15  『愛国と信仰の構造』 中島岳志 島薗進 著をめぐって
     宗教と政治  religion
2019年 作成 佐藤敏宏
01  中島岳志ー政治学者  島薗進ー宗教学者 (2016年対話講義録)
     粗・文字おおこし
中島:今日は『愛国と信仰の構造』 の説明 概要と質疑応答
    年齢差27歳ある。重要な25年サイクル問題、
 共通の問題は若い時に宗教の問題にぶっかったという問題からはいります
島薗:1967年大学に入る。学生運動のど真ん中。理系に入った。家は周り中医者ばっかりという家で、医者になろうと思っていた。大学に入ってみたら、ちっとも面白くない。授業も出る気にならない。そのうちデモが起ってきて、これが父は医学部の精神科の医者なんんです。精神科の人たちの人たちがデモを最初に起こしたんですよね。私もいつの間にかデモに入ったりするようになりました。
その後は皆さんの前では言えないようなごちゃごちゃがありまして。一緒にデモしてあとで死んじゃったような人が何人かいるんです。大学を途中でやめたやつもいる。そういう中でいろいろ偉そうなことを言って来た。演説もやりましたから。ところがそれを言っている自分が何かと顧みたら「空っぽだなー」と思って。それをしっかりしなきゃと思いまして。
 あの頃の学生は、マルクスが好きだったけども、その一方で実存主義が、サルトルが物凄く流行っていた時期。ストライキをやっているところに、世界内存在に重なる・・わけわなかい、そんな感じで。

 実は内面の問題があるわけですよね。そこの処が、自分で嘘をついているなーと思いがあって。

その頃もう一つ流行ったのはソルジェニーツィンが流行って。こういうのも凄く影響受けました。

中島:学生運動がある程度下火になったときに、そこにのこされて私っていう問題。そこから宗教とか実存の問題が浮上して。そこから宗教学者の道へ。

島薗: 27年サイクルだとすると、私は68年だとすると、27足すと95年。その年が中島さんが私の本に出合ってと 

中島:私が大学に入ったのは94年で。大学じたいがなくなってしまった。大阪外国語大学、今は大阪大学の外国語学部になってしまった。そこのヒンディー語というマイナーなインドの言語を専攻するところに入学をしました。
いきなり1年目から留年をしました。ほとんど興味がなく、外国語にも興味がなく、インドにも興味がなく、ヒンディー語にも興味がなく入ってしまった大学。予備校時代に付き合った女の子がその大学に行きたいと言うのでふらふら付いていった。
 そんなもんですから1年目から留年をしてしまい、語学がちゃんと出来ないと1年ごとにあげてくれないんです。5、6月ごろにはこれは留年だなーと、そういう感じで過ごしていた時の1月に阪神淡路大震災が起きるんです。大阪だったので被災しました。大きな被災ではなかったんです。

そこが私の大きなターニングポイントだったんです。数日後のテレビの中継画面を見ていると、長田から中継。庶民的な町です。震災で大きなダメージを受けた所でした。火の手が回ってしまい、町全体が火に包まれた。数日間は規制線が張られていた。逃げた人もなかなか自宅に帰れなかった。規制線がいったん解除されて自分の家が在った所に、許される時間だけ戻っていいよと。その生中継だったんだと思うんです。その時に一人の、女性が写っているのにくぎ付けになった。必死にモノを探していた。レポーターが近づいていって「こちらがご自宅だったんですか」と聞いた、その方は70歳ぐらいで、テレビが来ていたことも気づかなかったようで、びっくりした顔をされたんです。「何をお探しですか」と聞いたんですね。そのときにまた少し驚いた顔をして、最初の驚いた顔と違ったんです。小さな動きなんですけどよく覚えてます。最初は当たり前のことを聞いているろうという戸惑いですね。聞かれている内容が自分なりに理解できたときに、ちょっと怒ったような、そういう、あたりまえのことを、そんなことを聞くなよという顔をして。その女性は「位牌です」と答えた。仏壇を探していらっしゃったわけです。

その映像を見て自分なりに衝撃を受けたんですね。なぜかと言うと私が地震で家から、物凄い大きな揺れで、私は瞬間的に 家の中がぐっちゃぐちゃに成ったんですけれども、とりあえず家族の安否を確認して家を出た時に真っ先に探して手に持ったものは何か、と言うと財布だったんですね。僕は。
で、どっちが人間として、何か厚みのある、何か大切な支柱を持った人間かと思ったときに、僕は自分を疑たがわしいなーと思ったんですね。この女性の方が、大学に行って勉強しているような顔をしているけれども、明らかに永田の女性の方が非常に重要な何かを中心の核があるなーと思ったんです

そこが私が宗教とは一体何なんだと、20歳の私にとってはチンプンカンプンの最も理解できないこの宗教というものは一体何なのか、と考え始めた。その2か月後に、大きな問題が起きて私は島薗進を知ることになるんですね。何が起きたのかというと、オーム、地下鉄サリン事件が3月に起きた。21年前のことです。

その時にてにとったのが、島薗進 の新宗教の問題ですね。日本の新しい新興宗教の問題の第一人者でいらっしゃった。そこでオームの問題、そして日本人にとっての宗教の問題というのを考え始めたというのが私の入口だったんです。
オームの当時ですね

今から振り返ると、宗教の問題、オームの人たちというのも、バブルの中で現代社会の中で、キャッチアップできず。オルタナティブな価値としての宗教。しかし出口がああいう暴力に繋がっていった。その当時をもう一度、振り返って、21年前にどういうふうに考えていらっしゃいますか

島薗:宗教界、世俗化という話をすると、近代人は宗教から離れて行く、合理的なものに、価値を見出す。という流れが、続いていくんだけど、どこかで、合理的なものだけでは生きていけないというふうな、そういうことを感じるんじゃないか、というのが、私が宗教学に進んだときから、そいうこと、ソルジェニーツィンなんかの考え方にも分かると思うんでうけど。そういうことを考えていました。

 私が宗教に向かった頃というのは、若い世代が、政治の季節から宗教の季節みたいな感じがあって。70年代というのは見田宗輔、槇雄介さんが気流のなる音というのを書いていて、この中では山岸会とか、コミューウンなんかに触れていて。従来の宗教とは違う宗教に、こういう流れがあったんですね。中沢新一が近くにいたですが。
今は仲良くしているのは鎌田東二さんとかですけれど。こういう人なんかが、精神世界というような事をまくすような時代ですね。

