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7月29日 曇り 台風の影響で雨、風も晴れ間まだら

■ドイツに5年半暮らしているMY長女より吉報きたる。



■変わった動きをする台風が動き続けている。涼しくなったのは嬉しい。だが、西日本を襲い続ける水害などきになる。


■ SDL2018日本一決定まで(その4)
日本一決定戦自体が内包する問題を記すことを先に延ばし、参加学生、三人目、日本一位を獲得し渡辺顕人さんの肉声を紹介しよう。  http://www.fullchin.jp/sdl2018/kiku/04wata/01/w01.html
満足な肩書が無い私が学生に会い聞き語るためには通過しなければならない関門が幾つもある。彼らは酒を呑み交わし懇親することが出来る大人であるけど、大学という仕組みによって幾重にも守られ暮らしている。彼らに近づいて、好き勝手な問いを飛ばし応じてもらい、そのままの記録を公開することは、予想を越える害をもたらす可能性もある。たぶん危険な人が現れたと受け止められる。守るべきものがない私は相手を激高させ、彼らの本性をむき出しにする問を連発し、流行りや権威があるかのような島宇宙内の建築系メディアでは掲載されることがない、彼らの赤裸々な本性をさらしてしまう危ない存在になれる。学生の界隈とはいえ目的合理のもとで行動する者が多いので、単に聞き取りの記録を残すだけの私の聞き語りに応...じたいと思う者は少ない。

 幾つもの関門を通り渡辺顕人さんが私の前にあらわれたのは日本一決定戦から1月後だった。16回続いている決定戦の舞台上で「ここで一位しゃなくってもぜんぜんいい、一位になっても建築家になれるわけじゃない」と発言し一位を獲得した学生は渡辺さんが初めてだとSDL関係者が語っていた。
渡辺さんは一位を獲りに来ているのにも関わらず一位じゃなくっていいと獲得否定発言をした。その発言の直後から渡辺さんの深層に迫りたいと思った。決戦当日の昼めしの場に現れ、一位を決めると決意した様子で先生方からナイスなアドバイスを頂戴していた。獲るための発言じゃない、他の9人のファイナリストには無い、ここでの一発芸と勝負勘はどこで身にけたのだろうと聞き出したくもなった。
一位になりたいけど、ならなくっていいと発言するニヒルで複雑に引き裂かれても保てる感情を、どのような環境下で身に付けてしまったのだろう。面白い人物が突然目の前に現れたものだ。公開した記録は私が思いのまま聞き語り文字にした内容だが、重要な問いの一部と答えは思うところがあるので未公開とする。

 渡辺さんは2017年8月に瞬時に描いたという制作ノートを基に、決戦当日の会場まで模型製作三昧の暮らしだった。子供のころからテニスを競いながら、生き物を飼い世話をする。彼の暮らしは亀や魚などと常に共にあり「生き物好きだから(模型)を動かしたんじゃないかな〜」と語った。部品制作費だけで25万掛かったがそれは得意のテニスコーチで稼ぎだし、部品を作り出しては組み立て作動で失敗。そのたびに部品を作り直し組み立て作動させるための微調整作業は決戦の会場でも行われ、後日挑んだ卒制展まで繰り返したそうだ。

 作品は制作者の人柄や生活の痕跡を露わにしてしまう物だ。後語りのフィクションだとしても、渡辺さんの作品は人格と生活が融合し、この作品以外に彼の卒業制作は無かったのだな〜と納得してしまうほど、彼自身を実直に投影した事態だった。

 ファサードだけ動くデザインにし模型製作した渡辺さんは「大学を卒業するために制作するのだが、建たない建築なので新しいものじゃないと意味がないし、そういう提案の方が価値があると考えている」のだ。最後に「こんなものを一位にして来年からSDLはどうするんでしょうね、終わってんじゃねー」と放った。人間がフィクションをなぞり演じずには暮らしが成り立たない(人間らしい暮らし)、その一つであるSDL饗宴の危うさや儚さを気遣っている。色々な時間と意味の重なりの中で、彼の最後の言葉に同意する。それはSDLの構造的欠陥を突いた言葉の一つでもあり、IT革命の成果がじわじわと普及し手に入れながら暮らし、そこで生まれた渡辺さんの素直な視線に沿った言葉である。
 IT革命は、だらりまだらに旧時代と混在しつつ、成果を活用し生きる平凡な日常をIT革命後児たちにも強いる。そこで感じる旧来の教育的価値(上から視線による幻想の島宇宙が継続する日々)に対する疑念を、著名建築の二次創作に具現化し多くの人に突きつける。 (続く)



