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 8月月 27日  室温28℃ 過ごしやすい

■ 午後一で平野の共同選果場へ行き、桃川中島と梨幸水を買う。

■この10日間ほど福島駅傍に設置されたサンチャイルド騒動(新聞など)に関して、福島県内になぜ原子力発電所は設置されたのか、その点もふくめ(福島第一原子力発電所が開設されるまでの経緯など)311後の原発事故問題まで、再度考える機会を得たと想ったので、コツコツしらべたり、詳しく書き残してみたいと思いフェースブックにメモ書き程度を書いておいた。卒業設計日本一決定戦に関する記録を全て公開しおえたら、作業に取り組んでみたい。

なぜなら、日本の無責任もたれ合いで政治行政が推し進めたエネルギー政策は、安ければ先のことなど誰も思いも至らぬかのような原発作りまくった。その無責任の総体は,SDL2018もふくめ、あらゆる場に(島宇宙に)みえる様だからだ。


 8月25日 

藤村龍至先生より最新著書 ちのかたち を送って頂く(現 東京芸大の先生)
人肌に似た表紙とドライな藤村龍至クロニクルふう編集態度で編まれた内容。二つの分裂した同置は311のあるべき建築家の態度に相応しい。
0年代半ばから超線形プロセスをベースにソーシャル アーキテクチャーを目指していて、テン年代の建築家界と建築学会を牽引する若手の改革者の1人として多くの人が認める事なり、たいへん頼もしいかぎりだ。
ベラジュンさんとの共同設計による胎動期における田中浩也、松川昌平、石川初を含む異能者たちとの熱い討議を我が家などで観てきた者として、彼らを 取り巻く時代の閉塞をいかに乗り越え、自分たちにとつての地平にたち、社会貢献を目指しす者として存在するのか、それは彼らにとつて最も重い課題であった。
藤村は建築家の手法に政治的方法を加えることで実践を進めたが、311に偶然遭遇することで彼の力はいかんなく発揮され、公認されることになった。...
建築家界では、彼の結婚式において藤村さんのお母さんに予言した通りの存在になつた。このことは共同者ならびに関係者と共に祝福したい。さらに多くの協力者を得て、今世紀に相応しい、あるべき著名建築家の道を示し続けて頂きたい。
現在TO TOギャラ間で9月30日まで個展開催中である。参加頂き藤村氏との議論を得て困難の一つを解消する手掛かりを得て頂きたい




 8月21日 

建築学会報(9月5日配布予定の新聞)編集会議
@東北工業大学大沼ラボなど
大沼先生、新井先生、竹内先生、学生編集長とワイワイする。私の提案は以下の2点

1)311後なんだから、子供たちの視点を持ち未来のために、などとボケた寝言は一切しない。...
半世紀前の福島県知事の方々が、福島第一原子力発電誘致決定した時、私は彼らが語る未来ある子供だった。50年後の現在、福島県内は原発誘致を決めた彼の語る未来にはなってない。彼らが思っただろうデストピアで、それが私の生きてる愛しき大地。

2)閉じた島宇宙内でしか議論は成立しない。他者に開かれた場合での議論によって議論は活性化する。それは幻なので、その思いで場を設置しても、何も得られない。それでも開くなら勝手にしやがれ!

この2点をフクシマを経た1人として伝えてみた。どう対応されるのか不明。(ドライ編集あるのみ)

建築系の人も福一原発事故に遭い色々考えてるんですねー、とFM仙台の方に呟かれたとのこと。つまり、世間は学会の面々であろうと建築業者などの集まりで、高尚なことを思って、行動する人々ではない、彼の集団は業者でしかない。それが日本の常識。情けない、悔しと感じるなら戦略を練り直し、初めに戻り動き出すしかない。



 8月14日 晴れたり曇ったり

■蒸し暑い日であった
■ヤノベケンジさん制作サンチャイルドに関して色々意見がでているので私案を書いてみた。

「被災者といえ表現者の活動を委縮させるさせる言動をしてはならない」
(私案)
 福島市内の現代美術を愛好していない政治家や異を唱える人々の詰まらん対立(失礼なら非礼を詫びます)を解消しようじゃないか。原発事故によって被災した者は福島市民だけではない、日本中の人々が心を痛めた、まだ自主避難して病んでいる人もいるのだ。帰還困難区域の人もいる。県内外のそのような人々と広域連携にて福島県立美術館に再設置する案を示してみたい。

