加嶋章博・博士に聞く 原稿 京都市内出町柳 7月2日 13時〜16時集合 | 2023年 作成 佐藤敏宏 | |
加嶋章博先生は都市史研究者 | ||
■ 立ち話 出町柳駅に集合し、蕎麦を食べるために並んでいる加嶋・佐藤 加嶋:いつもの・・・(笑)ツーショット(笑) 佐藤:お久しぶりです!前回お会いしたのは、渡辺豊和建築工房OBの内田さんと加嶋先生と三人で、2017年1月30日夜(右の絵)よびつけて申し訳ありませんでした。 加嶋:いえいえ、ありがたかったです。 佐藤:福島市の俺の家に加嶋さんが泊ったのは2000年9月8日だったか・・・博士論文を書き上げる前でしたよね? 加嶋:書き上げる前ですね。 佐藤:福島県郡山市内にある日大工学部で建築学会があって来福。で夜呑んだんです。そのとき俺の支援者の方々が万平という円盤餃子屋へ引き回して、先生は研究発表前夜なのにひどい目に遇わせてしまって、予習する暇も与えず、発表は大丈夫だったですか(笑) 加嶋:大丈夫だったです(笑)いろいろご馳走になった思いはあるんです。 |
夷川通りのお好み焼き屋で内田康博と呑んでたら加嶋章博先生がこのあたりに暮らしてらっしやると!気がつき。誘わず帰るのは無礼なので、連絡したらこだまのごとく、す早く加嶋と合流できたぜー。渡辺豊和さんの工房関係友達です |
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■加嶋先生の生い立ち 佐藤:加嶋先生の生い立ちは、いままで詳しく聞いてないので今日はお聞きします。京都のどこで生れたんですか? 加嶋:京都の松ケ崎というところです。工芸繊維大学の直ぐそばなんですよ。 佐藤:地元の大学に!というか庭続きの大学に入ってしまったみたいなものなんだね。 加嶋:小学校、中学校、高校だんだん遠くはなるんです、大学で家から一番近くなる(笑) 佐藤:そうなんだ。川勝真一さんの家が松ケ崎の傍に家がある、北山です。 加嶋:川勝さんはそうですね。 佐藤:京都の俺の家にさせてもらって、聞き取り時には長く泊ってたんです。あの辺りは歩いたので詳しくなりました。京都工芸繊維大学の傍に家があったと。 加嶋:そうですね、一番近いのは松ケ崎小学校です。小学校、中学校、高校とも公立校でした。 |
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佐藤:京都なら私学にいくのかと思い込んでました。公立の学校へ通ってたんだ、そうなんだ。以前、話で印象に残っていることは、お医者さんのお兄さんが亡くなって、建築に加嶋さんが入学していて・・・など悲しい話は覚えているんです。兄弟二人だったんですか? 加嶋:そうです、一つ上、年子の兄がいて、兄は医学部に行ってたんですけど、4回生ぐらいの時に大腸癌で・・・。 佐藤:そんなに若くっても大腸がんになる??珍しいんじゃないですか? 加嶋:珍しいんですよ。20代の大腸がんは10万人に1人ぐらいなんです。その若さでなると進行が早いので。 佐藤;俺もとうと癌持ちじいさんになってしまいました。前立腺の癌持ちだけど元気に活動して、皆さんに迷惑を承知でおかけして顰蹙を買ってます(笑) 加嶋:お元気そうで(笑)よかったです。 佐藤:癌患者はジョボっとしなければいけない・・なんてないだろう(笑)医者も元気なお爺さんと呆れ気味でいろいろ教えてくれます。放射線治療すると言ってんだけど、なかなかする気配無い(放射線治療患者が多いので順番待ちだったと後に知る) お父さんお医者さんだと言ってましたよね? 加嶋:そうなんです、父は内科医でしたけど、母は小学校の先生やったりしてました。 |
