中山英之建築入門帳 中山英之講演録/東北工業大学主催(@smt)2019年10月14日 |
2019年 作成 佐藤敏宏 | ||
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ふざけたプロダクトの岩です。月の岩の話が好きだったこともあるんです。石って何か不思議な存在です。木もある意味ではそういう事があるかもしれません。 例えば月から石を持ち帰って来たり「これが月の石だよ」と渡されたら、人間ってその石に意味みたいなものを感じちゃいますよね。 これは木曽檜だよと渡されても「ああ〜木曽檜いい香り〜」と思うけれども、石ってもっともっともっと長い時間を経て、その場所でしか生成されない、条件で生成されて出来上がる物なので、どこかから持ってきて観ると、なぜだかいろんな事を考えてしまう、おかしな存在。しかも石は大きさが無い。例えば真っ白い紙の上に小さな石を置いて横に鉄道模型の人形をぽんと立ててあげると、その小さな石は巨大な岩のように見えちゃう。ミカンとか、イチゴではそうはいかないんです。 あるとき、「竹尾」っていう紙で有名な商社があります。皆さんが読んでいる本、ほとんど竹尾が扱っている紙だったりするんです。竹尾、大きな商社から建築家が何人か集められて「紙を使ったなにか新しい建築家らしいプロダクトデザインを考えてください」と、そういう展覧会のお誘いがあったんです。 他の建築家たちは、すごい面白い物を作ってたんです。照明器具とか作ったりしてたんです。が、普段から意味のある物ばかり作らされている建築という仕事。せっかく紙を使って自由に考えていいと言われたので・・・。この際、無意味な物を僕は作ろうと、言って。できちゃった。これです。 冷蔵庫の上に置いてあるのは、紙でできた石。写真に撮ると本当の岩に見えるんです。庭石って突き詰めると、あんまり意味の無いのに、何か好い形に据えられていると、そこに、宇宙とか人生とか人は見出してる訳で・・・意味の無い物に意味を見出していくという事も、もしかしたら、僕は何かあるんじゃないかなーと。 建築も、もしかしたら、凄く意味を帯びて作られる物なんだけれども、究極の無意味なものが作られて、その無意味な物に宇宙を観てしまうというような、人生を観てしまう、なんでもいいんですけれども・・・・何かを見出してしまう。そういうような働き、人間の不思議な脳の働きに、何か働きかけられるような物を紙を使って作ってみようというふうに。 家の中に石が置かれると、石と一緒にお散歩しているとですね、風景に対する破壊力が凄いんですね。在ってはいけない物が在るような感じがして・・・。 これなんか事務所の片隅で、こちらは実家の父親のベットの脇だったりするんです。そういう所に石を置くと、空間が不思議な場所に、何時も知っているただの空間が不思議な場所に変わる。 |
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これはモデルになった石達です。自然界には大きさが無いと言いました。ぜんぶ手の平に乗っかるぐらいの石です。 大学の彫刻家の工房の床に落ちている、彫刻を削りだした時におっこっていた欠片とか、山登りが好きな友達が、山から拾ってきてくれた石とか、そういう色んな人に選ばれて来た、偶然、選ばれて来たただの石なんです。それを抽象化していくんですね。 どういう作業なのか、と言うと、石を置く、選ばれた理由は無い。なんとなく格好がいい。色が綺麗とか、それを置いて。その横にスタイロフォームを置いて、モデルになった石を観ながら、里芋の面取りみたいなもに、カッターを入れていくんです。面取りは20回ぐらいをルールにしようと決めて。それ以上一杯面を作ってしまうと、モデルの石がどんどん似ていくんだけども、それを展開図にして、20回ぐらいにして石の特徴を一番捉えられる、カットは何かと事務所に来ていたバイトの子とかに、スタッフも一緒になって、しゃっしゃっしゃと切っていく。 みんなが見比べて、全部同じぐらいの大きさに切っちゃうと駄目で。一個の面は、割とすぱーっと切るんだけど、ちょっとちっちゃい面を入れたりする・・・そのような事をやると、何とか凄い石に見えてきたりして・・・。 直感的に、格好いいか、格好よくないか・・・みたいな非常に曖昧な評価基準で、これが一番!、この石を上手に似顔絵に出来ている感じがするのを決めるんです。大きさとかプロポーションは多少ちがっていてもいい。この段階では。だいたいこの面は、この面でというのが分ってくればいいので。 例えば、削りにくいのは大きくしちゃってカットして、大きさは何でもいい、大きさと数が決められて、そこに名前が書ければいい。石にマスキングテープが貼ってあって、モデルになった石にマスキングテープを貼って、20何面の数なんです。