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  佐藤敏宏の2013年ことば悦覧@大阪
新田正樹編 
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 02 

新田:なっちゃっているでしょう。だから それが見えている にも関わらず なおかつ 白い箱いい でしょう!みたいなね。ソフスフィケートされていいでしょうみたいな感じやない。今の世の中がね。

佐藤:そういうふうに新田さんには 今の建築は見えると
新田:見える、それは ちゃうやろうと。いう意味で、どういうことか? と言ったら 彼らは枠を造りたいわけでしょう。枠にはめて。枠に填まった人が上に行くというか。それには めちゃって巧く利用したわけやろうけど
 そうすると駆逐されたことになると。 そうすると枠組みに入れられた事になっちゃうから、それを見ている。僕が言っているのは建築家像やけどね  そういう建築家像になってしまったら あかんのやろう と思うから。そう ならないようにするには いかにしたらいいかと。

佐藤:今の社会だと経済的に自立してる、つまり経済活動し成功 する ことだから猫も尺しも。その話しには近いとは思うけどね。建築家であるよりは自分自身にたいする資本家である、そういうものをつくっていく方が近道だと思いますが

新田:そうなんだけど、これは職能というか、性格というかね。ある意味 芸術家でもあるけど 職人でもあるわけやね。建築家はね。そう なかなかね〜スパー才能でやっていける という人ばっかりじゃないし。僕自身はそういうタイプでもないから。愚直に建築に拘っていく というタイプだと思うのよね。

佐藤:金持ちじゃない人達を 相手に建築を作り続けると
新田:そうそうだからね、金持ちじゃない人が多いなー。今回の人は結構だけれど、単純な持ちじゃない。金持ちの建築 みたいなのあるやん。それが嫌なやね。

佐藤:コルビュジェ だと身の回りの 先進的なブロジュアを相手にして新しい生活スタイルと建築を提案し作ったと 記録を読んだだけ だけど 
新田:その時はよかった。その時代はよかった。

佐藤:両方からめて社会に宣言していって、社会運動のようにし建築を作り続けていくというスタイルが受け入れられた夢の社会かな 
新田:オピニオンリーダとしてね。その時代はよかったと思う。問題は現代なんだ
 

佐藤:
現代でも 被災地域などに根ざし 地味なことやらないで グローバル建築家は どうなの

新田:ニューニューモダニズムみたいなね。 コルビュジェたちがやったようなねシステムなり、イズムを打ち出せればいいけど。この革命は なかなか難しいんだよ。いうふうに思ったときに、革命が難しかったときに 単に挫折してね 死んで行くか? いうのもね、そうも格好良く死ねないと思ったときに、ジャー何やるのか?

 かろうじて信じているねイコンみたいなやつを いかに灯し続けるか、しかないかなーと。ちょっとマイナス的な なんだけど、ブラックフォールじゃないけれどね。道が拓けるかも知れない。期待はあるよね。

佐藤:そこが ロマンチックだと思うんです。建築家の主体的自立っていうことを言っていると思うんですが、そういうことを身近な社会が求めてないときに、それを実践しようとすると ロマンチックになって建築家が本来もつべき 社会戦略の質が落ちていくところが。それはいいのかなー というちょっと疑問が浮かぶのですが。

新田:だからさっき言ったように、あと 残るところはね、一個の建築しかないわけね。
佐藤:ザ・建築 を作ってと。
新田:それがシンボリックな建築じゃなくってね。いい建築、いい空間を作ることによって そういったねことを実践したい

佐藤:閉じている ように思うんですけど
新田:閉じているね
佐藤:建築家の主体の中で完結してしまうという閉じ方であって他者との共有は難しいかも知れないね、というところはあると思う

新田:あるけれど。逆に可能生がそこにしか無いのでは無いか?と思ってんねん
佐藤:新田さんの定義はこれで あると
新田:僕の定義だよ あくまでも。ふふふふ

佐藤:その当たりを社会から 新田さん自身が観察されちゃう処もあるよね。自業自得になる。
新田:そう そう、あなたこういうタイプとして 分けられちゃうこともあるけど。でもそれは。

佐藤:どうしてそうなっているのか? と考えたことはないのですか?
新田:それはさっきも言ったように 性やからね。なかなか難しいのよ。何で建築家してますか?みたいなね。話しに遡ると思うのよね。

 才能に恵まれてね、それこそ黒川さんじゃないけどね、少年期から天才のように言われてね、東大にいって、丹下さんの弟子になって、みたいなタイプじゃないから。

 それは生まれながらにして建築家でござい!の道でしょう。そういうタイプじゃないし。だからといってじゃー 建築の才能って分からないじゃない。だけど 何らかの形で建築にいっている訳でしょう。 僕も現場にいっておったし。それからどんどん、建築家までの間があるんだけど

 そのためにはどういうことか?と言ったら、格好のいい建築家像 勉強しとった訳でもない。単に生きるためにやっとっただけで。で建築家になっても 生きるためいうのは変わらん訳や。 ふふふふ
佐藤:そこに ロマンが付くと難しいね

