佐藤敏宏
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2023年02月の日記          














2月28日  風もなく穏やかで温かい一日、三寒四温で春が近づいている。

■県立図書館から借りた新渡戸稲造著『武士道ー日本人の魂』を読み始める
■午前、不足分の食材を買い足しにスーパーに行く。
■幸家さんとのweb記録をつくるため、資料整理をする

■午後2時から映画を観るために出かける

城定秀夫監督作品『夜、鳥たちが啼く』を観る
去年は「60種の地酒呑む」が年間テーマだったが、今年は「月1本は映画を観る」にした。大変そうだが観よう。今月も多様な作品が上映されていたが、月のドン詰まり、今日でお仕舞なので、この映画にした。映画を観ながら多様な「住経験も観たい」という強欲もあるので、筋を観ず舞台となる住居を興味深く見てしまうのも常のこと。この作品の舞台であるの住形式は「戦後の平屋の文化住宅」と「物置の離れ」だ。外部はどこかのそれを借りて撮影していた、内部はセットをこしらえて撮影していた。文化住宅の間取りの絵の辻褄が合っていないので画像の矛盾が分ってしまう。(建築設計していると詰まらない点に目が行くのは職業病)

テーマは俺の推測によると、ロストゼネレーション世代の男と女の困難な性愛だ。彼らは安定した職に就けない、だから収入も不安定。よって性愛まで困難をきたしてしまうという極めて真面目な生きずらさを抱えている人々の紹介のようなものに留まり『万引き家族』や『誰も知らない』のように現況社会を告発するまでの作品になっていなかったと思う。現状の困難さを共有するのがテーマだったのかもしれない。そうだとすればシナリオが不十分と言える。で同世代の人々が身につまされ立ち上がる気にならないだろう。「この映画のような俺たち「そうだよね・・・の現状を容認し、明日からもロスジェネ暮らしを重ねてしまうんじゃない?あら、そういう人生を生き続けるってもったいな過ぎない?絵にかいたような既存の価値観に足を引っ張られてないか?若い世代が失敗でも挑戦し生きられる世のなかを老人がつくれなかった、その責任を押し付けられ身動きできない彼らともいえる。
なにわともあれ、絵にかいたような成功を得ずとも、自分なりの性愛の豊かさを求め、何でも挑んでみて、不甲斐ない自分を棚に上げてパートナーに嫉妬するのは禁じ手でしょう。困難が襲ってきたら自己観察を続け相対化して、コツコツ対応し、助けてもらってもいいので、自分の生を楽しく生き抜こうとしもがくのが「生の面白さじゃないか・・・」とお節介を言いたくなってしまうような気もした。(さすが俺はオジサンだな〜と)

主人公は若い時分に一発評価されその後まったくいい作品が書けないでバイト暮らしで身近な人に当たり散らす、同棲者に嫉妬するとうい、だれが見ても嫌な人柄の男性作家。作家を建築家、アーテスト、研究者、医師のなりそこない、公務員なりそこないの男・・など入れ替え可能な作品。
ラストの日々の小さな喜とを共に体験することから始る姿勢は平凡だがそれでいいのだと。背伸びせず生の幸いを噛みしめ、こつこつ生き続けるのみ。

YouTube 予告編へ

■FB投稿
新渡戸稲造の志(新渡戸稲造魂ー武士道)士族のこころを見る
副題が消えた謎?も興味ある。原著は『Bushido: The Soul of Japan』だが桜井鴎村によって翻訳された本には『武士道』としか刻印されていないのはなぜか?なぜ副題「日本人の魂」を抜いてしまったのだろう?さらにこの著書は日本人って何?を外国の人々に伝えようとしたものだが、新渡戸の表した外国人には100年後の私も含まれていると思うのは間違いなのか?だ。
■「会津魂」をしらべようと図書館に行くも、横滑りして新渡戸稲造魂本を借りてしまう。会津藩士たち身に起きた「賊閥」あつかい同様に南部藩士族も扱われただろうし、会津藩士族は斗南に流されたので、まいいか、南部魂でと横ずれし借りたた。新島襄→木戸孝允→クラーク博士(南北戦争実践)→新渡戸稲造という志を司馬遼太郎さんが語っていたような気もする。新渡戸稲造のように江戸、明治、大正、昭和を生き基督教を身に付けアメリカ人の妻をめとり、世界平和(共存)を生き抜こうとし「軍閥批判」をしてしまい、日本人テロリストの標的になり、昭和天皇の意を受けカナダに逃れたという。現在の政治家たちに爪の垢でも煎じて飲ませるのが良さそうな「魂の見本」みたな人に思えた。

