらも記録を作り刊行したり建築雑誌に掲載されたので40年間の記憶を蘇させることができる。記録なければ全て忘れて、とんでもない遠い昔となる。

じき40年前の「我が家」@朝日新聞掲載記事 随分、昔よ!

(記事は俺が書いたのでない。内容は俺に責任はない。)

俺んち何か?めずらしかったのだろうか。鉄筋コンクリート造だし、朝日新聞福島版に掲載された。「核シェルターですか?見せてください」と近所のお爺さんがやってきたこともある。もちろん放射線は木造住宅より遮る性能はあるが、核シェルターではない。設計をやめて20年ほど経つが、今でも「建築家」と呼ぶ人もいるけど、その自覚はない。朝日の記事のように建築士でいい。そろそろ「建築士」も返納してだだの爺さんいいと思う。

40年前の思いとは裏腹に均質金太郎あめ的住宅だらけになってしまた。俺の思いは世間とズレていたし、どこか間違っているといえるだろうが、人にはそれぞれ自由が保障されているので、もうちょと自分に合った家をつくってもいいのでないか?(余計なお世話でだね)で他者の家にコメントしたことはない。今でもコメントしない、したくない。


記事の写真から推測するに、薪の量は今年買った数倍もある、160束ほとで倍の長さだったから、朝から晩まで燃やしても、春先いは余っていた。
放射能が実家の周辺に降り積もったので、薪は山形から買っているが、建築材料としての木材の1立米あたりの単価の10倍する。来年からはウッドショックと言われ値上がりしているのだが、建築木材料を買って燃やそうかと思うほど高いので呆れてしまう。

1月11日 たけど気温低い 

■午前中 データ整理する
■午後一番スーパーに食材買出しにいく。買い過ぎて重たかった。
■3時ごろから原稿を書出し、半分以上書いた、字数を粗くかぞえたら、1500字ぐらいになっていた。まま書いたらオーバー確実だ。まま書いて後半だけの原稿にしてもいいかも、でも前半もいい感じに情報が過去と現在を行き来して進のでいい感じだ。
明日書いてしまおう。



1月10日 雪、朝方数p積もる 寒い

■朝から依頼原稿2000字を書くためにデータを集め整理していた1日。合間に時々FB投稿して、思いを保全してた。便利な世である。

■以下FB投稿
柳美里さんとの2ショット データを探す
2018年12月1日La MaMa ODAKA(ら・まま・おだか)で撮ったはずの見つけた。2023年1月7,8日浜通り建築など視察し改修が済めば、フルハウスを推しなので、データを整理している。そして依頼あった原稿を書くよ
昨年3月16日の巨大余震の影響で職人が集まらず、遅れているようだ。


■ 今年も和牛のセリ始まりました。
修行時代のmy設計で、今年も使われ競り続けてます。設計当時は天井から吊ったセリ牛用レールは無く、中央にぽーるを立て手綱を巻き付けてセリをしてました。
◆県土木部営繕課の図面チェックに次長に冷笑され「お前の脳はお花畑!」言われましたが(笑)何とか畜産課の熱い援護があったので通過!(セリ画はネットから)県発注の建築に関わったのは最初で最後でした。1981年6月図面納品し工事監理もしましたね。人生で最も貧し黒歴史時代でしたね。で、サッサと修行をやめて、my事務所開所し20年間設計しましたが、2000年で設計もやめてしまいました。今はボケ老人です。
建築は放射能にも地震も負けず壊れず42年間踏ん張るもんですね。もう少しすると登録有形文化財申請資格もらえるので解体しないでね

建築次長(営繕課長)に冷笑された因は何点かあって、その一つが競り場を演劇空間のようにした点でした。競り場の天井を高くし家畜主たちをひな壇にならべ競りの高揚感を建築設計意図でサポートしたわけです。(許されないでしょうが、演劇にも転用できますよ)もう一点は競り場建築の屋根を裏の山並みをなぞり、威圧感を削除しつつ内部見上げによる視線を高揚させる、そのような競り場の内部空間と外部空間の合わせ技です。競り人も生産者も興奮する場だと思うので、そのような建築的演出をするのは妥当だと私は考えたんですが、冷や水を浴びせられたわけです。右手前は食堂ですがマンサード屋根にして生産者の緊張を取り除き食事をさせようとした意匠です、これも冷笑し悪口は言われましたね 百姓のための建築なんて柱と平らな屋根で済むだろうと言いていたと思いますが、私が無視してこのような計画をして図面を描いたことが因ですから自業自得というやつです

■メモ)安倍化├専制化あるいはクマさん依存症発症┬すすむのか?
「ゴミになるよ」と指摘したら県土木ブ建築課のムナカタ次長に居酒屋に招待され、慰労されたのを思いだしてしまった。指摘、直後からゴミ化が起きた。
311以降、フクシマの世は激変し世界中から視察者か訪れる地域になっている。ゴミのままでは恥さらしになると考えたのでもあろうか?村営にしてまでクマさん頼みとわ。大丈夫か?私を含む福島の人々。
放射能にらよって人心が激変した、その一つの証になるかもしれない廃墟再生事例、成功してもらいたい。
その結果、やがて、近代化による名建築が壊しまくられた福島県内にあって奇跡の建築と称されるのだろうか?放射能災害世界最先端の地域から目が釘付けにされないよう、注意しウロウロせねば。

