佐藤敏宏  HOME 2020年02月へ 
   2020年03月の日記        

 3月31日  北面の雪がまだ点々と残っていた。寒いようだ。

■古建築レスキュー活動を早朝からする。今日は平面スケッチ3時間半、終了後に聞き取り2時間。
 立体的に分かってきただけで、よき手法を検討するまでには、もう少し時間が要るし、すべきことも多い。こつこつしていこう。
 メモ的に今日えた情報箇条書き
・現況 店と店蔵および仏間蔵 それぞれ二階も含め、平面スケッチ完了
  (作図は後日制作する予定)
 ・要件の建築物件の謄本コピーをいただく。(令和元年12月10日)
  (最新の登記簿謄本 必要) 
 ・質権の関連について2時間聞き取る。さらに事実調査は必要
  (音有・記録作成はさらに事実が見通せるようにり、再度聞き取る
 ・関連訴状の原案コピーいただく(日付:平成24年2月27日・印無)
 ・家系図見せていただく。多数あるので、後日整理して伝えるとの事
  (撮影画像あり)
 ・所有者は囲碁が好きで福島の碁会所に通っているとのこと
 ・家業を営む建築設計図を拝見(1階鉄骨造、二階木造だった) 

■福島市内でコロナウィルス感染症患者が20代の女性と70年代の社員が同じ日に感染が分かったとのこと。東京でも、関西でも若い人も含め増え続けている。いよいよ感染爆発前夜の様相だ。





    

 3月30日  庭の桜満開から散り気味、昨夜積もった雪が、屋根の北面や日の当たらないか所に少し残っていたほど気温上がらず

■ 古建築レスキュー活動の対話録を作成する。初期の対話内容は要点だけではなく、話し合った内容をまま文字にしておくと、後々、所有者との間に古建築に対する思いの食い違いが起きたときに、そこに戻り、話し合うための資料にできる。
そこでコツコツ作成。今日は質権に関する内容を文字にした。この関連は困難が多いと予想されるけれど、ここを外すと興味を持って支援いただける方々に多大な迷惑を散らしてしまうことになるので職調査には外せない点だ。登記所などに行き謄本を確保する必要もある。が所有者の了解を得てからにしよう

■斎藤隆夫さんへ3月26日の対話録を配布し、アドバイスを頂く。コロナウィルス感染症における騒動で、どうにも動きにくいとのこと。早期に治療法など見つかることを願う。斎藤さんの報告書が配信されてきた(左覧はそこに添付された写真)

 各種ウイルスは人間が存在する以前から、何かに寄生し地上に生き続けているので、人間が地球を開発しすぎているので神の戒めとして受け取り、ウイルスと折り合いをつけて、人は生き抜くしかないと思う。
 結核、エイズ、サーズ、コロナの各ウィンはその時代の隠喩として表記できるというのがアメリカ人 1933年生のスーザン・ソンタグの著書『隠喩としての病』も読んでみたいな。
■県、住宅課を訪ね3月26日対話録を配布し、アドバイスを頂く。文化財における綜合的政策大綱のなかに建築課を加え4月1日より実施することになった。お願いしたいことが実現したので、ほっとした。古建築保存から、主導権が握れるはずの、建築系の面々が、蚊帳の外に置かれ寸前だったが間に合った。


 3月29日 急激に気温下がり雪、午前中吹雪あり。

 連日のコロナウィルス感染症話は尽きず、さらに爆発的に感染する瀬戸際にあるという報道多し。一気に患者が増えると、病院の統廃合にて減っていた医療現場は手に負えなくなる可能性が高いとのこと。
 今日は都内の病院で感染してしまったとのニュースに、驚いた。院内感染を防げないのでは、この病で病院に行けば感染者を増やすことになるだろう。