新田:そう そう そこが難しいわけよ。
佐藤:ははは はは

新田:
だから 理想と現実、アンビバレンツな処をね、一緒に生きて行くいうのは非常に難しいわけよね。

佐藤:自業自得の路だよ ね
新田:禁断の果実じゃないけれどね、一回 かじった 以上ね。なかなかその魅力はね、やめられない。それがあって、そうなるとね、そこを維持するためにだけに、他が犠牲になる みたいなのが あるのよね。
 というのは簡単な土俵じゃないから。建築の土俵が。

佐藤:渡辺豊和さんのように 突き抜けちゃって唯我独尊 やりたいことを成すにならない なれないところが辛いところだよね。
新田:そう そう、渡辺さんなんかはね、先生であってね喰うのは喰えるし、あとは論理を刻めばいい。。逆にそれが硬直化していってついに 学問的様式論、様式建築になっちゃう処もあると思うんだけど。ぼくの場合はそうじゃないのが哀しい処だけども、逆に言えば様式論に固まらなくって、何かやるべきだみたいなときにはわざと

佐藤:フォルマリズムになるのは よくあるぱたーんだけど 新田さんのうむフォルムがだんだん シンプルになってきて、社会からの要請でもあるかもしれないけど、自らの要請でもあって 今回の建築はだいぶシンプルになったと。立体的には ね。


新田:
抽象性、抽象化というのが一つのキーワードやと思っているんだけど。シンボリズムもそうだし、人間のね 精神的な思いとか、社会に対する思いをね、単に かっかして怒ってもね。今の時代は通用しないわけやけど。でも 怒る気持ちは要ると思う、今の状況に。それをどう打破するかでしょう。

 そういう意味では 建築も怒っている建築って、怒っていますというてもさー、アナクロでしょう と言われるでしょう。それを巧く出したいなと。



佐藤:言葉と造形が繋がるっていうことだから、本当にあるかどうか 分からないので・・・。
新田:分からないけど 今 たまたま話しているけど。実際は建築しかないから、建築はものを語らない わけやから。そういう思いでね。やりたいなと。

佐藤:どのように この建築を作ったかという ロジックがちゃんとしてないと語れないわけだし。
新田:それを ロジックで作っている 建築でもないよね。これ自体がね
佐藤:ふふふふ、そこら辺が弱点かもしれないね

新田:
弱さでもある けれども。だから、ロジックで作る建築 言い出すと、渡辺さんじゃないけれど、様式論であるとか、歴史論であるとか、枠にはめざるを得ない、そうなるでしょう。弱さでもあるけれど そういうことに 填まらない建築もあるんじゃないかなー という気はする。 逆に、それしか出来ないんじゃないかなーと。ロジックが弱いし。

佐藤:建築家の近代の歴史のようなものがあるでしょう。その先端にまぜてもらいない っていうことでいいのかな

新田:
そいうことでしょう。
佐藤:二重に孤立していく じゃないかな
新田:そうね。そうそう。そうなんだけど。かといってじゃー どっちに入ろうと思うとさー。またそれなりの、素養なり努力とかセンスが要るんだけど。そのセンスはね、無いなと。思うわけ。気持ちはあっても。

 そうすると、話しが飛ぶんだけど、大成建設 辞めたんだけどなぜ辞めたかいうのがあるんだけど。現場だったんだけど。ものすごい東大を中心としたね、スーパーゼネコンだから、エリート軍団なわけよね。現場のね この現場の土俵ではね、なかなか勝てないな−と思っちゃった訳よね10代で。

 逃げて来ているだけど。ある意味。そうすると次の土俵へ行って、これもあかんなと。ずーっと逃げてスキゾキッズな 人生なんだ

佐藤:全方向 逃走する建築家 逃走し続ける建築家 ですね
新田:そう そう逃走する建築家ではあるんだけど。 ボクシングでいうアウトボクシングじゃないけどさー。逃げているんだけど、ポイントはね失ってないみたいな。逃げているのが いつのまにか攻めているんじゃないかとね。みたいにしたいなということではなる。

それが町の建築家喰いながらね 作らんといけん ポジションの建築家の一つの路ではあるなと思うよね。アカデミックな建築家じゃない建築家像 ふふふふ

佐藤:5年前も聞いていたけど 動物風味の建築家論の戸惑い その当たりは恥ずかしそうだったけど。前の事務所追われて、ちょっと諦めが 出て来て、それでイコイイカー みたいなことかな
新田:今は この建築の依頼が出て来たからね、特に。依頼された建築が出て来るとさー。ちょっと元気になるいうのはあるわね。 5年前は辛い時期でもあったかも知んね

 だけど、他に出来ないから。他のことが出来ない。ここの建築家で這いずり回りながら、いいもの作ると。

それがどこまで続くかね。いつも一作で終わるみたいな気持ちでやっているんだけどね。 ここに壁画もあるでしょう。

コンペに出したんや。ロシアのコンペ。これは事務所の壁紙破って描いたわけや。原画は。だから事務所 出るときは大変な訳や。

(電話が入り中断 まちの建築家は忙しい)
 

これロシアのな エルリ シスキーという作家おるやん。ロシアの構成主義作家。そのための記念館を作ろうというコンペや。それに出そうということで。リシスキーやから構成主義の作家やから、それがベースなんにゃけど。ぼくはそれでは面白くないからというので、ロシアの大地という勝手なテーマで。

佐藤:ロシアを 新田あじに 解釈した大地の絵なんだね
新田:そう そう 
佐藤:物語になっているんだ
新田:これを自分で描いたわけやな


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