1月09日 

7日8日と県内浜通りの建築などを視察してた。企画は建築ジャーナルの西川直子さん山崎さん、メンバー推薦は五十嵐太郎さんと西川さん。案内運転は、日大研究生の高木義典さん 写真家の飛田晋秀さん、彫刻家兼批評家の小田原のどかさん 。
 実施行程と簡単なめもwebページをつくってアップ。

 依頼された原稿のタイトルをあれこれ書き出す「推し!フルハウス」「浦島太郎の後日談ー復興的建築現場における時間概念の混在と問題」 どちらにしようかきめかねるので、たのタイトルも書出して今後の記録作りに活かしていきたい。

■7,8日FBアップした写真
浜通り建築視察の2日間。西川直子さん(建築ジャーナル)企画。高木義典さん運転。小田原のどかさん、加藤裕則さん、飛田晋秀さん山崎さんで48時間ワイワイぐるぐる。(記事になるかも)みなさんお長時間お付き合い頂きありがとうございました。



浜通り視察終わり1日め宴会 
のち小田原さん高木さん五十嵐さん4人で二次会はバーで。原町駅そばのナイスバーでしたよ。


7日の投稿

一日あたり廃炉作業員数(この一月平均)4620人 浜通り震災後視察一日目終わる。てんこ盛り過ぎて疲れた。早起きのせいもあり眠い!



復興交流館あぜりあ オープン2018年
みんなで視察してます。放射能測定所も併設。開村100年

















1月06日  風も無く気温は低いが陽射し明るくいい感じの1日

朝から大橋力さん肉声を文字起こしする。体重増加月間 毎日あんころ餅食う!
俺様製の干し柿も。血糖値爆アップかも。幼少期にお正月のあんころ餅はこし餡だった。家人は東京人なので小豆ままあんころ餅

■県立美術館から1年ほどかけて寄贈した斎藤さんの絵が昨日から展示したとのこと連絡あり。美術品を寄贈したことでその経過、美術館との関係、学芸員の専門性などいろいろ体験することができた。サンチャイルド像寄贈に関してのドタバタは関係者すべてが稚拙としか言えない、そのことが分ったことも寄贈してよかった。

斎藤隆さんは特注のケント紙にコンテ鉛筆で描いています。独学叩き上げ派で放浪癖のある絵描さんです

■FB投稿
福島県立美術館へ昨年寄贈した作品、展示されました。皆様もどうぞ見てね
斎藤隆作 一対の日本画(1980年代半ばに買った作品)斎藤さんの男女ペア作品は稀なんですよ。館内撮影禁止です。
■県立美術館よりのお知らせ内容
昨日から、今回ご寄贈いただいた齋藤隆の作品を展示しておりますのでお知らせいたします。
添付で展示画像を送付しますのでご覧ください。展示期間は3月5日までとなっております。お時間のあるときにぜひご来館いただけましたら幸いです。




 1月05日 西風強く  断続的い吹雪きも舞う。がさほど積もらない。寒い日だった

■午前、町中の銀行に行き灯油代を振り込む一月4万円チョイだ、今年の冬は20万円ほど燃料費、薪代は6万円払ったがもう二袋で6万円要るような気がしたので、ネットで注文をお願いした。

■大橋力さんの言葉を文字にし続ける。

■午後スーパーに食材を買いに行く、二度行ったが長ネギを買い忘れてしまう。

■体重を60kgにしようとしているので、おやつに自家製小豆を炊いてもらってお汁粉を食べている。

器は美術品を寄贈したので、福島県立美術館に記念にいただいた会津若松の漆器。






















1月04日   

自家製おしるこ!
今日も食う、うまい(体重増加月間)

大パンク!(311支援物資自転車)
自家用車を捨ててはや17年ぐらいかも?自転車と公共交通を主に移動するだけなので移動域、範囲が絞られた。でmy地図はかなり変わった地図に変容したけど、車移動の地は存在しないことになり、行かないのでスッキリ。(時々、自転車に乗せて頂きます)他は徒歩で移動。
13年目突入すん前なのだが、大きな音と共タイヤとチューブ破裂したので、修理に出す。所用時間1時間.料金5千円ほど

■更田豊志2022/09/28  職員を前に退任の挨拶
国は廃炉を40年で終わらせるとしていますが、「最難関」と言われる溶け落ちた核燃料・燃料デブリの本格的な取り出しは、まだ先が見えない状況です。この状況について、更田さんは次のように述べました。
原子力規制委・前委員長 更田豊志さん「すべての放射性物質を取り出すとか、ゼロにするということは、技術的にはなかなか考えにくくて。できるだけ量を減らす努力はするけど、あとは現場をいったん固めてしまう、安定化させてしまうということは、現実的な選択肢なんだと思います」溶け落ちた核燃料・燃料デブリは、原子炉圧力容器や格納容器の底にたまり、こびりついています。更田さんは「これらをすべて取り除くことはできず、原子炉建屋の底部については、その場でいったん固めるのが現実的だ」との考えを示しました。

