中山英之建築入門帳
中山英之講演録/東北工業大学主催(@smt)2019年10月14日
2019年 作成 文責:佐藤敏宏
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『2004』は新しい建築のつくりかた、と言えるんじゃないか

 二人は住宅設計・・全然・・知識が無いから。「知識がない分自分たちにとって、これで合っているんじゃないか」というような。 作り話を一個、思い浮かんだら、その作り話みたいな物を、幾つも幾つも、観測気球を、ヒッチコックの映画の物語の作り方のように、思いつく限り浮かべて。
 ちょっとずつ、ちょっとずつ、使えるものを手繰り寄せていく。そのように、組み合わせていくと、「コンセプトが有って、こういう風につくられれました」と違う建築ができる。
 バシーっと筋が通ってたような話は、全くできないけれども、どこから考え始めても、色々な建築の固有の楽しさだとか、喜びだとか、強さが現れてくる。
 そのような、そういう考え方というものを、やれないものか・・・と。その時に分からないなり、にすすめる。そういう戦略をとれば、僕らにも、新しい建築の作り方みたいな事が、言えるんじゃないか。





 
 絵:『、and then.』より 以下絵 同
■ 敷地境界線から考え始めない

 周りの家は、敷地境界線からピッタリ50センチ離れた所に建っていた。そう言いました。僕らは「2004」の地面をそのまま残して建物を50センチ上に離して建てようとしたんですね。「2004」の建物の下には、地面がずーっと、そのまま残っていて、猫が行き来できる。家全体が浮かんだような感じなっています。

 「手がかりを敷地境界線から考え始めない」と決めたんです。

 素晴らしい風景が広がってる場所でもない、単なる住宅街になってしまった場所なのです。どこから考え始めようかと思った時に、2つぐらいしか見るところが無かったんですね。
 下見たらクローバーがぼさぼさ生えていて、クローバーって寝っ転がるとジャングルみたいな感じなんですよね。それがずーっと何処までも続いていくような風景なんです。ですが、それがあるところで切られて住宅街になっているんです。
 寝っ転がってしまうと、目の前に木がずーっと並んでいて、ジャングルを見ているみたいに、向こうから虫が歩いてくるような、ものが見えたりして。凄い奥行が有る。

話し合い 思いついたことは絵に描く 

 なので、何か、こういうシーンから考え始めようと、その時に思って。僕らは映画監督ではないんですが、思いついたことはとりあえず絵に描く、という事をやったわけです。

 例えば、ここにピクニックシートを一枚広げて、そこにゴロンと横になった時に、何処までも続くクローバーの風景が見える。というような絵を描く。この家の窓は、「2004年」にとっての窓。上に上がって観ちゃうとすぐ隣のお家が見えちゃうので、そこは窓に成らないよね・・・・っていうので・・・地面に敷いたピクニックシートの周りに高さ50センチのガラスをぐるっと回らせたら、それがこの家の窓になる。

 ピクニックシートを敷いて、ぐるっと360度見回す。

 後ろを振り向いたら、そこにキッチンだとか、テーブルだとか、トイレだとか、お風呂だとか、並んじゃったら意味が無い。なので、たぶんゴロンとなっている子は、こんな感じで生活フロアより、ちょっと下に居なければいけないねと。子供が下に写っていますけれども、こんな感じで・・・・。生活フロアはここから上になければいけないから、テーブルは更にその上だよね・・・と言い、その絵を描く。
 そうすると、地面から50センチ上がった所に1階の床が在って、床の厚みを入れると、もしかしたら、もうちょっと高い所、へたすれば1mぐらいの所に一階のフロアが在ってテーブルは更にそこから70センチ上がってる。コップが置いてある高さはクローバーから170pぐらい上かなーと・・・・そんな事を話し合いながら絵を描く。





















