佐藤敏宏
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2023年03月の日記          




3月31日  庭の桜から花吹雪舞いだした。今年の桜は関西や東京の桜と同じ歩調でタイムラグないので、不可解だ。温暖化が日本列島同じ気候にしてしまっているのか
?と。桜前線も大雑把なラインになっているのだろうか。

■花田先生から校正、第一校が届いたので、昨夜からコツコツ修正し、アップを繰り返す。3月13日に居酒屋で語り合った内容のweb記録がほぼ出来てきて、来月からは別な記録をつくることになる。前立腺癌発見いらい、2,3月は病院通いも重なり、のんびりしている時間が少なくなった。仕方のないことだな。

■FB投稿
小池、花田、佐藤による居酒屋談議録(教え子と語る)校正中・完成近し
福島県産地酒が美味すぎて話が尽きない、馬鹿だね俺たちは(笑)どん底フクシマの、どん底にあるどん底各種と今後現れる、予想されるどん底の質と問題点とその因を語り合っていた。どん底を観察するのが好きで、どん底の濃さを競う者たちとも言えるか(後ろ二枚は花田先生最終講義のあとの懇親会の様子絵)

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3月30日  いい天気である。春だ。

■朝から晩まで花田+小池+佐藤の居酒屋談議の花田先生を校正修正しつづける。
■昼、米を買いにスーパーに行く。横断歩道に手押しの信号がついて、安全スムーズiになった!

■FB投稿
昨夜、小池航さんが遊びに来たので駄弁る(43歳の年の差!)
今月13日に知り合ったばかり。浜通りをぐるぐる、牧内さん花田先生と一緒に周り、夜呑んだ。翌日も我が家で語り合った。
■1980年代、福島市内を中心に刊行されていた、月刊『信夫野』を引っ張り出して、紙媒体のことをもワイワイできた、若い小池さんは面白いことを言い指摘した。なるほどと思った。(詳細略)30年ぐらい経っと明らかになるな。若い人に教えてもらえることはたくさんある。IT媒体の使い方は老人の俺と全く違うこともその一つ。
時間が経って『信夫野』廃刊され市内に商店がなくなった。ことも一つ。web媒体と紙媒体、地理空間から解放されて成り立つ前者、一体となって刊行された後者。『信夫野』は市内の100店舗に支えられて、1冊250円とはあるが、ほとんど無料で配布されていたと記憶する。現在信夫野のような内容をもつ・・暮らしに合った歴史も含める地域文化を毎月発信している紙媒体は市内にはなくなった。俺が30代初めには仲間と手作りのフリーペパー発行したが今はないのかもしれない。

庭の桜、新芽ふきだし 花びらちるちり

幸家大郎さんは瀬戸内水軍の末裔か?(要注意:相変わらず長い語り合い録)
私が知るかぎり「日本で唯一漂白し続ける建築家」の幸家さん。土木工事やストブづくりへと職業だって漂白し続けます。3時間の語り合い記録公開しました。間違い多いのですが。
瀬戸内 村上水軍も多種多様で幸家さんは兼業水軍の祖先をもっているのではないか?(俺の推測)


3月29日  温かい日

春ですね  煮豆を焦がす 桜散り
web電話で餓鬼時分から成長とまってるような長男と長話。長男元気だ喋りまくる。

■夕方、雑誌社勤務の小池さん来たので、花田達朗先生の本を差し上げる。若い人と『信夫野』にについて説明していろ、いろいろ気づくことが多い。例えばタウン誌と町は共に廃れたり隆盛になったりする。それを気付き面白かった。都市も人も情報も一体になり影響し合い日々変化続けていて、老人の脳だけが変化し難い。それは言い気付きだった。

■昨日書いたが・・・牧内昇平さん、FBに投稿!(福島市在住、2週間前に知り合う)
ウネラウネリというサイトを運営されている牧内さん、よい記事盛りだくさんです。私は何気に書いて投稿したのですが、牧内さんは、それをもとに綺麗に整理され見易く画像も貼ったWEB頁に仕立てています。
・原子力災害伝承館と請戸小伝承館に興味をお持ちの方ご覧ください

■めも)24時間対話かのうな人工知能
亡くなった人と対話するAI探していて、みつけた。遺影はIA人工知能にかわる日も近そう 生前動画多数発信していると、AIが無償でふぉろグラフィーをつくる世がきそう。で永遠の私が生まれるのだろう。そいつは俺なのか?

南さん円と楕円などの記事 


















3月28日  温かい日
満開の桜は散り始めた。木蓮の花は全て散った、杏子の花は2分散りかな。

■「生きるー大川小学校津波裁判を闘った人びと」の感想を書いていたが、昨日一日と今日午前中でおおかた修正、webアップした。間違った箇所(記憶違い)は弁護士の方からしてきされたので修正した。
 フクシマの様々な問題と原子力災害伝承館について「のちのち良き記録が保存継承される」そういう伝承のあり方を想像していたので、映画で描かれている諸問題を考えていると、フクシマの困難をとく、あるいは手がかりが方々にあることに気付いたの長い感想を書いて、整理したかった。遺族の方に配布すると連絡があったけれど、思い起こしたくないだろうから、配布にはやや消極的だ。だが、一端発信、web公開した記事がどのように使われても、問題を起こしたしても、責任をとる覚悟はしている。そういうことも含め感想文を書いてみた。
さて、どういう展開が、この感想文がうまれるのか?なにも起きないのか?わからない。

■ウネラウネリさんのサイトの記事に投稿したら、綺麗にまとめ整理して見易くして記事になって公開された。福島の原子力災害伝承館について、思うことはこのサイトに投稿してまとめてもらう方が可能性が高いような気がする。迷惑に成らないていどに投稿していくつもりだ。公開された記事についてFBに投稿した。

伝承館を語り集うことなど my投稿 公開いただきました
https://uneriunera.com/2023/03/28/denshokan0-15/
 ウネリウネラさんの伝承館は何を伝承するのかに投稿しました。各地の皆さんも、フクシマに生きるみなさんも、このサイトに集まり、伝承すべきことなど語り合がすすんでいくことを願っています。投稿してね!