■福島県中に在る昨年の台風19号によって被災した、古建築群の保存方法をぼんやり想像して1日過ごす。
 311後に宮城県内でおこなった古建築救済活動より、福島県中のそれははるかに困難である。一つは、地域との連帯が見つけられない。そして、地域のコミュニティが見当たらない、この二つは宮城県には有った。地域内の古建築を保存したいと思う人にまだ出会わない。専門かも施工店との繋がりも見当たらない。それらが整っても所有者と支援者群のマッチングが簡単に成り立つわけでもない。
 いろいろ想うと、ハードルがたくさん有り過ぎるような気がする。しかし、何等かに切っ掛けで霧が晴れるように解決することもあるので、楽観的に受け止めて、出来ることを、コツコツ進めるだけだ。


















































 3月27日 たり曇ったり。桜も6分咲き

 昨日の古建築保存活動についての対話録つくりをしていた。多様な内容なので数日かかりそうだ。
 内容は福島県中の古建築と古文書を関連して、連携して保存するためのモデルづくりとも言える。311後の津波被災地とは違う初体験の課題が出て来るので、関係者が未体験な領域なので、連携し手探りで進めるしかない。
 所有者も保存に意欲的になってきて、行政の担当者の方に喜ばれた。微力でも何か出来ることをコツコツ行動する。

311被災地支援で学んだことの一つだが、記録は後では作らないということ。だから記録をつくりながら、支援活動する。これが肝だ。記録を作らないで早く進めるのは戒めるたい。後々、多様な人に伝えるためには効率がよいと知っている。
■昨日は昨年の10月台風19号で水害に遭われた古建築について、案内した。
FB投稿より

斎藤隆夫さんの貴重な時間を頂戴し古建築視察する
 100年位まえからつかわれている、台所の「おくどさん(釜戸)」の煙と熱気に燻された、ここに来た、転用された古材は、さらに時を経て、此処にある。
 その味わいは深し。現在の価格体系に照らせば、無価値なんだけどね。
 新材を持っては再現できない味わいあり。材料の価値は無い価値有り材を眺め続けた、一日中。建築の奥は深い、建築を同発明するか?それだけだ。


■3月25日 

マスクを干す! 
 今世紀にはいって蓄膿症の手術して以来、医師の指示にて、外出時、埃が多い場所、寒暖差異大きい場には必ずマスクは使用せよ!だった。
 5年ほどマスク無しの生活はしていない。が、コロナウイルス感染症よってマスクが手に入らなくなった。仕方なく煮沸して、数度使用している。いろいろ工夫して乗り切ってしまいたい。











 3月24日  風が冷たくちらちら雪も来ていた

 桜、二分咲きになるも、冷えすぎて足踏みになるのだろうか。オリンピックはコロナウィルス感染症の世界的爆発によって、参加選手も練習もできず、当然中止だろうとおもっていたが、1年延期に決まったようだ。
 コロナウィルス感染症は株価も乱高下させつづけている。旅行もできず、人と触れ合うこともならない。
 新しい世紀の新しい出来事は、これから地球に優しい暮らし方をつくれ、と天の神がお告げなのだろう。
 産業革命から続いていた、産業はもう頭打ちだよ、限界だよ、ジェット機で飛び回り旅行するなんて、地球にダメージを与えすぎるので、スローダウンせよ。と、そういうことだろう。さて、産業革命以降つづいてきた、今日現在に辿り着いた、人々の暮らし方、ここで革命的に変えられるのか。いい機会がやってきた。まま続ければ、地球は数個ないとエネルギーも食い物も手に入れることはできない。
 (10万年アフリカ大陸を徒歩で地球上に広まった人は、70〜80億人で地球も持たない。)

■web頁をこつこつつくる。夜になり中山英之さん講義録03を公開する。






 

 3月23日  風やや強くも、温かく桜じゅんちょうに開花している

■中山英之さん講義録その02を公開する。一気に公開せず1週間に1web頁を公開し続ける方が、チェックとweb頁を仕上げるのが楽だと分かる。年老いて一気にweb頁全部仕上げて、いきなりアップできない、言い訳かもしれあいけれど、読み手も、一気に読まずに済むので、今時のネット暮らしには合っているようにも思う。
 とは言うものも、ライン慣れしている多くの人には、20分分の語りを文字にした、1webでも長い量なんだろうと、想ったりする。