ただ私はそれにはあまり乗らなかったので、もっと本当に求められているのは、何かニューエイジ的なものよりも、精神世界的なものよりも、がっちりした伝統的宗教じゃないかというような、気持ちをもっていた。 
その中で80年代にアメリカに留学したときに、ロマンベラーという人に、聞いて、アメリカでも伝統回帰的な動きがあるという事がありました。
一方には、ニューエイジ(20世紀後半にあらわれた自己意識運動)みたいな事があり、他方にはファンだメンタリズム(原理主義)に向かう。けっこう学歴の高い若者がそちらに向かっている。

そういうのをアメリカの動きと、日本の動きを比べながら、1992年に、新新興宗教と宗教ブームという岩波ブックレットを書いたんです。これを編集してくれたのが小熊英二さんだったんです。当時岩波書店にいたんです。じつにきりっといい質問してくれて、出来た本なんですけど。

そういう中で、あの中でオームに触れています。

他の宗教学者の中にはオームに期待をかけた人もあった。新進宗教は危ないという印象をもっていて、そういう書き方をしていると思います。それにしては甘かったので、95年はなかなか大変でした。宗教学者は攻撃されている、「統合失調症ってこんなのか」と妄想が出るんですよ。そういうような経験もしました。だけれども、オームの前後にたくさん宗教についての本が書かれたんですけど。
もりおかまさひろさんは「宗教なき時代を生きるために」
山折てつおさんと、吉本隆明も宗教の死とかも書いて、でも宗教の死のはずはないですね、あるいは宗教無き時代もおかしい、宮台もなにか「終わりなき日常をいきよ」そのあと宮台さんはまた宗教に向かった。。

ですから、私の中では、そういうぐあいに宗教のない時代に伝統から離れた空白の 合理性みたいな世俗主義というものに耐えられない。自分自身もそういう中で、模索している。答えは出ないんだけども、さぐっている、そういう感じでした。

中島:僕にとって95年は一つは宗教なんですけど。もう一つ大きな問題が来たのはナショナリズムの問題だったんですね。95年は戦後50年だった。そして村山首相が、村山談話が出た。8月ですね。この前後に自民党議員の右派には右派論壇というところから、非常に厳しい批判ですね、その時に出て来たのが今でも繰り返し出て来ている、東京裁判史観、あるいは自虐史感、そういうような言葉ですね。95年の12月に年末には自由主義研究史観、東大にいた藤岡信勝さんが、研究会をつくり、それが発展していって、新しい教科書を作会、97年に出来ていく。現在の安倍内閣に連なるうな流れができ、大きな潮流となって可視化されてくるのが、95年でした。
 20まで女の子のけつを追っかけて大学に行くような学生だった私にとっては最も理解しがたい宗教、それからナショナリズムですね、信仰と愛国と言う問題が95年に押し寄せて来たわけですね。それに対してどういうスタンスをとっていいのかさっぱり分からなかった。わかったのは さっぱり分からないというふうに戸惑っているのは私だけじゃないなーとだったねすね 16:00
戦後50年掛けて、この問題2つというのは分らなくしてきた何かがある。とするならばこの二つはこれからの私が生きて行く時代においては、非常に重要な意味をもつだろうなと、それはプラスの面、マイナスの面、両方ともにおいてこの二つは大きな意味をもつだろうなと。すこしこれを学んでみたいと思ったのが95年なんですね。

それがこういう学問の世界に入っていく入口になったんですが、その学問は島薗先生と同じように自分の実存の問題というのが非常に強く関わっていたんですね。
島薗:インドの研究に入って、ヒンデューナショナリズムの研究を始められるのは何ねんですか。
中島:もう少しあとですね。そこで一番関心を持ったのは戦前の日本だったんですね。特に大川周明というひとでした。つまりなんで、そこで大川とか、戦前に興味を持ったかと言うと、宗教とナショナリズムっていう話が合流して非常に巨大な暴力が作られた時代。その中核にいた思想家というのはどういうことを考えたのかというのがその時の興味を持ったテーマだったんですね。大川周明にしろ北一輝にしろ、北一輝は日蓮主義ですね、大川は非常に普遍的な宗教なんで、特定宗教にコミットしなかったですけれども。そういうような戦前期における宗教とナショナリズムの問題はもう一度考えて、おいた方がいいんじゃないのかとおもったので、大川周明を読んで、そこで、こんな人いるんだーとその時に初めて知ったのが中村屋のボースなんですね、中村屋にインドカレーを伝えたボースで。私が大阪外語大額に出した卒業論文はボースについてのことで、それが後に中村屋のボースという本になるんです。

98年にインドは現在の政権与党でもある、インド人民党というEGPという政党が政権与党を担うことになりました。党首が核実験をやったことで日本でも衝撃が起きたものなんですが。ヒンデューナショナリズムなんで、ヒンディー教をベースにした、ナショナリストパーティなんですね。右派政党です。90年代末、90年代初めにはムスリムとヒンデューナショナリの抗争が激しくなった。冷戦が終わってこれから新しい世界秩序の時代と言われた時に、インドでは宗教紛争というのが起きる。あるいはナショナリズムの問題が勃興する。
何か私にとってはそこで初めてインドが関心の対象になってくる。戦前の日本には行けないけれども今のインドには行けるぞー。さいわい語学にヒンディー語をギリギリの単位で、なんとか喋れると。これはインドに行ってみようと思ったのが、インドへの関心なので、大学に入ってから4、5年後のことなんです。

島薗:中島さんの書かれたものの中で、大川周明というのはおそらく大変重要な、今からみるととても重要な人だと分かるんですけれども、大川周明なりの重要性を気付くには橋川文三とか、その辺の、そして橋川文三、アジア主義みたいな、それも 中島岳志研究をするための、その頃にインドに取組もうというときには、アジア主義的なものを意識してたということありませんか。

中島;そうですね、私が当時20のときにむさぼるように読んだのが、入口になったのは、先日亡くなられた松本健一さんだったですね、。松本健一さんのものは非常に読みました。そこで大川周明というのをはっきりと認識したんですけれども。そこから橋川文三そ竹内好ですね、アジア主義とか超国家主義ですね。橋川は超国家主義として捨てられてきているようなテロリストの内面の問題に、内在的な批評をやりながらですね。そこがなぜ魅力的になれらの斑紋政治に移ったのかという問題を焦点を与えていった。なかなか稀有な政治学者なんですね
 竹内もやはり左派運動の中核にいながら、アジア主義という問題を捨てなかった人ですね。そこには何か原石があると問い続けた人。こういう割り切れない、人というのが、私は体験関心があって、竹内と橋川のものを当時むさぼり読んだんです。それが入口だったですね。

