無念にも
幼き命を奪われたあなたへ
 

 ─「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち─を観て


映画製作の源を支えているのは、あなたのお母さんの力でした。「大川小学校教員と彼らを支えるための組織の嘘と、その手口をあばくための問いを発しつづける」それができたのはお母さんの力でした。お母さんは勝訴したとはいえ、今日も幾重もの絶望を受けとめ暮らしています。
あの日から夫をも支え、あなたを死に至らしめた敗戦後日本の教育制度の限界を晒し「教育制度(環境)を改善せよ!」と警鐘を鳴らしつづけながら、周りの人たちに伝えています。

私が映画「生きる」によって知り得たその姿を、順を追って記録し、あなたにお伝えします。

 2023/3/27 作成 佐藤敏宏








 予告編 動画



■ 石巻市長(男)の虚想を打ち砕き、嘘の本質を晒したのは
   お母さんの力のある問いでした




あなたの命(74人もの!)と引き換えに制作されたかのような映画「生きる」を目を凝らし耳を澄ませ観ました。しかし、残されたお母さん、お父さんそして家族の方々が「生きつづけるために必要な希望を探しあて、あなたの命はあなたが暮した社会の中で、このように姿をかえ生き続けていますよ」と伝える言葉を見つけることができませんでした。

それは私が当事者ではないので、仕方ないのか?・・・と、身のまわりを包む組織(システム)継続を最優先と考える社会をつくり、その環境で生きてきた老人(私)は、改めて身の周りを見まわします。ですが何も見つけることも、気付くことができませんでした。お母さんが抱えてしまった、あの絶望を共に生きつづけようとすることでしか、それは叶わないだろう・・・そう考え直し、寺田和弘監督の「生きる」を観た感想を書くことにしました。書きながら、あなたへ報告できる希望への一つの手がかりでもいいから、探し当てることができたらいいのですが・・・。


私は、あなたが亡くなったあの日から、「フクシマ」に暮していた年老いた男です。日本の社会は男優先により運営されている、そのことも自覚して生きています。小学校を指導監督するのも、ほぼ男性です。しかし、あなたのお母さんの発した問いで、改めて男性がつくる社会の問題点を自覚することになりました。

それは、このようなお母さん(お父さんかも)の問いでした。「k石巻市長、あなたが子供を亡くした私だったら・・・どう思うんですか?」と。

その言葉に対し市長(男)は「私人としては、自然災害だから仕方がない、宿命だ、俺がつぐなうしかない・・」という意味の言葉を返しました。












私は市長の言葉を、「お前たちも俺と同じ心境になれ!子を亡くした報いをお前が償え、俺は知らんわ・・・」と・・・言ったなこの野郎・・・と受けとめました。
同時に「ああ・・・ここで、あなたのお母さんはまた一つ、この社会の分厚くて重い絶望を押し付けられ、心の傷に塩を塗り重ねられた・・・・なんて、惨い言葉を返すことができる男なのだろう・・・」と。
さらに、男(市長)はなぜ?人間性を失くしたような応答が出来るのだろうか?・・・男がつくってきた敗戦後の男社会の無能と限界を考えてしまいました。

私の未熟な説ですが 市長(男)の限界をお伝えします。男で優秀な者は勝ち組(権力の座)をめざしながら組織を整備し運営しています(お金を集めることを最優先に生きている、集金機械のように私には映ります)K市長も今時流行りの考えを持ち行動し、自らの組織保存優先の脳しか持たない、目的合理だけで成り立つ工学的態度で暮らしてきた男なのだろう?・・・だからあのような惨い言葉と解せる肉声を、あなたのお母さんに放って、平然と恥じも知らず対話できるのだな・・・本心では「お前たちと、ここの闘争に負けても銭(賠償金・税金)をくれてやれば、済むさ・・」と。男が作った地域でいちばん権力を発揮できる組織(システム)の椅子に俺は座り続けることができる政治家なのだと・・・・。
市長職には求めてはならない私説ですが、主権者としてそれを求めてしまいます。最高責任者(権力者)への人格を求めても叶わぬ願い・妄想が浮かんでは消えまた浮かび続けます。さらに、市長の座を去った彼は、あなたのお母さん(お父さん)のように、市長より心が弱い者に対する処し方を身に付けることなく、今日も生き続けているのではないか?との妄想もかさなります。