■昨日、久しぶりに動画を作って公開した。 相変わらず下手だけれど、上手に仕上げようと思わない。やはり細か部位に拘って仕上げた方がいいのかも。と反省してもみる。のんびり考えてみよう。 伝わればいい記録動画だからなーと、無理せずに作ればいいだけかも。

 3月22日 
 庭の桜開花しだし。風は強かったけど気温上昇している。花より団子だと言うので、年に一回なので、みたらし団子と漉し餡団子を買う。

■一日中、蔵保全のための記録を作る。動画もひさしぶりに作成してみた。動画は疲れる、手間もかかるし、目がもうれつに疲れる。あまりやりたくない作業だが、動画をつくると一目で伝えられる、受け手は観た瞬間にわかるので、動画も力も使わざるを得ない。

 3月21日 

 庭の桜のつぼみ膨らみ始めるほど暖かになる。木蓮は散りだし、杏子は1分ほど開花した。数日後は桜が咲き、杏子は満開だろうか。
■19日打ち合わせた、本宮支援のための県美術館の方との語り合い記録を作り終える。急いだのは撤去解体完了まで2月切っているからだ。
昨年秋の19号激甚から5カ月たって対応するのは遅すぎる。仕組みが無いから公費解体が先行する現況を変えたいが、被災した日から保存の話をするのは困難だろう。被災した人の生活をどうしていくかが定まらないし、その上に残せと言えば混乱したり、拒否感を強化する行為にしかならないからだ。
 被災からどの程度の間を置いて、保存活用の話を切り出すのかは、答えはない、被災者と支援者の人と人のがちなコミュニケーション力にかかっている。で、どこでも誰にでも使える普遍てきな正解はない。
 そこが被災した後の対応でもっとも面白いし、その時間を短くできるものこそ、生な人間として能力が高い。

■FB投稿
県立美術館にて学芸員のかたとワイワイ
一昨日のこと。コロナ関連じゃないけど休館だったので裏口から事務所へ。フレンドリーな対応にて、一歩すすむ。
酒粕を買って甘酒に。味に切無し。酒粕は田島の純米大吟醸の粕にかぎる。町なかの店売り粕、はまずい。その事を知る。

■19日のFB投稿

 わが人生で唯一の建築系賞状!
世界でたった一枚の超貴重な南泰博先生直筆でごさる!賞状。勝手にくれた!
皆さんはこの賞さえ忘れているのでは?(笑若気の至り)
エデフィカーレは東京大学の博士課程の学生を中心とする建築論書き手のなかまたちが発行していた雑誌の名前である。紙媒体最後の自費出版の本。(東北大学の学生がその後出版してた)
書き手は三枚目の絵にあるように、五十嵐太郎、赤川貴雄、今井公太郎、大川信行、大嶋信直、太田浩史、佐藤孝一、田中庸介、月橋修、奈尾信英、永井理恵、藤田盟児、松永永季、光井歩、本江正成、内山彩子、山中新太郎、吉田寛さんたちです。





 3月19日 

 福島県本宮市内の昨年の台風19号による水没と水損などの事故による未指定文化財など、古建築などと他領域に渡る支援態勢をつくりたいので、朝から活動する。
 午前中は、県の新関次長に時間を割いていただき、古建築レスキューについての現状の諸問題と、今後への課題、そして今なすべきこと、そこに有る問題をお伝えした。新関さんには早速、動いていただけるとの事。ありがたい
 午後、古建築支援を長年支えている斎藤さんに会いにいき、同様の話をして、地元との連携協力を模索しつつ、動いてみようということになり。現地見学したいとのこと。時間を調整し現地視察をまずしてみることにした。
 午後の2番目は県美術館の学芸員の堀宜雄さんに会い、堀さんとが行っていた活動と連携したいと申し上げ、協力いただけるとのこと。この件もフレンドに展開するのではないか。そんな予感が湧いた。

