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10月28日

庭の紅葉進む
この一週間は晴れとのこと朝夕の
寒暖大きくなり紅葉は鮮やかにかなるかも
my長女一時帰国スケジュール消化順調とか
今朝、my長男ロシアへ、年末はとかフランスからドイツに行くらしい。我が家の国際化進む模様 英語要るな



10月27日

東北学/忘れられた東北 赤坂憲雄著
たくさん売れてる!16刷だ
借りて読み始める。映画 太陽の塔で語られる、東北1000年植民地説、自発的な隷従説との、赤坂福島県博物館館長さんの論拠を知るため。赤坂先生に直に著書を教えて頂いた。
宮沢賢治の原体剣舞連や達谷窟の悪路王に関しての随筆にふう(注、年表なし)にて、想像して書いた内容なので、東北一千年の植民地説はいささか言い過ぎの感あると思う。しかし、東北に新たな投光を、与え東北の歴史を再検証しようとする、途方も無い挑戦態度は賞賛したい。
東北学なんだから反柳田柳田国男であり、反金田一京助であり、親、宮本常一であることは理解できる。のんびり読む事にする...
(赤坂先生のことでは無いが、南東北三県と北三県を一括りに 東北と表現する、現在の一般の方々の語りにはいささか、馴染めない。


■福島県と深い繋がりのある福島のゼネコンが戸田建設の子会社化となるそうだ(県紙)
福島の政官業が溶融支配して成った 戦後から続いた一つの時代が、原発事故災害バフルと共に消える事になる。福島はさらに中央支配が進み、赤坂福島県博物館館長の語る植民地化も終盤へ進み、中央支配が一層、強まるだろう。(福島県もようやく戦後終焉だ)
明日は県知事選挙だが、総務省出の県知事は当確で、選挙にならない。
福島の農民知事(保守分裂、浜の中通りの分断さらに官僚出対農民出候補の激しい選挙戦)と称された佐藤善一郎知事は原発を誘致した方だが、311原発事故によって原発廃炉が決まっている。福島県外の人は分からないだろうが、原発事故バブルで延命していた、佐藤知事に関連するゼネコンも中央支配となる。今後、県庁マンたちのモチベーションはどのような感じになるのか?興味深い。エールを送りたい。
お金のためと、地域の為にコツコツ働く県庁マンであって欲しいものだ。

10月26日

サンチャイルド撤去現場を1月ぶりにたずねた
7月6日の設置表明会見での関係者の言葉を、文字にして、注などをを書き入れ、疑問点や、被災者とヤノベさん、市に寄贈した関係者の声(思惑)を少しずつ解説を加えてみま す。マスコミにて語られた撤去されてしまう必然とは異なる、勿論、美術関係者ともことなる視点を示していきます。このままでは、誰もが幸せならないし理解策も示されず仕舞いにしてしまうのは愚かなことだと、考えています。いまある対立と分断を修復し誰でもが理解し合う。し合える。ための解決策としての私案は8月13日に示しましたが、さらに丁寧に状況解説を補充し共有可能で、再設置(もちろん移設)なるように、福島市の一人として示して行こうと準備していますです。まずは市長と、ヤノベケンジさんの意気揚々とした会見の中にあった問題を示していきます。
この記録の解説は時間があるときに書きます。(1年ぼど掛け書き綴るつもり) http://www.fullchin.jp/sunchild/kaiken/01/siya01.html

写真は左からエネルギー基金の代表、ヤノベさん、福島市市長、未来研究所代表の四人です。なにを思って設置を進めたこでしょうか。会見の行間を知ることが肝要と考えます。案外単純な動機なのですが、戦後史を踏まえないと本当の動機とそこにある、毎度起きてしまう、時代遅れの、役立たずのフックを知る事にはらない。そう考えています

■【10月26日 AFP】国連の人権専門家が25日、東京電力福島第1原子力発電所事故の汚染地域に女性や子どもが帰還することについて、被ばくの懸念から見合わせを求めたのに対し、日本政府は翌26日、この要請に反論した。


