2022年7月16〜22日 京都〜大阪体験記 01 | 作成佐藤敏宏 7月24日 home | |
岡田栄造様 山崎泰寛様 満田衛資様 森田一弥様 水野大二郎様 |
新型コロナの影響で3年ぶりに祇園祭開催 | |
7月16日の「岡田栄造先生お疲れ様!会」に招待いただき、たいへんありがとうございました。また準備などありがとうございました。満田さんにおかれましては事務所を会場に提供いただき、とても親密で楽しい会場になりました、そのことにたいしても感謝申し上げます。ありがとうございました。 お招きいただき交通費を頂きました。その御礼といってはなんですが、聞き取り記録は後日つくり公開しますが、それとは別に「ご苦労さま会の記録」を簡単に作りました。時間のある時にでもご覧ください。 ■ことの始まり |
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2022年6月1日、岡田栄造先生のFB投稿を見ました。予感してたので「おめでとう!」と言いたくってすぐに電話をしました、が一般的には心配される事態なのでは?とも思いました。 「おめでとう」そう言いたい理由の一つは東北工業大学の竹内泰先生もこの3月、大学を健康的に辞されたからですかね。「2022年4月から神田に設計事務所を開所する」という話は以前から聞かされていまして「辞する!」に至る詳しい内容は知りませんでした。仙台を脱出する日(大学退職日)に福島市の居酒屋に集い聞くことができました(音データ無)。 呑みながら「アンタの様に自由に生きる」と竹内先生は言いだすので私はきょとんとしましたが、府に落ちた点もありました。それは「俺、自由でストレスゼロだけど、収入もゼロよ。で、子供達にも多くの人にも何かするたびに支援してもらっている。先生は生活するお金はどう工面するの?」と大きなお世話の問を発すると「以前、勤めていた大手の組織事務所との関係があり、神田に事務所を借りて準備していた」と。なるほど大手事務所の若手教育掛かりに変身するのか! 「大学の先生を辞して自由に生きるのは大賛成だ。俺の家が神田に出来たようなものだぜ。それも嬉しい」と自分勝手に喜びグイグイ呑んでいましたら「事務所をいつでも自由に使っていい」と合鍵を一つ渡されました。そう言われちゃ喜んで使います。偶数月に「建築あそび」‘神田編、東京の活動の会場として使わせてもらう、その旨を伝えました。(デザイナー柳原照弘さんのように張ったりを効かせた設えでない。竹内事務所の様は路上的で使い易い) 岡田栄造先生も大学を辞し竹内泰先生のように自由に生きる暮らしを選んだはずだ!と私は確かめもせず喜んだわけです。「これで一緒に遊べる!」とね。犬や猫のように「遊び」のように見える暮らしをしている生物(人)が多い世の方が私は好きなんで、とても喜んでしまったわけです。 そんな思いで岡田先生に電話をいれた(7月1日)。電話の向こうで「山崎さんが幹事で、お疲れ様会をロシア料理店で7月16日に開くとのことです」。とだけ教えて頂きました。会の詳細、例えば誰が集まるの?それさえ岡田さんには分からない。ですから、俺が押しかけて行っても、コロナ禍だし迷惑な話だろうと思いました。でも引き下がらないのが私の悪い癖です。山崎さんに以下のメッセージを送りました。 |
2022年3月12日日記、竹内先生と呑む 建築あそびin神田のテーマ は「博士師匠と語る」にしまして10月から偶数月に非公開で開催します。ジャンル問わず、語り合いたい師匠をお持ちでしたら申込ください。 |
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■山崎さんとのやりとり | ||
■山崎さんより こんにちは!おかげさまで何とかやっております。佐藤さんのご活動FBで拝見しております。 岡田さんのお疲れさま会は、まだ時節柄大人数で集まりにくいので、森田、満田、水野、山崎という懐かしの(?)顔ぶれで、小ぢんまり集まる予定です。 7月16日(土)18時から、祇園にあるキエフというウクライナ・ロシア料理屋のビアガーデンで集まります。 |
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再度、岡田先生に電話して「今回の関西行は止めて、別の機会に計画します」と伝えた。(今年、関西圏に行きたかった理由は後に記します)2日後に下記のようなメッセージを交換することになった。 |