島薗:1970年前後にも竹内好はよく読まれていたと思うんですね。あのころは一つは毛沢東の影響が大きい。ですから中国が輝いて見えた、毛沢東がけっこう・・そういう事もあって、竹内好の書くもの中にはやや中国を理想化しているものがあって、東大に行くと正門前に中華料理屋があって、そこにデモに行く人はたむろして。中国の本も置いてあったかな。そんなムードもあったんですね 

ですが、95年というと、中国の輝きがない。一方インドの方はずーっとそういう人気が続いている。インドの、70年代の精神世界というものが輝いたときに、最初に精神世界が出て来たのが、インドネパールの本ですね。紀伊国屋でブックフェア‐をやった。インドはずーっと輝いていたですが、そのインドが98年ぐらいから、おかしくなってくる。
中島:どちらかというとヒッピーブームの後にあるもんですから、よほどの・・がインドにいっている。そういう精神世界を求めたオルタナティブな運動というのがインドの輝いていた時代ですね。

さらにその後にバックパッカーの沢木耕太郎とか藤原信也のような、先進国になっちゃった日本が失ったカオスがインドにあるという、典型的なインド論ですけども。私はその後なですね。
インドはもうIT大国だと。これから経済成長だと言われたそのインドに私は非常に関心を持ったんですね。なんでそんなIT大国になろうとしている、そして消費文化というのが拡大している、そんな中でヒンデューナショナリズムの右派運動というのが、勃興して指示されるのかというのが、私の関心で、そこが初めてインドに行ってみようと思った入口だったんですね。22:59
 インドに対する憧れみたいなものはあんまり無くってですね、シビアというか普通にインドと付き合っているという感じが、インドに精神性を求める感覚があまり無いもんですから。インドに最初に行って最初に食べたご飯がマクドナルドなんですよね。

バックパッカーに怒られるんですけども、インドでは普通の日本で着ている服と同じような恰好をしていたんですが。要はそういう私たちと同じ地平にいるインド人がなぜ右傾化するのかという問題。それは逆照射して私たちというのがなぜ現代日本において、ある種のネットと右翼のような者をうみだしていくのか?というのとパラレルな関係として、私にとってはインドが在ったということなんですね。
 ですから現代インドに、新しいインドにたいへん関心があって。入っていったとことがある。


 島薗:近代合理主義、世俗化路線に満足しない日本の文系の学問をしようという人たちが、どういうものを通して、宗教的なものに、関心をもっているかという、同時にそれは、中には宗教より国家という方向に向かっていく、西部さんとか、サイキケイジとか、国家。宗教の代わりに国家という人がいる。そういう中で中島さんは私の捉え方では保守主義をいうことをやられたので、これは西部さんなどの影響を受けながらなんだけれども、イギリス風のといっていいかもしれませんけれど、保守主義というものをしっかり捕まえたというか。それがいつごろの事なのかなーと。

中島:20歳の時に私はほとんど自分の人生に影響された本って、だいたいその年に読んだ感じだったんです。大学の授業に出ないものですから。暇で暇でしかたがなくって、そのときに西部邁さんとか、あるいは福田恆存ですね。小林秀雄を読んだんですけど。
大きくひっくり返るような観念がありました。同時に、並行的に読んだのが仏教で親鸞ですね。親鸞と保守思想というものの共通点というのは、自力という問題に対する乖離の念なんですね。保守というのは、近代的な理性に世界を合理的に設計できる、というのを疑っているんですね。それよりも理性を越えた、ある種の常識とか、あるいは伝統慣習、それから

エドマンドバーグ、フランス革命の失望から保守思想は生まれてきますが、バーグが非常に重要なところにあったのはキリスト教の原罪という概念ですえね、人間を絶対視しない、理性を絶対視しない。その絶対的な神とか存在しない。その神から逆照射される我々というのは、不完全な存在である。不完全な人間は不完全な社会をつくらざるを得ない。とするならば、どこに秩序を作っていく、因、根拠を見出すかというと、長年の間多くの人たちの歴史の風説に耐えてきた、そして残ってきた何かですね。暗黙知のようなものが重要なんじゃないのかというのが バーグの発想なんですが。
 それと親鸞は近いところに居ると思ったんですね。親鸞は自力というものに対する懐疑があるため、それを他力というものに促されていきていること、それが親鸞の観念であるならば、これは非常に近いところに観念としてはあるなーと思ったんですね。それが95年。
私にとっては宗教という問題に、日本の保守というのは宗教の論というのは、非常に弱いんですね。キリスト教的な超越の問題というのが、日本では成立しにくいという問題かもしれない。
この問題を自分なりに、考えてみたいなーというふうに当時は思ったんですが、ほそい道を歩いている感じだったんですね。

島薗:この本の中で、中島さんの宗教観、あるいは日本宗教観と、島薗の宗教観、あるいは日本宗教感が、微妙に違っていて、よく分からないなーと思われてる読者もいると思うので、私の方も説明します。

私は、70年ごろに、そういう宗教はやっぱり必要だなーというときに、
あの頃はね、折口信夫、柳田邦男ブームだった。民俗学というものに 宮田のぼるさんの良い本もある。
で、そっちの方かなーと思って、つまり、文明の影響によって、抑圧的になっていない宗教の元のかたちみたいなものを観たい。これは精神世界が求めるものと似ていると思うんですけれども。そういう形で私はまず折口信夫研究というのをやったんですね。最近あんどうえいじさんの、いい本が出て。私が当時考えなかった事が、だいぶ進んだナートいう気がするんです。

とことがねー私がその時に感じたのは、折口信夫は沖縄とかね、遠州三河、あの辺りの天竜川上流のね、花まつり、ああいう中に古代日本を観ているんですね。当時まだ日本の中にある、宗教の元になるようなものを捕えて、それが彼の基になっている。万葉集を読み、記紀神話を読んでね。
私も沖縄にもっと行けばよかったかもしれないんですが、沖縄はお金かかって、はははは当時はね。そういう中で、折口が実感をもって捉えられたような日本人の宗教というのは、自分には遠いと。
だとすれば、それに代わって日本人が自分たちの中から、宗教の原型のようなものをどこに観ようかと。そういうときに、天理教とか大本教とか、話になってね。仏教とか、影響を受けていない、受けているんだけども、当時吉本隆明は生活思想ということを使った。これは高橋一巳が書いた『邪宗門』という大本教をネタにしたのがあって、出口王仁三郎が革命を起こすみたいな話なんです。それの解説を書いて、そこに生活思想という言葉があって、これは私、ずーっと今に至るまで影響を受けるんですね。