10月23日 

■ 資料作り 花田先生より『統合失調症のひろば』という雑誌の感想をもとめられていたので電送した。統合失調症の統合失調症に関する本をつくることは難しい本づくり一例ではないのか。患者の配偶者の声を聞きだしことが困難だと編集者は語っているとか。納得できる話だと思った。統合失調症についても、いずれ書き置きたい。

まずはサンチャイルド事件の資料を作ってしまおうと、こつこつ作業している

21日に映画 太陽の塔を観た@福島フォーラムので感想をメモしておく
■参加・鑑賞目的は、映画の中で赤坂県博物館長が「東北は僕は千年の植民地だ」と語っていると知り、映画を観て確かめるため。映画で「千年かけて植民地にされ、そのことも忘却して、やられっぱなしでいる(東北の)人たちは自発的な隷従」だと語っている。(トークの冒頭で「自分が出る映画を観るのは嫌でしょうがない」と館長は語った)
 映画会の主催者でもある赤坂館長に直接確かめるた。「東北・千年植民地説」根拠となっている館長の著書名を聞くことができた。「・・忘れられた東北学」とノートに書いたら「学」に×をいれた。館長は著書名はうろ覚えだった。検索すると『東北学 / 忘れられた東北』であった。(所有している知人に借りることにした)「大同を巡って寺がつくられた、坂上田村麻呂の辺りに書いた・・」ともご教示いただいた。

■東北には「田村神社」もある。千年前に自発的隷属が始まったのであろうか?。鎌倉時代初頭だか、現在、関東からやって来た源頼朝の家来の末裔たちは、だと思える人々「千葉」とか「葛西」氏の人がたくさん、岩手県南にも暮らしてい...た。彼らは東北の人々を奴隷にすしているどころか、協働して繁栄を目指していた。アイヌの地名も残っていた。館長の語りは「眉唾論説」ではないのか。『東北学 / 忘れられた東北』読ん調べてみよう。

■太陽の塔を観る会は入場無料だった。主催、福島県博物館にある、ライフミュージアムネットワーク。お題は「時を語るミュージアム」連続オープンディスカッションの第一回目での映画鑑賞とワイワイだった。(平成30年度「地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業」の一環。文化庁より採択1、458万円交付。平成28年度33、973千円の報告書が公開されている)

■映画 『太陽の塔』
 70年代の空気を知りたい人や思い出したい人にはお勧めの映画だ。岡本太郎について多数の知識人などによる連続トークで、それぞれの語りを切り刻みすぎた編集の感がする内容。太郎の精神性を知った気にれるな映画。(太郎氏に聞くと否定されると思った)

 観終わっての感想は、イントロとエピローグは要らない。両方あるので、安直な外国人が制作する時代劇映画のような味になってしまったのはもったいない。冒頭はこれだ、いっきなり誰でも知っている、あの絵「岡本太郎氏が目を吊り上げて「芸術は爆発だ!」と吠える、あの絵から入ってほしい。太郎の技演で入るべきだった。「始まりと仕舞には言葉がへばり着いた映像で、芸術から離れ商業的だ」と思った。そこで一気に興味は半減した(素直に観れない、歳は取りたくねーな)

 要らないと思った、イントロと終わり方は、こんな感じ。
始まりは、縄文服(縄文女性衣装ってこれ?)が斜面を駆け上がると太陽の塔が立ち現れる。やがて塔の足下が、新宿あたりだろうか現代都市にかわる。超高層より太陽の塔は、づ抜けて高い。こんなにデカくねーだろう?高さ70mだぞ!太陽の塔。進歩を信じた70年大阪万国博覧会に建つあの太陽の塔になる、そんな絵が展開する。
 1970年の大阪万国博覧会の開催前日に敦賀原子力発電所の1号機は(日本最初の軽水炉で)東海発電所に続く2番目の商用発電所で、そこから博覧会場に電気が送られた。夜開催でも真昼間のようにピカピカだった、俺19歳であのピカピカピカリんを体験した。

