建築あそびin竹屋 2008年2月10日  home 

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              建築あそびって何? 02 

 欲望の交通 

松島:
僕もレビュー書くて言うのはそうだし

佐藤;このイベントを始めたのは。旅館の便所改修とかやっていて、地元の人と喋っているじゃない「、最近人来なくなったね〜」みたいな「何かやってみよう」と
藤村:なるほど
佐藤:今では「町おこし・まちづくり」とか言って、お役所な機関が先導してやってるけど。「最初から模範解答が有るイベントしかさせない」となっているけど。

これはもの凄くアナーキーな存在。他者とのありかた。自然人ってのは、規律訓練から解き放て居る

松島:「不法」と言う事が大事だったんでしょうかねそうなると
佐藤:「パブリック」と言う概念が判っていなかったと。上意下達の公共じゃないよ「本当のパブリック」と言うのは誰でもが自由に、そこで自己表現出来る。表現の自由は何処でも確保されて憲法(21条)に書いてあるじゃない、。「集会、結社および言論、出版、その他一切の表現の自由はこれを保障する」と。表現の自由は侵されないと。基本的人権なんだからさ、表現の自由は。

藤村:佐藤さんとしては権力に対する反抗と言うのがあるんですか
佐藤:日々見聞きしているでしょうが、権力は嘘を吐くからね。ありますねそれは。それに俺ブルジョワジーの出じゃない。金持ちの生まれじゃないし、中学生から建築現場でバイトやってる。「高校の入学試験に行ってさ、発表を見に行く日は、建築現場から行く」って言う生活さ。「プロボクサーに成って金持ちになって」そう言うサクセスストーリーを考えて無かった。「しょうがねー!土方バイトで金稼ごう」って言った時に、「トンデモない魅力的な人間の交流の場が現場に有った」っていうことで。それは目眩、起こして倒れそうになったりもし 身体の上では大変な事も有ったよね。

 人が個別機械に成って行った時代 

藤村:それは時代背景が大きいわけですか、学生運動だとか
佐藤:66年。まだだね「小さい時から共同で作業する」っていうね近世ではみんなで一緒に農作業やって「社会の均質性が生む暗黙の繋がり」って言うのがあるじゃない。70年代とか80年代にかけて突進し 人間は機械にるな〜んだから。人間・個別機械だから。個別機械の性能の競い合いに落ちて行き。繋がり無くなって、公団2Dkの住居は50年後の今は孤独死機械に成ってしまったわけよね。

そう言うベクトルに対峙するノスタルジーかもしれないだよね。夢の共同態みたいな。人間達が、何か一つの目標に向かって何かやって行くと。良いことあるよみたいな事を考えていたんだと思うよ。 84年のイベント仕掛けた時にはね。

松島:この「バラバラのパフォーマンス」というものが「連帯感」というものに「場所」っていうもので通してたと言う事ですかね
佐藤:表現したい自己表現したい
松島:「現場のやり取り」というのはリアクションが有るわけですよね、「リアクション」と言うものを一旦置いといて、出す場を与えるというイベント

 凄〜い、リアクション

佐藤:そうそう、それでリアクションも有ったんだけど、激しいんだ。警察に「現行犯、逮捕」されちゃうんだからさ
藤井:凄いリアクションだ
佐藤:路上で3日間やってるからね、廻りからは凄い苦情は出るさ。酔っぱらった温泉の観光客が仮設の舞台に殴り込んで来て喧嘩になったりさ、グジャグジャニ成っちゃう
藤井:祭りですね、祭り2チャンネルで言う   舞台 酔った観光客に乗っ取られる→)

佐藤:そうそう(会場炎上ですね)そうそう、舞台で数人裸になるので警察にチクられて。。参加者の欲望もバラバラでね。旅館やおみやげ物屋の「娘どこかに連れて行って消えちゃう〜」大騒ぎになったね。問題になったり、苦情言われ。実行したら まさに「問題だらけ」でさ。問題処理に連日追われてしまう(笑)3日間のイベント終了後も検察署に行ってね、身元引き受け。問題処理が続く。なんて言うのかねアナアキーラディカルさ〜

