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2018年6月の日記 |
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6月29日 ■カンカン照りの福島市内の我が家だが、関東地方が梅雨明けしたそうだ。6月に梅雨が明けたとは!聞いたことがなかった。今年の夏は暑くって長いのだろうか。大地に水分が少ないと果物の甘味はますが、桃の実は大きくならないだろう。桃好きとしては雨が多すぎると甘味がないし、雨が少ないと実は小さいのでは、などと一月後に出回る桃・暁のことを想ってしまう。 ■午前中に参議院にて働き方関連法は成立した。(竹中悪法呼んでみる) 資本主義の終焉の時間帯に起きている、悪あがきは、実社会で働く労働者を絞りに絞って、労働者は死んでしまってもいいかのように、サラリーをいかに配分せずに収益を挙げようとしている。まず目先の銭に目がくらんでいるかのように、その事で足下にある社会を壊していても、気付こうとはない。何しろお金は記号だから、人間がコントーロールし搾りし続ける動きを止めないと、どこまでも搾り上げようとするのだから。銭を増やせば幸せになるのだろうという、人間の幻想には底が無いので厄介だ。 派遣法成立後の現状もひどいもんだが、働き収入を得ることで成り立っている日本の社会を、さらに流動化させ、貧富の差を広げる。格差が明らかにしてしまうことで、人々が分断され、他者に関心を持たなくなることだろう。そこでは共に生きるようとした優しさなどで、成り立っていていたはずの日本の地域社会の良さを消し去る悪法を主権者の多くが支持しているとは思えない。 今後の社会の荒れ、さらに他者に無関心で不寛容さの増長する様をじっくり観察していこう。 ■サッカーワールドカップの予選が始まっていて、そろそろ終盤のようだ。昨夜、というか深夜に日本が1:0で敗戦したが決勝戦に進めるようになったとか。で、引き分けまたは勝ちに行かない監督への不満や、リーグを突破することが目的なのだから高度な判断だ・・などと、SNSのTLに色んな意見が落ちてきている。 「時間稼ぎ」が問題なのではなく、他の試合結果に運命を託したことが問題。セネガルが1点返したら、もうお笑い種もいいところ。戦術云々ではない、本当に」、と書く人も。 スポーツの場合、負けて・勝ち上がるというのは矛盾だ。リーグを突破するためだけの小賢しい待機作戦が生まれるならルールの不備なのだろう。負けても勝てるとして観る人々もストレスを抱えてしまいファンも減るだろう。聞いてても即理解でくにくい微細なルールで決めずに、2、3位が決まらない場合は2、3位でもう一戦おこなって決着する、分かり易いルールにするのがよいのではないか。(体力消耗するのだろう、プロリーグから反発起きそう) 今年のワールドカップ終了後ルール改正されるべき。 |
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6月24日 沖縄地方は昨日梅雨明けしたそうだ。暑くなったり涼しかったりするので、着たり脱いだり繰り替えずこの頃 ■数日前に映画 『万引き家族』を観た。 |
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6月20日 小雨もあり ■今日は朝からPC用マウスの調子が変だ。壊れたのかもしれない、web頁をつくるためにマウスを使うので不便だ ■SDL2018に関する聞き取り語り用WEb記録がほぼ出来た。どういう順序でどこまで公開するのか、数日考えているのだが、思い至らない。急ぐことでもないので、もうすこし時間をおいて色々考えてみることに今日はそうした。 ■18日午前8時すこしまえに大阪府の北部を震源とした震度6弱の地震がおきた。通学途中の小学生が学校のプールの目隠しのために後付されたブロック塀が倒れてきて亡くなられた。建築に関わる者として市が構築した構築物で子供が亡くなるなんて、どうなっているのか、情けなく思うる。失わずに済んだ命。責任を負い、多くの人に震災時の建築の危険性などを知らせていくしかない。知り合いの方が怪我したりしていないようで、すこし気が落ち着く。 ■16日に黒瀬陽平氏による建築の日本展への本質的で痛烈な評批あり。以下引用 ネット炎上してたようだけど、全て追うきにもなれず放置した>>本展は、この国の歴史において、ある周期でやってくる排他的な「固有のもの」への信仰 |
