三枝理子さん・岩崎伸治さんと語る  2026年8月20日 作成:佐藤敏宏
その1
二人に最初にお会いしたのは、2026年6月4日午後でした。場所は芸大門傍の路上。その時、聞き取りし記録を作ることを了解いただきました。8月20日、九段下にある二人の拠点にて語り合いをすることができました。その時に語り合いした5時間ほどの全ての内容です。

■出会い

佐藤:よろしくお願いします。初めて東京藝術大学の門傍でお会いして以来です。
岩崎:藤村(龍至)さんの展示だったから、6月の本当に頭でしたね。
佐藤:6月4日でした。福岡市に行った帰り、西洋美術館で北斎展に寄りました。まだ時間があったので芸大飯を喰って、東京芸大美術館に寄ってみたんです。偶然、お会いしました。
ここの後の壁に小村雪岱(せったい)貼ってますね。

岩崎:一番最近、埼玉近代美術館でした。
佐藤:俺も観に行きました。
岩崎:巡回してますから。
三枝:大阪、千葉、埼玉かな。

佐藤:埼玉でお仕舞。埼玉の川越生まれの小村さん。埼玉県では15年間隔ぐらいでしょうか雪岱展開催しているようです。その後「ヒヤシンスハウス」に寄りました。小村雪岱、好きですか。

岩崎:すばらしいですよね。本物を観るのは初めてでした。すごい良かったです。もともとは三枝がすごい好きで、図集だけは持っていたんです。雪岱観たの初めてだったんです。
三枝:そう。
佐藤:展示の多くは版画と印刷物だったかな・・・挿絵と装丁本もありました。

岩崎:本も、閉じて。
佐藤:装丁は凝ってますよね。あの時期・時代は本に掛けるエネルギー、熱情は飛びぬけて高いように思いました。
岩崎:やり過ぎふふふふ。

佐藤:気合入れて本を作っていた社会がこの国にもあったと教えられますね。
岩崎:刊行されるタイミングもキャプション見ていたら、熱の入り方がすごくって。図集も買ったけど、装丁は図集の写真でみるより大きさが分かる。版画も近くで見ると細かい。デジタルだと色が滲んだり、見えなかったりする。


佐藤:装丁、気が合いましたね。雪岱展も観たばかりです。
三枝:よかったです。









2026年6月4日

三枝理子 略歴
2020年 九州大学、学士号取得、 デザイン学部 環境デザインコース
2021年、パリ・ラ・ヴィレット国立高等建築学院への交換
2023年 九州大学、修士号取得、 デザイン学部 環境デザインコース

岩崎伸治
2021年 京都大学、工学部建築学部 学士号取得
2021年 - 東京芸術大学、修士課程、建築学科取得
2025年 - 東京芸術大学、ArtMediaCenter、教育・研究助手




■三枝さんの聞き取り開始

佐藤:今日は初めての聞き取りなので、生まれた時から建築を始めた動機、そのあたりまでをお聞きします。
岩崎:考えておけばよかった。アドリブですね。

佐藤:間違っていたら校正で修正してください。どちらから聞き始めますかね。
岩崎:先に生まれた方から。三枝からお願いします


■三枝理子(りこ)さんのこと

佐藤:では三枝さんからお願いします。基本はおしゃべりのまま文字にしています。悪口はカットすることは多いです。初めてお会いしたとき福岡市生まれとのことでした。
三枝:福岡市内で生まれました。家から福岡城跡には近くで歩いて20分ぐらいです。
佐藤:博多・福岡漫遊は赤坂駅そばの民泊に泊まってました。福岡城や鴻臚館や西公園から魚市場まで歩いて漫遊したり、大宰府政庁跡も体験しました。毎日2万歩弱漫遊してました。

 古図に福岡城周辺を書き入れた

三枝:
大学も大学院も九州大学なんです。それまではずっと実家で暮らしていました。

佐藤:九大卒の建築系の人に会うのは初めてです。京都繊維工芸大から移動した九大の岡田栄造先生とは友達です。中山先生設計のO邸の発注者です。O邸竣工した時に泊まりに来て箔付けて、と呼ばれて泊まりにいきました(笑)。O邸の工事関係者含めて聞き取りし記録を作り公開しました。─ (2008年12月12日「えいぞう・きみこさん O邸を語る」)─ 久しぶりに会ましたけど、九大に移転しゆったり暮らしてました。