稜線の所にマジックで線を、そのマジックの線んを切り取って、稜線を切り取られたものをつくる。そういうふうな状態をまず作る。 それが出来た段階で、3Dスキャンを掛けます。こっから、いきなり建築的になるんです。3Dスキャンなので、全部立体化をして、先ほどスタイロフォームで決めた面を参考にしながら、面の数を減らしていく。それで3D立体をつくるんです。この時点でプロポーションはモデルの石と同じに修正しています。 プリントアウトの時に、いくら大きくしても、できます。高解像度カメラで撮影していくんですけれども、分からなくなんないように、マスキングテープ、数字をはがした所をカメラで撮影して、またそこに数字を貼って、何番の石は撮影終わりました、次は何番ですと、万力で挟みながら、24回とか撮影するです。 このカメラは特殊なカメラです。虫とか花とかを撮るとか「リタイアした後の趣味です」と言っているような、お父さん一杯いると思うんです。そういう人たちの間でバカ売れしている。このカメラは何が凄いのかというと、深度合成と言って、虫を高解像度で撮影すると、風景が背景ボケするように、ピントが凄く短いので、虫の触覚にはピントが合っているだけど、羽は全然ぼけている、そういう写真しか写れないんですね。でも奥行方向に5枚写真、ばばばばとピントを変えながら、撮って、ピントの合っている所だけ、全部合成すると、ばちーんとピントが合った虫の超接写写真。虫とか花とかの超接写・写真が撮れる。深度合成機能付きカメラです それを使うと、石の凸凹面を全部接写して、ばちーんとピントが合った写真が撮れるんです 。これがそうして撮った23枚の写真です。これを3Dデータにマッピングしていくんです。それを展開図にして、かなり高級なプリントなんです。 耐候性の高いプリントを竹尾に提供してもらって・・・きほう紙というこれまた大変 高い紙にプリントをして。メモ・カットも全部データを機械でやってくれるので、レーザーカッターと折り目を付る装置で、折り目を付けたものを折っていくと。こういう紙の石が出来上がります。 それを机の上に置くと、こんな風景が出来るわけです。ちっちゃな石なんですが、このくらいの大きさに大きくプリントをすると、こんな感じで、石がある風景が部屋の中につくれます。 これめちゃくちゃ売れてました。ギャラリストだとか、デザイナーだとか。面白がって買っていって、みんな自分の家の中に・・・置くと凄い破壊力のある風景に成ると言って。色んな人が買っていってくれて、まさか紙で作った石ころを、お金を出して買う人が居るなんて、びっくりしたんです。 売れる物を作ってくださいと言われていたので、僕らは売れる物がつくれて、よかったかなーと思ったんです。 |
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一番やってみたかった実験は、この続きがあって、これがやってみたかった。さきほど風景には大きさが無くって、何かを・・・建築を作ることによって、風景に大きさが生まれるんだと言いました。この空間には椅子とか大きさを知っている社会的大きさがあるから、石は大きさがあるです。 試しに人が作ったものを消してしまうと。大きさが分からなくなってしまいます。よーく見ると人間が立っているんです。データはすでに有るので、2mぐらいの大きさにプリントアウトをすると建築が造れる。そういうことをやってみた なんでそう思ったのかと言うと、石をストラクチャーにした建築は昔からあるのですが、建築基準法ではこれをやれないんです。自然石というのは、強度試験にかけることが出来ないし、この石で造りたいと思っても、この石を壊さないと強度試験が出来ないってことは、この石は潰れちゃうということになるので、事実のうえでは天然石を柱に使って建築は出来ない。 この建築は、さっきのプリンターは大きさが2m四方ぐらいの大きさのプリントを出来るので、高さが3mぐらいの岩、カラーがちょっとぼけちゃいますが、お同じデータを大きく出力して、それを合板に出力されると、合板はJIS規格を通っているので、それを3Dに組み合わせた構造体というのは、建築基準法上の構造体として、計算書が書けるんです。 自然界の大きさが無い、小石みたいなものをデータ化して、それを大きく出力することによって、こういう建築もつくることができるかも知れない・・・・そんなことを今考えています。東京の展覧会の時には2mの岩をギャラリー間の中庭にゴロンと置いて、ほとんどの人は半笑いで観てました。 近い将来、自然界にあるもの、似たものを自分たちが生み出してしまうという・・・・そういうような働きを、建築空間の中に考えて行くことが出来たらなーと思います。 |
