佐藤敏宏
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2022年8月の日記          

















8月31日  のち 昨日は寒いきがしたが少し気温あがってきた

■昨日の午後から、27日の松戸で森純平さん、花田達朗先生とワイワイ記録つくるため肉声を文字にしはじめ、1時間分ほど終える。残り2時間分こつこつ続けよう。

■自家製・葡萄ジュースできた
濃すぎるので水を30%加え呑みやすくする。放置し過ぎるど密造ワインになっちやうので加熱処理し冷やす

森純平さんと語り合う@PARADISE AIR 一こま紹介 
空間構成が八戸市美術館と同じだった(筋金入りの証!)
手前が海外のアーテストが制作する場。奥がワイワイの場、内装は既存ホテルの内装のまま。レイアー分けして見ないと理解されないだろうが、これがこそが21世紀における暮らしぶりの一コマ、その事例にもなっていて、人々の出入りによって瞬時に機能ががらり、ガラリと変わる、あるいは重なり合って展開する様は痛快であった。
こののような事態を平然とこなせる人に会った事がなかった(で推し続けたわけだが理解されるでしょうか?いまだレイトモダニストだらけだじゃつた)■文字起こし開始しました、なんとも!気持ちいい。



■FB投稿
葡萄ジュースを作る(濃厚すぎ)
庭の葡萄を摘み取り潰して葡萄ジュースにする。天然物は色は澄んでないがとても美味い!放置しておくと酒になりそ(腐る確率高し)


8月29日  初秋のあう穏やかな天気

■27日〜28日東京での聞き取り活動のデータ整理をする

■午後1番で食材の買出しをする。3000円のクーポン付き券を買っていたが使いにくい。

■26日午後、福島で買い物などして神田の「あび清」の事務所に行く。27日のワイワイ準備をする。

FB投稿(26日)

日本のいろいろ中心地で寝る
そして日本橋や日銀そばで目覚める
暑い!ここは眠らない大都市。真夜中も人々が活動し続ける音、都市音楽が鳴り止まなく快適である。その音から老人はエネルギーが注入され続ける。そして目覚めると元気になっている。ただ佇むだけで、エネルギーが集まるのを感じる。
老いたら山里に逃げ込まず、出来ることなら駅舎のような場に暮らすべし。と朝日が教えてくれる。来月は大阪になが滞在するので関西の中心地で寝泊まりし都市を堪能しよう




27日 午前9時松戸集合でPARADISE AIRを森純平さんに案内していただき、3時間駄弁る






27日午後 花田先生の誕生日を中華料理屋で冷やし中華をたべビールを呑み祝う


種田元晴博士と花田達朗先生
昼呑む






8月25日 

明後日27日の東京行きの準備をする。午後買い物頼まれて近所のスーパーに行く。
荷物が重くなりそうなので、あすの晩に神田に行こうと思い直し計画を立て直す。

 8月24日  蒸し暑い日

■27日の東京行きの件でいろいろな方に連絡をする。

■6月23日、八戸市立美術館で森純平さんにお聞きした(俺がほとんど話している)web記録の校正が届いたので修正し公開する

■食材を買出しする。

8月23日  気温上昇し暑い 夜、2階の仕事場32度

■午前中農協直販店にいって川中島、桃と野菜を買う。
 家人が手書きの仙台育英優勝おめでとうメッセージをつくったので、写真にとって送る。

■午後、昼寝をしつつ資料を読む。
■9月末からの大阪聞き取り活動のことをあれこれ考える。現地入りする前に考える時間が多すぎて、方々に行く気満々。だけど体力と交通費がもつのだろうか?
と詰まらないことを考えてしまう。体力が無くなって来たあかしかも。

8月22日  すこし気温上昇して仕事場32度ほど

■午前中、資料を読み込む。午後高校野球決勝戦web中継を途中から見る。仙台の育英高校が優勝した。100年間?深紅の大優勝旗白河の関をこえる言われてきたが、こえた。
控え投手も含め10数人が140キロ超えを投げるのだという、今日は2人の投手で勝った。ホームランも少なく今日の満塁ホームラン1本だったとか、ホームラン無しで優勝すれば初だったという。PLのような野球ではなくなったのはいい。監督のインタビューも高校野球が変わったことを知らせるないようだった。

