鮪立計画 2011/08/25〜28日 home
2011/08/26日pm2:00〜 菅野栄喜先生の「水産業とは」 講義録
その01 その02 その03 質疑応答
その01
佐藤:水産のこと知らないですよね ここに集まりの皆さんも。「小学生向けの水産」ということで一つ、申し訳ないんですけど。よろしくお願いいたします。 みなさん、今日の講師は菅野栄喜先生です
菅野:菅野ですよろしくお願いします。
かいじょう よろしくお願いしま〜す
佐藤:菅野先生、思うままにお話ください。ここに集まっている人は大人ですが水産につては小学生だと思ってお話していただければと思います じゃーはじめます
菅野:こんにちは
かいじょう こんにちは
菅野:だだ今から始めたいと思います。皆さんのご期待に応えたられるようなお話になるかどうかは分かりませんけども。私の知っている範囲でお話したいと思います。佐藤さんの方から水産業に関してはあまり精通してないということで。
佐藤:全く知らないんですよ、ね皆さんも。
菅野:そのような、お話だったもんですから。その辺を踏まえてお話申し上げたいと思います。私も退職して7年ほど経つんですけども。実は生徒達を相手にしたときは非常に明快な講義 ははは、数字は覚えてたんだけど。いつのまにか、(教壇から)離れるとどうも数字とか、そういうのは忘れてしまいまして。あんまり間違ったことは言いたくないんですけども。若干の間違いなどがございましたら大変失礼を申し上げると思います。
皆さん古舘の(鈴木)伸太郎さんの 家系とか、お調べになって充分お解りだと思うですけど。もの鮪立(しびだち)地区を中心にしてお話申し上げたいと思います。1,600年ぐらい前後当たりだそうでございますけど、上杉景勝っていう武将を知っていると、皆さん御存知だと思いますけども。(伊達家臣として)戦場に騎馬で駆け参じたということでね。それの功績などが認められて(鈴木家の由緒、齋藤善之先生の講義へ)、郷士の肝入っていうのに任じられたそうでございます。古舘家っていうのはそれいらい(肝入や大肝入として活躍した)。
(溜釣り漁法を教わる)
延宝三年(鈴木家7〜8代)ですか。1675年ぐらいだと思います。徳川幕府が開かれて早々な時期ですね。その時期に和歌山県の方から、鰹漁業をする人々を招致して(隆盛させた)。当時はこの辺の鰹漁業っていうのは、和船でただ群れか来たところを狙って鰹を釣っていたようですね。漁獲量も効率があまり良くなかった。ということで、和歌山県から来た漁師さん達に溜釣り漁法って言うのね。溜池の溜です。溜釣漁業っていうのを教わりまして。
溜釣り漁法っていうのは鰯の群れが来たらそこに鰯の生、活きた鰯を投入してさらに魚群を濃くして、そこで集まった処を狙って一本釣りで釣り上げるという方法で非常に効率が良い漁法を覚えたんだそうでございます。1675年ですから、それまでも漁業やっていたことは確かなんですね。この辺の鮪立では。でまあ当然 鰹釣り、一本釣りもやっていたろうし、それから他の鮪漁業なんかも、ここの鮪立(しびだち)っていうところは鮪が立つというふうに書きますよね。鮪が立つっていうことは、鮪がここに回遊して来たと。そういうこと。実際に文献にも残っております。ここに鮪とか鰹が回遊して来て、鮪を捕ったり鰹を捕ったりしたというような、そういう史実がございます。 (下:一本釣り動画ユーチューブより)
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