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山崎さん発 2022/06/05 11:00 こんにちは。満田さんたちに相談して、佐藤さんをお疲れさま会にお招きしたい…考えましたが、いかがでしょうか? 私たちで往復新幹線代(4万円)をカンパさせていただいて、岡田さんには内緒で、サプライズゲストということで。。 僕としては、岡田さんに深いご縁があり、われわれもお世話になった佐藤さんにいていただきたいという思いです。ご検討いただけますと幸いです 佐藤発 2022/06/05 11:46 お、ナイスなアイデア!喜んでサプライズ企画に乗りますのでよろしくお願いします。 で、岡田栄造先生がなぜ大学を離れたのか?を聞き取りしたいし、お疲れ様会に参加した方々の思いも翌日から聞き取りしたいし、(なぜ企画したり参加するのか?それも聞き取りたい)で大変嬉しいく珍しく人間の暮らしらしい提案ですね。 昨年からzoom森田一弥先生とは2度ワイワイ博士論文を頂くなどしながら記録を公開してますが、さらに違う思いも記録できると思いました。 再会を楽しみに旅よ(の)準備します! 山崎さん発 2022/06/05 18:07 ぜひ! 岡田さんには伝わらないように、よろしくお願いします(笑)。 |
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■2022年、関西に行きたかった理由 この項目は数が多いので箇条書きにします。 1)岡田栄造先生の顔を見たい、加えて近況を語り合いたい。(カラオケしました) 2)岡田栄造先生のお母さんの聞き取り記録を公開したい(公開しました) 3)柳原照弘さん(註)を我が家のゲストとして話合ったのは2007年3月31日 ・柳原さんの背中を押して後にデザイン・イーストと呼ばれるものを開催に導く (2008年5月17日靭公園の語り合いで、ぐいぐいぐい押す) ・彼がデザイン・イーストから撤退した理由を聞く ・後進を育てなかった理由を聞く ・近況の仕事ぶりを見て聞く |
(註)柳原照弘さんは故大島哲蔵さんの洋書店に出入りし、彼の愛弟子兼カバン持ちだった。で私は以前から知っていたので柳原さんを窓口に大阪や京都でのmy活動を始めた |
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・2008年開始したmy聞き取り活動は5年ごと15年間続けて後まとめる予定で開始した。今年が15年目ラスト年となる。 4)大阪の俺の家は3軒あります。現況を観る。(1軒だけ観た) ・内1軒は売り飛ばしたので会って理由を聞く(居酒屋ママが亡くなり家族崩壊状態) ・内1軒は同居の男と別れ転居した。その後の様子を見る(会って話だけ聞いた) ・もう一軒は何とか改修を続けて住めそう(実見する時間が無かった) 5)大阪アーキフォラムは今年から再開。その理由を聞く(川勝さんに聞いた) 6)西山卯三が生まれ育った西九条を歩き調べる(1日だけ歩いた。まだ足りない) 7)柳沢究さんに会って生い立ち編を聞き取る(他は聞き取り済) ・『住経験インタビューのすすめ』はmy聞き取りを機にこの本が生まれた ・神楽岡工司のような私塾についてはZOOMで語り合った(記録を読む) ・聞取活動で泊めてもらった家の「住経験をまとめる」アドバイスを頂戴する ・柳沢先生が俺の家を作り出していたので観に行った(笑) 8)関西圏聞き取り対象者が多くって老人になった俺は続けることが出来るのか? (予行練習をする→2ケ月ぐらい住み込み聞き取るしかなさそう。) 東京、金沢などでも活動要なのでこれから2年ぐらい掛かりそうだ 9)森淳平さんなどが設計し開館した八戸市美術館の本づくりは可能か(無理と知る) 10)他にもたにもまだありますが割愛します ( 絵:柳原照弘さんと2ショット)。今世紀に入ると私の関西での人間関係は柳原照弘さんに導かれ構築され始めました。 |
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7月21日京都逍遥で撮った絵 魚谷さん参上する 4枚 2022年7月21日撮影 |