SDL2018 日本一位の作品
 建築をはみ出してコンピューテーショナルなデザイン手法を用い建築らしさを保ちながら生物的に動く抽象的な生命を創った案
http://www.fullchin.jp/sdl2018/p/360/360w01.html
ピーター・クックの「シティームービング」の巨大で動く建築を思い出す者は多いかと思う。彼の作品はエネルギー源を外部に依存受動する小さく生物的であることを目指しているので、植物のような静謐な動きだけである。同時にピーター・ズントーによるブレゲンツ美術館のあからさまな二次創作品。ズントーに敬意を表しつつもなぞり過ぎることなく骨を抜き、表象をパロディし消化しすることで、自らの世界を示し次の目標も手に入れていた。
 日本一決定戦の前日、旧知の先生と全作品を観て回る機会があって「この作品が日本一になる」と呟いたら「大学内では評価が低かった」と話していた。...
 決定戦の舞台上で彼は「ここで一位しゃなくってもぜんぜんいい、一位になっても建築家になれるわけじゃない」と発言し、SDL裸の王様!発言をした事も記憶されるだろう。仙台に日本一位を取りに来て一位を手に入れるためのタイミングを知り発言する彼の勝負勘の良さと大胆さは、審査員を神的に思いこんだりし16回続いてたSDLでは無かった事態なのではないか。
 後日、彼が進学した工学院大学傍の居酒屋でインタビューした。その聞き語りの記録は公開可能な内容だけにまとめて完成している。後日公開するので、この作品が生まれる必然としある日常・その背景を知ってもらえるかもしれない。


7月26日 相変わらずの 気温下がり気味32℃

■ http://www.fullchin.jp/sdl2018/kiku/02sudou/01/yu01.html 
 日本一決定戦に出品し35選入りするもファイナリストを逃した須藤さん。須藤さんは栃木県から東京圏の大学へは行かず東北大学に入学する。そこで「せんだいメディアテーク」が在り毎年開かれる「卒業設計日本一決定戦」を知る。東京を中心にした建築系の催物が多いことでモヤモヤし悔しさ抱えながらも、毎年熱心にSDLを観戦し続けたことで誇りを持つ学生に変わっていった。
 話合っているとSDLに対する並々ならぬ愛情を感じる言葉の連続であり、ファイナリストになれなかった悔しさがエネルギーに醸成され肉声に混り飛び出てきているのだろうとも思えた。
 「今までは大きな構造を敵に回しちゃうから言えなかったが大会自体の構造と審査員のせいでSDL218は盛り上がりに欠けた」、「審査員は議論が生まれる作品を見抜いて選んでくれ」と連発し色々話しすっきりしたと語った。その意味は議論が少なく得るものがないと感じたことで、須藤さんが持っていた誇りがほころび始める悔しさなのか、あるいは大学で学びつつSDLを幾度となく体験観察したことで須藤さん自身が成長した結果そのように受け止めることになったのか、須藤さんの事も、SDL初体験の私には語ることが出来なかった。

 「大きな構造を敵に回しちゃうことになるとは何を意味しているのか」17人いた審査員たちの見えない圧力の事なのか、学生が望むSDLへの道が閉ざされている事なのか、支援頂いている関係者への忖度からなのか、さらに他の事なのか聞かずに置いた。他者の視線を交えながら、少しでも須藤さんの疑問に近づいてみたいと思ったからだ。後日、SDL2018実行委員長の中谷圭佑さんに聞き語りを申し込んで快諾していたてSDL2018の構造と資金や運営などを聞かせていただいた。(中谷さんと聞き語る、は後日公開)

 出品作品について須藤さんは「建築家になり設計をやるに当たり、有益な発見をするために卒業設計をし充分手ごたえを得た」と語っている。建築家として社会に出て実作を手に入れる道を進む覚悟ができたようだ。前年の8月から考え始めた思考過程には満足のいく作品となったが、制作費などの資金不足から模型表現が見劣りし伝える努力が足りなかったし、沖縄の学生だったら出品するのは諦めるぐらい、お金が掛かってしまうとも語っている。
 制作資金とマンパワーどう確保するか、SDL参加希望の学生は常に悩み続け、断念する者と出品する者に分かれるのだろ。教授に数十万円を借り受け出品する強者も居るのだろうか。金銭格差が露わになるSDLの一方の顔に今回は接することが出来なかった。

