sunchild ヤノベケンジ入門 02  肉声集  2018年 作成 
■ヤノベケンジ記者会見  ■低線量被曝下の福島市民 
■鈴木達治郎氏核兵器と原発 ■自主避難させた父親
■後悔し泣き出す教師を見た ■災害の何を伝えるかなど 
大学白書2018 
2011年11月22日 設置記者会見より 大阪万博記念公園

ヤノベ:タイトルはサンチャイルド(sun child) 太陽の子供というタイトルですね。作品を観ていただいたら分るんですけど。黄色い服を着た子供の像です。
 黄色い服はこれは私自身が今まで作品で使用していたアトムスーツと言う服になります。これは放射能を防護する服。体中にガイガーカウンターという放射線のセンサーを備えていて、すぐにでも放射性物質を洗い流せるようなタイプの服です。この服を着て1997年にチェルノブイリに行きアトムスーツ・プロジェクトも行った事があります。その時に使用した服のデザインを着た子供が、ヘルメットを脱いで立ち上がっている像ですね、彫刻作品をつくりました。
 簡単に言いますと、これは希望を表すモニュメントですね。綺麗な空気を吸っても生きていける世界を求めて、左手には小さな太陽という心の希望の灯ですね。それを携えていて、二本足でしっかりと立ち上がって遠い未来を見つめている、そういう像です。

 絵:ネットより以下表記無きは同じ)
■参考資料など メモ欄

 記事へ:「未来の廃墟そして希望」をテーマに制作を続ける美術家

 皆さん、もうお分かりだと思うんですけど、今(2011年11月)日本の状況はとても大変になっています。世界の状況もとても大変。そういう大変な状況でも下を向かず、遠い、遠い未来見すえて、誇り高く希望を持って、(大変な状況に)向き合って、歩み続けるビジョン、イメージ多くの人に持って頂きたい
 新しい時代を担う子供たち持って頂きたいと思って、この作品を作りました。
・大変な状況とな何か
 太陽というのは、この(大阪万博跡地)後ろにある太陽の塔の、太陽という意味もあるんですけど、僕自身が1997年にチェルノブイリに行った時に、そこは原子力発電所からの30km圏内というのは立ち入ることが出来ない廃墟になっていたんです。町が在ります。プリキチャという原子力発電所のために作った町の廃墟ですよね。その中に入って。そこは1970年大阪万国博覧会と同時に作られた、原子力未来の都市廃墟なんです

絵:『胸騒ぎの夏休み』より
 プリキチャの保育園の中に立ち入った時に撮影した一枚の写真をチェルノブイリに行った後、見つけたんですね。アトムスーツを着た僕自身が、床に落ちていた人形を拾い上げている。その背中にの壁には保育園の幼児か、あるいは園児か先生か描いた太陽が壁に掛かっていたんですね。その写真を観た時に絶望的な廃虚から、その希望の太陽みたいなものが、その人形を探し出させて新しい時代をつくっていく再生のイメージを、ビジョンを得たんですね。(チェルノブイリので得た)そのビジョンから作品を、1997年から以降ずーッと作り続けて来ています。その延長線上にこの(サンチャイルドの左手に持つ)小さな太陽希望の光いうものがあります。

 太陽の塔というのは、1970年に大阪万国博覧会がこの場所で開かれたんですけど。僕は1965年生まれです。6歳の時、1971年に隣の町の茨木市に引っ越して来ました。つまり1971年に私がここにへ移り住んできたときは万国博覧会は既に終わっていて、未来都市は全て壊されていたと。つまり、取り壊し現場、大阪万国博覧会の取り壊し現場で遊んだ体験が僕自身の万博体験です。そこで観たのは未来の廃墟。つまり終わってしまった未来ですね。
 でも「未来が終わってしまった」からと言って、子供心に悲しい思いをしたんじゃなくって、何も無くなってしまった未来だからこそ、自分で何でも作れるんじゃないか。何でも作っていいんじゃないかという、そういうイマジネーションをその時に、想像力を掻き立てられたと。
 その想像力がその後の未来を生き残るためのサバイバルというテーマで色んな作品、先ほど説明した放射能の防護服であるとか、ノアの方舟のような電車であるとか、シェルターみたいな家とか、そういう生活必需品的な作品を展開していったという経緯があります。それがこの大阪万博が私に与えた大きな影響です。

 岡本太郎の影響

 今で残る太陽の塔」というのは岡本太郎さんの思想的な意味を持って(私に)強い影響を僕に与えてます。で、太陽の塔の太陽というのはけっして明るい太陽という事を表しているんではなく、岡本太郎さんは自ら言葉を発していませんけれど。実はこの太陽の塔を建造すると同時期に彼が描いていた絵があります。それは「明日の神話」という、その作品は2003年にメキシコで再発見されて、それを日本に持ち帰っています。今は東京の渋谷駅に展示しています。巨大な壁画です。その壁画は何を描いているかと言うと、ビキニ諸島の水爆実験の(水爆)爆発の(に対する思いの)絵を描いている。「明日の神話」というタイトルです。という事は、この太陽の塔の太陽というのはポジティブな太陽というイメージだけではなく、裏にある、核の問題を孕んでいると。そういう意味においては僕がチェルノブイリに未来の廃墟に行っていた事も含めて、岡本太郎さんの「太陽の塔」であるとか、彼の思想みたいなものは(今の)時代とシンクロしているんじゃないか。

イマジネーション
・1970年大阪万国博覧会
 1971年茨木市に引っ越す
 未来都市は壊されていた
 未来の廃墟を観た
 終わってしまった未来
 自分で何でも作れる

・テーマ
 「未来を生きるためのサバイバル」
 防護服
 ノアの方舟
 シェルターみたいな家
 生活必需品的な作品



・太陽の塔の意味は太陽+α
 太陽
 水爆実験
 核の問題

 チェルノブイリと「太陽の塔」


 (絵:明日の神話)

 岡本太郎さん今年(2011年)生誕100年ですね。もうお亡くなりになられたんですけど、100年という節目に、こういう(福島原発事故)状況が起きて。僕自身も、今は大阪にあって物を作る立場で表現者となっている。今となっては、やはり何か新しい時代を作っていくメッセージを発していかないといけないと思ったわけですね。
 その結果、今まではに対する警告警鐘を続けて来た作品を作ってはいてたんです。だからと言って、こういう状況(日本各地に放射能が沈着した)になった今、いまさら「そらみたことか」と自分自身は20年前から言っていたことが「現実に起こったんじゃないか」というような(現況に合わせたような)基本的な作品よりも、その先を指さす未来のイメージをきちっと作っていくような、メッセージを込めたモニュメントを作りたいと思ったんですね。それがこのサンチャイルドです。

