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    2011年  09月の日記

    
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 9月30日  どんより気味の 

■昨夜は夜更かしせず寝たのだが 頭痛が残っているので10時半まで床に伏せる。家の傍にある混在スーパーで求めた 丸綿は小さくって 息を吐くたびに飛び出ちゃうので 福島駅ビルの中にある薬局に出向き やや大きい丸めんを買う。病院で使っていたような大きな丸めんは、福島の街中の薬局ではいまだ見付けられず。

■数日前に文科省からセシウムの拡散状況 栃木 群馬、千葉が公開された myTLなども賑わっている 福島市内のべっとり汚染感とは異なるものの 全国にばらまかれている様子が徐々に明らかされている

震災早々 静岡のお茶からセシウムが検出されて 輸出が制限され 新聞紙面を賑わしたのは覚えている

 いずれ埼玉、東京、神奈川、静岡、山梨などのセシウム状況も公開されていくのだろう 遅いね〜公開する気は無いのだろう

このような負の情報は 半年も時間を浪費せず公開すべきだが なにか よからぬ配慮があり遅れてしまうのだろう。

後出しじゃんけんのような態度によって いまや政治操作されたような情報を、多く人は疑問視しているように思う

■福島県内の 計画的避難準備地域 事故原発から20〜30km圏内のことだが 避難解除来月から行われるとのニュースがラジオから流れている。 311以降すっかり新聞もテレビも見なくなってしまった。我が家は 40年はとり続けただろう新聞購読を今月やめてしまった。彼らの世論形成のベクトル姿勢も、彼らの行動価値観も 俺には合ってないので、読んでも仕方がない。 多様な情報が身の回りにあるので 新聞がなくても不自由はしてない TVを見なくなって何年経ったか覚えてない。

■ 頭痛が残っているように思うので web頁つくりは菅野先生の講義分を仕上げて終わる。6月に音録した多田智美さん分 ことば悦覧 web頁用記録作りは明日からに延ばした 




9月29日 快晴  

今朝は頭痛あり。市販の綿球が直径14ミリなので小さすぎて くしゃみや時に 寝息を大きく吐くときも飛び出てしまう。だから頭が痛いのか? 退院後暇に任せて酒を呑むから傷口に悪いのか?それらの複合で傷が痛み頭全体が痛いように思うのか?分からない。何しろ静養していないのが因にちがいない 

■10時頃快晴なのに仕事場隣のお母さんが子供に向かって怒鳴っている 子は泣く 

■午前中から 菅野栄喜先生による水産業とはをweb頁を使い講義録を作り始める。午後3時ようやく1頁できた。

1本釣りや 巻き網漁法などの映像もユーチューブに落ちている、あったので はめ込みデータを使いはめ込む。 動画があると断然分かり易い。webにて講義録を作り始めた。数日、web頁作りがんばる予定

■埃吸い込み防止を半年は続けないと行けない俺。

 近くの薬局に丸綿を買いにいたら 今詰めているそれより2ミリ小さいので買うのをやめる。現在のものでもくしゃみをすると鼻の穴から飛ん飛んでしまうので 。治療ばかりされて数年なので鼻の穴は大きく広がったのか?そんなことはあるまい

■夕方 理科大の石橋さんから 鮪立計画8月(25日から28日まで活動 おれは21日〜)に参加した学生さんの感想をまとめたPDF 英文は翻訳を付けてもらった、そのデータが送られてきた。




9月28日 時が経つにつれて なり 気温も上がる

午前 鮪立計画で最初に講演いただいた内容のweb頁をつくる。齋藤善之先生の講義内容を仕上げる。写真や動画も貼り メディアミックス 案外気に入る。作り終えて 文責は俺だが大きな間違いがあるかもしれないので 目を通してださいと 齋藤先生に連絡する。来月初旬に公開予定

■ 午後食材を買い出しに近くのスーパーに行く。家人は毛糸で靴下を編んでいる。話しかけてくるようになり ほぼ昔の様に戻ったかも?と思わせるよ。 俺に世界は変わったんだよ、と気づかせるに充分な実態。 久しぶりに烏賊を買う 腑がよくシオカラしたら美味かったよ

宮城資料ネットのHPの更新も手伝うようにした。動画など貼ってみたら 案外良い感じと自画自賛 まだまだなので、時間をみつけて綺麗に仕上げたい


■今日は鼻から血反吐が喉へ下りず らんちん。昨日はどうしてあんなに下りたのか? 頭全体に軽い鈍痛があったと 今日思う 。まぶたに目の廻り皮膚から脂肪が消えてしまい 凹んで見えるので、まだ、鼻手術のダメージは無くなっていない。血糊が落ちてくるんだから当然だろう。どのぐらいの日数が要るのか分からないが、目の廻りがふっぷふぁしたら活動を再会し始めよう



 9月27日  朝夕 涼しくなり薄手の長袖シャツだけでは冷えてしまう

今月は入院していたので 鼻の手術とその後の治療だけでに追われて 建築レスキューなどの活動や出前報告会が出来ず あっという間に 初秋は過ぎていきそうだ。 体調もだいぶよくなっているので あと数日 活動体制、体調を整えてみよう

■今日の昼過ぎ血糊 が喉に落ちてきて えへん虫ばかりしている 喉が痛いほどで 血糊の量も多し  活動するのはまだ早かったのだろうか? 仕方がない 痛みもないのでそうじゃないとんだと 受けとめておこう

■金糸銀糸で織られた 和服三着を提供すると申出があったが 本当に提供されるとのメールがある。ぜひ受け取ってもらいたい 理由は色々あるのだが 書かずにおく

■施術後の翌日のように (1/3かな) 鼻から血反吐が落ちてくる午後の鼻廻り。盛んに治ろうとしているならよいが 口から血反吐みると身持ち悪いよ

■ 齋藤善之先生の講義 をweb頁をザット仕上げる作業をしている 鼻の具合が良くなるまでは あまり活動しないで 室内作業を続けていよう あんが治りがやっかい 先生は「半年は掛かる」と言っていた 「施術後の対応が悪いと 再発してしまうよ」とも