三枝さんは九大の建築系を卒業された。九州地方の人は初・聞き取りです。小学生時分のことからお願いします。学校嫌で不登校したとかありますか。

三枝:普通でした。
岩崎:宿題やってなかったんじゃない。

三枝:どちらかというと不真面目だけど、学校には行ってました。
岩崎:僕が聞いたエピソードは宿題をやってません!で、ドリルをやってなかった。忘れましたとかやってません!と言ってた。
三枝:そう。
岩崎:真面目だったんだろうけど、宿題はやらなかった。

三枝:真面目だけど勤勉ではなかった。
岩崎:不思議な感じ。
佐藤:真面目だと思われるのは嫌だったのかな?姉妹は何人ですか。

三枝:妹が2才下にいまして、二人です。
佐藤:両親は何をされていますか。
三枝:母は専業主婦で父はサラリーマンです。
佐藤:三枝さん家族は安定した暮らしをされていたのに!一人だけ不安定な世界へ入ってしまいましたね。建築界は柄が悪いという印象多いですからね。土建屋とか不動産とか、嫌な顔されなかったですか。

三枝;笑。両親はアトリエとかよりは竹中とか安定したところに行ってほしそうにはしてました。
佐藤:お父さんは竹中などのスーパーゼネコンの実情を知っている。
三枝:サラリーマン意識が強い父ですから。大きい会社に行くのがいいことだ、と思う典型的なタイプです。
佐藤:そうだろうね。それが親、普通の思いでしょう。安定した収入を得ることができて、その会社で旦那を見つければ安定した暮らしもできるだろう、と思う。

三枝:そうなって欲しかったんだろうなと思います。
佐藤:お父さんは娘さんの選択を聞いて、泣かなかったですか?
三枝:何があっても頼るなよと言われました。

   会場 おおわらいしている

佐藤:
それ言われたのは、どこのタイミングでしたか。
三枝:大学出て東京のアトリエに勤務するよ、と言ったら、面倒見るのは学生までだからね、って言われました。

佐藤:困ったら、家に帰ってくれば飯は食わしてやる、そのぐらい言ってもよさそうだけどね。頼るなって!
三枝:面倒は一切みない!
佐藤:可愛い娘なのに、何てこと言うお父さんなのだろうね。
岩崎:手厳しいね。

佐藤:そうなんだ、アトリエには世間も厳し目でみているな。
三枝:厳しいですかね、あまり考えたことなかったです。
佐藤:アトリエで喰えなくなったら、家に帰ってきたら飯ぐらい食わせるから・・・・そう言ってほしいけどね。自分で言うのも何ですが、アトリエ系は認識ほとんどされていないからね。地方では業者扱いが現実です。
三枝:私が出たらすぐ部屋がなくなっちゃったんです。
佐藤:お父さん真面目な人で、子育て大変負担だったろうかね。建築科の学生は外国へ建築を観に行ったりして学費以外に金はかかるし・・・。
三枝:そうですね、大学院まで行ったので、お金は多く掛かったかもしれないです。

佐藤:留学もしたんですか。
三枝:留学にも行きました。
佐藤:サラリーマンのお父さんの常識とは違う世界なので、こりゃ大変だ、と思ったのかもね。お前に投資した割にはお金を稼いでこない!子育てを投資だ、幾ら稼いだと問い詰める親も居るとは聞いてました。けど、お二人は、もし子供生まれたらできる範囲で支援し優しく育ててください。タイパ・コスパを言うのは大流行だけどね人間性が育まれにくいでしょう。
小学校では倶楽部活動はされていましたか。帰宅部でしたか。運動してなかったですか。

三枝:習い事でするクラシックバレーを小学校では習ってました。
佐藤:中学では続けなかったんですか。トーシューズ履いて、回転したりするんですね。今からでも運動のため再挑戦してみては。

岩崎:最近一緒にサッカーやってます。
佐藤:練習する場所あるんですか。
岩崎:意外にも都内にも小さいけどあります。藤村さんとフットサルコートを借りて練習したり。芸大のOBチームを発足した時に僕は、芸大に入ったんです。藤村さんのサッカーの成長を見届けています。

佐藤
:藤村先生は俺の家の建築あそびに来ていたころ、(2004年3月27日)サッカーの話はしてなかったね。
 
 2002年6月1日藤本壮介さんと建築あそび@我が家にて(記録へ)


岩崎:
先生になってから始めたんだと思います。伊藤先生が芸大のチームを発足させて、藤村先生が引き継いだと仰ってました。

佐藤:写真撮り忘れちゃうので、撮ります。web記録に載せても問題ないですか。
三枝:大丈夫です!