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■加嶋先生の家族 佐藤:奥さんはmy妻とおなじ名前だけど漢字が違う、奥さまはお医者さんだとか。子供は1人でしたか? 加嶋:はい、思春期まっさかりです! 佐藤:高校生、思春期スパートといいホルモン変調がある世代・・・中学生の頃かな。この夏は柳沢究先生の中学生の娘さんに会いましたよ。吹奏楽部に入っているそうです。 加嶋:うちも吹奏楽部ですね。パーカッションやっています。 佐藤:リズムパート難しそうだな。1人娘さん楽しそう(笑)女性に囲まれてますね。 加嶋:笑)そうですようね。 佐藤:子供が1人だと手を掛け過ぎないようにするのが難しそう。大人二人で子供をかまいまくると問題おきそうだけど、のびのび育ってますか? 加嶋:伸び伸び育ってます、自由奔放で。 佐藤:それはいいね。 加嶋:学校も自由なところです、校則がない自由な学校です 佐藤:それはいいね。私服で通学しているんですね? 加嶋:私服です。 |
絵WEBよりパーカッションいろいろ |
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佐藤:それはいいね、子供の話聞いちゃっていいのか分からいけど、何をする人になろうとしているんですか。 加嶋:いろいろ言ってましたけど、最近は弁護士になりたいと言ってます。 佐藤:かっこいい! 加嶋:なれるかなれないかは別ですよ(笑) 佐藤:そうだけど、理屈っぽいのかな? 加嶋:理屈っぽいかもしれないですね。 佐藤:それだったら合ってそうだね、法律覚えて理屈で闘う人だからいいんじゃない。 加嶋;なれるなられないは分からないですけど。いろいろ夢を描いてもらうほうがいい。 佐藤:弁護士儲かるぜ(笑) 加嶋:そうなんですか? ■映画「生きる」 (佐藤の感想文へ2023年3月作成) 佐藤:小学生が74人津波で亡くなった宮城県石巻市立大川小学校の話知ってますか?父兄が市を訴えた、その訴訟を追った差記録映画「生きる」を見てたら、遺族と弁護士の人たち大活躍して勝ち目のない裁判を戦い抜いて、石巻市敗訴。 ここからは俺の想像なんだけど、弁護料などのお金で映画も作り、事故に遭って亡くなった子供の尊さと残された家族の苦悩を訴え記録映画を作ったたんだと思う・・弁護士いい職業ですね、悪い奴もいるだろうけど・・。 福島原発事故に関わる訴訟もたくさん起きていて賠償請求金額がすごい大きい。弁護士費用も巨額でしょうね。高額要求なので、一般の人は簡単に訴えられないよ。その裁判では父兄が勝訴したので弁護士さんは映画作りに寄付して制作したんだな・・・と思いましたよ。(1人一億円の賠償額だった) 「生きる」っていうタイトルの映画です。遺児たちの父兄が石巻市の教育委員会を相手に裁判闘争する、その姿を追ったドキュメンタリ作品でした。 加嶋:その映画はもう上映されているんですか? |
予告編動画 |
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佐藤:3月にね、福島市の映画館でも1週間上映され毎晩監督が来ていたので、会って話をしました。室崎益輝さんや前川喜平さんが検証してんだけど、やはり市教委寄りでしたが、父兄が状況証拠を積み重ね、論証してました。 加嶋:防災の室崎さんですか、神戸大かな。 佐藤:そうです。最終的には訴えた側の弁護士と父兄が実証実験を積み重ねて、市教委の反論・意見をひっくり返して、勝訴する。凄い弁護士たちの映画でもありましたよ。弁護士は凄いと思いました。お金をとってもいいと思った。弁護士の仕事は意義あるよ。 加嶋:なれれば・・・ですよね(笑) 佐藤:都市史・建築歴史研究者はぜんぜんお金に縁がないんだから、娘さんの夢いいんじゃない(笑) 加嶋:そうそう(笑) 佐藤:建築史家は左団扇の可能性もほとんどない(笑)弁護士になったら本人は楽しそうだね。 加嶋:少なくっても、ぼくとか母親の仕事は興味が無いと言ってます。 