大阪 ことば悦覧 ことば紀行 2008年5月12〜18日 home 井戸健治さんことば悦覧 2008年 5月13日午後 高津 ビルの5階井戸さんの事務所にて その01 その02 その03 その04 その05 その06 その07 その08 その09 その07 佐藤:国があって。国境があって主権者がいてという相似形が社会にはあると思うんだけど、建築では境界を崩したり溶かしたりなくしたりするようにしたいんだね。家全体の境界が無くなるような方向で作っていた。 理想としては星座型居住かな 井戸:星座?分散しているけど全体としてはなんとなく成り立っていると 佐藤:見る方向によって意味も変わる、使い方、見る方向によって繋がっているように見えるけど。繋がってないけど星は存在している。存在はしているけど全体の意味も連結のしかたもね 使い手が自由自在に生じさせて行く。おなじ行為が違った形状に見えるのはいいんじゃないか。大きな主体ありきではなくって、頼りない主体や消えてしまう主体がよいと思うんですよ。 使い手がそ都度 形状や意味を生じさせる。自然人に返ったかのように自在に建築や都市的星座間を往き来し生きていける社会、がいいな〜と思うのね。おれの明確な幻想がある。 所有感とか帰属意識とか無くしながらも人間の安全を保証するような社会をどうやって構築する事が出来るんだろうか?というのが最大の興味なんだけどね 井戸:それを聞くとBOX11が何となくそう言うことかちゅう 佐藤:BOX11はまだ過渡期だったんで。依頼者が学校の先生だったので平面の中央が日の丸のカタチになっている。1994年の設計当時は国旗国歌法がなかったのでまだ国旗ではなかた。4っの部屋と日の丸の組み合わせをした平面構成だね 井戸:4つの部屋が櫓みたいなやつですね 佐藤:平面はただの形式を読み替えただけですよ、意味をもってない。マレビッチの話ではないけど。おれにとっては、拡散した4つの□と真ん中の○によった抽象的な構成ですね。その形式にその土地や依頼者の物語を創出して平面構成を立ち上げることで建築にしてしまう。 4の□に 学校の先生だったので日の丸を中心に加え重ねてね。 井戸:はあはあ 佐藤:□と日の丸を重ねただけですが意味が生まれる。それを立体化して建築にする。屋根なくってもいいんだけど、屋根が掛かってないと建築に見えないという意見を出した。 依頼者のお父さんがいうので屋根を掛けた 井戸:ふふふふふ 佐藤:屋根を掛けて家にして、まだ一ひねりした。国旗って国の旗って書くんだけど、国旗法が無いし揉めていた事もあるし、歴史的な意味もあったので、国旗を哭旗と書き換えた。慟哭のこくね。泣いているってことだね。意味や価値や使用形式をここでもズラすんわけね。国旗は哭旗というのが今の時点では相応しいと。そしてそのうえ哭を断面の図柄と見るわけね。2つの□に犬が住んでいるじゃないですか。 井戸:は 佐藤:抽象的な漢字から誘発されているわけで、この家の地下に犬が居なければいけないわけなんだね。そこで家の真ん中の地下に犬の部屋を作ったのね 井戸:ははははは 佐藤:だから4つの棟を一度に見ることは不可能なんですね、空にでも舞い上がらないければ。 地上では大方2つの棟しか見えない。そしてその真ん中に犬が住む部屋がなければいけない、俺が思う建築にはね。 4つの□の棟の高さがおなじなら凡庸すぎるので、背景に山があるので螺旋状に高さを高くして、周囲の山々と形態が共鳴するかのようにしてある。そこはリアル場に影響をされたような様にしてある。オートマチックに形状を決めて設計ししているだけなんですよ。 井戸:凄い、というのは僕の価値観ではよう発想しない作り方ですよ、なんちゅか教科書を叩きもまれている僕からすると、なんでそこで国旗(哭旗)とか 佐藤:それは俺の我流だからだよ建築の作り方が。シュールな手法で図面の上に色んな事が出会い建築になればいいわけだよね。 国旗は義務教育 学校の先生だからね 井戸:それは納得するけど 佐藤:日本の学校の先生のイメージの抽象度を高めた図像は国旗になるんです俺にはね。設計したときはまだ国旗じゃなかったからややこしいけど。国旗と旭日旗が2つあったんだね。床には模様をついているんだけど気づく人はいないんだね。気が付かないってのも良いんだね・無駄な努力ではないけど、そのことを表象できたような気分がしてね。 こんなかんじで建築が出来てしまう。抽象的なレーヤーに土俗的な というかローカルな物語のレーヤーを重ねると意味が立ち上がっていくかのように、抽象的な立体構成が建築としてリアルを持ち立ち現れるのが面白いんですよ。 