3月26日  雨にて気温下がる。

■ホルモン剤の効果が表れていて、乳首が下着に触ると痛い感じ。

牧内昇平さん本 2冊リクエストするため。福島県図書館へ 市内在住の牧内さんはweb発信もされていて、もと朝日新聞記者なので、情報発信のプロだ。

■FB投稿
多量に温泉水素水!大阪の幸家大郎さんより
前立腺癌となった俺。ホルモン剤と皮下注射のダブル効果で女性化しちる気配、体のあちこち目で見えるように出始めた。玉をちょん切っても男性ほるもんは止められないそうで、内臓のなにゃら機関も切除しなければ出続けるのだそうだ。元気な男の源は癌をすすめるそうで、俺の多い男ホルモンは障害になるみたいだ。
このところ医師の処方する薬でピンピンムキムキはすっかり減少しており、しこふんだり鉄砲したりしてないのだが、お相撲さんのように乳が大きくなってきた気がする。そして夕方になるとぐったりする。起きて10時間は持たない(これは誰でもそうだね)。薬慣れすればピンピンするのかな・・・平凡な体力で起き続けて作業するあの体力もなくなったきがする(←さぼる口実)薬の効果か歳による衰えなのか?判然としない点が老人病のややこしさだな。面白いことはたくさんあるので、体力の衰えと癌は気にせず活動するよ。

■めも)京都市「空き家税」はじめた
空き家の利活用に進展するのかも
 https://www3.nhk.or.jp/lnews/kyoto/20230324/2010016941.html





3月24日 昨夜は雨  

庭の桜満開ちかし 今年の花弁はおおきくってふっくらしているように見える。

・花田先生から13日語り合いの校正データの一部が送られてきたので、修正する。

■「生きる」を観ての感想文をざっと仕上げる。来週清書しよう。


■自らの命の終点が見えてきたので、書きすぎるのかも これは予想外のこと。ここ数日ホルモン剤が効きすぎて体の方々変わってきているからか?

「生きる」を観て (ざっと書いた。来週仕上げる)
勝訴してもお父さんとお母さんは「ひつそりと泣きます」と話ていました。なぜでしょうか?その答えは映画館に行くと分るので今日できた感想には書き入れませんでした。
■感想を書きだした訳は、myFB投稿をみることになったしまった吉岡弁護士から届いた思わぬ言葉です。
■ドキュメンタリー映像作品は複雑な内容が多いので、忘れてしまうのでメモをとりながら見ることが多いです。でも、真っ暗な会場でのメモは文字が重なったり、あちこち切れて、ちぎれちぎれになて意味不明になっているのでコツが要ります。常々映画をみたら感想文を書こうとし、慣れるしかないかもです。慣れても暗がりのメモはも使い物にはならないのが多いです。お勧めできません。豆ページといわれる頭に記憶するのが最も効率てきなことは分っていますが・・・どうもmy豆ページ腐ってきていますので、紙が要る(小票の形状が暗がりでは扱い易いし隣の客に迷惑もかけないと思います)
■家でDVD鑑賞環境のような館内が明るい映画館を希望!(別室でも・・OK)DVD出るまで待つのがいいのだね。



昨日のFB投稿

「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち 感想文書中
https://www.youtube.com/watch?v=n14wLdCsV9E
8割ほど書き終えた。なげに検索したら、この動画が落ちきたので観た。この動画に関しては、感想文では触れない。自明だが遺族たちも多種多様な考え方と偲びかた、伝承行為をしている。そのことが少しわかった。同時に、この国の人が、いざ災害に遭ったなら、誰ひとり被災者を救う術をもっていない。そんな残酷な事実をまた一つ確認した。
■映画のチラシ絵に「竹あかり」の様子の画像が使われている。遺族の一人、佐藤さんなどが代表理事となり3・11に「大川たけあかり」を点灯し偲んでいる














3月22日  今日も温かい

■庭の桜もさきだし、水仙につづき木蓮、ぼけ、杏子と咲きだし春爛漫だ。床暖も切る日となり。
■大川小学校津波裁判を闘った人々の感想をwebにまとめ公開するために、全体の構成を考え、タイトルだけ付けた。出来た感じがする。明日からコツコツ書こう。理由は以下のFB投稿のようなことだ

思いもよらぬ反響!?─鑑賞し考えたことを整理し記録づくり開始
寺田和弘監督の『生きる 大川小学校・津波裁判を闘った人たち』を観てメモ感想をFBに貼ったら・・・呑友の斎藤隆夫さんが吉岡和弘弁護士へコピペ電送したそうだ。吉岡さんから望外の応答があり驚いてた!あのとき鑑賞して考えた事をすべて書いてwebで公開しよう・・・と思い直し作業開始。

2023年1月11日に映画づくりをクラウドファンディングで支援した花田達朗先生から特別鑑賞券が送られて来た。しぶしぶ観るしかないな〜・・で福島フォーラムに行ったら寺田監督にお会いし駄弁ることができた。まったく受動的な出来事の連鎖で考えたことなのだが全てを書いてお伝えしよう思い立った。庭の桜も咲きだしたフクシマにも今年も春がきたのだ!

■同蔵でも県内各地の醸造蔵の酒も、種類多すぎて選びにくいのが、福島さん地酒。とはいえ昨年60種類目標に呑んだので、かなり福島地酒は通といえるかも。同上の酒は都会の人は好きかもです・・で送る。おれは昔の酒みたいに麹臭がありや癖が強くても美味いそれが近頃のお気に入りです。意地悪になるかもしれませんが 銘柄は教えません(笑

■復習要するかな「ふるさと」ダム底に沈んだふるさと
人は故郷を喪失することで何をえるのだろうか?復習する時期かも
https://www.youtube.com/watch?v=sYhUd7bsc3Y
ドキュメンタリー作品ではないが・・・・