佐藤:反抗期かもしれないけど、親に逆らう意見表明はいいよ。奥さまは何科の医師ですか? 加嶋:精神科医です。 佐藤:うちの奥さんを診てもらいたかったね!俺、30年ぐらい精神病とは付き合い続けているから(笑)我が屋での対応は何もしない、そのコツは・・・難しすぎるんだけどね。余計なことは言わない、やりたい放y題させる。安心して居続けられる場所を周りが与える、そんな感じがします。身近な者にとって放置容認対応は難しいんですよ。 一番弱い薬をのんでいたけど、正常に戻ってしまったかのような暮らしぶりです。で、フクシマに放射能降ってからが・・・症状が酷くなってしまいました。何か切掛けがあると、恐怖を感じるようで症状が悪化しますね。放射能は見えないし計測できない、それが降ったので、酷い症状になって、家の中ガムテープ貼りまくって、引き籠り数年してて、部屋は子宮や洞窟みたいに改造しまって、毎日祈っていたみたいです。あまり酷い引き籠りもしてたので、手足を縛って病院に運んで入院させました。放射能降ると気の優しい患者には効くよ! |
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加嶋:順番待ち名前、書くのかもしれないので見てきますね。 佐藤:お願いします。 記名してくる加嶋先生 佐藤:奥さまは精神科医ですか、大変な職業だね。 加嶋:治療に時間が掛かる。 佐藤:閉鎖病棟勤務とかもあるの、診察だけ? 加嶋:閉鎖病棟も持っていますし、外来も診察してますし。 佐藤:藤本壮介さん実家は旭川の精神病院、お父さんは医院長だったよ。2002年7月30日、藤本壮介初期建築2棟を体験してきました。閉鎖病棟と作業病棟二つ、新しい建築が出来てましたね。 藤本さんが世界に出て活動しているのは、実家の環境が大きいように思いますね、想像ですけれど。他者の話を聞き続ける能力が備わっていた。 お父さんはアーティスト志望だったそうで、子供達に表現者の道をすすめた、とお母さんは語ってましたよ。 建築家になる者のは金食い虫だから育てる間はお金が相当掛かるよね。お母さんには、ジャンジャン仕送りするように伝えましたけど。まもなく世界的な建築家になりました。毎月お金がなくなって仕送りの催促だと話してました。建築家の路って銭喰い虫を育てるようなもんだから、親たちも周りも苦労するよね。実作は実家の2棟造っただけだったから、両親なら他所の人に設計頼まれるのか?・・・心配するのは人情だよね。 加嶋:うんうん。今は藤本さんね・・。 佐藤:世界に飛び出て活躍してますから、日本政府の支援が無いなかで、建築家の卵には実家の仕送りという孵卵熱が要りますよね。なかなか贅沢な者が建築家ていう生き物でもあります。今はどのぐらいの所員いるのかわかりませんけども。 加嶋:所員さんも多いでしょうね。 佐藤:世界中に事務所を構えているんでしょうからね。アイディアも初期のものに戻っているような気がします。建築家と精神病院の話だと、俺はどうしても藤本さんと実家を思い出してしまいます。 加嶋:精神科医からすると建築分野ってすごい特殊に見えるみたいですね。喋っている言葉もそうだし。 佐藤:同意します、変態ふうな村人の集まっているところですよね(笑) 加嶋:(笑)だいたいそんなこと言ってますよ。 |
2002年7月30日 札幌9:06→12:49 とうとう旭川へ着いちゃったよ。 忠別川を背に駅がある・・北 海道の駅は大らかですが町は何処にでもあるような駅前。 中華屋へ・・当たり。 旭川 →水源地 バス降り損ねて終点まで行ってしまう 戻りのバスに再び乗り水源地で降り テクテク歩く15分 聖台病院着く 15時 家から30時間かかる 挨拶して・・くまなく案内して頂く。藤本建築2つをバシバシ撮る撮る・・曇り空で夕方で暗いけど撮る 方藤本さんの妹さんお母さんに会い話をする。 病院の建築を研究してる東大の朱さんと三上さんが調査中 |
