佐藤敏宏 原稿 | 2020年10月12日 曇り 作成 佐藤敏宏 | ||
『別冊渡辺菊眞建築書 感涙の風景』について ( その3 ) その1 その2 その3 その4 |
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■さらに誤読を重ねるため遭遇順に並べ直したものが右の欄です 右の欄に、遭遇・撮影年順に並べ直し地域ごとに色分けしてみました。京都大学入学後も奈良県に在った「感涙の風景」に遭遇し続けています。撮影順に並べ直すと、そのことがわかります。 遭遇した順に辿りつつ遭遇した風景の特徴を見ていくことにします。 ★★(70〜80年)は、生まれ育った故郷である奈良県田原本を中心に、身辺での遭遇風景です。「親密、恐怖異界、脱法の愉楽」という言葉が浮かんできます。 「24.土管の建築」は昆虫採集、魚とりなどの遊び場で遭遇した親密の風景であろうと推測できます。 「通称・TADAO壁、 25.壁」はコンクリートブロックで、墓地と遊び場である日常の空間を遮断する壁で恐怖・異界の風景との遭遇といえましよう。 一方「26.水上住居」は境界を越える意思を示す、脱法・愉楽の風景との遭遇といえましょう。 「 33.古代の空間」ようやく人間が造った建築と遭遇することになりました。古代の人々が信仰を習合させつつ、建築を重ね続けた「信仰習合と重層建築」の風景に遭遇します。ここでようやく、人が遠くに、ぼんやり、小さくではありますが、人間がカメラに入ってきます。構築物と自然の応答が目の前にあるのですが、まだ親しみは持てない。 ★★(80〜90年)は、「 32.漆黒に仕組まれた宇宙」 死者が暮らす空間・石室、死者の風景と遭遇し体験をております。 「34.在る」 巨石ですが、それは唯あり続ける、無存在である ただあり続ける風景と遭遇します。 「35.空く」樹木の梢がつくる穴、宇宙への入り口、それは空との遭遇でありましょう。ここではない遥かかなたへと至ための入口の発見です 「38 二上山と没する日」 は夕日が沈む様ですから、お隠れする太陽の風景との遭遇といえましょう。 建築を学ぶ前、菊眞さんは「人間の直接的な営み、あるいは人間の存在そのものに、ほとんど感涙しない。あるいはできないかった若者だった」と言えるかも知れません。野を駆めぐり、そうしてシュールレアリスム的夢想に没入する少年とでもいいましょうか。とても「人間嫌いで個性的な存在であったことは間違い」と推測しておきます。 人間の不在の風景との出会うことで、人間の営みの入口を探し続けている姿でして、ここまでの写真はその心情が反転転写した記録集なのかも知れません。そのことは、奈良を出て、京都そして日本各地、世界各地での建築実践。さらに「山と海と空しかない」と記している高知で暮らすことによって、何もない、歴史的人の営為の痕跡が無い大地に立ったことで、人間の営みが無い事で見えてしまう人営為の数々、それらへの親しみを発見、あるいは観方を発明してしまいます。そのように被写体への態度が激変しているのが一目でわかります。 以下、途中までそれらを見ていくことにしましょう。 ★★(90年代)はいり京都大学に入学しますと、不意に「 11.亡き巨大池を疾走する橋」に遭遇します。この絵は大変興味深いです。亡くなった巨大池の上を無遠慮に疾走する人工物=橋です。「26.水上住居」でみせる市井の民の脱法・愉楽への暖かい視線は、この橋、人工的物の強引で巨大さ、それが焦点が結ぶまで続いている様を切り取って、怖れているのか、勝ち誇っているのか、まだわかりらず揺らいでいる気持ちを単純な構図にすることで、ようやく保とうとしているように見えます。 次に 「18.無限鳥居」聖俗の結界装置を無限に並べる、構築物の誤用を指摘しています。庶民・人の欲望と構築物に視線が移っている点がわかります。 「8.峠の六角だっけ塔 」に進みますと、仏さまが祀られていたはずの六角堂・廃棄物=準廃墟に遭遇しております。調べる気が起きなかったことを後悔しているコメントが付されている点に注目しておきましょう。民衆・人の欲望と信仰の塊でもある仏様が、時を経ると、彼らが生きるための状況が変化してしまうことで廃棄される。その様を消化できず、やり過ごしてしまったことにつて後悔しているのだと思います。恐れも、目が腐るような構築物でも、だからこそ記録する必要があることを教えてくれる一枚でもあります。 「9.とろける擁壁」と 「39.GL+2000の発光体」には場所の違いと18年間の時差があります。が地表を人工物が覆うことで、地形がデフォルメし可視化される、あるは大地の息遣いを直に観る者に迫り来て、まるで生き物の内臓でもあるかのような錯覚をもたらしてくれます。シュールレアリスム的視線が鮮明に表れている作品です。大地と人の営みの共同創作の不思議さに視線が向いてきているいる点にも視線が拓かれてきたかのようです。 「10.二大怪獣がいた日」タイトルといい、撮影姿勢といい面白いですね。京都駅舎・駅前ビルの工事現場に立つクレーンや山田守の京都タワーが怪獣化されている点もシュールレアリスム愛好者ならではですね。都市的な人間の営為の結果そこで露出する構築物へのおおいなる違和感を持っていることが推測できます。 まだ建築を学んで6年間ほどです。絵を断念し建築の道にはってしまった、違和感は消えていません。 「 21.最後の空地 」あき地を激写しております。このショットでは京都大学に入り「空き地研究」をしていたことが明かされます。「この空き地と会って10年経った」と語ります。そうして京都的技巧にも惹かれるけれど・・・ 「京都的技巧を離れてそれより前の空間、奈良に戻ろうと決意した場所、その空き地でもあります。 菊眞さんが京都に暮らしてからの苦悶という事態を推測できる大地で「空」を撮った興味深い一点であります。ここから視線は生まれ故郷である奈良へもどります。 |