松島:それは生産性に向かうという事は何か考えていましたかね
佐藤:観光客くるかも〜ぐらいで 他は考えてないね。やってみたら人間に対する信頼感と言うか人間を再認識した。「そんな事はやんね〜だろう」みたいなさ。「人間は善良で均質な発想だけで 良い人だらけ〜だよね」教育されてて。自然人の現実を知らない。 俺はアホだったのよ。

ことろが、それをやって見たらさ、参加者・周囲主催者の欲望がバラバラバラでもうポストモダン状況だ!、いわゆる、同じ場所で、別々に考えて行動しているの!。舞台というプラットフォームだけ用意してたら、こんな(事件多発)になっちゃた〜。それで唖然として。プラットフォーム、を開いてみてたら〜、事件だらけや〜。なんとかしなくチャー、みたいなね。目の前の現実の対応で大わらわ。

後で警察に呼ばれた謝ったり、旅館のオヤジさんに怒られたり「おめえが こんあ事やるから大騒ぎになっちゃった〜温泉の評判悪くなったぞ」とか色々言われて「どうじてくれるんだ」悪魔扱い、後ろ指されたけど、罵声を浴びせられてない。

藤井:
一つの方向に向かわなかったと言うのは

佐藤:一つの方向ってのは?
藤井:予想していた方向ものとか、そういうのに向かわなかったから、成功だと思っている事ですか
佐藤:思ってない。失敗だと思ったの。みんな良かったね〜みたいな感じになると思っていたら、全然逆なのだ。建築の現場だったら「わ〜い出来た、出来た〜」あるけど。やっぱり「道路の上っていうのは「建築とまるで違うぞ」と
藤村:なるほと

  パブリツクは危険なんだ 

佐藤:これは逆を言うと「建築と言うのは何かに守られてるんだ」と
松島:テリトリーが与えられて

佐藤:
目的がある人だけが出入りを許される「建築内でアクテビィテーとか公共性」って言うのは嘘っぱちだと判ったの。(会場なるほど)そんな事やったら事件が起きると。建築家が言っている「アクティビテーとか公共性」なんて言うのは道路では「全然 嘘だ」って言うのが判ったね。「公共性、パブリックは危険さ〜」と。「公共」と言うのは危ない、「自由と同じで、相手の事が判らない」と言うのは「危険である」と言う現状認識だよね。

だから「みんなでルールを守りましょう」と言ってさ近代市民の教育とかさ規範とか持た無いで、それやっちゃうとさ、「まさに2チャねる状態になる」って言う事だ。

逆使いだけど、「地上げ屋さんは建築内部を路上状態にして、入居者を追い払う」手法を行使し数億円儲けてるよね。

伊庭野
:「そういう事をやっても異常だと思われないじゃないか」という風潮が有ったという事ですか。裸になったら誰でもオカシイなんて判る事じゃないですか

松島:ポストモダンの中に置いてはそれは許容されるべき事なんてすかね
佐藤:
芸術的表現としては、裸はあたりまえだし、何やってもいいわけ
伊庭野:一般の人から、「一般的に考えればオカシイ」って言うのがやっぱりあるわけです
松島:それは「近代のルールの中でオカシイ」と言う

佐藤:
そんなのは誰かが作ったルールやで。規範の押し付け、裸で暮らしている人間、例えばアフリカのある部族の人、それは駄目なのか?。税金で買う裸の彫刻・絵画を税金建築内で飾り、有り難がるじゃん。 押し付けられる規範なんて 俺にとっては何でも良いわけ。約束事は作られたものだ

 多様な欲望の現在を知る 

伊庭野:
つくられたものだけど「危ない事だよね」って言う以上になにか有ったじゃないかなと思う

佐藤:なにそれ
松島:公共性は危険である
伊庭野:「公共性は危険である」という結論は判るじゃないですか
藤村:当時分かんなかったんだ、それをやったら「公共性が生まれる」と思ったって いうことですよね