■FB投稿
目指せ!60種福島県産地酒2022
喜多方あたりの地酒、麹しゅうと甘い辛い。冷やすと甘み薄くなるのは福島県産地酒共通。名前のような天才作曲家とは異なり迷いおおし地酒かな。
◆今週から始め10月までは聞き取り活動ちょつとする。で、マイ娘にもらったレコーダー使いかた少し慣れてきた。なんとか聞き取りできそう。こやつの欠点は電池使用速度が早すぎる点。
◆行く夏を寂しがりやの夏が空威張りする陽射しで、反射させまくり居間を明るくしてる


手編み袋 
家人が久しぶりに麻糸で編んだ袋できた



あそび、旅、芸能、自由、建築
それらに関する源流を再読。新コロな爆感染中の一月前、京都に行き3年ぶりに行われた祇園祭の只中を通過し、山車に集いつつ狂った様に喰らう群衆を観て、神事、日本の自由、あそび、芸能、旅、建築について思うところあり。さらに居酒屋のカラオケを久しぶりに体験し、中世における移動する舞台=山車の様子を幻視した。そこで2冊合わせ読み。1983年渡辺豊和著『芸能としての建築』1985年野間弘/沖浦和光・対談集『日本の聖と賎 中世編』
建築造ることにかかわる人々は「業者」として扱われてるは周知のこと(建築雑系雑誌を除)だが、なぜ政府・行政はそう扱い続けるのか?その源流を観ておきたかった。
日本から天皇制が無くならない限り続くことが分かる。












8月19日   昼ごろ暑い 秋めいている

町に出て雑用を済ませる。

■FB投稿

爽やかな風行き来し
穏やか音を運んでいる
麦わら帽子も、そろそろぼくも役立たずの季節かな
伊東豊雄さんデザインの椅子は編み物にも使いやすいのです。
家人はガムテープアートは卒業し普通人にも有用な物を編み始めています。ひとは変わるものです。猫のようにわがまま放置、動物同士共に生きるのがこつかな



葡萄ピーマントマトつまんで食う
30年育てた庭の木々は除染の名の下に全滅したが、すこしだけ回復してる



猫にも嫌われてる伊東豊雄さんの椅子
猫にも好かれてる伊東豊雄さんの椅子
くらまたしろうさんの変容態だろう



8月18日  夏の盛りはすぎ蝉も元気なく鳴く

庭の野菜鬱蒼として茂っている。福島県代表の高校球児たちは51年ぶりのベスト4となったとのニュースあり。東京で働いていた俺、岩城高校が準優勝した年から51年経ったわけだ。

元気でよく話すmy長男、早朝に仙台に戻る。

柳原さんとの語り合いweb記録に絵を付ける。









8月17日 時々

■一月前の柳原照弘との語り合い30分ほど文字にする。

fb投稿

デザイナーの柳原照弘と語り合いし肉声の文字化済む
かれほど女性に囲まれて繁昌させている人はいないのでは?と思わせるほど生活が女性に囲まれている。
柳原さんとは10年ぶり(?)ワイワイ。大阪のど真ん中の事務で会う(10月に大阪に行く予定だから30分だけ)来月からフランスと神戸を行き来するという。柳原さんの大阪事務所にはロンドンや東京の彼の事務所から集まりスタッフが打ち合わせ仕事をしていた。そこにお邪魔!した、で事務所女性に囲まれる



■午後スーパーに10キロの米を買いにいく。値段は増量10kgで3200円ほど、去年の米だけど十分にうまいから我が家に合う米。

■夕方my長男が久しぶりに来たので、政治もカルトに占領されて、国家神道におかされてたときと何が深刻なのか、時々の深刻とは何か?を語り合う。ま分らない(笑)結論どだすような問題ではないので、こんな感じでよさそう。