   写真を少し撮る佐藤 

佐藤:今日は普段、話し合わない内容を根掘り葉掘りお聞きします。姉妹喧嘩はしよないようですね。本や漫画を読んでいた?
岩崎:頭でっかち。
佐藤:クラシックバレーの練習しているから体は鍛えられちゃう。音楽は・・Jポップ聞いてましたか。

三枝:何も聞いてなかった(微笑)ロックバンドを聞き始めたのは中学生の初めからですね。ブルーハーツを聞いた。かっこいいと思って。
佐藤:ドブネズミにあこがれるかのような、汚い世界を見たかった・・・とか。底辺に居るが脱したいという被害者意識がパワーを持った時代だったかも。



岩崎:パワフルさに引かれた!
三枝:恰好いいと思いました。
佐藤:イカレテたの出て来たと思ったけど、中高生には人気あったんだね。忌野清志郎への弔辞の動画落ちていたけど、あれもいいのでは。ロック好きの少女だったのね過激な言葉が好きなのかもね。

岩崎:隠れた一面。
三枝:そうかも。
佐藤:桑田佳祐はどうですか。
三枝:サザンオールスターズも好きです。RCサクセションも聞いてました。

佐藤:湘南ボーイね。コンサートを聞きに行きましたか。
三枝:私が生まれたころは解散していたから、今やっているクロマニヨンズのライブは行きました。



佐藤:高校はどうでしたか。

三枝:進学校ぽい学校に行きました。ずっと勉強していました。春日高校、学区で2番目の高校へ行きました。一番いい高校は筑紫丘学校です。学生は九大をみな目指します。
岩崎:京大にも九州の人いるかと思うけど。





































2026年6月2日  岡田栄造先生と
福岡市役所東の天神公園にて。背景は森ではなく名建築である。




■九州大学のこと


三枝:九大目指すのがデフォルト。その中でもっと上澄みの人は京大・東大を視野に入れるけど、基本は九大、みんなで九大に行こう!

佐藤:九大卒業したあとは地元で働く人が多いんですか。
三枝:東京都か大阪の竹中とか日建とか鹿島建設とか、ハウスメーカーに行く人もいます。デベロッパーでは三菱地所にも行きます。

岩崎:今、名前がでたのはデカい会社ばかりだね。
三枝:アトリエに行く人はほぼいない。
佐藤:
デカい会社で給料もいいし。当然のように若い人だってそこを目指すよね。

岩崎:九大には建築は二つの学科があるんです。
佐藤:そうなんだ。
三枝:九州大学工学部と、九州芸術工科大。別の大学だったが合併した。私が行ったのは芸術工学部の環境設計学科で、建築の枠組みでした。40人ぐらいで、東京芸大と雰囲気がちょっと似ています。少数校で勉強しろ・・・という感じでした。

佐藤:その二校は交流しないんですか。
三枝:交流はないです。キャンパスが芸術校だけが違う場所に在るんです。糸島に全学あるけど、芸術校だけは福岡市内にのこっていて大橋駅の周りに在ります。元々の大学に居続けているから、合併はしているんだけど、文化祭も別にやっていました。だから、工学部の建築のことはあまり分からないです。

佐藤:そうなんだ。東京の情報が多すぎるんだろうね。俺は、九大建築の先生の情報はないです。面白くって有名な先生はどなたですか。

三枝:私は岩元真明さん(1982年生)という東大を出て難波事務所に勤められて、ボチョンギア(VoTrong)、海外の事務所にいた先生の研究室にいました。ユニークで私は大好きな先生でした。