三冊並べて眺めていると、この100年間の日本語変化(語りの)が激しすぎて、眩暈を起す

北大(農学校)志高く日本でもっとも優秀な若者が集まっていたことが分る

2月27日  朝方すこし風があったが午後やむ

■幸家太郎さんとの3時間ワイワイ、文字起こし済む。あしたからコツコツweb頁をつくる予定。

■昨日26日は県立美術館に行く。作品を寄贈したので、展がかわるごとに招待券が郵送されてくるので、美術館との縁ができた。これから招待券のたびに訪ねてみようと思う。世間から離れたかのような表現者たちの存在は人の多様さを直に知ることができる点がいいのだと思う。多種多様な作家がいてびっくりするほどである。老化した脳味噌の刺激にはたいへにい場所であることが分る。75歳すぎたら県美術館入館の入場無料化運動してみたくもなる。無料のお喋りの場でお茶を飲んだりお菓子をたべたりして消費で参加するのも良さそうだが・・・。


2月25日  一時陽射しあり夕方雪ちらつき気温下がる

■幸家太郎さん文字起こし2時間ほど済む、残り1時間。来週中に文字になるだろう。

■午後、食材を買出しにスーパーに行く。

















2月24日 気温低いし  

■幸家太郎さんとのワイワイ文字お越しをだれだらする。もう少しで1時間半ほど文字になる。

■午後人工薪を買いに行く、15%ほど値上がりし多量に仕入れてあったのでどちらも驚く。こんなの買う人いるんじゃん。

■3年に一度の受講する建築士の修了証明書来る

FB投稿

加嶋章博先生と私(「加嶋博士にきく」実現したい)
2000年、建築学会福島県大会が開催のおり、加嶋先生は我が家を宿にされた。郡山の会場での発表前夜、my支援者に好感をもたれてしまい円盤餃子屋「満腹」の餃子を食わされ(笑)酒をのまされ、いじられ、散々な目に遭わされ、その翌日発表された。当時はスペインの植民地・グリット都市の研究されいた。現在は大学で建築人・玉子を揺籃教育を担われたり、今回のようなイベントを実践され社会と建築を接合し語り合いの場体験の場づくりも実践されつづけている。建築界には少ない!育ちの良さと人の好さと品格を共に備えていて、教えを授かる生徒になりたいものだと思います。
■「古山先生などに大反対された」と言うが、加嶋先生は渡辺豊和さんの事務所にボランティア勤務しちゃった時期もあります。その時分に、渡辺さんの東大博士論文を書籍化した『物語としての建築 空間の深層』1998年刊行の本づくり(編集作業)を担っていましたのが加嶋先生です。加嶋先生誕生前夜の渡辺工房時代にあたしは知り合いになりました。加嶋先生と知り合ってから25年ぐらい経ってる古い関係す。







2月23日  時々晴れ

■幸家太郎さんとのワイワイ文字おこしをする。こつこつ1週間で済ませる予定だが。

■FB投稿

建築の理想は路上である
その思いに至ったmy33歳、町おこし活動の失敗の事実から学びました。失敗し続けてようやく色々分かりだしたら、もうじき寿命がつきそうですが、もう少し生き続けて記録しておくぞ!

100人の若者をあつめて自由に表現させた(1984年
・温泉町でアート系イベントを主催した事がある。「そのことを書け」とmy人生初の新聞記事用の原稿依頼があった。原稿料で焼肉食べた(笑)タイトルは「メビウス的社会」だった。自分で書いても忘れるね

いまさらだが、記事を読んでみると「現在の方が個の表現意欲と地力は衰えている」と言える。バブル前だった1984年当時のことだが、個人の表現は公的資金や企業の資金支援をうけずに、関係者に交渉し、ただ飯、ただ寝床を自力で確保、それが参加者もみな同じ意識だった。自腹旅費で現地まで辿ろ着く。外国人も参加していた。さらに地域の路上や道路を表現者に解放した。そこで3日3晩自由な表現をしてもらい尽くした。事件にもなり、若い・苦い・好き時空をつくった!と再確認できたかな。

■サンチャイルド事件でアートや表現などについて、あれこれ思うことがあるで当時の記事を探して確認してみた。県立図書館にて。35年前の毎日新聞記事を見る。さすがキッチリ保管してある。コピーする。記事写真内の俺は髪の毛が邪魔なほど!てっぺん飾ってたんだな。

■浄土寺浄土堂の動画が公開されている!重源は現在deも通じるのでいいよ  小屋組みが全てみえ抽象化されているのもいいが、阿弥陀仏三体がのっている台座の現代性には40年ほど前に痺れた。今年は重源に会いにいくよ!