そんな妄想を抱くと、あなたのお母さんが暮している姿、幾重にも続き尽きない絶望のなかを生き続け、お父さんと家族へ命の息吹を吹き込み続ける、お母さんの姿こそ一つの希望として輝きだします。

あなたは、すでに黄泉に暮らしていて、尽きることがない時空に生きていることでしょうから、ここからは少し長くなりますが、寺田和弘監督などが制作した『「生きる─大川小学校 津波裁判を闘った人たち─』を観た感想を書きます。順を追って裁判を勝訴へと誘っただろう真の原動力の姿をお伝えするために続けます。

あなたのお母さんは控えめで、映画にはさほど姿をあらわしませんね・・・。間違っていましたら夢通信を使ってお伝えください、その時はあなたへ再び手紙を書きます。(2日後あなたは私の夢にあらわれました。)







■ 映画「生きる」はこのような順序で、惨事を伝えました。
   亡くなったあなた、この通りでしたか?



映画「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち。この作品は、もう一つの複雑な絶望を私に教えてくれました。同時に「IT機器が普及した21世紀だから生まれた、主権者にとって国宝・傑作の一つだ」と語り継がれるべき、ドキュメンタリー作品の一つだ!とも思いました。

主な理由は、真に迫って組織に生きる糞野郎どもをなぎ倒しても力尽きない、在野の者たちが手に入れてしまった圧倒的な画力の連続だったからです。(ビデを機材が普及した社会だから可能になった、人の記憶を補完する機械がある社会)

この映像は凄い!もしかすると?寺田監督は、あなたを亡くしたお父さんにちがいない!と考えることにしました。それは、私の目の前に描かれ続ける画像と肉声の連なりは、ドキュメンタリー制作者のプロでも撮ることはできない・・・そう感じたからです。カメラを構え続けた姿は、神様か?当事者の両親にしか成せない姿をしている・・・と想像したからです。

そのことを詳しくお伝えするために、私が見た(勘違いしているでしょうけれど)映画の全体構成を、初めに示しその後、それぞれの構成部分の内容と感想を綴ることにします。


主題歌 

1)全体の構成 (←このように映画を観てしまうのは私の性癖


「生きる」はあなたに代わった神様たちが手をつなぎ、下記のような構成をした映画をつくることで「あなたの無念死、その時」を、私に理解させようとしていたのだと思います。

順序はこうでした。導入部→ あらましを伝える→ 石巻市・学校関係者との対話→ 検証委員との対話→ 二人の弁護士さんと協働しはじめる様子→ 証拠を集め実証する様子→ 勝訴のあとのお母さんとお父さんの姿→ 吉岡和弘弁護士による作詞作曲「駆けてきてよ」→ エンドロール
(私にこの映画を教え招待券を送ってくれた、花田達朗先生の名前も表示されていました)


 2)映画生き「る」構成の細部と佐藤の感想


@導入部、冒頭は、吉岡和弘弁護士の言葉

大川小学校の敷地内が整備された震災遺構に立ち失望し語る・・・「雰囲気がかわってしまった、これではだめだよ!」と・・・呟きました。

新築伝承施設の前に立って吉岡弁護士を失望させたのは何だったのでしょうか?この答えを解き、多くの人に伝えるための映画であることが冒頭で宣告されます。ひき続いて、この映画のあらましを、遺構大川小学校の現在の様子とともに写しだされていきます。

吉岡弁護士の失望を、先に書いてしまいます。その答えは中盤に現れます。新築なった伝承館の様子を紹介するなかで不意に、お父さんの声によって描かれていました。あなたを亡くした家族は、あなたの生きた証、死に至らしめた真の原因とその後の市教委の対応、それこそを、ありのまま記録し掲示していない、お母さんが事実を求め問い続けてきた、あの姿に光を当てた掲示内容になっていないことです。

石巻市から発注され、伝承館の設計図を描く人と内容を展示する人たちには、あなたの両親の切なる思いが伝わる、伝承館の姿として受け止められていないことです。
石巻市と各業者の方々は意図的に隠ぺいしたのか?気付かなかったのか?その点は映画に描かれてはいませんでした。ですから、伝承館には、お母さんの暮らしに押し寄せ重る絶望が展示されているのか?不明でした。あなたがなぜ命を落とすことになったのか?お母さんが問い続けてきた原因のひとかけらも見つけ出せない(市教委では十分投影し展示していると言い張るでしょう)ピカピカの伝承館を目の前にすると、あなたの家族には、行政が作り出す絶望を押し付けられる建造物として立ちあらわれたと受け止めた・・・そのように想像します。






