佐藤敏宏 原稿 2019年 作成 佐藤敏宏
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■ 袋に穴が,ひとつだけの小屋 (建築)

 そんな事を考えながら、学生時代にどういう物を作っていたのか、資料を持ってきましたのでお話します。先ほど紹介したマルタン・マルジェラさんのシャツは「袋に穴が4つ」と言いました。
 建築に引き込んで言うと、建築も袋に穴が開いているものですよねsmtぐらいになると、袋と穴の関係が、このように膨らむ。トポロジカルに変形していると、袋と穴の関係なのか・・・分からなくなってしまいます。自分が中に居るのか、外に居るのか、分からなくなるような建築。

 そういう凄い建築を、伊東さんはつくっちゃったんです。でも小さな小屋みたいなものを考えた時に、メディア・テークですら、本当に本当に単純化していくと、袋に穴が幾つか空いている建築であると。

 学生の時に自分が居る教室を、ぐるーっと見渡して観た時に、ドアがあったり窓があったり、色んな穴が開いている訳です。空調の穴も、外と繋がっていればそれも穴ですよね。というだけでも、建築史を習うと、障子もあるし、掃き出し窓もあるし、天窓にもある。色々な種類の窓があって、こんなのを全部覚えて、それを自分の建築の中に、適材適所に、ちゃんとアッセンブルしていけるのかなーと・・・学生の時は思えなかった。到底思えなかったし、決まった意味があるものを、順次空間の中にアッセンブルしていけば建築が出来る・・・っていう考え方も、どこかで疑ってみたいなーという思いもあって。マルタン・マルジェラみたいに、袋に穴ということを、どのようにして建築で考えられるのか、それが学生時代の課題でした。

 その時に考えたのは、お家が一戸あります。そのお家に窓が一個だけ、穴が開いていて、その穴の意味が色々に変わる。そのような物が作れたら、いいんじゃないか、と思ったんです。

 それで、どういうことを考えたのかというと、 二個付いたファスナーありますよね。二個ついたファスナーをちょっと開けて、かき分けると、そこに穴が開くので、それを仮にこの住宅における、穴にしようと。

 マルタン・マルジェラそのままです。それだけだと瞳が閉じたようになってしまうので、かき分けた感じをキープするために、枠をはめて、ちっちゃい、ネジみたいな物が写っています。動かすとネジで留めてあるんです。
 そうするとどういうことが起るのかと言うと、黒い布で黒いファスナーが縫ってあるので、あまり見えない。離れた所から観ると、穴に指を掛けると穴が動く。そういうものを模型に造りました。

 この原理を応用して、袋というのは、3Dの物体で、シャツは平たくすると、 布でも、野球ボールとかは二個の平面を組み合わせる。こういう展開図の布ですが、野球ボールになる、球体に成る。縫い目一個で球体が出来ている。なので、さっきのファスナー、一個で二枚の布をはぎ合わせて、カーディガンで、お家を造ったらどうなるのか・・・というのを野球ボールを応用して考えたのが、この小屋の形です。

 野球ボールの中にはコルクの芯が入っているように、服も、僕の体が中にあるので、芯が要るので。アルミで造って、虫食いみたいな穴があります。だいたい想像がつくと思うのです。これに洋服を着せるんです、カーディガンを着せる。そうすると、さっきの、こんなグロテスクな物が出来たんです。こうすると丸いっこいお家の形が出来ました。

 ここでどういう事が起るのか窓をこうやて動かす。

 ばかばかしいことを学生の頃は大まじめに考えて作っていたわけです。課題ではなく、自分で、勝手に作っていたんです。

 そうすると何が起るのかって言うと、何が言いたかったのか・・です。例えば、建築の立面図があったときに、開口部をレイアウトし、その開口部のコンポジションで建築家の署名ですよね。立面のデザインにおける窓のコンポジションと言うのは、その作家の署名になるような、デザインの一番大事なところだと思うんです。
 窓それを建築家が作るんではなくって、住んでいる人が、こっちが襟だと言えば襟になるように、暮らしていることが大事。毎日違う立面図を描きながら直していく。そのような、ものが作れるんじゃないかなーと。当時思って、こんなものを造った。

 いろいろ名前が無い、虫の音を聞く穴とか、これは湯気を抜かす穴とか、いろいろ考えながら、穴の位置を変えていけるようになっています。嫌いな人が来たら閉じてしまう・・とか。
 家のデザインが毎日変わるような、コミュニケーションも、ここで作り出していく。そういうような事が建築でも出来るんじゃないかと。そう考えると、もしかしたら、ブルーノ・ムナ-リの写真を見たときに感じていたジレンマが乗り越えられるんじゃないかなーと想ったんです。

 建築の立面における開口部のコンポジションは建築家がデザインしたんじゃなくって、日々の生活だと言っている、けれども、できた時は相当グロテスクな、おかしなものじゃないか。しかも建築家の思いを、日々の生活の中で「窓を移動させなければ」っていう労働を生活者に課すような建築って、一体、何なわけ、って新しい疑問も芽生えて来て。なかなかムナーリ先生の写真の教えを自分の中で解消できなくって。