佐藤:岩元先生の博士論文はどのような内容ですか。
三枝:『ヴァン・モリヴァン 激動のカンボジアを生きた建築家』(西山夘三記念叢書 1、 3300円)。こないだ10年に渡る研究・博論本も出していました。40代です。82年生まれと言ってたから。
佐藤:イケメン先生ですか。

三枝:はい。
岩崎:遠くから見たら恰好いいけど。
三枝:背が高くて顔が小さい。
岩崎:東京の人だから恰好と思っている。研究室エピソードみたいなものは。

三枝:研究室は8〜10室しかない。同期は皆仲良しです。







 岩元正明先生 FBより
 九州大学岩元真明研究室HP



『ヴァン・モリヴァン──激動のカンボジアを生きた建築家 』(西山夘三記念叢書 1) 』



■三枝さんの修士課程は新型コロナ禍

佐藤:修士課程ではどんなことをされていましたか。
三枝:修士課程はコロナ禍だったので・・・課題もないというか、オンラインでした。2020年が修士1年だったんです。修士の記憶はけっこう無い。家に居て、ステイホームでした。

佐藤:聞き取りに行きにくい時期でした。オンラインで時々ワイワイしてました。泊めてください、とは言いにくかったです。人に会うことはできにくかった。嫌な時代はありましたね。
三枝:修士の2年間でコロナ禍、真っただ中でした。図書館も開いていなかったので、大学に行けないし。
佐藤:授業料だけは収めたんだ。
三枝:そうですね。
佐藤:海外にも行きにくかったし、人も死んでニュースは盛んに放送していたし、出歩きにくい社会が出現してました。我が家は次男がコロナになったけど感染しなかったです。部屋が離散した形なので、親子間でも感染しなかったです。

三枝:家族で感染しないのは凄いですね。
佐藤:次男は離れ部屋で、母屋から一度外に出ないと暮らせない形式の家なんです。で、飯は運んでたかな、食べ終わったら外の洗い場で洗って戻す。で、うつらなかったです。 三枝さんにとっては、辛い修士生活でしたね、コロナで学校に行けなかったというのは、初めて聞きました。コロナ禍に遭っても建築への意思は持続しましたね。

三枝:留学しました。休学しているかたちになったのか分かりませんけど、コロナ禍で何も出来てないのが嫌で、最初は留学は考えてなかったです。2023年の1月から留学しました。

佐藤:円安もあったし。
三枝:けっこう高かったです。パリに行きました。
佐藤:フランス語しゃべれるんですか。
三枝:喋れないです(笑)フランス語の検定も要るんです。コロナだったのでオンライン受験できたんです。フランスの友人と受けました。

 大笑いしている岩崎

三枝:けっこう成績は良かったんです。
佐藤:要領いいね、ラッキー(笑)
三枝:で、許可がでました。1年の予定だったんですけどコロナで行けなくって半分になってしまいました。9月から1年間なんですけど半年待って1月から9月までになりました。 フランスはめちゃ楽しかったです。

佐藤:建築の勉強せずに観光できましたか。
三枝:授業はとってたんですけど、フランス語の授業で分からないから最初の数回で行かなくなって(笑)そこからはふらふら遊んでました。

佐藤:それはいいね。友達は一杯できましたか。
三枝:一人もできませんでした。(笑)
佐藤:コロナ禍で行動しにくいからね。
三枝:授業にも行ってなかったので、一人でヨーロッパ。

佐藤:今までの話だとキツイ建築青春を過ごしてきたような気がしますけれど、人にも会わず会えず。家族はみなさん、優しそうだ。お父さんも優しい人たと思うけど、お金に関しては厳しい。普通の思いかもしれないし。お前ら適当に暮らせとか言ってお父さんは家に帰ってこない、そんなことは無かったんでしょう。

三枝:父はずっと単身赴任してたんです。
佐藤:そうなんだ。亭主元気で留守がいい、という典型だった。どこで働いてたんですか。
三枝:大阪と東京です、家族は福岡に居ました。
佐藤:お父さんと一緒に暮らしてないのか・・・。
三枝;あまり暮らしてない(微笑)

佐藤:お母さんと暮らしてたんだね。
三枝:妹と三人暮らしでした。
佐藤:お正月お父さん帰ってきたとき静かにしていれば、その他はのびのび女のお城生活できたんだね。
三枝:その時だけいい子にしていればいい(微笑)