北上川対岸より
 ストリュートビューの画像




フクシマの地に現れた伝承館の問題の一つは、被災当事者の声が時間の経過とともに消えていく予兆が含まれて造られていることです。時間の経過とともに、被災当事者が亡くなる、災害地を離れていく・・・などして、被災当事者数が減少すると同時に運営財源が減額されていく。加えて伝承館の組織替えによって、展示内容を研究し伝承を担う人々の意識が変わり、伝えるべき事実は改竄されながら「これこそが今、伝承すべきことだ」と・・・もっともらしく語られることでしょう。
時間の経過にともなう伝承内容の変化に抗う、そのための唯一の手段は、当事者がここで記録を作り続け、残すことしかない、と思います。そういう絶望をも自覚し記録保全作業を被災者が自ら開始することが大切なのだと思います。

映画「生きる」はその実践で、好い例の一つです。お父さん、お母さん、家族、そして吉岡弁護士、斎藤雅弘弁護士、加えて寺田和弘監督と制作に携わった人々、映画製作の資金(クラウドファンディングなど)で支えた300数名の人々。この人たちは、「この惨事を記録し残す!伝える」という、強い意思をもって映画づくりに参加していました。だから私が暮す福島市内の映画館のスクリーンに登場することができました。

一方、この映画にある記録の内容の多くは、教師とそのOBと教育委員会関係者、そして文科省に係わる人々、または今世紀、国会にも多数勢力をもった歴史修正主義者たちによって「葬り去ろうと企てられるだろう・・・」そのことは容易に想像することができます。行政から多額の広告費を得ることで成り立つ(癒着した)日本各地の地方のマスコミ経営陣と、その社員たちは記事に表し発信することをためらったり、怠ることで、大川小の惨事の記憶を意識せずに闇に葬りさろうとしてしまいます。マスメディアは権力におもねながら、被災者を救おうとしない常態化した姿勢も容易に思い起こさせます。

冒頭にあった吉岡弁護士の「これではだめだ!」の言葉の含意を私は以上のように受けとめました。





以上の絵ストリュートビュー より


A生き残った人が原因と場所を探す

誰が亡くなったのか?遺体は全て発見されたのか?津波は大川小学校のどんな高さまで、どのような経路をへて到達したのか?屋上へ逃げられなかったのか?
それらの問いに応じるため、ガイドを務めているお父さんの肉声と小学校の具体場所の絵を示し巡ることで伝えられます。

47人の生徒と10人の先生が亡くなり、4人の生徒と、1人の先生が生き残り、4人の遺体が見つかっていないことが示されます。

生き残ったT君の口から、「E先生が先に山にいたんだ!」との証言が写しだされます。妹を津波で亡くしたT君の証言は教育委員会の面々と校長が何度も質問を迫り、T君の証言を子供の言っていることだ・・・と疑問視し先生たちが真実を探ろうとしなかった・・・そのことが暗に知らされます。

教育委員会はT君の証言を否定したかのように、生き残ったE先生を守ろうとする、みっともない悪あがきを何度も繰り返す。その姿はお母さんと石巻市との対話の様子で描かれていました。(B参照)

T君は、生き残ったあの日の惨い様子を、伝えるために、裏山によじ登った様子を、具体的に伝えます。惨状の場に立っていなければ知り得ないことを、仲間が津波にのみこまれていく惨状を見ていない大人たちに伝えようとします。校庭に集合し地べたに座らされ51分待たされる、聞くに堪えない、教育委員会は信じたくない内容です。
命を落とした74名は、T君がたった1分強で津波到地を越え裏山へ避難できることが伝わります。なぜT君と同じように、74の生徒と10人の先生は行動しなかったのか?と映画は疑問を明らかにしていきます。





 石巻市教育委委員会機構図PDF 

 石巻市立大川小学校ウイキペディアへ 





B石巻市との対話の様子  (映画「生きる」最大の焦点

 初めの会合

生き残ったE先生と校長先生、石巻市教育委員会の人たち、市長登壇の順で、あなたのお母さんとお父さんたちとの対話の様子が示されます。

初めての対話集会で「校長先生は被災当時の、関係者との応答Eメールをなぜ?削除したのか?」と、お父さんは追求します。津波の日、校長の行動を明らかにしてよ・・と迫る様子です。
すると、校長はしどろもどろになり、責任を逃れるかのように視線は虚空をさまよい落ち着きの無い態度(私にも不誠実に見える)を見せます。お母さんは「嘘つかないで事実を教えて!」と怒りを露わにします。私と同じ人間なら、校長は嘘をつき通せるはずはない・・・と、お母さんはまだ学校関係者を信じようとしていますが、無意識に怒りが爆発してしまい、問い詰めます。