まずは有志で顔合わせの懇親会など企画しなければならないような気がする。

■活動の途中で新関さんから雑誌のコピーをいただいた。「福島の三奇人」に俺が入っていた。著者は五十嵐太郎先生だった。『建築ジャーナル』2020年3月号の記事らしい。五十嵐先生にはいつも方々で紹介していただいている、ありがとうございます。その割にはほとんど活躍できていないのは能力がないからだろう。建築系でも役立つなにか、それができるよう頑張ります。

3月19日 

 朝早く起きて、本宮市に行く。福島大学の阿部浩一先生と、本宮市役所の斎藤さんの案内で、本宮市内の水害に遭われた古建築の所有者に紹介いただき、内部を目視調査し、保存の方法の心構えを提案してみた。私が行く前は、解体したいとのことだったようだ。なんとか残せるように、活動してみたい。
 そのような結果を得るためには今。課題はたくさんあるし、資金のこともあるけれど、お金が無くても出来ることはたくさんあると思っているので、一つずつ対応していくことだと思う。
 いろいろすべきことはあるけれど、最初に現地の土地、建物、その内部に所有されている品々など全体を把握しないことには、空論になってしまうので、各領域の面々に現地調査をお願いしなければならない。幸いにして県美の堀さんが丁寧な調査をされていて、記録書もできているので、心強いかぎりである。

 保存の道を探ると同時に、所有者が孤立して「古建築を保存しきれない」と思わないようにするための支援体制づくりが肝要だ。
 そして解体除去するのか、残すのかは所有者の判断になる、のだが、解体してしまう前に、できることはたくさんある。それを実践している間によき路も拓けてくるだろう。悲観的にならないので、学びや気付きが多量に吹き出すだろう。
■FB投稿
福島県本宮市台風19号による水害の跡を初めて観た
福島大学の阿部浩一先生と本宮市役所の担当者のかたと本宮駅で合流し、水害の現場をあちこち観て歩いた。水没した街は復旧に向けて各所で盛んに工事中。たんたんと頑張ってます本宮の皆さん!








 3月16日  午後霙からやら霰やら降る

■確定申告を提出する。さっさと済ませておけばよかったと、放置して気にしているのは何かと無駄なエネルギーを使うように感じた。今年はなんだかダラダラしていて、今日になってしまう。来年度は初日に提出するようにしよう日々整理しよう。そう反省する。
 税務署前には相変わらず、放射性廃棄物・黒いフレコンパックの山がある。あれから9年経ったけど市内のあちこちにまだ有る。

■株価あいかわらずの暴落を続けている、今夜は米株価7%下げたという。日本は17000円を行き来したようだ

■夜、ヘリテージマネージャーを受講時にいただいた資料を見やすく仕分けする。今後の活用に向けて、ここらで復習をしてみた。2013年から法律が変わっているので手入れ調整が要るように思う。こつこつ調べてみよう。


 3月15日  寒さが戻り気味 明日は北西の風あり荒れるとか

 my長女が暮らすドイツでも、コロナウィルス感染症騒動で品々の買い占めが起きて食料品が品薄になっている・・とメッセージがある。さいわい「米」はたくさんあるとのこと。
 マスコミによると、世界に西欧やアメリカにも広がり始めたとのことで、これから1年以内は感染症騒動が続くのかもしれない。

 夜9時過ぎの飯坂線に乗ったら、10数名の若い青年たちが同級会だとかで、酔っぱらって大騒ぎしはしゃいでいた。。飯坂駅の近辺に暮らす元気な若者たちのようだ。「コロナになんか負けない、よおじさん」と呼び掛けられる。元気な若者の存在は心強い。同じ車両に乗っていた女子高校生の4人組も臨時休校なので、楽しく遊んだ帰りのようだったが、彼女たちも全員マスク無であった。 若い人たちは気にしてないようだ。