 須藤さんは最後に「中山英之先生の事を知ろうと思って、雑誌を片っ端から読んでも全然わからないんですよ。佐藤さんの公開しているweb記録を読むと、すごい解るんですよ。建築雑誌を読んでもわからないんですよ」なにげなく発言していた。須藤さんに有効な記録であったとは好ましいことだ。雑誌に掲載されるはずがないけれど、建築を目指す若い人々や学生たちに必要な記録とは何かを考えながら今後も記録づくりを続けようと思う機会にもなっていた。(続く)


7月23日 猛暑 冷房なき室温 35℃弱 扇風機を回転させながら作業

■SDL2018日本一決定まで(その3)
 日本一決定戦自体が内包する問題を記すことを先に延ばし、参加学生、二人の声を紹介してみたい。
 http://www.fullchin.jp/sdl2018/kiku/05fuku/01/fuku01.html 
 まず初めにSDL100選に選ばれ熊本大学を卒業後、YGSAに進学された福留愛さん。4月8日、横浜港あたりを4時間ほど彷徨い聞き語った内容の記録から紹介する。彼女の肉声を通して参加学生の思い、主に動機、経費、熊本大学内での評価などを知ることで、私も初体験だったSDL入門の基礎知識を得、諸問題を掘り下げ知るた準備として福留さんの貴重な声をWEB記録にしてみた。
 福留さんは鹿児島県の島で生まれ、熊本高専から編入され熊本大学を卒業されたそうだ。高専から手書きで図面を書くことが多く、実社会に出れば日常に使うだろうCAD製図より、現在は手描きがしっくり来るとのこと。プレゼンは数十枚の手描き作品に力を注ぎ、3人分の壁を使い大学内にならべ最優秀賞になったそうだ。  SDL2018にも絵を多数出品したのだが、審査員にはあまり見て頂けなかったと語っている。332作品があるSDL2018ではパッと目立につく模型が観客のハートを掴むための最適なプレゼン手法なのかもしれない。
 私が出会ったもっとも遠い大学から参加した福留さんは全国の学生が一番多く集まりそうなSDL2018へ的を絞り参加した。反省や気付き、福留さんの卒業設計の内容に加え将来のことなど多く語っていたくことが出来たのではないか
 
 福留愛さんに聞き語る 

 2018/7/23 公開
 熊本大学から出品 100選
 エスキス塾参加
 YGSAに進学
 全国の人が一番集まりそうなので参加

福留愛さんに出会ったのは SDL2018の審査員の打ち上げ会場だった。呑み会の席には辻審査員の呼びかけで多数の学生が乱入し押しかけ来た。私も多くのと出会い学生と語ることが出来たが、なぜか福留さんとだけがSNSの友達申請をしてきた。遠く熊本大学からたった一人で参加していた福留さんに多くを語って聞かせてほしいと思い返信した。ほぼ一月後に横浜港界隈で再会し、SDLへの出品理由などを詳しく聞き取ることができた

 打ち上げの酒宴に参加した学生にも、片っ端から聞き取りに応じるように声を掛けたつもりだったが、快く応じて頂いたのは、福留さんだだ一人だった。長い間に偶然にも色々な建築系の人々に出会うのだが、縁が生じた後著名になる人が多いように思う。快く誰にも応じて語り合う人がそういう道も拓くのかも知れない。


 7月22日 薄曇りにても猛暑なり

猛暑の時は何もせずを心掛けている数十年暮らしているが、今年の猛暑期間は長すぎる。トマトジュースで塩分補給しつつ水分も沢山呑む。例年のようにお盆過ぎまで猛暑は続くと覚悟を決めている。桃は甘いかもしれない。
 今日は内閣不信任案提出について話題になっていた野党の3時間ほどの発言を衆議院TVで拝聴した。立法府のなかで議論がなりたたない異常な審議が目立ってた。保守派がほどんど見当たらない与党。高度成長期が終わり縮退社会や人口減少、財政難とともに、今後は社会が崩れ続けるのだろう、よく観察し続けてみたいと思う中継だった。

メモ
会場構成
打ち上げなど
大学での評価と異なる評価
コメントを得たい
時間配分
評価軸 (ばらばら 挙手、各審査員の総評がない 個人賞も無い)
審査員 

 7月19日 薄曇りだけど気温は35℃ぐらいだろう

 このところ以前は全くつかっていなかったが扇風機を持ち出して、昼夜弱にして涼風に当たる

SDL2018における日本一決定まで (その2)