また、生き残ったE先生が涙ながらに語る姿(精神を病んだかのような)は、最初に素直にあなたの魂を弔い慰霊することなく、責任を逃れ、教育制度・組織が育ててしまった未成熟でみっともない男の成れの果てとして、私には見えました。

なぜ?そのように見えたのでしょうか。「E先生は、こどもに教えてきたように、正確に事実を見て記憶し、それに基づき証言をつむぎ、お母さんに伝えようとしたなら・・。何度も誠実に謝罪し教師としての責任は負えるはずだ」と思うからです。うろたえて狂人を装うかのような姿は、対話集会前に教育委員会から事情聴取され、対策を練り込んでいて、対策された内容はE先生が見て記憶している事実と違う。だから二つの間に置かれると・・・価値感、「自分は誠実な教師だった」と「教育委員会の人々にも従う誠実な教師なのだ・・」とに引き裂かれる。
そのような状況下でも責任を負う決断さえできない、未成熟な組織人と人の間を揺れ動いて定まらない、一言でいえば「胆力皆無」の男に映りました。E先生は逃避する、心の病という病に逃げ込んでしまって、事実を明かすことは決してない・・。お母さんはまたしても、そのような絶望を体験してしまいます。


2度目以降の対話


石巻市と対話を重ねるごとに、教育関係組織で位の高い男の数が多くなっていきます。彼らは、T君は幼い子供だからT君の話は間違いが多く、校長とE先生の語りは間違いがない!と、根拠のないことなのに探りもしない男たちでした。彼らの浅知恵で強く仲間と団結しT君の嘘(言葉を嘘として)を固めようとします。そういう、お母さんとの対話に臨む過程が赤裸々に描かれてしまいます。

例えば、ボディーランゲージで「これ以上語るな・・・」と信号をおくったり、順を追うごとに、偉そうで自信たっぷりな男たちを並べるなど、(教育組織を運営する男たちは、私が30年前に子育して感じた先生たちと同じだった)不誠実な人々に見えます。組織人間が偉そうに並ぶ姿は、この姿を記録する撮影監督には、脅しにしか見えないでしょう。的確にそのことを捉え写しだします。
あなたを亡くして絶望を生き続ける母親、女性の視線と感受性が排除された組織の塊、強固になり続ける男たち。それらは塊となってお母さんに襲いかかります。情けの無い男の姿を観客は凝視することになります。

奴らは日常茶飯事、どこにでもいて出会う男たちを写している、このような映画を観るのではなかった!と思いました。鑑賞前の想像とさほど違ってはいない、今日も復興が進んでいると虚言を吐く、フクシマの男たちの姿とさほど違っていませんでした。


石巻市長の虚想を打ち砕いた問いが発せられた

対話の仕舞は、市長が赤黒い毒舌を見せます。石巻市長の虚想を打ち砕き・・・の箇所で書きました。再度思い出してください。あなたのお母さんの問いに「自然災害だから宿命だ・・」と返したあれです。

あれは、あなたも、お母さんと家族をも、地獄の時間に突き落としてしまう、首長としては発してはならない禁ずべき言葉です。が、市長は思いもしない。お母さんたちは首長から不意に押し付けられた地獄の時間を耐えながら、なんど対話しても絶望だらけの時間に突き落とされます。それでも「これでは我が子が浮かばれない」と這い上がり、泣きながら暮らし続ける、強い姿勢を崩すことはありませんでした。

あなたの家族が石巻市と闘いつづけるためのエネルギー源は、お母さんの存在が生み出す強さなのだ!とここで気が付きました。

「なぜ大川小学校で、先生たちの言葉に従ったことで、我が子は命を落とさなければならなかったのか?」納得できる言葉に出会うまでは、諦めることがない。お母さんの生活を浪費させる男どもに会っても、あなたと共に暮したはずの宝の時間をヘドロの海にまた突き落され続けられても、湧いてくる教育行政(制度)への怒りを自覚し対話していました。