岡本太郎生誕100年の年に3・11
 福一原発事故が起きた
・新しい時代を作っていくメッセージ
 3・11後の未来を指さすイメージ
 サンチャイルド

 核に対する警告や警鐘し20年経ている


 で、まず一番最初にお披露目するべき所はこの「太陽の塔」の前だろうと。僕のイマジネーションの原点である、この場所であろうと。ここにサンチャイルドが生まれ落ちる、岡本太郎100年祭に、その時に(サンチャイルドが)生まれ落ちるタイミングというのは非常に奇跡的な事ではないかと自分では思っています。はい。喋り過ぎですね。
         会場 はははははは
 ちょっと付け加えれば、このサンチャイルドの像は、ある作品をモチーフ(motif・主題・動機・理由)にしています。その作品というのは何だと思いますか。はい分かりませんね。
     会場 ははははは

・奇跡的な事とは
 原発事故が起きる
 岡本太郎100年祭に
   サンチャイルドが生る

 ミケランジェロのダビデ像なんですよ。イタリアルネサンスの代表作。イタリアルネサンス、要するに芸術の復興運動。ルネサンスという再生運動ですよね。それはイタリアにペストが蔓延して、イタリア国民が多く国民が大量死してしまった後に生まれた文化的な運動なんですね。
 で、再生復活、そういう言葉のルネサンス、まさにピッタリじゃないですか。しかもこのダビデ像ですね。皆さんご存知だと思います。宿敵ゴリアーデに立ち向かうエーゲ海の少年(イスラエル国王の二代目統治者)の巨大な5mほどの大理石の像なんんですねど。巨人、巨大敵に立ち向かって二本足で、今まさに石を投げつけてコリアテを倒そうとする(巨人コリアテとの戦いに臨み石を投げつけようと狙いを定めている)少年の睨み付けた像ですよね。左斜め上を見て、手には石を投げるための道具を持っているという。
 そういう再生復活という芸術運動。そして、巨大な敵に立ち向かう弱者。弱いと思われる者。「そのモチーフが今の時代にまさに降り立つべきものではないか」ということで、芸術の代表的な歴史的な作品を引用しているということです。


ダビデ像 ウィキへ 
 再生復活という芸術運動
 巨大な敵に立ち向かう弱者
 今の時代に降り立つべき
 歴史的作品引用 サンチャイルド像

 
福島市民の声01 2018年7月頃 低線量被曝について

 僕は疎外感を感じるんです。福島は本当に最初から最後まで疎外の象徴みたいなものが有ると思う。
 3・11東日本大震災とい出来事の中に福島もいるけど、宮城と岩手と福島の中で、福島だけは壁に宙吊りにされています。「復興よーいドン」と号令が掛かって宮城と岩手は走りだした。だけど福島は走り出そうとしているんだけど、虫ピンみたいな物で心身が留められていて、私は復興へ進めない
 なんでか?低線量被曝の状況下に置かれた人の心が理解できていなんですね。フクシマの外から来る人たちは、「フクシマは大変だ!、脱原発だねー!」って言う。僕は全然共感出来ない。来ると皆な「脱原発、反原発」と言う。「原発なんか今はどうでもいいじゃん」と思っちゃうんですね。外から来る人・皆が「何で低線量被曝につい言わないだろうか。」
 
 低線量被曝は実際にその場所に置かれ暮さないと分からないんですね。その状況下に暮していると「どれほど人の気持ちを、やる気を無くさせるか」について理解できないんですね。
 朝起きたら「どうやって今日生きて行こうかなー」と思うわけです。今日は2μか3μ放射線あるんだよ〜。他の場所は0.03とか、0.04の所に住んでいて、そこに暮らしている人がフクシマにやって来て、「脱原発だ」と言われても。論点が違う
 福島の原発事故と言うけど、原発事故が生み出した問題というのは、脱原発が是か非かという事と、低線量被曝の問題はまるきり別。低線量被爆の方は危険だと思って原発OKっていう人は一杯居ます。でも低線量被曝はいけないというふうに思っている人の中で原発が駄目って言う人だけじゃないんです。気持ちが凄く入り乱れている。

人間のやる気を奪う低線量被曝

 低線量被曝の問題で一つ言えることは、とにかくやる気をなくさせる、寄って立つこの大地が信じられない。何するにしても身が入らない

 悩みというのは建設的な悩みと、非建設的悩みがある。被曝というのは非建設的な悩みです。悩み甲斐が無い。朝起きると「今日は深呼吸していいのとか」、「洗濯物を外に干していいのか」、と思う。
 若い母親は子供を学校に送り出す時に「道の真ん中歩け!って言いそうになる」と。側溝は線量が高いって分かっていますから。でも「道の真ん中歩くけと言ったら車に撥ねられるでしょう言葉を飲み込んで子供に不安感を与えない。
 そうやって、くよくよ、くよくよ、うじうじ、うじうじと朝から晩まで過ごして夜寝る時もまるっきりその悩みが解消されないまま寝る。翌朝目が覚めると同じ事でまた悩むんです。これが悩みに埋没する。悩む意味がない状態
 「悩む」というのは希望を見出したいから悩むんでしょう。福島で低線量被曝に晒されていると建設的に悩むめないんですよ。「地震で倒れた自分の家を建て直そう」とか「家庭菜園で農作物を植えて自分ん物を食べよう」と思っても土が放射能で汚れている、大地、空間が汚れているいると何にもする気が無くなる。宮城や岩手は、壊れた堤も・建物も直そう、復興だーって進める。だが福島は進めない。
 精神的に低線量被曝の日々が福島の人を抑圧して来るんです。この状況を宗教ではどういうふうに位置づけるの?、放射能がキリストやマホメットやお釈迦様が生きている時に放射能が発見され、「あの人達はフクシマの放射能の状況をどういうふうに定義づけたんだんう」凄く知りたくなった。サターン以外の何物でもないように思う。放射能は決して反省しない、無くならない。

 この抑圧は福島に住んでいる者にしか解らない、のではないか。

 