・福島県立美術館の芝生庭に移動設置する...
理由、現在設置された姿はそもそも立ち姿が間違っている。サンチャイルドの視線は北東を向いていて、福島第一原子力発電所の事故現場に視線が向かっていない。ヤノベケンジの製作意図に反していて恥ずかしいと私は考えている。設置してやったというような粗雑態度と、アートを知らない者の扱いによる設置にみえてしまう。ダビデの像のオマージュの意を咀嚼したい。(世の現代美術愛好家からは笑われる。ヤノベさん単独にて謝罪文を公開させてしまった、あの態度は理解しがたいし、責任の転換行為だしアートを貶めている態度だ。そう気づいてない首長の文章が公開されたのは残念である。など情報を連結すると設置者の無責任ぶりも甚だしい。とても恥ずかしい態度で長いあいだ記憶しておきたい。)

 県美術館に移動設置し前面道路と平行に設置しただけで東南方向(福一原発事故現場)に視線が向ってしまう。さらに美術館には池があり、ヤノベケンジ制作のラッキードラゴンを浮かべ、毎年3月11日(放射能が沈着した日は3月15日なのでその日が相応しいのだが・・)に火を噴かせ、水を吹かせ、外敵である放射能(闘っている敵)の化身と扱いラッキードラゴンとサンチャイルドを対峙さ鑑賞する日とする。
 福島県立美術館の目玉貯蔵作品はビキニ環礁において水爆実験後に被ばくした福竜丸を表しているベンシャーン制作のラッキードラゴンであるから、3月11日は必ず美術館ホールにベンシャーン作品を飾り鎮魂の儀式を執り行。そこに無理を感じる美術愛好家は居ない。

 加えて、原発事故関連死者数は2018年2月20日現在2211人である。サンチャイルドのお父さん(祖先)はトラヤンである。亡くなった方々の氏名を描きいれたトラヤン地蔵(定価1000円+税)を2211体を遺族は持ち寄り(皆で寄付すればいいか)美術館に庭に並べ迎え火送り火にて亡くなった彼・彼女たちの御霊を慰霊する、8月11日から始め福島県ならではの鎮魂儀式などを執り行う特別な期間とする。

美術や絵画作品は本来宗教施設とセットで存在するものなので、県立美術館が311の日において宗教施設に変わっても、歴史に逆らう振る舞いにはならないどころか、慰霊、思いだす、集う、語り合うことが可能な期間限定の宗教的コミュニティーの場に変容させてこそ福島県立美術に最もふさわしく前例もない稀な場になるだろう。
 御霊が帰還すれば、翌日は幻のように消える。リアルも政治も、アートもフィクションであるから、その点を意識して実行するのが肝要だ。

人工された降りかかた問題を乗り越え311以前には無かった鎮魂空間を県内外の人々と共に共有する場をつくるべきである。



(提案前の違和感)
■サンチャイルドは多数の他者に愛されているのだから福島市単独行動には切り替えてしまったのには違和感が湧く

■福島駅周辺の地上げを長年続けている人々や市内の有力者によって(天野建設大臣の選挙ブレーンたちだろうが、現市長のそれに変わっただけのように見える)彼らはヤノベケンジさんからサンチャイルドの寄贈を受け(創作であろう)運搬と設置費用を負担し設置したような筋書きにした(現在調べているので推測・・この辺りに撤去を申し込んだ市議団との対立の火種があるのではないか)

■サンチャイルドを福島市の公共施設に設置により、市議団から撤去申し入れがあった。内容は「・・放射能の不安を持ちながらも福島で子育てしてきた大人たちは沢山いる訳で、今になってこのようなモニュメントが現れたら、新たな不安を掻き立てることにもなりかねませんし、新たな風評被害を生む可能性もあります。 善意で寄贈されたものとはいえ、誤解を生むことは避けるべきでしょう。市議団が撤去の申し入れを行ったのは当然のことだと思います。」
 この態度では、あらゆる人の異論や小さな意見さえ封じ込めて黙らせてしまう態度として受け止められる。市民に「何もしないが価値」という被災者が被災者の口をふさぐ愚かな、そんな態度を身に着けさせるだけで、とてもIT革命後の政治家の発言とは思えない。政治とは全く対極にあるアーテストを寛大に受け入れるのが福島原発事故後(21世紀)を生きる者たちのささやかで可能な態度だ。