桜井南相馬市長と原子力規制委員会の話し合い動画
https://www.youtube.com/watch?v=Ut1VEkFkFW

原子力規制委員会2022年12月28日定例会見動画
https://www.youtube.com/watch?v=seeYhcl-IUs


■10年前の投稿を見て
言っているだけで政治家はつとまる演技が上手なら政府関係者は務まるわけだ。被災地に暮らすものは演技は見破るし許さない
・・・退官した更田さんは「完全なディブリ取り出し(廃炉)はできない」とあいさつしてたね。動画後で貼るよ
■それにしても福島県・県議会で10機廃炉の決議を全会一致で採決したのは奇跡に近かった。(共産党の請願に自民党が乗った!)



1月03日  朝方、雪がまっていたが昼にはやむ。

■小豆自家製 お汁粉をいただく




■朝がた初夢を見る。声をだしてうなされていたようであった。

FB投稿内容
うなされまくる初夢!シンド!
家人に「うなされてたけど、具合でも悪の?どうしたの?」と聞かれてしまう。初夢は封印して置こうと夢の中で思った。「家の内外の除染作業をしても全く放射能が取り除けない!夢を見ていた」と伝えてたら「逆夢よ!」ケラケラ笑「年取っね、糞ジジイ!」と励まされた。初夢の内容・詳細を飯くってから追記してみよう。逃げ惑う人々を見たあの光景を。

言葉に置き換える夢は見た夢とことなるな?夢をのこしたきなら動画が、あるいは絵のほうが合っているかも

ま、いいや。忘れないうちに文字にしておこう。火災や濁流が流れるなか火災の熱をさけるように川上にむかって多数の避難者が遡上しているのが見える。丘に立っている見ている俺。
川の水に浸るのは生命の源に浸かるという生が満ちてきている夢の意味なのだと思うが、老人の俺は川面に浸ろうとしない。そこは放射能が汚濁水と共に集まってしまう、最も危険な場所であるからだ。空気から伝わる放射能汚染より、直接水にある放射能の方が呑む、皮膚に直にこびり付くなどして、放射能の害を何倍も受けてしまう。福一原発事故を経た終えは放射能が水と共に各所にホットスポットを作り、動き続ける、その事実は放射能を除染作業したので、肉体に染みついてしまっている。で水の流れにそって、放射能が集まり積み重なってしまうので、311後、河川敷きには立ち入りたくない。

こんな様子・第三次世界大戦後のような風景に俺の身辺が変わるのは次に起きる現実だの姿だろう、そう思う。

丘の上の大勢の避難者が集まる建築物の内部測定してみると、放射線量が異常に高い。除染しても下がらない。内部も外部も放射能まみれの中人は生きて、騒然としている。
老人たちは死を恐れないのだろう、放射能の在りかをしめし、避難するように伝えても、いまでの生活を続け、危険性を受け入れようとしない。
若い者のたちと共に何とかしようともがきづづける、そこで目が覚めた。


■2022年9月まつ丹波篠山市に暮す大橋力さんとのワイワイ記録を文字化し始める。
FB投稿
玉無しジジイか!?@2023
昨年から作り続けてる大阪聞き取り(言葉悦覧)web記録作り再開。自家製、粒汁粉を頂戴し体力増加月間突入!
昨年末医師から玉無しジジイにかるから精密検査!すろすろ!の指示をうけ精密検査予約した。玉取り現場に入るには体力が要るだろう、と思い体重増加3キロ目標だ。問題なく玉ありジジイの、エロ好きなままなら、たんに豚化するだけだが、まいいや。








去勢された我が家飼い猫、新年早々、玉を温めてる(笑

玉をあっためて、なんがわるいんや!






1月01日  新春の光爽やかな元旦 近所の野良猫も活動している。

■午前10時 家族人でおせち料理をたべる。とそもいただく、お正月。

■洗濯をする お正月の陽射しよく温かいので布団を干す。

■FB投稿 

明けましておめでとうございます。
今年からまたご迷惑をお掛けするとおもいますが、よろしくお付き合いください。

◆先の兎年から12年間、311大地震、放射能浴びまくりに始まり、昨年20世紀型戦争が始まると「また放射能が天から降って来るんだな」と思うと同時に、敗戦後の日本の政治状況を赤裸々に晒してしまつた元首相狙撃事件など、ぼんやり田舎で暮らす、平和で平凡な暮らしなんてありゃしない!そんな事実で当たり前を確認し続けた12年間でありました。ですから、ささやかな人生においてたいへん、興味深い時間でありました。これからの12年間、生き続けることができるのか?想像しただけで楽しく、未到への挑戦の時間となるのだな、と感じます。
皆におかれましては、どうでょうか?本年もお会いしワイワイいたしましょう。よろしくお願いします。


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