 数年前の蓄膿症の手術以来マスクがないと少しの空気の差異によってくしゃみが出まくるのでマスク無でクシャミの連発になる。この時期は嫌がらるし。マスクエチケットでもあり、自分の鼻対応でもあり公共交通を利用する時や、寒暖の差が激しい外部に出るときはマスクをし続けている。今夜はコロナ感染症対策している変なおじさんと思われたみたいだ。


世界の株価は乱高下し続けていが今日は株価とうとう17000割って恐慌なみの大暴落、3割さがり15000代になれば、歴史的等メカの大恐慌だが。暴落間隔が短くなって繰り返すようになり、資本主義の終焉を象徴するかのようだ

 3月13日 庭の木蓮満開!ヒヨドリが来て啄むこと盛ん

 自転車のライトが壊れ、ブレーキパットもすり減って、止まりにくいし、リムがすり減ってしまうのは困るので近くのDYI店に行き、修理してもらう。道具買うより、修繕費1500円払って、ライトは目が衰えて来て、夜乗るので、安全確保のため、ちょっと高価なものを付けた。暗くなってから試し走行してみたら発電機が軽いし明るい。ちょっと高価が効いているみたい。

近所のDYI店は巨大になっていて、驚いてしまう。駐車場も広い。広い田んぼを埋め立て開発行為して建設したようだ。以前大量に実をつけていたのだが髪切り虫に痛めつかられたので、切ってしまったが、その種と同じイチジクの苗木もあったので、植えたくなる。実のなる木があるのは嬉しいものだ。今年の冬は干し柿大好評で、超美味いものだった。
■店先から奥羽山脈を眺めて一枚撮ってFBに投稿した
春 霞みはじめ 種撒き兎あらわる
木蓮まんかい コロナウィルス感染症報乱舞
トランプ五輪一年先じゃと 株価暴落さらに
■東京オリンピック、1年延期と日本政府はトランプに言ってもらっている感じがするニュースもながれていた。

 3月11日  

 東日本大震災から9年が経ち今日から10年目に入る。政府の追悼式は総理一人で献花したようだ。県の追悼式は一般参加できず知事以下5人で執り行ったそうだ。
■2011の3月12日の呟きを読んでみた。あの日しか書けないことがたくさん書いてあり、臨場感溢れているので、書き足して新しい記録web頁に仕上げたくなってきた。時間を見てよい311web記録を作り続ける気になってしまう。
中村さんの投稿でこれを思い出した 3月12日 21:34分とある


この投稿だ


どうも!多くの方に、中村さんのこの書き込みに似た内容を言われました。そして「TVにかじり付いてないで、自分の仕事をしようと!そして活動し始めることごできた。」
被災者が他の地域で暮らされて方に、心の被災を感染させてしまう。
コロナ騒動も同様ですがこのタイプの被災者情報が多いんですよね。
ですが、これは最も悪、情報の発信態度だと思います。(詳細略)
あの日は当時は電気が止まって、充電できなか。投稿なしでした。翌日から被災した自分の心境観察とその記録保存のために、その場で思う事をこまめに投稿しました。
 中村さにもも役にたてて嬉しくおもいます。義援金も頂きありがとうございました!
 先程、翌日の53投稿を読み直し、311から1週間ぶんの投稿を注釈いれながら再度投稿しようかなーと思ってた処でした。
ナイスなタイミングで背中を押して頂きました。ありましたございます!










