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  佐藤敏宏の2013年ことば悦覧@大阪
新田正樹
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佐藤:2008年の聞き取りから(その記録へ) 今日(2013年9月17日)までの 建築、人生など なんでもいいですので ざっとこの5年間を思い出しながら、都合のいい処だけ語っていただければ

新田:2008年からね〜 あんまりその後(作品を世に)出してないんだけどちょこ ちょこ造っておったんだけどね。一つはね、ハウスコンみたいなコンペがあって。そこで何軒かとって。だいぶ受注してね・・しとったんだけどね。それはそれで そこそこのものを造っておった。コンペなんだけど施主がおって。コラボみたいになるでしょう。ハウスコンの建築はね。

昨今モンスターペアレンツよろしく、モンスタークライアントあるから。それはよく言えばコラボだけど、悪く言えば妥協するとかね・・みたいな処があって。

 どうも僕としてはね、しっくり来てないなと。 造ってそこそこのアベレージはもちろん行っているんだけど。 どうも個人的にね ざっと来ないと。そういうことがあるとね。

 若い時はね、とにかく(建築を世に)出したいだしたいみたいに なっておったんだけど。だんだん年取ってくるとね、それじゃ自分自身も満足しないし。

いいおっさんがね、出したいから 世に出したみたいなのも嫌やし。だからね 会心のがいいなという気になってきたときに、達磨山荘を見て来てくれた人がおるわけやな。

  一緒に行ったやんか。
 

佐藤:
野尻湖の傍の混構造の建築ね いつだったか覚えてないけど見学したね

新田:これを何かで見てね その施主が来た 訳や。これもハウスコンに出ておったんやけどね。今のハウスコンが(作品を並べ始める) 4, 5か。そこの後ろのやつもそうや。それが一つのプロジェクトなんや

佐藤:並べて観よう。模型を時系列にならべよう 

 模型作品を並べる新田  時系列に模型をならべる。5つ並んでいると

新田:要は達磨(だるま)山荘の写真を見てね、達磨山荘のようなものにしてくれじゃないわけやな。  新田なら新田の感性というか資質というか、それが好いんじゃないかと思って来てくれたわけやな。そうすると。そういう時の提案いうのはね、挨拶があってみたいな話しだから ハウスコンみたいに言うなりにしてくれじゃない、ちゃうから なかなか気持ちがいいわけやな

佐藤:ふふふふ 

新田:気持ちが良いのはどういうことかと言ったら 予算の問題はあるんだけどこっちから提案してね、それに対するファーストコンタクトが勝負でしょう。なんでもそうやけど。

佐藤:建築家を乗せ上手な人が現れたんだと

新田:それもある。おだてれば木にも登るからねふふふふ

 そういうマナーが結構出来ているんよね。娘さんが探して来てくれたんだけど。娘さんがデザイナーでもあるから。オヤジの家なやな。 70歳の。その人は最初プレファブみないなちっさなもんでいいと。娘がそういう職種であったもんで、やっぱちゃんと住まんといけんと言って、新田を探して来てくれた、環境もあるからね。

最初に見せたのがあれなんだけどね。「わるい」とは言わないわなー。でも金がないとかで 、要はね何が言いたいかっていえばね。形はね 変わっていっている 見た目がよ。だけどねよく見て欲しいのは プランは変わってないないわけよね ふふふふふ

基本的にね
 
佐藤:段々肩の力が抜けてきて 素直なフォルム なってきていると
  

新田:
予算のこともあるんだけど。 それにプラスして 今度はこれ高床なんだよ。そういうことをしている 段々よくいう意味でね発酵したというかね。 それが今工事中なのよね。そうするとね やっぱりこういう関係で造られるのが建築は いいなと。

佐藤:発注者と建築家の関係ね?
新田:それもあるし、例えば 住宅ではあるんだけれども。住宅っぽくないじゃない 一瞬ね。
佐藤:建築を造っている俺としては どんな建築でも、何でも住宅になるので なんとも言えないな