 周りの家は2階建なので、この絵だけ1階が170pも上がっちゃったら、この家だけ他の家より随分大きい、お家なっちゃう。他のお家と違う考え方をしたいとは言ったけれども。
 他の家と比べた時に、目立ち過ぎるようなものを造りたかった訳ではない。ですから。2階の床は凄く低くしないと、一階床を高くしたその分。
 で、1階の床にはお風呂の排水だとか、キッチンの排水だとか、そういう物も入れなきゃいけない。「2階は紙みたいに薄い床にしたい」とか言って。パンツが見えちゃうみたいに薄いんじゃないの・・・とか言って、また一枚絵を描くんですね。

 で、忘れないように、さっきのテーブルはここだから・・・と言って、コップは描いておいて、この3つは繋がっている。というような事を一回メモして。翌日、僕はまた朝早くから伊東事務所の仕事をしに行かなければいけないので。今日は疲れたので終わりと言って、一日が終わってしまう。

 そうすると翌日に、スタッフが描いた幾つかの家を、拾い集めて。ある日、仕事を終えて夜、事務所に行った。(事務所と言ってもちっちゃなアパートの一室ですけれども)模型!一個作ってみました。模型が出来ていいるわけです。
 僕は断片的はスケッチしか描いたつもりしか無かったんです。けれども、そこから整理して、推理して、模型にしてみました!と。
 スタッフが模型を一個作っていて、その中をよーく覗いてみる。確かに、ここに立った時に、こうなるね。ここにスカートはいた人を、ここに立てよう。全部この絵の通りに成っているねー・・凄いねー。とか言って、辻褄を合わせようと思ったら、「ダイニングテーブルの長さが7mぐらいないと、辻褄が合いません」と言って。7mのテーブルってそりゃないんじゃない・・・みたいなことを話す。










 このようなスタディーの仕方って、建築学生のみなさん、普段やらないと思うんです。僕らはどこかでヒッチコックのように、7mのテーブルというのは、全体像を考えていきながら、ここはダイニングというふうに割り振っていく。そのような空間は絶対生まれないけれども、でも、一枚一枚、断片的な絵を描いて、それ同士が辻褄が合う、整合性もそれなりに持っている
 そういう関係性の中から、もの(建築)を立ち上げてい。そういう考え方をしていると、なんだかいつの間にか7mのテーブルを作っていいんじゃないかというような、そういうような感じが出来上がった。

で、こんなやり方は自分たちにとっても意外だったけれども。でも誰もやったことのないの作り方をしたら、どこかでヒッチコックが初めて皆が驚くような映画を作れたように、自分たちも未来の(建築における)トリュフォーがインタビューしに来てくれるような、新しい建築の作り方の発明みたいな事になる。こそれが行けるんじゃないか・・・・そういう若者特有の間違った高揚感に背中を押されながら、一生懸命作った。

 辻褄が合わないことが一杯有るんだけども。こういう風な使い方をしているんだったら、それは有りという事に成るんじゃないの。というような事を絵を描きながら考えているんですね。全部、作り話だし、その絵の向こう側に在るこの話の続きがどうなっているのか・・・というのも、描いているうちは分かってないんです。
 けれども、そういうような事を、いろいろに考えながら、ヒッチコックのように断片的なシーンをたくさん、たくさん作っていって。

 そうこうしている内に一個模型が出来上がったと言うか、模型のような物が一個形になって。その模型を眺めているうちに、ここにはこんな変な場所があるけど、こういうふうに使ったらいいんじゃないか・・みたいな絵が一個描けたらそれはそれで、在ってよし、となっていく。

 そういう事を重ねていくうちに、段々まだない 建築を写生しているような絵の世界が、だんだんでき上がっていく。存在してないし、全体像の図面すら無いのに、何か想像しながら、絵を描いて






















■ SDレビユー

 最後にスタッフが「SDレビーに出したい、応募しよう」と言ったんだけど・・・「図面がありません」と言われて。

 そういえば、スケッチと模型の断片みたいなものしかない。慌てて書いた図面がこれです。これは応募の数日前、締め切り間際に、慌てて書いた図面で。スケッチの中に出て来てたコップとか、最初に居た子とか、お父さんとかが、最後まで生き残っていて。こっから見た時にはこの人がここに居るからね、最後に決めて。ずーっと考えていた人たちが、図面の中にも、記号のように、生き残って描かれる事になりました。