 9月26日 

my長男の家で目ざめ 6時起床 病院時間割が抜けないな〜 6時半朝がゆといっても豪華 の飯をつくって喰らう 林檎なしもくらう。 ネットを見ながらメールなどチェックするも 頭の回転ならず。 my長男7時に起きてきて 新聞など読んでいるので 同じ豪華版朝がゆを作り喰らわす 林檎なしもあり 一足先にmy長男仕事にd出掛ける 

シャワーを浴び 9時 長男家を出る 10時 病院着 1時間ほど待機し 内視鏡でみせていただき。傷だらけ! 当たり前か4時間も施術sしていんだしな〜の鼻の穴の壁面 血反吐のようなものもあり ここから血反吐のような塊が下りてくるのんだな と納得 

ちょうベテランで油がのっている女医さん「順調ですね」と言われたが 俺のめでは傷が癒えてないように見え 内視鏡で見たのが良くなかった。

診察を終え 仙台駅に戻ると 在来線は復旧していず 新幹線振り替えとなる 新幹線は台風にも強いのである しかし、運賃が高いのでもうすこし金持ちになるまで 各駅またはバスにする 





9月25日  

  my長女の家で目ざめ 朝飯をたべ 仙台市博物館に行き、宮地資料ネットの半年の活動が展示さて1週間 午後my長男の家で色々整理 明日は施術後1週間の通院のため 仙台の病院なので 仙台で作業をしている あまりはかどらず。

よるといっても夕方から my長女・長男と夕飯を食べ食べる 施術後初活動の翌日で 疲れがたっぷる貯まって どうも思考が好ましい方向に進まないので 早々に寝てしまう 






9月24日 

 午後一時より石巻震災土蔵メモリアル基金 中間報告会 =交流会に参加するために9時発各駅にのるも 白石までしか 進めないとのことで振り替え輸送される。新幹線にて あっという間に 仙台に着く。仙台駅から 石巻まではバスに乗 るも 断続的に渋滞になり 12少し前に 石巻駅に到着
   
駅から日和山を越えて徒歩で門脇まで向かうも 地図や過去の経験より遠く12時半に蔵の前につく 

全国各地から 60人程の人々が集い中間報告会となる まずは土蔵が残ったので目出度し。沢山酒を呑み ダベリ まとまりのつかいない 1日であるも 結果OKである





 9月23日 快晴  一日遅れの台風一過晴れ 

気持ちが良く 昨年末新築なった仕事場傍の家の前の路上では親と幼児が遊んでいる 放射線量が高いこの当たりで 遊ばせるのは気になるが 新築成った家をすて 新たに2重ローンにて家を作るのも困難な話だ 仕事も替えたりするとなると 即死の危機がなければ 手に入れた新築の家を離れることはないのだろう。

■齋藤先生の講義ないようを仕上げる作業をする 午後2時 漢文で書かれた鈴木家の額の内容ようをひもといていただいた もの聞き直しをして訂正する。

   

その後明日 石巻市門脇で石巻震災土蔵メモリアル基金中間報告会があり、少し話さねばならないので ばさばさの髪ではみっともない。311以降時々散髪する人間になった(笑) 散髪をしに近くの床屋にいく。 客がつまらない話をしちえるでやや辛い。 鼻に丸綿詰めているので 洗髪、ひげそりやや息苦しい。 口で息を吸い吐き。やや目くぼみ 目の廻りからクマが消えない 術後のダメージは少し残っているものの 明日は 施術後 初活動するのです。丸綿取って話すかどうか まだ迷っている

■ 夕方齋藤先生の講義を聞き直し 訂正済む

■ 今年で第三回目 大阪では 柳原さん家成さん 多田さん水野さん原田さんのデザインイースト02が今日から25日まで始まった。大勢の人が参加してくれることを祈っている





9月22日 台風一過の快晴にならず 風なくどんよりした

午前中データ整理をする もよそ見がおおくはかどらず

昼食後 買い出し 12時半ぐらいから昨日のような強い雨で ずぶ濡れになり戻る シャワーを使い流す。  カッパを着て雨の中月に一度の銀行雑事に街中へいく

■鮪立計画後半活動内 講義 文字データを整理し印刷できるように整え始める。 25日に11時から行った 齋藤善之先生 「大規模イエ経営体・鈴木家の由来と三陸地域社会」 活動の基盤になってほしいような 面白い内容

    

■鼻づまりの手術を受けたが 術後の手入れが 案外面倒である 薬の呑み分け鼻洗いの点滴に 丸綿詰めと それらは案外 がさは張るので PC持って薬持て で外出するのはやや困難である 面倒くさい 遠出は暫くひかえいよう。術後1週間ごとに病院に行かねばならにので 病院予約と重ならないように 日時調整も面倒なので 2週間ぐらいは記録を作りながら 事務所に根を下ろしておこう





 9月21日 台風の影響で 9時 雀が囀っているが晴れない

退院後1日 巷の空気が強すぎるのか?起きたが頭が全体が痛いので9時まで伏せっている 低気圧のせいで気温が下がったことに躰が対応できない 体力が戻ってないのかもしれない 少し躰を暖かくする工夫を重ねた 

退院したばかりなので 台風の襲来は落ち着かない かといって病室にて台風を受けるのも 家の事も気がかりなので これでいいのだろう

今日は早めに 寝て台風をやり過ごそう 200ミリ近い雨がすでに降っているので 土砂崩れなどなければいいのだが

■ 朝一で ジャーナリズム教育研究所のお知らせ更新 311以降のプロジェクトの進展がはかばかしくないようで 強いお知らせであった 内容は聞いていたが 難しそうじゃないけど就活などで 腰が落ち着かないのだろうと推測する