 8月13日 曇りのち雨

3日の日記にも書いたヤノベケンジさん作サンチャイルド設置のけん。市議団が申し入れしたようだ。実態に反すると疑問噴出。市議団は撤去の申し入れをしたようだ。詳細不明にて時間があれば、後にまとめておきた。

■ 7月初旬に開かれた記者会見の動画が公開されていた。
ヤノベケンジさんが作品を寄贈し運搬と設置費用は未来研究所が支援したように聞こえる。(調査要)

 設置後に起きた様々な異論はヤノベケンジさんが謝罪すべきものではない、と私は考える。設置者は丁寧に語り合う責任がある。首長の、うえから目線で押しまくり処置対応は、避けて頂きたい。前のめりに復興工事関連を進め収束宣言を高らかに響渡せ放射能との勝利にて無かったも同然にせねばならない、福島と電力系補助金の長き関係もわかるのだが、帰還困難区域における生物へのDNA切断影響調査は6年ご始まったばかりで、詳しくは分かってない。セシウムが外部へ移動する様も研究者たちの連携によつて解明され始めたばかり。
 ただちに健康に影響は無いとはいえ、裁判中の自主避難者を含め口にできず恐る者、避け忘れようと努めてる者もいる。半減期30年間311以前の線量にもどるまで100年以上の、時は要するようだ。
 軽々に押し付け幾重にも人災を起し続けぬよう、権力者には配慮して欲しい。
(国の下請けと化した地方行政に独自の判断と行動はほぼ期待できないのが実情だが。)




 8月9日 曇り時々雨

大沼先生にいただいたチラシを配布する(福島県庁内)など数か所

建築学会記念シンポジウム@東北大
9月5日午後1時30分から5時30分まで
萩ホール 入場無料
 
 新関支部長不在のため住宅課の大和田副課長兼専門建築技師にお伝えする。加えて311後の福島県建築関係の活動記録などについてもお聴きしました。...
新関課長は別部会に登壇されるようです。行政の方を含め復興公営住宅など建築に関わる方々に参加頂ければと思います





 8月8日 晴れたり曇ったり蒸し暑い 登米町

 登米町で3つの研究室合同の提案会が行政やその関係者、所有者の方ならびに関係者集いて開かれる。1つの研究室が仕切るのは体験しているが同じ大学の3つの研究室が連携する提案は初めてなので付いて行く。
 8時半に集合し大沼先生の運転で登米町をめざす、11頃着く。途中著名な建築を体験し、昼食をとる。

 1時間 東北工業大学の中村、大沼、竹内研究、合同のデザイン提案会始まる
お題は「旧城下町 登米の歴史的建造物における文化財的価値を醸しだすディスプレー制作」提案を決め秋ごろから制作がスタートするそうです。 
 所有者、行政の方々、市民の方々、マスメディアの取材クルーも入っています。どの様な提案が採択されるのでしょう

 それぞれの案を融合した形にて復元に限りない案に整理され実施されるのだろうと推測し散会。 工業大学にもどり、新聞発行と福島県内に学会チラシを配る場所をワイワイ。のち、女学生たちと1時間ほどエスキスする。久しぶりに学生とワイワイ。学生たちの悩みも理解でき有意義だった。




 8月7日 仙台へ行く 

仙台駅周辺は七夕祭りの飾りを見に来た人でにぎわっている、最近はどこの観光地へ行っても東アジア系の観光客やその集団に出会う。外国人観光客が各地にて豊かな交流を得て帰国されるとよい。


 夕方から東北工業大学の長町キャンパスに出向き、9月5日に仙台で開かれる建築学会に無料配布する新聞・仮称「学会新報」づくりについて話し合う。新井信幸、大沼正寛、竹内康先生と四名。
 ブランケット版で二枚、8頁。構成は外側のテレビ欄は学会部会全てを網羅する。表紙の題字とスポンサー、見出しなどの粗い構成。内部6頁は河北新報と福島民報、それぞれの311、7年分の記事から選んで縮刷式で並べる。紙面内容は21日に再度打ち合わせる。現在新聞社は縮刷版を発行していないので、ネットでデータベースにアクセスするかDC版、あるいはDVD版を購入して閲覧することになる。河北はネット、民報はDVDを手に入れて選別することになる。翌日まで新聞社と交渉し諸問題を大沼先生が解決された。

