聞き取り 村上亜沙美さんに聞く 2024年10月22日 | 作成:佐藤敏宏 | |
佐藤:お忙しいところ、お付き合いいただきありがとうございます。画面は見えてますか。 村上:見えてます。カラフルでいいですね。 佐藤:冷えてきたので羽織ました。 村上:元気がでるね。 お元気ですか。 佐藤:元気です。初めに写真撮ってしまいますね。 村上:私も撮りたい。・・お互い撮り合う・・・ 佐藤:今年の6月16日に、辻さんの両親の話を聞いて記録しました。 村上:そうですね。 佐藤:辻琢磨入門は情報が多いので、時間かかっています。まだ完成していません。今日は、2021年4月19日、送っていただきました『街角製本所』『季刊・みかわや』などの資料。それに2022年10月7日に浜松市を訪ね「みかわや|コトバ」を体験しながら、街角製本所と、みかわやに集う人々などをお聞きし交流することができました。私の知らない世界を浜松市で体験させていただき、ありがとうございました。 村上亜沙美さんに関することは辻琢磨さんからは語られないです。そこで、今日はあれこれ御聞かせください。何から話しを始めたらいいのか、戸惑います。村上さんが本を作りだした切っ掛けや動機から語っていただけますか。はじめに製本に関わった切っ掛けはどのようなものでしたか。 |
村上さんが浜松市で作ってた本 2022年10月7日 辻ご夫妻の家で |
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■本が大好きになった場所 村上:切っ掛けは、佐藤さんは栃木の感じは分かると思うのですけれど、私は栃木の田舎で育ちました。さくら市、もとは喜連川町でした。那須や矢板のほうです。 佐藤:福島県に近い、栃木県北よりの町ですね。 村上:はい、福島県白河市にはよく行ってました。 佐藤:烏山には、行ったことあります。 村上:その隣の町です。 佐藤:烏山に行って那珂川に仕掛けた簗でアユを焼いて食べる。簗が有名な町ですね。 村上:まわりに同級生がそんなにいなくって。同年代の子供が少なく、女の子5人で、男の子は9人でした。 佐藤:小学校の同級生が14人だった、と。 村上:その内の7人が村上なんです。 佐藤:村上、多すぎるんで、お互いは屋号とか地名で呼び合うんですか。 村上:そうです。本家の村上とか、どこどこの村上とか、姓の頭に付いています。どこどこの村上さんという呼びかたしてました。 佐藤:3・11直後に、港町づくり支援しはじめた唐桑町の鮪立(しびだち)湊は、鈴木姓ばかりでした。でお互いは屋号で呼び合ってました。でどうして、鈴木が多いのか聞きましたら、志摩半島からカツオを追って宮城県の唐桑半島に住みついたそうです。リアス式地形が同じ、似ている。で、定着したんだとのことでした。(活動記録へ) 元・喜連川町に村上姓が多いのは歴史てきにはどんな物語があったですか。追われてきたとか。村上水軍の末裔ではないですよね。 村上:それは違うと言ってました。人が少ない地域で生まれ育ちました。本を読んだら友達みたいになって、いろんな人の話聞きたくなって。 |
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■小学校入学し図書室で本に出会う 佐藤:図書館の本でしたか。 村上:小学校の図書室の本です。 佐藤:小学校にある図書室の本に触れたと。片っ端から読んむ女の子だったんだ。 村上:かたっぱしから読んでました。 佐藤:琢磨さんは子供の時、本あまり読まず、運動三昧だったそうです。嗜好の違う旦那さんと一緒になりましたね(笑)。 村上:そうですね。最初に、すごいはまったのが世界の偉人シリーズでした。そこで初めて本で、感動して泣いたのを覚えてます。 佐藤:子供を泣かせる、作家の腕がすごいね。偉人は誰でしたか?エジソンですか。 村上:エジソンとかキュリー夫人とか、一番最初に泣いた偉人伝はガリレオ・ガリレイです。 佐藤:それでも地球は周っている、そこで涙する小学生、いいじゃないですか。 村上:小学一年生。その一言でわっと泣いちゃって。こんなに立派な人たちが居るんだなと。 佐藤:ガリレオが観察して発見したことを命がけで語り続けた人ですからね(ジャーナリストの始祖とも言われているかもしれない)、それで、片っ端から偉人伝を読み尽くしたと。 |
ChatGPTに聞いてみた 小学校の図書室 |
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村上:図書室の本を読み尽くしました。 佐藤:それは凄いですね。何か定期購読していたとか、愛読書、本もありましたか。 村上:購読はないですね。とりあえず、片っ端から読んでました。家には本が無かったのです。絵本も無くっ、図書館に行って本を借りてくる。 佐藤:町に図書館があるのはいいよね。それで本好きになったんだ。 (2024年まで、聞き取りした人のなかで、図書館の本読みつくし、リクエストをしていた者は、芸大の先生になった森純平さん一人だった。村上さんは二人目) 村上:そうですね。 佐藤:本は作者と対話しているようなものです。作者の話を聞いて、泣いたりうなづいたりしているようなものだ。 村上:そうですね。読むときにひっかかる言葉が違う。毎回毎回違う言葉にひっかかる。自分が欲しい言葉は毎回違うから。そういうのは面白いなと思って読んでました。女の子は5人だけど、図書館で本を読んでいるのは私しか居なかった。 佐藤:家族のなかでは、誰が本好きだったんですか。 村上:誰も読んでなかったです。家に本というものが無かったんです。 佐藤:家業はなんでしたか。 村上:農業です。 佐藤:農業なら『家の光』とか、農業関連本は。 村上:『家の光』はありました。 佐藤:その他にも野菜づくりの本、あるいは農事暦てきな本はありそうですが。 村上:あったけど、本を読んで勉強するのはなかった。 佐藤:本を読むのは、怠け者だから、本読んだり勉強するのはいけません、と言われましたか。 村上:本当にそういう感じだった。中・高もそういう感じだったんです。 佐藤:高校にはいっても本を読む生徒はいなかったですか。中学校にはいると小学校とは別の図書室があるわけでしょう。 村上:そうです。中学生の時は町の図書館に行って借りて読んで。高校生になったら、高校の図書館に行ったら、凄いいい図書館でした。進学校だったんです。勉強ばかりしててみんな図書館使わないんです。図書館の司書のような先生が「予算が余っていて、欲しい本のリクエストがないから、村上さん好きな本を買って」。 佐藤:やりましたね!それはいいね。司書の先生と仲良しになっていたんだ。 村上:私は休み時間に図書室に行って、その司書の人と本の話をしたり。買ってもらった本は当時の芥川賞受賞作品とか。 佐藤:芥川受賞作品読むのが楽しいけど、難しいのでは。 村上:読めました。その他はおしゃれにも目覚めていて『流行通信』とか『装苑』とか、購読していた。雑誌のデザインが格好良くって。 佐藤:ファッション雑誌ふくめて月刊誌は写真が綺麗だよね。 村上:雑誌も楽しいし、小説も楽しいし。 佐藤:では、自分でも小説を書いていましたか。 村上:書いてないです。 佐藤:高校卒業するまで、読書三昧の女学生だった。 村上:高校になって先生に進路はどうするんだ、と言われて。美大に行きたいです、と言ったら。栃木の田舎から美大に行った人はいない、と言われて。 佐藤:栃木の田舎の学生は美術など考えてはイカンということなのかな。 村上:そもそも予備校に通わないと。美大には行けないんだぞ、と言われて。 佐藤:デッサンせよ、という意味かな。 |