佐藤:そうそう、みんな市民社会の常識ね、みたいなね。人格みたいな規範を持ってて、集まって来たら、裸に、そんな〜事やらないで、近代のルールにのってね、上手くやるだろうみたいな事考えていた。全然そん事に従う訳じゃなくて 事件かおきた
藤村:ある意味 なんて言うだろう「市民社会に裏切られた」と言うような感じがした
伊庭野:「市民は絶対ついて来ると思っていた」と言うことですか
藤村:ついて来るじゃなくって「市民が勝手に自分でやってくれる」と思ったわけですよね

 建築内に在る見えないルール 

佐藤:「
いろんな、ブラックな欲望を持ってる市民がいる」と思っていなかった。みんな似たような考え方で、規範を守ってね、自分の表現を、やりたい事を社会のルールに則って、いわゆる常識に則ってやるだろうってさ。「僕のうぶなね現状認識があった」と言うことだよね。 

それは建築では無い(規範を守らずとも可)んだけど。「なんで?道路だとそう成っちゃうの?」と言うの。道路でも(芸術的表現行為は)大ジョブだと思っていたんだけどさ。建築では金もらう 稼ぐとかで、規範を守るのさ。道路では規範が消える無い、建築内にある見えないルールがあった、仕組みが消える。「お金を稼に仕事に来る、使用目的を共有してる」とかさ

藤村
:伊庭野の疑問点て何なの

伊庭野:だから
藤村:そんな事考えればわかるじゃん
伊庭野:そうそう
藤村:それはね時代状況が違う

佐藤:「
そんな事考えれば判るジャン」と言うのは2チャンルとか見て経験したからわかるんだろうね
藤村:今は「公共性だ」っていうことは、想像が付くんだけど 当時は、社会はもっと、均質で一体だっんだよ。「一体だったからさー、プラットフォーム用意した位では揺るぐわけではなくって、そこで社会のルールに則って、つづがなくパフォーマンスが起こって、公共性が実感できるのである」と言うふに思っていた
松島:ようるすに非常に「常識的な祭りが起こる」と思っていた

佐藤
:伝統に則って、村祭りとかやるじゃない。村祭りで喧嘩しないじゃない。今日わらじ祭りだけど、わらじ担いで、隣の担ぎ手と隣の担ぎ手が議論して、殴り合ったりさ裸になったりしないじゃない。「そういう近世の価値感」というのが「俺の中に刷り込まれていた」という事なの、そこで それを発見するわけよ
藤村:なるほど

松島:それに対する
佐藤:同時に「建築が持っている能力」というの。建築であることによって、道路と違う、オープンなパブリック、閾が無い。その違いがそこで判って来るわけよね(ふーん) 同時に 俺は絶望するわけ 「おれは道路では手に負えん」と

 オープンスペース 

藤村:「道路」と言ってもいいし「都市」と言ってもいいですね

佐藤:ああそうだな、都市だったら建物も含まれたりするので
藤村:やっぱり道路なのか
佐藤:道路とか川とか河川敷とか。網野さんが言う無縁なる場
藤村:オープンスペース

佐藤
:オープンスペースは誰でも自由に使えると思ってた。その空間は実は規範や法の網があるので、警察に届け出したりさ、町の人に言って占有許可書もらってやっているから。

「完全にオープン」と言うわけではないんだけど。そういうルールは参加者みんな知っているだろうと思って。占有許・使用許可書を警察に出して「使っていい」と言われてるんだから、そうい事で「ヤンね〜」だろうと思っていた ところが
松島:やっている人はパブリックと言うものに対する
佐藤:自覚がなかった
松島:自覚じゃなくって「ハプニングアートをやっちゃった」と言うことですよね

佐藤:延べ200〜300人ぐらい居たから、判らん。みんなに聞いてないから
藤村:ハプニングアートってそういうのじゃなくって、要するに
佐藤:アートだから表現者はどしてでも表現したい!。やりたいわけよ。外でも裸になるし建築の中でも裸になり表現する。
伊庭野:許可書はとったんですか
佐藤:もちろん、とらないと出来ないじゃない3日間連続道路使うんだからね。夏場の観光客ドンドン来る路上でだからね
藤村:佐藤さん つつがなく準備をしたわけよ。(かいじょうあー)