左から my新聞 本間家土蔵記録 県滋賀大講演録


 3月10日 雨後 

 明日、福島大学・行政学類の阿部浩一先生と文化財保存などに関することを話し合うことになる。それらに関する・東日本大震災以降のmy活動記録とそれらの資料を棚から出してきて、並べ見たりする。さらに伝えやすくするために、整理と選択をする。
 ほぼ9年の活動ではあるけれど、この機会に思ったのは、大震災に遭わなければ、これらの活動をする人間にはならなかった。予想外の自分の歩みを眺めて、それぞれの活動時の事や関係した人々のことを思い出したりした。
 その間の記録は、WEBじょうに動画やテキスト、画像の三つのメディアミックスにて、適宜選択し保存しているので、思い出したりたり、説明はし易い。改めてこつこつ作業してきた成果であると、思う。これからもこつこつweb記録は造る。
■FB投稿内容
ふくしまの経験から次へはあるか?
東日本大震災から9年が経ちこの間に活動したことを話し合って、沢山ある次の一歩のためにワイワイすることなった。幸運だ。そこで、9年間の主立つ資料を並べて眺めてみた。仕事移転にともない捨てたのだが、記録を思ったより保管してあった。資料がないと思い出し難い。絵以外にも沢山ある。
人生やってみなきゃどんな人間に到達するやらわからん、それと同じようにmy活動もどこに行き着くのか分からない。まだ何かやるかも知れない機会が明日の311かも
(今日10日は東京大空襲から75年)





『皇后考』読み始めたらとても興味深い内容で古書を買いたくなってしまった。迷う。『皇后雅子』は買わない。

鴨長明さん琵琶や琴を奏で和歌を読んでいるようすがわかる表紙 これも古書で買うかもしれない










 3月09日  

■ 図書館から借りて来て原武史著『皇后考』を読み始める。憲法の外にある皇后の政治や社会に及ぼす影響は多きいと知る。あまり知られてない原武史さんの皇室研究は分厚い。そこでこつこつ読み始める(これは中島+島薗対談の仕舞の方で紹介された本)
借りにいったときの投稿(★FB投稿) 開館してた!県立図書館へ
(県内でコロナ感染症者現れたたら即閉館だろう)ぐたぐたな政治状況と天皇家の圧倒的な国民的人気は、やはりバランスが欠けていて恐い。
 新自由主義の嵐のなかにあって、議論なし、記録無し、結果の検証無しが続く身の回りにある民主主義が鍛え育て続けられるのか?面白い観察したい事態だ。
出雲に行く前に勉強し始める。
原武史著『皇后考』2015ねん発行。国家神道や教派神道、儒教と国学(平田篤胤)や人気を、不動にした被災訪問とひざまっき励ましによる平成天皇の行幸啓は、雲仙普賢の被災訪問を皮切りに始まった。令和天皇皇后は政治にかなりの影響を及ぼすだろう(そんな予感)神道は宗教であるが、神社神道は宗教じゃないとしてきた150年の矛盾は戦前に続き、再び令和期にも吹き出すだろう。それはどの様になるのか?

■昨年末から建築系の展覧会を観て神社や宗教関係の作品に触れることがおおくなった。渡辺菊眞さんの金嶺神社実作や、竹内泰先生の『京都における地蔵の配置に関する研究』に会い、神仏と平安京についての知識がないと理解が深まらない。そこで古事記や古典文学に触れたりすこしずつ読み始めたりしている。
 建築系では名高い、鴨長明の『方丈記』は浅見和彦先生のweb古典があったので、毎晩聞いている。とても長い。まだ40話ぐらいに来ただけだ。一話ごと聞いているのだが、半分ぐらいしか意味が分からないけどそれが面白い。講義は音だけなので耳で聞いて半分ほど分るような気がして、その後、大訳が浅見先生から説明される。そうすると古の人々の心情が分るような気がする。
 方丈記は天皇による政治と宗教が支配されていた時代だし、天皇よって和歌が編纂されていて、文化状況も天皇を中心にしている(残っている文書記録が天皇の支援されたものだからだが)庶民の感覚が残っているわけではないが、日本の古の人の心の一端を知るようで、面白い。

 高度な講義をききながら、古文に関しては中学校のそれから学び直し中だ。数年かけても分かるようにしたい。同じ日本語だけれども言葉は時代と共に意味が変わっていくのを見るのも面白い。