「呼びかけ文」
先日、建築様式の調査が行われました。浄土堂の様式はダイブツヨウといい、柱を貫く挿し肘木などの組み物や化粧屋根裏など随所に特徴がございます。三尊と一体に建つ建築様式のダイナミックさもどうぞご覧ください。 合掌








2月22日  

■家人、3軒の病院に徒歩で出る。運動し過ぎに見えるほど若々しくなっている。
■夜、竹内泰先生と長いweb電話でワイワイする

■FB投稿

2022年12月28日亡くなった磯崎新さんの本
http://www.fullchin.jp/hon/isozaki/01isozaki.html
目次などざっとweb頁をつくった(上URL)渡り職人の覚悟表明というような、磯崎新さんの私譜がいいのでコピーして記録した。目をとおしてね。
磯崎さんは私より丁度20歳年上の方で、父親世代(焼け跡派)だったので、これまで彼の本に目を通すことはなかった。
■県立図書館にある一番新しそうな磯崎本はこの書だった。2度読みそうになる。前半は福一原発事故に関して官僚やテクノクラートなどへの私憤、後半は新国立競技場の設計者選定から設計施工へ舵を切った政府やザハ案を選定にあたった関係者への怒りで満ち満ちている内容。磯崎さんといえば無名で才能に溢れている若い建築家の卵たちに仕事を与え世に出す、そういう下支えをし続けていたことは周知の事実で、そのごの日本の著名建築家で磯崎さんの後を継いで若者育てを私人建築家としてしているものは存在しないだけを見ても、渡り職人のハートを生きにいた二度と現れない稀有な人だったことは理解できるだろう。
■磯崎本を読み始めた理由
五十嵐太郎さんに誘われ(建築ジャーナル社企画)福島県浜通りの建築視察をした。磯崎さんの福島沖遷都案と五十嵐太郎さんの東京湾原発卒制を話したが全部削られてしまった。とても残念だったので、磯崎さんが311後に何を考えて発言していたのか、知りたくなりこの本を借りた。

幸家太郎さんと3時間ワイワイ。その記録作成し始める
■30年来の付き合いになっている幸家太郎さん、彼は大阪市を拠点に今では希少種の渡り職人的建築家を体現している方です。大学でも教えていると思う。一人で各地に出向き設計施工(一人親方)で作事してしまいます。会うたびに住んでいる所も移動して定住する気配はありません。もちろん住む場所の内装は全て自分で作ってしまいます。幸家さんに会ってしまうと大学卒の金太郎あめ的建築家はなんとなく薄っぺらで実社会知らずに死んでいく輩ではないか?と思ってしまう、そいう点も面白い貴重種です、凡人建築家は近寄らない方が身のためですよ

2月21日 朝方薄っすら雪が積り、ときどきよわく吹雪いていた 寒い日だった

確定申告をする。午後は読書とデータ整理する。夕方柳沢先生から校正データが届く。

■FB投稿

幸せ建築家・柳沢究さん家族と、なにげないワイワイ記録公開
http://www.fullchin.jp/2207kyoto/0717/220717y01.html
にわか雨に打たれて鴨川に掛かる橋の下でのワイワイ記録です。
2009年時点ではお嬢さんが生まれたてでしたが、その後すくすく成長しつづけガッツポーズで集合写真撮るとるよ。私が「日本では唯一の幸せ建築家」と名付けました柳沢究さんとその家族は5人となっております。昨年末から「吉野荘」という建築を手に入れ家族総出、友達も総参加し京都に自邸をつくり始めました。さらに幸せ建築家度に一層磨きがかかっています。他の人から見れば「ばかかお前は、何が幸せ建築家やあほぬかせ」と冷笑されるでしょうが、なんとも言えない説明できない幸せ〜な路線を生きつづけているわけです、そういう人がいてもいいじゃないですか、そういう人がいるわけですよ。何気ない消えてしまうような忘れてしまうようなたわいのない話の記録です

年に一度は税務署へ
確定申告を済ませると春が来たような気になる。今日は北西の風冷たく時おり吹雪くなかだったが、人も少なく今月末までが空いてて殺気立ってないのでお勧め。web申告も可能だが毎年対応が変わるので税務署に行くことにしている。
この辺りは刑務所関係がおかれていたばしょなので、殺風景はいまだにあるも、聖地信夫山の活かし方が今一なのは歴史的な経緯があるからだ、競馬場も足下にあったし修験者たちの家もたくさんあった霞町にも隣接している。