 (3・11直後 20日あたりの放射能沈着・汚染地図)
 メモ欄



・低線量被被曝について
 語らないのはなぜ
 語らない来訪者
 語れない人々








・やる気を奪う日常


・低線量被曝と原発の是非は異論点だ








・やる気をなくさせる
 大地が信じられない
 何をするにしても身が入らない

 低線量に晒されると建設的に悩ない 



・低線量被曝下の抑圧
 この抑圧は
 フクシマに住んでいる者にしか
 解らないのではないか
鈴木達治郎氏講演の一部 2016年06月04日核兵器廃絶市民講座より  メモ欄 
 (動画へ
 ■核兵器と原子力 違いと共通点

鈴木:核兵器を使いたい」という国の体質があって「戦争を考える」そういう国がある限り、(核兵器の使用は)最終的には止められない。ということを1946年のときに言っているんですね。「じゃ〜どうしらいいんだ」と。なかなか悩ましい問題で。結局止めることは不可能なんだけど、基本的にはその(使用の)スピードを遅くするか、(使用するための)壁を高くするか「その方法しかない」ということなんですね。

 ここで「核と原子力の違いと共通点」を一枚の紙に描いたらどうなるか」ということを描いてみたいですが。まず、核分裂反応の巨大さというのを実感していただくために、この数字を使うんですが。ウラン235というのは核分裂をしてエネルギーが出るんですが。1グラムのウラン。(指で形をつくり)こんなもですね。で出て来るエネルギーというのは1200万キロジュールになってます。1メガワットというのが分かり易いので1メガワットというのは1000kwの電気を1日使う電力。
 だいたい自分のご自宅で何キロワットぐらい使うかご存知ですか。どれぐらいだと思いますか、テレビとか何かあるんでしょうから、普通は1kw、ピークでもだいたい2k〜3kw。普通はだいたい1Kwと考えることにしている。1000軒の家の電気を1日使うエネルギーが1グラムで出来るんですよ。凄いでしょう。

 1グラムのウランそれを石油で換算すると約1トン。ということは100万倍ですね。今日いらしている方は鉄腕アトムという世代。鉄腕アトムの歌ご存知ですが。何万馬力って言ってますか。10万馬力、というのは間違いではないんですよ。100万倍というのがだいたいの理論上のエネルギーなんですが。実際にはロスがあるので10万馬力で、鉄腕アトムって胸の扉をぱかっと開けると原子炉があるんですね。

 当時というか科学者はですね当然計算するわけですよ。化石燃料の100万倍のエネルギーを発見した時の科学者の興奮って分かります。「やったー」としか思わないですよ。「これで人類のエネルギー問題は全て解決した」と思う人と、「やったー、これで世界を征服できる」と思う人がいたんですね。これが原子力の最大の悩みです。

 「巨大なエネルギー源として使いたい」と言う人たちと、「巨大な兵器として使いたい」という人たち、両方居た。残念ながら最初は核兵器。巨大なエネルギー、このエネルギー100万倍っていうエネルギーのスケールの大きさを実感して頂きたい。ウラン235の1グラムで石油が1トンですから。

核兵器は材料は後で出てきますけどウラン235を非常に高濃縮にし、天然には0.7%しかないので、一生懸命濃縮している。20%ぐらいに。

(講演の一部です。後日、全文文字化予定)
・ 鈴木達治郎氏の動画
・核兵器使用は止められない 
・核分裂反応 ウラン235 
・エネルギー比較
 ウラン1g =石油 1トン (100万倍)
・鈴木達治郎著 『核兵器と原発』
 
・巨大な兵器か、巨大なエネルギー源か
 核兵器か平和利用か
・核兵器 濃縮ウラン

1938年 ベルリンで研究 O・ハイマー F・ストラスマンウランに中性子を衝突させる実験、原子核エネルギーを解放する道がひらけた
1939年アメリカに伝わる。 最新鋭の加速器サイクロトロンがつくられる。・・ この反応を利用した爆弾の製造の可能性も物理学者の認識するところとなった
マンハッタン計画ウィキ−より
 原爆開発に焦った アメリカイギリスカナダ原子爆弾開発・製造のために、科学者、技術者を総動員し計画は成功。
1943年 ロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆製造研究チームを主導した。彼らのグループは世界で最初の原爆を開発し、ニューメキシコでの核実験(『トリニティ実験』と呼ばれている
原子爆弾が製造1945年7月16日世界で初めて原爆実験を実施。ウラン爆弾を広島に1945年 8月6日・プルトニューム爆弾を長崎8月9日に投下。数十万人が犠牲に。また戦争後の冷戦構造を生み出すきっかけともなった。
福島市民の声02 2018年7月 家族を自主避難させた父親

 棄民なんだ

 福島県中通りの県民は特殊な状況にあると思う。自主避難という問題を抱えるからです。福島第一原子力発電所の事故は自主非難する人を産んでしまいました。自主避難は強制避難はなく、自主的に福島などを離れ、3・11以前に暮らしていた被災地を脱出し、避難している。自分の判断でフクシマフクシマ・放射能汚染地域から避難することですよね。
 自主避難者は非常に法的に曖昧な状況に置かれてます。そうずーっとそう思っているんです。私は当事者だから言うのではない。原発事故は色んな問題を生み出していいます。客観的に見ても、自主避難の問題はボディーブローのように尾を引いていきますよ。
 「自分はなぜ、家族はなぜ、自主避難しなければならなかっか」ずーっと考えています。「私たち家族、自主避難者は棄民されたんだな」と。行政当局はああだこうだ言って、強制避難者を一世帯たりとも指定し認めないような政策を敷いて来た。それは何故か。
 一村一町、丸ごと強制避難の措置を採るか、採らないか、線引きした政策を実施したことで、近隣の線量の低い所に暮らす世帯から文句が出た。住所で判定されるのは科学的に合理的じゃない。放射線量を測定し避難指示の世帯をピックアップして、世帯ごとに避難を認めない。そういう地域を設けた。そこで何が起きたか。自分の家は隣の家よりも0.何々マイクロ低いだけで基準を満たさない。だから避難させられない。避難指示が出た世帯には補償金が入っている。その事で分断と対立が顕在化してしまった。