FB投稿
my長男と共に深刻なんですよ!
1ねんぶりのmy長男。相変わらず言葉で乱闘殴り合うも、楽しい。東日本大地震以降距離近づきすぎた父と息子はいがみ合うのだ

深刻さを語り合う深刻さを深刻にワイワイしても地酒の瓶が空っぽになるだけであった。あ財布の中身が深刻なんで元気が無いのね、それは世の常人の常、問題ないよと俺が〆て終わる




昨日16日呑んだ福島県産地酒nのこと

目指せ60種福島県産地酒2020
癖も臭いも無い酔わない透明な地酒。さほど日本酒を呑まない方々におすすめです。
安くて癖の強い日本酒が好きになってる・・・で、値ややたかく癖ない地酒には腕が伸びないこの頃。(同県産酒比べ呑してる弊害)


8月14日  少し蒸し暑い

■午前中
川勝真一さんと長チャットする
彼らより倍生きてきた俺には川勝さんと見えている風景が違うので、チャットしているといろいろ発見が続く。ついつい長チャットになってしまう。動画電話だとログは残さないのだが、チャットだと間違い文字が多いけど記録が残るので後々、見直せる点がいいのでつい長くなる。
■再開なった「大阪アーキフォラム」は4人のコアメンバーで動かしはじめた。形式もいいし、脱スポンサーの運営もいい。関西圏の人たちが東京にすりよるとさんざんな目に遭うのを見てきた俺は、関西に拘り語る若者の姿がよくみえる。
■メンバーは川勝さんが1年うえで構造家の荒木美香さん、組織事務所で難しい名前の職域を担う吉岡優一さん、建築家の橋本健史さんらは同年で、実社会では中堅を担う人たちだ。(博士号取得者がいるのか?それは不明)



■昼まじかに農協直販所に行く、まどかという桃がさほど無かった。10時まえにいかないと売れ切れてしまうようだ。1個330円の桃を3つかう。うまい。

■午後一番に食材を買いにスーパーに行く。お盆の日曜日にも関わらずすいていた。

8月13日は記録に絵を付けつづけて終る
FB投稿

川勝真一さんとワイワイ記録に絵づけ始める
15年来の川勝さんの家は「俺の京都の家最初の家だ」北山にあるが奥様、息子さんと家族が増えている。川勝さんも中堅となりいろいろ活動されている。大学で時々教えてもいるらしい。
語り合いした内容は、2022年アーキフォーラム再開(10年ぶりか?)なったこと。4人の建築系の人々が主メンバーで動かし始めていた。その背景などと、前段にあったアーキフォーラム小史などあれこれつなぐための調査をし始めたことなど。


8月12日  台風の影響で風あり 薄曇り

ドイツのmy長女でメッセージし合う。元気そうでなによりである。

■7月19日川勝さんとワイワイ記録を文字にし、今日から絵を付けたりリンクを張ったりし始めた。

 8月11日  蒸し暑い1日 夕方は秋めいてきている

■川勝さんと語り合った内容を文字に起こす。

■新型コロナ予防接種効きすぎ
2日間ゴロゴロし今日、元の体調に戻った。くそ暑いのに熱でて熱!翌日は体力削られ反動でぐったり。本を読んだりラジオや音だけYouTube聴いたりすごす。
今日11日は旗日らしいがなんの日か知らん、盆入り祝日でもあろう。
◆数年前のあいみょんさん担当のラジオ番組動画も聴いたり。あいみょんさんは1995年西宮市で生まれ、途中尼崎へでて、中高西宮市だと知る。語りも西宮愛に溢れてて18歳で西宮駅側のゼネコンに就職し近辺をウロチョロした記憶が蘇り、あいみょん愛増加中!
「雲のような優しさでそっとぎゅっと抱きして抱きしめて離さない いつまでも」という詩を書く。他者への愛家族愛と母性愛ともに豊かな大地で育った女性ならではの身近な現在てきな歌詞をつくる。高度成長バブル期代表のユーミン的世界の対極にある歌姫だと思う。
発熱来そう!とんぷくをのまねば。

阪神淡路大震災でびっくり返ったあの高速道路の瓦礫のなかからあいみょんさんが生まれた。隠さないし傷つくことを恐れない逞しい生き方に共感して、しまう20代は多いだろ。いや世代を超えてるな。(ファンからは歌神と言われてるようだ)