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■大学はイギリスへ渡って入学 村上:そう、で、私は人混みが得意じゃなくって、電車に乗るのが苦手だった。バイクで通学していたんです。美大に通うのは電車に乗って宇都宮の予備校に通わないといけない、と言われて。それは無理だな、と思った。日本の美大に行くには予備校に行かないといけないから、予備校には通学できそうにない。海外の美大だったら行けるんじゃないかと思って。 佐藤:海外に視点を向けた、いいね。日本の大学を経ず、いきなり海外の大学に行ったと。 村上:そう、その前、高校生の時にアルバイトしてはいけない高校だったんですけど、アルバイトでお金を貯めて一年に一回ぐらい、海外に行っていたです。 佐藤:(笑)それも凄いしいいよ、校則も飛び越えて積極的に生きていたんだね。 村上:アメリカに行って。 佐藤:西欧じゃないんだ! 村上:次にオーストラリアに行って。その後にイギリスに行ってイギリスで勉強したいな、と思った。 佐藤:ガリレオはアメリカじゃない。イタリアでしょう、けど外国に出かけたと。 村上:日本の大学へ行ってないと、海外の大学に行けないみたいな感じになっているから。とりあえず、高校卒業して東京の語学の学校に行ってIELTSと言ってイギリスのトーフルみたいなやつ。 佐藤:英語の資格テストがあり、それを受けたと。 村上:そこで点数を取って、イギリスに行って。それでもまだ普通のイギリス人と同じレベルになっていない。 イギリスは大学は4年間じゃなくって、3年なんです。日本で言う1年生の基礎教養みたいな履修が無いんです。その1年をファウンデーションと言って、大学進学準備のためのポートフォリオとかアートのベーシックな基礎教養、みたいな内容を勉強するコースがあった。で、それをケンブリッジにあるファウンデーションコースで、勉強して、その間にポートフォリオを作って、それを持って行きたい大学に持ち歩くんです。 私はグラフィック・デザインとかではなく、本作りたいと思っていたので、本の勉強をしたいと思っていた。で、当時イギリスに一校だけ本のブックデザインや製本について学べる学科があった、ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーションへ。今は時代の波に押されて学科自体がなくなった。 佐藤:村上さんの行動は明快で驚きますね。栃木の田舎では驚かれるね。 村上:ギリスに居る時に、たまに日本に帰国すると、野良仕事をしているおばあちゃんに、「亜沙美ちゃんNASAから帰ってきたのかい・・」(笑) 佐藤:なかなかいい混乱です。3年間で製本を学んでしまうんですか。 村上:印刷とデザインと写真とイラストレーションと、本に関わる全部のことを勉強するんです。写真は一番最初、ピンホールカメラを作るところから始まって、自分で撮るんです。次にそれを現像までするんです。現像した自分の写真を見てがっかりして。 佐藤:憧れの写真家はいたんですか。 村上:思いの写真家はいなかった。 佐藤:がっかりしたとは、手製のカメラで写っているからいいじゃないか、と思うけど。 村上:写ってた。 佐藤:世界の最初の写真って見たことあるでしょう。写真家が自分の家2階の部屋から撮影した、屋根と外壁ですよ、知らないですか。 村上:知らない。私ベンチの側面でした。 佐藤:ベンチの側面、いいじゃん。ピンホール・カメラセットして写した最初の村上作品はベンチだった。 村上:そうです。 佐藤:いいじゃないですか。 村上:公園の真ん中で現像して。がっかりして、なんでこんなにダサい写真しか撮れないんだと。 佐藤:そこをダサいと思うのは違うな。最初の写真ってそういうものでしょう。世界の初写真は、自室から撮影した屋根と壁だよ。 村上:後で調べよう。 佐藤:『写真の歴史─不滅のパイオニアたち』という本があります。資料持っているけど写真家の名前忘れてしまいました。(カメラオブスキュラを通してJ.N ニエプス1827年夏・撮影)辻さんがPC検索しております。 村上:本当だ。でも自分の最初の作品、すごいがっかりしました。そのことは凄い覚えてます。 佐藤:がっかりせず写ったと喜べばいいのに(笑)。自分が考えていた写真のイメージと撮った写真が違うぞと。 村上:森山大道みたいなの撮りたかった。 佐藤:いきなりレベル上げちゃいましたね(笑) 村上:でも、私はベンチの側面で、何を撮ったのか分からなくって。 佐藤:my設計の2番目の福島市内建築の1階がギャラリーで、森山大道さんの写真展を(1988年3月12〜21日)ひらいた。その時、観に行って、オーナーと森山さんと仲間たちと呑んだことあります。森山さんの写真は人間が人形、物みたいで、人形が生きているみたいに撮るんの変ですね。そう言ったら喜んでいたいよ。写真集も持ってますよ(笑)、はがきも、もらった(笑)村上さんは森山大道さんの写真が好きなんだ。もうちょっとレベル上げるとベンチの側面を撮ってもいい絵になったかな、リアリズムの写真になったかも。 村上:ちょっと、それを目指したんだけど、本当にダメでした。暗室作業とかも時間をきちっと測って欲しいものにする、みたいなのが・・・。 佐藤:化学反応だからね、ぼんやりしていると真っ白けかな。 村上:そういうの受け付けないなと。自分には向いてない、向いている、みたいなを3年間で学びました。 佐藤:村上さんのような行動をする日本女性がいた、というのが凄いね。 村上:そんなことないです。 佐藤:いやいや、村上さんのような行動をしていた日本人女性、居るとは聞いたことない。高校生時分から自力で海外へ行き人生に必要なものを学び取り、日本に戻る、聞いたことないです。明治維新当時に渡米し学んだのは金持ち士族の娘たちでした。アルバイトして日本脱出した学んだ、とは。 村上:最初、私もちゃんと考えたんですよ。ない頭絞って考えた。 佐藤:何を考えていたの。 村上:どうやったら本を作れる人になれるだろうか、と。本を作るって漠然としているじゃないですか。15,6才ぐらいの者ってぼんやりしてて、編集なのか、デザインなのか、イラストレーターなのか、いろいろ分からない。本づくりも細分化されているから・・。 佐藤:分業社会を分かる15,6才はいないでしょうね。製本工程もわかってないでしょうし。本の中身ではなくって、本自体の制作過程のことね。 村上:ちゃんとした中身があっての外身だから、それらを勉強したかったんです。 佐藤:中身と見た目が一体になる、共振した本てのは興味深い発言ですね。 村上:そうですよね。 佐藤:今、読者でそういう事を言う人はいない。安い、とかキンドルで単に読むための本だから。それでイギリスに渡って、どうなったんですか。 |