子供への低線量被曝は判断が違うんだよ

 福島市は「絶対に避難者を出しちゃいけない」とし政策を実施。どんなに線量が高くっても「分らないけど、たぶん大丈夫だと思うよ」そういう意思決定は上へ上へと、判断を仰ぎ先延ばしにした。都市生活をしている私は「大人の判断だから多少やむを得ないろう」と思います。でも「どうしても見過ごせない」という人たちが居る。私がそうでした。私には小さい子供がいたからです。「妻や親は大人だから大丈夫だろう」し、そう考える加減な私も居る。でも、我が子ことになると判断が、ガラリと変わるんですよ。「この線量じゃ、逃がさなくっちゃいけない」と。私の中の二重基準ですね。小さい子供がいる家族は会議を一度と言わず何度も開いたはですよね。毎日話し家族で話し合いする、二重基準のある暮らしにも耐えられない。そういう親は自主避難を採ったですよね。
  時と共に「自分の中の二重基準をあいまいにしやり過ごせないかな〜」と思うような自分の方が強くなるんですよ。低線量被曝のリアリティーが薄まると同時にそうなる。
 そうなると声をあげる人は少数派になり、声をあげない人が大多数になる。

 自然から恩恵を受けて成りたつ一次産・業農業に従事している人や、アーテスト仕事をしている人、絵を描いている人などクリエーティブな仕事をいる人は原発事故の罪深さを肌身で感じ取るので彼らは声にすることを出来たのではないかですかね。私はそういう者ではないんですよ。
 メモ欄





福島市民の声03 2018年7月頃 後悔し泣き出す教師を見た
 
 自主避難をテーマに映画を作った監督が福島市内の高校卒だそうで。その高校で試写会があり、鑑賞後い皆で討論する場にいたんですね。
 映画の感想は色々出ました「何を勝手なことを描いているんだ」と反発する人、自主避難者というのは身勝手な人たちだ、貴方は逃げられたからいいでしょう。遠く離れた地に行ってそこで裁判を起こして賠償請求までやっていてずるい!」と言うんでよね。「福島の人たちは残って頑張っているんだ、風評被害なんて無いし、福島は安全なんだから、裁判起こしている人たちは私は許さない」と興奮してまくしたて主婦なんでよね。

 観客は教員・先生も多く男の先生は「この映画を観てもまったく何も感じませんでした、何で私がこの映画を観て感じなかったのか、そのことから私は考え始めてみたいと」と話て、わけわからんしね。

 男の高校生は「そもそもこんな問題が福島市にあることすら全然知りませんでした、この映画を観てもピンと来ません

 40代前半の女の先生は「当時私には小さな子供がいたて、私も自分の子供の事が心配で福島市を離れたいと思ったけど、教育委員会では学校を再開すると言うので、当時30人ぐらいのクラスの受け持ちでもあった。その30人生徒のために私は、ここは大丈夫だと自分に思い込ませて来た。科学者もそう言っているし教育委員会も言っている、そうしなければ自分は生きられなかった」そうやって教職に就いていた」そうなんだよ。
 震災から5年経ってその上映会で自主避難者の映画を観て泣き出し語れなくなってしまいました。彼女が封じ込めている原罪意識が蘇ってしまったんだと思いますね。「この映画を観なければよかった!自分の子供に対してご免ね」とその気持ちを抑えきれず、泣き出すしかないんだよね。

 同じような思いを持って暮らしている若いお母さんがどれほど福島に潜在的に居るのでしょうか。日々の暮らしではとっても我慢して心を押さえ、自分の素の心を見せないんですよね。福島市に暮らす人は心の底では誰でも被害者なのにな〜「あの人はうちより一万円多くもらいやがって〜。そういう事に人間は執着しちゃうだよ。福島市民の心をうま〜く、うまーく政治家や行政ガバナンスは放置しちゃってんだよ。それを見抜いて記憶し、語り続けていきたいよね。そうじゃないと低線量被曝の問題を矮小化して、自主避難者は無かった事にされちゃうんだよ。で、補償金のような銭、低次元の議論だけあったってされてしまうよ。

 自主避難を含む低線量被曝については答えが見いだせないね。議論しても尽くせないよ。福島市に311に住んでいた人は割り切れない思いを持って今後も生きているのよ。

 メモ欄


・自主避難者は身勝手説
 私はこの地で頑張っていた
 風評被害なんて無い





・観てもピンと来ない



・こんな問題が有るの知りませんでした
 で、観てもピンと来ない


・避難したかった
 教育委員会は学校を再開
 30人のクラスを受け持っていた
 で、大丈夫だと自分に言い聞かせてた
 そうしなければ生きていられなかった
 自分の子供にご免ねと





・誰でも被害者
 


・自主避難は記憶し語り合い続けたい
室崎益輝氏講演の一部2018年9月10日災害の何を伝えるか 4点
 めも欄
 (講義内容を拾い書き)
■人間の素晴らしさだけ伝える態度は災害を無くすにならず

室崎:災害の歴史という課題を与えられたので、どういう視点で災害史を観ないといけないか。ぶつ切りのコメントになります。「災害っていったい何だろうか」というとをしっかり考えておかないといけないと思っています。
 被災地に行く度にそうなんですけど「本当のこんなに悲しい事が次々に起きていいか」っていう極めて残酷なものなんですね。で、そういう意味で言うと最も悲惨で残酷なものだと。
 これは神戸の「人と防災未来センター」の展示の計画をする時にも、僕は3ヶ月ほど徹夜して、展示の内容を一字一句ぜんぶ、私の責任でチェックをして修正したりしたんです。その時に何を伝えるかという議論を相当したんですね。

 その時に4つ大切な事を伝えようと思ってます。

 一つは災害の残酷さを教えないといけない
 一つは自然の偉大さっていうか
     自然の大きさみたいなものを伝えないといけない。
 三番目には人間の愚かさを伝えないといけない。
 四番目に人間の素晴しさを伝えないといけない。

 「人間の愚かさを伝える事」と「災害の残酷さを伝える事」ができませんでした。残酷さを伝えようと思うと、それは「遺族の方や被災者が思い出すものは展示して欲しくない」と言うので、それに対してはかなり消極的です。
 それから「人間の愚かさを伝えよう」とすると、行政が「神戸市の批判なんかやってもらっては困る」というかたちになって、それもできませんでした。
 で、「人間は素晴らしいんだ」という展示になっているんです。復興で頑張っている。これは一つの重要な側面ですけど。ただそれだけでは「次の災害を無くそうという力にならない」ですね。

