佐藤敏宏 この人に聞く 2009年6月30日 本江正茂さん (第1回) home その01 その02 その03 その04 その02 本江:よく!そんなの読んでますね。 佐藤:後(2003年)に出されたものを読んだんですが。そういうこと!俺も思ったよと、膝を打ちました。こんなにお金が有るんだったら坪単価1000〜500万円、5から10倍かけて1000年持つ建築つくれと思っていたんだけど 本江:そうそう。文明の富を自由にできる黄金時代なんて、永くは続かないですから。イギリズが、スペインが、ポルトガルだって世界帝国だったんけどな〜と。 佐藤:物集めて知識庫や文書館を作るとかじゃなくって。お金をてっとり早く増やそうとする投機目的で動いてましたから 本江:それで発展的でない、馬鹿高い絵を。 佐藤: ふふふふ 本江:「ひまわり」がいくらとかね。全部買うとかね。やれば違ったんだけど 佐藤:静岡の製紙会社の社長さん、が「棺に入れて燃す」とか言ってた 本江:棺桶に一緒に入れるとかね 佐藤:アホなこと平気で公言したりした時期だ。銭持ちオヤジ達は知的財産を共有するという感覚が少なくって、無かったんですよね。面白かったですよ。「日本人が大金持つとこういう状況になるんだ」と知ったから。建築家は自分で稼いだ金で作るわけじゃないんで。情報と物を操作するだけだから。興味深かったですよ各地の行動と結末。ゴッホの精神性じゃなく「物」に拘るお金持ち人間紋様は不思議でしたよね 本江:不思議でしたよね。だれも絵そのものが好きじゃない。 佐藤:有名な絵を持っていても幸せになるわけでもないのにふふふふ 本江:買えるやつで一番高いもの。そんなに楽しい絵でもないし。 佐藤:ゴッホは精神の病に冒されていたようなので、絵の具と筆の走らせ方が独特で。筆跡が、尋常じゃない動きを、観ると知るわけで。マチエールが面白いと思うんだけど。価値はどうか?言われると。希少性、人間性の極限は示されているけど、日本の社会状況に照らしては無いでしょう。意味は理解できないけど高価だから買うなんてアホですよ。 本江:美術史的な価値はあるけど、欲しいか?って言われると欲しくない ふふふ 佐藤:見詰めると疲れますからね。脱線してしまましたが、話をもどして。研究者になってしまう切っ掛けはなんだったでしょうか 研究者の路へ 本江:研究者になってしまう切っ掛けは、ドクターに行くときは切っ掛けは無くって。やっぱりまだ何か、どっかに就職する気にもならなかったので。いわゆる就職活動したわけでもない。で、修士の時にはバブルだったからさ、会社作ったんですよ。 佐藤:本当ですか! 本江:うん。だから一瞬社長だったんだけど。 佐藤:何の会社だったんですか 本江:設計の会社を作った。一級建築士でもないのに。デザインの事やりますとか言って。だけどああいうのは真面目にやらないと続かないので。もう解散してしまいまいたけど。 佐藤:何年ぐらい続いたんですか 本江:だからドクターにいる間、5年ぐらい。やっていたけど、まあ本当に一所懸命、商売をしてやるっていう感じではなくって。あんまりちゃんとやんなかった。 佐藤:バブル経済期には設計ブローカーのような人間が増えた時代ですよね、建築家をマネージメントするような仕事が一時、空間プロデューサーとか言っていたかな。その片隅におったわけですね。 本江:おった、それで搾取されてた。今思えばね。 佐藤:おれは田舎に居たからそういう人には出会うことは無かったですね。写真忘れてたので写真撮ります、貧乏な俺でもインタビュー時期にはアシスタントが欲しいんだけど誰も手伝いにくる者が現れない、寂しい状況ですが。 本江:はっはははは 佐藤:学生さんは就活しても勤め先捜すの難しだろうから、。ノンビリして。仕事捜す暇があったら、手伝いして、自分の学んでいる事を疑問に感じるぐらい社会と交流した方が時間の有効活用になると思うけど。