Cほぼ男、有識者、検証委員会との対話の様子


阪神淡路大震災記念館 人と防災未来センターを立ち上、2018年9月10日「平成とは何だったのか」(10) 平成の災害史 を語った室ア益輝・神戸大学名誉教授が登場していました!石巻市は防災学専門の有識者をもって、お母さんをねじ伏せようと襲いかかりました。よりにもよって、室崎さんを検証の場に引きずりだすなんて・・・素人のお母さんは成す術がないだろうに!・・・と、私は驚きました。

(右動画・室崎さんは「行政は自らの悪歴史を隠したがる」と語っている)

「わが子が安全であるはずの小学校で先生に誘導され亡くなったことを認めない。たった2分ほどで山に登れる場所にいたにも関わらず、なぜ?大川小学校の生徒だけ、74人もの命を失ってしまったのか?」これを裁判で証明されてしまったら消し去ることができない教育制度における黒歴史となります。

だから、前川喜平、室崎益輝という文科省と防災学のプロが現れた。お二人は周知のエース・人気者。検証委員たちはみなさん・・・偉そうに映る!ね。だが、偉そうに見える。彼らはあなたが死に至った真の事実を突き止め、義務教育現場に大川小学区にはびこっていた問題の根源を解明できない!そのようにお母さんは自覚し、両エースの説明・説得を受け入れることはありませんでした。

検証委員会の無能と無惨な姿が数度示されることで、お母さんが行政訴訟に挑むと、現れる難問は、繰り返し、具体的に、映し出されていました。
そうです、あなたのお母さんは専門家を配した検証会との対話の過程で、無惨にも石巻市が設えた希望無きヘドロの海へ無理やり突き落とされてしまいます。しかし、ここで、幾重にも出現する行政が作り出す絶望の海に遭っても、あなたのお母さんは、ひるんだり、受け入れたりしません。平凡なお母さんだったら幾度もつづく絶望を生き抜けず息絶えてしまう・・・そういう可能性もあったな・・・と私は想像しました。あなたの無念を晴らすことなく断念したなら、組織防衛のために彼らの愚行は消され、伝承館の中心の記憶としても掲げられ可能性はなかったでしょう。

お母さんにとってはまたしても、惨い状況に遭う検証委員会は終わり、民事裁判の海へ放り投げられてしまいます。なんていうことだろう・・・。こういう状況下で裁判闘争を通し、お母さんの弁護を引き受ける弁護士も、証拠を探査しようとする者も現れないだろう・・・そういう絶望的な状況が待ち受ける日常に、またしてもお母さんは追い込まれてしまいます。


(←注:女性はひとりだったと思うが、彼女も東北大先生の娘・・・テロップあり)





D2人の弁護士と お父さん立ち上がる
  お母さんに覚悟を迫る吉岡弁護士と斎藤弁護士

吉岡和弘弁護士、斎藤雅弘弁護士と、生き残ったT君のお父さん(可愛い娘さんを津波で亡くしてもいる)が映像記録係とし、他の多くのお父さんたちは、証拠なき裁判に挑むために、身体と資金と時間をもって、お二人の奇特な弁護士さんの指導の下に参集します。なぜ奇特な弁護士が現れお母さんに手を差し伸べたのか?そのことは映画では描かれませんでした。(たぶん映画が長尺になってしまうからでしょう)

お父さんたちは二人の弁護士に勇気づけられ、石巻市の嘘想を吹き飛ばし、あなたが命をおとした、手がかりの無い実証作りのための、活動が始まります。

活動の前に、吉岡弁護士からお母さんに残酷極まる言葉が伝えられます。亡くなったお子さんの命をお金に換算することでしか裁判闘争はできない、と宣告されてしまいます。吉岡弁護士が迫った言葉に、またしても、お父さんもお母さんもひどく悩む日々がつづく絶望の海に落とされてしまったことでししょう。裁判の場でまたしても人間の言葉の津波に押しつぶされるのは辛すぎる・・・と、この裁判闘争を諦めてしまった、お母さんもいたことは想像できました。

お母さんは単に、目の前の小学校・教育制度を改善し、現場で子供を見守っているはずの先生たちは、子供達の命を守ることを最優先にした行動を、どんなときにでもとってほしい。たとえ大津波が押し寄せる非常時でもそうしてほしい。
「初めて知った石巻市の、憎き指導方針書を書き換えてほしい」その過程で教育委員会の体質を改善してほしい。あなたの命を守るための小学校へと教育環境に整えてほしいと願つづけているだけなのですが・・・。「それらの要望は叶えられることは無い、お金にかえた裁判闘争するしかない」と宣告されていた。そのことも吉岡弁護士の映像を加え入れることで伝えられました。