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佐藤:俺も、なぜか?建築家と言われてもいたけど、そろそろ返納しようかな・・建築士なので。 今年の5月に読んだ、郡山市の日本大学の速水清孝先生、千葉大から東大の博士課程にすすんで書いた博論を本にした『建築家と建築士ー法と住宅の100年』を10年前刊行したてたんです。放射能騒ぎで建築に目が向いてなかった時期で、ようやく、県立図書館にリクエストして今年読みました。中身は俺が作成した目次などを見てもらって、 ・・・日本の自称建築家という人たちは庶民の住宅を設計するようなことはせず、西欧の建築をコピーして造る特殊な人たちが居て、意識やプライドが高いんだけど、圧倒的多数の庶民のぼろい住宅設計、それらと建築家は遊離し特殊な人たち。西欧には居ると語られてきたような建築家って者は存在しているのか?(註1)金持ちのための建築は特殊な例だなど、日本の建築家幻想というのは明らかにされていて気持ちがいい本です。 行政内部で庶民の家が貧しいこと、都市が貧しい問題に挑んだ内藤亮一さんに関わる「内藤亮一と建築士法と住宅」の章はお勧めです。 設計施工と建築家士の相互関係の問題もあり、西欧近代化の中で日本の建築家像や景観とか仕組みは民間任せのところがあって、建築士制度設計がうまくできなかったようですね。 若い大方の建築家の暮らし、家庭生活なりたっているのか?知らないですね(笑) 食えない若い建築家に教えられる学生たちや、若い建築士の卵たちは気の毒だと思います。まずは普通に生活してから建築家を目指せと若い人には言っているんです。 西欧の建築家の実態は知らないんだけれど、日本のそういう人たちは女性も男性も平安で普通の社会生活営んでいないでしょうね・・そう思う。日本の建築士事務所の所員はじめ、豊かな生活と暮らしを手に入れているのか?子育てちゃんと支援できるのか?疑問です。 西欧は普通に暮らしているよう・・・そう想うんです 加嶋:そうですね。 佐藤:普通に暮らし、生活基盤があって後、哲学を学んだりして、建築も設計するならいいけど、設計業界だけ知って、建築家様を振舞っているなら異常な暮らし方だと俺は思います。 建築家とはさほど交流もしてないし、彼らが会う人たちは昔の大学仲間に固まっている、そういうのを見ると普通に暮らしてから建築家目指せと言いたくないね。頭おかしいんじゃないかと言い続けているんですよ。年取ってから建築家になってもいいじゃないかなと。 加嶋;だいたい似たようなこと言ってます(笑)年賀状も建築の分野の人は独特だともいいますね。 佐藤:我、建築家でござる主義者は日本では5000人ぐらいる・・・らしいね(笑)で、下々の建築士の悪口を言いながら建築士を見下げて暮らしているかもしれないけど。その方の家庭内実情は貧困そのものかもしれませんよ。 加嶋先生自身の話にもどりますけど、なんで建築学科を選んだんですか?工芸繊維大学は家が近いから通学し易い、いいとしても学科もいろいろありますでしょう? |
2021年建築学会賞「建築技術者の法制史」という新たな研究領域を切り拓いた論文が高く評価される記事へ (註1)2023年12月17日に観た 「AALTO」 FB投稿 二週連続で女性監督作品を観る。こういう感じ、それを匂わす男っていまだにいるよ(詳細は後日感想を書くので略) 近代の巨匠・建築家を女性監督が、主に二人の妻と家庭生活と建築や家具などの作品に光を当てて描くコンテンポラリー映画。 観戦録は、いろいろまとめて後日に書くことにしよう。人生の仕舞がアル中=アルコール依存症な暮らしぶりって感じで近、代男の弱さ的確に描いていて興味深かった 予告編はデザイナー礼賛に偏りすぎている内容なのでは? |