 卒業設計日本一決定時の事を少し(その1)で書いた。重なるが日本一決定までを追ってみる。
 「どのように日本一を決めるのか」という方法と手順、「せんだいにおいて日本一はどういう意味なのか」という一定の評価基準。この二つが審査員内で統一されないまま、あるいは無いまま第一回の投票が行われた。過去15回もそういう順序だったのかは分からない。
 実行委員会は決定戦の時間割だけ決め、その他の内容は壇上の審査員に一任しているのかもしれない。票は何を意味し票数はどう扱われるのか明らかにされぬまま審査は進んだ。壇上においける決定時に票が多いファイナリストと、票が剥がされてしまった学生からも異議・質疑の申しでは無かった。

 委員長は卒業設計の評価の困難を語るのだが他の審査員の反応は無かった。唯一、一番若い辻審査員は短時間で選べという運営時間の縛りに対して違和感を表明した。「時間的に拘束されながら決めるスキの無さをどう思うのか」との発言だが、辻審査員の発言は「177番への一票に対する自己弁護だ」と誤解されたようで窮屈な時間割りについて議論は深まらなかったし、発言の意図も理解共有されなかった。
 その点はSDLの今後を想うと、話し合いの時間延長をするなり、作品数をもう一段絞って5作品にして決定時の討議を熱くする方向へ一方踏み出す機会であったと思えたので語り合ってほしかった。

 割れた票を観てか「本当は評価するのは無理な話を無理やりやっつける・・票の多さじゃなくって共感できる作品・(審査員)一人一作品を選んで(日本一を)決めちゃいましょう」と委員長は先の問題指摘を具体的に語り継いだ。加えて「どういう評価基準で選んでいるのかと、いうのを一言」と評価基準を明らかにすることを催促した。一位決定ための投票の間、各審査員の評価基準が語られたが、意図と内容を充分に理解できず、共感できる評価基準も少なかった。

 このように進み一位だけを決めるための第二回投票結果は、36に1票、168に2票、177に1票、360に2票、115に1票となった。

 そこからの展開も予想外であった。審査員同士の議論が対立したり、各自の日本一決定への熱い解釈述べられ、強く推す作品の解釈をする訳でもなくなかった。迷走し始めるのかなと思った時、360番の学生が「自分の評価軸を喋っておきたい」と発言した。議論の場を作る事が目的の一つだと聞いて観戦していたのだで、360番の評価軸発言から議論が沸騰するのだろうと思った。だが、議論は起きなかった。日本一位決めも二位も三位決めも挙手で決きり、討議を放棄したような場となりSDL2018は終了してしまった。

 卒業設計を評価し討議も起そうとする、日本一決定戦そのもに無理や問題があるのだろうか (続く)





 7月17日 曇りのち昼頃から照りだす 各地猛暑が続いている
■my長男 29日午後大学構内で学術会議に招かれ講演するとのこと。11日の参議院に招致にて陳述したばかり、多様な活動が各所に認められつるある証だろう。「東日本大震災後の10年を見据えて」午後1時半から東北大川内キャンパスにて開かれるようだ。
 各地に暮らし同じ思いを共有している大勢の仲間の存在、所有者の協力、所有者が暮らす教育委員会などの行政の方々の理解、さらに多数のボランティア支援など続いているから、多様な発言の場が与えられている。発言が理解され一層貴重な郷土の歴史的資料の保全と解読が進む道が拓かれるよう願うのみ。

    
  (絵はwebよりカット)


 7月14日 曇り時々晴れ 


SDL2018における日本一決定まで (その1)
「SDL入門」として日本一決定方法についてSDL2018の決定経過をなぞることで日本一決定経過における問題点を考えてみたい。簡単に時系列にそって書いていく。
http://www.fullchin.jp/sdl2018/0hon/01/ho201801.html
 初めに10人のファイナリストによるプレゼン及び質疑応答が行われる。次に審査員には投票準備をはじめる。予め大・小3票ずつ渡されているので、手には6票持つが3票しか投票できない。だから各審査員は3作品を選び、大小の丸を決め票を投じる。ここまでは実行委員会が決めたルールである。
 票を投ずる直前に審査員長は「僕すごく優柔不断だから、周りの人が言うと、それに乗ってしまう。だから紙に書いちゃだめですか」と司会者に投げかけることで、他の審査員の選定理由に各審査員が影響を受けることと、そういう審査員の出現を封じた。同時に予め決められている実行委員会の日本一決定の手順を改変し始めた。
 審査委員長の提案は実行委員会からも各審査員からも異論が出ず、審査員は手描きで紙に書き提出する。係員によって予め用意されていた掲示板に色違いの大小の丸を貼り付け、審査員の意志と評価配列を可視化することで観客とも共有する。第一回投票はこのように進んだ。
 ここまででの問題の一つは、丸票が果たして何を意味しているのか不明なことだ。各審査員の持ち点を100と決め10作品に任意に配分するなら、10作品への審査員それぞれの優劣順は明快になるだろう。が、そこを意図的に避ける選別方法を選んでいる。大小の丸の投票にとどめている点はなぜか。それは議論の余地を残すという大人の態度なのかもしれない。それはアンデパンダン展のシステムとして好い選定手法なのか。