なので、そういう仏教の教理も重要なんだけども、どんな人でも、捕まえることが出来る、捕まえざるをえないような、宗教の原型、これやがて、救済宗教というふうに私は捉えるんですが、そういうもの。

それは人間の限界にぶつかって、それを越える何かに掴むというようなね。そういうのが、非常に、解りやすい形で現れてくるのが、仏教や金光教なんで。私は今でも金光教の先生と、非常に親近感を感じて、教会に通ったこともあります。
そんなこともあるので、

そこに原型を観ると、もちろん親鸞、日蓮ですね、あるいは日本仏教の伝統、全部重要なんだけども、そこに入れない、多くの人たちにとって、宗教が重要だって、そこら辺が私の ところで、でそれと、そういうのはしかしどうも頼りないなーと。
つまり、しっかりとした伝統でもなく、自分も手探りで捕まえた、もの。というのは、思想としては弱いので、ですから、自分の外にあるはずの伝統ですね。そういう意味では、福祉思想に共鳴するところがあるわけですけども。
と同時に自分の裸の心で捕まえることができるような、宗教性というか、そういう両方が私の中にあって。
 それを、柱にして考えようとしているんですが。これはみんな分かり難いというんですね。

でも、こんどのこの本を読んで分かったというんですよ。これは中島さんと突き合わせていったら、少し見えやすくなったのかなーと。その中にはこの10年ぐらいで国家神道についての自分の考えを述べた、それから、仏教の社会倫理という、仏教と社会の関係、教育にまとめた。その成果もいれたので、わかりやすかったかも知れません。

中島:世俗化という問題にも、そのまえに先生のおっしゃった、60年代後半から70年代の学生運動の周辺とフォークロア(民間伝承・民俗学)の問題って非常に重要な問題なです。当時学生がこぞって読んだのが、吉本隆明の共同幻想論ですね、この共同幻想論の柱というのは一つは、古事記で、もう一つは柳田邦夫ですね。遠野物語ですね、そこから、あまりにも強引な結論が出て来るのでびっくりする本なんですけど。

そういうようになぜ、当時の学生運動というのが、フォークロアの世界から色んなことを構想していたのかという問題があると思うんです。

さらにサブカルチャーでも、つげ義春とか、ああいうものを読んでいて、非常にフォークロア的ですよね。つげに出て来る、様々な宿とか、ああいうような言葉自体が非常にフォークロア的である。なぜあの学生のオルタナティブの運動をやろうとしていた人たちは、ああいう日本の民衆世界みたいなものですね。というところに入っていこうとしたのか、おそらくその延長上に島薗先生が大本とか金光教に対する関心というものを持たれた一つの筋道、 地を這っていくような人ですよね。もっとも排除された人の所に神がドンと降りて来るという、その反転の物語、が大本だとおもいますけども。そういう処に関心をもたれたのかなーと。

島薗:つげ義春を知っている人は年代が分ってしまう。そういう感じかもしれませんけれども。白土三平もそうだね。これもガロという漫画雑誌があって。でも手塚治虫もすでに火の鳥というのをその頃に書いている。ですから、あれはですね、近代文化が、ある種飽和状態になっていって。近代文化に欠けているものを、いろんな形で求める。それは、エンターテインメントにも、入って来るし。と同時にアートがですね、そういう要素を積極的に取り入れるようになってくる。アニメなんかも発達してくるし。そういう中で、世界的には人類学が広まって。レビストロースなんかが流行ったり。そういうのと、日本でフォークロアが流行るのは、歩調が合っている。 36:00でも、最近はその流れがない、一方で個人的にはあるんだけど、

中島:人類学は大きな旋回をしてしまいましたね。当時は人類学ってもっと素朴で魅力的だったと思うんですね。山口昌男さんとかいらっしゃったときは、西洋の論理ではこれが普遍だというけれど、何々島に行ったら全然違う経済やっているぜ。とかね。そういうものが西洋中心論理を崩していく非常に大きな魅力で、それが人類そのものに直結したような時代だったですが。そういう物語を書くことの権力性みたいなものを人類学は問われるんですよね。
 文化を描くって 議論があるんですが、特定の村の社会というものを、こうなんだというふうに記述していくことというのは、それは記述者の暴力である。という議論になるんですね。つまりある文化というものを、それを観た人がそれを文化であると書くような事というのは、そうでないもののをどんどんどんどん排除していってしまう一つの筋道を立てて、非常に暴力的ではないかと、いう議論から、文化を書くとかエスノグラフィー(文化人類学や社会学)の権力性を問われたときに、人類学は迷走し始めるんですね。
 私が勉強し始めた頃は人類学は成立するのか、人類学学が始まるんですね。それは嫌だなーと、一応専門が人類学なんですけれども。文化人類学をやるときに、私はそれでもエスノグラフィーというのをどういうふうに書けるのか、というのを考えてみたいと思って、インドに行ってナショナリストの団体と生活をする中で、書いてみるということをやってみたんですが。人類学の魅力が大きく変容したというなかにあった。とうじそういう意味で人類学は輝いていたと思うです。

そういう延長上に世俗化の議論をもう少し、考えたいと思うんですが。島薗先生がおっしゃったことで重要なのは、近代社会というのがやはり、どんどんどんどん、進行していくと、当然非合理的な宗教というのは、場所を失っていく。そう考えられたわけですね。しかし今起きていることは実は真逆で、後期近代と言われる、近代がドンドンどんどん進行すればするほど、イスラムの過激派IS問題しかし、オームの問題しかり、日本でも日本会議という右派組織があり、その背景には非常に大きな、宗教的なバックボーンがある。こういうような宗教というものが、非常に逆説的に拡大していくという問題があります。これをどういうふうに捉えるかという問題があるんですね。近代のテーゼ(定立、命題)として世俗化論というのがあったわけですけれども。これは非常に綺麗に整理してくれて分かりやすく見通しを立てて、ホセカサノバという人だと思うんですね。

カサノバという人は世俗化論というのには三つの位相があると言う議論をしている。一つは何かというと、宗教というのは、全体性を持っていますから、宗教はこの分野はちょっと私の管轄外ですと言うわけないですよね。しかし近代というのは全体性をもった宗教というのを、これは宗教の領域じゃないですよ、と言って切り離したプロセスだったんですね。