打ち合わせ後仙台大町のホルモン屋で呑む。大沼先生、竹内先生、MY長男も途中参加してワイワイ。ビールとホルモンと饂飩を食べ満足し散会する。



8月03日 

サンチャイルド!福島駅そばに定住
(トラヤンとの親子定住もやがてあるのか、笑)
三チャイルド(3ショット)しフクシマの現在を知りインスタ投稿しよう!(広告会社風か)
街に用事があり出かけたら偶然サンチャイルドを製作された、ヤノベケンジさんにも会っちう。その場で、ここに立ち続けることになった経緯と、制作地元をはなれ岡本太郎記念館に初めて立つてから現在の心境変化などを簡潔に聞かせて頂いた。2011年311直後、フクシマの現在を伝えるため、京都にある大学内のヤノベさんの工房、ウルトラファクトリーで報告しワイワイして以来。7年ぶり。

福島高校卒の東大教授、哲学者の高橋哲哉氏。ヤノベケンジさんの作品が大学や行政によってこの地に召喚される日が来ている。複雑な感想を持たざるを得ない。311以前なら反原発、左翼などとの理由だろうが、黙殺し続けてた。世の中の空気は移ろいやすい。注意して見守っていかねば。
サンチャイルドにおかえりなさいと呼び掛けてる人々もいるとの事。ヤノベケンジさんの複雑な心境と変わらぬ真摯なアーティストの姿を少し動画に撮った。(公開しない。


まだまだ改善しないと新名所には至らない。サンチャイルドと同じ高さで並ばないと、今日三チャイルドショットのように見上げ撮りになり、絵は上から目線だ。それじゃー。ナイスなインスタ映えにならない。階段を設えるか、リフトなと要るかなー。離れたビルの、窓辺から撮る、勝手ビルに入れんなー
そうか、ふくしま未来研究会など。とニュースながれ。首長のブレーン関係みたい。納得 新名所発言撤回した方がいいかも


8月02日 雲間から時折つよい陽射しあり 35℃の猛暑日

■変わった動きをした台風12号の軌跡はこのように


■SDL2018入門 (体験記02)
 中谷圭佑実行委員長に聞き語るの内容「お金に関すること」。

 SDL2018の収入総額 4、187、944円。支出総額 4、388、819円。赤字 200、875円、である。1作品当たり支出平均額は13、219円となる。この額はスポンサーなどに頼らず、自立自治のSDLを手に入れるための金額となるが、その中には学生にとって不必要項目もあり一人当たり1万円で済む。

 継続する人格が見当たらない、見えても1年限りで更新される三つの組織が運営しているSDL2018の「全体は幻だ、そう捉える」と01で書いた。幻では気分を害する方のために「建築スフィアー活動」と言い換えてもよい。
 中谷実行委員長はSDL2018をゲームと表現したが 人の営為はみな人為がなす幻で、人も幻に似てた存在だ。それらは可能態なので捉えることは難しい。だが人は幻の構築に余念がない。幻の共有に努め、多くの共働幻視者を得ることで人間の社会が出来ていて、そこで蠢き続ける。各種の蠢きは権威者をつくりだし、蠢きを統制することでさらに社会が成熟しているかのように想わせることができる。人が名を成すことは多くの人に支持(共感や購買行動)されることで、その領域の権力者である証となる。
 数を擁する幻は力・銭(抽象的信頼)である。数を得ると同時に他の領域に出向いての発言権を与えられ、受け手はそう信じ込む。それは日本の常態である。例えば、受像機を通し茶の間に現れることできる。素人同然の世界の出来事へも専門家的振る舞いにて、ご意見を開陳し、それを媒体は単純化し垂れ流し続け、時間を持て余す者へ注ぎむ。
 数は力とばかりに、政治の世界も芸能の世界も、建築の世界も、権威者が活用しだしたSNSの世界も、そのような力学の下、幻が折り重なることで出来た異様な様が日々繰り広げられている。権力を得た者は各種媒体を意のままに操ることができるのが権力者なのだと。そう勘違し、既存のマスメディアに手を突っ込み、彼らが創作したニュースを垂れ流し、ご満悦であるがそれもバレている。でも垂れ流しが感情に直入する状態がポスト・トゥルース時代、現在のこと。
 虚偽ニュースは遠い昔から行われていたと想像するが、戦後なった民主主義社会において、赤裸々・バレバレでも虚偽行為を続ける権力者の常態は、結末はどうあれ、島宇宙的幻の中の狂気饗宴に見える。権力者は幻に向かい暴走する、そのことを身近な問題として共有させたのは、戦後からづづく既存媒体ではなく、日本に出現し10年も経たないSNSである。
 建築業界の伝号ゲームはそればかりだが建築学の島宇宙でフェークに似たものは無い。SDL2018は建築学の島宇宙内の饗宴ではない、大学内に所属した活動でもない。継続性が保全されてないので幻にも成れない、泡的で未成熟な祭り・ゲームである。しかし16年も続いてしまい、人はその幻を現実だと受けとめ、祭りを仕立て時を費やす。それこそは人間らしい姿とも言える。