■昨日雨の地方紙をみて思う

県民は総被曝実験者なんだよ!と宣言されているような内容だな〜。薄々気づいていたけど、やれやれな行政はこうい実験したわけだよって手法。この地に留まっていると、行く先は放射線モルモット人間化か?→ →「医大では1000億円を要求し放射線医療5施設 放射線医学県民センター県内の癌医療を国内最高水準に引き揚げると(地方紙報道)癌の早期治療を担う拠点施設だそう。甲状腺外科、血液内科、放射線科、皮膚科、小児科、産科もセンター内に設置」

1msv〜100msv/年の不明な領域を克明に解明したい。200マン県民の人体実験、実験値を得て検証したんだろう。しかし児玉教授が厚生労働委員会で語ったように2005年のゲノム・遺伝子解明されてからの放射線医療というのは長崎大がとなえるような 手法では時代遅れであるそうだから 無駄金を投じ 遺伝子医療に基づいた放射線医療対策には無効な量的分析しか可能ではないはずだが・・(単なる勢力争い覇権争いしかないのでは?だとしたら県民を巻き込む行政の手法としては酷いお粗末な話である) 

脱原発という語りも、セシウム浴び続けている俺には理解出来ない現実である 既に原子力発電所が事故を起こして 処理の目処も立ってられない6ヶ月が過ぎただけだ。中心部に在るはずの融けて固まっている危険極まる核燃料の処置の仕方=処置排除解決できる手だてを取得しているわけでもない。手だては無いんだろう。その事実を生きていて思うんだが、脱原発ってなんのことなんだろう? ファンタジーやアニメでも見聞きしているような錯覚さえ持つ。主権者の合意の下で原発事故後の処理の路を拓くことがそのこと(に先んずる)なのだろう ではないか?




  9月20日 台風の影響にて 

昨夜は といより昨夕方より寝込み 朝まで寝続ける なんだか目の廻りの薄い皮から脂肪が消えてた が まぶたにも脂肪が戻り 顔もスッキリした だが鼻に綿は在りつづける 哀れなオヤジ とどどぼ セシウム雨の町を歩く 

靴も靴下も靴もずぶセシウム濡れ  

■ ジャーナリズム教育研究所の HPの更新 _ 研究員が増えたので著書とも追加 

■午後になり一層雨は強くなる ダッチロールしていた台風15号は進路東北東に長く伸びる全線をなぞり進むかのような 日本列島縦断するかの動きをしめしててい 各地に大雨と被害をもたらしそうな気配だ

■チョコレートが融け出したかの そんな色の血反吐が 出る。かさぶたになるのを鼻に詰めた丸綿などで 保護していて かさぶたが出来ないようにしているのだが  寝過ぎ鼻を洗浄するのがおくれたからか 俺の躰は順調に 人類が継投してきた、誰かから預かって天然治癒力でもって 快復している のだろう 

■昼寝をしていると 昨日まで入院していた 病院から精算した結果 入院費=金額のしらせがある 目が覚めた。預けていた金額より少なかった オヤジ貧乏人に保険は欠かせないので 頑張って国保の保険金は支払いつづけねば ならないと思う。 多額の赤字を出し続ける国保であるが やはり赤字を放置しないで 改革要だが 運営は市町村だし 複雑過ぎて 何をどうしたら赤字をなくせるのか 解らない状態のように思う。 長い間国会で議論されているのだが。 新自由主義に基づいた金持ち高額医療を導入には反対だ

■札幌で  母にすすめられ覚醒剤、命じられ売春16才。webニュースが流れている 貧困の連鎖になり固定化された例なのか どうか分からないが 家出協会主であるかのような俺にとっては 母親からなぜ逃げ出さないの?不可解な親子関係。 通り魔以外は 家族は時に殺し合い有縁こそ殺人の源とを知らないのか

■このニュ酢は地下水が チャイナシンドロームを阻止しててくれてるが 同時に地下水も汚染され続けているということだろうか?不明 東京電力が分析したところ、壁のひび割れなどから一日200トンから500トンほどの地下水が、建屋側に流れ込んでいる可能性があることが分かりました 




  9月19日  

真夜中地震あり 病室やや揺れる 福島県沖 昨夜の病棟は静かであった 同日のウンコもれ・放屁お爺さんはペースメーカーを入れる手術をするよ と言われたとたん意気消沈して 寝てばかりいる。友達は手術で死んだと何度も話しまくっている 

入院中の朝は忙しい 6時に起こされ 検温 排泄の回数と調子の聞き取り 脈拍 酸素数など測る ひげそりを挟み 鼻の穴を生理職員水で洗う 鼻から吸入  目薬のような(目にも可)鼻に点滴  朝食 片付け 朝の診察で 10時ぐらいになってしまう 看護士 看護婦さんたちは2交代制なので 昨日の夕方から今朝の9時過ぎまで 15時間ぐらい働き続ける 周2〜3回は夜勤の長時間 患者言いたい放題にて辛激務でもある

■ 9時45分診察が終わって 退院準備完了する 身支度を始める

■ 2時頃仕事場に戻り 整理などする 家人の変わりなく しょうしょう安心する 文字起こしはしたが 寝てばかりいたので 少し動くと眠くなる 鼻の穴に丸い綿を詰めておかないと粘膜の再生が難しいとか で鼻丸綿詰めオヤジは半年以上続くようである お見苦しいかと思いますが 御勘弁ください

また一つ節が付いた  

■夕方から 朝まで大地にかえるかのように眠ってしまう 




 9月18日  

真夜中地震有り 毎日揺れる岩手沖にて 北海道のあたりに歪みが貯まっていく感じ あの当たりから大きな余震はくるのだろうなと  

病院の早朝は老人たちのおなら合戦と 電気カミソリのひげそり合戦で賑やかである。昨夜の真夜中は同室の老人がウンコ塗れになったようで 看護婦が1時間ほど行き来して大賑わい 82才で太りすぎた老人なので俺の将来には成りにくいが 太りすぎと運動不足はやがて このようになるのだと 知らせているようで 病室にいると多くを学ぶことができる