新田:なるんだけど。なんて言うかな あまりにも具象的な住宅よりも 抽象的な建築に魅力を感じるようになった 肩の力が抜けてね。そういうのかな。そういうのをしたいと思っている訳やな。 だから これはそういう意味では そうかな と思っている 発表するっていう意味でもね。だから 言うたら そういう 建築の仕事をしたいと、そういうものを発表したい という意識になって来ている。そこそこアベレージ だから出したい(発表したい)のでは なくなって来ている

佐藤:現時点の 自分で納得した建築をつくり発表したいと

新田:そうそう、そういうことではあるね

佐藤:5年前は 以前より不況になってきて 仕事の受け方に問題があったと
新田:なかなか ぴたっと来ないのよ。ぴたっと来る人少ない訳やないか

佐藤:宮沢賢治の注文の多い料理店ならぬ、注文の多い建築家ですな〜 はははは

新田:
そういう意味では包容力も要るやん。お互いが それが解ってて 言うのとね、片っ方だけ言うのと あるじゃない。 そうすると こっちだけ我慢せなきゃいかん! みたいなのがあるから。そういのはうまくいかないな〜というのがあって。  根本的に恵まれていないんだから、そういう機会はね 多くないんで、でも そういうの最近では 快感なわけやないか。そういうのが やっぱいい なと

佐藤:新田が思う 建築家の気分に〜 さしてくれる 発注者が あらわれたんだと
新田:そう そう。それいいなーと。だから、さっきから話している時代の流れとかあって
佐藤:ハートが弱くなってるんじゃない?

新田:
ハートが弱くなったというよりも、年もあるね。佐藤さんたちと旅行にいっとった頃も「世界革命をするぞ〜」
佐藤:80年代末の世界遺跡の旅よく行ったよね〜 俺そんなこと考えて無かったよ はははははは

新田:なんか言うとったんやか。建築で革命を起こすみたいな そんな気持ちでおったやんか。革命はなかなかむずかしいなーと。 だから佐藤さんがさっきら言っているように一個人の建築家なり 建築自身の話しで なくなっているでしょう。 時代がね 建築に期待される比重がね。 限り無く低くなっているという話しでしょう。

 だからといってそっちへ全部 なびくと、世間が そういうのもなんか嫌なわけやな、そうなったら そうじゃなくって 映画俳優みたいな話しやん。そういう者も要るんじゃないかなと。

そのときにシンボリックな建築を造るんじゃなくって、そういうものを越えたね なんかいい空間っていうかね そういうものにしたいなと

佐藤:新田さんが建築家像を自分自身で演じていくんだということだよね
新田:そう 
佐藤:それはそうでいいんだけれど

新田:それなりの生き様が要るんじゃないか と いう気でおるんで。
佐藤:今回の新作の依頼のされ方は 気持ちがいいんだと

新田:そうそう 若い時みたいに 何でも出したいみたいなね、そういう気にはないと。成熟というよりも 段々年取ってきているから、時間が無いっていうかこれ一作で死ぬ みたいな気でねやるべきだなと

佐藤:相変わらずロマンチックで いいじゃないですか
新田:そうやね ロマンチックなところが要る じゃない、建築家はねやっぱり。物造りだし、映画監督みたいなもんと一緒でね。思い通りの映画つくりたいってのあるじゃない、だけどプロデューサがおって、ぴたっと来るかどうかは分からないし。みたいなね。
佐藤:映画の場合は虚構のままで終えるけど 建築は建ってしまうからね、リアルになっちゃう処があるので。
新田:だから余計に大事でしょう。消えないから。

佐藤:冗談言ってても 本当に建築が出来てしまうからね
新田:そうそう。確率もそれだけ少なくなるじゃない。まだ古い仮説を信じているというかね。神話を信じているというかね。一個いいもの造れば、何かよって来るんじゃないかというふふふ 気もするんだけど ふふふ

佐藤:よって来るって 仕事が来るはずだ! という新田さんの確信ね
新田:はははははは そうそう ね 運動じゃないけど。僕は佐藤さんがやっているようなグローバルな活動や運動は出来ないけどもね。一粒の新田の運動がね、何か広がるんじゃないかな〜 という気ではおる。