■柳沢家から「吉野荘の件」は告知されずだったので、 記録には残っていませんでした。が、初めて家族全員で吉野荘に行き、傍の神社もめぐり、後、中華料理を食べ、肌で柳沢家の現在を知ったことはとても有意義で色々分かりました。今回、公開したこの記録には吉野荘に至るさまざまな手がかりがあり、そういう場に立ち会えて幸いでした。完成したら吉野荘体験記を書きます。骨子は仕合せ建築家の歩く「住居→住居+α→吉野荘=敗戦後の日本住生活基本計画の誤りを逆照射し是正しはじめる吉野荘→世界標準の生きられる路上的建築」それらを生み出した「インド的水平+垂直型+抱合型、融合寺院の研究とインド体験」■柳沢先生が司馬遼太郎の多数の作品を読んでいることも、建築家としての姿勢に幸いしていると思います。(士族的=プロテスタント的なパブリックマインドを実践してしまう)



2月20日 のち時々晴れ

■確定申告の整理をし記入する1日。

■菊地さんからmy建築の問い合わせあり。
■辻琢磨さんによる「自邸を動かす」記事が公開されたので連絡する。辻琢磨入門を書く予定だからだ。













2月19日  ときどき 

午後いち番に食材の買出しに行く。自転車出行き来するんだけど1週間分なので重い。

岡田栄造先生から呼びかけ文と絵などによる2日間だけのおでん屋のお知らせがある

■FB投稿

建築の理想は路上である(岡田栄造先生の呼びかけ文読んでね)
京都の暮すなどしている、お近くの方はぜひ今夜一晩ですが「屋台いなば」に出かけ、路上性を体験くださいませ。いいすよ路上は。何かを断念した人なら、じーんと身体に染み入り分ることだろう
■30数年まえから俺が言い張っている言葉が京都でも広がりつつあるのは嬉しい。建築の理想は路上なんだなんてお前は阿保ちゃうか!と多くの人々は俺に向かって言い放っている、俺の妻は俺のものだ!と単純に思い込んでいるように、俺の家は俺のものだ!なんて単純に思い込んでいるに違いない。長年建築設計に係わり、建築を造ってきた俺の言うことをきいておくれ。そうして明日からすべての家は俺の家だしお前の家だよと想えるようになっておくれ。そうして星座型居住を手に入れることによってのみ人と建築の本来の可能性を知ることになるだろうよ。













2月18日  快晴 ホルモン剤をのみ2日目

FB投稿より

my活動を続けながら死ぬ予定です!
関係者の皆様(京都でカラオケせないかんな)・・・ウザイとは思いますが、しばらくお付き合いいただければ幸いです。また、myがん告知に対して多くの励ましのメッセージ&投稿などありがとうございました。(多さに驚きました)医師からいただいたロードマップによりますと、ここから2年間は生きられるようです。
■my癌=「局所性前立腺癌」について
男性が発症する最も多い癌は前立腺癌だそうです。で、私の癌体験は50才前後の多くの予備軍の人たちに役立つかもしれないので記しておきます。私の癌症状は高リスク群(4+4)で7段階に分類されるなかで4番目、高リスク群では最下ランクでした。前立腺に注射針を打ち込み生体サンプル12本採取しまして、その全てから癌細胞が検出されました。私の感覚─解剖し病理検査したわけでなない─では前立腺左サイドは75%ほど、右サイドは40%ほど癌細胞が分布している気がします。ですが痛くも、排尿痛も、自覚症状もない常態です。
■50才前後の男性諸君へ。血液検査をするとPSAという癌マーカーで前立腺癌の有無はたちどころに判明します。で「50才過ぎたら無料の市民検診があるので受け予防してください」それが私からのお勧めです。特にお子さんたちが成人していない、または大学を卒業していないパパは是非検査してピンピンパパでママも幸せにくらしてください。
■そういう、私は一度も市民検診を受診したことがありませんでした。排尿がしづらくなっていたのは6年前ぐらいからでして、前立腺肥大だな・・・と受け止めていました。暢気なことですが、血液検査も受けずに、放置しつづけ2023年2月16日の「癌だよ」の検査結果に至りました。放置していたのは幼少期に「お前は病弱で長生きできないと思っていた・・・」と親から聞かされていましたし、30年前には「風邪ひいた?」と思い受診したら、女医さんに「直ぐ死ぬから言い残すことはないか?家族を呼べんで伝えなさい!」と言われ妻に「末後の言葉」を伝えたこともありました。その時には60日入院させられましたが死に至りませんでした。「死ぬ」とう言葉に慣れている「死に至過程は最も面白い文化的な営為の一つだ」とさえ思っていました。
それらの経験から「50才過ぎたらいつ死んでも悔いはない・・・」そういう日々を過ごしていたので、今回の前立腺癌告知に際しても「そんなものか、これで死ねるな」と少し安心したわけで、驚いたり動揺したりすることは全くありませんでした。では・・・なぜ治療するのか?ですが、前立腺癌細胞は骨髄が大好きらしく、全身の骨髄に転移すそうです。そうなると痛くてたまらず!!モルヒネを打って生き続けるんだ・・・と知ったからです。麻薬中毒で死ぬはいやなので、そこに至る前に死んでしまいたいと考え、治療することにしました。すでに骨に転移している可能性はあるのですが、その時は麻薬中毒者に至り、薬による幻想の世界を彷徨い報告することにします。
■地域と医療技術の進歩により対応は変わる
私が住んでいる福島市での前立腺癌高リスク群の治療方法は手術は半年以上待たねばできない─手術できる医師がいないようだ─ので、放射線治療+2年間のホルモン療法をすすめられ立ち会い者2人も同意もしました。放射線治療も各種様々あるようですが県立医大のそれはどのようなものはか?今は分っていませんので、5月末にお知らせできると思います。まずはホルモン治療している2年間は生きられるようです。(当然、他の原因で死ぬことはある)
繰り返しになりますが、この数年でやり残していること、また進めていたmy活動を2年間でまとめてしまうつもりです(無理かも)、ですから関係者の皆様、いましばらくお付き合いいただければ幸いです。