本江さんが学生の時にやってたように。 本江:実際やってきた 佐藤:今積極的に社会に出て。この学校は、とむかつけばいいんだろうけど。 本江:僕はバブルの片棒を担いでたときには、学校で勉強した事は結構役に立っもんだと思いました。 佐藤:ほんと! 本江:うん、色んな。 佐藤:東大って言う金看板が役に立ったんじゃないんですか 本江:そりゃ学校の看板は役に立つちゃう。それは正直ある。あるんだけど、それでも一応企画の中身を作ったりするのに、歴史の事とか。あるいは経済的な話であるとか、一応筋を組み立て直さないといけないじゃないですか。そんときには色々勉強して来た事を使ってやっているという感じはありましたですよ。だから大学と現実とが乖離をしていて、あんま役に立たないな〜っていうふうには思わなかった。 佐藤:それは好運です。僕は本江さんよりだいぶお爺さんだ。本江さんの話で思うのは情報に投資家が目をキラキラさせ、投資する時代の面白い状況を今証言されたと思います。 本江:と思います。 佐藤:僕だと「お前何作ったんだ」と聞かれました。本江さんの時代は物を離れ言語化した、情報によって価値があるかを伝える事によって投機する欲望を持つ人が居たと現れた、面白い状況です 本江:面白いタイミングだった。 パーソナルコンピュータとの出会いなど 佐藤:本江先生のベースは情報ですけれども。本江先生の学生時代にPCは無かったですよね。 本江:あんまり無かったですね。でも中学生の時に僕がMZ80Kっていう、シャープのね。古いパソコン機。半田付けして。 佐藤:それはお父さんが買ってくれたんですか。 本江:それはね、近所のプラモデル屋のオヤジが持っていて。ものすごーいほしくってね。家に弟はいるんですけど。弟と金を出し合って、で譲ってもらったですよ。このくらいの白黒画面の8インチかな10インチかな。横にカセットテープが付いてて。カセットテープでプログラムを落とす。「プログラミングをする」っていうことをやってた。ゲーム作ったり。 佐藤:プログラム言語を使ってね 本江:そうそう、それでだから色々ベーシックとかですけど。テープレコーダにデータをアナログにセーブする。セーブしてロードしながら使うっていうやつだったんだけど。 佐藤:中学生でね。 本江;中学生で、コンピューター雑誌を買って。昔はコンピュータの雑誌にはプログラムのリストっていうのが付いている。買うと何千円もするから買えないじゃないですか。雑誌は買えたので、長い時間を掛けてそのプログラム打ち込むわけですよ。そうするとゲームを。 佐藤:建築より PCの方が先なんだ! 本江:こっちの方が、先は先。で、そんなのやってましたですけど。でもその後プログラミング少年になるでもなく。それはそれで関心は有ったけど。ですね、だから。 佐藤:早いですね 本江:早かったですよ、カタカナしか使えないとか、漢字とかは全然まだ無い。 佐藤:何年頃ですか 本江:70年代終わりとか。 佐藤:僕は構造の連中が言っていた「フォートラン」という言葉しか知らなかった、それって何ってふふふふ 本江:そう、フォートランとかはデッカイコンピューターのやつで、パソコンになると。 佐藤:構造の担当者達は富士通夜学に通って勉強してました。その時代は 本江:そうそう 佐藤:これからはコンピューターの時代だといっても「フローチャート図」とかしか解らなかった。計画や打合せなどに使えた便利な図 本江:まさにそうで、そういうことを学んで 佐藤:中学生がね。大学へいってPCと繋がってくるんですね。情報技術と建築っていうのが合体してくるわけだ。 本江:パソコンの事がダ〜ッと来るのは。思い出話的に言えば修士に入った頃で。 佐藤:95年じゃないですよね 本江:もうちょっと前。 その3へ 29:58 |