一番わかりやすいのは政教分離、政治は宗教領域と分けて、あるいは医療というのもほとんど宗教領域だったと思う。呪い 呪術という、これは科学的な医療というものと分けて行きましょうと。教育だってそうかもしれません。こういう意味で様々な宗教が前提性をもっていた、それが、切り分けられていく。分化していくというそういう意味での世俗化がまず一つめの領域としての世俗化論

二つ目は宗教の私事化とい問題です。宗教というのは公共領域に出て来ないでくださいと、そうじゃなくって、心の内面の問題なので、プライベートの問題のなかに引き留めておいてくださいねと、あるいはそうであるべきだという考え方が世俗化、あるいは世俗主義のなかから出て来た。

三つ目には、宗教そのものが、合理性を失って衰退していくという意味での世俗化という、三つの位相がありました。

カサノバは後者二つにはほとんど意味は無いと言っているんですね。つまり宗教はどんどんどんどん近代になればなるほど、衰退していくというのは嘘である。逆に宗教というものが大きくなっているのが現実的な問題でもある。これを説明できないだろう。

真ん中二つ目の私事化というもの、実は逆の現象が起きていないか。宗教というのがむしろ公共圏において活性化をし、そして公共圏の非常に重要な役割を担い始めているというのが、実は現代の問題ではないのか。そしてそういう役割が宗教にあるのではないか。というのが二番目の問題としてあるんですが、そこから深めていきたいと思います。
島薗先生が今取り組まれている問題に宗教が市民的な公共圏において重要な役割を果たしていくという、エンゲージオブディズムと言われるものも一つだと思いますが。あるいは、震災の時に宗教系の団体というものが果たした役割というもの大きくありました。こういう市民社会における、宗教という問題を先生はまず、どういうふうに今捉えてらっしゃるのでしょうか。

島薗:今本当に重要な問題になってきたと思います。私は安倍政権の中に、国家神道に向かう傾向がかなり含まれていると見てます。 
一昨年の、伊勢神宮の式年遷宮20年に一編の行事ですが。そこに初めて、実は二度目なんですけど、首相が参列した。一度目というのは1929年なんです。浜口首相なんですね。これを議論しているのは、ジョブリンというイギリスの学者なんですね、彼がみているんですが。あとで原さんの意見を聞いてみましょう

原武史さんが今日いらっしてますので、後で、詳しく。

そうなると、憲法の20条。宗教の自由。政教分離をしているこれに違反する可能性があるわけですね。それから、靖国問題も、本来は政教分離に反するというのが日本の中での争点です。最高裁の判決もそこで、靖国の公式参拝に歯止めが掛かっているわけですね。しかし中国や韓国からは歴史認識の問題永久戦犯があそこに合祀されているということ。両方問題なんですけども、中国韓国のことばっかり意識していると、政教分離の問題が、軽くなっちゃってますよね。そうすると日本人にとって日本の近代史の中で、今の世俗化から言うと、政治から宗教を分ける。その事が一体どういう意味で必要で逆に宗教が政治に関わっていく、これはどういう、タイプの関わり方が、好ましいのかと、民主主義なり、立憲主義という言葉がまたそこで重要になっていくると思います。その事が問い直されて、安倍政権になってから、非常に重要な問題になってきたと思いますね。 43:42

カサノバの議論は、これはカサノバってもともと神父さんだった人。彼自身が世俗化、神父さんを辞めて社会学者になったんです。カトリック教会は第二バチカン公会議というものを通して、唯一絶対の真理を捨てているわけではなくって、他の宗教の存在を認める。あるいは、宗教を信じない人の権利も認めるという立場もしっかり、打ち立てた。 44:18

その後にこそ、新たな形での宗教の公共化への 可能になるというのが、カサノバの議論ですね。
 それに当たるものは日本ではどういうふうに、いけるかということが、課題になってくると思います。インドも似たような、世俗主義が国是だと、ですから政教分離が国是の国というと、トルコインド日本フランス。アメリかと。そういう中で日本は日本なりに、政教分離の意味をもういっかい捉え直すことが必要

中島:そうですね。政教分離の話とすこし分けながら、なんですが市民社会とそれから宗教の問題ということなんですが。非常に島薗先生は重要な本を訳されていて、それはロバートメラーという人の『心の習慣』とう本なんですね。心の習慣という言葉は政治学者にとってはピント来る言葉でして、これはトクビルという人が使った言葉なんですね。
 トクビルというのは、大学で政治学を教えているので、デモクラシー論というのを教える時には真っ先に教えないといけない人物ですね。トクビルという人はアメリカのデモクラシーの本を書いた人物で。彼はフランス人です。フランスがフランス革命をやったにも関わらず、デモクラシ−の国だーという自意識を持っているにも関わらず、フランス革命以降、フランスは独裁者を選んで行くわけですね。まさにデモクラシーゆえにですね。
なぜフランスではこういうにデモクラシーが崩壊していくのか。そういうのにぶち当たった若きトクビルはアメリカにわたったデモクラシーは一体どうなるのか、アメリカの方が巧くいっているっぽいぞというふうに彼には見えた分けですね。後にアメリカもうまくいかなくなるだろうと、彼は書いてますけど。
じゃーどういう要素によってアメリカはデモクラシーが、それなりに機能しているように、見えるのか。そう考えた時に、 間をずーっと端折りますけれどもトクビルの結論は簡単に言うと、実はデモクラシーの重要なポイントというのは国家と個人の間にある中間領域というのが、重要である。と考えるんですね。人々が個人だけではなくって、例えば、トクビルの重要視してたのはチャーチ教会ですね、教会に週末になったら通うと、そうすると、その教会に通うとですね、もちろん宗教的な話をするわけですけれども。それだけではなくって、最近あそこの川は汚いねと。一斉清掃しましょうねと。いう話合いが行われたりとか。最近どこどこの誰誰さん来てないねと。ノックしに行きましょうかと。そういうような、小さなパブリックというのが生まれていると。他者との間の様々な合意形成をするような、今の言葉でいうとソーシャルキャピタル。社会関係資本が生まれてくる。そうするとそこから、実はデモクラシーというものの重要な土台が生まれ、それが引いてはアメリカ全体の共和制の健全化に繋がっているんじゃないか。
つまりデモクラシーにとって重要なのは、実は人々が他者とこういうふうに顔を合わせ、合議をしていく具体的な場であると。そこによって様々な経験していくというタウンシップという言葉を使っていますが、それがアメリカの おぶハートですね。心の習慣というものではないかと。この伝統こそがデモクラシーを上手く担っているという、議論。ですからデモクラシーにとっては宗教的な中間領域というのが重要であるというのが、トクビルの一つのテーゼであるわけです。