メモ)福島市駅まえ拠点施設 ←事業費増大が止まらない ←時代錯誤で金太郎あめのような行為しかできない福島市だけど、要ると言い張るったのは、首長のやったふり感とそれを支えちゃう福島市土建村人たちと市議会村の面々かなんだろうか?・・・21世紀の開発に似合わない要らないような、どこにでもある複合施設ができるのだろう。これが福島市の文化なのだが・・・人もすんでない(栄町住人10人とか!笑)駅まえなど開発せず、IT加速した現在、駅周辺に買い物などの施設いらない。だから駅周辺の土地を数倍取得しお金を生まない、維持費も少ししか掛からない、森林公園、森林ビルなどにし、100年掛けて、ひとが今も暮らしている市役所周辺に資本投下と商業施設も集中させてほしいんだけど。福島市役所門前町化構想(笑)←老人は語らず運動せずがいいでしょう
















3月21日  温かい一日となる

■昨日から、花田+小池+佐藤での居酒屋談議に画像と動画を埋め込む作業をし続けた。1頁の方が見易いのだが、4分割した。校正依頼をしので今月中には公開できるかもしれない。

■ FB投稿 
メモ)伝承館の役割の一つ福島カレッジ 地位と博士号とお金で若者を全国から誘導してるんだね。貝沼氏がロードマップ描いるんだろうか? 
 https://www.fukushimagaku-c.org/ 
福島県内の3・11後の若者たちも手を組んで、原発誘致時と似た構造に成りつつあるようだね

■福島県立美術館より優待券!
昨年、約40年間も手持ちの作品を寄贈した、一点は瀬戸正人さんの原点のようなオリジナルプリント。もう一点は斎藤隆さんの一対の日本画。その返礼として福島県から優待券だぜ。折角だから、展覧会ごとに出向き、レポートにまとめweb記録を公開していきたい←手元にある材料多すぎて、手が回らなくなるかも・・。

・寄贈し思うことは、美術品と美術館を語る時に寄贈体験フィルターを入れて言葉にできる、その点は、望外であり豊かな環境を得るんだな・・と確認してしまった

■あの3/11の日から 複合災害の体験を自身の言葉で伝えようとし続けているな・・
12年間それらの思いを記録しつづけて、他者の体験談や作品を得ることで、自らの深層と伝えるための記録の作り方、伝承の手法などすこしずつ見えてきている。自己の体験を他者と共有するためには時間掛かないとそのアリア手法は得られないことだらけなんだと知り、自覚しているこの頃

■20日の投稿
呑友・斎藤さんによる「生きる」の感想が投稿されました!
フクシマ被災民の方も含め福島県内の学校の教師全員そして、生徒とその父母など家族にも含めて列をなして観てね。フクシマの記憶の伝承保全を共に考える好き素材として受け止めもらいたいものです。12年経ちまたが20年後振り返ると、フクシマは始まったばかりに見えるからです。(←すでに冥途にくらす俺語りになってる)

 あとで読もう NHK原発事故特集 ドライウエルスプレー 













3月19日 まだ寒い  

FB投稿 
被災者(遺族たち)はなぜ伝承館に行かないか?(俺も入館したくない一人)
その答えは寺田作品の終盤に描かれる。記憶が残る2つのシーンを振り返ると、中村有奈さんの両親が大川小学校に入り娘のプレートを触れる(なでる)そして去るあのシーンにある。もう一つは名前記憶できなかったが神社を継ぐはずの娘の両親が語り合いシーンにあった、具体的に書くとお父さんが津波で亡くなった娘の亡骸を戸板に乗せた運び出した場所に献花する時に発した言葉の中にある。この二つを見てしまうと慰霊鎮魂の機能を欠いたような官製の形式化した伝承館に献花をするわけが無い、そのことが強く理解できるはずだ。具体的に書きたいがネタバレになるので映画館に行って感じてもらいた!先生の言うことを聞いて行動した子供がなぜ?そこで亡くなったの?その答えも伝承館内に存在しない。歴史家達がさんざん「物と現場を残せ」と警鐘をならしつづけたが、多くの被災物と現場はあとかたもなく消されてしまった。
蛇足になるけど三条さんというの語りにもある。奥さんと子供を津波で亡くしサラリーマンを辞し牡蠣養殖の漁民になった三条さんも伝承館に立ち入らないだろう。彼の言葉にも知ってもらいたいものだ。
■『生きる』のチラシを手にとると黒沢明監督の同名の作品を思いだしてしまう。大川小津波裁判の「生きる」はどうい意味を発信しているのか?とても興味があった。黒沢作品はエンターテインメント。大川小の「生きる」は勝訴しても、両親たちは救われない。なぜ子供は学校で死なければならなかった?と思い続け、両親が亡くなるまで、彼らは胸にその思いを抱き続けなければいけない、地獄の仕置きのような日々しかない。これが過酷な現実なのだ。
あの日からフクシマを生きる多くの人も同様に救われることはない日々を生き続けている。生きるとはそういうものだと教えてもらえる映画だ。そうして生きる気高さと困難を想像共有できる人は限られているように想う。良かれと思い浅知恵で伝承館は急いで作った。それは国指導でもあろうが行政が過ちを犯す事実の一つとしても記憶しておきたい

(斎藤さん投稿)

佐藤さんが絶賛するので鑑賞してきましたぜぃ。
一人一人の遺族、親の気持ちになって涙ぐんだり、教育委員会の説明には腹立たしい思いでした。
我が子を亡くしながら裁判をするには子供の命の値段を決めなければならない。「金目当てかと誹謗中傷され、私たちは何度も死んだ。」との遺族の言葉には胸が詰まります。
寺田監督のトークの時間で「行政側が説明をすればするほど遺族との距離が離れていく」との言葉には、役人OBとして思い当たることがあり刺さる言葉です。
斎藤先生の「学校が子どもの命の最期の場所ではあってはならない」との言葉と勝訴した時の涙が人間的でもらい泣きでしたよ。
吉岡先生は主題歌の作詞作曲までしてましたな!。

■FBで紹介した映画をみていただき、そこでもらい泣きしていただき推したかいがありました!21世紀のドキュメンタリー映画のお手本となりますね。「寺田監督作の生きるは傑作だ」とやがた語り合われる作品ですね。3・11後「福島県内は宝の山だ」と思って生きて来ましたが、充分発信できてないので、これからも引き続きお願いいたします。(福島県内の多数の方々にぜひ見て語り合っていただきたい作品ですね、今夜も寺田監督は福島フォラムで対話してましたよ)