佐藤が所有している森山本 左上の写真集は 森山さん初写真集(希本) 森山さんと交流した写真展 |
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■イギリスに渡り本づくりを学ぶ 村上:大学時代はいろんな人たちに恵まれて。 佐藤:ケンブリッジの大学に入ったら西欧人だけ、じゃないんですか。 村上:アジア人もたくさんいました。2年目にロンドンの大学に入った時には、私以外はイギリス人でした。あとはEU圏内人たち。イタリア人とか。 面白かったのは前の席に座っていた人が老人だったので先生だと思った。振り返って握手を求められました、「同級生だから」、と言われて。その老人は定年退職して、もう一度本づくり勉強したい、と言って前の席にいた。 佐藤:なるほど、社会人後に学生っていいね。 村上:けっこう年上の人も多かったです。 佐藤:クラスは何人だったんですか。 村上:小学校と同じ人数だったんです。 佐藤:14人ですか。少人数で、学生同士の年齢差も大きいし、環境はいいね。 村上:私、一人だけが日本人、他は海外のひとでした。みんな、大丈夫か・・・みたいな声かけあって。 佐藤:生活ちゃんとしているか、と聞かれるんだね。 村上:それもあるし、発表。講評の時に言葉が違うんですよね。プレゼンの仕方が皆さん上手くって。 佐藤:西欧人は子供の時から自己主張の練習積んでいる人たちだからね。 村上:本当にそうです。私はそれをできる語学もないし、それを真似たところで嘘っぽういこともあって、それが滲み出てたら、みんなが私の作品について(笑) 佐藤:ワイワイやってくれた(笑)それはいいね。1年目は基礎を勉強する、と。 村上:まんべんなく学びます。 村上さんが主宰する街角製本教室の様子 右:村上さん 『街角製本教室』より ■イギリス2年目 佐藤:2年目は。 村上:2年目も似たような感じだけど、もうちょっとレベルを上げた感じです。1年目は中身が真っ白のノートを一杯作って、いろんな製本とか印刷とか勉強しながらやる。 二年目は中身を作る。作品の作り方。お題をだされて、お題に沿った作品を作る。例えば飛び出す絵本とか。飛び出す絵本をどんなふうに解釈してもいい、と言われて、普通の飛び出す絵本だと子供じみてて、嫌だ、と思って。本と本の間を入れる。動かすと本棚になる本を作ったんです。空間が生まれる本。本の間に本を埋める。 佐藤:そういう「本」を考える人がいないでしょうから、凄いね。 村上:皆に「作って」、て言われたから作ってあげた。 佐藤:いい交流だね。本で本棚を作る、面白いですね、リクエスト来ますね。材料は制限あったり支給されたりするんですか。 村上:材料は、私が行った大学は、昔はロンドン・カレッジ・オブ・プリンティング、印刷の学校だったので2階にものすごく大きい印刷機と紙のストックルームがあったんです。ストックルームは無人だと、いろいろな生徒が出入りして、紙を取って行ってしまうので、門番のおじいちゃんが居て、そのおじいちゃんに「この本を作ります、このぐらいの紙をこのぐらいの量ほしいです」、と言うと。「それだとあげすぎだ」、とか、「そんなに紙を無駄にしたくない」、とか言われて追い返される(笑) その人に一言いうと紙をもらえたりします。 佐藤:世代の違う人たちが一緒に教育している感じは、工房ふうでいいですね。 村上:その人は学生運動をイギリスでやっていて、学生運動してるぐらいだったら、大学に来て手伝いやれ、と言われて、ここにずっと居る、と言ってました。 街角製本展のようす(街角製本展より) |
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■イギリス3年目 佐藤:3年生になるとどうなっていくんですか。 村上:3年生になると論文と作品づくりをするんです。 佐藤:論文も、もちろん英文で書くんですよね。 村上:そうなんですよ。 佐藤:英文で論文は大変だね。英語で本を読んできてませんものね。今のようにDEEPLはないしね。いまだとweb自動翻訳使えそうだけど、昔はない。 村上:そうなんです。チェツクしてくれる人も一人付いて、英語の使い方とか書き方とか、論文の書き方は特殊なので、教えてくれる人が居たりして。先生が一人テーマに沿って付くんです。私のテーマがマラルメ、ってわかりますか。 佐藤:呑み友達でフランス語の福大先生。レーモン・ルーセル本をだしていた同世代のひとだけど、マラルメも聞いたことある、フランス人だよね。 村上:フランスの詩人。ステファヌ・マラルメと造形詩について書きました。授業でマラルメの作品みたときに雷に打たれたぐらいの衝撃でした。それで、マラルメをやりますと言って、マラルメと本のデザイン。特に詩をどういうふうに本の中で表現するか、格闘する。 佐藤:フランス語ですよね。読めないですよね。 村上:そう。そうなんですけど、それをやったんです。そしたら担当の先生が、ここはイギリスだぞ、と言って。 佐藤:(笑)それは言われるね。 村上:イギリスで、フランスのマラルメの詩をテーマにするというのは好きにやれ、みたいな感じで、好きにやらせてもらった。 佐藤:イギリス詩人の作品にかえろとは言わないんだ。 村上:ウイリアム・ブレイクに変えろとか。 佐藤:言われそうだよね。村上さんしか経験できないことを10代からやり続けていましたね。 村上:そうですかね。 佐藤:それで、3年間で卒業しちゃうんでしょう。職は斡旋してくれない大学でしょう。 村上:しないですね。基本的に就職をするみたいな焦りは日本ほど無かったです。みんなどうにかなるでしょう、みたいな感じでした。自分でデザインの事務所構えるとか。あとは出版社に夏の間インターンして、そこに入るとか。製本所に入るとか。同級生はそういうことをやってました。 |
マラルメについて ウイリアム・ブレイク |