佐藤:芽が出るかどうかは分からないんだけど 種はまくぞと
新田:そうそう、それや。とにかく種を蒔いている という意識がないと、やっている意味も無い。建築家はね

佐藤:建築家の愛ディンティーは そこだと 
新田:そうそう それは 高倉の健じゃないけどね。映画俳優とは!みたいな 古くさいけど。そういうのもね 人間としてはね。ノスタルジックに感じるんじゃないかなと。

佐藤:そのことが生きて行くための原動力にもなるんだと

新田:なるね。それはある。だから俯瞰的に言うと、師匠のこともある。それがあるから、あんまり決めつけていく
佐藤:新田さんの師匠って だれですか?

新田:渡辺豊和さん本当の師匠じゃないんだけど、一般的にそうなっちゃっているから。そういう意味でね。確かに若い時はね、渡辺さんのあの造形。凄いんだと。

佐藤:初期の小さな作品はコンセプチャルだけどね
新田:コンセプチャルだけど 造形的でしょう。そういうものに憧れておったし、よかったんだけど。段々様式化しちゃったから。ちょっと違うんじゃないかなと。渡辺さん自身はいいんだけど。 その弟子ちゅうか、一応ね。そのまま追随していけばいい とは全然違うなと。性質もあるしね。 という意味では独自なね〜 道が要るんじゃないかと。 佐藤さんのようなね、建築も佐藤サイト左欄参照)出来ないし。
 

佐藤:
俺はピップフォップ風だけどね 方々 引っ張り出して まねした振りして 軽く出来るぜ〜 って囃子ている感じはするけど。建築家の主体性のような ごつごつしたものを あまり主張しないけどね 俺は。

新田:
確立として それがずーっと出来る環境 なんちゅのかな〜。飯の種とからんでるから。そこがねー。佐藤さんのように 強く生きれないっていうかね。 そうすると タイミングに恵まれないと、なかなか ぴっと来んと。

佐藤:そこがジレンマだと
新田:それは前から ずーっとジレンマや

佐藤:
専門家であるということによって 仕事が来るんだけど閉じた領域が出来る で仕事が来なくなったときに、新田さんは普通人としては 暮らせないと。 建築を作り続けて生きていたい という思いが逆の力になってしまって建築家として固まり 自由な行動が出来なく成るんだと。
 専門家になるということはそういうことなのかな? だから職能の幅っていうのを 枠組みが一段大きくなって、その中に参加し 建築をつくるという世界は 一部である というようになればいいんだけど。 どうしても 縦割りの専門家としての存在で評価されそこで 生きてしまうんだと。そういう専門家を演じさせ職能を求める日本的 タイトなシステムになり続けてなっているしね。

新田:ましてやプロデュース社会になって それが建築家を一つのコマとして使うような 風潮になっているでしょう。だからそれを重々感じてて。ハウスメーカーのような処もね、どんどん建築家を採り入れたような デザインにしろね。システムを作ろうとしてる みたいな処があるから。そこに!まず対立したい。いう気がずーっとあんのやな。

佐藤:敵は身内説  ふふふふ。なんで大量生産されている建築が気に入らんのでしょうかね?
新田:なんでか?って言ったらね、結局ね。歴史的に言うと モダニズム自身がね、貴族性に対する反抗であって、一つのシステムを作って革新的に民衆のねための建築を造ろうということで始まったんだけど。それはそれでイズムはいいんだけど。、

 それがね、段々言葉がいいかどうかしらんけどプチブル化しちゃって。それが一つのある意味のステータスになって。そういった建築ですらも、えらい高価な建築になっちゃった訳ね。 そうすると今度はそれが鼻につくようになるのね。瀟洒なね

佐藤:
建築家は資本に飼われている犬のようになってしまっていると 根拠あるのかなー 雰囲気はわかるけど 自身が合わせて取り込まれる説?

新田:そうそう経済に取り込まれちゃったというかね、ニュー・ブロジェアジーに取り込まれちゃったみたいな 16:16

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