8月10日 

予防接種4回目効きすぎて、今日も怠く無理せずごごごろしてた。
■MLBで大谷二刀流が100数年ぶりにベーブルースに並んで投手で10勝、ホームラン25本で賑わっていた。

■ファッションデザイナーの三宅一生さんが亡くなったという84歳。

我が家の三宅一生さんコレクション01
彼が亡くなられたことを家人に告げると「みんな捨てやがってー」と叱られる。言うんじゃなかった。6点かろうじて残った。38年ほど前購入男女のコート。値段は一着サラリーマンの初任給超だったかも


我が家の三宅一生さんコレクション02
絹のシャツ、男女ペア。軽くて暖かく肌触りよし

1984年購入したシャツ
メーカー不明だがまだ現役でヘタれることがない良い生地。俺は身体が小さいので3着とも女物です。ゴッホの絵柄はあまりみかけない。日本のメーカーも、いい生地で生産していた時代があった証

1984年購入したシャツ
メーカー不明だがまだ現役でヘタれることがない良い生地。俺は身体が小さいので3着とも女物です。ゴッホの絵柄はあまりみかけない。日本のメーカーも、いい生地で生産していた時代があった証。



8月8日  時々強いスコールみたいな雨。蒸し暑い夏に戻る

■川勝真一さんの肉声を文字に起こす。

■新型コロナワクチン予防接種4回目を受ける。前3回とも高熱がでたので解熱剤を処方してもらう。合計千円ほど。
接した左腕怠くなってきている。高熱がでないといいのだが・・・。


8月7日  本来の夏の気温になり少し蒸し暑い

県立美術館より連絡あり

寄贈OK!です(福島県立美術館より連絡ありて決まる!)
my所蔵の瀬戸正人さん作品+斎藤隆さん絵画の寄贈申込んでいた。以下連絡あり。お蔵入りだけではなく、実物を多くの皆さんに見て頂ける日が来るよう願いますです。
「・・・昨日5日、当館(福島県立美術館)で収集評価委員会が開催されまして、瀬戸正人作品、齋藤隆作品ともに、委員の了承を得ましたのでご報告いたします。いずれの作品も、優れた作品であり収蔵にふさわしいとの評価でした。改めて御礼申し上げます・・・」

瀬戸正人ファンであればこのオリジナルプリントが瀬戸さんにとってとても重要な意味を持っ一作であることは理解できるはずだ。(日本が15年戦争によって東アジアに残した多種多様な人権無視、暴力や出来事の大地に戻ることが可能に思える)人は過去の過ちを背負ってすこしでも自由で平和な日々をつくるために祈り生き続ける

無名だった瀬戸正人さんがルーツ巡礼にて撮り溜めた作品集で写真家として初めて評価を得たし、多くの方々から注目を集めた。初期作品展が福島市市内で開催された。(学芸員のかたも知らないかっし、そのことを知る人は少ない)

40年じゃく前買った。振り返るとあの当時は多数の異能者に出会った!理由は不明だが今も多様才能者に出会い続けている。


柳沢究さん家族とワイワイ記録ほぼできた。いい感じだ。
肩のちからが抜けて、ごく平凡な家族の語り合いのような内容になっている点がナイスだ。15年前は若かったが今では中堅で子育て真っ最中で、仕事でも家庭でも悩みは尽きない、その幸せな渦中に身を浸すことができる幸いをどの家庭に行っても感じる。どんな人生もいいのである!苦労が多い方が輝きを増すのかもしれない。みなさん一生懸命に生きてる(俺・あそんでいる)

■ことば悦覧(聞き取り活動)目標15年4回聞く最終年きたよ!
2008年の春に始めた聞き取り活動は「ことば悦覧」と称し若い独立系建築家を主に15年聞き取りし記録を残すことのみが目的だった。とうとう15年目に入ったこの1年どれだけ記録を残すことができるのだろうか。まったく活動資金の無い中で、お前の財布は俺の財布で、できるだけ活動しつづけてみよう。結果は2年後分かるはずだ