3月18日春の雪積

『生きる─大川小学校、津波裁判を闘った人々』を観た。 
「観に行きたくなかった」監督と話合が可能と知り観た。観て21世紀の記録映像として一級の作品だ!(国宝級)東日本大震災の被災者なら見るべしに変わったよ。(その理由は後に書くかも)花田先生に招待券いだたいたけど今夜は監督が登壇するので使えない。監督の話を聞くのに1000円は安すぎるけど、行きたくない!理由はフクシマで散々見聞きした、国・行政・有識者、浅知恵とその場しのぎで後は知らないぜのマスコミなどに作られる震災スターたち。それらに加え被災者同士が対立パッシング合うあれだろう・・・と考えてしまったからだ。
内容は至ってシンプル、23人の遺族が勝訴する、その過程を描いているだけ。だが、映像がいい!みたことないシンプルにして真実を写していてプロなら撮れなし、赤裸々すぎて放映できない。当事者しか成せない映像記録じゃないか・・・と思った。こんなに切迫した話し合いをスカッと見せてしまう、こんな絵は当事者しか撮れないぞ、そのような映像だらけなのには驚いた!もしかすると監督が被災者パパなん、と思って観ていた。闘争中に語られる言葉のやり取りも被災者しか問えない、行政の方しか語れないその場に立ち入れるひとしか撮れない、教育委員会の嘘証言と身振りだって詳細に撮影されている。なんて迫力満点なのだ、そのことには本当に驚いた!何度も書くがドキュメンタリー映像作家には撮れない絵が満載なのだ。こんな映像撮れる監督ってどういう人だろう?やっぱり亡くなった子供のパパだろうな・・・とそういう思いが頭をぐるぐる回ったよ。
■謎を解くため上映終了後、寺田和弘監督と長話をし、その謎が全て解けた。よかった。(書かない)寺田監督と差しで話せて1000円安すぎ。寺田監督初作品だった。多数被災地で撮影しているプロ監督は何をしてるんだ?と言ってしまおう。(新事態は旧来の価値を持っている者には記録できない)
■映画の中身から学び、自分に言い聞かせたこと。
冒頭は吉岡和弘弁護士が大川小学校の整備された震災遺構に立ち失望し語る「雰囲が気変わったしまった、これではだめだよ!」と・・・呟く。震災遺構つくりを担当した行政の方々と関わった建築家の方々はぜひ鑑賞し、何が建築家と行政が、被災者と弁護士を失望させてしまうのか?映画の途中で子供を亡くした父親がその答えを語っているの、見て肝に銘ずべし。
■このプロ達で検証できない駄目者なのね!
自らの子が安全であるはずの学校で先生に誘導されたにも関わらず、なぜ?大川小学校の生徒だけ命を失ってしまわなければならなかったのか?その答えを前川喜平、室崎益輝というプロの検証委員たちが解明できない!子供を亡くした遺族たちと吉岡弁護士、斎藤雅弘弁護士の連携が勝訴の道を拓いた。その過程を自身に引き付けて書いてしまうと、フクシマ原子力災害伝承館は何を次世代に伝えなければいけないのか?そういう問いをつくり資料並べるべきだ、そして、それらの問いを解くために知るべき事柄がある、お宝の山のドキュメンタリ映画だ。しかし勝訴したのだが、遺族たちは真に救われることは無い。同様にフクシマに生きる私達も救われることがない闘いを続けることが宿命づけられてしまっていることは自覚すべき。


寺田和弘監督と2ショットする福島フォーラムにて

FB 追記
石原 明子様: 投稿ありがとうございます!質問したいので監督来場し観客のすくない時間に行きました。想定通り、疑問質問すべて聞きとることできましたラッキーでした。21世紀の映像作品の可能性を示唆している作品でもあり、そこの希望も見せている、その点が鑑賞てして良かったです。高校教師がこんな映像撮ると教師になる者が減るとアホナことを言ってました。親なら「そんなこと思う奴に教師になってもらわんでもい!」と思いますよね。しかしあのような発言を監督に向かってできるやつが校長になったり教育委員会で偉くなるんでしょうね。で子どもが犠牲になると。

親たちが「小学校で子供を殺すな」ともとめるのは子を3人持つ親として当然の言う権利だと考えまする。義務教育現場をになう関係者に子供を殺されたと思えば「訴えても裁判所や文科省などの国家機関によってたかって潰される」との想像は容易についてしまう。そこで間に立ち被害者を支える弁護士の資質が問題になる。国家サイドにつくほうが勝訴しやすいのは自明だから。「生きる」に登場していた、吉岡+斎藤の両弁護士は日本では希な存在の人々だと感じます。そして両者から撮影を許諾される寺田監督はさらに稀な人なのだと分りました。世をすこしでもよくしるには人間関係が肝ですね。

東大の米村先生が「この勝訴で東日本大震災で亡くなった17000人を魂を癒し弔うことができる第一がひらけた」と発言していた。強く同意した。あれから10年ほどの言葉の熟成期間、あるいは言葉の醸造期間は災害被災者にとって要るんだよね。ちゃらちゃら言えない。だから短期間に伝承館など造るべきではない!・・そんのことも明確にした記録映画だ。










3月17  温かい春の速度ます 庭の木蓮開花

昨日から、花田、小池、佐藤による呑みワイウィを文字にし始める、90分ほど文字にした。来週からは絵付けが開始できるかも。文字にしない予定だったが起こしてみると面白い記録になるので、知らずうちに文字になっていくので、嬉しい。のんびり文字にしているつもだらだいぶ残りが少なくなってきた感じ。

■癌が骨に転移していないかmRI検査したが結果がでるので、病院に行く。転移してないとのこと。まずは骨が痛くなるのは、将来は分らないがとりあえず無さそう。28週効き続ける皮下脂肪ホルモン注射を接種し、2月ほどのホルモン剤を買う。そのご再度5月12日に血液検査してPSAの値がゼロに近くなれば放射線治療へ進のだそう。活動に節が入るけれど、かえって目標が設定しやすくなったように思う。

■牧内さんのweb記事 請戸小と伝承館 (伝承館は何を伝承するのか?)