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■帰国した理由 佐藤:村上さんは卒業されて何を始めましたか。 村上:卒業した時には日本に帰ろう、と思って。日本語で本を組みたいな、と思いまして。 佐藤:日本語の良さが分かったということですね。 村上:わかったんですよ。日本語の魅力は縦でも横でも組める。 佐藤:漢字もひらがなもあるし。 村上:あとは紙の材料が圧倒的にすごく多いので、選択肢がすごくある。 佐藤:スタート時は選択肢少ない方が容易では、そうじゃないんですか。楽しみが増えるんですか。 村上:もの足りなくなってしまった。 佐藤:イギリスでは物足りなくなったんだ。 村上:だからこそデザインという観方でどんんどん発展していったんだなと思った。 佐藤:そのことを3年間で分かったんだ。革貼の本も作ったりしたですか。 村上:やりました。普通に革貼にして、と言えば表紙はがして革貼にできる。 もう一つは階級が、本の階級。階級社会があるので。 夏の間、街角に在った製本所でバイトしていたんです。そうするとお金持ちの人が持ってくる本と、お金が無い学生が修理して、簡単に綴じて大学に納品する論文みたいな製本、学生が持てる本と、お金持ちしか持てない本と差があって。 日本は本屋さんに売られている本は一つじゃないですか。それも、その時はもやもやしていたんだと思います。もうちょっとこんなに広がっていなくてもいいかもしれない、と思ったのかもしれない。 佐藤:貧しい人のための本づくりに傾いてしまったわけですか。 村上:いや、学生だったし、物価が高かったし、本を買うとしたら中古の本屋さんか、美術館に行っても2種類あって、ハードパックとペーパーパックがあって。ペーパーパックしか買えないんです。でも綺麗な本がほしいな、と。 佐藤:本を集めることが趣味ではないんでしょう。 村上:趣味じゃない。 佐藤:本を作ることですよね。 村上:手元に置いておきたい本は買ってしまいます。 佐藤:イギリスから日本に戻って来てしまったと。働く場所がないのでは。 村上:そうなんですよ。 佐藤:実家に戻ったんですか。 |
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■ブック・デザイン会社で働く 村上製本も始める 村上:東京に行って私も就活というやつをし、ブックデザインの会社で働くんだと思って、就活してみたんです。 HPなどで見るとみんな3年以上の実務経験者ばかりでした。実務経験はどこで積めばいいんだろう、と思った。そうは書いてあるけれど、ここで作っている本、装丁素敵だなと思った所に応募して、面接したら採ってくれたんです。 佐藤:個人事務所ですか。 村上:そうです。 佐藤:そうですか、どんな本を作っている事務所でしたか。 村上:いろんな本を作ってました、実用書から小説からなんでも、すごいたくさん仕事されてました。 佐藤:本の装丁やデザイン料というのは決まりがあるんですか。 村上:出版社からお願いされた場合はある程度決まっていました。けど今やっている仕事、村上製本で請け負うような仕事は、個人の人が多いので決まってないです。 佐藤:村上製本は結婚され、浜松市に転居してから始めたんではないんですか。 村上:村上製本は結婚する前から東京に居るときから村上製本。 佐藤:独立、あっという間にしてしまったんですか。 村上:4年半ぐらい東京の事務所で働いて独立しました。 佐藤:短期間で仕事できるんだね。 村上:できてないかもしれない。 佐藤:それを生業にしつつ暮らしてきているので、いい生き方ではないですか。 村上:でも、マスで東京の事務所で働いていたときは、たくさんの本屋さんに並ぶような本もやっていたです。ボスの仕事観てたら、とにかくたくさんゲラを読んで、たくさん装丁して。でも私は1冊から本を作れる。ボスのような仕事の仕方をみながら、どっちも出来たらいいな、と思って。本を自分で綴じて、製本所にお願いしなくっても作れる。印刷して本を綴じて1冊だけできる。普通の本は300部ミニマムだったりする。 佐藤:本づくりが本当に好きなんだね。お金儲けのために数をこなすのが目的ではないんだね。本づくりが楽しいのはわかりますね。東京の村上製本はどこで始めたんですか。 村上:東京時代の村上製本は住んでいた部屋でやっていました。デザイン事務所は神保町にありました。 佐藤:神保町は本屋さんだらけです。ああいう場だと本を修理してくれと言ってくる人もいますか。 村上:そこは普通の本のデザイン事務所なので。村上製本では知り合いのアーティストがちょつとだけ、小部数の作品集をつくりたいから、お願いします、と言われるとデザインして。時には製本までしてしまう。 佐藤:事務所に勤めながら、そういう仕事もしていたということですね。 村上:はい。最終的には会社を辞めて自分で始めた。 |
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■結婚する 佐藤:自分で始めてから、何年目で結婚されたんですか。 辻:2018年の6月に結婚。 佐藤:村上さんと辻さんが出会う場所がどこだか、想像できないです。変わったやつに出会ってしまいましたね。 村上:そうですね。 佐藤:そのご縁で、俺にいろいろ聞かれてもしまうし・・・。 村上:佐藤さんもだいぶ変わってます。佐藤さんが一番変わっている感じです。 佐藤:そこは自分で分からない。他者と比べたりして生きてないから、分からないです。前世紀は設計請け負ってましたが、今世紀に入ってからは人の話を聞いてweb記録を作る、公開することが好きになってしまっただけだから。webが好きになってから、建築設計を請負わなくなって、そうして活動し、我が家においても建築家卵などを講師に「建築あそび」を開催してましたし、2007年家人の病状が悪化してしまい、家で開催できなくなり各地に出かけ、泊まりあるき(住体験)ながら、いろんな人の話を聞き取りしweb記録もしています。人の話は面白いですね。 村上:どういうところが面白いんですか。 佐藤:対話って呼吸そのものですよね。息を吸ったり吐いたりしているだけなんだけど、人間にとって、それが意味になって、文字に直すと紙に定着できる。そうすうると再び感情が立ち上がる。それは文字の起こし方によって意味が違ってしまう、変わるんです。それが面白いですね。 それから、俺が呼びかけないと呼吸を発しない。それもこれも面白いね。人生で一番面白いのは人間と人間の語り合いなんじゃないでしょうか。そう思いますけど。 村上:なるほど。 佐藤:俺自身は、辻さんと同業者というのは違うかもしれないけど、若い同じようなことを生業にしている、次の世代の若い人たちがどのように、乱世・移行期のなか建築家になっていくのか、そんな者にならなくてもいいですけど・・。それを生な息づかいから、文字にして二次体験をさせてもらう、というか。