■お父さんはサーフィン暮らし中

佐藤:お父さんはほぼ・単身赴任という人に、聞きとりは初めてです。今も単身赴任されているんですか。
三枝:去年、定年しましたけど働いてはいます。遊んでも暮らしています。
佐藤:盆栽しているとかじゃないですよね。

三枝:サーフィンしてます。
佐藤:それはいいね、福岡でサーフィンか羨ましいな。博多湾じゃないですよね、
三枝:西の方に行きます糸島とか、波がある所に1時間ぐらい掛けてサーフィンに行ってます。
佐藤:博多市内から名護屋城跡に行きました。糸島市をすぎると海の色は綺麗でした。
三枝:博多湾はあまり綺麗じゃないから。

佐藤:博多湾は金鶏抱卵型してる。(外敵には強い地勢だけど、水は淀みやすい。170万人暮らす町から、汚れ流れ込むので湾内の海水は綺麗じゃないかも。福岡市は背後の山が浅いから水も少ないし。水が少ないので海水を取り込んで飲み水にしていると市のHPに書いてありましたよ。
5月末の旅で、佐賀県に入ると綺麗な海という印象を持ちました。家族が楽しそうに海水浴してたし、干物も美味いし、博多にも近いし、こういう海辺に住みたいなと思いました。

三枝:呼子の干物美味いです。錆びれた漁港。
佐藤:呼子、休日じゃなかったけど賑わってましたね。イカの塩辛や各種干物を買って民泊で喰いながら博多漫遊してました。この拠点、九段下あたりはスーパーあるんですか。


■九段下あたりの暮らし

三枝
:ないですね、小さい店だけです。原付バイクがあるです。
岩崎:バイクで買い出しに行きます。

佐藤:大学へも原付で通っているんだね。
三枝:そうですね。
佐藤:俺にあった日は歩いてましたね。
岩崎:止めて歩いてたんです。
佐藤:九段下だと東京ど真ん中なんで、どこに行くにも近いから便利だよね。
三枝:基本は原付です。大きいスーパーにお魚買いに行ったりします。

佐藤:この拠点そばのビジネスホテルに連泊して、聞き取りしてたことがある。お茶の水とか歩いて探査くした記憶があります、便利な場所ですね。歩くと起伏も分かり楽しいですよね。
三枝:原付移動は楽しいです。

 電池がなくなり交換している

佐藤:三枝さんは芸大に付いて行くんですか。
三枝:藤村先生展の前ですが、芸大陳列館の展示を一緒にやっていたこともあるんです。
佐藤:俺とは凄い出会いでしたね、誰かに声を掛けようと思いキョロキョロしてて。いきなり会いましたね。珍しい出会いでした。

岩崎:あの時何しに行ったんだっけ。
佐藤:俺に会いにきたんじゃないの(大笑)
岩崎:そうとしか思えない。
三枝:藤村さんの展示を見に行った。

 その展覧会の話をしている

佐藤:三枝さんは博士論は書いたほうがいいんじゃないですか。

  京都で川勝さんの家を借りて、おこなった活動について話している。


■岩崎伸治さんとの出会い
 
 事務所を始めたのは最近ですか。二人はどこで知り合ったんですか。

三枝:出会った場所は京都だけど。私が留学していたときの友達がいて、岩崎と親友ぐらい仲がよかったんです。京大から、その子も留学していました。

岩崎:一緒のタイミングで留学していたんだよね。
三枝:フランスで知り合った子が・・・。

岩崎:僕の友達でした。

三枝:私は、中山英之さんの事務所に行きたいと思っていたんです。結果は行きました。その時、その子は中山研究室にいたので、中山先生と連絡とりたいから繋いで欲しいとお願いして、私が連絡先をもらいました。

佐藤:中山事務所には何年いたんですか。
三枝:今、ちょうと辞めたばかりで、1年半ぐらいです。私が入ったタイミングで凄い大きな仕事が動いて、今も動いてます。

じゃここからは岩崎さんの話にしましょう。


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 2020年1月17日、熊本日々新聞紙面
新型コロナ発生告げる新聞 博物館へ











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