フクシマを闘う人たちも、元・石原環境大臣に「フクシマの人たちは、ぜんぶ金目でしょう」と、吐き捨てられました。あの無惨で被災弱者を馬鹿にし腐った行政マンたちの姿を想いおこさせました。

弁護士とお母さんによる話し合を経ることでしか、E先生、校長先生、石巻市と教育委員会、行政が雇った検証委員たち、それらが発した多数の虚言を一つ一つ暴いていく作業は時間も根気も要る、勝ち目もない、敗訴しか想定できない作業には取り掛かれないはずです。
お母さんの酷な日々を法的な知識を武器に支え続けた、吉岡、斎藤弁護士の人間に対する深い信頼があるから、辛いことを言うしかない、「証拠は無いぞ、お前たちが証明つくれるか?証明づくりの作業はできるか?作業に付き合い続けられるか?・・・」と、お父さんお母さんに迫ったと想像できます。「敗訴しか予想できない長い道程を共に歩めるのか?」と、何度もお母さんに覚悟を聞きつづけたと想います。そうして、お母さんの目の前に現れた、日本では稀なる二人の弁護士と、お父さんたちは、検証委員会の仕業に比較すると、素人臭く見えちゃう地味な検証作業をし始めた様子が紹介されます。

それらの全て映像に記録した、映画館や鑑賞者と共有可能にしたのは、2人の弁護士と生き残ったT君のお父(撮影記係)でして、他のお父さんも裏付け証拠づくりの作業に加わっていることを伝えるように、映画の隅々に顔を出していました。



■ 高裁で勝訴した人たちのその後


7年間(?)かかって高裁で勝訴。その間、あなたのお母さんは、学校制度を守るための組織人によって「何度も心を殺されたと感じた」と語ってもいました。そういう虚しさに耐えきれず、お父さんは酒を呑むようになり、何度も「あなたのところに行って話し合いたい」と呟いては呑む。その様子も明かされていました。

しかし、お母さんは「あの世にいった子どもだって迷っているんだから、お父さんが行って、いろいろ言うと迷うのでやめなさい・・」となだめます。

男はなぜ、お母さんのように幾重にも続き押し寄せる絶望に立ち向かい自分の言葉で消化しようとしないのだろうか?私はまたしても同じ映画で「男の駄目さ」について、再確認を強いられることになりました。

津波にさらわれた我が子の亡骸を探し戸板にのせ運び出した場所に、お父さんとお母さんが献花する、その映像と父さんの肉声を聞くと、「これが生き地獄なんだな・・・」と。

お父さんと、お母さんは、教室に今も残る娘の名札を指でなぞり(ふれあい)に通います「これが偽りのない親の愛おしさを表す行為なのだ・・・」と。

奥さまとお子さんを同時に亡くした男性は、牡蠣養殖家へ身を転じ、最愛の家族を奪った波にただよう日常を選択していました。彼は「自分だけが被災者ではない」と静かに語ります。
彼は、あなたを亡くした悲しみを抱え暮らしているのは映画に登場した人だけではない・・・と教えます。映画に登場しなかった家族の方たちを思うかのように、今日もひとり波間をただよい続け、いまだにひっそりと、あの日から連なる絶望の日々を抱きしめ暮している人々の存在を教えてくれていました。


映画のメッセージをこのように受けとめました


大川小学校の校長は独善的で身勝手な人格だったのではないか?その方の統制によって教師たちは自由に意見も言えない、風通しの悪い硬直してしまう組織運営のなかで惨事を起してしまった。だから、親が平凡に思っている、「学校は子供の命を最優先にして、運営がなされている。そうする事を想い、日頃から学校内での先生たちは対話を続けている。」

その願いは現実とは真逆で、大川小学校の教育現場は、硬直したマニュアルをもとに運営され、環境改善のための対話と更新を怠っていた。証言で明かされたが、学校長の独善的な個性が成す虚の報告を市教委は信じつづけた。だから津波のような非常時の行動にも迷いを生みだし、子供達を死に至らしめる。そういう信じがたい!行動の深層に影響を与えた。たった2分ほどで駆けあがり、全ての命が守られる環境下にあっても、守られるべき生徒の命を犠牲にしてしまった。その罪は深く重いし取り返すことができないけれど、74人と10人の命と引き換えにしても、私はその教育制度を改善することができる手立てをもっていない。その現実にどう向き合っていくのか?・・・と、寺田監督の作品は問いかけているのです。