俺の人生は既に終わってしまっているので、自分の人生を体験しなくてもいい。そういう活動をすることによって社会の動きというか変化が分かったような気になれる。 我が子、3人は誰も建築の道にはいらなかった。で、若い建築朋もつくってしまうおう。みな自由に生きて積極的に社会を面白くするのは難しいかもしれないけど、村上さんのように、子供のころから自由を手に入れ生きてきて、大人になっている人は、尊敬しちゃいますし、そうあるべきだと思います。 村上:その代わりいろいろ欠けている部分がたくさんある。 佐藤:満たされている人間は存在しないですよ。まずは自由に好きに生き続ける、それができるかどうかでしょう。好きな事がないときは、動物のように生きていい。満たされた人間性を望んで生活する方がおかしいですよ。 my子供を自由に育てたので、子供は困ったと思いますね。まず義務教育の先生がたと合わない、それが多すぎましたから。よく言われましたね、あんたが言っていることと社会の人は違うから、やり難いと。親と社会が違うと子供は外交が身につく。子供は小さいときは先生とも合わずに自由にやっていたけど、だんだん大人になって大学に入ると窮屈そうでしたね。だから集まっては語り合い(家族会議)ました。それが面白かった。問題が起きるので家族会議もたびたび開いてました。大学に合わせなければいけないからね。そうすると私に、何やってるんだ、そんなことやめてしまえと直ぐ言われるからね、先生に合わせるな!と言っていたからね。好きにやれと、こどもたちは困ったでしょうね。 村上;いいお父さんですけどね。 佐藤:ばかやろう、大学の先生のいうことなんて聞いてるんじゃねーよ、と言ってるからね。そんなこと言っても、大学にいるから評価されるのはこっちなんだからダメなんだと、親子で揉めてましたよ。博士課程にはいてからのほうがワイワイやり合いましたね、ロボット化した人間になてほしくないので、先生に侵されるのは阻止しますよ、親なら・・。子供の時はあまりワイワイしませんでしたね。母親と父親が違う考え言ってては混乱するので子供は困るでしょうから、何も言いませんでした。 ちょと逆質問になってずれてしまいましたね。 |
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■街角製本所 子供のこと 佐藤:村上さんはなぜ街角製本所を始めたのか、そこからずれてしまいましたね。本が好きで本づくりに入ってしまった。現在も浜松市で街角製本所を村上製本が主宰し生き続けている、これ以上の幸せはないですよね。子供も生まれましたね。 子供を妊娠した時に考えたことはありますか。変な質問ですけれど、20歳になったときに今の質問を娘にしたことがあります。20歳になったので誰と結婚して子供、産んでいいんだぞ、と言った。「やりたいことあるから結婚も子供も産まない」と言われました。いまだに結婚しません。女の人にとっては仕事を持つことは、日本ではそうとうハードルが高いと感じます。女性の人がやりたいことが出来なくなるのが日本社会なんだと、教えられました。で、西欧に行けと勧めました。西欧暮らしを10数年見続けているけど力がないと生きられない西欧です。でも、娘には合う。いい環境でした。 女性が日本で自由に生ききられなくなる第一歩が、結婚や出産だと思いますので変な質問をしました。 村上:まだその渦中にいる感じはしますよ。 佐藤:息子さんが中学生、そこまでは可愛がって育てないとしょうがないでしょう。 村上:そうなんだ。 佐藤:そのごろまで可愛がってそだてないと、後々安定した自己に育たないですよね。 村上:なんだろうな・・。自分が子供をもつと、ずっと思っていなかったので、息子ができたから可愛いし育てますけど。全然チャンネルは違いますよね。 家にいるときと、「みかわや」で作業しているときと違うんです。話が落ち着かないかもしれないけど、ここから「みかわや」まで行くのに1時間弱かかるんです。遠いといえば遠いんですけど、その1時間弱で頭の中が切り替わるんです。その時間がけっこう大事。で変わっていくのを観察してる感じも凄い大事。それらが気持ちいいかな。 佐藤:旦那さんが子育て手伝ってくれているから助かると思うけど、子育ては大変ですよね。村上さんの家族は役割分担しているのか、俺なにも理解してないですけど。母親にしかできないこともありますから。 村上:その時期はなくなったと思う。 佐藤:ふたりで、子供にむかってガンガンワイワイ言ってしまうと、どうしたらいいのか分からなくなるよね。「みかわや」に行く時間が今は大切であると。 村上:結構大事です。 佐藤:予想外の発言を聞いてしまった感じです。家を出るだけでは切り替わらないんだと。 村上:切り変わらないですよね。本当に違うんだなというのは、妊娠出産から思っていたんだけど、妊娠したときも結構しんどくって。自分の中が変わっていく感じがしんどかった。 佐藤:つわりも酷かったんですか。 村上:つわりも酷かったですけど、何かすごい。 佐藤:異物と言ってはなんですけどね。 村上:そういう本をめちゃくちゃ読みましたよ。上野千鶴子も読んだけど(笑)いろんな本をその時もたくさん読んでましたね。自分の中がどんどん入れ替わっている感じがすごいして。 佐藤:昔の上野本たくさんもってます(笑)女性の方は体内で他者というか、人が育っていくからね、一人の時とは違うでしょう。これは大変です男には分からない、心身感覚ですね。自分の体内に他者が実際に生きている、想像できない。 村上:頭の中がぼんやりして、今までいろんなことが考えられていたし、全然違うことをつなげて考える、妄想みたいなのが楽しかった。麻痺したみたいに頭がぼんやりしているのがつらかったです。 佐藤:栄養素がとられちゃっているからですかね。 村上:そうなんですかね。 佐藤:医者じゃないからわからないけど、身を削って養分与えて育てているようなイメージですが。一人で食べて二人分の栄養を分け合っているわけですからね。 50分近く経ちました。時間は大丈夫でしょうか。続けていていいんですか。 辻:そうですね。ぼくが保育園に行きましょうかね。 佐藤:じゃ保育園から戻るまで話し合っていていいかな。 辻:よければ。 佐藤:それでいいです。 辻:じゃ続けてください。 |