震災後6ヶ月で 病院の各処には大震災で発生した壁のクラックや エキスパンションなど粗い工事は済んでいるが まだ工事中の病室もあり、昨日は電気屋さんが配線工事をしていた。 医療看護については無駄なく完璧に稼働している。これが日本における都市近郊の病院の実力なんだろうと感心する。 医師は少なく 看護婦、看護士たたちは2交代制なので 多大な過は負担が覆っている。 それでも皆さん親切で明るいので 頭が下がる

■8:15分治療をする 鼻腔奥を治療されても だいぶ痛みは少なくなくなった
   
■ 午前午後 病室のベットの上で 寝たり起きたりしながら 鮪立計画 後半かつどうでの菅野栄喜先生の 気仙沼の水産=気仙沼における漁船漁業のおおまかな歴史を文字起こしする (8月26日講義の様子。PC開いてメモをしているのか 多の作業をしているのか?)歓迎されて 被災地で現地方の家に泊まり込んで 3泊4日 7月と8月に2度行った。鼻の手術のため入院することで 鮪立計画の記録作り始めることが出来た ほっ 

  




 9月17日  夜中 と早朝やや大きな揺れがあり

一昨夜中は何か不満でもあるのだろうどなっているおやじが居た病室は何度も揺れたけど静か 岩手沖が震源地のようだ 311の余震はまだまだ 最大M8ぐらいが5年以内にやってくるとは一般に認識されているだろう

■今日から病院も連休に突入したんで 静かである 診療は8時チョイス過ぎに終わり あんたは重い慢性的な副鼻腔炎だったので一生の付き合いですと宣言される。 再発しないように綺麗な空気をすっていたいが 蔵などに出入りするので そうもいかない。マスクで予防しつつ 再発したらまた手術を受けよう。

■中之島公園で6月4日音録した 多田智美さんの文字起こしを行う 午後完了する web頁は退院してから作ろう デザインイースト02(00があったので3回目) 成功するように ベットの上でいのっていよう

   

■午後my長女 来て病院の優れてシステム化された人の動きなどにつて あれこれ ダベル  

■夜の面会にmy長男やってきて ダベル 一つの助成金申請は落ちたとのこと 研究所のことや鮪立計画の課題なども多角的に話す。





 9月16日  


石巻震災土蔵メモリアルのチラシは貼らずも 15日の河北web絵と記事を一部ぺったんしておこう

東日本大震災で壊滅的な被害を受けた石巻市門脇町で奇跡的に残った明治時代の土蔵を(1897ー明治3)年の建造で2階建て、床面積約25平方メートル)、「復興メモリアル」として残そうという運動が広がっている。震災では街の歴史を刻んだ家屋や土蔵が被災し、そのまま解体されたものも多い。24日午後1時からは現地で交流会があり、大学や建築の関係者が保存する意義や活動などについて語り、運動の輪をさらに大きくする方針だ・・
 145人7団体から計220万7357円に上っている。

4月頭に俺に寄せられたmy義援金で修繕工事は出来たが、皆さんが参加し修繕がいよいだろうと思い待った意義は充分現れた。 145人7団体に支援の輪が広がったので この5ヶ月ほど じゅっくり待っていてよかったと思う

■ 午前中の診療 にて鼻の中の傷あとから血痕などのかすのようなものを掻き出す 「ちょっと思い切ってさせていただきます痛いのなんの!涙が出る 目と脳と鼻は近いので 目だって脳だって飛び出てくるよ。手術は全身麻酔なのでまったく記憶にないのだが あんな狭い場所に4時間もかかったのだからそれは大手術だったのだろう 

麻酔のときの看護婦さんが来て色々感想を聞かれる 人生初の麻酔夢は果たせず残念でした と答える 「凄い深い眠りだったんですね」  

■ 多田智美さんの文字起こしを少しずつ 無理せず開始する 体調もだいぶ元に戻って来ているが 目玉は引っ込んだまま。 体重は減らないのだから目と鼻の廻りのダメージがまだ快復していないのだろう




9月15日 曇り 時々はれ 曇り

夜中時々咳がでて 朝がたぐたぐただった 昨夜も同室の循環系の患者まわりが賑やかであった よる 大阪物語をみるてると 女の人が使う関西弁はいいので 大阪で暮らしたくなる 男が使う関西弁はイマイチである

10時半 副鼻腔に軟膏を塗る治療 痛い 涙が出るほどかもしれない 主治医によると 皆 術後のこの治療を嫌がるのだそう 鼻を洗う手当ても午後行うそうだ

■ 参加申込をする ニュー世代です 若者はたもしく愉快です 松島潤平さんの自分企画 自分のための建築系・超お馬鹿で楽しいイベントを観に行かなくちゃね。(詳細へ)松島さんのような瑞雲の友を持つ者は その人にとって どれほどの幸であることかを 彼の 独立を期に改めて自覚すべきだろう 

自分の事務所送別イベントをメンバーとともに自分で企画しました。ええ、僕はそういう人間です。 KUMURRN! Last Supper Live −人類史上最大の☆自演乙☆−

  

 (上記写真 松島さんのサイトより 了解をえずに カットし貼る )

■鼻洗いを初めてする 簡単な洗いでも 鮪の血合いのような血糊がとばどば出てくる 真っ赤かの鮮血ではないので よいのだそうだ 鼻の穴の奥の狭い場所にある傷口なので 粘ってしまっては元も子もなく 湿気100%の中で傷口を塞ぐのだから 血合いは落ちて当然だろう 。これは簡単に元のような活動なんか始めちゃいけない と血糊を観て思うのだった