 SDレビユーというコンペの時に、展覧会用につくったスタディーではない模型なのです。やっとこの段階で、模型を一個つくろうとなって。スタッフが僕が適当に描いていた、スケッチの記号的に、ここに居る人は ここに立っていた。なので、ことにしようと、その人達を、模型にしてくれて。それを並べると、スケッチと同じシーンが中に在って。わーびっくりした・・・っていう、そういうような作り方をした。で、この2004、住宅は出来ました。

 これは模型写真なんですけれども、仙台展には多き過ぎて持ってこれなかったんです。が、久しぶりにギャラリー間の展示では、この模型を引っ張り出して来て、だいぶ黄ばんでました。けれども展示したんです。当時、撮ったスナップなんですけれども、スケッチと同じように、僕は全体像を入れるのが嫌だったんですね。こうやって、建物も写っているけれども、車も写っていたり。地面を撮っている。階段を撮っているのか・・・よく分からない写真だけど。
 建築って、ばーんとこれが建築です、っていうふうに見るん写真じゃなくって、何時も何か視界の、はじっこの方にちょぼっと他の物も含めて、何か建築も写真の中には要る(居る)みたいな。
 そういうような建築の存在の仕方が、私にとってはしっくり来る建築だなーっていう感じがしています。で、当時直感的に撮っていた写真も、こんなふうな、どこを撮っているのか分からない、写真でした。

 その後で建物は、本当に苦労したんですけれども、やっとこさっとこ、完成をして。

 それで、この写真は私の友人の、主にファッションを撮っている写真家の岡本さんが、僕らが現場に、ちょと足りなかった家具を買いに行くついでに、一緒に遊びに来てくれて、僕らが一日家具を据え付けているのを横目で見ながら、バシャバシャ35mmのアナログカメラで撮ってくれていた、スナップです。

 何にも頼んでいないの、スケッチも見せていないんですが、彼が、建築を撮る写真家じゃないので、主にファッションを撮る写真家だったので、建築写真は撮らないんですね、建築も写っている写真です。
 そうやってバシャバシャ撮ってくれた。その写真を今回の一番町に全部展示されていますので、ぜひ見ていただきたいんです。映画のなかにも使われたんです。

 こんなふうに撮ってくれたんです。けれども、私が最初に、プロジェクトが始まった頃に、ちっちゃな紙に描いていたスケッチと、彼が撮ってくれた写真というのは本当に驚くほど似ていて。

 自分にとってですけれども。この新しい考え方で造った建築に、もし写真に撮るとしたら、写真の撮り方も何かアップデートしなくちゃいけなくって、こういう建築の写真の撮り方というのも、あるんじゃないかなーと思って。

 新建築とか、GAとか、そういうところでは、グラビアっぽい写真が普通に載っかっていますけれども。

 僕らとして、この時に一個写真の表現を含めて、自分たちとして、建築の何か新しい作り方や考え方というのが、一つ創り出せたんじゃないかなーと、自分たちだけでの話でしたけれども、そんな話をしていました。


















中山英之さんが 学生だった頃 考えていたこと

 「2004」は、2006年に出来た建物でした。その前のヒッチコックから影響を受けた話は、私が予備校生から大学に上がる頃に映画から受けました。映画なんかぜんぜん観ない学生だったんですが。予備校の友達がやっているカッコいい映画の話に混ざりたいと思った頃から、無理やり自分が好きになったと言ってもいいかもしれないんです。けれども、その時に凄い強い影響を受けた事が、後々自分で建築をつくることになった。その時、知らない間に凄く大きな意味を持っていたんだな・・・と振り返ることができました。

 今日は学生のみなさんも、たくさんいらっしゃるので、最近つくっている建築の話ばかりではなくって、僕が学生だった頃に、考えたいた事を中心にもう少し話を続けさせていただければと思います

 この絵は僕が大好きな写真です。撮ったのはブルーノ・ムナリーって言います。もう亡くなっちゃったんです。イタリアの、なんて紹介すればいいのかなー。アーテストですね。デザイナーでもあり、アーテストでもあり、教育者でもあったブルーノ・モナリーという人が、自分自身で見ている「快適さの探求と言っている写真です。