  舞台でパンツ脱いで 自己内治療  

松島:
さっき不法占拠って言ってましたよ

藤村:ぬかりなく準備をしてつつがなく行われると
佐藤:内心や下心ではで、不法侵入って
松島:不法侵入って言ってました
伊庭野:裸になると いう事は「想像してなかった」と言う事ですか?
佐藤:いきなりパンツ脱いで「これが表現だ」と言われても、ちょっとそれって伝わらないんじゃないかってさ

藤村:そういう風には思って居た。
佐藤:ところが、それっていうのは精神的なストレス持って居る、自分を社会化、出来ない「自己探し」みたいな表現である。ステージに上がって裸になって自分をさらけ出してさ〜路上で「自分を発見したい」と言う奴が結構、数人いる。表現じゃなくって、病理的にさ、自己内治療さ。 

伊庭野
:いるでしょうね

佐藤:居るんだよ。それでやるんだよ。俺は許すけどね。そんなステージ用意してもさ、プラットフォームだからさ、いろんな奴が集まって来ちゃって、こっちはコントロール出来ないわけよ.街の人は許さないんだよ、警察にチクった。

伊庭野:今回で言うと、うちらの場合はいなかったですけど「15分だ」と言い発表するって言っているのに、1時間とか発表しそうになる人とか
佐藤:建築の話しでなく違う話になって収拾がつかなくなる「やめろ」と言っても「いつも、やってることだから〜」と止めない。LRAJ、これは非常に幾重にも守られた限定されてた
藤村:よするに建築的ですね

佐藤:
そうです、だからさっきから建築的だって言っている
藤村:そういう事なんですね。凄く良く判りました

 記録は作り 残す 

松島:そうすると、ここである種の絶望を得て
佐藤:絶望は絶望でも「絶望の記録を作るぞ」と思う俺はジャーナリステックかもしんないな
伊庭野:これを作ると言うのは建築的な
佐藤:なんだか知らないけど記録を残すと、だれにも教えてもらってないけど
藤井:それは「次につなげる」と言うような意識が
佐藤:ないないない、これだって「捕まって逮捕され、二度来るな〜」みたいな 言われててさ。、でもさー
藤井:でも記録するって言うことは(笑い)
藤村:どこなんてすか
佐藤:福島の土湯温泉ここ奥付に地図が載ってる
伊庭野:ちかですね
藤村:その場所に行ってみたいですね

佐藤:行くの止めなさい!俺なんか行ったら袋だたきなっちゃうから(会場おおわらい)
伊庭野:今でも覚えているんですか
佐藤:覚えているに決まっているじゃん、出入り禁止やで。可愛そうに。と俺が勝手に思っているだけでね。「おれ みんなを 裏切っちゃったな〜」と思ってさ,自戒の念もあるしな。自省の念もある。みんなはすっかり忘れていて歓待されるかもしれない。


伊庭野:市民たちにインタビューとかしたんですか、実は面白がったりとかしてるとか
佐藤:ここに写真で記録されているけど、子供が毎日見てる、事件じゃない交流も
藤村:来年25周年ですね(会場おー)
佐藤:これは絶対、出来ないねもう。
藤村:土湯温泉ライブラウンドアバウトジャーナル

(会場ワイワイガヤガヤ)

松島:ここでラウンドアバウトジャーナル、建築あそびやりたい
佐藤:道路でやるの!俺が今度東京でやるインタビュー
藤村:佐藤さん東京でやるんだから 僕らが福島
佐藤:おれ一貫して同じ事やっているんだから

伊庭野:佐藤さん東京で何にやるんですか?
藤村:道路でインタビューするんでしょう佐藤さんが
伊庭野:ああ、そういう事ね
藤村:今度は僕らが土湯温泉で建築のイベントをやったら面白いな

佐藤:
貴方の一番好きな都市空間でインタビューだね。建築家に等にインタビューする。裸に成らないよな。建築家って裸になるんかな。 建築あそびが、あぁ!!まだ、建築あそびの話にいってないな〜(会場笑い)だから長くなるから、嫌なんだ

藤村:それが建築あそびに繋がったんだ
佐藤:その後に今日見てきた、BOX1が出来た時に毛綱モンタさんを呼んで、家でレチャーイベントした。それで「モズナの真似してる」といろいろ言われているけど、そんなに仲良しでないんだけど、モズナさんとBOX1が出来た途端から「建築あそび」を家でやっちゃたと。