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■岡田栄造さんの心身なにも変わらずいい人です 岡田さん自身も「一時、鬱病を疑った」と語っています。2022年7月正常精神です。初期鬱病の患者は自身を鬱病とは認めない(病識がない)。7月21日居酒屋で、岡田さんは尾崎豊作詞作曲の「僕が撲であるために」を歌っていました。歌を聞いて岡田さんが何故大学を辞し自由の多い暮ら選んだか推測可能な・・・気がしたので、動画撮影しました。岡田栄造さんの熱唱をご覧ください。 さらに付けくわえると「岡田治子人生を語る」に目を通していだければ、岡田栄造さんは幼少から現在までどのような人間であるのか?それを理解できると思います。 勝手気ままな私は妻を狂人にしてしまい30年掛かって結婚以前の女性にようやく戻して死ぬことができそうです。他者、家族の中の人間関係や付き合い方も、バランスよく暮すことも、困難な人生の行為の一つだと思います。どちらかが傷つき、全員が傷つき、家族離散、友情崩壊など様々な結果が日々起きています。そんな困難に向き合うことがありましたら、岡田治子さんの愛情のありかたを思い出してください。岡田栄造さんはまだ若いですが、更年期障害が起きる年齢に到達しております。本来の自分をつぶして生きようとすると心を病む可能性があります。(皆さんもしかり)ですから、彼はこれからあらゆる不自由を感じる領域から逃走しまくり、自身の自由を体現し続けることでしょう。そう私は予想します。そうすることで岡田栄造先生の家族全員が幸いになっていくことは間違いありません。21世紀の家族像をまじかにみることができる皆さんは幸いな人と言えます。 「ご苦労様会」は私たちが栄造先生に「ご苦労さま」と言われた会合だったのです。 2022年7月21日岡田栄造さん熱唱する様子 |
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「岡田栄造さんお疲れ様の会」 お礼の記録は以上でおしまいです。皆さん私が生きていれば、またお会いしましょう! 2022年7月25日 佐藤敏宏 ■以下は今回の活動を経て考えたことをまとめるための準備・私的メモ内容です 京都大阪体験記つくり始めると忘れてしまいそうなのでメモしておきます。 |
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■建築あそびと記録 1984年秋に自宅を完成させると同時に「建築あそび」も我が家で開催しはじめた。「俺の家はお前の家」だから来て呑んで話をして聞かせろ。それが建築あそびのテーマだ。第一回目のゲストが建築家の故・毛綱もん太さんだった。のち2001年5月28日の日記公開するまでの16年ほどの建築あそびの記録はない。記憶に残っているのは大阪の大島哲蔵さんが仲間を引き連れてお好み焼きを作ったことやダンサー勅使河原三郎さん率いるkarasuの初舞台が福島市民会館で行われその後ワイワイした記憶しかない。 2001年以降myHP「FULL CHIN」を開設しWEB頁で記録を作り始めたのは、現在慶応大学の田中浩也教授との交流に始まる。田中浩也先生が天才プログラマーと呼ばれているなどとはだいぶ後に何処からとも流れて来て知った。田中さんが最初に目の前に現れたのは1999年頃の原宿駅そばの喫茶店だった。彼はどもりながらパソコンを開いて4次元サイコロを説明しアニメーションを動かして見せてくれた。PCってこんなこともできるのか!と思い、即・PCを買ったのだが、使えずただスイッチを押してマウスを三か月オッパイをもむようにしてたら、使えるようになりだした。東大博士課程の学生だった田中さんの代々木の木造アパートにはよく泊めてもらって、近所の食堂(万平だったかな)にいき呑んでは駄弁った。時々藤村龍至さんは松川昌平さんが合流し、また渡辺英徳さんが来たりすると、もう収集が着かないほと意味の解らんことを誰かがギブアップするまで語り続けるのを見ながら呑んでいた。 |
2001年8月4日 田中浩也さんとの建築あそび記録 |
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『建築形態の4次元デジタルデザインに関する研究』1988年 京大の修士論文かも 『FabLife デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来』 『SFを実現する 3Dプリンタの想像力』 絵:田中浩也さんの論文と著書と手紙 |
2014年12月6日田中浩也先生来仙しメディアテークで講演したので聞きに行く |
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福島第一発電所事故によって放射能沈着し4年後妻の症状悪化る放射能沈着後、除染が済むと同時に彼女の狂気を加速させ続けた。その時の妻の思い=統合失調症患者の心の揺れが丁寧に記録されている。 2014年12月12日除染作業が始まる、その後から家人のガムテープアートの一例 モンローチェアーガムテープアートされてしまったので救出し元に戻す作業する。2015年6月18日日記より |