 仕舞いの部分は、現代文明から逃れるかのように走る縄文・女性。彼女の衣服はいつのまにか現代の女性のそれに変化する。背景は渋谷駅前、そこに立っている女性の顔にカメラは寄る、彼女の瞳にスポットされる。彼女の瞳は地球に変容する。続いて地球からドンドン引きの絵が続く、太陽系から銀河をへ、大宇宙の絵となる。(太郎=人間は宇宙だ、あの絵は好きにはなれなかった。俺はお爺さんになったのだ) 

■映画の内容についての感想と、シンポジウムの内容についての紹介は後日に書く予定(つづく)









 10月21日  
■ 下記内容を昨夜、公開した

サンチャイルド入門」福島市長とヤノベさんの会見などの記録を作り始める(最初は今年7月6日会見録公開)
 http://www.fullchin.jp/sunchild/kaiken/01/siya01.html
■「サンチャイルド事件」を偶然に見た。9月19日に撤去解体を観察。そこで福島市民の私はどのように、この事件を消化し記録したいのか、自答し続けようと思う。まず道標が無いので、思うままに箇条書きにしておく。(全部解くには2、、3年かかるし、漏れがあるので思ついたら加える)

1)ヤノベさんがサンチャイルドを造った「彼の動機を市長は理解しようとせず、表面的な自分が理解できる点に絞り、短絡的に自己消化し伝えてしまい、作者の本意は咀嚼できていない」と考える(今日の公開記録の右欄を合わ読めば自明だ)。そこでヤノベさんんは仕方なく、市長などに寄り添っているのだが、そう信じ込もうと努めてもいる。しかし、作家は政治家ではないので無理があるから、やがて破綻してしまう。それはヤノベさんにとっても福島に暮らす人にとっても好ましい事態なのか。分断や立を対乗り越え対策...を講じる案を書き、私案として8月13日に記述した。

2)同上 政治家は常に目立つ物にもたれ、自説を伝えようとする。壁画しかし、物語的彫刻しかり。それは、IT革命後の今でも有効なのか、ITが進今だから辻に立って語るべきだと考える。市長は撤去工事の前に立たなかったのはなぜか

3)地震活動期に入ったと言われ23年ほど50年は続くと言われるので、今後、起きる各種・多様な災害(複合災害)をどのように記録し記憶したいのか(室崎益輝さん語りを通して考えたい

4)核兵器と原発。違いとそれぞれに抱える、それぞれの難問を、過ぎ去った人人はどのように克服しようとしたか(鈴木達治郎さんの語りを通して、さらにオッペンハイマの変節と行動などを通して考えたい)

5)核後の希望とは何か。解明しようとした者は福島に居たのか。さらに原発事故災害ごの希望とは何か、有無など。

6)原子力や核を所有した後の「子供たちが立ち上がるため」そう冠を付ける、大人が付けて語るのはなぜか。近世期も、そう大人たちは語っていたのか、知りたい。(例えば、教育の現状を見つめ続けている、溝上慎一郎氏『大学白書2018』講演を通して考えるなど)

7)同様にそのとき必ず「未来」「希望」」という常套句を使うのか、使いだしたのはいつからか。原発を設置するときもそう同様な意味で「原子力未来をつくるエネルギー」として語られた、標語にも成っていたが、本当に21世紀においても、その言葉は相変わらず有効なのか

8)福島原発事故を引き起こした者はだれか。今回の事故の訴追は今だ終わらず係争中なので、それを語れるのか

9)福一事故の真の被災者とは「だれか」「真の加害者は誰か」

10)福島を語るのはいつも大学人などで、主は、常に外部からやって来る者で構成される。彼らの論に覆いつくされるのはなぜか。マスコミも同様だ。

11)福島第一原発事故は、戦後の発展を願った人々が起こした人災であると捉えている。それは私自身が70年弱を生きていた戦後史を観ることである。さらに加えて高度成長期を謳歌した、その付けを40年後の今まさに不の出来事といて処理するために、支払っているのだと思う。あの時代を謳歌したハズの者である「ふくしま自然エネルギー基金自然エネルギー基金」の代表者と県博物館の館長などは、巧妙に責任を回避し、我こそ正し未来を拓くのだと語れるのはなぜか。盲目的に成長期の宴を過ごした来たのだから、彼らのためにも、その責任をとるためにも、サンチャイルド事件を知る事で、反省資料を作りたい。なぜどちらも盲目的に見えるのか。さらに知識人たるその館長は再エネを語り、真の原発事故その原因を突き止め記録保全せず、後を大きく語るのか、そこも解明したい。