2月17日  雲一つない快晴 

雪化粧した吾妻の山々もくっきり美しい1日

■昨日判断したホルモン治療と放射線治療が正しい選択だったか?朝から前立腺癌に関する動画を選んで見続ける。
治療方法は日進月歩でスピードはやく薬の対処法も加速度的にシンポしていることが分る。全摘はしない方向で進んでいることもわかった。などきちんと整理しておきたいとも思った。食事療法は民間伝承みたいな気もするが毎日楽しく安価に食べ元気になるため少し研究してみたい。男性ホルモンを増加させるのは控えた方がいいかもと思う。
■治療方法も時間を経るごとに進化しているから、進行速度が遅いといわれる前立腺癌はすこし待ってるものいいかもんだどと素人考えに襲われる。地域による治療可能の方法も差があるようなきがするので、出会った医師の指示に従うのがいいように思う。













2月16日 

癌持ち男と確定! 鎮癌を祈念しmy長男と寿司とビールを献上
去年の12月から今年の2月初旬まで様々な検査を経て、ようやく「前立腺癌」と確定しました。2年ほどは生きられるそうです。転移してなければもっと生きられるのが一般的だそうです。
■糞ジジイになっていたので、昨年後半からmy活動の〆に入っていたのでショックはないのですが、ろいろやり残してしまうかもしれません、そのときは失礼いたします。
■誰の葬式にも行かない事にしました、生きている人にしか会わないことにしました。でワイワイしたい人には連絡しますので、お付き合いくださいませ。また福島市に来たら連絡くださいませ、一緒におおいに呑み馬鹿話をしましょう(笑

応答ありがとうございます。勿論今年の夏大阪に行く予定なので、そのときは柳原さんの新・神戸事務所に集合して呑みましょう!原田佑馬さんの記録もまだできてませんが(泣けるいい話なんですよ)4月までには仕上げる予定です。

my長男、見舞いにきた
3・11以降も前も、歴史研究者であるmy長男と共に被災地支援していたがほどんと何も成せなかった。でも12年経って一節できいろいろまとまって来ている感じ。(お互い年を重ねただけだけど)




2月15日 朝方薄っすら雪つもり のち   やや風あり

■30〜40日分の薪を探す。山形の薪屋さんにも連絡して3袋注文する、5月到着予定で、半年野積みして乾し、人口薪と合わせ燃せば問題ないかもしれない。

■確定申告の下準備をこつこつする。





2月14日 のち雪

■磯崎新著 『具有性操作術ー磯崎新』を読み終える

■午後薪を探しにホームセンターに行く。おがくずだけを圧縮したブリケット薪を買って燃してみた。取り扱い、着火良好だ。1本1kgでやく190円ほどで1時間ほど燃える。小さく椀型に割れ、少しずつ燃すのがコツかもしれない。

代用薪 (ブリケット薪)
3ヶ月弱で燃してしまった山形産の薪。今年は品切れなんだという。で、代用薪を買って燃してみた。椀上にぼろぼろと分解し続けて燃える。着火は簡単、火力もまあまあ、煙もすくない、やや割高 (本物薪と新薪を混ぜ燃しがよさそう)

 
ブロック状のブリケット薪もあり 200kgで 5kgずつ燃して40日 計23900円。

 400kgで 45320円

8本で932円

しかくい製品で kg56円 ※販売終了※ B地域用:10箱お買い得セット【240個入/200kg(1kgあたり59.4円)】送料込価格・代引手数料無料 - ブリケット家族|天然加工薪ブリケットの専門店 (briquet.jp)





