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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください |
福島県の復興計画の課題 2013年3月24日 福島大学にて 01 02 03 04 |
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03 「僕が 言ったところでどうにも成らん」というわけです。これはかなり大きなハードルでした。幸か不幸か、実は今回の岩手・宮城・福島の仮設住宅の需要があまりにも多く。それぞれ1万5千戸あるいは2万戸、合わせて6万戸発注になって、これについては日本プレハブ建築協会のお手上げになっちゃったんです。 それで日本プレハブ建築協会が各県に通知をして来たのは「私たちが供給出来るのは1県1万戸、合わせて3万戸です」ということになったんです。 福島県は第一次の仮設住宅建設計画が1万4千戸でしたので「4千戸は自力でやってください」ということになった。哀しいけども私たちはその4千戸、県内の事業者に対する戸木造仮設でやると。ということにしたわけですあります。 これでは足りなくって 36:42 二次募集して。結果的に言うと1万6千強の仮設住宅の内6千戸強が木造仮設で供給することが出来ました。そんな訳で、色んなハードルがあったんですね。 もう一つついでに言っちゃうと、もう一つのハードル。実は災害、応急仮設住宅は災害救助法という厚生労働省が所管している法律の下で供給されます。これが建築行為では無いんです。要するにこの応急仮設住宅は事業者が完成品を現地に設えた段階で、代金が支払われる。現物納品であります。商品を納品するという考え方です。 ところが、皆さん想像していただくと分かると思うのですけども。建築行為というのは、ものすごい金がさが膨らみます。その間に職人さんは雇わないといけない。原材料を仕入れないと仕事になりません。それぞれの建設会社は、たいていは自分の資金繰りで、建築資材を仕入れ、途中で職人さんに支払いをして賃金を支払うと。そうやって完成に漕ぎつける。請負契約というのをやってます。 工事が始まる前に前渡金という1/3払ってから、中間支払い1/3やる。最後に1/3払う。これが建築行為として支払いの仕組みなんです。 ところがそれが通用しない。私は福島県下の大工さん、工務店さんに発注する仕組みとして これに対して、応急仮設住宅の、その仕組みが分かって。中小の建設会社はこれに応募することが出来ないんです。資金繰りが出来ないから。銀行から融資を受けようにもそれほど信用力が無い融資がない。 というようなことも、実はハードルとしては分かりました。まあそんなことがありましたけども、いずれにしても私はその後これから 木造仮設を中心に、次の段階に長期化するときの利活用を考えてまで、今研究会を継続的にやっている処です。 もう一つ福島で木造仮設が出来た。もっともっと大切な背景は何か?というと数年前から2008年から、幸い福島県の県庁と地元の大工さんと工務店と設計事務所ともう一つは地元に本店の在る金融機関。信用金庫、地元の銀行で言うと東邦銀行とか福島銀行、常陽銀行。そういう金融機関にも参加してもらって、地域循環型住まい作り協議会というのを立ち上げていました。 ドンドンドンドン大手の住宅メイカーが福島県下で住宅需要をシェアを広げている。これは地域の経済をドンドンドンドン小さくなっていく事を意味する。 だったら、私たちは福島県下で木材のいい住宅、地元の技術を使って。アフターケアーももっとする。そういう地域循環型住まい作り、お金と人と物と、情報が地域 もするそういう地域循環型の住まい作りでお金と人と物と情報がマッチング 回る仕組みを作りませんか?というので、作り上げたのがこの協議会です。 40:13 超学祭的研究機構という処ではその報告書も出来上がっています。 それと同時にもっと包括的に言うと、当時まだ生きておられた下平尾さんなんかと「経済そのものを地域循環型にしようではないか」と。そういう研究会も立ち上げ、レポート2、3,年の内に4,5本だしました。この蓄積がたぶん「福島で木造仮設を作ろう」と言うときに県庁が仕掛けたこの仕組みですので、県庁の人達はすぐ、すぽんと受け入れてもらえた。だからつくづく思いました。 普段からこういう仕組み、普段からケアをしておくことが重要なんですね。というようなことがなければ緊急時に、そんなに豊かな発想にアイディア出て来るはずが無いですから。というようなこともこれからたぶん岩手でもそうですけれども、宮古市。宮古市猛烈に早いスピードで色んな仮設だとか出来た。とうもの宮古市ならではの仕組みがあると、ヒヤリングしてみると分かります。 そういうことが段々段々見てきます、これはいずれまた、まとまって報告したいと思いますけども。これが福島県で出来上がった木造仮設であります 僕は直接行ったのはこのいわき 一連のもの増やしたんですけど、そのときに、 この近くに、複数隣接地にプレハブ仮設が在って先ほどのような質問を受けてちょとショックを受けて。 