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■加嶋先生が都市史研究の路に入った動機 加嶋:大学は実家から近いからというわけではないんですけど。建築は、もともと建物というよりは、広場とか公園とか、そういう場を考えたいなと。 佐藤:パブリックスペースとパブリックスフィアーを考えたいと。 加嶋:当時そんなこと知らないですけどね。 佐藤:パブリックスフィアー、公共圏と訳すんだけど、花田達朗先生と20年間普及活動しているんだけど、知ってますか。 公共圏というのは空気だから実態はないんだけど、みながエネルギーを投下して空間や場や、行動や言論が成り立つ可能態という意味なんだけど。俺は家が出来たときから「建築あそび」活動をやっていて、聞き取り活動もその一環です。加嶋先生の声を聴いて、文字に起こして他者に伝える活動。建築に係わる人々の認識とか考え方とか行動とかを豊かにしていこうというか、共有して面白くしていこうぜ・・・・というような事です。 スフィアーだから場所と関係があるし、公園や広場とも関係がある概念です。俺は建築の理想は路上だと言っているので、建物の壁とか屋根とかじゃない、誰でもが自由に出入りできる、活動が補償される場が重要と。そこでは自由な情報交換されるなど危ない、そこに立ち入った人たちの行動が何かかわっていく場、路上。 広場とか公園が場を考えるって加嶋先生にとっては何ですか、広い空間とが好きとか?・ 加嶋:もともと、その場所が、広場は自然にできた広場もあり、誰かが考えた広場もある。原野というよりは誰かが考えて整えた広場に興味があったと思うんですよ。そういう場ってちゃんと考えられているんだなという場に意識が向いたというか。それって建築の分野なのかも分かっていなかったんです。 それって建築の分野じゃないかと誰かに教えてもらって、それで建築なのかなと。 |
■2020年5月11日 本が発売に 『公共圏ー市民社会再定義のためにー』(彩流社)が発売となりました。これは著作集の第3巻です。1990年代に書いた、公共圏関連の論文などが収録されています。 その時代の私の思考は1989年という年に起こった2つの事件、日本での昭和天皇の死去、ドイツでのベルリンの壁の崩壊と冷戦構造の集結によって強く影響され、規定されていました。その時代状況に応答しつつ生産した産物が、ユルゲン・ハーバーマスに発する公共圏概念を空間概念として解釈したり、あるいはその概念の解釈と再解釈を通じて状況に関わろうとしたりした論文でした。 今はCOVID-19パンデミックに見舞われた2020年。その今、まるで見えないウィルスに冒されて、酸素を取り込めなくなってしまった肺のような公共圏へ向かって、30年近く前の論文を再起動して「公共圏」という書名のもとに刊行することに、ある感慨を覚えます。(佐藤が間貸ししている花田達朗さんサイトより) |
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■都市史研究者への道はどのように? 佐藤;俺と意見が合いますね、俺の理想は路上で、加嶋先生は広場や公園などの物体ではないんだね。歴史に移行したのは? 加嶋:そうですね。 佐藤:スペイン語覚えて、スペインの歴史、世界史も知らないといけないし。植民地に関して研究するなら植民地もなった土地の歴史もしらなきゃならない、難しそうだ。 加嶋:笑)ドクターに入る前に、古山先生にスペインやるんやったら、スペインの歴史まとめて来いって言われました(笑) 佐藤:それはそうだろう(笑) 加嶋:言われましたね。そういうことだったんですね(笑)古山先生に説明するという意味もあったんでしょうけど。まず、それをやってこいと。一杯図版を貼り込んで作ったの覚えてます。建築のレポートしなくっても、、スペインの歴史。 