■よるの面会にmy長男来る。9月24日午後1時から行われる石巻震災土蔵メモリアル交流会による 20分ほど話をせよとのこと 




 9月14日  朝日の色彩だと暑くなるような配分に見えるがどうか

 5時30分に目ざめる 夕べは同室の老人が小便はじいてパジャマ交換騒動と 空きベット2台に救急患者が搬送されきて、1台はPM9時過ぎ大移動の騒動であった。 日中猫のように 暇さえあれば寝ている猫人間になった気分であるから 寝たりない感じは残らない 病院の時間割に慣れてきているのだろうか

■昨夜救急車で運ばれてきたお爺さん 元気に笑っている

施術後の最大山がやってくる 10時30分から詰め込んだガーゼ抜き 超痛いと予想したガーゼ抜き。たが 若者は失神するけど叔父さんだから大丈夫と言われ その通り 痛みもたいしたなく 10分ほどで両方の鼻の穴から ステンレスの皿容器に多量のガーゼと血の塊が抜かれている こんなものが入っているほどに 鼻の奥は深いのである と我ながら驚く 多量のポリープ(大豊作)が切除されたとのこと。4時間も掛かったのだからそうだろう、たぶんあのガーゼ量の数倍はあったのだろう

ガーゼ抜き後 時間安静にしていた 血糊が喉に落ちてきて 吐き出すしょちがあんがい難しい かいっぺ禁止されているのだ血痰を静かに出すからだ

■ガーゼ抜きのダメージは予想していたより軽かったので 文字起こしを再開する。語って実行する エア建築家としては 語るけど実行しない(齋藤先生は各地で街作りを実践してきたし現在もしている) 泥に足を入れない先生達の講義は解るが、解ったら実行千回と言いたくなるのが常。だが 解明し語るだけで実行しないそのプライドというのもあってよい。 実社会には響かないが抽象度が高まるぶん拡散力は増すだろう、解明せよの圧も高まりそれが動機に転回するんだろう。実利を優先すれば政治家となるだろう。

■ my長女午後3時頃来て ダベル 毎日暇つぶしにシャワーを浴びているので 顔がスッキリしていると言われる 躰の洗い貯めは有効か?

my長男の研究拠点も来年度から大学に新設されるようだ(文科省に申請し見通しがたったのだろう、新聞に発表あり)その研究所については 数年前から色々聞いたり話したりしていた。去年はその拠点のHP造りをした。 構想が不明確であり作りにくかったが 311の大震災によってその像は明確に成らざるを得ず災害科学を冠した場になるようだ まずは目出度し 18〜19世紀の仙台藩における防災と社会を研究してきたmy長男もいよいよ年末からは 猛烈に忙しくなるだろう。

■夜 大阪物語を みる 関西でいきたくなる 




9月13日  風もなく穏やか

昨夜は 手術後はじめて 口息だけで生きているが 喉が渇いて何度も目ざめた。その上 同室のお爺さんは 寝小便したらしく 真夜中に大賑わい 何度も背中を掻かせたりと過剰すぎるほどの要求ではないかと思うが 文句も言わずに対応する若い看護婦を誉めるべきなのかもしれない

朝になっても我が侭は続き 若い看護婦に躰じゅうを拭かせること2度背中を掻かせること2度 金玉も拭かせているもようと相変わらずの看護婦いじり振りを発揮中。 俺の4倍は看護婦をこき使っている 看護婦の使い手である 先日まで特別室に入っていたそうだ なぜ出たかは聞かないが よく自分のことをあれこれ人に言うものだ (同室のものとしては出入りが賑やか過ぎるので少し押さえてほしいのだが・・・)

■昼食後昼寝 午後診療 しゃーわーで3時半 少し文字起こしをする

鮪立活動の記録をmy長男が肝心な関係者に配布したとのメールあり ありがたし 長期の活動になるのは覚悟しているのだが 実利実益を急ぐ被災地の方々との協力体制を速やかに高度な体制を築き上げつづけるのは難しいが ・・

■臨時国会の所信表明演説を衆議院TVで見る  当たり前のことを お涙頂戴の浪花節調でかたるのだが 早く実践してほしいことが多い 増税だけが早く決まり救済の手は伸びて来ない気配あり 失業保険がそろそろ切れる社会不安が増すのを防ぐためにも 東北地方の被災者に 月15万円/人ベーシックインカムを実施すべきだろうに 

■仙台市内にある被災蔵の調査依頼がくる  小土蔵なので 退院した10月初旬にでも先遣隊活動してみる予定

■6時夕飯 7時半ごろ my長女来る ダベル あすはガーゼをとる日なのでまたくるそうだ 明日1日はダウンを覚悟しているので やや肩こり気味 





 9月12日  昼過ぎ鳶がピイヒョロ飛び回っている 餌があるのだろう 夕方夕立がある

朝6時起床は相変わらず辛い、のでぐたぐた寝ていると点滴や検査などで起こされてしまうも 吸引は間に合わず 昼飯後になる

4人部屋に居るが 午前中に2人退院とかで賑やか 循環器系の人々と相部屋なのであるが 俺を除いて全て心臓廻りに問題があるとかである 似たような体型太りすぎに糖尿の風貌にて 心臓廻りの治療も大変そうだ  

カーテンだけの仕切なので 寝息や家族との会話が耳に入ってくる つまらない、たわいない愛し合っている夫婦の会話は案外面白いなと年のせいか思ったりすることもありおかしい 