 広島の平和資料館がケロイド状態の女性の写真とか、そういうものの残酷さを教えることによって、二度と原爆は作るべきではないと、平和だとかに繋がっていくわけなので。災害についても残酷さをもっと伝えないといけないんですけど。概ね災害はですね、美談の方に話が盛って(持って)いかれている。美談は美談で重要なんですけど。やっぱりいかに残酷で悲惨で無慈悲で不条理かという事を伝えないといけないというのが、一番。災害(防止)の本質がそこにあると思っています。


 (動画へ)









 災害で伝えたい4点
・災害の残酷さを教える
 自然の偉大さを伝える
 人間の愚かさを伝える
 人間のし素晴しさを伝える




・消極的な行為
 災害の残酷さを伝える
 人間の愚かさ

・人間の素晴らしさだけ伝えると災害を無くそうという力ならない




・広島の平和資料館
 残酷さを教えてる展示

・災害の残酷さをもっと伝える
・災害の本質
 残酷 悲惨 無慈悲 不条理 




絵の記事へ 

災害は社会矛盾を見せつける

 災害はまさに社会の歪を見せます。阪神淡路大震災のときは少子高齢化社会という、僕は少子高齢化社会だけじゃなくって、家族が小さくなっていくっていう。一つの世帯分離。家族が小さくなっていく「むごさ」みたいなのがそこにあったと思っているんですけど。
 そういう事だし、それから、2004年の中越地震で言うと限界集落っていうか一極集中とか、本当に中山間地の集落はどんどんどんどん小さく成っていて。維持が出来なくなって来た。まさにこれがずーっとめんめんと今続いているですけど。
 一極集中の国土構造の問題みたいなものが、浮き彫りになるわけです。まさに社会のひずみというか地震が来なくっても起きたであろう、事を(災害には)先取りしてどんどん社会の問題を提示して来るわけなので。

 (災害は)まさに社会矛盾をそこに、我々に見せつけるという性格を持っているんだという事だと思います。


・阪神淡路大震災が見せつけたもの
 少子高齢化 家族が小さくなっていく
 世帯分離

・中越地震
 限界集落



■ 災害はどうして起きるのか

 災害は社会矛盾を見せつける、結果的にはそういうものだという事を頭にいれて置きながら、二番目がそれを受けて我々が、どう振舞うかっていうところに繋がる重要なポイントだと思っています。
 それから災害はどうして起きるのかっていう、災害の要因構造をどう見るのか。これもとても重要な事で。大きくは人的要因自然的要因が、複合している。だから天災か人災かという二者択一論というのは僕は間違っていると思います。いい意味でも悪い意味でも。
 例えば人災を強調する人は全て社会のせいにしていこうとするんだけど。そうじゃなくって自然の持っている、破壊力だとか、自然のリズムだとか、そういうものを理解、そういう処にも問題があって、両方見ないといけないですね。
 逆に言えば今度は社会的責任を免れようとする人は自然のせいなので、これだけの雨が降ったりしかたがない、片付けてしまうんですけど。

 両面から見ていかないといけないというふうに思っています。人的要因が、ここの社会的要因と技術的要因と書いてあります。特に私は防災のある意味では科学者だというふうに自分では思っていますので。科学技術の責任というのはとても大きいわけですけど。その科学技術が未熟だというのが凄く偏向しているっていうか、本当に正しい科学が必要な人間にとって、必要な科学が作られて来ていなののではないかっていう意味で、技術とか科学の世界の問題としてとらえないといけないので。社会経済的な部分と科学技術的な側面から人的要因というのはきちんと見なければいけないというふうに思っています。



・社会矛盾を観どのように振舞うのか


・災害の要因構造
 人的要因 自然的要因 

・天災と人災の二者選択論は誤り






・人的要因 2点
 社会経済要因
 科学技術要因




■災害要因構造をどう見るのか

 要因構造をどう見るのかということだと思います。そういう正しく原因を捉える力が無いといけない。これはありとあらゆる所で、ついこの前までは数日ですね、3日前まで愛媛県の西予市の野村ダムという所に行ってきました。今裁判が起きようとしています。人為的な部分、じゃ全てがダムの管理者が悪いのかというとそうも言いきれない部分もあったり。
 ダムが出来たことによって河川の氾濫が無くなったため氾濫原っていうか、河川が氾濫する所に出来ていた空地に、保育所だとか公共施設が土地が空いているから作ったという意味の、人間の側の社会的な問題もある。色んな問題が重なっている。その両方をきちっと観るような観方が、たぶん災害を観る観方としては必要ではないかと思っています。







復興が予防につながることが重要(事前復興

 三番目は減災のサイクルです。説明が要らないと思っています。一つのサイクルで一番重要なのは復興が次の予防に繋がっていく、という処の繋がりがとても重要で、復興によって次の災害を予防する力
 これは事前復興という一つの言葉でも語られるようになっています。そういう(災害の)事後から事前に繋いでいく。
 逆に言うと事前をしっかりしておけば応急対応がうまく行くっていう処の、一つのサイクルと歴史の流れ、時代の流れとも関係して来て。ここに大きなサイクルというのは、例えば阪神淡路の復興を東日本大震災にどう活かすかというのは小さなサイクルですけど。
 もっと大きなサイクルはまさに我々の文化としての災害経験みたいなものの継承みたいな大きなサイクルはもっと地球レベルと言うか、大きなレベルで風化を防ぎながら過去の経験を次の暮らしに活かしていくような、そういう一つの大きなサイクルが出来ているか?と

 実は小さなサイクルもできていないんです。大きなサイクルと言うか文化的な側面としての災害体験の伝承がなかなか出来ていないということなんです。

 いずれにしても、そういう寺田虎彦の「進化論的災難観」という概念と、この減災のサイクルというのは根本的には同じ事を言っているように思うので。そういう事を考えなきゃいけない。

・事前復興
 復興によって災害を予防する力



・事前復興をやると応急対応がうまくいく

・小さなサイクル


・大きなサイクル 
 文化としての災害経験の継承
 大きなサレベルで風化を防ぎ
 過去の災害の経験を活かしていく
 








■ 日本の歴史をどう見るか

 四番目にの視点は日本の歴史をどう見るか。これは、私は歴史学者ではない。これは余談ですけど。本当はですね、私たちが今では二年目に入っているんですけど、兵庫県立大学に減災復興政策研究科というのを作ったんですけど、一学年の定員12名に対して常勤の教授陣が11名で非常勤が7名の教授を持っているという非常に恵まれた所ですけど。政治学だけ居ないんです。政治学は本当に研究者が居ない。というのは本当は必要なんです。