佐藤:建築と人間の歴史は一体だから、切り離してつくるものじゃないから。 加嶋:そうですね。 佐藤:切り分けて専門化していくのは近代以降でしょう。 加嶋:ふんふん。歴史の方に行ったのはもともと偶然が重なったのかもしれないんですけど、修士のときにスペインのジローナ市という所にインターンシップに行かせてもらうことになったんです。たまたまですけどね。 ジローナ市役所の都市計画課にいきました。小さな町ですけど、ちゃんとした役所にインターンシップで、半年ぐらい居たんですね。 佐藤:半年ではさっぱり分からないでしょう? 加嶋:分からないですけど、すごく興味が広がって。 佐藤:半年生活すると、土地の生活そのものは分るね。 加嶋:たまたまじゃなくって造られているんだなと。帰国してから修士論文のテーマがジローナ市の都市形成史をテーマにした内容・・・。 佐藤:風呂敷でかいね、小さな町だけどヨーロッパ土地も歴史も記録も広く深いのでは。背景が一杯あるからね。 加嶋:;デカイだけですけどね(笑)で浅いんですけど。 佐藤:スタートはデカくって浅い研究でいいんじゃない。とっ掛かりは小さな町から紐解いてく。その姿勢はいいよね。 加嶋:そうですね。 佐藤:首都から始めちゃうと、えらい大変そうだ。身近に暮らした町からスタートいい感じですね。 加嶋:そうなんです、最初,実はイタリアに行きたくって。希望はイタリアのヤエステというプログラムを目標にイタリアを第一希望にしてたんですね。イタリアのベネチアに行きたい。 佐藤:それはヨーロッパ全域で金貸しというか為替・金融商売してたメディチ家あるし、金持たくさんいるし、建物もたくさん在るしね、イタリアの都市史研究は王道だよね。 加嶋:そこは枠がなくってだめだった。第二希望、たまたま書いていたスペインに、スペインだったら行かしてやると言われて。 佐藤:それがいいね、辺鄙な地域(違うな)から都市史から世界を観るのはいいね。 |
ジローナはスペイン北東部のカタルーニャ地方に位置する都市で、街にはオニャル川が流れています。中世の建築、城壁が残る旧市街(バリベル)、ローマ時代に築かれた要塞のフォルサベヤで知られています。旧市街の城壁沿いに続く考古学の道と呼ばれる遊歩道には、風景式庭園があります。また城壁の一部として立っている物見の塔からは街の全景を一望できます。WEB地図より |
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■加嶋先生による「フェリーペ二世法」全訳面白い 加嶋:僕、第二希望に書いたのは書いたけど、ぜんぜん行くつもりなかったので(笑)もう止めようかなと思っていたんですけどね。大学に今もおられますけど長坂大先生、にたまたま相談したら「そら行くだろう・・・」と言われて。 佐藤:それは行くよ!経過を聞いていると日本人らしいというか近代の都市イコールイタリアって、日本若者、世界中そうかもね・・・偏見だよね。デカイとか金が集まっているとか発達しているとか、そういう場所や地域に目が行ってしまう、日本人らしかったと。辺鄙に見える場所は歴史は関係ねいじゃないか・・・と思い込んでしまう、 加嶋:そうですね。 佐藤:若輩者だったのね。 加嶋:当時ね、そうですよね。 佐藤:世界史、ヨーロッパの地上も海も、みな繋がっているから、小さい場所から始めた方が分り易いよね。 加嶋:今、だったら迷わずに喜んで行くところですけど。 佐藤:本質を教えてない日本の弊害が加嶋先生にもでたんだよね。先入観ありすぎイタリア行きは理解はできるけど。日本でも地域史を教えないので、大阪・奈良・京都史に偏るように(笑)歴史研究者でさえ地域に歴史なんて意味あるか?ない。そういう態度だからね。 加嶋先生の論文いただいて読んで、ペインは自分たちの地域の歴史研究きちんとしている気がしました。