■時々齋藤善之先生の講義を文字起こしをしつつ ゴロゴロ 夕方点滴用の注射針が抜け 左腕の鈍痛が消える

■鼻の痛みはガーゼを抜く明後日にもう一度やってくるので覚悟している

■ 311と原発事故による炉心溶融で垂れ落ちているはずの燃料の固まりを人間がなんとかして キャッチして欲しいいもものだ。  未だにそのニュースは無い 

■my長女面会に来る 終了間際すこし話す 遠いしだいぶよくなっているんで どこでも快適に暮らしちゃう俺に 面会は必要ないのだが 落ち着かないのだろう






 9月11日 雨のち曇り  

鼻の手術後3日目 早朝 中頭が痛くって水枕を使って後頭部を冷やす 鼻と目と脳の間にガーゼが詰めてあるからだと 看護婦さんは言う まだ術後浅いので躰が慣れていないのだろう 

日曜日なので見舞いに訪れる人多し 4人部屋に入っているが個室などがら空きの状態 311以降補修はしているもののまだ完全に修繕が終わっていないので フル稼働出来ないからだ 今日の午後工事の音がRCを伝わってにぎやかだった 

午後 頭もスッキリしたところでシャワーを浴び鮪立計画後半活動でおこなわれた 齋藤善之先生講演の文字起こしなど少しする

311から半年が経つものの セシウムが我が家にも降っている 除染後の放射能物質の最終処分場が決まっていないし 予算もきまっておらず 何も進んでいない 福島の現実 は誰が変えるのだろう やはり逃げるが価値なのだろうな と思い込んだりする。

津波の被災現場も多く観たが 瓦礫撤去も何もほとんど進んでいないのが漁村も多いと思う 今日新通産大臣辞任したとか 一体この国の政治もメディアも何しているんだと 改めて思うのだが。まいいや。 

(左絵:参加学生の感想)

何も進展しそうにない程 日本は複雑怪奇になってしまった 依存だけだから文句だけ言ってればいい社会を脱ししてはいかがだろうか。

鮪立では 参加しみんなでワイワイ決める社会へ移行するために いろいろ工夫しても面倒な仕事ではあるが 活動しちゃっているので結果は たたき出される者になるのか 上手いこと瑞雲の関係がつくれるのかは分からないが このまま死ぬまで続けるつもり

■ my長男 夜 見舞いに来て 鮪立計画についてワイワイする 学生さんの感想文など送られてきて 色々話し合うなるほど いいな 

 企業から助成の話もあるようそうだ  構想はあんがいすんなり準備段階に入れるかもしれない と退院後も 楽観的に考えて活動しよう(大学の先生なら分かるが野の者の俺って変だな まだ活動するつもりんだよ)




 9月10日  

 入院中 昨夜から朝にかけて たんに血がまじり 盛んに吐き出していた。熱もあり全身麻酔の切れぐあいにて 頭が高山病に似た痛さがとれず 鼻の手術の痛みなのかもしれない。午後3時頃までねる。朝食は飲み物系が鼻づまりなので飲み込むことが出来ず

 9月9日

午前中は細かい説明など my長男・長女立ち合う 13時から麻酔一瞬に寝入ってしまい何も分からず 電気ショックにて麻酔からサマされたときは 酷く呼吸がしにくい嫌な気分であった。麻酔はなかなか覚めず 3時間は立つこともできす寝入る。 8時すぎふらふらしながら トイレにいく 真っ黄色のそれなのに驚く。頭が重たいが水も少し飲める 寝る 




 9月08日  早朝からカンカン照り 日向は残暑厳しそうだが 日陰は涼しい コオロギの音も日中から盛んで 秋めく

市役所に行き 限度額適用認定証を申請し いただく 今日の午後から仙台の病院に入院したので 事前に看護婦さんから申請してくるように言われてたので 慌てて申請に行く 朝一番で簡単に済む 1年間有効だそう。

 市役所の廻りは 建設ラッシュである 放射線降って 15年から30年は影響が消えない土地柄なのに 人の気持ちは分からないものだ この土地に新たな建設する気持ちが分からない。 気でも狂っている?のだろうか としか思えない様 チェルノブイリでは新しい産業も建設も禁止になっていたような 年間被曝量 数値だと記憶しているが 

 福島県内の政治家と地方紙は元気になる、なろうぜと煽っているが 俺は真っ平 セシウムなどに挑んで元気になるよなんて言説は吐きたくない人間だ 福島市では非市民と呼ばれてもかまわない。 非市民のような考え方を許す気配もないほどに セシウム挑戦が ファッショ化していて やな県土 核汚染より 気持ちが悪いいやな土地になっている

自分たちの罪を 何も知らない市民に押しつけたい深層・気分が 元気になろうだとか 挑もうなどという言葉になって煽り化しているのだ と推測する

■新幹線にて 仙台に 観光案内ブースがあって 観光の事が気になるので参考になった my長女と合流し 入院先に病院の入院室に来る 看護しさんたちは男性だが 親切である 20年前の病院の印象とはまるでちがっていて サービスや心配りがきめ細かい、ので一層竜宮城(=病院を俺は竜宮城と呼ん来た)は高度・高級化しているように思う(絵:病院にて借りパジャマ着たら病人らしくなった 頭の毛が飛んでいるね 爆笑) 学生がインターンシップに来てて 老人の世話や患者の世話をしているので 賑やかである

入院の説明を受け 麻酔医師の説明を受け 執刀医の模型やレントゲンを使った詳しい 説明を受ける 目と鼻の脳が複雑に入り組んだ部位の施術にて細かくって難しそうだ 全面的にお任せ 今夜9時から絶食で 明日の9時から絶飲で午後1時より麻酔 にはいり 手術とのこと 

 pm7時を過ぎたあたらいから 静かで真夜中の気配が漂っている病室 唯一父親が入院してて母子でか付き添っているのか仲良しさんが居て  コオロギの方が賑やかだが 子供の声がずーっと聞こえている




 9月07日  快晴。秋の気配ありて昼から草むらからコオロギの音あり

 明日から鼻づまりの施術のため仙台市内の病院に2週間ほど入院予約をしてたので出向く予定。薬の成果か 体力があがり健全な生活の成果かわらかないが、近頃鼻づまりはなくスイスイ空気が通るのが不思議だ 躰も施術を恐れて偽装しているのだろうか。