この映画が問いかける内容と意味を感じとり、苛立ち、制作者たちに攻撃を仕掛ける人々の出現は、先に述べました。そしてこの事件で得た教訓は、組織を守り「なんでも金目でしょう」ということで済ませ続ける人々、日本の行政組織の体質は、今日の教育現場でも、あいかわらず続いていて、お母さんの絶望は、未曾有の災害が予測されている日本列島の上に再び起きてしまうわけです。この映画はそういう警鐘も鳴らしていました。

あなたのお母さんは、フクシマを生きる老人に一つ別種に見える、同じ根を持つ絶望を教えてくれました。絶望を生き続け、伝え改善しようと立ち上がる人を待ちつづける、それが人が生きるという残酷な現実のようです。3・11からグランドゼロに立ち、あなたが暮す黄泉のことを想像し、あなたに伝えるために記録し、仲間を増やすことを続ける・・・そうお伝えし、この手紙はお仕舞とします。


「生きる」制作に関係している、多数の人々に感謝をもうしあげます。フクシマを生きる私にとって、宝の山に似た映画を制作していただきありがとうございました。多数の映画館で上映されることを願っています。そのことを伝えるためにこのWEB頁を作成し公開しました。


 2023年3月 我が家の桜が満開の日 佐藤敏宏


 参照

 私が鑑賞後に書いたメモ フェースブック投稿の内容
 「生きる」観た夜の感想(2023年3月18日)


『生きる─大川小学校、津波裁判を闘った人々』を観た。

「観に行きたくなかった」。監督と話合が可能と知りでかけた。観て21世紀の記録映像として一級の作品だ!(主権者にとって国宝級)東日本大震災の被災者なら見るべし!・・・に変わったよ。(その理由は後に書くかも)花田達朗先生に招待券をいただいたけど、今夜は監督が登壇するので使えない。監督の話を聞くのに1000円は安すぎるけど、行きたくない!理由はフクシマで散々見、聞きした、国・行政・有識者たちと、浅知恵とその場しのぎで後は知らないぜ・・・のマスコミなどに作られる震災スターたちのような気持ち悪い表情の数々を見たくない。それらに加え被災者同士が対立パッシングし合う、あれだろう・・・と考えてしまったからだ。

内容は至ってシンプル。23人の遺族が勝訴する、その過程を描いているだけ。だが、映像がいい!みたことないシンプルにして真実を写していて、プロなら撮れないし、赤裸々すぎて放映できない。当事者しか成せない映像記録じゃないか・・・と思った。こんなに切迫した話し合いをスカッと見せてしまう、こんな絵は当事者しか撮れないぞ、そのような映像だらけなのには驚いた!もしかすると監督は被災者パパなのか、と思って観ていた。対話闘争中に語られる言葉のやり取りも、被災者しか問えない、行政の方しか語れない、その場に立ち入れるひとしか撮れない、教育委員会の嘘証言と身振りだって詳細に撮影されている。なんて迫力満点なのだ、そのことには本当に驚いた!何度も書くがドキュメンタリー映像作家には撮れない絵が満載なのだ。こんな映像撮れる監督ってどういう人だろう?やっぱり亡くなった子供のパパだろうな・・・とそういう思いが頭をぐるぐる回ったよ。

■謎を解くため上映終了後、寺田和弘監督と長話をし、その謎が全て解けた。よかった。(書かない)寺田監督とさしで話せて1000円、安すぎ。寺田監督初作品だった。多数被災地で撮影しているプロ監督は何をしてるんだ?と言ってしまおう。(新事態は旧来の価値を持っている者には記録できない)

■映画の中身から学び、自分に言い聞かせたこと。
冒頭は吉岡和弘弁護士が大川小学校の整備された震災遺構に立ち失望し語る「雰囲気、変わったしまった、これではだめだよ!」と・・・呟く。震災遺構つくりを担当した行政の方々と関わった建築家の方々はぜひ鑑賞し、何が建築家と行政が、被災者と弁護士を失望させてしまうのか?映画の途中で子供を亡くした父親がその答えを語っているのを、見て肝に銘ずべし。