12)帰還者が一割しかない被災市町村は今後機能するのか。私たちに、その義務を課すのは誰か

13)福島に暮らす、いわゆる有識者は3・11に際し、いかに行動し発言し、それらはどういう結末を招いたのか、招くのか

14)同上福島県内のマスコミは、自分で問いを立て記録して世界に発信し続けているのか 

15)分断と対立は常に起きうるものだが、乗り越えるための寛容性や知識をどこで得るのか など




 10月20日 のち時々晴れ

■18日午後13時過ぎmy長女一時帰@仙台空港 仙台駅構内の寿司屋で呑み語る。日本を出て6年ほどだがドイツで鍛えられたようで、語りが端的で分かり易くて要点がまとまっている。どんどん話が進む
 今回の帰国は、ドイツ上司と共に東北大学の先生が主催する仙台の国際学会に招待されたそうだ。休暇じゃないので多忙なスケジュール。まずは寿司と和菓子で歓迎!するする。夜はmy長男と合流しもつ鍋屋で語り合う。

 日本と異なり医療+その研究者として、男、女も人種差別もなく登用するんだと、しみじみ考えちゃう。(黒歴史を越えたからだろうが) 日本人の若者にも働きやすい環境がある場、世界各地に出て働けるようになっている。各国、さらに東洋の才ある若者を活かす国になって欲しい。
 まずは官尊民卑と男尊女卑など若い人々のためにも無くなってほしいものだ。娘が帰国し語り合う度に同じ思いになる。時間掛かるけど

■19日午前11時ドイツからの先生が着くとにことで、空港まで行く。大きな体で気さくな方、そしてお喋り(日本について興奮しているとmy長女は語る)先生をホテルに届け、趣味の手作り万年筆の工房(仙台には何代も続く万年筆屋さんがあるのだ)や文具売り場を下調べして、夕飯の場所などを下調べする。

■20日 メモ)彫刻家・評論家の立場から 小田原のどかさんによる「サンチャイルド撤去事件」に関しての論が公開されてた。ぬかりなき総論として共感できる。なぜかわからない点がある。それは原子力発電を作る時の、あの前向さと同じような構えではないのか 今世紀はちがうのでは「20世紀的前向き姿勢をなぜ彫刻家自身は脱することができないのか」は語られていない。 
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/18635
 首長は4点比喩するものとして語っている(撤去会見) サンチャイルドは(1)原子力災害の記憶を継承しつつ(2)原子力災害からの安全と克服 (3)未来への希望を表現して私たちを励ます(4)対外的には福島がくじけずに、復興に立ち向かう姿を示す この4点だ。 さて撤去しても何も解決していないのだ、特に 1)原子力災害の記憶と継承については、その前に原子力災害を起こした原因究明がまるでなされていないのだから記憶も継承もまだ始まれないだろう(東電の3被告について強制起訴始まったばかりだ)

 真の福島原子力事故被災者が居るとすれば、彼や彼女は政治行為もアート表現をも出来ないそう想う。真の被災者じゃないからそれらに関わり統括したりアートや文章で表現でるのではないか。自己内にある善意の中にある悪意というものを自覚しつつ行為の重なり合い、その態事がサンチャイルド事件を起こした因ではないのか


 10月16日  曇ったり 
■落ち葉の季節が到来するまえに庭の欅の枝を全て払いゴミ袋に詰めた。小さな落ち葉が方々散ってしまうので近隣迷惑防止策を毎年おこなっている。