(収支について)
 
 SDL2018=お祭り(ゲーム)に参加するための制約は建築に関した卒業制作者であること。仙台のsmtに決戦日当日、会場などに居続けることが可能な者であること、この二点だ。
 外国からの参加者は見当たらなかったし、何浪しても参加できるので年齢制限はないが高齢の参加者にも出会わなかった。年老いて建築系大学に入学し、卒業制作を携えた参加も許される。人口が減ってしまえば高齢者と若者が混在するSDLが出現する日もいずれ実現する。外国の人や高齢者が参加する祭りの方が多様な視線が発生しそうだし、価値感の差異が広がり、些細な差で(挙手で)競う事態は消えてしまうだろ。

 SDL2018は学生から参加費用は徴収していない。322作品から1万円の出品費を徴収すれば学生の自主自治の祭りとすることができる。理由は不明だが実行委員会はそれを選ばない。
 出品学生は模型などの制作費、仙台まで作品の運送費、、仙台までの旅費と宿泊費、食事代、懇親会費などを負担する。SDL2018に参加した学生の諸経費負担額について調査していないのだが、3人の聞き語りから類推すると、一人当たり平均25万円ほどだ。祭りの総額は学生分8300万円+実行委員会分440万円ほど合計で8740万円と思われる。遥かに参加学生の方が多額の負担をして参加しているにも関わらず、誰も頓着しそうにない、その点は興味深い。建築学生の勝ち組の者達の祭りと言い換えておく。(須藤さんは沖縄の学生だった参加しなかった)

 もう一方の祭りの主役である審査員について。中谷委員長は審査員の選出に当たり「年齢層が高くならないようにはしている。・・・・50歳、60歳の方々が集まっちゃうと、どうしても対立構造になっちゃいそ〜怖いなーと」そう語っている。  予備選、競りは実行員会の手の届かない場で決まるが、本戦の審査員の選択権はあるが決定権も備わるのか不明である。SDL2018に掛かった審査員に関する経費は交通費と宿泊費として合計269、394 円、審査員1人当38、500円ほど。 一作品あたり審査員費用を負担した場合は811円となる。低額過ぎないか。

 路上での祭りは観客がつきものだが、SDL2018には島宇宙以外の者の参加は皆無である。島で学ぶが不参加の者が多数を占めている(日本計画系教育の現状 参照)。中谷実行委員長はSDL2018はゲームと語ったのはそのことだろう。私と目の前のモニター以外は存在しないも同然で予めソフト内につくられたゲームを楽しむだけで、ゲームソフトを開発した内部を楽しむので、路上の祭りにようなイレギラーな事件や想定外の出会いは起きない。

(以下先の参照よりコピー)
 卒業後の進路 卒業後の進路としては大学院・建設業への率が高 い。国立大学と比べ私立大学では、学部卒業時での 建設業・設計・コンサルタントへ就職する率が高い ようである。また逆に、国公立大学では進学する率 が高く、特に旧帝大系の大学を卒業した学生の内、 70%近い学生が進学する傾向にある

 (お金でもたれ合う構造 次に続く)


8月01日  東から西へ行き一回転と変わった動きをした台風され猛暑戻る

猛暑襲来したが SDL2018入門を書いたり、ごろ寝しつづけたりの1日

■ SDL2018入門 (体験記01)
 日本一決定戦の構造と舞台裏を知るためSDL2018入門として「実行委員長の中谷圭佑さんに聞き語る」を公開しました。
 http://www.fullchin.jp/sdl2018/kiku/07naka/01/ya01.html
 公開記録の主な内容は運営の組織構成、収入・支出の内訳、今年は「テーマなしが」テーマ、実行委員長の実行意図、認識できた課題の数々などについて。