 次に各審査員が3票を投じた理由を順に語り終える。繰り返すがその前に問題にならなければならないのは各審査員が10選に点数でもって順位を決めて点数を配分していないとういう点でもある。大小の丸は気分を表しているので厳密さに欠ける。丸の獲得数の多少は日本一決定時の議論の評価にいっさい影響を与えないと明言もされていない。それが表明がされていなのが「卒業設計日本一決定戦」の特徴として共有されているのかもしれない。後の聞き取りで実行委員長は「ゲームであり・・代理戦だ」とも語っている
 曖昧にすることで審査員同士の議論拡大と深化させようと企てているならよいのだが、選定作業と結果と観戦した体験を持て記すと議論も起きず、時間内で挙手によって決めてしまった。それは参加学生たちにも観客にもいささか喰え切れない不親切な結果と映った。
 審査委員長の総括はその欠点を正確に、かつ巧みに実行員会と選者を傷付けない表明になっている。100選時にも起きていた事であるが、投票数が多数にも関わらず100選に選ばれない作者からは、中指を立た抗議画像が投稿された。幸というか10人のファイナリストからは、審査方法の不明確を突く発言がなされなかった。このなれ合い構図が16回続いていたのか、それは私には分からない。

 さらに各審査員がそれぞれの作品にコメントを与えない、好意的か嫌いかと単純に二項対立化し意見を述べている終わることも多い、その点も問題だろう。多くの参加学生は大学内での講評とは異なるコメントを多く求めて仙台に来ているからである。コメントを与えるよう務める努力を実行員会は惜しんでいるように見える。
 さらに加えれば各審査員から総評がなされないことで、不満をもった審査員は壇上を後にしなければならないし、学生も生煮えのまま会場を後にしなければならない(続く)



 7月12日  長い夕立くる

■my長男が11日に立法府でおこなった意見陳述について、FBの反響は今日もつづいている。よい方向に法整備が進むよう願いばかり。
 東日本大震災復興特別委員会のインターネット中継動画の内容は永久保存されいつでもだれでも視聴できる。翌日にはアップされる手際の良さ。以下コピー

東日本大震災復興特別委員会(第六回) 参考人の出席を求めることを決定した。東日本大震災復興の総合的対策に関する件について参考人豊橋技 術科学大学学長・福島12市町村の将来像に関する有識者検討会座 長大西隆君、東北大学災害科学国際研究所准教授・特定非営利活 動法人宮城歴史資料保全ネットワーク事務局長佐藤大介君、避難 の協同センター世話人熊本美彌子君及び東日本大震災避難者の会 Thanks&Dream代表森松明希子君から意見を聴いた後、各参考人に対し質疑を行った。  以上がコピー

■ SDL2018 日本一位の作品
 建築をはみ出してコンピューテーショナルなデザイン手法を用い建築らしさを保ちながら生物的に動く抽象的な生命を創った案
http://www.fullchin.jp/sdl2018/p/360/360w01.html
ピーター・クックの「シティームービング」の巨大で動く建築を思い出す者は多いかと思う。彼の作品はエネルギー源を外部に依存受動する小さく生物的であることを目指しているので、植物のような静謐な動きだけである。同時にピーター・ズントーによるブレゲンツ美術館のあからさまな二次創作品。ズントーに敬意を表しつつもなぞり過ぎることなく骨を抜き、表象をパロディし消化しすることで、自らの世界を示し次の目標も手に入れていた。
日本一決定戦の前日、旧知の先生と全作品を観て回る機会があって「この作品が日本一になる」と呟いたら「大学内では評価が低かった」と話していた。...
決定戦の舞台上で彼は「ここで一位しゃなくってもぜんぜんいい、一位になっても建築家になれるわけじゃない」と発言し、SDL裸の王様!発言をした事も記憶されるだろう。仙台に日本一位を取りに来て一位を手に入れるためのタイミングを知り発言する彼の勝負勘の良さと大胆さは、審査員を神的に思いこんだりし16回続いてたSDLでは無かった事態なのではないか。
 後日、彼が進学した工学院大学傍の居酒屋でインタビューした。その聞き語りの記録は公開可能な内容だけにまとめて完成している。後日公開するので、この作品が生まれる必然としある日常・その背景を知ってもらえるかもしれない。