■13日せんだいメディアテークでシンポジウムが開かれた。福島県浜通りの歴史と文化の継承「『大字誌ふるさと請戸』という方法というお題だった。およそ4時間ほどで、古代から近現代までを5人の先生が分別して語られた。そのご各地に暮らす請戸の人々の感想が述べられた。被災地の歴史をどう記述するのか、住民と専門家の共同編集と刊行によって、また一つ好い事例が示された。
 打ち上げにも参加させていただき、請戸の人々の肉声を採取したので、それを全て文字にしてしまった。その場でしか語れない貴重な記録を作った気分だ。

■サンチャイルド入門のために色々な人々の肉声を文字にしている。自分一人では体験できない多様なフクシマを知ることになるので、面白いと思う。もう少し広げて戦後史=自分の生きて来た時間を記録できるような感じまで深堀して記録がつくれるようにしてみたい。(欲張りすぎかも)




 10月12日  小雨もある

サンチャイルド入門として資料を毎日作っている。記録づくりは1970年万博以降の自分史を鏡に映す行為となってもいるので、面白い。

 人は還暦というのだが、60才になる2011年は自分が生きて来た時間の資料を集め始めていた。作業は3ヶ月弱で東日本大震災に襲われ放射能沈着によって大混乱していた。混乱の時間は7年経つ今年になってようやく落ち着いた感じだ。その落ち着きは家人病が安定して来てるからでもある。
 建築あそびだけは再再開するはまだ出来ないが、それ以外はほぼ311以前に暮らしのようになってきている。

今日、粗い記録は作った。批評というか入門を書くための、資料とするのだが、領域が広すぎるし、データ量が多いので誰も読みたくならないだろうが、my興味の核心に触れてきているような気がして、嬉しくお気に入りだ。自分史づくりにも役立つ思うのでサンチャイルド入門資料つくりコツコツ年内は作業を続けよう。





参照記事以下 民の声新聞よりコピー



 10月08日  たり曇ったり 

■ サンチャイルド入門 として資料データを作成中 ほんの一部だがまず1本目 粗いけど4枚のweb頁が出来た。公開は読みなおし等を済ませ数か月後を目指している。

■民の声新聞によってアンケートの一部が公開されている (公開サイトへ)
10月6日の投稿を画像にして貼る(web頁にコピーすると、ぐしゃぐしゃに乱れるから)




 感想は忘れちゃうので以下 箇条書きめもに

 ■福島市によって公開されそうになかった貴重なアンケートについて調査などされ、記事とし報告して頂きました。民の声新聞さまの活動に対して福島市に暮らす者の一人として感謝申し上げます。ありがとうございます。またシェアされその事をお知らせ頂きました小林様にも御礼を申し上げます。
基金に寄贈された はず。ヤノベケンジさんによって、この世で最初に制作されたサンチャイルドは、なぜ福島市に寄贈されたのか?基金と福島市長に架橋した者は誰か、何の、目的で架橋したのか?それが解明されればサンチャイルド解体撤去事件の全容は見える事になる。(その意義や今後の課題追求はそこからしかスタート出来ない)
■また一つ福島市、行政の恥が露わになってしまった。
■津々浦々に未だ存在する、記者クラブ制度によるマスコミの機能不全。その一例が、福島市サンチャイルド解体撤去事件に関する内容とし報告されることになった。
福島市の市民が知るべき事の一例が報告された事で、町にあふれだす憶測とうわさを封じることになった。貴重である。報道されぬことで、人々が誤った行動をし社会に不要な混...乱を未然に防止したことになるからだ。その価値を再度ここで共有しておきたい。
マスコミが果たさなければならない存在価値の一つが、彼らによって行われなかった事は市民にとつては事件と言える。それも合わせて記録して記憶しておきたい。
この事件を通し福島市外に暮らす稀なる方の活動を手本として学びたい。応ずる具体的な行為としては、疑問に思った内容については、自らかが一つ一つ調べ、報告し、共有すべき。そんな状況にあり、それこそが、この地に暮らす私の義務とさえ言える。その事実も確認できた。
■福島市市議会議員の方々はいったい何してるんだろう。
■長年にわたり多様な権力サイドが無償で提供する場と人材、光熱費などを、記者クラブの面々が独占し続けてる。そうするとこうなるしかない。権力サイドの広報係へと落ちるだけ。ならは無償で配布するしかないよ