 現在の日本で使われている言葉について思ったりもする。今は外国の多様な言葉も混じっていて、横文字だらけであるとも言える。加えていTI関連の横文字も多数出来ては消えていく。IT技術革新のスピートが早すぎてあっという間に消えてしまう言葉も多い。例えば、ポケベル、web掲示板、2チャンネルなどは時を経ても意味は理解さえるのか?不明だ。
 言葉は生きているので、変するのは面白いし、1000年前と変わらない言葉とその使われ方もあって、それも面白い。山極寿一先生の研究によると、人間は何故言葉を発明したのか、集団で暮らすようになって感情の豊さが求められたからだともいいい、脳が最初から大きかったわけではなく、言葉はの発明獲得によって大きな脳になったという。言葉は人間誕生より数万年も後だという。
 今使っている言葉がいつ生まれたのかさえ分からず、人は対話を絶え間なく行い、言葉を知った顔で現在を生きている。そうして生きられる状況も、とても興味深いことだ。

■3月7日に福島県いわき市でもコロナウィルス感染症患者がでて、県知事が夜10記者会見した。クルーズ、ダイヤモンドプリンセスに乗船していたが陰性だったので、常磐線に乗りいわき市にもどて発症したそうだ。クルーズ船から公共交通をつかって、全国に散らばる系統と北海道ののように観光客によってもたらされる系統があるのが、分るが、今後はどこから発症しても、不思議はないようだ。ウイルスの経路を辿るのは難しくなるだろう。
















 3月05日  時々雨 昨夜からすこし強い北西の風が起きて日温下がる。三寒四温の前触れかも。

■コロナ感染症による肺炎対策として、今秋から春休みまで各地の小中高は休みになっているところが多いようだ。毎年行われている仙台市メディアテークでのSDLは中止でネット開催とか。既に今日からメディアテークは休館のようだ。大学でも卒業式や卒業展が行われていないようで、コロナ情報過多によって社会は機能停止になりつつある。
■買い物をしているので、食材を買いに行った。近くのスーパーではアルコール入りウェットティッシュやマスクの棚が空っぽになっていた。だれが買い占めるのか分からないけど、マスク効果ないと言われているけど、藁をもつかむ様になりつつある。フクシマ放射能騒動でも嫌なことをたくさん体験したが、ふたたび情報過多によって人々が変な行動をしだしている。食材の数も少なくなりつつあるので、注意して観察していよう。
3月11日の県主催の追悼式5人で行いとか

■FB投稿 『方丈記』隠者の勧めでは無く、鴨さんの健脚に学ぶ。
 乱世を健脚にて観察記録した長明さんは、優れた者こそ選ばれるべき、という原理主義者ふうではあろう。自身の頑なさの反動にて隠遁生活者となったようだ。(今の若者は隠者になる必要はないが、すでに引篭になっているかも)
 後世のものが観ると、長明さんの記録者としての姿は、「情報過多乱世」今の老若男女は学ぶべき点が多い。
◆180年前の小津久足著『陸奥日記』を通し読みして、さらに655年遡った方丈記を思い出す。鎌倉初期なら「重源だ」と思うが、50歳年下の鴨長明さんにも興味を持ってしまう。古文てき久足さん効果かな。



■昨日は家人の通院日で往復3キロほどの病院に行く。家人は毎日足踏み器にのって味踏みしていたので、効果が高まってよろよろせず病院までたどり着いた。帰り道は雨が降り出したので片手に傘をさしての歩行だったので、家に着くととたんによろけていた。やはり体全体の筋力が落ちているので、なんとか体力を保持するよう、注意を払いたい。励ましつつ、老人は筋トレ不可欠。
 