寺山修司の百年の孤独の舞台とも合わることが出来ておもしろかったですね 俺はね。 でもそう事はだれもやってないから、他の建築家には面白さや意味は判らないんだけどね ははははは 井戸:凄く贅沢な時間ですね、佐藤さんに説明してもらっている 佐藤:おれが作って来た建築を一つずつ説明すると1時間では終わらないから、これしかしないけど 井戸:ふふふふふ 佐藤:4つの□には現実の意味を発明してというか付けて、全体から徒歩5歩ぐらい離れている夫の間と妻の間。 一体となったかのような和室と寝室 井戸:みんな分かれているんですか 佐藤:2つの□だけが分かれている。外に出るんですよ一端 井戸:何か手摺りがこんなにうねっている 佐藤:アレは旗に紐を通すためのデザインだが手摺りに転用されている、床は1mほど周囲より浮いている。真ん中は洗濯もん、物干場なんですよ 井戸:物干場真ん中にもってきているの聞いたな〜 佐藤:真ん中にもの干してあるから廻りからは見えないんですよ、物干場と風呂場が繋がっているから 風呂からあがったら 干したものを直に着ることが出来る 井戸:凄く機能的だ ふふははははは、いわゆる僕らが一般的に機能をベースに考えるやつを一見して抽象的なもの力を使って 佐藤:機能と抽象を同居させている 井戸:始め見た時ね。トヨカズさんのコスモロジーとか一時あったじゃないですか。ああいうふうなものに影響されているのかな〜と 佐藤:そういう誤解はあったね、困ったもんだと思ったけど 井戸:それで1千万の家をみたときに、えーこれ〜ってふは あはははは 佐藤:抽象と機能を重ねているからそこでは 多義的に見えてしまうのだと思うがしかたない事 井戸:ほんで写真で見る限り結構素材とかを、なんていうか作りすぎてないようにしていなと思って 佐藤:形式だけ残ればいいから 作りすぎると建築が判らなくなるじゃないですか。壁だけ残ればいいからね 井戸:ほんでトヨカズさんと全然違うなと 佐藤:違うね〜まったく、トヨカズ臭があるとか言う人がいるけど、何を見ているんだか俺には理解出来ない事だが 他者が思うのは勝手ですからね。 言い訳しててもね。 そう言ってそれ以上の考えを進めて行きたいない、手抜きなんじゃないかな。おれは形式主義者だよ。形式にローカルな物語を重ねて建築を作るから100年程前の抽象化運動の逆回しかもしれないね。抽象化の再読ってことだね、マレビッチに殴られるだろうけどね ふふふふふ 井戸:今の聞いていたら。近いな〜と 佐藤:千万家は形式そのものだからね。自・他のレイヤーもあるけど。○と□だけで作った。それ全体に感情とか意味とか一千万円だって笑うひとは、そうう人であるからね。100年程前の試行に戻っているような気もするね。初期近代に回収されないようにするにはどうするかってのが 井戸:それは理屈では、デティールとか素材でやってはるな〜と思った。作りすぎてなくって。けっこう放り投げている感があった 佐藤:デティールしない、他者に委ねるっていうか、自分で建築が出来る事象を統一しないような位置に移動する。作るために集合は良いんだけど、統合とか統一はいかん。力をともなって無理矢理何かをするって感じが100年前の行為には感じるので、脱力して集うような気分です 井戸:それは吉坂さんが言っていたやつですよ、。不連続統一態。 佐藤:それは知らないけど 井戸:僕がたまたま知っているやつはそういう事です 佐藤:集まってあるというのは楽しいんで、たんなる集合になるかもしれないけど。それが脱近代にはいいんじゃないかな〜と 抽象を使って集める、意味は他者がかってに誤読すると 井戸:なるほどね 佐藤:それで 気に入っているのは1BOX11や千万家。住宅なだけどね 井戸:そうですか、それで、やー〜!!って作っている人やと思ったんですよ。力業の人かな〜と思って 佐藤:力業じゃないです 誤解さてると思うけど 井戸:力業じゃないですね、新田さんて結構力業なんですよ 佐藤:力技かもしれないけど建物に力が無いよね 井戸:ふふふふふふ、本人はそんな感じしません 佐藤:混濁してるんじゃないかな、新田さんが何をやっているか理解出来ない。けども不況下でも継続して建築を作っていが姿は変わっていると思う。人は悪くないし、真面目だし。厳しい収入のなかで建築に賭けて暮らしている真面目さね。面白い存在ですよね。 俺とは違うけど長い付き合いだ。おれ近無いんですよ 井戸:デティールみてあれ力業ちがうなと思った ふふふふふ 次のページへ |