■腐女子系漫画を肴に呑む
福島県中産のひらがなの銘柄。酸味強く少し甘い黄色強い、個性的地酒
鶴谷香央理昨『メタモルフォーゼの縁側』人物設定が現在ならではで、物語を軽く進める線も効果的で。毎週一巻読む。全5巻。






8月6日  気温あがらず涼しい

■my長男から宮城県石巻市の地酒・四合瓶2本いただく。家人と少し呑む、辛いがすっきり味だ。

■柳沢究さん家族とワイワイ記録に絵を付ける作業をする。ほぼ終えた。数日寝かさて見直そう。

■あいみょうんの楽曲を7曲音録して保存し、スピーカから音だしして聞いてみた。いい感じだ。


8月5日 

 朝寝坊する。1日中 柳沢先生の家族とワイワイの文字を起す、夜9時30分に終る。1時半チョイの肉声があったかも。緩くて幸せが満ちているいい話だった。さすがの幸せ建築家の周りはいい。

■my長女にもらったICレコーダを電池を入れて初めて使ってみた。性能が高くって使い方が分らないけど、あいみょんの「マリーゴールド」と「ロックなんか聞かない」と「裸の心」を音採取してPcにコピーし、音を流しながら文字起こししてみた。いい感じだった。

■午後3時頃食材を買いにスーパーに行く。
それ以外なにもせずの一日だった。

8月4日 雨のち 

新潟県、山形県、福島県にまたがる地域に大雨が降り水害が多発しているとのニュースが流れていた。台風による8・5水害を思いだす、あのときも一晩に300mm以上降って我が家の離れも浸水した。それを思い出す。昼ごろ地震もあり、政治はカルトに侵され、コロナ、戦争、水害、放射能なんでもありの乱世到来の感あり。

■ちかごろチャットが便利で多数の方々と情報交換しまくっているような気がする。

■FB投稿より

京都de語り合う 文字起こしスタート!
柳沢究先生と家族でワイワイから始めた。はにわか雨に襲われてしまい雨宿りは丸太町橋の下、そこで缶ビールを呑みながらの聞き取りとなる。
鴨川の川面に叩きつける雨音のBGMも話の中身も、現地での印象より数倍ナイス!なぜか?柳沢先生は幸せ建築家なので淡々とした話しに幸せの味が滲みでるんだな。話したことある?と言われても何度聞いてもいい。




8月3日  は21時頃やんで空気が冷えててきもちがいい

8月16日に京都に招待され、いろいろ考えることがあり、そのときの体験記も書いたが、10月に行く、大阪ことば悦覧の事をまとめてみた。大島哲蔵さんとその仲間たちとの交流の人生が俺の豊かな30年間をつくっていることが判る。ことば悦覧活動を始めたころの事をまとめてみた。

■FB投稿

西山夘三さんの故郷西九条に浸ろう!
(行くよ大阪2022)
先月駆け足で西九条の空気を吸った。暑かった。少し滞在し西山夘三さんが生まれ育った西九条の街から大阪市の発展を眺め想像したり、古地図をふくめ歴史なども調べてみたくなった。(10月滞在調査計画中)
◆西九条は北を淀川、南を安治川が流れ下り大阪湾に注ぐ中洲、河口の町だ。現在の検索地図と西山夘三さんが載せた地図を比べ見ると堀の各所が埋め立てられ道路に変わっているのが分かるなど興味は尽きない。(どの古地図を見てても飽きない)
◆先月、京都大学の柳沢究先生と交流した影響もある。柳沢先生は西山夘三系の講座で教鞭を執りつつ日本で唯一の幸せ建築家でもある(私の独断)『住経験インタビューのすすめ』2019年に刊行した。
初版1965年『住み方の記』のp18?43にわたり西九条での暮らしぶりが手描きの絵と文章でしるされている。この100年間で西九条も激変したんだね。