■このプロ達で検証できない駄目者たちなのね!
自らの子が安全であるはずの学校で先生に誘導されたにも関わらず、なぜ?大川小学校の生徒だけ命を失ってしまわなければならなかったのか?その答えを前川喜平、室崎益輝というプロの検証委員たちが解明できない!子供を亡くした遺族たちと吉岡弁護士、斎藤雅弘弁護士の連携が勝訴の道を拓いた。その過程を自身に引き付けて書いてしまうと、フクシマ原子力災害伝承館は何を次世代に伝えなければいけないのか?そういう問いをつくり資料を並べるべきだ。そして、それらの問いを解くために知るべき事柄がある、お宝の山のドキュメンタリー映画だ。
しかし勝訴したのだが、遺族たちは真に救われることは無い。同様にフクシマに生きる私達も救われることがない闘いを続けることが宿命づけられてしまっている。このことは自覚すべきだ。

■親たちが「小学校で子供を殺すな」と求めるのは子を3人持つ親として、当然の言う権利だと考える。義務教育現場をになう関係者に子供を殺された、と思い(裁判すれば)「訴えても裁判所や文科省などの国家機関に、よってたかって潰される」との想像は容易についてしまう。そこで間に立ち、被害者を支える弁護士の資質が問題になる。国家サイドにつくほうが勝訴しやすいのは自明だからだ。
「生きる」に登場していた、吉岡+斎藤の両弁護士は日本では希な存在の人々だと感じます。そして両者から撮影を許諾される寺田監督はさらに稀な人なのだと分りました。世を少しでも良くするには人間関係が肝ですね。

■東大のY先生が「この勝訴で東日本大震災で亡くなった17000人の魂を癒し弔うことができる、第一歩はひらけた」と発言していた。強く同意した。3・11、あれから10年ほどの言葉の熟成期間を経ることで発せられる言葉。(あるいは言葉の醸造期間は)災害被災者にとって要る時間よ。即反応し、ちゃらちゃら言えない。だから短期間に伝承館など造るべきではない!・・そのことも明確にした映画だ。


■被災者(遺族たち)はなぜ伝承館に行かないか?(俺も入館したくない一人)
その答えは寺田作品の終盤に描かれる。記憶に残る2つのシーンを振り返ると、N・Yさんの両親が大川小学校に入り、娘のプレートを触れる(なでる)そして去る、あのシーンにある。もう一つは名前記憶できなかったが神社を継ぐはずの娘の両親が語り合うシーンにあった。具体的に書くと、お父さんが津波で亡くなった娘の亡骸を戸板に乗せた運び出した場所に献花する時に発した言葉の中にある。
この二つを見てしまうと慰霊鎮魂の機能を欠いたような官製の形式化した伝承館に献花をするわけが無い、そのことが強く理解できるはずだ。具体的に書きたいがネタバレになるので映画館に行って感じてもらいたい!先生の言うことを聞いて行動した子供が、なぜ?そこで亡くなったの?・・・その答えも伝承館内に存在しない。歴史家達がさんざん「3・11の物と現場を残せ」と警鐘をならしつづけたが、多くの被災物と現場はあとかたもなく消されてしまった。

蛇足になるけどSさんという方の語りにもある。奥さんと子供を津波で亡くしサラリーマンを辞し牡蠣養殖の漁民になったSさんも伝承館に立ち入らないだろう。彼の言葉も知ってもらいたいものだ。

■『生きる』のチラシを手にとると黒沢明監督の同名の作品を思いだしてしまう。大川小津波裁判の「生きる」はどのような意味を発信しているのか?とても興味があった。黒沢作品はエンターテインメント。
大川小の「生きる」は勝訴しても、両親たちは救われない。なぜ子供は学校で死ななければならなかった?と思い続ける。両親が亡くなるまで、彼らはその思いを抱き続けなければいけない。地獄の仕置きのような日々しかない。これが過酷な現実なのだ。(そのことを記録した映画)

あの日からフクシマを生きる多くの人も同様に救われることはない日々を生き続けている。生きるとはそういうものだと教えてもらえる映画だ。そうして生きる気高さと困難を想像共有できる人は限られているように想う。良かれと思い浅知恵で伝承館は急いで作った。それは国指導でもあろうが、行政が過ちを犯す事実の一つとしても記憶しておきたい。