これもそうですね。いわきで。これはログハウス。南会津の方のログハウスの供給する集団があって彼らが取り組みをしているという、ログハウスの仮設住宅。 これはもう皆さん地元の方々でお分かりかと思いますけども。最初に発せられらのがこの計画区域20キロ圏。それと放射線量の高い計画的避難区域。こういうエリアが放射線た高い所で避難を強いられた所であります。 その後政府が2011年の12月の18日だったと思います。16日が野田首相が収束宣言。18日に細野大臣とか、当時の大臣が来て、この双葉地域を中心に あるいはこの計画的避難区域に、現実の放射線量マップを示して 新たな区域設定をしますと。帰還困難区域だとか居住制限区域だとか。なんとか、なんたらかんたら 3つの区域に区域設定をしますと。 というようなことがでて来て、この間に若干の時間差をみて次の避難区域の設定をしているのであります。 浪江町は最初に3月15日 午後ここであります。それで3月15日の午後になって、彼らは、この時もですね放射線量の区域がどうなっているか?町民の人達は全く分からない。町外避難という情報を知らない。もちろん幹線道路、114号線、 郊外脱出してますけど、こちらに逃げていくことになります。 県道とかそういうのは こちらに在って。こちらに避難した人も居ますけどもごく少数でした。多くの人達は、この路を辿ってますね。 それで、この間ずーっと浪江町の方、新しい放射線マップに基づいて、この4月から適応をしようとしているのが、大半はこの帰還困難区域ですよ 46:13それから居住制限区域。それからここの処は集中的に入って除線活動をすれば帰宅できますよ、帰還できますよと、避難指示解除準備区域。正直に言うと、ここ福島よりも放射線量は少ない所です。 そういうエリアもこの浪江地区にも在ります。 それで、私がずーっとチェルノブイリの情報を知ってたので、私はチェルノブイリ観て。ここに書いてありますが1991年にチェルノブイリ法という法律が出来て、それはですね、年間1mSvを越える被曝量の所、だいた5mSvめあすだったと思いますけど。そこのエリアの人達は、そこいとどまることも、避難をすることも、そこに生活している人達の家族の意思、決定を尊重しするんだという骨子の法律ができました。 しかし、そこにとどまることも、避難する場合いでも、どちらの場合いでも、基本的に住まいの確保、健康の維持・管理、食品安全、安全な食品の提供、もう一つ重要なのは仕事の確保。これはどちらに避難したと決めたとしても政府がそれを保障する。ということを決めたのもです。 福島県は、こういう法律こそ、全国に散らばってしまったので。こういう法律こそ、今必要ではないか、と思って居た処。、昨年の6月、これをモデルにした原発事故子ども被災者支援法という法律が出来た。それを今日はお見せしませんけども、そういう法律が成立したんですね。 しかし法律は成立したけども、今でも実行力はありません。まったく実行力ありません。なぜか?いうとですね。ここの処に、実は第五条、基本方針を定めると書いてある。そこでは支援区域をどのエリアにするのか?支援配備はどうするか?支援者はだれか?ということを基本方針に定めないと法律運用できません。これは復興庁がこの中身を決定し閣議で決定すると直ぐ、動き出しますね。 しかし、民主党政権ではこれが決められなかった。今政権が換わっちゃったからほとんどこれを決めようという動きになってないんです。なぜ、市町村や県やあるいは我々住民を含めてですけれども、政府にこの法律を具体化するように、もっともっとプレッシャーを掛けないのか?私はこの運用が本当に重要だと思って居るんですけども、その点がちょっと弱いな−と思ってます。 復興計画なんですけども あまり多く喋る必要ないかも知れませんけども。福島県 で8月11日にビジョンをつくり12月の28日が復興計画を第一次として作りました。まだまだ復興計画は過程にありますので、第一次としたのはそういう訳です。この間にですね、2011年の10月の20日。今でも忘れませんけども、この復興ビジョンを出した後に、福島県議会が全会派一致で福島県下の10の原発の廃炉を決議しています。それまで原発を推進してきた、政党を含めて。全会派が10月20日には10機の原発を廃炉にする。廃炉を要求していく、ということを決めたのがこの10月20日の時点です。 下に書いてありますけども、これは10月20日議会が決定しました。それで私がこのときに、福島県の復興事案のテーマは大きく言うとう2っ。かつ私が必死になってもがいて実現したテーマの内、重要なのは2つだと思ってます。基本理念3つあってそのうちの冒頭に書いたのはこれです。原子力に依存しない、持続可能な社会づくりをめざす。これが基本理念の3つの内の一つで、あります。これは福島県がようやくここに辿り着いたという。10人の委員の方がおりましたけども、中には経済界の代表の人もおられて 51:01 その04へ |
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