これを現代に引き継いだのがベラーという人ですね。ベラーは市民宗教という考えをしたアメリカ人が行き過ぎた個人主義になっていけば行くほど、デモクラシーが破綻していくとするならば、もう一度アメリカの心の習慣を思い出そうぜ!その時にもう一ど宗教的な所に関与するような、そういうようなルートを市民宗教として立て直そうというのがベラーのテーゼです。それを島薗先生は80年代だったでしょうか、に訳されたのですが。その時の意図、ベラーに対して注目されたのはどういう処だったですか

島薗:世俗化していく社会が空白、ネイキッドパブリックという本を書いた人がいます。パブリックスクエアー公共空間がネイキッドになっちゃった。むき出しになって、共有できるのが無い。それは世界であちこちで起こっていることだと思うんですね。その時に何をもって、アメリカ人は団結できるのか。という。
ベラという人は元々、日本研究をやっていた。イスラムこともやったりですね。ただ本人は熱心なクリスチャンなんですね。生涯教会。アメリカの市民の公民権運動やベトナム反戦運動の中で、ご家族に不幸が続いたこともあって、アメリカ研究になる。それは本人が今アメリカの国学をやっているんだと。言って。

ちょとですから、その中には彼の中の迷いもあったと思います。アメリカの伝統的というものの実態(絶対)化して、それによってアメリカ人が団結する。団結すると・・そういう要素が心の習慣ということを強調するなかに起こってくる。そういう懸念を持って。なんとかそれにならいようにということを彼はずーっと考えたと思うですけど。そういう事が、あって。
当時から自由主義というのは、リベラリズム、政治的なリベラリズムというのは、社会の進歩して行くに従ってますます広まっていくものだと、いうのに対して、ロールズという人が哲学的には柱なんですが。いや、それでは社会は溶解してしまう。人々を結びつける伝統が必要なんだと。こういう議論ですね。コミュニタリアンと言ったりする。そっちの方へ行くためにですね。
そういう流れの中で、しかしまた新なナショナリズムが一方で起こってくる。つまり空白というものを持て余して、我々も何か宗教的なものがなくてはならないと思っているんだけどそれとの関係がうまく造れないと、宗教的ナショナリズムになったファンだメンタリズム(原理主義)になったりそちらに流れてしまう。これが現代の世界の傾向だと言う非常に大雑把なんだけど。宗教社会学的な流れではそういう気がします。 51:25

中島:どういうものが生まれてくるのか、現代社会にとっては重要かと思うんですけど。ベラーの周辺で動いていたアメリカの運動にコミュニティーオーガナイズという運動があるんですね。分断されてしまったコミュニティーをもう一回再生さして連帯を強めていこうという運動。この中から生まれて来たのが、オバマ大統領。シカゴですね。そういう運動をやっていた。
一方でベラーの弟子筋の中にはネオコンしていくひともいます。国家と宗教というのがかなり一体化してくる。そういう要素にベラーの中に無い訳ではない。
 オバマを生み、一方対抗にあるような共和党のゴリゴリの支持者の人たちを産んで行く要素がベラーの中には、議論の中には両方あったわけですよね。

非常に重要な問題設定なのかも知れない。日本でもこれはよく考えるべきことかも知れません。つまり宗教というものが、現代にもっている役割の大きさ、それが再生して来ているという。私も受け止めたいし私自身もそういう中で宗教というものに対して自らがかなりコミットするようになっていったプロセスがあった。
しかし自分自身の中で常に問いかけて、注意をしなければいけないのは、そういうもがある種の国家ととりついた時の大な問題ですね。ネオコン化していったアメリカの姿というのはどういうふうにみるのか、そこから必要なことだったかも知れないですね。

伊勢の問題が出てきましたけれども、スピリチュアルブームというのも、あんがい今の右傾化という問題周辺の要素としては重要な問題を含んでいる気がするんですね。パワースポットという、誰を中心に受けているのか分からないですが。
パワースポットブームってありますよね。

・・・・
 そういうブーム右傾化の背景にあるんじゃないのかなーというふうに、想ったりするんです。スピリチュアルブームとナショナリズムの問題が接近して来る問題って。どういうふうに見てらつしゃいますか

島薗:なかなかこれが複雑で。1時間ぐらい話したい。80年代はスピリチュアルブームであり、流行ったりして なかなか立派な仕事をしたと言っていいと思うです、梅原猛さんとか。岩田啓二さんとか、この方たちはアニミズムと非常に強く、日本の文化の根本はアニミズム。梅原さんか森の思想が人類を救うかな。というような本を書いている。
 梅原さや岩田さんは国家神道には非常に警戒的な、ナショナリズムに向かうということには反対の人たちです。ですが、その時に培われた日本文化礼賛の風潮。これは日本的経営を褒める風潮があったんですけど。そういうものが、その後の日本の政治的ナショナリズムに繋がった。ということは確かですね

江原さんはイギリスでスピリチュアルを研鑽した人ですが、その前国学院大学ですよね、ですから、神道の勉強を国学院大学でやっている。国学院大学にも色んな先生はいるんですけれども、神道学は国学の流れを、戦前の国家神道の政治的な役割と不可分に形成されている。国学院と皇學館というのが神職養成の二つの大きな機関ですけれども。天皇崇敬ということを中心に神道がつくられてくる。その中で、出来た

氏子が考えている神道と、これはそんなに天皇が出て来るとか限らないです、しかしそれと、神職のレベルで考えられている神社神道。これは伊勢神宮が中心に在り天皇崇敬であり、最近はお宮にまで憲法改正ですすめようというのが出ているので。問題になったりしてますけど。その辺の問題がある 56:58その辺の問題がある。
私から見ると、ナショナリズムの中にある危うさですね。梅原さんや岩田さんの日本文化アニミズム礼賛という中にも、弱点があるんじゃないかなーと。