 居酒屋で呑み語っていた、渡辺顕人さんが目指す到達点の一つは、建築系にありがちな巨大な全体を持った生物ではなく、目で確認することは不可能だけれど、それらによって作り出されることで起る現象は巨大な全体を持つ建築や活動の場さえ包み込んでは消し去ってしまうほどに、巨大で微小で明滅をくりかえす。まるで彼自身のような儚さが自明の建築である、と想った。

 7月11日  

■my長男が今日開かれる、参議院の東日本大震災復興復興特別員会に招致されるとの知らせあり。(参議院インターネット中継に日付を打ち込み審議内容の全てが動画データは保存されているので何時でも視聴できる) 絵はインターネット中継より撮る

 311以降も、各種災害に襲われるたびに被災地各地にある個人の居宅に保存されている日本特有の歴史的資料が失われている。
 日本各地の個人の家屋敷内に保存されていることは、世界的にも稀な歴史的資料の保存方法なのだが、民間任せっぱなしの状況なので共有されるべき貴重な過去の記録(記憶)は、常に処分されて消えてしまう状態は明治維新以降続いている。
 さらに崩し字などで記述された内容を現在の人々はほとんど読めないのこともあり価値の無い紙屑に見えてしまうことで、災害後は汚いゴミとして処分されてしまうことも多い。
 現在は、古文書の保全に関する法整備が無い中で、研究者や少数の有志の努力によって細々と保全活動は行われている。そういう状態なので、頻繁に起きる広域的で同時多発的な地震や水害などに遭うと、手の施しようが無くなり、貴重な郷土の先人たちの記録が失われてしまう。そのことは郷土の記憶の拠り所とそれ自体が消滅してしまう記憶の喪失を自ら進める事態となる。
 今日の意見陳述で委員会の代議士たちのみなさんに理解いただように感じた。まずは法整備の1歩となる我が家にとっても記憶すべき日となった。

■my長男 FBより



 7月10日  たり  夕立来る

■西日本豪雨、多くの河川が氾濫し死者159人、不明56人 とニュース。気象庁から重大な発表があっにも関わらず緊急対策本部を立ち上げず自民の主要なメンバーが酒宴をおこなってた。「豪雨が迫る5日夜、赤坂宿舎で安倍首相らを招いた自民中堅・若手議員による懇談会「赤坂自民亭」が開かれていました。会合で「女将」を務めたのは上川法相。翌日には松本智津夫元死刑囚ら7人の刑執行を控えていました」


 福島県選出の代議士の顔もあるな〜・・・一刻をあらそい被災民の生命や財産を保全しようという意識が欠如した代議士たちの姿が露わになる。
 避難先が学校の体育館の床に段ボールを敷いて雑魚寝という貧相な場でいいのかという問題提起がようやくTLで流れ落ちてきている。

■ SDL2018 二位の作品
 建築空間を体験するたびに既存の物語に囚われず自らの物語を紡ぎだせる建築的システムの提案。 http://www.fullchin.jp/sdl2018/p/168/p168wa.html
 言語学者の母親から物語、言語、言葉の面白さを学び、建築との融合を図ることでうまれた空間だと語る。家族の風景が垣間見え微笑ましい。
 1966年フーコー著『言葉と物』をさらに遡り、ラウジミール・プロップがロシアの昔話を構造分析し1958年出版した『昔話の形態学』を基に、物語記号×建築記号=記号空間と仮定。4.5m立方体を敷きならべ4層構造にて建築化を企てている。内部空間が主となり、フィクションが重層体積する現実の外部との関係は放置されている。
 参照元が古いかもしれない。「膨大なサンプルを集めビックデータをAIで解析したら、こないなりまりす」と、母・娘にて創出した物語記号を用いる方が、さらに好ましかっただろう。

 7月09日  のち曇り夕方

■西日本を襲った大水害で死者が100名を超えたとのニュースがある。まだ取り残されている人もいそうだ、一刻も早い救出されるといいが。
 ライフラインがズタズタに分断されて、電気、水、食料、衣服、夜具など届いてないようだ。2階に非常用備蓄品を確保している人は存在しないのではないか。