悩んでいる時に社会人になっちゃったんです。





















 扉プロジェクト

 2004という住宅の話をしました。同じ時期にコンペに提出したのが北海道の草原に建つ予定だった案です。コンペで勝ったんですけれど、建築の世界ではよくあることですが、その後中止になっちゃった案です。コンペ案を作る時に、学生のころから抱えている、あのジレンマをどうやって乗り越えようか・・・という挑戦を、もう一度社会に出て考える、ことになりました。

 北海道のお菓子屋さんが都会から離れた郊外に工場をもっていて、その工場の裏手に広大な草原が在るんです。そこを綺麗に手入れしていて、元のまんまの北海道の美しい原野みたいなものが、少し手入れしたような状態が続いていて。春と夏の天気のいい日に、ピクニックに来る人がたくさんいて、人気の的になている。そこに、来た人のための小さなカフェ、ティーハウスみたいなものを造ってくださいと。そういうコンペでした。

 1000通ぐらいの応募があったのかな・・・・仕事が無い若い人も提案参加できていて、僕も応募することが出来ました。張り切って応募しようと思ったんですが、案を考えている時に、一つ凄くムナーリ先生の事を思い出して。
 一つ疑問に思ったのは、もし「北海道の草原みたいな所に自分がピクニックしたらどんな事を考えるんだろう」と。例えば、お父さんだったら家族を連れてきますよね、それでピクニックシートを何処に広げようか、と考えるわけです。もしドクダミとか生えている所に敷いちゃったら、湿っているので、だんだんお尻が濡れてきちゃったりしてね。彼女や家族から怒られちゃって、素敵なピクニックがだいなしになっちゃうので。おとうさんは皆、凄く考えるわけですよ。

 ピクニックシートを、今日はどこに置けばいいのか・・・・と。素晴らしい1日が過ごせるのか・・・・ということを皆凄い考えて。ここがベストみたいな所に陣取るわけです。一人目が陣取ったところがベストだったら、二番目に来た人はその人たちからちょっと距離を置いた所に自分のベストを見つけて、あまり近すぎると、声が聞こえちゃったりするので、ちょっといい感じの距離を離れたりしながら・・・。だんだん段々、ピクニックの集合が出来ていく

 そうやって出来上がった草原の風景は素晴らしいと思うんですけれども、誰も建築の教育を受けているわけではないんですね。でもそこに、建築家の先生が考えて作ってあげましたと言う、どんな事が起るのかと言うと、そのボーイフレンドはガールフレンドのために一生懸命エントリーし場所を探していたはずのボーイフレンドじゃないですか。トイレはどこですか?建築の先生が考えた場だと、そういうことをただ聞く、聞くだけの男になっちゃうわけですね。

 そこで、カフェの居心地が悪かったら文句を言ったりとか、そういうような事が残っちゃう。そんな所にわざわざ出かけて行って、建築家がここでピクニックしなさいっていう場所をつくる。それは僕にはどうしても、想像が出来ませんでした

 どうすればいいのかなーと考えた時に、いっこそうだ!と思ったのが、天気の悪い日にピクニックに行く人はいないじゃん。雨がザーザー降っている時に、ピクニックに行く人なんていないんだから、キオスク作っても、ティーハウス作っても誰も来ないじゃん。それだったら、要綱には何て書いてあったか忘れちゃいましたけども、インテリアの中に皆がくつろげる席を作るっていうような事はやんなくっていいんじゃないかと。その代わり、そこに来た人が楽しめるように、ティーハウスの中にちっちゃなちっちゃなキッチンと、駅のホームに在るような物が飲めるようなキオスクがいいと思って。

 それから、ピクニックシートとかガーデンファニチャーとかが、収納されているのが、もう一個在って。それぐらい在れば充分なんじゃないか。でも小屋を二個建てましたでは、建築家として何か新しい事を作ったとは言えないので、そういう場所をどうやって、造ればいいのかなーと思った時に、もう一個思いついたのが、自分が北海道に初めて行った時の記憶ですね。

 北海道に初めて行った時に、どんな風に想ったのかと・・それを言うと、大きさの物差しになるのが全然風景の中に無い距離感が分からなくなる・・・いうことです。

 例えば遠くに木が一本生えていて、周りの人工物が何にも無いと、その木がどのくらい、大きさの、どのぐらいの距離に在るのか、なんだか分からないですね。しばらく近づいて行くと、思っていたよりも遠くにある、うーんと想像よりも大きい木だった、・・みたいな事が北海道では起って、そうか建築って風景の中で物差しに成る、建築が物差し、それを作ってしまうんだと。

 例えば魚釣りして、デカイ魚を釣って自慢したいときに、タバコの箱を置いたりしてますよね。そのタバコの箱をずるして、ちっちゃくミニチュアのタバコの箱を置いたら、でっかい魚を釣ったと、嘘がつけちゃう訳です。