中島:この3月に東京工大に移ったんですが、長年教鞭を執られていたのが岩田啓二さんですね。岩田さんは人類学を教えていらっしゃって、日本のアニミズムと共に東南アジアからスリランカに至るまで、幅広い調査をされて、岩田さんはぜんぶ同じだと考えたんですね。その背景には名づけ得ぬ神というのが存在すると。神というのは彼はカタカナでカミと。その問題意識というのを非常に強く持った方でした。
私は大学院は京都大学に行っていたんですが、私が住んでいた直ぐ近くに岩田さんは晩年住んでらっしゃって、大谷大学の先生をされていたもんですから、岩田さんの晩年の文章というのは私が生活圏での色んな散歩話なんですね。体が弱って来られて、哲学の道を毎日散歩されているんですけども。そこでふと見たせせらぎの中に魚が覗いていた、そこに神を観たりするんですね。一本の木という絵を描いて、その中に神をみたりする。岩田啓二はだいぶ忘れられた人なんですが、私は読んでいて、非常に深い哲学的な部分を感じるんですが。と同時に素朴さというのが、別の読み方をされると日本礼賛論になる危険性ですね。

その話を島薗先生がおっしゃられたように、非常に重要なポイントで、そこで政治が結びついたのも80年代だったかもしれない。梅原猛さんが、当時、非常に大きな問題にされた事ですが、国際日本文化研究センターというのが、梅原さんは作られた。それは中曽根内閣で大きなお金が動いたわけですね。そういうような、日本礼賛、あるいは新しい京都学派と言われたようなそういう流れと、運動の問題というのが、今に至る、どこかの背景にあるかもしれない。
宗教とナショナリズムという問題なんですが、私にとっては非常に重要なテーマなんですけれども。私も島薗先生、も一つは宗教そのものを否定している訳では全然ないですね。むしろ宗教には現代における非常に重要な役割がある。非常に強く思っています。
 私自身は薗先生よりも、もしかすると日本でナショナリズムに意味があると思っていて、ナショナリズムというものはデモクラシーという問題と、あるいは主権という問題と非常に密着した概念でもありました。政治学的いは。ですからナショナリズムというものを私はそう簡単には乗り越えることが出来ないし、重要な意味があると思うんです。ただしこの二つは取り扱い説明書が要るものなんです。

でないと、間違えると暴走する、しかもこの二つがく付くいたときに、危なっかしい現象が色んなところで、起きてくる。しかもですね、この二つは、私は繋がるんだと思うんです。この二つが繋がるから危ないというよりは、むしろ宗教ナショナリズム というのは非常に親和性が高いものと見なした方がいいとずーっと思っている。実はそういう議論ってなかった。ナショナリズム論というのが世俗化論というものに支配されていたものですから、 先日亡くなったベネフィットアンダーソンという人、げるなーとか近代主義的な構築主義的なナショナリズム論というのが80年代以降流行るんですが、ナショナリズムというのは太古の昔からあったんではなくって、基本的には近代的な所産、生まれたものである、そうい議論ですね。
 ですから、近代的にナショナリズムというのは誕生してせいぜい、200年とか300年ぐらいしか歴史がありませんというのが、そういう研究のスタンダードなんですが。そうすると近代に生まれたもんですから、世俗化された近代に生まれているので、宗教とは別のものとしてナショナリズムが誕生したというのがテーゼとされていった
私はそれはちょっとおかしいんじゃないか、というのが若い時の研究で、むしろ宗教とナショナリズムというのは構造的に不可分なものとして、生まれて来る問題であると、考えた方がいいと、論文を書いたりしていました。

このデリジャスナショナリズム(とてもおいしい?ナショナリズム)というのが今後日本にも大きな問題になって来るんだろうなーと。予測を元に島薗先生とは戦前の日本に遡りながら、この議論を進めていったわけです。

この当たりの問題ですね。島薗先生どういうふうにお考えでしょうか

島薗:いろんなことを言いたくなっちゃった。
岩田啓二さんは、京都学派の圏内ですね。今西錦司さん、広い意味の京都学派で、西田哲学などの影響を受けて。西田哲学とナショナリズムの関係というのは非常に微妙で、実は中島さんの若い時の『宗教とナショナリズム』という本でしたか。その中にも西田哲学をかなり評価しているところがあって。この本の中にもそれに関連する話が少しでてまして。微妙な違いが出てます。気が付いてくださったらありがたいなと思うです。
多一論でしたか、多いけれども一つだと。いうような宗教は色んな考えをしているけれども、しかしここ(ナショナリズム)のところで一つだ。これは井筒敏子なんかにもこういう考え方があるし、京都学派もそういう考えがあるんじゃないかと思うんですね。私はそれは違うと思う。つまり宗教、特に救済宗教というのは構造は近いけれども、一致出来ない。ポリフォニー(複数の独立した声部からなる音楽)と言ってますけれども。

そこの処はどのぐらいそういう、ナショナリズムと宗教の考えていくうえで違いになるのか分りませんけれども。日本の思想史を考えるうえでは、重要な点じゃないかと。どうじても日本の中では、柳宗義は評価されていまして、柳が一番そこのところで確かに植民地主義に反対出来たですね。尊敬できる方なんですけども。しかし、対立論でいいのかなーということが私の中には入っています。

それからナショナリズムと宗教の関係は私も、そこが一致しています
イラン革命がおこったときに、私はこれは日本の明治維新と何か似ている感じがするなーと思ったんですよね。トルコとイランというのを考えるとトルコは が出て来て反宗教の、そういう意味の世俗主義なんですね。そちらの変革をして西欧から見ると日本はトルコに近いところがあって。しかしむしろイランに近い。イランの場合はシーア派の伝統に帰っていくわけなんですけども、日本の場合は東アジア的な神聖国家というものの伝統がそこへ、出て来るだと。明治維新というものは、そういう視線で観ることが、これは中国研究者、東大の小島先生もそういう観方をしていますけども。
江戸時代の武士はどんどん儒教化していきますよね。中国思想てきな政治の考え方文化になじんでいくわけです。勿論日本の封建的な主従関係、中国的な神聖国家論がドッキングして、明治維新の理念が出て来る。ここがねーしかし日本の議論ではうまく捉えられていないので、維新というのが美しく響いている。さいきん問い直せといってるんですけど。維新にはもちろん、日本を西洋の植民地に抵抗して独立を守るという、そして近代化の道を進むことを可能にした、そういう変革として、捉える。いい面がある。同時にしかし第二次世界大戦に至失敗をもたらした、つまりナショナリズムと宗教が維新の再設置という理念をずーっと引きづってそれが、日本とアジアに破壊的な影響を及ぼしたという観方が出来てないんですね。ここに大きな問題があるんですね。