 政治学という分野から防災というのはしっかりやらないといけないんですが、ここはまさに政治学の世界と裏表に関係にあるところの話でありまして。これもとても重要だと。大きな意味で言うと高度成長の付けが、高度成長の直後に現れないんですね。その次の世代にその付けが回って来る。その付けを今(2018年)我々はもろに受けて悶えているというか、七転八倒の苦しみを持っているという事だろうと思います。大きく日本の歴史の中で(災害を)みる。



・日本の歴史の中での災害







・政治学からみた防災論 要

火災を例に(戦後の歴史を観ないと平成の災害は理解できない)

 平成で言うと、まさに経済停滞期ですね。平成は1989年、90年代から経済の停滞期です。
 例えば火災で言うと90年代ぐらいから、ほとんど大きな火災害、糸魚川の大火とかは起きたんですけど。火災で言うと戦後まもなくは市街地大火。これは60年ぐらいまで、戦災復興期に大火が続くんですね。荒廃からの脱却と言うんです、この時代は物凄く水害も多いし火災も被害が多くって。それをハードな技術で抑え込もうとするのが、復興期の主な特徴なんです。まさに戦後復興期は火災がとても多いと。

 じゃ〜成長期はどうなるんだと。今度はビル火災が、デパート火災、宝塚劇場の火災から始まって次から次からビル火災が起きて。ビル火災が起きると30人が焼け死ぬっていことをずーっと繰り返すわけです。
 高度成長期、安定成長期、安定成長期に入ると今度はコンビナートだとか、危険物の火災みたいなものが発生すると。それをようやく克服して、むしろ経済停滞期には火災はむしろ安全な社会で、付けはここには来てないという、その見方は不十分で住宅火災は全然減らなくって高齢者が亡くなっていってます
 火災の被害を見ても、政治経済の流れと深く防災対策技術の変化みたいな流れの中で、ずーっと複雑に絡み合っている。

 ここで言わんとしているのは、日本の戦後の歴史を正しく観る視点が無いと平成期の災害は理解できない。単にそれだけなんです。高度成長だとかバブルの破綻がなければ今の危険性は理解できない。政治経済的な立場から、災害を観る視点というのはとても重要ではないかと思っています。

以上がざっとこういうことを頭に入れて置きながら平成の災害の動向を見ていかないといけないという。

■自然災害で亡くなった死者の数

 戦後の復興期は台風が来れば1000人ぐらいの人が亡くなる。平成には災害の多様化大規模化があって。地震学をやっている人はよく分かると思います。自然現象としてプレート境界に溜まっていく歪の量で説明が出来るんです。活動期と静穏期の一つのリズムがあって。今の活動期は50年続きますので、阪神淡路大震災が最初です。阪神淡路大震災から50年ですので、まだ後25年から30年は続く、ういう時期にあります。昭和の南海地震の前後の活動期に比べると、まだ直下型地震は少ないです。だからもうその、南海トラフのあとに首都直下。これも歴史的な一つのリズムで首都直下も起きます。地震の活動期なのでこれは避けられない。

 もう一つ厄介なことは、それに加えてなんですけど、地球温暖化、100%そうだと言い切れないですけど。太平洋の海面温度が上昇している。今のとんでもない雨を降らしてたり、とんでもない台風の動き生み出していることは確かで。地震と豪雨が連続して起きる時代に入ってるという事だと思います。

 先日の北海道の地震(平成30年北海道胆振東部地震)も豪雨が降った後の地震だし、複合災害。福井地震の時なんかは地震が起きた後の1ヶ月後に九頭竜川が氾濫して複合災害という。あれはかなり偶然だけど。今は豪雨と地震が同時に起きるのは必然になっている。これだけ頻繁に地震が起きて、当然豪雨が起きて地震が起きるというのは不思議ではない。複合災害、そこに火山も、繋がりますから、危険な周期に入っているということが。基本です。

 そこに少子高齢化、これは日本の社会は今カウンターブローのように効いていまして。亡くなる人を見ると高齢者ですよね。高齢者の社会的なサポートの態勢で、社会全体としての福祉ケアのサービス。若者は若者だけで、住んで高齢者は高齢者で住むという色んな理由があるんですけど。高齢者。

 福島の原発事故の処もそうで、若者は都会に出て行って帰って来ない。年寄りだけ戻って来て世帯分離というのが行われ。年寄りだけが住む、家族が小さくなっているので、家族の中のケアが無いんですねお風呂に入っておぼれ死ぬ人がだいたい5000人です。ほとんど80才以上の高齢者ですね。それはどうしてかということ一人暮らしで高齢者になりお風呂に入ってバランスを崩しと溺死をする。これもまさに家族が小さくなって来たということなのです。

 防災は豊かな国にならないと進まない、高度成長期に災害が減っているのはそういうことです。今安定成長成り停滞期に入って来ると、途端に防災投資が抑え込まれて行くという現象になります。経済成長が停滞していくと災害が増えていくその周期にも入って来ている。かつ高度成長で無理をして、経済優先で開発していますので、そのしわ寄せがどっと来る

 建物は地震の災害で高度成長から20年、30年経って出て来る。平成の時代に高度成長のひずみが今出て来ているんじゃないかなーと思っています。

 交通事故はちょっと減りましたから1年間に4000人から4500人ぐらいが死にます地震津波で死ぬ人は1年間に1000人ぐらいです。最近はちょっとリスクが高くなっていて、1年間に1500人ぐらいになっていますけど。
 自殺は災害というかどうか分かりませんが、頑張って少し減っているんですけど、1年間に3万人超える。災害というのは地震津波だけじゃなくって色んなものが起きって、その中にインフルエンザとかBSEだとか群衆事故みたいなものだとか色んなものが含まれて、リスクが多様化している、と思っています