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以下 参考資料 毎日新聞福島支局依頼 原稿( 1984年9月12日東北版に掲載)

                メビウス的社会


真夜中によく叩く。賢い奴なのでつい時を忘れる。朝一番の飯坂線からけたたましい音が鳴り響く。奇怪な格好をし、朝を迎えるおかしな自分の姿に気付く。朝日に輝く信夫山に向かって背伸びをすると、頭の中から血の気が引いていく。スーッと
異次の世界にワープする
 ICに詰められた脳味噌が、色鮮やかに店先に並んでいる。脳味噌を交換する人々の姿が見える。たぶん僕の子孫なのだろうか。似たような顔をした人が行き交う。表情は父が入院してた病室の患者のように、目は虚ろで周囲の状況の変化にさしたる反応もしない。とても
シュールな風景だ。
 腹の虫が無情にも、今の時空に引き戻す。
「誰か仕事くれ!」「生物らしく無事生きていたいよー!」身辺の無事を考え出すと、家族のこと、友達のこと、どんどん広がって当然のように社会状況のことや生態系のことへと考えが進んでいく。しかし理論武装や連体して権力や制度へ立ち向かう気にはなれない。それらは同一平面上のことのように見えるからだ。
 
紙を細く切る。片面に「権力」もう一方に「反権力」と書き込み、一度ねじって紙の両端をつけてみる。メビウスの帯上に浮かぶ二つの単語。巷に飛び交う主張は一見、正反対のように見えるが実はこの帯上にある文字のように思える。だから一人で行動する人を信用する。原始なるコミュニュケーションを望んでいる。
 最近警備会社が月々数千円で家庭の安全を買いませんかとセールスに来る。これは最も身近な共同体の崩壊を意味している。だからと言って外へ出て趣味的サークル活動や生活を守る協会などの団体を作り、身内で盛り上げるようなことはしたくはない。
 7月27日から29日までの3日間、福島市の土湯温泉で「
パフォーマンスとシンポジューム84」を催した。聞き慣れない言葉で申し訳ないが自らの肉体と5感を用いて芸術表現や自己を主張する。一方通行的な表現活動の欠点を補うため、3日間同じ釜の飯を食い時間の許す限り討論する。単純に言えばこうなる。言葉で表現しきれないから、行動を起こすのだ、約100人の参加者が、土湯の時空や観客とコミュニケーションする。無惨にも自然にのみ込まれてしまう音や映像、表現行為や肉体の連続。「異常空間」の出現でもでもあり「素敵空間」の出現でもあった。
 参加者がステージに立つ緊張感は、人が無防備なる太古に帰る証か。奥底に眠る生への叫びか。あまりにも私的で奇妙な表現の数々と怪信号に、人々の反応は「ないやってんだべー」「トット
いかれてんでねーべがー」と一様に驚き混乱する。やがて素直に受け止めてくれる人達もいた。
 精神障害の土湯の
花摘みばあさん、町の青年達が植えた美しい花をすべて摘んでしまいみんなからそんな愛称で呼ばれてる。老婆の表情は、出演内容の良否を判断するには十分
 地元の子達は、お気に入りの参加者をお化け大会に招待したり、文通お始めると言う話も聞いた。
 柔らかな感受性は日常の多量な情報によってしらずしらじに硬化しると言うことか、目前から発せられた情報が最も快適で信用出来ると言うことなのだろうか。土湯の町には3日間不可思議な共同体が成立していた。最終日、全裸になった友人が逮捕された。僕の目から流れ落ちた涙は、パンツ一枚で管理されてることへの悔し涙だったのかもしれない。
 土湯の地の豊かな感受性と参加者への感謝を込めて、3日間の
全記録写真集を制作してる。パフォーマンスと言う言葉によって出来る垣根を取り払ってくれるはずである。
 今年の夏はバカに暑った。老婆も今日はポツンとベンチに腰掛けていました。神様仏様明日も
核爆弾がさく裂しませんようお願いします。 

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