感涙の風景を遭遇年代順に並べ直す (1971年奈良県に生まれる) ↓ 数字は写真の頁を表す 色文字によて遭遇地域を示す 24.土管の建築 年代間違いか 25.壁 ‘73奈良 26.水上住居 ‘74奈良 33.古代の空間 ‘79奈良 ★★ (80年代) 32.漆黒に仕組まれた宇宙‘81 34.在る‘81 35.空く‘81 38.二上山と没する日‘85 (京都大学入学) ★★(90年代) 11.亡き巨大池を疾走する橋 ‘90 18.無限鳥居‘94 8.峠の六角だっけ塔 ‘96 9.とろける擁壁 ‘96 10.二大怪獣がいた日 ‘96 21.最後の空地‘96 20.巡りみて宇宙‘97 29.不意に廃虚は亡くなる‘98 30.古墳は畑作に最適‘98 31.墳丘上のお墓‘98 12.鳥野辺の断崖住居 ‘99 14.15峠に生息する間 ‘99 50.磐座に社殿‘99 54.末社は時に語りだす‘54 ★★(00年代) 13.異界の倉庫 ‘00 17.隧道の謎‘00 19.巡りみて変幻‘00 46.小屋ON小屋‘00 52.瓦解の凍結‘00 55.これは余白ではない‘00 16.都市が典型を変成する‘01 28.俊立する木壁‘07 58.コンクリートボックスの無限増殖‘07 59.アーチだけが残った‘07 ★★(高知工科大へ) 78.張り出すだけではいられない‘09 79.神母木サボォア‘09 80.〜83.断崖の強化懸造にメタボリズム‘09 85.この空間に何を想う‘09 86.のっぺら坊‘09 ★★(10年代) 84.実現せしユートピア‘10 97.海の美術館‘10 47.四方正面の力‘11 76.風に立ち向かう石垣、そして家‘11 77.風に立ち向かうRC壁、そして家‘11 87.零戦目線‘11 88.田んぼの掩体壕‘11 90.時間を重ねてゲートとなりて‘11 91.起点は何処に‘11 92.あっけらかん‘11 45.立面構成‘12 51.左下り観音は全てを内包する‘12 67.中空の柱は‘12 68.そうなったらそう生きる‘12 69.物の量で支える‘12 94.合理な不合理‘12 95.粉モノな不合理‘12 66.古典様式を支える「近代」‘14 27.辻に辻褄を合わす家‘15 36.37.森の穴‘15 39.GL+2000の発光体‘15 65.摩天楼は遠くに在りて‘15 87.縦列して南へ‘15 49.一つ屋根で対峙。異質葛藤は抱え込み‘16 60.空を欲して地は暗く‘16 61.戦闘空間が孕む死者空間‘16 62.石の国の草葺モスク‘16 63.立面構成クイズ‘16 64.ふりむけばヤツがぎらついていて‘16 70.バンコクのアンコ‘16 71.墓で天地につながる‘16 72.73.地の奇異は宇宙‘16 42.過剰緑化の家‘17 44.立面構成‘17 43.緑射放。民家からご近所へ‘18 48.地へ折り返すピラミッド‘18 53.後ツケの豊穣‘18 93.要塞の刹那‘18 96.ルドゥではない‘19 |
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★★ 奈良に戻り確認する 「29.不意に廃虚は亡くなる」は準・廃墟と人間=息子さんが対比的に鮮明に写されています。鮮明な人間初登場。その後このように鮮明な人は撮影されていません。どのような心境の変化があったのでしょうか。若い人には、大学に入学し多くの人と多様な思考に出会い、そこで語り合うことを、お勧めしたくなる一点です。 {30.古墳は畑作に最適 」 「31.墳丘上のお墓」は古墳の上に人が生きるために必要な作物を得るための畑と遭遇しています。それは人間を弔い埋葬する墓の上にある人間の営為です。まるで「人の死によって生まれた新しい大地だ」と言っているようですね。人が土に戻りまた作物が生まれる様子に視線は向かっている点も京都大学効果と言えるのではないでしょうか。 死と人の営みが重なり、対比的ではあるが循環している、その姿を急に、不意に発見したようにみえる一枚です。 菊眞さんが人間の営為の豊かさと、人の存在に親密さを抱きだした記念すべき作品だと私は思います。違和感しか教えなかったからこそ菊眞さんにとって故郷は「発見の泉、源」なんですね。ここに立ったのは20世紀も終盤のどんづまりに来ていました。 この1枚から語れるのは、人間のしたたかで、たくましい営みへと菊眞さんの視線が開かれて行く点です。建築を学んだ効果なのか、どうかです。ここを経ることで、世界や日本、さらに高知で職を得る事で菊眞さんの作品は一気に開かれ軽快になっていきます。 菊眞さんの個人史と過去の学びから解放され「宙地の間」へと進んでいくのです。「死の上に人間の生がある!そのとめどない循環の発見と・発明と」でもいいましょうか、興味深くて面白いですね。 ★★全作品の感想を述べるわけにもいかないので、ここからは私の疑問に応答をあたえることで『別冊渡辺菊眞建築書』の感想を〆たいと思います。 その4へ続く |
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再度 私の疑問を示しておきます
その4へ続く |
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