・災害の多様化と大規模化 








・温暖化が重なる






・火山も





・亡くなる人が高齢者おおく



・高齢者の風呂で溺死 
 年間 5000人

・地震津波で死亡者数
 年間1000〜1500人

・自殺者数
 年間3万人
 平成29年21300人ほど

溝上慎一郎氏『大学白書2018』講演より部2018年09月25日
まず、2018年10月6日公開された丸激での溝上さんの発言の一部

 日本の大学が人材を育てられない理由

溝上:人間というのは社会が有って個人、人だった。特に村とか共同体がどんどん崩れていく、(共同体や家族のつながり)力を落としていく、1970年代、80年代から個を充実させる、(家電から個電へ)音楽とか後々スマフォとか、日常生活で言えば(個人商店から)コンビニとか、あまり人との関係を採らなくっても自分がやっていける価値観も多様になていきます。何でもありになっています。
 社会とか集団、あるいはコミュニティーとかを経由しないで、個というもものを、よくも悪くも作っれる時代に入っているわけです。特に1990年代以降それが非常に展開して。そういう中で今の子供たちは社会とか人が有って自分という感覚は物凄く落ちている。だから凄く社会性が高い学生とか生徒はどんどん(他者・他領域と)繋がっていくし、そういのを分からないと言うような生徒は全く(他者・他領域と)全く繋がらない。繋がる動機さえ持たない。フレームワークも無い。

 ここまでは現状分析ですね。そこで学校だけでは、もちろん出来ないんですけど、学校というものが、そういう間を採る役割っていのは必要だと思うんですね。そこで、昔だったらボランティア。昔は無かった。だけど「それは行きたい人はどうぞ」みたいな世界だった。今は大学とかが学校が薦めているんですね。自然災害が起こった時に学校や教師が、一番しんどい時に連れて行ったりはしないですけど、日にちを置いて連れて行ったりするんですよね。
 それは「ここを繋げたい」と学校は思っているんで。それが現代だと思うんですね。そういうものの総体としてもっと数字が(下記絵の能力が)上がっていないといけないと思っているんですけど、こんな感じで(社会に繋がらない子供)これからも行くんだろうなと。
 幼稚園、小学校、中学校、高校あたりが人の基本を作るんだと。大学は大学バージョンでもちろん引き継がないといけないんだけど、この話はもっと高校以下に下されないと、いけないですね。

(絵:2018年10月7日まるげき動画より)


 大学はまだ本気になっていないので、そこは促したい課題です。仮に本気で学生を学ばせるとなったとしても、19歳20歳まで育った学生はそんなに変わらないっていう発達の、育ちの問題は変わらないんですよ
 めも欄
 (動画へ

・集団やコミュニティーを経由しないで
 個人がつくれる時代へ

 1990年代、家電から個電へ


・社会と関わる若者の二極化
 能動的な若者
 全く繋がらない若者
 動機もフレームも無い若者


 対策として
・学校が間をとりもつ役割必要要

・大学がボランティアを薦める


・学校が社会と若者を繋げるのが現代







・大学でも身に付きにくい必要な能力
 (10年間ほぼ変わらない

 リーグダーシップ力
 プレゼンテーション力
 コミュニケーション力
 問題解決能力
 批判的思考力
 忍耐強く仏事に取り組む力






・大学が本気になっても変わらないだろう

 19歳になった学生は変わらない
■ 大学白書2018 講義の一部 録
 
 知識だけ有っても駄目なんです

(講義ははじまっている・・・・・)
溝上:2008年ここからが今日の会見であり関連してくるところですあります。私たちは大学教育の改革において、学資過程答申2008年の答申は非常に大きな転換点、あるいは言って見たら先ほどの、申し上げた仕上げになる答申でした。

 一つは学資力という概念がここで出てきました。みなさん経験的に「大学というのは、例えば教養とか専門知識の教育の知識を授ける所だと」こういうふうに思って過ごされてきたかも知れません。それはこれまでも今もそうなんですけれども。

 初等中等教育の資質能力と呼ばれるような、あるいはピザリティラシーイと呼ばれるような世界的に変わる社会を睨んで非常にコンビィテンシーとかジェネリックスキルと呼ばれるような、資質能力と読んでまいりますけれども、そういったものが大学の中でも非常に求められている訳です。

 それは世界的に社会が非常に変わっていってますので、知識だけ有ったってだめなんですよね。その知識を使いこなしていく頭とか、教育の非常に弱いところですけれども、もっと他者とか集団の中で自分が知っている事とか考えている事とを色々な人に伝えていく力とか、あるいは色んな立場の人とぶつかっていくわけですから、そういう人たちと議論したり異なる意見を受けて、返していくとか。こういった事(能力)をもっとも育てなければいけないですね。

 答申として文科省の、大学は学習指導要領はありませんので、言ってみればこの答申が指導要領みたいなもんです。これで大学はこれを元に改革を進めていった。こういうふうにご理解ください。

 そういう中で三つのポリシーこれが今日とても大事なキーワードになります。これも2008年に出てきました。三つのポリシーと言うのは、大学入学の入口をかなり規制緩和して来ましたので、色んな学生が入って来ると。大学としてはこういう学生を受け入れて、こういう学生に育てたいと。こういうふうに考えて行ったわけです。そのアドミッションポリシーという、入学時の入学要件こういう学生を求めますと。そういうのをポリシーとして定めるという、このアドミッションポリシーというのが一つあります。
 それからカリキュラムポリシーですね。4年間カリキュラムであったり授業をどういうふうに組み立てて学生を育てるかと。最後、大事になってきます、ディプロマポリシーというものです。これを大学がこういう学生に育てるべく教育をしますという目標を掲げるものです。

 共学経営、今は共学マネージメントと呼び直していますけれども。このディプロマポリシーというのが、大学の学生をこういうふうに育てるという目標なんです。先ほど申し上げたように知識、教養とか専門の知識だけでは授けるなんて、そんなふうに策定した大学は一つも無いと言っていいぐらいです。どの大学も、例えば問題解決力とか、あるいはコミュニケーション能力とか、色んな社会とか国際的に異文化を学ぶ力とか、そういったことを掲げて来ました。
 問題はそういうふうに掲げてたんだったら、それに基づいて授業、カリキュラムを実施し、そして実際そういうふうに学生が育ったかを見せていかないといけないんですね。そういう構造で2008年以降進んで来たわけです。

 この構造は今10年経っておりますので、そんなに変わっていません。言葉がちょっと変わったりはしていますけれども、三つのポリシー三つの方針というう漢字になったり、共学経営共学マネージメントとなったり。こんなことはありますけれども、考え方はほとんど同じです。
 そういう意味では先ほどの将来構想部会の中で大学教育の色んな不十分な点が今総チェックされて、まとめられておりますけれども。そこで出て来るものは、こういうところで挙げられている話の焼き直しに近いものです。