(空気の通りが好くなったのは 短期間しか使えない劇薬をのでいるからだよと my長女が教えてくれた。部位を小さくしておいて施術をするほうがダメージが少なくなり快復が早くなるからだそうだ。治ってるわけでないのだった

午前中に留主中足らなくなるだろう 米を精米し 食材を買い置く 日射しは強く直に浴びると暑いので日陰を探しながらの買い出し行為。

■近所の人々から 多量の桃 スイカ カボチャなどいただく セシウム入りを承知で喰らう喰らう


 9月6日 も 

鮪立計画後半のデータ整理 参加学生の感想をまとめたPDFが送られてきたので駄目だし3回おこないほどほどの体裁になる。誤字が多いがそのままにしておいた。 

鮪立全戸配布していただくために 300部印刷送付と お世話になった各関係者に数部へ届けるよう 郵送先を指示し代筆を学生に依頼する。

ながやまのりこさんが企画したくれた 被災地からの報告会in東京芸大 において たのまれたそうだが 私宛に東京在住の88才の婦人から多くの活動資金が届けられた。お礼に 手作りで粗い内容の本のようなものを作り 送ろうと、せっせと作業する あんがい時間が掛かった。


とツイートしておいた。まだみぬ 老婦人への報告本のような物は 今後報告書をつくりために参考になるので 全てコピーして 保存しておいた。(何を送ったのか忘れてしまうので) 今夜も疲れているようで直ぐ寝てしまう 年はとりたくないものだ

長坂常さんに3日よる彼の事務所4周年パーティに参加して撮った動画 データが欲しいとのメールがあり SDカードの焼いておくる 建築の理想は路上であるを実現されていて 都市に放つ 好い私的イベントであった

もういちど絵を貼っておこう

動画は退院してのち編集しユーチューブ にアップ予定だが いつになるか分からず


 9月5日もやや曇り 雨がある世田谷の三茶駅傍

本瀬さんと 基本的な考え方を確認し合い 9時 三茶の家を出る。山の手線で東京駅に出て 昨日あつまってくれた ながやまのりこさん仲間に新幹線代をカンパしていたいたので 新幹線自由席に乗る。東京駅構内は311の震災などどこか別の惑星の異次元でもあるかのような無関心さを生み出す源であるかのような いつもの様相。 人間は自然の中で活きているとうことを忘れたいだめに大都会をえんえんと築きつづけるのかもしれない その弱さも好きである。

郡山とまりの新幹線があったので乗る 空いている。郡山で乗り換え 福島駅に着くPM1時半あたりに着く 。何も変わって除染すれば健康的な福島になるかのような嘘八百の情報がメディアに溢れているので げんなりする。事実と異なることにしたて 元気な振りをして事に当たる 大本営的 勝ち戦報道ばかりを好む読者と発信者で アホ丸出しだ。

仕事場に戻り データ資料など整理しつづける。

夕飯たべたらぐったり寝込んでしまい朝 体力が無くなっているんだな〜と思う 




9月3日  台風がさったのか消えたのかわからないが三軒茶屋は良い天気だ

7時の起き出し スケッチをする 本瀬さん9時頃来て 朝食のパンをいただく。ありがたし。11時30分までいろいろ計画についてワイワイ なんとなく方向は見えて来ているので 2日ぐらい集中して計画〜スケッチを繰り返せばめざす 建築の理想は路上であるを内包した姿が現れるように思うが エア建築家のおれは その気になれず 

ASDLの傍の美味い蕎麦屋にいき 昼食をすませ(駒場東大の蕎麦屋は酷かったのでホットする) 2時東京芸大着をめざし三茶を出る

上野の噴水おお残念 工事中にて囲いがしてある 残念だが行き来する人多し。芸大は学園祭の最終日の賑わい 芸大校内に足を踏み入れたことがないので 模擬店 ロックステージどちらも 違和感をもつ 唄って踊って大騒ぎし発散させる お祭り好きの人が多いのだろうか?分からん。

指定された建築設計第1 研究室 A(乾研究室)に2時10分ほどに着く、義援金を送っていただいた ながやまのりこさんと初対面なので2ショットをさせていただく。株式会社ながやまのりこ計画となる名詞をいただく。

乾研究室で助手をやっている 西澤徹雄さんと2ショットし PCの設定など準備をする 2時50分ほどに完了 動画はうまく投影できないことが判明し 語りで突っ走るつもり 前半は自己紹介のようなもの 後半は鮪立計画と実情をなるべく細かく 話そうとするも 時間がないので ざっと。とはいっても 終了が19時15分前だったので やく4時間話し続けたことになるのかもしれない。
 
  

長すぎる話に皆さんあくびもせず 熱心に被災地からの報告を聞いていただくことができました。義援金を送ってくださった皆さんと集合写真を撮り 〆とした。

ながやまのりこさん 西澤徹夫さん 徳田真一さん 高橋堅さん 松村春佳さん 内部美玲さん 大島綾彩さん 清野真理子さん   野口一将さん 酒井真樹さん矢吹光代さん 成島大輔さん 

みなさん 義援金送っていただきまして ありがとうございました そのうえ お忙しい中 長時間 被災地からの報告を聞いていただきありがとうございました 交通費のカンパもしていただきました いろいろ御配慮ありがとうございました 大人の人たちも本当に心強いです 芸大の卒業生の人々のようであったが定かではない

 集まっていただいた方の おばあちゃん(88才の田部和さん)から私へとの 義援金を預かってきたとのこと 高額でしたが 頂きましたありがとうございます (下絵 芸大のお祭りのようす)

■芸大から 高田の馬場にもどり 花田達朗先生と ジャーナリズム教育研究所のことなど 話す トンカツをごちそうになりました。 鮪立計画の聞き取り記録と浸水域図 現地の写真(鈴木盛雄さん撮影)を手渡し