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6月15日 梅雨入りして日照時間がすくなく夜になり気温がさがっている ■花田達朗先生より サイト更新依頼があり作業をしませる ■ 竹内康先生による講演の記録を完成。先生に連絡する。博士論文が完成していないので、web公開はまだ出来ない。 返信で映画のURLを教えていただい。ので貼る。 |
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6月14日 ■1日の夜、竹内康先生のライフワークに京都の地蔵に関する研究内容の講義拝聴したが、文字にしてみた。文字にすると一層分かり易くなる。一時間半分の内容なので、15分毎に分けて、6web頁にしてみた。時間をみならがすこし整理し読みやすくしてみよう ■my次男 尼崎あたりまで荷を運んで戻ってきた。仕事にもだいぶ慣れた様子なによりである。 |
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6月11日 梅雨入りしたそうで 気温下がり掛け布団要る ■花田達朗先生の 「退職教員からのことば」に関するweb頁を作る。花田サイトを新しいい形式のwebにして、慣れてないので応答と作業してたら、1日があっというまに終わってしまった。 「自由からの逃走」ではなく、逃走の自由を!の題のweb頁をつくりアップした。「・・・若者にとって今必要なのは、開かれた出口へ向かう「逃走の自由」(Freedom of Escape)を我が身にキープすることだと思います。 俺も長いあいだ若者や子達にも、無駄な努力はせず、不自由からは「逃走」して考えたり、逃げ続けてよき環境を手に入れること、そんな生き方を薦めてきてきていたので、同意する。 しかし、現況は花田先生が書くように 「社会学的に言えば、「政治的無関心層」の拡大を招きかねません。その拡大の中から、強い権威を求め、それに服従する流れが生まれ、その社会心理をナチスが利用したのだという分析を提出したのが、エーリッヒ・フロムの著書『自由からの逃走』 自由からの逃走する人が増加の激しいし、困難が幾重にも重なる政治状況だ。(参照東浩紀 “首相の嘘”は「囚人のジレンマ状況から生まれた構造的なもの) 同意するも、近頃は平野敬一郎氏が唱える「分人主義」による、24時間や所属領域の渡り歩きによる、自分の使い分けにて、人間関係によって生まれ出る苦痛の乗り越え方法や、東浩紀氏により『ゲンロン0 観光客の哲学』にある、ある種の積極的無責任者の存在になち生きるのもいいように思う。 そのようにして善悪はっきり分けず生きつづけ、合った環境を得てしまうて生き方も、意味深いことだと思うようになっている。 一昨日だったか自殺願望の若者が東海道新幹線の客車内で鉈を振り回し、無差別殺人事件を起こした。死刑制度があるから、他者を殺せば自殺と同様の結果を得ることが出来るとの倒錯した考えが起こした事件だ。 若者にあっても、逃げたり、観光客になったり、分人したりし、、それらの合わせ技にて自他に害を与えず賢く生き続けて欲しいと思う。 ■東アジアにとって明日は歴史的な日になるかもしれない。米朝首脳会談がおこなわれるそうだ。朝鮮戦争休戦を終え、長年の不作為を脱して平和協定まで進むのか、興味ぶかし。 半年前までは戦争前夜と煽り、どどの詰めりは兵器を大量に押し売りされただけ。日本政府の米国べったり外交しか手がないと逃げまくる。政治家は無責任極まっている。 自主外交は無いような様を永年のあいだ見続けているけれど、今回の様だと、米朝平和協定がなったとしても、日本は戦後のままが続く。 |
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6月7日 最高気温30℃ほどか 暑い ■昨日は「仙台デザインリーグ2018(SDL2018)実行委委員長の聞き語る」のweb頁を作った。ほぼ出来たので実行委員長に連絡した。午後、熊本大学の福留さんに聞き語るweb頁に新たな画像を貼り付けたりして、少し手を入れた。 SDL2018に関係する聞き語る記録はほぼ仕上がった。2ヶ月半こつこつ作業を続けたが、3月中頃はセータの重ね着・冬装束だったが、今日は半そでシャツで十分、気温は夏になってしまった。まだ梅雨入りしていないのに、暑い日が多い感じだ。、 ■5日 いつだったか思い出せない病が重くって出かけることができなかったので 10数年ぶりだろう。家人と外食。正常な行動ができるまでにはとても時間掛かるものだ。もう四半世紀はこんな状態が続いているけど、最近はとても平凡なおばさんの様でよい。 家人と電車に3駅乗るのは退院後2度目だろう。もしかすると20年ぶりかもしれない。思い出せない。 駅について動きをみていたが、大勢の人の群れに交じっても異常を感じることがないようで安定した動きだった。洋服店も3軒ほど回ったが洋服を試着したりして、いたってふつうのおばさんの行動と発言だった。 薬害のせいで顎の筋肉が緩んでしまうのはしかたがない。電車の乗った目的は福島駅構内の寿司店にて海鮮丼を食べること。電車でたった7分ほどであるが、ここに至るには10数年の闘病期間が必要だったのだ。 生きている間に仙台や東京まで新幹線の乗って行けるようにしたいものだ。ときどき電車に乗る練習を積み重ねていこう。 |