2月13日  こさめ降り、どんより寒い1日

県図書館で借りて来た磯崎新著『具有性操作法 磯崎新』を読み始める。

■午後、米がなくなったので、スーパーに買いに行く。会津こしひかり11kg入り3542円なり

FB投稿

岡本太郎作、太陽の塔にある黒い太陽の意
読売新聞社は原発に「平和」を冠し津々浦々に原発付置するため世論誘導した(原子力平和利用博覧会)ことでそうなったのは周知の事実。太郎さんは1970年万博会場に太陽の塔を建て、丹下さんの大屋根を破り突き抜いた。だが、原発によって発電された電気を使って太陽の塔天辺の顔・目玉から光を放った。一方、背には黒い太陽とお腹には歪んだ顔も刻印した。

黒い太陽の意味が長年わからなかったのだが、磯崎新さんによって「フクシマであなたは何もみていない」p39─8行に記述してあった。「黒い太陽それは悪魔の仕業といってもいいような破壊のエネルギー」とある。←テクノクラートによって冠される「平和」は疑うべき言葉のようだ
焼け跡派が亡くなっていき、戦争を知らない子供達世代に変わりゆく、戦争を知らない子供達も亡くなりはじめている。

磯崎新さんの「福一原発沖・遷都案」語りは・・カットされ(笑
五十嵐太郎さんの卒業設計は「フクシマ」に暮らす者には興味深い内容だったので、視察後ワイワイで誘導し語ってもらったのだが、こちらも編集時にカット?!
■昨年末亡くなられた磯崎新さんが311後に書いた「津波と建築」(現代思想2011年9月号)を県図書館で探し当てたので借りた。磯崎さん自身は、津波の迷信を信じて逃げだ愚者の末裔だと,語る。テクノクラート糞くらえ風に味付け語りで面白いので借りて読み始める



2月11日  気温があがり春の重たい積雪にかわる。20p超積

■県建築課OBの方に聞き取り依頼しているので、福島県住生活基本計画に関する粗い年表をつくり始めた。敗戦後から今日まで住宅政策に関するあらましを表にして、そのご、個人それぞれの細かい年譜などを埋め書きしていただいて、現在から遡るのか、1945年から語り始めるか?など相談しつつ、住生活と職員の体験を一体としてまとめていきたいと考えている。2,3年掛けまとまればよしとする。
時間かけるので、末節に入り込んで全体が分解消滅してしまわないように、まずは年譜づくり。

■my、長女、長男と16日の病状説明を受ける件についてあれこれメッセージし合う。いろいろお世話になるしかないのだけれど、できるだけ自分でできることはすることにしている。が・・自分ではできなこともあるので、お世話になることも大切だ。





2月10日  昼過ぎから雪がふる、15pぐらい積もったかな

■福島県住生活基本計画を元に年表をつくり始める。

■夕方『建築ジャーナル』の山崎さんよりゲラの知らせ。すぐ見て修正箇所を示し返信する。

■きょうのFB投稿

・30pは積りそうな降りっぷり
いい雪質です。スキー場にいきたくなるね

・「人生最後のゲラ」になるのだろうか?
2023年3月号『建築ジャーナル』掲載用ゲラとどく。ひと月以内には発売されるはずなので、書店などで手に取って、買っていただき感想&批判など存分に、投稿あるいはメールなどで電送ください。よろしくお願いします。












2月9日  時々くもり

■午前中、家人は皮膚科に行く。ひっかきすぎて皮膚に斑点が出来てしまう。徒歩片道30分弱なのか、所用時間2時間半ほどで帰宅する。5千円弱かかったとか。

■定期講習会に行く段取りなどをしつつ、家を11時過ぎに出る。きょうは風が少し強く、よって冷たいし気分何倍もあり。春一番ではないのだが、少しずつ温かくなる気配ありてうれしい。

■郡山まで行、定期講習の試験を受ける。

■FB投稿
ててていていていきていき定期こここうこうこうしこうしこうしゆこうしゆ講習うううけうけうけるうける受ける
■久々にスマフォ投稿したらタッチ不慣れ?妙な字並びとなり、いいじゃん。受講はオンラインだったが、なぜかオフライン会場で拘束され、1時間で、40問の○×式マークシートがでてきた。老眼進俺にはマークシート自体が小さすぎて、紙と印刷の色も妙にはっきり印刷してない。老眼きょう忘れたら・・・適当にマークしたこともある(笑)年々とても見にくいマークシート。 老人ようにサイズのデカイマークシート作ってくれよ。←拡大自在のタッチパネル答案用紙でいいだろうに!紙不要だと思うんだがね。試験終了と同時にその場で何点か分るだろうに。なんだか理由は分らないけどテストの方法、遅れているな。
■定期講習義務との法・・なのだがなぜ?か毎度40問付なんだろう?どうでもいいけど、これで食っている人がいるんだろうね。