 せんだいデザインリーグ2018・卒業設計日本一決定戦(以下SDL2018)は三つの組織と、数社を主にし協賛金が原資となり開かれた。

1)三つの組織
 一つは仙台建築都市学生会議(以下学生会議)という、2001年せんだいメディアテーク開館を期に設立された組織。仙台を中心に建築を学ぶ有志で、3年以下の学生が参加資格者で大学の枠を超えて集まる。せんだいメディアテークを拠点に通年活動している建築学生の団体で、その中に「せんだいデザインリーグ卒業設計日本一決定戦(以下SDL2018)の実行委員会がある。
 二つ目は、せんだいメディアテーク=せんだい仙台市文化事業団(以下smt)。生涯学習を実践するための組織。学生会議に活動拠点を確保提供することで、各地から来仙し市内などに暮らす建築系の学生活動と決定戦の会場を無償で提供するなど、様々な市民への情報提供の核である。

 以上の二つが公式のSDL2018の主催者である。だが、影の主催者とも言える三つ目の組織が存在しているのか、私はしていると思うのだが、調査できず不明だ。それは有志メンバーで構成されるアドバイザリーボードである。学生会議と定期的な情報交換を行い、活動に対するアドバイスなどを与えている。メンバーは建築系の先生方とその仲間など。(SDL2018・氏名は中谷圭佑さんに聞き語るその2に記載)

 三つ目の組織は公式には記載されない、無い事になっている。なのでSDL全体の姿は見えないし聞き出せない。だれも答えないだろう。だから三つ目の責任と主体も曖昧のままで、まるで存在しないかのような幻の組織。
 学生会議のメンバーは卒業設計を作成したことがない3年までの学生たちなので、彼らはSDL2018において、当然のように大学や教員に曖昧に見守られている。そのように推測する。
 学生にとっては困った時の頼みの綱的な存在で、SDL2018の予備選と競りの重要な関門を三つ目の組織が支配し実施している。学生会議は予備選の審査員と競り人を決める人事権を持っていない。三つの組織を融合すると、SDL2018は幽霊のような主体に運営されているとも言える。学生会議は三つ目の組織の下働き、黒子に徹し、決定戦の一時を祭りとしてゲームのように消費し、追い出し宴会を盛大に開き消尽し終息する。

 責任の所在を曖昧にすることで、実は統括する裏幕が存在するかの様に見えてしまう。だが責任の主体は存在しない。そんな見えない三つ目の組織があることで、二重のフィクション構造が作られる。その事が学生の自主活動であるSDLの本質を変容させ、他者の視線を寄せ付けない。そういう構造として立ち上げている。
 どうして全体が幽霊のような組織に見えるのか。三つ巴の構造体がいつ完成し、SDLの運営を仕切りだしたのかはいづれ解明したい。もしかすると政治と行政における茶飯事にある、日本的な責任のもたれ合い無責任構造で、それは最適で上手い活動態で、それがSDLそのものなのかも知れない。三つ目の組織についての内容の全ては、見当違いの可能性はある。

 見当違いであっても目の前では、smtが会場を提供し、学生の自立した活動のような振舞が続く。ある処では責任の主体を明確にせず、お互いが依存し続ける変幻自在なシステム。純朴で若い学生ほど影響と圧力と誘導を受けやすい。少し踏み込めば学生たちは3年生までなので指導しているのだという方便が立つ。学生は未熟だから指導いただくのだと言い訳が出来る。師弟の力学がSDL活動にも持ち込まれている可能性は高い。
 凝視すると学生は未体験なので、多量な情報が積層している建築の世界は複雑なので理解までにの時間と努力を節約しているようにも見える。そこで生き辛さの一つを解消した気分になれる。自主自立の可能性を一つ放棄しているが、楽な路だと信じ込む。強く言えば学生の自由から逃走する姿のまま、期間限定でSDLゲームを享受する。

 集金面の主要なところは三つ目の組織にもたれ切っている。集金力を示すことである種の権威の存在を学生に示すことになる。活動資金集めのための学生サイドの努力は成されず、表面的な活動を続ける。責任の所在を3つの組織で明確にし確認し合った協定書など無さそうだ。
 smtは行政の一部なので職員は毎年移動する。大学の教員も移動転出は日常的なので三つ目の組織も毎年メンバーが更新される。言うまでもなく学生会議のメンバは毎年更新され続ける。よってSDLのシステムだけが継続する。システムの証として人による継続的なSDL活動を保全し記録する者に出会うことはない。探し当てようとしても空洞に行き着いてお手挙になる。外注されちまった似て非なる者に出会だけだ。(続く、SDL入門2は資金とその課題について追記す

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