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「2004」という作品の、ドローイングは「手描きで可愛いなー」と思いました。そして遠近感が表現されて、映画に近いようなドローイングだったと思いました。あのようなドローイングは大学生時分からスタディーをして建築を作っていったのですか。それとも模型などを作って建築を検討していたのでしょうか。両方やっていたのか。どういうスタディーをして建築を検討していたのか教えていただきたいです 中山:学生の頃は、スケッチはああいう絵は描いていませんでした。コミュニケーションのために描いているので、自分の中から発見をするためには、さほど役に立たない。学生の時は一人で造るので、スタッフ居ませんし。卒業制作は手伝ってもらえる人はいました。 社会に出て一番違ったのは、自分一人で考える事ではなく、自分で考えた事が想ってもみなかったような伝わり方をして、その事で何か一人で考えることとは違うものが造れる。社会に出てから、そこが面白いことに気付きました。 自分のために描いているというよりは、自分たちにとっての、魅力的な謎みたいなものを仮に描いているそういう類の絵です。学生の時はやっていなかったです。 (決めないエンジニアリング) 補足をすると、「2004」当時、伊東事務所に居ながら、夜と週末は仕事をしていました。同時期に多摩美術大学の図書館。その頃にちょうど事務所に構造解析のソフトが入ってきました。協働している構造事務所に入ってきたんです。佐々木さんの構造事務所と構造を考えていました。 構造解析のソフトが入って来て、有限法という新しい解析のやり方が、段々事務所の中で自由に扱えるようになり、新しいツールになってきました。smtも新しい構造解析の、それまでの考え方は基準になる柱のスパンを定めて鉄筋の数だけ全部決めて、そこに掛かって来る荷重をぜんぶその柱に持たせるためにはどのぐらいの太さが必要なのか、ということを、決めたら、その計算が絶対なんです。最初にそれを決めて、今回は7mグリッドで行くぜ、みたいに決めないと。何回も構造計算ができない。 有限要素法は柱のスパンをもうちょっと離したらどうなる。もう少し近づけたらどうなるのか、コンピューター上で自由にシュミレーション出来るようになりました。 僕らの時代には、それがまだリアルタイムというよりは入力に手間が掛かっていたので、構造事務所からだいぶ嫌がられました。そこで昔では考えられなかったような「この柱あと30センチあっちにいったらどうか・・・」。そのスタディー出来るようになりました。構造解析のソフトというのは、作っている人たちは、決定する精度を上げていくために、最適設計をするために、このスパだったらこの鉄筋を、もうすこしスパンが小さくなると、OKになります・・・・というような事がちゃんと正確に決められる。そのために開発されたソフトでした。 そのソフトを手に入れた、何を始めたのかといいますと、決めない時間を長びかせるツールに、そのソフトを使ってしまいました。最初にスパンを決めて、その中に割り付けていって、段々建築のプロジェクトを進めて行くというのは、それまでの考え方でした。図書館の家具のレイアウトを考えた時に、もうちょっと柱が離れている方が、収まりがいいから、もうちょっと柱ずらそう。そういうことを延々やれるようになりました。 プロジェクトの締め切りが来て、もう図面を提出しないと、作れません。そのぎりぎりまで決めない。それを勝手に「決めないエンジニアリング」というふうに呼んでたんです。決めないんです。多摩の図書館には色んな大きさのアーチがありますが、一番案大きいので15mぐらいで小さいスパンだと3mなんです。それを全部同じプロポーションの構造体で造ると考えていました。家具のレイアウトぎりぎり決まるまで、プランを決めずにおく。本当にチキンレースのように、口から心臓が出て来るぐらいになるまで、とにかく決めない。それで新しいものをつくろうとやっていました。 そこで何が問題になるのか、大学にプレゼン出来ない問題が、プランがまだ決まっていないから「早く平面図を提出してください」と催促されるんだけど、平面図、決まってないんです。決めないエンジニアリングですから。そうすることによって、ここに一個、受付の家具を置いて、ここの照明を置いたときに、一番収まりがいいプロポーションって何かなみたいな事をずーっと考えています。それをプレゼン出来ないんです。プランが決まってませんから。 そうすると理事会がざわざわし始めます。この担当者はヤバイのではないか。図面が一枚に出てこないし、おかしいんじゃないかと。伊東事務所にクレームが入ったりして、大丈夫だと言うんだけど誰も信じてもらえない。ピンチになりました時に、今日はこの会議絶対だめだと。