■FB投稿
明かな骨転移を示唆する異常所見は指摘されませんでした
まだ少し生きていてピンピン・・・皆様にはご迷惑を掛けそうです。骨が痛い?は回避=モルヒネを打たれずに済みそう。(将来不明)で嬉しい。ですが、ピンピン度(男性ホルモンか?)が高いのでジャンジャン薬剤を打お腹の皮下脂肪にブスり、すぐに財布に効きましたね。同時に男性ホルモン抑制剤も服用せよ!との指令がでました。老人のピンピンは財布によくありませんね。
5月半ばに再採血しピンピン度が下がっていれば放射線治療とのこと。花見の季節まじか呑むよ、福島県産の純米地酒うまいですよ!



3月15日 好い気温 木蓮も花開きだし桜の蕾も割れそうな気配

■小池+花田先生とワイワイした画像と音データを整理する
■午後、食材を買出しに家人とスーパーに行く。
■夜、花田達朗先生と樫原徹先生にweb電話する。どちらも30分超の話となる。

■牧内昇平さんが開設しているサイトに伝承館体験した気付きを投稿する 返信がきたので書き込み応答する。主なこと

@軸線が原子力発電所を向いてない問題(省略)
A大きな玄関ホールの問題
 海側(東側)が湾曲し、北に向かうほど幅が狭くなり通路と本棚になっている。だだっ広い芝生と青空の鑑賞のためなのか?と想える大きな硝子面。あれは上部が壁で回廊付きの展示壁がであるほうがいい。鑑賞者が2階を巡遊できるデザインすべきだったのでは?
なぜなら、玄関ホールイベントホールとして機能を変える場合、回廊から見下げる視線が生まれ、イベント全体を見下ろせるからです。見られる視線が発生する、その効果は芝や空を見る硝子窓より断然優れているだろう。そう思います

■大きな玄関ホールの好例は「八戸市美術館のジャイアントルーム」があります。
昨年6月観に行ったとき、設計者に偶然会ったので聞き取り記録をつくりました(私が一方的に話しているんですが) 記録を紹介→八戸市美術館をたずね (fullchin.jp)

■投稿内容
 題名: 平面円形のホールは展示側も見る側も使いずらいと思う
メッセージ本文:
円形のホールと斜路の意味と寸法について学芸員の方に問いました。私は初め、格納容器のデザインを模しているのかと考えましたが、「関係ない。デザインのことなので・・・」推測ですが学芸員としては口出しできなかっただろうなと受け止めました。斜路と円形のホールは建築上の難点が多いと感じます。まず、2階の他の展示空間を圧迫してしまっていると思いました。もっと明快で単純な空間分節でよかったのではないでしょうか。(建築計画上の問題なので、当時の県の建築住宅課の担当者に会い、意図を聴取しようと思います)。2階展示場にも半円形デザインの展示室があります。「使い易いか?」と問うと同学芸員の方によりますと「最も使い難い。理由は6か所から投影し映像を結ぶ仕掛けなので、地震に遭うたびに投影機材が動きそして画像が乱れる。そのたびに調整しなければならない」
また、斜路のタイムライン展示は登者からみて右側にある方が断然見やすいので、展示計画のミスかもしれませんね。円形斜路の右側のスリットを設えてありますが、鑑賞者(自分)去ったあとの乱れた椅子が見えるだけですね、設計意図が不明です。
ですから1階が展示で、2階が学芸員ためのバックヤードの方が、足腰の弱い方には断然鑑賞し易いと思いますが、皆さんの意見はどうでしょうか?伺いたいところです。

■FB投稿
牧内昇平さん ─3日前に知り合いました─
絵右の方が牧内さんです。朝の集合だったので、お子さんを小学校にだしてから我が家へ来ていただいたわけですから、疲れていますよね。■牧内さんは東京生まれですが現在、福島市に住み子育てをしながら出版活動も始めたインデペンデント系のジャーナリストでもあります。web発信記事も多いようですが、この投稿で紹介するのは「福島県・東日本大震災原子力災害伝承館」についての記事です。俺は伝承館に2度・しか立っていないのですが、少し想うことがあったので継続的にweb記録を残すものいいかな・・・と思い始めました。■子育てパパの多様な姿勢での伝承館に関する記事は全て読むつもりになってしまいました。福島県内外の方も災害の記録を作りはどのようにし、その内容を伝承していくのか?・・・など(特に若い方には)参考になると思いますので紹介します。(サイト右欄特集からどうぞ 感想など投稿もかんげいしていますよ



3月14日 

昼酒のみ語り合う。
今日は花田達朗先生と雑誌社勤務の小池航さん夫妻が遊びに来てくれたので昼酒み親睦会をする。いでに昨日の浜通り視察の気付きを確認しつつ、伝承館を体験して浮かびあがてきた課題を整理する。そのために集まったような熱い語り合うとなる。勢いあまって奥さまが司書だというので県立図書館と市民の関係のしかた、ついでに(サンチャイルド像をふくめ)美術作品を含む美術館と市民のよき関係の構築のための論点を炙りだすことに挑む、でなんとかまとまる。語り合いの勢いは止まらず、伝承館、博物館、美術館の中核をなすと思われる、学芸員魂に着火するための市民サイドの準備と心構えに話題に発展し5時間ほどが過ぎた。