 鮪立港まちづくり百年会の参加をお願いする 10月中に数日 鮪立で合宿しましょう応じていただく my活動などに 興味を持っていただけて嬉しい できることならビデオジャーナリストも一緒に来ていただけると 嬉しいのだが 欲張らずに自撮りで進めておこう。 

 ジャーナリスト志望の学生さんに聞き取りを手助けしてもらえると 嬉しいな〜授業の関係もあるので 来年度なら取材してもらえるかもしれない

■ASDLにもどり 本瀬さんと打合せ ようやく1日が終わったか 今日も濃い1日だたかもしれない 




9月3日 東京駒場暖かい台風の影響ですこしは強め 小雨も時々ふり

午前中は昨日につづき 鮪立計画の反省会などをしつつ 資料整理、駒場校内で太田浩史先生にランチをごちそうになる 久しぶりのピザ 大きな皿にシンプルなピザが出てきたので食べきれるか?と思ったが ビールとともに胃袋の中に うまかったな〜 また太田先生に ごちそうしていただこう 

■午後2時頃世田谷 三軒茶屋駅そばの本瀬あゆみさんASDL(新事務所)をたずね 住宅の計画をふたりで練る あまりまとまらずも 夕方6時まで 行う

途中 鮪立の鈴木さんから電話があり 発見した日記や記録に巨大マスメディアが反応してしまい取材に来ているとのこと 全ての情報を公開共有することが原則なので 好い社会反応だと思う 鮪立復興会議道路部会が行われるとのこと まずは道路であると 関係者は語るに接する機会多し my長男からも資料ネット建築班の活動のことでワイワイ 

■ 伊庭野さんとシングルモルトを呑もうぜと誘うも イベントで満たされているらしく できず。 松島潤平さんもそろそろ独立とかで電話して呑もう ああ酒が呑めないのであった。中目黒で長坂常さんの事務所開設 4周年記念パーティがあるから そこで会いましょうという話になる 本瀬さんと一緒に中目黒駅まで出掛ける

長坂さんの友達が大勢集まってきて楽しい時空がうまれていた、目出度し大勢の人が交流するのは 観ていて楽しいものだ

アイホン貸与をしてくれている 堀井義博さんも来ていて なかなか賑わいがあり 道路と一体になって路上的な好い場になっていた。その時間(8〜10時ぐらいまでの間だ だけ出現しては消えてしまう 建築の理想は路上であると常々いっているがその一良い例であった


■22時頃ASDLに戻り 色々整理  三茶ですだけ こし呑み直す 本瀬さん事務所を寝床に貸していただく 地上に 俺の家がまた一つ増えた 増えたり消えたり 星座型居住を順調に実践中 真夜中に寝る 246から離れていないが車の音は聞こえず静かな場所である 世田谷線の三茶駅が目と鼻の先なので 警報音が時々なり時間の経過をしらせる音源装置となり 蝉の音とまじり ASDLの空間に染みこんでくるので心地よい 夏も終わりそろそろ秋だぜ 感あり 311以降随分時間が経ったが 一層混乱の様相が明確になるだけで 何かができてる気配は無く 新しい社会が進展している


 9月02日  台風の影響で南風が入り込み ふくしまも 午後ついた東京も暖かし というより蒸し暑い

3日のPM3時から東京芸大でながやまのりこさん主催にて「被災地からの報告」会予定だが 台風の影響があり 4日に順延になるも 太田研により 鮪立でのマトメと俺が考えいる 実行する 今後を話つたえ 協力していただく予定なので 詳細を伝言するために1日早めに福島をでた

地域再生学=太田研6時に着き 学生隊長の葛西さんとワイワイ3時間細かい点は話し合えた 他は実働しながら 補っていければよいと考えている 、今後は明日具体的に話し合い日時を決めてしまうつもりだ だが自腹プロジェクトなので無理は禁物だ 長続きするように 配慮が要る

(誰も居ない駒場にある太田研のサロンにて 自撮りする、叔父さんかお歪んでいるね まあカメラを使うので 無いよりいいでしょう)


10時葛西さん 家路につく 俺は一人でこつこつ太田研で作業をつづける 広い綺麗 静かなので どの研究室より快適である 駒場の太田研 空調がやや五月蠅い けど 気にならず温度調整しつつ 彼女と来るとナイスなように思える (不埒なおことを想像するのは 俺だけなんで許してもらおうか)

太田研究室の夜でも一人だけど 鮪立の憩いの家でも一人だったが 今ココが一番快適だな〜と 何時も思っちゃう俺は ももはや生きてはいなく死んでいるからなんだと思う しかしお姉ちゃんに沈々なでなでされると気持ちが落ち着くし 生きているって思う〜死んでもいない 変な場所に居続けるいるように 思うんだが ここがどこだか分からないんだな〜?




 9月01日 小雨のち  


雑事 銀行口座へ入金などいろいろ 午後イエの裏の雑草を刈る 除染作業と今年から福島市では名付けられた作業 蒸し暑い中マスクしてぼうぼうに伸びた雑草など刈りむしるのでヘトヘトになる 手袋シャツ ズボンなど雑草と一緒に全て捨てる

9月3日午後3時から 芸大上野キャンパスにおいて「 被災地からの報告」会を行うが台風の影響を考えて 1日順延も視野にいれた 準備をして いたら あっという間に 1日が終わったしまった

明日から上京し 依頼された建築設計作業を 世田谷 三軒茶屋駅 傍の友達事務所で2日間議論する予定 合間を縫って報告会に馳せ参じるかんじになる 

台風の影響で交通機関が止まると 動けなくなるので あれこれ案じ 対策は万全にならず しかたなし 明日起きてから 2日夜に上京するか 3日早朝に上京するか 決めることにしよう それまでは残りのデータ整理作業