ほんとにお腹が痛くって、凄い仕事をしているのに、物凄い建築がもうすぐ出来あがるけど、まだプレゼン出来ない。 そういう気分でいたときに、スケッチを描いたんです。あと30分で打ち合わせsが始まる時間に。資料を観て、こんなスカスカではまた怒られる。何にも仕事してないと言われる。やけくそだと言って、もしこの建物が出来たとしたら、学生はどんな経験ができるのか、というのをフリーハンドでスケッチを描きました。 アーチの形は一種類だけ、紙芝居みたいにして、今新しい建築の考え方をしているから、細かい物語が全部うまくいくように、構造体を毎日動かしながら、検討するという新しい設計の仕方をしているんですと。大急ぎで描いたスケッチで、それで認めてもらった。 全体像が無いときに、自分たちが考えている事の断片を物語のように、説明するというような、新しい建築のツールが出て来たので、新しい必然性として、やけそで考えたのが、小さいスケッチの断片でプレゼンテーションするという考え方。 逆に言うと、小さいスケッチにはやらなければいけない自分たちのことが全部描いからているので、そこから逆算して建築を思考することも出来るということに途中で気付き始めました。途中からは色んな断片だけのスケッチを一杯描くということをやって行きました。「2004」のときは、昼の時間にそういう事をやっていたので、夜の時間に考えている「2004」という住宅も、この方法をもっともっと積極的に展開して、これだけで建築を造ったら、本当にヒッチコックのような事が出来るかもしれないと考えて。それがスケッチから考えて建築をつくろうという話です。 |
以下 絵 webより 、 |
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中山さんの建築の設計において、具体的な手法と、抽象的な手法が織り交ざっているような感じがしました。建築を設計している段階では、スケッチなどのような抽象的なものとして、施主の暮らしを想像しながら描いているもので、建物が建って人々が暮らし始めるとその写真を撮ったものは具体的なものとして、二つは分けられると思います。 今回のギャラ間やand、Thenの展覧会の感じでは、入口を入ると、映画を観るまではフィクション、その建物が建つ前の設計の思考について、書かれ展示されていて、映画に入ると、入口のフィクションだったものが実際に建って暮らしがあるという。具体的なものに変わって。映画が終わると、また最初に観ていた模型スケッチを観ると、それが実際の映画のような、リ・メーキングというか、最初観た物と映画を観てからそれを見ることで、観方が変わってきました。そのように自分は感じました。そのあたりはどのようにお考えですようか。 中山:施主の暮らしを想像してスケッチを描くって、想像して描かれたスケッチによる建築と言ってもらうことが多いんですけど。自分でそういう事を言ったことはないんです。一度もないです。その事がなかなか上手に伝わらなくって、言い方を苦労しています。去年何人かの建築家と新建築に小さな記事を書く羽目になって。その時に考えた事が丁度今の質問に近いかなーあと思います。 幾つか書いているんですが、その中に物語と原稿用紙というたとえ話をしています。建築の仕事というのは、原稿用紙を作るようなところがあると思うんです。そこにごちゃごちゃ物語を書き込むのではなくって、すーっとした原稿用紙を作って、それを渡せば、色んな人が自由にそこに自分の物語が書ける。そういう美しい原稿用紙をデザインして、物語から距離を置く。というのが一つの建築家の在り方としてあると思います。 原稿用紙派の建築家もいる、この語り派の建築家もいると思います。長い廊下を作って、それは方位はこういう向きを向いていて、そこに射してくる光が目にこういう影響を及ぼして、段々目がその光に順応していたときに、角を曲がると、ぱっと別の光が射しこんできて風景が切り取られて感動するみたいな。それは原稿用紙というよりは物語ですよね。この建築家は原稿用紙派か、それとも物語派かなのか・・・・というような事を考えてみると、色んな建築家像が想像できると思います 僕は物語派に分類されがちなんです。施主の暮らしを想像して描いたスケッチによってできた建物と、物語派と思うようです。自分の事はそう想っていなくって、私は「この建築家はなんだか知れないけれど魅かれるなー」と思う建築家って、みんな似た所があるような気がしています。それは物語を自分で書くんです。凄い密度で。かなり設計の段階でです。その物語を書くことは何のために行われてのかと言いうと、物語りを書く原稿用紙を自分で新しくデザインするために、新しい物語を書いていく。自分なりの新しい物語が書ける新しい原稿用紙を発明するために、自分でも一回新しい原稿用紙に新しい物語を書いてみる。 