紙媒体(雑誌)用の校正すむ
ひさしぶりに紙媒体に登場することになり、五十嵐太郎先生のお誘いで1月7,8日浜通りで対談したり、福島に戻って以来の字数で原稿書いたり、校正したりした。本になるに随分時間が掛かるものだ。(自分で文字にする方が早いので何度も文字おこししてしまいたくなった)
22年ほど貧乏人はweb記録が似合う、そればかり作っていたので紙媒体の実感は蒸発していた。紙の世界で生活している人々に触れると、浦島太郎が島にもどり「こんなだったんだね!」と驚いている気分。
■字数制限あるし、手渡しが基本だし、出版社絡んでないと出せないし、動画も埋め込みできないし、リンクも張れないし、持ち運びにエネルギーと人で使うしかないし、デメリットだらけの紙だと思うんだが。今度紙好き!人限に会った、続ける理由を聞いてみよう。


2月07日 のち薄日ぼんやりした晴れ間あり。

午前中、定期講習オンライン受講する。

■午後、1月7日の福島浜通り視察し対談した校正原稿を修正し送る。ばっちりと返信あり。で指定された原稿は25日前に電送したので、一応お仕舞。あとは本になり刊行されるのを待つだけ。(ゲラチェックとかあるのか?不明)


■3時ぐらいからテキストに付箋をつけて、見易くする作業をする。明日1日再度受講しよう。

2月06日  ちからづよい陽射しありて温かいくなってきた。

■午前中食材を買いに家人と出かける。重い荷物を背負って1時間強の時を要する。

■午後一で町中の銀行に行き雑事をこなす。
 帰宅し、いろいろ準備してのち、
一級建築士定期講習をオンラインで受講し始める。
 











2月05日  日が長くなってきて嬉しい

■昨夜はmy長女と長いチャット・メッセージ交換をする。内容は前立腺がんの生体検査に関した、多様な対応など。 
■今朝は、大澤真幸さんの講演動画を観る。大澤さんの本は買って読んでいたが、最近は動画に変わってしまった。動画の方が息遣いがわかるので、何を伝えようとしているのか理解し易い。反面、情報が多いので伝わる内容が散漫になる気がする。両方見たり読んだりするのが今世紀的な対応法だと思う。動画を見て後本を買って読むのがベストだ

■FB投稿
「俺たちの伝承館」が夏、野馬追の時分に開館
中筋純さん(ジャーナリスト型フォトグラファー)とその仲間たちが3・11と原発事故をふくめ、未来の他者を含む多くの人に現在の思いなどを伝えるた、手作りによる伝承館もち、多様な俺たちの展示を開始されるようです。国民国家によるフクシマ伝承館はすで開館していまして、以前に指摘したような形状や配列で運営されています。「俺たち伝承館」の特徴は既存建築を活かし、国民国家消滅後+資本主義の終焉時期にあるべき活動の姿、私と個の連帯によるや新しい共同体的(俺たち・私たち)な意思によって動き出したようです。21世紀(3・11後)にあるべき町づくりの一例だとも思いますし、大きな意義と可能性を内包しているように思いますので、注目していきませんか。
(左の絵は中筋さんFBよりコピー)











2月04日 曇り時々陽射しあり。春が近づいてきている気配あり

疲れがでていたので、午前9時に起きて、飯のあと中資料整理する。

午後斎藤さんにいただいた資料に目を通して─必要な点を加筆していただくため─メモし、メッセージする。

■FB投稿

文化遺産とレジリエンス
my長男の国際連携による研究もすこしずつ広まってきているような・・・気がする。被災地あるいは被災者にとって、当地の文化財、あるいは建築などが作り出している、個れぞれの景観記憶を再生復活支援し保全することの大切さはようやく認められてきている。加えて建築領域でその記憶再生支援活動をすることの意義は理解共有されつつある。それは3・11によっておきた重要な気付きの一つだと俺は考えている。でいろいろ既存建築(古建築から新建築まで含め)の文化的意味の再確認と継続継承をどうしようか問題を顕かにしていたのだが、能力不足で遅々として進まないのが現状だ。(作りっぱなし・・・で完成すれば造り出した建築にさえ興味がなくなるのが一般の建築系の人々の思考だろうか?)