 3月03日  ひなまつり快晴

 『陸奥日記』を読み終える。古文なので意味を取り違えてるかもしれないけれど、まつは一通り読んでみようと思い立ち、ようやく読み終える。30日ちょいの日記なので1日づつ読み進めるのが好かったのかもしれないが、そうせず読み続けてみた。
 日記文学の面白さを一つ知った気分。180年前の記述なのだが、現代に通じる感情はたくさんる。出迎える、その人たちの人情の濃さは現代人には理解できないかもしれない。目で見る情報が氾濫している社会で生きる人への警鐘にもなていると思う。簡単に手に入れられる情報は人の営みによき影響を与える点と、貧しくしてしまう両面があることも180年の時を経た日記をよむことで実感できた。

現代語訳に挑んでみたくなった。こつこつやってみようと思うが、まずは中学生用の古文の勉強からはじめることにしよう。、

■FB投稿内容
 陸奥日記(180年前の翻刻版)通読おえる
みちすがらわが腰折をたすけしは矢立の筆と杖となりけり
耳学問や風聞ではなく、二本の足にて江戸から松島まで往復した人ならではの最終日の一首。
 最終日の日記がとてもよい!読書しまくり、歌道に励み、現場へ行きその環境につつまれてこそなせる紀行文の意義、滲み来てしまう。二次情まみれでしつた気sns、全盛の社会にも通じるような、文筆家批評あるいは社会批評となっていた。
 日光の記述も淀まず身体が痛くなるような共感が湧くし、200数十年の戦乱なき世をつくった東照権現を評する、さらりとした感謝の記述もよい。...
 福島市内から郡山そして白河市への日記もあるが酷い様であったことが分かる。とくに浜も中も遊女多数にて辟易してる。夜具の汚さはどこもかしこも。
など他にも多数しつたし、現在の旅との違い深く理解できた。
いつの世も体験し書くこのは、書き手には欠かせない肝心のようだ


























 3月02日  ときどき雨、あるいはみぞれ降ったりやんだりする

■今日から 小中高が休校となるようだ(コロナウィルスによる感染症・風邪)の流行を防止するためとか。ここに至るまでの議論がないままのようだ。総理がどのような議論を経て、全国教育委員会に小中高を今日から春休みまで休校にしたのか?明かされず、休校が実施されるようだ。参議院ではその点が質疑されている模様。 緊急事態のときはあらゆる判断を全部総理に一任せよ、という危険きわまりない行動に主権者としてあきれ果てる。専制政治の具体的一例を試行したと受け止めて今後の展開を観ていこう。

■FB投稿 しっかり手当て」なにを言ってるんだ?
(毎年卒業式に参加する奴の気も知れんが、強制ふう中止伝言に従い卒業式しない奴らの気も知れん。この状況対応は嘘つき総理の勝ちだな)
 正規、非正規を問わずしっかり手当てする」って安倍さんの代理者来て手を当てるだけなのかな?そこで現金あげるのかな?電子マネーで一斉支給なのかな?
いつまでそれらを支給し続けるのかな?やめ時は、どんな基準があるのかな?データともにしてるのかな?
これが、まかり通れば、いつまでもコロナ居て欲しいと思う人も、いるんじゃないかな。...
 総理はなんで、財政の、うら付け無いんじゃいのかな政策を強行するのかな?彼はウィルスの対応についての医師以上の知恵あるのかな、
 無いのに判断する。反応するそこまでに、子を持つ親の、それぞれの状況をどうやって、瞬時に掌握が理解できたのかな?
 かっこつけて、たんに言い放つだけなのかな?なんでエンフルエンザにはそれをせず済ませてきたのかな、エンフルエンザに休業補償しないのかな?理由の、説明ないよな

■与えよ、子供の病の親全員に休業補償を!
 人口減少社会になって10年ぐらだと思うけど、今回のコロナ感染症騒ぎであらゆ病を持つ子のために仕事を休んでも安心できる親一人にお金を与えましょう。そのような病の子供を育てるための支援政策
には賛成します。期限は子供が亡くなる、あるいは、日本の少子化減少がとまり確認できた5年間までとする。


02月日記へ