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■みかわやのなかの村上製本 佐藤:俺が聞きたいのは「みかわや」の活動の話も、本を作っている話も、です。 「みかわや」さんってシャッター通りの角ですね。イギリスにシャッター通りがあるかどうか知らないですけど、ありましたか。 村上:真ん中の辺りはなかったかな。初めていった「みかわや」はシャッターがおりていて寂れていた場所だったけどイギリスにいるときに見た、街角にあった製本所にかぶったというか。 佐藤:そうなんだ。 村上:街角に、イギリスの話は20年ぐらい前の話だから、今のことは分からないんです。私が大学で行っていたときは、街角に一戸、小さい製本所があって、その製本所に居ると、近所の人が本を持ってきて、これハードカバーにして、とか。壊れちゃったから直して、とか。そういコミュニケーションが好きだったんですよ。浜松でそれをやりたいな、と思って、琢磨君に相談して。そしたらあそこの管理をしている人を紹介してくれて。 佐藤:画像が暗くなってきたので、こっちらに電灯つけるのでちょっと待ってくださいね・・・。・・・・みかわやさんを体験しに行ったんですけど、多様性というか、いろんな人がそれぞれの場所を使っていてた。そのコーナーに村上製本所が素直に収まっている。あれがいいなと思いました。で、おばさんが来てライフ・ブック製本していたり、子供と一緒に本づくりしてたり、実に些細なことなんだけど、どうしてこういうことをやっているんだろう・・・と興味を持ちました。確かに楽しいよな、商売にはならないよな、そんなことを思ったんですけども、村上さんが書かれた文章を読んでいると、それがどうして街角製本所なんだか分かるんですね。 村上:そうですか。 佐藤:村上さんは、そういう人なんだなと。どこからそういう人が生まれきたんだろう、コスパ野郎だらだけの現在にあって不思議でした。 村上:面白いですよね。 佐藤:主役は村上さん自身ではないんだけど、本を作ることによって他者が輝いていく。記憶が蘇生し保全保存していく、本という物を作っりながら、自分が生きてきた人生を再確認したりしならが、喜びを提供しているわけです。日本人にある本に対する感覚は目的で役に立つというか、スキルが身につくとか、そういう実利的な関わり方が多いかもしれない。世俗的な本の在り方と村上製本の本の存在は全く違う。 村上:立派な学者とか建築家の人でもいいんですけど、本を作って形にするみたいなのを出版するから形にする、それはできると思うんですけど。一冊でも5冊でもいいから本にすると、自分の言葉が本と一緒に外に出るじゃないですか。それが出ると変わるんですよね。言葉の感覚が変わるんです。上手く言えないんですけど。それを私は知っているので。それを私を使ってやってみたらいいな、と提案をしています。 佐藤:なるほど。そうすると村上製本所のことを依頼者は理解していくれるんだ。本できたら変わったと。 村上:分かってくれる。 佐藤:そうだよね。 村上:でも必要とされていないのも同じぐらい分かっています(笑) 佐藤:必要とされてないとは、どんなことですか。 村上:よく言われるのは、近所のおじさんが入って来てお嬢さん何やっているの?。本作っても売れるわけないでしょう、とか。捨て台詞で言われて(笑)何だったんだろう。 佐藤:爺さんは仕事ない、仕事をしてお金を得ることができないひとでしょうかね。お爺さんが不景気で不安だから、村上さんに当たられても困るね。 村上:そう。 佐藤:お金に換えられないことは人間しちゃいけない、そんな意図でしょうけどね。 村上:そう。 佐藤:お爺さんの偏った価値観で、どうどうと決めつける、甚だしく迷惑ですけどね。老人に限らず、お金について皆さんストレスたまっているのかな。 村上:私があそこでずっとせわしくやっていることで、その人たちも・・・。 佐藤:村上さんの存在が気になってしょうがねー、退屈なおせっかい爺さんが多いのかな。気になってしょうがない、このお嬢さんは儲からないことをやっているから説教かましてやろう、と思っているかも。笑ってしまうね。 村上:とっても面白いです。あとは大事な本を預けてくれる人が最近増えてきて。大事さにもいろんな種類があって、ずっと読んでいる本を触らせてもらえる。毎日読んでますという本がぼろぼろになって修理するとか。触るだけでなんていうんだろ、本じゃない感触なんですよ。触らせてくれてありがとうみたいな。 佐藤:そのかたの体の一部になってしまった本なんだね。 村上:そういう本を作りたいという気持ちに、私もなる。 佐藤:なかなかいい仕事ですね。お金になるか、と言われても困るけどね、豊かさとお金の存在は違うからね。別の位相のものだからね、比べても意味はなさないけどね。なるほどね。 辻さんから、じゃ最初にみかわやさんで製本所始めたらいいんじゃないと。自分の想定した街角製本所と違った点はなかった?ですか。最初はぼろぼろの街角を掃除した後、建築的な改修をしているんですよね。 |
ストリュートビューのなかの「みかわや」 |
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■みかわやさん再生スタートから 村上:そんなに手ははっていないと思います。 佐藤:天井仕上げを外したりして、壁をまま使ったり残置物は捨てたりして。 村上:物を捨てるのが大半でした。 佐藤:みかわやさんを運営し始めた初頭と、現在はメンバーが入れ替わっているんですか。 村上:メンバーは入れ替わってます。最初にみかわやを実際にやってみて、ものすごく勉強になったのは、例えば私は製本所を造りたい、上をシェア・アオフィスにしたい、食堂にしたい、オフィスにしたい、そういう人が集まって。じゃ、改修やりましょう、と言ったら、だいたい目標の期間と完成予想図を共有して、それに向かってみんなで頑張る。それがてんで揃わなかった。(笑) 佐藤:揃わなくって、どう対応したんですか。 村上:揃わないから私はひとまず、自分の場所が欲しい!と思って。 佐藤:一番目立つ所に陣取ったと(笑)。 村上:三角のスペース。あそこ、とりあえず私はやりたいんだ、と。自分の場所が欲しくって仕方がない。浜松市にも知り合いは全くいないし、自分の場所が出来たら、本が作れたら、どうにでもなる、感じでやっていって。他の人にペースを合わせることはせずに、それぞれのペースがあるし、考えもあるし、手を動かしながら想像する人もいるし、最初からばっちり決める人もいるし。掃除しながらそれが分かったんです。 それはそれで、いいのかも、と思って。とりあえず私はあの場所を、自分で本は作れるスペース、それはせめてやろう、そしてやりました。そこまでできると隣も出来てきて、少しずつ流動的に変わっていく。それが面白かったな。 ■変わり続ける「みかわや」のありかた 佐藤:全体の目的はかっちりしてないんだけど、参加者それぞれのペースでドンドン動きながら、全体の姿、改修のかたちが出来ていく。現在も変わり続けているんですか。 村上:中身が変わっていますね。やること、行事とういうか、コンテンツが変わってます。隣にいた学生、掃除を手伝ってくれていた大学院生が住んでいたんです。その彼は就職をして東京に行った。彼らはいないけれども、また別の学生とかが出入りするようになって。こんなことをやってみたいと、こんなことやってみようか、と。依頼したりして。 佐藤:定期的に会議があったりするんですか。 村上:そういうのは無いです。集まった人でぼんやり、やれそうな気がした人「やってみようか」と。 佐藤:縛りがほとんどないんだね。 村上:ないですね。 佐藤:家賃はあるでしょう。それは割り勘しているんですか。 村上:それは管理してくれている人が、ざっくりですけど、この人はこれぐらい使っているから電気代を案分して・・とか、私はこのぐらいとか、それぞれの人に応じた金額で請求されます。 佐藤:マネージメントしてくれる人が居るんだ、と。 村上:そうです。 佐藤:それで苦情が出ないのであれば、上手な人がいるんですね。 村上:そうです、信頼していますし。言われた額を、ありがとうございますと。 佐藤:毎月違う金額になるんですか。 村上:電気代は違います。 |