■夕方、花田先生は22年ぶりに、小池夫妻は初めてだったが、千万家を案内し好評をえた。



3月13日 ときどき雨、昼頃、風強し、夕方やむ

昨日は浜通り視察と伝承館などの課題について議論
牧内昇平さん花田達朗先生と教え子の小池航さんの3人に誘われ浜通り視察。運転は小池さん。我が家を9時に出て114号線を走り浪江へ。浪江町ふれあいセンター、請戸漁港、震災遺構浪江町立請戸小学校、東日本大震災・原子力災害伝承館、夜の森公園などを周る。伝承館では担当の方を俺がしつこく質問攻めにしたので彼は答えられず、学芸員に登壇いただくことになった。花田先生も加わり学芸員の方とは長い時間、館内を行き来しつつ展示の細部にわたり説明していただきながら、討論をする機会に恵まれた!
学芸員の方に対しても痛い問い、正鵠を得た質問だったようで学芸員魂に火を付けることができ、問い以外の実態も教えていただくことになって、誘われ俺・斬り込み隊員の役割を果たせた。質問内容は最初の丸いホールの無駄さ、それに比べて展示会場の窮屈さやグジャグジャした動線、、それぞれの展示の内容の難点、このようにしたら理解しやすい、発電所模型の課題などの細かな点についても質疑応答を繰り返しつづけた。
根気よく応じていただくことで、発信源が不明な噂・流布していて、誤解をもってしまった主要な疑念晴らすことになり、望外な収穫ある時間だった。
2度目の伝承館体験によって思うことは、震災の伝承課題も時々刻々変化させ、伝承しべき正解を探し出す行為の中にあると自覚し、館も鑑賞者の意見にも柔軟は対応をしていただくためには、定期的な双方の語り合いの場の場を設けるが課題となっているのだ。そうしたことを繰り返すことで、まだ終わりの見えない原子力災害のための展示の内容も変化させ続け、世界的な原子力人災災害の事実をより正確につたえることがになるのだと思えた。(伝承館の建築計画上の欠点も浮かび上がらせることもできて)今回の視察でも収穫は多かった。

■夕方福島に戻り、小池さん花田達朗さん師弟対談を日本酒を飲みながらおこない、イノベーションコースと構想の問題をぞ分に語り合うことができた。社会学者である花田先生が加わると議論の場が分厚くなり見通しがよくなることは毎度思うことだ。














3月11日  あたたかい日だった。

■庭の野ばらも芽吹きはじめ、木蓮は蕾がわれだした。
■掃除機が壊れたので、修理しようとしさらに壊してしまう。なんとか復旧した。吸い込み力音低下はゴミ詰まりだった。
修理した掃除機で掃除をすると汗ばむ。

■図書館に本を返却しながら傍の如春荘により、語り合いを聞く。美術館の荒木さんも参加されていた。

■FB投稿より

石原明子先生(熊本大学)久しぶりにお会いする
エチカ福島(福島県内の高校の先生方)と熊本大学石原明子研究室の主催にて「今、水俣から福島を想う」(@如春荘和室)と題する対話イベントに途中から参加することができた。参加していた福島の方々による肉声は、3・11から12年間、各人の時を重ね思考しつなぎ生まれる言葉なので聞きごたえがあった。ようやく何を伝えるべきなのか?各人の中で磨きあげられている、という感じ。こういう場に入ると、肉声に発し共有する言葉にするためには外部からやって来る人の存在が不可欠なんだと思うと思うばかりだ。まれびとも色々いて自己目的が達成されてしまうと、来福せず・・・がほとんどなのだが、石原先生は継続的に関わり交流している稀な有識者の一人だと思った。

■年間被ばく量が1,20,50と線引きされ、1は放置、20以下は市町村で除染、50以下は国直轄除染、50以上は帰還困難地域でせず、と当初から分け対処されたことで─補償額の大小も加わり─分断と対立する状況がつくられていた。県民あるいは被災民同士の語り合いの難さは線引きから生じるこは周知のことだ。さらに複雑にするのは福島県の地形による被災状況と文化の差異が加わることだ。(環境省は福島県民からは、被災民として団結する根を壊す、「みなさん金目でしょう」と壊したが団結させできなかったので、それが目的だったとも言えなくもない)

■水俣人々の肉声が記録されている冊子を500円で購入。「第一回水俣から福島を思う展in水俣」(2022年3月26〜30@水俣市もやい館)出典を明記すれば内容は自由に使っていいことを石原先生に確認した。

■石原先生との出会いは、第2回ふくしま会議(2012年11月)をに参加し終え、足が無いので大学構内のバス停に立っていたら、石原先生もバスを待ちに現れた。話してたら「飯坂温泉でおこなわれる、懇親会に行こう!」と。悪そうな人でなければ誘われた断らない主義なので懇親会行きのバスにのって飯坂温泉までつていった、福大の先生は1一人しかいなかた他は全国各地の研究者たちだった。懇親会の後も夜通し議論だった。(懇親会には100人ほど参加していたようだが、手つかずのお膳が沢山あったので、懇親会に来ずに帰京した人がおおかったのだろう。そんなことをぼんやり思い出した。

3・11後、長期安倍政権による、マスコミの腑抜け振りを見透かした多数の揺さぶりをかける、腹黒き発言により、電力会社から広告費を頂戴しているマスコミ各社は忖度し続ける腑抜けぶり。そういう、かれらの垂れ流した記事や番組の内容に、被災民大いに惑わされる不幸も重なってしまった。そのことは福島県内のマスコミに暮らす人々の害悪と言える



3月10日 薄曇りときどき陽射しあり

■米がなくなったので10kg入りをスーパーに買いに行く 3500円ちょいと500円ほど安かった。近頃なんでも値上げりしているので、貧乏人は困るけれど、工夫して美味しく飯をたべている。

■昨日送られてきた五十嵐太郎研究室の本を読む1日とした。近頃夕方になると怠くなるのは薬の効果が現れ始めているのかもしれない。まだ元気なのだが、男性更年期障害のような気だるさが現れると薬害の事例に書いてある。男性ホルモンを押さえているので、仕方がないので、無理せず、コツコツ生きていこう。

関連死者数 ふえてる?3789人 自殺者は248人 
 https://mainichi.jp/articles/20230310/k00/00m/040/356000c










3月9日 うす曇り 昨日は6月なみの気温とか、今日もどうように温かい

■布団乾し、午前家人をスーパーに食材を買出しにいく。昨夜は深夜まで将棋の名人戦挑戦者決定戦を見てしまう。強い20歳の藤井棋士。今年は藤井名人誕生なるか、名人戦は来月から7番勝負で始まる。将棋も碁も奥深いのではまらないようにしよう。

■午後、五十嵐太郎研究室の研究成果の書籍が送られてくる。頁をめくるととても興味深い研究だったので、電話をいれてお礼を言う。地味な研究だとは思うがこれからの社会に不可欠な異領域連携によって大学や社会にあるお宝を展示活用するための研究だった。2019年に災害研(my長男たち)が声をかけた開催された、3・11災害と歴史の中で研究者はどのような活動や研究をしていたか、報告会と議論をする場に参加していたので、そのことともつながっていて、とても興味深く意義のある書籍だった。