 この写真が何で、好きなのかというと、これはどこにでもあるソファーです。この人物にとってソファーというのは、フアフアとした足の生えた立体物でしかないんですね。いろんな角度にくるくる回しながら、自分にとっての快適さみたいなものを探求していってます。
 先ほど敷地境界線があって、そこからオフセットしたところに壁が在って、車を止める。ここでは、それでフレームが出来て、そのフレームの中にお部屋を割り振って、最後に割り振ったお部屋に、家具を置いていきます。そういうような考え方で出来たものは、その考え方をトレースするしか生み出せないんじゃないか?。そういう建築は僕は面白いと思えないんだ、という話をしました

 その時に話をしている時に、いつも頭にあるのは、ブルーノ・ムナリー、こういう人物の存在ですね。

 (中山英之のジレンマ)

 彼は、このソファーって、どんなにつまらない、どこにでもありふれたソファーでも、こういう人物の手にかかれば、全く違う意味がそこから発見されて、別のものに読み替えられている可能性を持っている

 皆が知っているルールを壊して、違うものに組み立て方をする。生活がルールに従うように成らないで済むんじゃないか・・・というような事を、一方では考えていたんです。

 ほとんど、ソファーとしか言いようのない物でも、ブルーノ・ムナリーのような面白い人物にかかれば、全く別な意味になることもある。そういう事は僕にとってはジレンマが有ったんです。普通の物が、こういう人に掛かれば普通の物ではないものに成れるんだから、普通じゃない物を作ろうとしてもしょうがないじゃないか・・・・と。簡単に言うとそういうジレンマですね。

 でも一方で、それでも皆が、ソファーはこういう物だというのを作り続けてしまう。世界からブルーノ・ムナリーのような人が居なくなっちゃうかも知れない。そういう不安も、そういうジレンマも、一方である。いつも僕は建築やデザインを考える時に、そのジレンマの中で物を考えている・・・というふうに、想います。












 上・下の絵 WEBより



ジレンマを乗り越える洋服に出会う マルタン・マルジェラ

 今日は、映画の話から入ったんですが、僕は建築の本は事務所にも、あんまり無くって。建築以外のジャンルから凄く色んな影響を受けているのんです。今言ったようなジレンマを凄くスマートな形で解いている洋服にある時出会ったんですね。凄く値段が高かったんです、買えなかったですね。これはマルタン・マルジェラと言う、ベルギー出身のファッションデザイナーがデザインをしたカーディガンですね。

 本物の写真は無かったので、僕が描いた絵ですけれども。真ん中にある白い線がファスナーなんですね。これはどういう物なのかというと、僕が今着ている服も袋に穴4つですね。小さい穴と大きい穴を、線を描いて分けている作りになっています。小さい方の穴が誰がどう見ても首を通せない。大きい方の穴というのは というのは決まっている。ブルーノ・ムナリーさんだったら、これを逆さまに着たりするのかも知れないんだけれども。

 デザイナーとして何をやったのかというよりは、ブルーノ・ムナリーさんは面白い人だということだけなんですが。

 マルタン・マルジェラは、首の穴と胴の穴をフラットに揃えちゃったんですね。同じようにしちゃったんですね。

 そうする事によって、どういう事が起るのか・・・と言うと、このように巨大な襟にしてもいいし、服の中から、これは自分にとっての襟なんだとか。これは自分にとっての胴なんだ・・というような事を、自分が自分で決めて選ぶ感じですね。

 デザイナーは、何か違いを一個消す事によって、それを着る人にとって、その服が初めて出会う形に変化したり、襟なのか何なのか分かんない場所が社会的な意味の中で襟と呼ばれる何かになったり。そういうような不思議な変化の仕方をするこういうものを作れば、ブルーノムナリーさんの写真を見ると面白いなーと思いながら考えていた、ジレンマを自分も何か乗り越えられるんじやないかと言うような事を考えたんですね。


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 絵:webより マルタン・マルジェラ