古い公文書も残してあるんでしょうね。日本は今でも公文書館無いよ。 フェリーペ二世法を読んでみると植民地開拓しているときでも記録残せと書いてある。日本の現在の政府や市町村役人でさえも(笑)公文書館を造る気配さえない。フクシマ原発事故に遭った県庁内の311当時の公文書も一定期間経るとゴミにしてしまう。自分たちの記憶を自分で消してしまう、野蛮な国なんですよ。放射能降ってなぜこのような町が造られていくのか?調べられない。 福島県に縁が無かった新しい各種研究機関ができていくのか?調べられない。それらのその経過の公文書がきちんと残し保存継承する人も建物もないだよね。日本は忘却がすきなのよね、だから世界に出たら通用しない、最悪だなと思ってます。 けど、小さなジローナ市の歴史も保存されているでしょうからね。 フェリーペ二世はなぜ記録を残せと言ったのか。加嶋先生による「フェリーペ二世法」全訳面白いですね。的はずれの読み方ですけど(笑) 加嶋:ありがとうございます。 佐藤:博士論文の資料だけどフェリーペ二世法全訳いいんだよね。 加嶋:あれは読み物としても面白かったですね。 佐藤:面白いよね、家訓というか法律というのか・・当時の植民地探しに行って、1人で威張るなとか、地域の原住民の処遇扱いは手厚くしろとか、暴力ふるうなとキチンと書いてますよね。 加嶋;書いてますね。 |
フェリーペ二世:絵ウイキペディアより 1527年5月21日 - 1598年9月13日 在位:1556年 - 1598年 |
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佐藤:日本が15年戦争で大陸植民地化したり、しようと戦争した当時の日本軍のハートは、フェリーペ二世さんの精神とはまったく違う、真逆なんだよね。 加嶋:凄く丁寧に現地の土着の民族の人との関係をちゃんと作って、しかも最初現地の土着民の子供、とちゃんと関係をつくりなさいと、訳しました。 佐藤:そこも面白い、女子供を虐殺しない。 加嶋:子供が興味をもったら親も興味を持つ(笑) 佐藤:さすが巻き込み方が上手だね、はじめに親密な関係を構築する。 加嶋:都市を造る前に、現地の子供達に見せるものを見せたりしなさいと書いてあった。 佐藤:めちゃ面白い!1人で行くな、修道士10人で入れ・・・とも書いてある。1人で行動するなってのもいいよね。布教活動とセットになっているので恐怖心を煽らず、地域の人の心に入るというのかな・・・。資本主義そのものを普及しつつ、カトリック教にのっかって、領土も拡張するんだけど、都市の消費者も増やしていく、賢いやりかたですよね。2023年現在はその手法は主本主義も民主主義も終焉に近づいているんだけど、キリスト教と資本主義が合流してスタート時というか、そこを二世法があることで見せられている、当時のハートが法律によって読まされてもらっている。 福島で原発事故が起きてしまい資本主義も民主主義ももう終わったなと感じになったんだけど。次は何にするのか?それが分からない。アメリカのIAEAに安全かどうか?訪ねて、彼らからお墨付きもらって、安心している変な国が日本だと明かされてしまって(笑)。日本政府は自分で考えているとは思えない、ほどアメリカ頼みになっている・・そう見える12年間だった。 近代の日本史のまま、不平等条約が相変わらず繰り返している。311地震後も明かされていた。開国させておいて日本列島の金銀を武器を売りつけて持っていってしまったように、高度成長期に働いて貯めた日本のお金を持ち去ったように米国債買わされたりしてる。 フェリーペ二世法を読むと、アメリカの新自由市議者べったりの日本人と米国人との関係とまるで違う現地人たちだったんだと想像できるんだよね。 加嶋:征服のための道具だと言う人もいますけれども、けっこう丁寧に組まれてますものね。 