■SDL2018三位の作品をフェースブックで紹介する。
 持家政策によって1970年前後に多数建ち並んだ工業化住宅を一つの手法・クランプ=建築的細胞によって、各メーカー戸々の構法を消尽しようという提案(仮説)http://www.fullchin.jp/sdl2018/p/36/p36wa.htm
 「 もの」と「物」の関係性を調整するだけの提案なので、全体性を持った建築を志向するサイド(提案者にはドン・キホーテ集団に見えるはず)から評価はされない。しかし全体や理想を語ることに疑いを持ち始めた80年中期以降の不全感を共有するサイドからは高い評価を得た。
 SDLを初めて観戦したので「この作品が旧来の建築の終わりを告げた卒業設計だ」と言えるのか判断できなかった。が、クランプ一つで決定戦に挑戦した三位を得た学生の姿勢は記憶されるはず。

 7月08日 

■数日で1000ミリ以上の雨がふっているようだ。水害が西日本各地を襲っていて、80名ほどの死者と行方不明の方も多数とのTLがながれている。これ以上甚大な被害にならないように祈るだけだ。線状降雨帯恐ろしい。

■映画館・フォーラム福島の阿部支配人による講義を拝聴する機会があった。主催は前世紀末に偶然知り合ったW先生。先生は高校で国語を指導されている方で、311後、被災高校生の生の情報を元に映画や演劇をつくり全国にて発表してる稀な先生。(多数の先生方は自主規制中にて声を挙げないようだ)
 せんだいメディアテークからも3名参加されていたので、SDL2018に関しても聞きく機会を得た。アメリカの研究者と博士課程学生が3名、フリーのジャーナリストなどが参加していた。
 1時間の阿部支配人の講義のあと2時間のフリートークがあった。多様で真摯な発言が多数あった。途中退席したので前半の内容だけを、発言者に差しさわりのない程度に記録しておく。

 題は「311後フォーラム福島は何を上映してきたか」で小さな閉じた会合だったけれど、時間の経過と共に露わになっている被災当事者しか知り得ない、長期化する家族内対立や分断について、言語化することで心情が失われる暴力について、棄民されていると感じる心情に至るまでの心の動きについて、首長からの言論封じに遭っている事実などを含め多くのことが語られた2時間。
 今なおを続く繊細で弱き被災民たちの生きている間には解決されないだろう、政治の議題には登らないだろう、原始事故後の厳しく、解決の手が差し伸べられない袋小路にある多くの事実を知る機会となった。
 「映画から原発を考える」に関した上映は62本で、福島県内の被災民が制作した映画は1本もなかったと思う。

 今後は、数本の自主制作作品が実行委員会形式での上映計画があるそうだ。その中の福島市出身でフランス在住の方と大芸の学生さんの作品に興味がわいた。彼女・彼らは福島市内に暮らす両親や家族を被写体として映像を作っているようだ。外部に出たからこそ客観視可能な態度を持って作品を制作しているように思えた。
 映画中には公式の場ではけっして明かさない、明かしても取り上げ政策にされない、低線量被災民の現在の心情を強く伝える内容が多くふくまれていているようにおもった。試写会の様子を聞いていると、一見なんの問題もない公務員諸氏の中にある、心に重い蓋をし続けて生活している被災者の現実が露わになっていた。何の変哲もない福島の日常に生きる市井の人々の声と映像に触れることで、辛い事態ではあるが、はじめて公務員=被災民それそれの真の自らの言葉を回復して行く切っ掛けを与えられているとのこと。多くの被災民が観て涙しならがでも語りだしす機会を得ているようだ。(高線量下でも自分は気にしないと公言し続けた人間もいる)

 さらに追記すれば、低線量被曝下に暮らす人々の中でも、自主避難によって家族が離散状態で暮らし続ける、行政からも見放される人々の苦悩と困難、「苦悩に埋没してしまう」消耗の日々についても詳細に語られた。

 行政や大学関係者、原子力やそれに関する災害の専門家などが主体となる講義は、ポジショントークならびにその好き行為のオンパレードで埋められてしまうのが常である。数日前の小さな会合はそれらとは全く異なる意味を持ち、被災地に暮らす人々が知らなければならない事実の一端を知る機会だった。(加害者側によるフォーラムは開かれないので参加しようがない)



 7月06日  

■西日本を縦断するかのように梅雨前線が停滞していて、数十年に一度おきるような重大な災害の可能性が高まっているとのこと。線状降雨態が面状降雨態になっていて、数日まだこの状態が続くようで、広い範囲で大災害が予想されているとのこと、早めの避難にて安全を確保してほしいものだ。