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■出前でも製本教室 佐藤:最初にご自宅に泊まりに行ったときに、製本の講習会でどこかに呼ばれているとかで、朝早く出かけていかれました。 村上:あのときは京都で製本教室をやる会があって、泊まりでいったんじゃないかな。時々出張製本教室があります。美術館で開催したりし、地方から呼ばれ、行って教えて帰ってくる。 佐藤:呼ぶ人たちは村上製本のことを知っているんですね。製本界では名前が売れているんですね。 村上:どんな世界ですかね。 佐藤:本を作って楽しむ世界です。 村上:製本教室も趣味というよりも、私は本の作り方、知らないでイギリスに渡ったんだけど。今はネットも十分ある。YouTubeで事足りるのかもしれないけど、大学で学んだような内容とか、人との出会いとか、そこで会ったりし、会話は、YouTubeでは体験できないことだったりする。直接行って話して教室を開きたいし、その人によって作りたい本も違うので、できるだけ、現地に行ってやりたいなと思っているんです。 一つあるのは、私が死んだときに本を作れなくなっちゃうのが嫌だから、皆が雑巾を縫うみたいに本を作れるようになってほしい。そうすると本の中の言葉がもうちょっと、変わってくると思うんです。本の中の言葉にもっとバリエーションがあってもいいんじゃないかな、と。 佐藤:いいね。そういう事を考えている人に会ったことない。本って自分の言葉を発して定着させるものだと思っている人が多いなかにあって、本ができたときに言葉が変わっていくということを自覚してない。そこは本を作っている人ならではの感受性と発想だと思いました。それを感じる豊かさが本づくりにはあると。 村上:村上製本、ノートも作っているんです。真っ白なノートを作っているというよりは、例えば佐藤さんにノート一冊あげたら、きっと書くじゃないですか。一番、生の吐き出しぱなしの言葉がノートに載るから、それって大事なことだなと思って。書くという行為も。だから誰かのための本になる前の本(村上製本のノート)、そういうものを作りたいなという気持ちで作ってもいます。 佐藤:なるほど、幅広く奥が深いですね。村上さんが作った本を手にした人が、自分の感性を引き出す、発見するために村上さんの本が無いと出来ない、という自覚、言葉は消えてなくなってしまいますからね。 村上:そうそう。 佐藤:そういう自覚のもとに本やノートを制作しているのは、すごい楽しいですね。本づくりの喜びを分かっているから、村上さんのノートと製本に3倍ぐらいの感受性が膨らんでいる。それは豊かさの始まりですよね。そういう思いで製本教室に出かけて行っているんですね。多くの人が村上製本を知る、本づくりを体験するといいですね。 イギリスで学んで東京に戻って、個人事務所に勤めて、自室で村上製本を営みながら辻さんに会って結婚された。で辻さんの故郷の空き店舗を改修した。その土地にあった「みかわや」で街角製本所を開いていると。そこを基地にして各地に製本教室呼ばれ、出かけて指導していると。 村上:今年(2024年)は忙しすぎて行けてないんです。 佐藤:よくリクエストはあるんですか。 村上:来てください、というのはあるんです。今年は行けなくって。それだけが心残りです。今年は1回、京都に行って大学で教えました。 |
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■学位 佐藤:イギリスの学位はどうなっているんですか。 村上:学位は分からないですけど、ファースト(主席)で卒業しました。後に卒業証書を見てみたら、Bachelor of Artsと書いてありました。 佐藤:西欧の大学事情も知らないのでお聞きしました。そういうイギリスでの学びを経て、日本の社会はもっと単純で、有名大学の使いやすい子を採用して、なんてことになるけど、村上さんの場合は雇われながら自営しちゃっているから、学位なんか問題にならないですね。 村上:ちゃんと卒業して紙をもらってます。 佐藤:高校卒業したとたんイギリスに渡って、本づくりを学んだことで両親は驚いたでしょうね。 村上:子供の時から、高校生のときから海外に行く、と。中学校の時に言われたのは自分でお金貯めたら行っていいよ、と。それを覚えていて、高校生になったらお金貯めて行こうと。自分で貯めたお金だから、どこに行ってもいいでしょう、と。そしたら何にも言えないでしょう。(笑) 佐藤:イギリスに行っちゃうと寂しくなるから行かないで、とは言わないんだ。兄弟は何人だったんですか。 村上:弟がいます。 佐藤:お姉ちゃん高校卒業したらとたんにイギリスに渡ってしまった。 村上:お姉ちゃんは変わっているから、居ないことにされています。(笑) 佐藤:居ないことにされているって(笑)、今だとテレビとかYouTubeとか情報を得る方法が子供にもいろいろある。村上さんの場合は本から情報を手に入れていた世代ですよね。 村上:そうです。 佐藤:本を持ち、頁を開くと世界につながっている、広がるというのかな。 村上:辻君にいわせると、クラシックな人間だとずっと言われてます。私はYouTubeとか見れないんですよ。 佐藤:見なくていいですよ。 村上:テレビも見ないんですよ。 佐藤:それもいいんじゃない。 村上:映画も映画館じゃないと観ないんです。 佐藤:いいじゃないですか。 村上:そしたら半笑いでクラシックな人間だなと。 佐藤:一次情報に近づこうとして、二次加工された情報を遮断した暮らしをすることは大切だとも思いますが。YouTubeの動画は流行ってますけど安直になるので、直に会って話を聞く努力が肝心ではないですかね。 村上:偏っているんだろうなという自覚はあります。 佐藤:映画より芝居、芝居よりは現実の世を、生な目で観ている。