 10月05日  

■くだもの里暮し実りの秋なのに・・・くだものが無い。産直へ行って梨、リンゴ、葡萄など買いもとめた。庭にヒヨドリ来て囀る。もうじき吾妻山に初雪が降るのだろう。

■庭の木々も少し色づいてきたいる。冬支度せよということなのかも

■サンチャイルド系の基礎データを整理しているので、だいぶ見通しが良くなってきている。まだまだ資料集めないといけないけど。のんびり続けよう。

 10月04日 晴れたり曇ったり

■久しぶりに動画編集をしてみたら、2日ほどかかったがほぼ忘れてしまっていて、思っていて全体動画をつくることができなかった。そこで8分ほどの試作動画を作ってみた。編集はなんどかできても、書き出し方法が分からず、2GBほどのデータになってしまた。強引にYouTubeにアップしてみたら、4時間ほどかかってしまった。 サンチャイルドに関して写真と動画をたくさん撮ったので、活用のしかたを考えてみたい。










 室崎益輝(よしてる)さんによる
 講義動画
お題は平成の災害史
 




 10月01日 台風一過 陽射しあるも風強く曇ったり

■今日から衣替え。台風の影響で気温がやや暖かい。9月は建築学会の仙台大会でのお手伝いと、サンチャイルド騒動が起きたので出来るだけ時間をみつけ福島駅東口そばのでこむこむに通い、動画や市民の声を聞く努力をしてみた。二つの出来事に対応したのでハードワーク気味だったようで、唇や口の中に痛みが出ていたが、この数日のんびりを心掛け治療というごろ寝をしていたので、回復著しい。たぶん呑み過ぎ、動きすぎで、免疫力が低下して雑菌にやられたのだろう。老化には抗わないに限るのだろう。

■サンチャウルド騒動などに関して、時間をかけて記録をつくりたいと思っている。福島市に暮らしているのだが、SNSやマスコミで語れて続けている、分断と対立、風評被害となどについても実態を知ったり、それを記録しておきたいと思うようになった。もちろん原発事故が起きた戦後の政治、や近頃のSNSによる対立の助長に関することなども記録できたらと思っている。コツコツ実感とメディアのそれらを記録していくことにしたい。
 今日は採取した音データを整理しておきたい。

■NHKの番組がフェースブックのタイムラインに落ちてきたので観た。浪江町出身のNHKディレクターが浪江町に通い、町の変化や人々の現状の声を取り上げた番組。取材、そこで起きる分断や対立が具体的な人の姿を通して描かれている溝などについて。メモ感想をFBに昨日書いたのだが、日記にも貼って後のまとめのための、データにしたい。

目撃!にっぽん「私と故郷と原発事故」20180923 



(観た後で書いた感想、次に観ずに書いた感想をめも)

目撃!にっぽん「私と故郷と原発事故」 感想を貼る
 (800人対19200人+他者すべて)