■一連のオウム事件で死刑が確定していた麻原教祖を含め7人の刑が執行されたようだ。聞いたことないほど異例の人数の一度の死刑執行。NHKは前日に死刑執行を知っていたようで、タイムラインには多様な意見が流れ落ちている。三女への酷い書き込みも溢れたとのこと。

・被害者の会の代表の高橋さん「松本死刑囚の執行は当然だと思っていますが、そのあと死刑が執行された6人の名前を聞いたときはどうきがしました。今後のテロ対策や防止ということで、もっと彼らにはいろいろなことを話してほしかった。それができなくなったという、心残りがあります」などと語っているよう
宇都宮弁護士は「地下鉄サリン事件遺族のなかには、麻原の死刑は求めるが他の信者については死刑にすべきかどうかという意見もありました。当時、麻原のマインドコントロールで犯罪に手を染めた人も多い。教祖と他の信者を分けるべきではないかという意見があったのも事実です」などと語っている
・宗教学者の島薗進氏は「麻原死刑囚の最近の様子を聞く限り、今後、回復して新しい情報を語り出すとは考えられない。原則、死刑反対の立場ではありますが、特にオウム真理教の事件に関しては、凶悪で人の命を簡単に殺める思想を広め、実行したという意味で人の道にもとり、人の心を救済するという宗教の体をなしていなかった。・・・・麻原死刑囚と一緒に、一度に多数が死刑に処されることには疑問を感じます。麻原と他の死刑囚と、罪の重みは違います・・・弟子たちの罪の重さはそれぞれ違うと思います。全て死刑でいいのかという不確かさが残る。この件を通して改めて死刑制度についても議論が進み、認識が深まるといいと思います。・・・」などと語っている
・松本サリン事件当初、犯人と間違えられてしまった河野義行さんは「事件は終わっておらず、再発防止のために真相を明らかにする努力をすべきだ」と訴え・・・「事件の再発防止のため死刑執行の前に、彼らが裁判では話せなかった真相を国として聞き取って明らかにする努力をすべきではないか」と訴えたとのこと


 7月05日 曇りときどき 厳しい暑さが遠のいて過ごしやすい

■関西など西日本では台風と前線の影響で大雨が降ったようで、川の濁流画像を多く見た一日
■昨日誕生日の祝いに買ってもらったズボンの裾調整が出来たので店まで行く。メタボ体形ではないのだが、股下寸法より腹回りのそれがデカイ数値とはやや呆れる
 四半世紀患って引き籠っていた家人も、普通のおばさんと変わりないほどに元気になりつつあるので誘う。駅前の蕎麦屋で夕飯ついでにビールも呑む。

■3月初旬に仙台のメディアテークで開かれた卒業設計日本一決定戦の記録を公開し始める。多量の情報なのでフェースブックで説明しないと、記録を開いて観ても興味がわかないかもしれないので、すこし説明文をつけておくと親切かもしれない。明日からそうしてみよう。1ヶ月かかって全部公開したいものだ。

 7月03日 晴れ後 夕方雷来たが夕立来ず

■仙台市内を流れくだる広瀬川で魚(サクラマス)が大量(2000匹)死んでいるのが見つかりニュースになっていた。水量の不足と水温が上昇し酸欠を起こしたとのこと。ダムの放流水を増やして対応し始めたそうだ。
■3月に行われた せんだいデザインリーグ日本一決定戦の記録を整理しはじめた。今月末に一気に全て公開する予定だったが調整があんがい面倒なので、1ケ月かけて公開していく事に切り替えた。明日から公開したいので暑い中コツコツ作業していた。

■お茶の水女子大、奈良女子大でも性自覚女性なら入学可へ。男女のホルモンバランスを崩し男女間を揺れ動くトランズジェンダー若者に朗報だろう。




 7月02日  カンカン照り 首タオル要

■椅子に座ているだけでも額から汗が噴き出す午後。東北の梅雨明けが告げられたのか知らないけれど、夏のような気温が数日が続いている。伊達市内では35℃超えの気温も記録されたようだ。雀は元気に囀っている。
 沖縄には台風が襲い北上中。その影響で福島も数日後は雨らしい


■次男 居間を真夏仕様に変えた。
■SDL2018における10作品のプレゼン内容と審査員の言葉や日本一決定時の応答を公開するために、再度読み直し始めた。目標は7月末公開だったが、今週末にはそれらを公開してしまいたい。コツコツ作業し始める

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