 自然界には、タバコの箱のような建築によって大きさの物差しに成るような物が無いと、大きさという概念がそもそも無いんだ・・・という事に北海道に行った時に気付いて。タバコ悪戯をするんだったら、自分だったら、自分たちが知っている、建築のエレメントをちょっと大きく作ってあげると逆に凄い広大なー風景が、小さなお部屋みたいに見えてくるんじゃないかと想った。

 それで実際に、案の建物は上から観ると、こんな形をしていて、大きなドアが付いている。扉を開くと、こんな感じです。ドアを開くと、そこに家具だとかピクニックに来た人たちが集まって、一日限りの平面図が作られる。そういう作りになっています。二つの建物は100mぐらい離れているんです。その辺だけ押さえてあるんです。ドアを開けると、ドアを閉めると大きさがなくなる。ドアを開けると本体が増えちゃうわけです。
 インテリアは白く塗られていて、一日に一度だけ、部屋に直射日光が入ると、がーんと、そこが明るくなって、風景の中に真っ白い四角い穴がポコッと開いたように見える時間があるんです。そこによく知っているドアが付いているので、なにか空間の中に大きなが開いて、そこに扉があって二つのどこに繋がっているのか分かんない空間が繋がったドアの間に、ミニチュアのような風景があって、そこにピクニックが毎日毎日違う平面図を書き直されている

そういうような事が出来るかなーと思ったんです。






















■ 毎日書き換えられ変化し続ける、そんな平面図をもつ建築

 さっき窓を動かす話をしましたけれども、今回は建築は動かないけれども、僕らが普段一生懸命、図面を描いている平面図みたいなものが、毎日毎日そこに来た人によって書き換えられる。そういう大きな遊具を二つのドアを作ることによって、生み出したというような事がいいんじゃないか。

 そのドアの大きさというのが、皆が知っている物よりも、うーんと大きく作るんですが。それ以外、物差しに成るものが風景に中に無いんです。そんな嘘の物差しが置かれていて。実際よりも凄く小さなリビングルームみたいな所に、お部屋の中で、みんなが楽しんでいる様子が一つの風景になるというような。

 そういう提案をすることにしました。

月の石の大きさ アポロ16号映像

 もう一個、僕が大好きな映像を持ってきました。これはアポロ16号のクルーが月に行った時の・・・ナサが この映像を・・・昔ある番組で見て、凄く印象に残って。何をやっているのかと言うと、遠くに車ぐらいの大きさの岩が見えるから、探偵に行こうと飛行士が近づいて行く。30分ぐらの映像を凄い短くしているんです、どんどん近づいて行くと、宇宙飛行士が物凄くちっちゃくなって行くんですね。彼らは最初車ぐらいの大きさの岩を探査に行こうと言っているんですけれども、近づいて見たら、凄いデカイ岩。

 実際には想像よりもはるかに大きい、家ぐらいの大きさの岩でした。そういうエピソード。

 北海道に行った時に、大きさが無い話をしました。それはなぜ思ったのかと言うと、NASAの、この映像が、凄く強烈に頭の中にあったからですね。月には大気が無いので、地上で理解できる風景が無いから、なおさら大きさが分からない。ですけども、月の上では大きさを比べるための定規、そのための人工物がまったく無いので、遠くに在る岩がどのくらいの大きさの岩だか分からなくなっちゃいました。そういうエピソードです。

 この映像を観て、北海道に行くと、本当に気が付くのは、風景の中に風景の大きさを決めてしまう、凄く決定的な事は、特に建築というのは、とてもそれが大きい。で、タバコの箱を置いて見るところではなくって、置かれた物(建築)はいつまでも、そこに置かれているので、都市は、大きさの定規みたいな物で埋め尽くされてしまった場所ですね。

 実際には自然界には、私たちにとっての大きさという感覚は、存在しないはずなのに、建築家がそこに居てその風景を「これです」っていうふうに、どーんと決めてしまう。それが、建築家の仕事の重みなんだなー・・・というような事をこのエピソードと北海道を旅したときの感じで、その事がマルジェラとかブルーノとか、そういう人たちが考えていた事と何となく結びついてしまいました。その時に、北海道のプロジェクトが入ってきました。




















 こんな感じで、僕にとって、建築を考える事というのは、何か有名な建築を観に行って、smtに行くと、今日も15分ぐらい、ずーっと見て回って、そこここで起こっている出来事を観て、本当に涙ぐむくらい感動しました
 けれども、建築を観に行って、感動することから、これから建築を考えて行くというようなことも、もちろん無くはないのでけれども・・。
 例えば映画を観たり、ファッションに興味を持ったり、デザイナーが考えている哲学のようなものに、触れていくなかで、ちょっとずつ、ちょっとずつ、自分の中で、自分たちの事務所にしか出来ない建築の組み立て方・・・・どうしたら作り出せるのかということを、ずーっとずーっと考え続けているように思います。

 次は、日々の中から生まれた、ふざけたプロダクトなんです

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