佐藤:そう、大陸を植民地化した日本兵のことを知っているから、フェリーペ二世法を読むまでは、スペイン人は日本兵と同じように略奪・徴用してたと思ってたけど、まるで逆のフェリーペ二世法だった! 地元民の生活優先で強引に巻き込むな・・・法文でうたっている。連れ去ってもいけないなど、皆殺しとか脅して、あるいは流行り病で、マヤ文明が消え去るような・・・植民地化したというイメージとは違いますね。 原発事故後の福島を思うと、環境省や東電、経産省の政府系はお金を与えるだけで、フェリーペ二世法のように福島民を自立させるために土地を与え牛馬を与え、生活を安定させる「福島法」ではなく、県内では、お金目または最先端の技術研究所をつくって、避難した元住民の暮らしを守らない、帰還はかばかしくない! 加嶋先生のフェリーペ二世法を読むと土地の人と生活優先する、植民されることによって経済的にも物質的にも地域の人を豊かにしつつ布教するという目的。キリスト教を信ずると貧しくならないのでは宗教は受け入れられないんでしょうね。 アメリカの技術信仰し実践したら福島の台地は人が住めなくなってしまった。とほほですよ。 加嶋:馬なん頭とか牛なん頭とか書いてありますよね。凄い! 佐藤:5倍与える土地もあったりするんだよね。 加嶋:笑) 佐藤:現地の人の土地を犯すなと書いてもある、フクシマは放射能振りまいて、豊かな土地を削り取り除染したので田畑が痩せてしまった。なにしろ草も生えない山砂と入れ換えちゃうから荒っぽい、日本政府役人たちは(笑)。 フェリーペ二世法を読んでフクシマの現状を観ると今の日本の政治のほうが住民に酷い事を押し付けて、いいことやった顔しているんだ。今の日本はどこでどう間違えたんだろう・・・調べたくなりますね。 加嶋先生の研究とフクシマ後に暮らしてきた俺の日常が博士論文によって結ばれてしまいました。そいうふうに読めるんです。 加嶋:ふーん。 佐藤:京都に暮らしているとフクシマ的政治によって起こる貧しさを感じるかどうかは、わかりませんが、フェリーペ二世法を翻訳しながら楽しくってしょうがないだろうなと想像してました 加嶋:翻訳、博論書いてておもしろかったですね。 佐藤:当時の研究は今はやってないんですか? 加嶋:のんびりですけど(笑)やってますよ。 佐藤:でも誰も反応してこないのでは? 加嶋:そうですね。 佐藤:俺は20年後に反応している(笑) 加嶋:そうです、20年前です。 佐藤:あ、そうだ、加嶋先生何か研究してたと思い出して読み直しましたよ(笑、フクシマは日本政府の官僚たちと東電の植民地だという気がするんで読み返しましたよ。 事故が起きた原発と国道六号線の東側の大地は、福島県ではない東電と経産省と環境省の治外法権の場所だという気がしてるんですよ。 福島県も手を出せないで追認するような格好なんですよ。東電と経産省と、環境省、それ以外に手を出せる大地ではなくなってしまった。広いんですよ。だから福島県ではなく国有地・東電県とかしたほうが、今後の処置のためにはいいんじゃないかと思ってますよ。福島って原子力発電所に冠ついてるから、どうも話がややこしくなって、やりたい放題されてしまっている。その現状を12年間生きてきたので、フェリーペ二世法はいい法律だなと思ってしまいます。(笑) 植民地にするにあたり現地人の暮らしぶりを豊かにせよ・・・と法で定めている。後に、独立運動も起きているから、フェリーペ二世法に内包されていた問題点を現在から見通すと分ると思うんですよ。 そういう話を今日はゆっくりお聞きしようと思ってやってきました。 あの続きを研究してください 加嶋:ぼちぼちやってますけど(笑)そこまで丁寧に読んでいただいて(笑) 蕎麦屋の順番がきた 33:57 次の語りに続く |
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