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6月4日 カンカン照り 今日から 聞き語りの記録づくり再開。今週でまとめたい。昨日までのこと ■3日午後 歴史資料ネットの総会。@ 東北大文学部講義室。この15年間の政策立案する+資金集める旧平川理事長から、中継ぎ、現場監督型と称する齋藤新理事長へかわった、齋藤先生の刮目すへぎ町おこしマネージメント、市民にやる気起こさせるプロへバトンは渡された。公から民との活動領域広がって融合活動になるかもしれない。 金をどう手に入れるか?自前で集金一人立ち、一人でやるぜーの磯田型がそだつのか、平川型の団体寄付+公的財政確保の延長か。資料ネットの役割りは充分果たして、来てるも、今後の展開も楽しみである。俺はウロチョロ歴史遺産と地方の精神に触れさせていただくだけで嬉しいなり。 南東北に度重なる地震起きた、15年間を振りかえつての語りは音録しました。 限りなく金が無い、対象は広大なのよ!その領域のささやかにみえる活動であるが、建築領域にある、あの胡散臭さと権力闘争てき妬み合い争いがない。生臭くなし。清々しいほどの人の過去の営みの一部だけが広がて今も見えてしまうだけ。政治闘争史は記録が残り難いのかもしられない ■2日 昨夜呑みすぎで二日酔いきみだったので、汗をかいてアルコール分を発散させようと思い立ち、塩竃のゑびや旅館の3階の桜の間を観に行く。明治天皇巡幸のおり好色と伝え聞く大隈重信がとまっただろう桜の間はけばけばであった。エロ事をおさめるのにここまで要るとは想像力が無さすぎる、過剰な演出はエロケを抜くにはいいのかな、刀を隠す仕掛けの刀隠しのばしょなど、色々説明を受ける。面白かった。木造三階縦なので観覧者数を限り ボランティアボランティア付きで使用か可能となる建築なんだろう、年老いたガイドたちの生きがい作りも兼ねていてなかやか NPOしおがまやる(齋藤先生の仕業である) ■ゑびやゑ旅館を見学したあと、311直後、塩竃定期船にのり島々の被災を見てあるいたのを思い出して定期船に乗る、往復2時間の旅で島々の生活に触れることができるちょっとした海外旅行である 往復1200円ほど 終点の朴島まで行ってみた。 島々は防潮堤の工事中だったり完成したりであった。船着き場ももとのままだったり色々だった。二日酔いで潮風に当たるのは効果的である。 ■1日夜6時から 東北工業大学の竹内泰先生による市民公開講座があったので拝聴する。お題は 京都における地蔵の配置に関する考察をベースに京都のまちかどで祀られている地蔵についてです。先生のライフワークの一端に触た。浄土宗系の地蔵は町の中でどのように位置し祀らせ、祭りとして継続してきたかを解明する、歴史・宗教・都市・建築・民族学などの多様域にまたがる解明研究だ。これは研究者としてはやりがいがある仕事である。その事をしった。 時代風俗としては古い因習として嫌われたり活用の仕方を再発見されもてはやさ仕掛けである。そこを1000年スパンで見通しを極めるのは博覧強記と博識でなければ挑めそうもない。(または大人数で連携して研究するとか手はあるそうだ)れるはれみましよー 講義後、仙台市内の文化横丁のいつもの焼き鳥屋で呑む。がばがばビールを注ぐ竹内先生のおしゃくでかなり酔う |
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6月1日 気温の変化が激しい日が続いてる今日は衣替え ■ 花田達朗教授 最終講義録 ようやく完成した。本文欄を左に移動し、備考欄を右に入れ替えスマフォ対応にしてみた。日記の欄と並びとは違えている。 web頁を始めた2000年ごろはスマフォが無かったので、HPはPCで見る情報だったんだけど、いまや携帯からスマフォへと持ち歩く電話から持ち歩くPCと変わり小型化し、ちょっと空いた時間でスマフォを見る者だらけの社会だ。 発信するためのWEB頁もその状況に合わせた対応をしてみた。対応が遅すぎるって気もするんだが、なにしろ新しい機材が定着してこの傾向は続くだろうと思うまで、年寄りの俺には時間が掛かってしまうのだ。 |
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