一時情報を偏って愛するのは何も問題ないと思いますが。 村上:問題ないと開き直っては、いる。 佐藤:村上さんは生きている生な人間と対話を持って、それに近い情報を得ようとしている人間性だから、問題ないですね。映画もスマフォで見るのではなくって、映画館で観る。一次情報にドンドン近づいて楽しむ面白さを捨てない。簡単に得る情報は直ぐ消えていきますので、その頑固さがあっていいんじゃないかな。 村上:頑固でなんですよね。 佐藤:20年後にユーチューブ見て懐かしむのはまずい。続く今を、生な人間、家族と生に楽しむということを大切にすればユーチューブ要らないですね。本を製本したり、文字を読んだりしながら生な会話を楽しむ時間を確保しつづけるのがいいのでは。 村上:読み返すと懐かしさがある。 佐藤:息づかいを感じることが大切で、今、息づかい無くっても観れば合理的に世界が理解できると思いこんでしまう。ほとんどの二次情報は編集という名で、生な多く事実を切り捨ててますから。現実ではないですよ。それは情報ではないでしょう。とりあえずの目当て、みたいなものです、現地に立つ人に会う、会いに行って会話楽しむ。それが生きているということでしょう。引きこもって楽しむのもいい。 それをしようとすると、クラシックな人間と言われると。辻さんのほうが何かに追われて生を生きてはいないのではないか、目的合理化した、脳化した世界に生きて居るのかもしれませんね。 他に言いたいことがありましたら、お願いします。 |
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村上:私は佐藤さんの文字お起こしのwebの文字の列を観るのが凄い好きです。 佐藤:間違い多いし、最近は時間がなくなって文字に色付けたり、大きくしたりしなくなって、醜いのではないかな。 村上:間違えたままじゃないですか。あれが凄くすきなんですよ。 佐藤:間違えたままにして置くと躓く、とまるじゃないですか。 村上:それを越えてきた人しか読めないから。 佐藤:最近は間違い少なくなっているかもしれない。対話している人間の呼吸に載った文字って、綺麗に並んでいる言葉ではないですからね。 村上:小石が一杯置いてある道みたいな感じがする。 佐藤:文字情報は正しくないということを体験してもらえばいい。私のwebは読み手が自分で整理して、自分でその場の肉声を感じないと必要な意味にならない。それを思ってweb記録は作り公開していました。 村上:そう躓いたり、躓かなかったりしながら読んでるのが、でモニターで読むのがあまり好きではないですけど。紙で読みたい人間です。佐藤さんの文字はでモニターで読んでも面白いなと思います。 佐藤:最近は色は付けなくなっていて、文字にした自前のweb記録をボーカロイドに読ませて聞いてます。間違えて読むので、発話者とは違った意味内容になって、このずれが面白い。人間の声というのはこういう重なり合いでどんどん意味も変わっていく、それを面白がってボーカロイドに読み上げさせて、聞くことが多くなってます。 色付けているのは語り合っている喋っているときに起きた感情をなるべく色や文字のおおきさで定着して楽しむ。PCが誕生して文字が代わったその愉楽ですよ。 村上:それは素晴らしいとおもってます。 佐藤:逆に言われるのは、記録を読むと生々しくって読めない、自分を振り返ってしまう。ドキドキして読まざるを得ない。で、お前が喋った内容なんだから読むしかないだろう。でも、嫌がる人はいます。本でも読んでなさいと。加工された情報になれてしまった人は自分を絵空事の主人公にしたいのかもしれません。役者だけです演じられるのは、生な人間は、自分で思っているよりは恥ずかしい存在ではないかな。 メディアコントロールして、誰かがプロモーションしてくれて、立派な建築家、あるいは人間として登壇する。そう思っているでしょうが、全部作られた情報だということを認識せず、生きることを勘違いしているでしょう。気に入らなかったら自分で自分の言葉を文字にしてみろ、顔から火がでるぞ(笑)、そこまでは言いませんけどね。 最近は若い人の肉声を文字にするのはやめて、人生を語ってもらっています。辻さんの人生も聞き取りしてますけど、辻さんの場合は私は見届けることはできない、結果は分からないです。 成功するしないは別にして、「みかわや」さんでの村上さんの活動と、辻さんの活動は影響し合うのでどうなるか。シャッター通りが出来て再生していくしか次の世に移らないので、ああいう場づくりから始めないと何もできないので。浜松市での試行錯誤と、みかわやさん新聞は、始まるにあたって基本的な言葉が定着されていると思います。 今は、だから人生を語ってもらおうとしています。続けてるいるんです。私と同世代で元・原子力委員長代理、現在は長崎大学の核廃絶センターの鈴木先生の人生を、生まれたときから、60代まで聞き取り済み文字にしたところです。2010年代は2時間の語り合いでは足らず、次回は2010年代後半語りをすることにしました。 原発の問題を基礎から現在の使用済み燃料とプルトニュウム問題までわかります。・・・・原発の話をしている・・・ 今日はこんなことでお仕舞にしましょう。今後も聞き取りしていくつもりですが、お付き合いください。村上さんは肉声の文字を本に仕立ててしまうのは面白そうですね。 |
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■どんどん話が続いている 佐藤:何で結婚したのか聞いておきましょうか。 村上:なんで結婚したのかというと、なんだろう。浜松でこの御家に住むということになったときに、私は結婚しなくってもいいなという考えの人なんですけど。辻君はこの家に入るだったら結婚して欲しい、と言ったんです。 佐藤:別姓のままじゃないんだ。 村上:別性にできないんです。 佐藤:戸籍上は辻亜沙美になっていると。 村上:だからと言って、やだやだという感じではないです。 佐藤:家もあるから造らなくてもいいしね。 村上:またキッチンは少し変わりましたよ。また来てください。 佐藤:時々遊びに行って、辻家のレポートをしたり、聞き取り住体験もする。 村上:けっこう佐藤さんから言われたことがずっと残っているみたいなんですよ。 佐藤:あ、そうなんだ。 村上:この前も、風呂場危ないからとブロックを置いて階段みたいにしました。 佐藤:それはよかった。 村上:この家の工事しているときは楽しそうにしています。 佐藤:他者に頼まれてする仕事は大変だからね。 ・・いろいろな話に展開していくのでありました・・・ 村上亜沙美さんに聞く第一回はこれでお仕舞です。 文責:佐藤敏宏 |
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