■以下FB投稿


五十嵐太郎研究室より基礎研究をまとめた本!
地方大学における総合的な地域資料の展示公開モデルの構築』2023年3月刊発行。出来立ての本が送られてきた。内容は、新コロナ下における五十嵐太郎研究室の研究成果のあらましを187頁にまとめてあった。建築デザインにかぎらず歴史系、医学系など領域横断し研究成果を地域社会と共有する方法ための手法と現況の研究。また、眠っている物の展示空間を模索実施するなどの様子の紹介と関する講義内容のあらましで、それらの領域で域で奮闘されて人々の肉声の一部がしるされている。
■東北大学にかぎらず、地方の大学も県庁なども実はお宝の山だ!─負の情報も含め宝の山─であるが、それらに関係している方も含め、地域の人々が、それらのお宝を活用しているように思えない。またお宝があることも知らずに暮しているのが実情ではないか。
では、それら物や文書などをどのように地域社会に開き展示していくのか?その研究もされていないことも分るし、どのように地域に活かしていくのか、世界と日本各地の大学や館を調査し、研究会を30回ほど開かれてまとめた途中経過報告書であった。
■この研究書を手にすると、福島県に出来た「原子力災害にかんする伝承館」が厳しい批評に晒されてしまうのは当然のように思えるし、これから展示手法や展示館など改変されつづけて、数十年後に完成すればよいようとも思う。(まだ公開できないが、伝承館のスタート時の混乱因は調査中であるけれど、酷いなと思う情報があつまりだしている)


■原点とは思わないが、興味がわく記録がTLに現れたのでメモをしておこう。
「原発報道」は戦後ジャーナリズムの敗北の原点である




3月8日  よい気候になる

■家人が40年ぶりにぬか漬けを仕込んだので食べた。薄味で美味い。

■ホルモン抑制のための薬害のせいなのか、怠いので午前10時までねていた。夕方も怠くなる、で夕方も寝床でゴロゴロ2時間ほど横になって後、夕飯を喰う。

「福島県庁舎」の設計と建設の過程 (速水清孝著2017年)
雑誌にmy寄稿の内容は県庁の時計塔に関して書いたので、さらに調査しようと思い県にでかけて、ワイワイして、多種多様な情報を得る。(現場には宝が落ちているような気に成った)県施設管理課さんより上記論文をいただいたので読む。時計塔の件は今後の研究課題となっていたが、本庁舎の建設に関する建築家と設計図の経過が詳細に分る。速水先生のジャーナリストに似た(歴史の検証作業)姿勢に敬意をもった。2021年学会賞を受賞された「建築家と建築士 法と住宅をめぐる百年」そのあらましがPDFで公開されていた。書籍になっているのだが高価なのだし県内に暮らす多くの人が手に取るのがよさげなので県立図書館にリクエストして購入してもらおうと思う。

■午後、県立図書館に行き本のリクエストをする。書名は速水清考t著『建築家と建築士 法と住宅をめぐる百年』2021年建築学会賞受賞を県立図書館にリクエストする。高額品なので所有館から借りることになるかもとの応答あり。
内容のあらまし PDF 




















3月07日 なんとなく 気温ほどほどにて過ごしやすい。

■あさがたmy長女から朗報メッセージが入ったので、家人におしえた。家人喜びメッセージを手描きしたので、電送する。あっというまにドイツから返信くる、なんて便利な世になったんだろう。

■午後、県の施設課にmy記事を届けワイワイする。貴重な情報も得たのだが、公言できないので、10年ぐらい寝かせないといけないが、いたしかたない。速水清考先生著「福島県庁」舎の設計と建設の過程、2017年建築学会論文のコピーをいだいて来て、読む。戦前から戦後につながる、俺が生まれていない時期の情報だから当然だが知らないことがたくさん書いてあった。速水先生にコンタクトをとり来年ぐらいに、取材に行ってみたいと思う。情報処理能力がだんだん衰えてきているので、空手形になない範囲で行動自粛しつつ取材しないと信用を失くすよね。

■FB投稿
ドイツの長女から朗報あり!
my長女はドイツ暮らし10年ほどになる。彼女がいる研究チーム面々と大家さん、日々接しているドイツの方々の優しさと懐の広さには話のたびに感心と感謝が湧く。日本国内も外国人を優しさと嘘のない受け入れをおこない、世界中の人々を活かしつつ相互交流の礎をこつこつつくってほしいものだ。(my長女のボスは2人いるのだが、この2ショットのチェコ出身のドイツでの聴覚と言語の研究者。医療のボスには会った事がない)若い人々は国際的な場において活動と仕事を展開するのがこれらの世にあっているように思うがどうだろう。その前に高等教育も含む教育費無償化が必須だね。

何時だったか忘れたが、この2ショットは仙台市で国際学会のとき撮る。寿司が大好きな先生だった。日本の美味い食べ物を分る研究者だったのを思い出す。

消えた本庁舎のシンボル時計塔、ゴミにしたままでいいの?県民様+議員様
1952年11月の時計塔付の福島県庁舎完成図は民友新聞1952年11月8日で発表されれ設計者は山下壽郎さん。戦前は玄関真上の屋根付き塔をたてシンボルとした(帝冠用様式)を庁舎形式を脱して民主的な手さばきでシンボル塔を東の県議の玄関の真上に提案した。その時計塔は3・11の大震災に遭いゴミとして処理されたままだ。

3月06日  

午前中町にでて、付き始めの用事をすませる。午後、天気がいいのでサイクリングする、往復2時間半ほど。途中で用事を済ませ、公営・市営住宅を眺める。

■FB投稿より

春かすむなかサイクリング
吾妻小富士や家型山が霞みだした。天気が良すぎるので古い市営団地を眺めつつその近所にて用事を済ませる。団地と称しているのだが見る限り狭そう壁CB!いまどき珍しいんじゃないか、で近所で片付けしていた方に聞き取りする。50年以上前からあるそうで、ほどんど独居老人が暮していて、買い物は近くにスーパーがあると言うが探したが見つからず。市役所にでかけプランがどうなっているのか調べよう。果樹農家の婦人によると今月末から来月初旬に桃の花が咲くとのこと。福島市は花盛りの桃源郷となるものもうじき。