中島:この本の一つの重要な、議論のところは、その辺りでして、そのところで一番キーになっているのが、神社宗教論、
戦前の日本は神社神道というものを基本的には宗教とみなさなかったんですね。これが非常に重要なポイントです。明治憲法では宗教の自由は認められているわけですね。しかし日本人は 伊勢神宮の大麻・お札ですね、受け取らないといけなかった。なんで国家神道の強制じゃないかと、憲法と一致してないじゃないかと。そういう話になるんですけど。
その理屈をどういうふうに乗り切ったのかというと、神道は基本的にはリリジョンという宗教ではありませんと。日本人の生活様式そのものですと。ですから、日本人であるならばみんな神道の下にある。まずはそれを前提としましょうと。その上でキリスト教徒であっても、浄土真宗であっても曹洞宗であってもそれは自由ですよというのが明示体制なんです。これが神社非宗教説という問題で。07:08 よく似た構造を持っているのがインドで、ヒンデューナショナリストも同様な事を言うんでうね、ヒンデューというのはインデアンホライズと言うんですね、ヒンデューというのはリジョンを越えたインド人の生活様式そのものであると。ですからインドのイスラム教徒、インドのキリスト教徒はヒンデューであるという説をとるんですね。ですからインド人にならみんなヒンデューであると。その下に何教徒であってもいいですよと。しかしあなたはヒンデューですという言い方をするんですね、ですからインドはヒンデュー国家であると。かれらの議論なんでうすが、

日本の神社宗教説とよく似ているんですね。その時に何が問題になってくるかというと、実はヒンデューと神道のもてる一つの共通性なんだと思うんです。なにかと言うと、いわゆる、法曹宗教ではない自然宗教であると、キリスト教はそうしょう者がいる、イスラムではそうしょうと言うと怒るんですけど。ムハンマドが啓示を受けて、そして始まったのがイスラムですね、仏教はブッタという人が居る、開祖がいる。しかし日本の神道はおよびヒンデューというのはある文化的な背景、風土のようなものから発生して来た自然宗教であるわけです。こういうところと国家の関係というのは、少しキリスト教圏あるいはイスラム圏とは少し違う問題群としてとらいてみたほうがいいんじゃないか。そう考えてみないと問題がうまく解けないんじゃないのか。というのが私のテーマで。それが戦前の日本とインドの比較というのをやって来たポイントでもあります。そこが一つ重要なキーになってくるかなーというふうに思うんです。

原武史さんに是非今の話を受けてすこしコメントをいただいて、

原:突然指名をうけたんですけど。私は明治学院大学の原武史と申しまし。
日本の政治思想史を研究していますけれども、今日のお話、一番最後に中島さんがおっしゃった神道が宗教ではない。神道宗教に非ずというのが明治になって出て来て、それが近代的な大日本帝国憲法体制のもとでの宗教の自由。と矛盾しない形で両立するんだという話が出た。それとインドのヒンデューとの対比の中で、神道はそうそう宗教ではないんだと。だれがその宗教を作った、つくるのかはっきりしない。そういうもんであって。
 それは確かにそうなんですけれども、ただここで、注意しなければいけないことというおは、二つぐらいあるんじゃないかと思います。
 一つは、国家神道というものが、形成されてくる過程の中で、実は江戸時代の後半から、国学が台頭し、それが平田篤胤によって、宗教化されて、国家神道になると。そうすると、大国主というのが出て来て、 大国主が幽冥界という死後の世界を主宰しているんだという言説が非常に有力になってくるわけですね。
つまり国学が宗教化してくる。つまり、いわば日本の内部で土着的というと語弊があるかもしれませんが、宗教家してくる。もちろん平田篤胤はキリスト教の影響も受けていますけれども、まったくそれが100%ドメスティックなものではなかったと思いますけども、そういう形で台頭して来たものを、明治維新の後に、いわばどうやって、それを封じ込めていくのか、いわゆる出雲派というものが出て来てくる、先ほど伊勢神宮の話も出てきましたけれども。伊勢神宮と政府が一緒になってそれを封じ込めて行くという。そういう流れがあるというのが一つですよね。

それからもう一つは、明治になって、神道というものもそうとうつくられていると。つまり、明治以前の神道はそのまま明治以降に引き継がれていったわけじゃなくって、天皇を持ち上げて、天皇を祀り上げていく中で、同時にいわゆる祭祀の対象というものも作っていくし、祝祭というのもつくっていくし、伊勢神宮を教典とする神社の体系もつくっていくし、相当改変をしている。ほとんど事実上つくって、一から作り直していると言っても過言ではないんじゃないかと。というふうに思うんですよね。

そうすると、今言ったような明治政府は一方で 祭祀体系、祝祭という体系をつくっていくと同時にいわば土着的、ドメスティックに台頭してきた宗教性みたいなものを同時に封じ込めて行くという、いわば二正面作戦みたいなものがあったんであって、その結果が先ほど中島さんがおっしゃったような、形での神道というものが、できたんだというふうに、解釈すべきではないかなーと思いました。

島薗:おっしゃる通りです、教派神道と神社神道というふうに、明治以降分けることになるんですね。しかしそれは明治維新以前は一つ、教派神道の中に出雲派的なものが入って来る、その中に天理教や金光教もあるし、大本教もある。一方の国家神道の方、神社神道の方は、これは相当儒教的なものの影響を受けているということですね。儒教の考え方は、民衆は宗教をそれなりに持っていいけれども、神聖な国家の秩序は崩していけないという。そういう考え方で、

皇道という、それになる、そっちの方向で近代 考え方で、そこの処ですね。

中島:ぜひ原さんの書かれた、去年の読書会に非常に大きな成果だと思ったのは原さんの『皇后考』(講談社学術文庫2015年)という本ですね。もう一つ私はこれとパラレルにセットとして読むべきなのは安藤礼二さんの『折口信夫』そこにあるのは出雲という問題。何が封じ込められたのか、そこから何が民衆的なものとして、噴出してくるのか、だから大本は神道的ものを掲げながら、政府から二度も徹底的な弾圧をくうわけですね。高橋和己なんかはそこに注目したりするわけですけれど。出雲から見た、原さんはもっと若い時に『出雲という思想ー近代日本の抹殺された神々』(講談社学術文庫1996年)をお書きになられているので、そちらも読んでいただきたいんですが。もう一つの日本のあり方というんですかね。そこから近代日本を逆照射していくというもの非常に重要な参照点になる。そういう問題と絡んでいる。

今日で言うと折口信夫の問題なんかも、そこに当たるのかなーというふうに思いました。宮中祭祀というのがいかにつくられてきたのか。皇后と言う存在がまだどういうふうに定まっていないのかというのも、よく原さんの本を読むと分かるものであります。
 『愛国と信仰の構造』 中島岳志 島薗進 著をめぐって 一時間半のどうもありがとうございました