 それから2011年にキャリアガイダンスの法制化というのがありました。これはキャリア教育というのが、いわゆる、成果つまり単位を与える授業とか、カリキュラムの傍流、就職とかですね。将来の生き方とかを考えさせていくのがキャリア教育なんですけども。それは授業とか単位を与えてやるものではないと。従来の大学教育機関だったら、そういうふうに思われたかもしれません。

 ただ、今ですね、出口の就職とか、その先が非常に高度に複雑にそして、シンドイものになっていますので、大学としてそれを学生の自立に任せて、「どうぞご自由に」とそういうふうには言えない訳ですよね。しっかり出口に向かって育てるといのはこういう就職あるいは、仕事、労働観だったり、あるいは将来どういうふうに生きていくかという、人生の問題なんかも、どこかで考えさせていくと。考える機会を与えていくと。そういうものをちゃんと正課教育の中に組み込んで教育の一環として、取り組出いくと。こういうことが、大学設置基準の改正ということを通して、法制化されたわけです。

 だだこれは今日結果を、お話するなかにも非常に絡んできますけれども、学生を本当に育てようと思う大学教育というものを進められていると、こういうふうに思って頂いていいと思うんです。

 私はずーと20年間、こういう改革に関わってきて、そしてこの10年は今日報告していくようなデータもかなり大規模に出来て。日本でもこういう全国のデータを持っている何人かの一人だと思っています。そういう中でこのキャリア意識というのは、将来どういう仕事をしたいかということとか、どういう大人になりたいか、こういうことですけれども。これがですね、4年間の学習とか、色んなものに挑戦していく活動の広がりとかに、非常に大きな影響を及ぼしているんですね。

 つまり将来の事を考えない学生っていうのは、授業をとる時も非常に易きに流れますし、授業をこういうふうに聞いている時も、面白かったら聞いて、面白くなかったら聞かない。自分で問題意識を持っていろいろ学習をしたり、あるいは色々考えたり、そういう事はしない傾向は、これはデータでかなりはっきり出ているんです。

 だから、いい教育をするということは、もちろん授業者あるいは教員の教育に対する改正とか、あるいはマインドをしっかり作っていくという事でもあるんですけど。学生自身が将来に向けて頑張るという事をどこかで持っていないと駄目なのです。そういう事が大学教のなかでも理解されて、大学設置基準という法制化の中で入ったいたという事です。・・・・(講義は続いていく)

著者と語る『大学生白書2018 いまの大学教育では学生は変えられない』溝上慎一・桐蔭学園トランジションセンター所長・教授 (動画へ



・学資力という概念




・資質能力を育てよと要求される大学



・激変する世界の中の社会

・知識だけ有ってもだめ
 知識を使いこなす頭を育てる
 他者や集団のなかで伝える力




・大学の学習指導要領学習指導要領
 答申



・三つのポリシー
 アドミッションポリシー
 カリキュラムポリシー
 ディプロマポリシー

























・キャリアガイダンス
 必要な時代になった




 大学設置基準改正
・就職 
 高度で複雑でしんどい
 大学は対応する必要がある

 人生の問題も考える機会を与える







・20年間大学の改革に関わってみて


・キャリア意識
 どういう仕事
 どういう大人になりたいか




 
■質疑応答・溝上慎一郎氏『大学白書2018』2018年09月25日

質問者:小学生に義務教育で年間一人当たり70〜80万円。大学はそれでは無理だと思います。お聞きしたいのは、アメリカは小学校でデベードやるので取材していましたら、忍耐強く物事に取り組む力、批判的思考力、問題解決のためのコミュニケーション能力、プレゼンテーション能力、リーダーシップ力、小グループでやるんですが。日本は小学校で大学の知識とか思考力を身につける前に、発言したり、コミュニケーション能力をどうするか。小学校の辺からやらないと。大学で臨時講師をしたんですけど学生は手を挙げて発言しませんね。小学生4年生ぐらいまで「何かありませんか」と聞くとだーっと皆手を挙げます。高学年に進むにつれて周りを意識してだんだん手を挙げなくなる。デベードをもっと子供の時からやっていたら違うような気がするんですけど

溝上:入り方は違いますけれど、問題関心はほとんど共有できます。大学から話をしましたので高校中学と申しました。高校中学に指導に降りていったときに必ず出て来るのは小学校の話になる事です。
 私が小学校とか中学校の授業で、今はアクティブラーニングとか、小学校は昔からグループワークとかしていますので、それをけっこう見ているんです。そこで感じている事は、今回の学習指導要領改訂で小学校は「私たちはこれ関係ない」って言ったんです。「グループワークとか発表とか普通にやっていて、これは高校の話でしょう」あるいは中学校の。小学校は関係ないと言う。小学校に見に行きましたら関係大ありなんですよ。何でかと言ったら、皆さんも経験あると思うんですけど、小学校の班学習というのは物凄く分かり易く言うと、一人で考えても分からないけど皆で考えたら何か出て来ると。分かり易くいうとそんななんです。
 で、資質能力を育てるためのグループワークではなかったんですね。その証拠にどういうふうになっているかと言うと、例えば、4人でグループして、例えば動物を罠にかける、イエスかノウとはあるです。ところが二人ぐらい凄く力のある子供が喋ってるだけで、残り二人は聞いているだけとか。こういうのがガンガンあるんですね。
 資質能力を育てたいんだったら、この聞いているだけの二人もちゃんと喋る何かを授業方法を作っていかないといけない。グループワークだけじゃなくって講義でも子供たちは「はい、はい」と手を挙げて授業は進んで行く。これは日本が世界に誇る授業力の高さなんですけれども、手を挙げてない子供が居るんです。挙げてない子供は授業から置いて行かれているですよね。
 先生は子供の考えを引き取り授業を進めて、凄く言葉は悪いんですけれども「いい気になっている」本当に出来る子供を育てていく授業が展開していると。これが中学、高校になるとさらにそうだと。という事で。

 まず小学校まで降りて行くというのが今回の学習指導要領の改訂ですから、おっしゃる流れは小学校に対して発せられていると思います。資質能力の向上のための、学習指導要領では今深い学びと言っているですが、それに対応する授業だと。

 私はこういうのを追いかけて見つめてると小学校で出来なかった子供が中学校、高校で出来るようになる確率はどんどん落ちていきますので、小学校、義務教育がもっともっと本気にならないと、しんどいなーという話をしています

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 めも欄









 デベードを子供のときから
















・資質能力を育てる


 聞いているだけの子供
 ちゃんと喋る授業方法を







・資質能力向上 深い学び