8月02日 

FBの岡田治子さんの記録公開を告知する

岡田治子さんの亭主は欠陥だらけ!?
http://www.fullchin.jp/2017oka/01/01.html
校正完了!『岡田治子人生を語る』さらに一言息子たちへの伝言が加わりました。なんでもない平凡なその一言が記されてる手紙なのですが、記録を読み終えその一言に触れると親密な昭和の家族を一つ知ることになり泣けます。
高度成長期には欠陥だらけの男=パパはなぜか?頑張る若者を育てました。
ママはカルト宗教に集塵されず、息子たちは手製の爆弾や銃弾は作りませんでした。なぜか?その答えは記録の中で語られていますので参照ください。



サードプレイスへ逃げ込み続けるパパ?
山崎泰寛さんに頂いた『現代建築 社会を、映し出す建築の100年史』(2022年3月25日初版)p15都心に流入した「向都離村」の根無草の人人は日常生活が組織化されだすど繁華街=サードプレイスに集い人間関係の構築に勤しんだ。とある、これは男性の視線であろう。家庭にとじこめられた専業主婦というレッテルを貼られ飼い殺しに遭った女性たちはキッチンドリンカーとなり(斎藤茂男 『妻たちの思秋期』1993年刊行) あるいはカルト宗教によって集塵されたのかも知れない。戦後成長はこのような妻たちの犠牲にの下で加速したとするなら、カルト宗教二世によって孤立した老人男はゴミと、処されるのだろう?
◆日本の戦後高度成長を担ったパパの二世たちは浅間山荘事件や三菱重工爆破事件、地下鉄サリン事件を起こしている。



高年男性の孤立!(孤立男から目が離さない)
本田先生、俺たち高齢者男性の孤立に注目してくれてる!
◆若者の手作りの2発の弾丸は元首相を死にいたらしめ同時に戦後カルト宗教と政治の長年癒着の姿と国家議員の一部がカルト宗教の信者を集票マシンとしていた、その事も暴きつつある。同時にマスコミの面々の仕事は残念ながら手製の銃弾を防ぎ民主主義の発展に機能していなかった、そのことも晒されてしまった。
◆上野さんの著書『近代家族の成立と終焉』(1994年初版)第1章「近代家族のゆらぎ」には仕事(研究)三昧にて自らの家族を上手く営めず、家族から離反し都会を彷徨うサラリーマンなどの男たちがスナックのママのもとに集い、彼女を中心に擬似家族を演じ合う調査報告もある。
◆30年ほど前には疑似家族を演じ合えたサラリーマンなどは高齢者となり戯ママも亡くなり大都会に孤立しているのだろうか?
◆孤立が発揮する時代は宗教やカルトが力を発揮するときだと上野は警鐘をならしてもいた。
◆職場でも孤立しスナックママと疑似家族を演じていたパパに愛想をつかし、行く末を恐れてカルトに入信したママ(←想像)そのような両親から生まれた信者二世君はママが信じているカルト宗教信者の疑似家族性をも粉粉に粉砕し、21世紀の新人間関係の構築を促すのだろうか?
男は老若とも孤立し続けるのだろうか?面白い世間になってきた、孤立男から目が離せない


8月01日  カンカン照りにて11時外気温38度 昼すぎ29度

正午外気温37度@福島市我が家
まだ上昇するもの? 高齢者は外出禁止がよさそう。暑さのなか葡萄熟中、夏に、まけないどころか熟す植物は偉い。

◆このこ夏初、半地下へ移動。半地下作業場27度。二階窓あけはなつぱで35度 半地下は10度低く27度ほど 冷えるほど。

■岡田治子さんの校正が画像で届いたので、修正し更新する。最後に治子さんの現在の言葉を付け加えて〆とした。全頁読んで治子さんの言葉で〆られると泣けること間違いない。今は短い文章しか読まないので、泣けるまで最後まで読み届かないかもしれない。
彼女の聞き取りをして「親密な昭和史」をつくる作業は、倫理観崩壊し尽くした感のある夜で、そうとう効果的だと思うようになっている。なんでもやってみないとわからないものだ。

■8月27日竹内泰先生のところで建築あそびを開く。講師は種田元晴博士。思うところあって語り合いは非公開ですることにしている。建築あそびは参加者は公募だったが記録は公開していた。であまり建築あそびの形式と変わらないが、場所が東京開催ってことだけだ。