その時に300字詰めの原稿用紙なんです。普通は400字。それを300字に減らしたりすると、普段よりも、字が大きくなるから、文体がのんびりしたものになるかも知れないし、どんどん進むから、文章が苦手な人がスラスラ書けるような気がする、錯覚をするかもしれない。300字詰めというアイディアが好いか悪いかはおいていて。新しい原稿用紙を作る。新しい物語を書かせるような、可能性があります。 それには自分でもその原稿用紙を使って自分なりの物語を書いてみないと確かめられません。なので、自分でも書いてみる。かなり物語。だけど最後に本当にそれで新しい原稿用紙が出来て、の原稿用紙を使えば、こんな新しい物語が書けるんだということを自分でも確かめてもみた。原稿用紙が一個出来たら、試しに書いてみたら原稿用紙を全部消して。その原稿用紙だけを渡す。これは物語派なの原稿用紙派なのって、考えた時に、どっちでもあると思うんです。 何人かそういう考え方をしているような気がしている実感を持ってます。 そうして渡した原稿用紙、試しに書いみて消した物語とは、たぶん違います。誰か別の人が書いた、そういう意味で書かれた原稿用紙。その原稿用紙は、そこに書く物語に対して、すごく開かれているんです。同時に、その原稿用紙をつくるために書かれた物語とが、どこかに透けて見える。僕は、透けて見える物語が少し多すぎるかなという事です。 新建築の依頼の時に文章に書いた相手は、石上淳也さんでした。彼は透けて見えている量がかなり少ないなーと、そういうような感じです。考える時に、造るときに考える物語と、つくられてから考えるそこに書かれる物語と、その間にある原稿用紙の関係みたいなものって、僕にとっては、そういうものかなーと思っています。 新建築の「人間と建築」っていうタイトルの論文です。2018年6月号だそうです。ぜひ読んでみてください。 |
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多摩美術大学の図書館大好きです。観測気球的な、イメージの集合体のアイディアが好いな〜と思いました。最後にヒッチコックのゴールはあっと驚かせたい。それとなく伝えたいというよりは、ゴールのような目標があると思うのです。中山さんは建築で何を表現したいか。そのためのゴール、理想像はありますか 中山:無いですね。無いと言うか、禅の思想みたいな話をしたいわけではないですが。まったく意味がないものにも人って意味を見出してしまいます。この石は絶対生きている、死んでないんだと泣き喚いたりするわけです。子供が気に入っちゃったりして。それって意味が分からないけれども・・・でも人ってそういう存在じゃないですか。だから、何か意味が有るのか無いのか分からないんだけれども、誰もがそこに自分なりの意味を見出してしまう。そういう謎をつくりたい。というかあえて言えば私の目標みたいなもの かなと思います。 学生:この前に聞いた伊東さんと西澤さんのお祭りみたいな、自己発生的な場を作りたい。それは凄い似ているかなーと。 中山:凄い影響を受けています。 学生:そういうのが好きな人が凄く多くって、どうしてそれを好きになるのかなーというのは凄い疑問に思います。 中山:そういうのが好きというのは、そうい場が素晴らしいものだと考えるという建築家、けっこう多いなとー。そしたらそれは凄いチャンスだと思いますよ。皆同じような事を考えている時に、つまんなんないなーと思っているんだったら、こういう建築の考え方、ありなんじゃないかと事を自分なりに考えて、そういう似た連中を打ち負かすような・・・凄い新しい考えをつくるチャンスだと思います。 似ていると言われると悔しいんですよ。なので、次までに、何か新しいこの考え方・・・思っていなかった。そう思ってもらえるような事を次の講演までに、考えます。 |
絵:『映画術』より |
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学生:シネマのここが見どころだよポイントだよ 中山:模型台がめちゃくちゃいい。模型箱をつくりますね、梱包日本一がありますが、電車の中に白いボードに白いガムテープでつくった。箱を持っている人がいたら建築家だってわかりますよね。あのディテールで台を作った。どの学生も模型箱を作ったことがあるので |
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2019年10月14日 講義内容は以上です 講義前後の様子はこのWEB頁で公開中です 04へ戻る 01へ戻る (講演会についてのmy感想・・・アップ未定) |
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