中筋さんがtv番組を投稿され19時間経って観ることが出来た。忘れないうちに感想をメモ書きしておきたい。(フクシマを生きるために回遊民の視線も要る)
 定住を固守し追い求め、定住しようとしない人を「部外者」として排除してしまう人(定住人)、地域を離れ仕事と暮らしを確立し、育った地域を故郷と想い続け愛情を注ごうとする人(元住人)、原発事故後、子育てや治療の事で故郷を離れ定住人を断念し「渡り型」暮らし選んだ人(渡り人)、それら3者の対立の内容と、それぞれのが他者に対して観てしまう分断の溝、溝を観ることで抱くそれぞれの苦悩が具体的かつ鮮明に映像化されていた。
 立場を異にした3者の例え方が分からないので、定住人=農業型、元定住人=回遊狩猟採取型、渡り人=養殖型と言い換えて置くことにするが、農業型の人々は、浪江町長・馬場有さんの「どこにいても浪江町民」という、その思いの可能性を理解していない。さらにその思想を実現するために必要な寛容性を具体的に身に着けて暮らしていな...い。そのことで溝が深まり相互理解が困難になる、その具体例を見ることができる番組。ディレクターに苦言メールを送っていたが事が明かされているが、それは、馬場さん自身が常々が発した言葉の真の意味の広がりと奥の深さと可能性と、それを手に入れるために乗り越えなければならない関門の数を理解していなかったのではないか。その疑問が浮かび上がり動画でもある。(番組ではそう描いていないが受け止めることができた)
 私が動画の中に描かれた人物で、21世紀型人間と表記しておくが、これから必要な暮らし方、そして最も魅力的存在になっていくであろう人と想えた方は(あるいは萌芽)、番組をつくった公共放送の方ではなく、千葉に定住を決め、浪江町と行き来し、原発事故で故郷から離散孤立してしまった住民たちの声を町政に届けたり、離散者と定住者に架橋している町会議員の方である。渡り人=町を養殖する人の暮らし方と言っておこう。
 最後に、原発事故被災地では定住型の暮らしを破壊し尽くし、多様な暮らし方を強い続けているのだが、それを21紀人を実現する一種の難問と受け止めてみたい。世界が多様性を求め続け、その下で生きるために必要な能力は、多様な言葉とその意味を受け止め続ける胆力、そして他者の言葉を認めなくてもいいが許す寛容性を身に着け、対立と分断を消化してりまう人が現れる必要がある。動画に描かれた状況はフクシマを経た21世紀人が辿り着くべき大地などではない。おそらく世界の人々と言い換えても許されるだろう「フクシマに生きる人々皆」がこの動画に提示されている苦難と困難を乗り越え、「定住人」、「元住人」、「渡り人」、が行きかい許容し合う寛容性を持った豊かな世界を拓く。そんな、私の暮らしを手に入れることを望んでみたい。(豊であることと困難であることは同義のように思うからだ。)

■感想は時間のあるときに観て書くことに
 メモ)中筋純 プロ、フォトグラファーのサイトよりシェアさせて頂きました。我が家はTVもないので詳細は不明だ。浪江出身のディレクターを主に制作した自主動画か、勤め先の日本放送協会の最近の番組なのかも知れない。内容については時間のあるときにでも確認したい。ユーチューブにアップされてる動画かもしれない。
 原発事故で被災した非取材者は何かに翻弄され続けているので、映像を鵜呑みにするのは厳禁だ。判断は20年前後ぐらい経たないと、共に語り合い寛容し合うのは難しいだろう。済み燃料取り出しも済んでいないのだし、帰還困難区域においては、生物に対して、そこにある放射能の被害の科学的情報も、ほぼ手に入れてないだろう。危険にて入って調べる者も少ないのではないだろうか。それらの集めた情報を共有し語り合い住民と共有しようとする場だって、チリバラになった人々にはほぼ無いのだろう。そのうえ廃炉の目処もたつはずもない。
 そんな中で番組を作り公開する自由は憲法て保障されているので、どんどん作る能力のある者は作り公開して頂きたい。私たち被災者がそれらの内容について、いちいち、反応してはならないように思う。被災者同士が番組内容を急いで評価して、その事で日本人同士の意見の違いを、ことさら鮮明にし、分別して勝ち誇るかのような愚かな様をつくりだす行為は慎みたい。してはならないとも思う。じっと観察する胆力こそ、フクシマを暮らすものは、SNSなどの政治権力や経済権力が簡単に支配動員し、彼らに有利な情報を垂れ流すことが可能な現在、今でこそ彼らに情報に誘導されることなく、東北人の胆力こそ発揮させ路をよ拓こうではないか。状況は劇的に改善されないのだから。



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