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(私の妻は統合失調症歴30年) どうして原宿に居たのかは思い出せないその内に思いだすだろう。何となく思うのは、私の妻は1991年に統合失調症だと私が気付いた。対応不能なので時々東京に出て行っては遊んでいたて、その時偶然もに彼らに会うことになったのだろう。結婚して50年経つが20年間に妻は私の害毒を浴びせ続けられ、精神が病んだといのが誰もが納得できる理由だろう。しかし結婚後半の30年はいつ正常な精神に戻るとも分からない日々を生き続ける宿命に落とされた。頑張る系の男には精神病と付き合い続け仕事するなんてできないだろうと思う。奥さんを精神病院に叩き込んで仕事をする、あるいは別れてしまい、仕事に役立つ女をめとり仕事をとる。そんな自分の生き方に合わせた目的合理の解決方法を採って生きることになるのだろう。 私は単に付き合い続けることを選んだ。30年間何もしない道を自由に生きている。統合失調症が治る、これは後で全くの無知な言葉だと分かる。だが、我が家の病と付き合い続け暮らし貧乏になってもいいやと考えて、仕事を辞めてしまった。そんな選択は誰もしまい。俺は妻を狂気の日々に追いやったような男だから、報いは受けようと思って仕事を辞め、病の日々と付き合う暮らしを選んだ。 その選択させた一つに、私の父は40代から躁鬱病を発症し、70才直前で精神病の薬が効きすぎて心臓が弱りとつぜん停止して死んでしまった。それを見ていて精神病は治らない病気、じたばたしても脳の働きなんか誰もコントロール出来っこない。犬や猫を可愛がって共に生きるように狂気の妻に虐められながら、(妻は虐められと思っている)暮らしていくと、どうなるのだろう?やってみないことには分からない。分からないなら病と同居することを採ろう。 そういう選択していたら、放射能に降り積もられた。そこから激しく狂気が暴走し続け手に負えず、暴れる手足をガムテープを出巻き付け、2015年6月に精神科の病院に入院させてしまった。だが6年後の現在は理由は全くわからないが結婚当時の精神に戻ってしまった。妻との付き合いのように50年経たないと分からないことも多いものだと思う。 出会いというのは不思議であり、後の人生を決定付けてしまうものだ。だから「誰かに出会ったら死ぬまで付き合い続け記録してやろう」という姿勢は妻の狂気を観察し続け生きてきたことによって、発想が生まれそして、聞き取りして十分に鍛えらてるように思う。 |
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(一度会ったらいつまでも付き合い続ける) 犬や猫と同じように人間も同じで一度会ったら死ぬまで付き合い続けることによって分かることが多い。そのうえさらに謎が深まるから面白い。地方に暮らしていると出会いも少ないので、出会いによって教えてももらうことは圧倒的に多い。だから人間に対する興味が尽きなくなる。 家人の狂気に付き合うことで分かった事も多いと先に書いた。が最も大きな気付きは正常な人は環境が変わるとあっという間に狂人になる可能性があるということだ。新型コロナの騒ぎが起きて以降、老弱男女ともに、「人間による関係性の病に患う人が多いくなった」と感じる。 例えば、私の知人は、会社では誰が発生源になるか?監視し合い、仕事どころではないと言う。さらに会社から帰ると全身消毒したり、買い物に行くのに簡易な除菌手袋をしたり、他者と会って会話をしない、外食は絶対しない、などと語る。 人としてオカシイ振る舞いだ!とは彼らは気付いてない。真正精神病患者は自分が精神を患っているとは絶対に語らないように狂っている。で新型コロナに罹る前に精神病にかかって仕事をしている。人間・人に会って語り合い歌い、飯を食い合うことで人間になる、その事をすっかり忘れている。だから私の目の前に居ても人間に見えない、現在の巨大なシステムが片輪に変容した一つの生き物だ。 新聞テレビでは毎日感染者数を数えるように、感染源を追求しつづけ諸悪を根絶しようと、しているという。秋葉原事件が起きたその年から聞き取り活動を始めて15年が経つた、日本には狂人が増えた。恐怖を煽るのでさらに増え続けていくだろう、それを観察しているのは面白い事の一つだ・・・・・・・続きはおりおみて書きます ・・・聞き取った記録はつくり始めます |
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