3月04日  

家人が子育て中の出来事を幸せ語る一日。イワシの開きを買ってきて、フライにしたら美味い。1尾70円。美味かったので鯵の開きがあったらフライにしてたべよう。烏賊の塩辛をつくろうと思うが値段を見ると500円ほどするので驚く。烏賊の不漁はいつまでつづくのだろう。

■先日かりてきた新渡戸稲造著『武士道』を読み終える。日本に暮らす人の中にまだ生きている武士道のかけらを見つけることが、楽しみになりそうだ。

■花田先生から連絡があり13日は浜通り視察となるかもしれない。昨日とどいた『建築ジャーナル』3月号とすこし重なる場所はあるかもしれないが、視点がことなるし、テーマが違うので楽しみだ。

■タイムラインに、被災地のフクシマ後の対立と分断に関する動画の知らせが流れて来たので、暇な時見て観ようと思いURLコピーし貼る
「3.11から12年」(6) 強制避難者の試練  福島原発事故がもたらした地域社会の分断と消滅 トム・ギル(Tom Gill)明治学院大学教授 2023.2.24 - YouTube














3月03日  すこし気温ひくめ

■午前中幸家太郎さんとのワイワイweb記録を修正し、ワードに変換して、幸家さんに校正依頼をする。一月後に公開できるといい。

■午後、家人と食材を買いにスーパーに出向く。家人はめっきり足腰が丈夫になって重たい荷物も背負ってあるけるようになる。1日3回のラジオ体操と、足踏み、と食事制限が効いてめきめき元気で肌艶もよくなっている。食事と身体を動かす、そして楽しくワイワイすることが長生きするには不可欠行為なんだと思う。

■建築家界のジェンダーギャップをしる手がかりが落ちてきたので貼っておく
ジzェンダーと建築を語るためのヒッチハイクガイド. | 067 | 202301?03 | 特集:Mind the Gap | by Shoko Fukuya | 建築討論 | Feb, 2023 | Medium

■夕方、『建築ジャーナル』3月号が届いた・ざっと見た。FBに投稿しておいた。

人生最後の紙媒体か?(これ最後は嫌だ、原稿依頼ください!)
原稿のお題:
いち推し「フルハウス」柳美里が始めた新荒野「フクシマ」におけるまちづくり
■五十嵐太郎さんに誘われ、1月初旬に福島県浜通り地方を2日間視察した。〆にワイワイと2000字の原稿依頼。それらが印刷された『建築ジャーナル』3月号が届いた。
■書きたいことはたくさんありすぎる。2000字じゃ足らないな・・と、困った。紙媒体は字数に限られるわけであきらめ、政治+東電に対する批判めいたことを書くのは楽ちんで同意され易いだろうが・・・書く気にならない。福島県人(私)にむけた「電力県ふくしま」の振り返りという体裁にまとめた。福島県内書店には取り扱い無しですが、大都市での方、目に触れる機会がある方、拙文ですがジャンジャンご批判をお願いいたします!
(はずかしいのか?もだが『建築ジャーナル』誌を手に取るの初めてだった。「こういう性質の雑誌なんだ」と知ることもできた)

「新荒野」と「荒野」と「旧荒野」の歴史的解説や説明がまったくできずだった。が誌面を見たらお!編集者にもフクシマ「新荒野」感染していた・・かんじ



3月02日 薄曇り

■朝から幸家さんと語り合いweb記録に絵をつける作業をし続ける。夕方終わる。明日は間違いなど訂正作業をする。

他の建築家など建築人などと語り合うし泊めてもらったりするので住経験も増え、他者の建築家や建築づくり体験を通して、自分が体験したような気分になれるのが、面白いし建築に関わった者の役得みたいな気がする。これからも時間があれば聞き取り活動は続けていくけど、まずは、去年の大阪で聞き取りした内容をまとめてしまわなければ、未整理のデータが残るだけになる。明日から再度こつこつ記録作りしよう。

■FB投稿

幸家太郎さんに聞く3時間、絵付け作業済!
瀬戸内海賊の末裔だろう・・・幸家さんの建築家としての日本での存在は面白い・・・と思うのは俺だけかな。なかでも「ためしや」の可能性に気付き、語り合いは魅かれたし今後のmy住経験の視点が一つ増えた。幸家さんにみてもらおうっと。



3月1日  

■午後、病院に行き、首から太ももあたりまでMRIをとる。やく45分ほどで終わる。帰り道、今日は高校の卒業式のようで、両親とともに歩く学生さんたち多くとすれ違う。春ですね。
■FB投稿

高校卒業おめでとう!飛行機雲が祝っている
おおぜい見ましたよ両親と並んであるく高校生
花束をボーイフレンドに手渡しする女子高生
春なんですね
僕は骨転移チェックMRIをあびホカあつい



■幸家太郎さん(とうとう大阪湾を棲み処にした建築家)
今日から幸家さんのweb記録に絵を付ける作業開始。
俺が知るところ、日本で唯一、設計施工を主に暮らす建築家が幸家さん。訪ね度、環境と思考が変化しつづけていて、昨年末の聞き取りでは「杜人になろう」と土壌研究を熱心に語っていた。排水路など造り土木的な設計施工も済ませていた!建築家は渡り職人の末裔だから棲み処は時々の仕事の様によって移転し続けるのが古来から常の建築家の姿だ驚いたりはしない。移り住んだや関係した生きて来た大地の排水をうまく設計施工したいという建築家には始めて出会った。■現在の棲み処は足下に船着き場がある建物で大阪湾や淀川など「堀の町大阪」を幸家さんの庭にしていた。この姿はいいよ、大阪湾や多数の堀の手入れも不要だし屋上へ出ると釣りも可能、カヌーにのれば大阪城だってスイスイすいで行けちゃう。陸路とは違い古来の海上の道のに接続しているので想像が膨らむ、東アジアの港・湊にもつながっていて幸家さんはどうなっていくのだろうか楽しみがまた一つ増えた。