■2月12日シンポジュームが行われる。建築白模型作り支援活動には3・11直後から神戸大の槻橋修先生に「太平洋沿岸各地・被災地の白模型づくりプロジェクト(学会賞受賞)」に誘われたが、すでにmy長男と未登録文化財のレスキューと保存支援活動中だったので協力することができなかった。人生はまことに不思議でやってみなければわからない。my長男は歴史の研究者であり、建築領域とは無関係にちかい位置で研究している者だったが、311はあらゆる領域を混ぜかえし近似の研究者や活動家を近づけたり接続してしまった。とにかくmy親子は口喧嘩をしながら、やく10年間活動して、いろいろ知見・未体験を重ねつづけて、なるほど景観を含めた既存文化財の復元と継承維持は人にとって重要だと骨身にしみた。残りの人生はこれに関する活動で〆にしたらいいだろうと思うようになった。(まちづくりのような銭儲系とはまったく今のところ関係ないのでご注意ください)










2月03日 

2日は吹雪の中、家から日赤まで徒歩で行く。10時受付し、手続きを済ませ部屋に案内され、昼飯が出る。しかし飲み食い禁止なのでなにも出来ない。本を持っていったが中身を間違えてしまい読む気が起こらず。パンだったので家に持ち帰る。

患者が多いのだろう、押しにおして4時から生体を検出する作業にはいった。以下FB投稿内容

墓場が見える病室、大腸から13発撃ち込まれる!気持ちわるい

■前立腺がんの生体を採取し癌の有無を調べるため1泊2日入院。いい感じに病室の窓からで墓場が見えていて、おおお導かれそうだ、既に死んでいるのかもしれないが(笑)で、麻酔無しで13発!!前立腺に針を打ち込まれる、痛い。大腸にセンサーなど他の何かぶち込んで、前立腺めがけて注射器を13回打ちまくる(どんな機械いれてまんの?は全く見えない、どこに刺しているのか?も見えない・・胃癌や大腸がんの内視鏡は見せてもらえた)一発ごとに脳天まで来ちゃう、気分悪いが鈍い響きが頭蓋骨を響き渡るように襲い効く、さらに6発目あたりから、血の気が引き、気分が悪くなる。看護婦さんが「呼吸のしかたをあれこれ指示するけど痛い、白い痛み止め液をジャンジャン流しいれる。でも気分わるい、一気に血圧150突破する。─50過ぎたら血液検査すべし─ 
検査の結果は2週間後に判明するそうだ。が、俺の想定だと確実癌。転移無しだそうだ。女医さんはCTとMRIで断層画像をぐりぐり動かして見せ説明するので、立体的に想像でき、あこの辺りが癌ねなど想像できていい。何がどうなって、どのような形状で悪いのか分かる。まったく医療技術の進歩は凄いもんだと、思うよ、なにせmy癌が見えるんだから。これ以前だと俺は既に死んでいたはずだ。と、ああいう画像を見せられるたびに思う、日本の日本の医療技術は凄いと思うよ。所得によって入院費も上手いことできている。
一方で若者が医療費高に難癖つけ「老人は自死しろ」と言っているそうだ。医療史と医療従事者のこれまでの努力をしらない阿保としか思えない。

癌だと分っても、施術せずに監視療法もあるそうです。生体検査するにが負担になるので、先延ばししたり放置しないようにしないことが肝要だそうです。 https://m.youtube.com/watch?v=F_CCwIGQLj4

2月1日 

前立腺がんの生体検査をするための前準備をしに日赤に行く。新型コロナの感染チェックする。

■よる斎藤さんとワイワイする。

土木部住宅課OBの斎藤隆夫さんと呑む!
(他のOBの方も呑み会どうでしょうか)
■肴は『福島県住生活基本計画』の歴史などについて。3・11が起きなければ福島県の住宅課の人々が何を想い、日々活動しているのか?そのような事に興味なく人生を終えただろう。大震災と放射能災害も含め多くの人仕組みに激烈なショックを与えたし、ぼんやりして暮らしていたの野者・私でも多種多様な人に出会い語ることになった12年間だった。そこで何が起き何が変わったのか?それらは案外まとめられたり、まとめようとしたりするために語り合われてない・・んじゃないかと俺は思う。ではそこれをやってみようと、斎藤さんに御指南いただき、美味い肴を教えてもらいつつ、福島県の建築文化って何?をふくめ・・・ワイワイ語り合いましょう準備会ひらいて呑んだ。呑みだけでお終わるのもいいのだが・・ちょっとやる気でてきた(笑)



福島県は抱僕になれないような気がする。鈴木さんの記事をよみ、関係者にいろいろ聞き記録をつくることにしたいと思う。斎藤さんの奔走はこの記事に沿っていてまた裂き喰らっているのだが、県の住宅政策と居住支援活動はどう関係しているのか?対立しいるのか?無視されているのか?そこを紐解いてから語り合い記録しないと混乱ます情報になるだけだろう。http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-708.html...
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