大橋力さんにきく  @兵庫県篠山市 作成:佐藤敏宏
大橋力さんの椅子加工工場の様子
2022年9月29日
 03        01  02   0710 

■ 椅子の加工場に移動する

佐藤:仕事しながら語ってください。喋っている間に椅子1脚できるとかならいいんだが。
大橋:笑 ・・・・仕事の段取りをしている・・・

佐藤:この長い椅子は二人掛けですか。
大橋:そうです。
佐藤:加工場には朝何時に入るんですか?
大橋:仕事は9時から12時まで、お昼食べて、12時半から1時半を休憩にしてて、1時半から6時まで。でも6時に終わらず、だいた7時まで。美容院は6時に終わって子供を迎えに行って、7時から食事です。ほぼそんな感じですね。

佐藤:安定した家具作り生活だね。今日は何をどうしようとしているんですか?
大橋:今は椅子のほぞとか全部出来あがっている部材を仕上げて、組み立てるところまで出来たならと・・・何の途中で駅に迎えに行ったかな?・・・思い出しました。

・・・・・ 大橋:鉋を叩いて調整している・・・・

佐藤:すっかり家具職人。本格的につくり始めて5年ぐらい経ったのかな?
大橋:長野で訓練うけて、前の会社には5年勤めていたんです。兵庫県の施設で木工体験施設に勤めていたんです。夏休み子供が来て木工体験する、そういう施設でした。
子供向けもあったし、椅子のような物をノミで掘って大人の人たち用です。施設は篠山の北にある兵庫の丹波市です。ここから30分ぐらいで行けます。





佐藤:今日は椅子の部材に鉋をかけて仕上げる作業なのね。

・・・大橋・・・鉋を叩いて調整している。

佐藤:道具の砥ぐ作業は大変そうだね。

 ・・・削り込んでいる・・この道具はシンプルです。

佐藤:小さい鉋は自分で手作りした道具ですよね?
大橋:そうです。
佐藤:道具作りも凝れるよね、手に合う、家具作りに合う道具をつくりだす仕事もあるんだね。

大橋:今はスツールを作ってます。脚を作っているとこです。
佐藤:糸のような物はなんですか?
大橋:これは和紙です。こういう物です。

佐藤:和紙を撚るのも自分で撚るんだね。どこの和紙ですか?
大橋:この和紙は愛媛産です。もともとペパーコードの紐製品って、デンマークの物が多いんです。デンマーク製は細くって固いんですよ。それは嫌やな・・・と思って。何かないかな?と探して紹介してもらったのが愛媛産の和紙でした。
佐藤:愛媛産の和紙の、素朴な感じと軟らかさで選んだと。
大橋:好みもあります。
佐藤:色は、多種多様なんですか?
:色はこれだけです。3年ぐらいは持ちますね。切れるところまでは、よっぽどじゃないと行かないですね。毛羽立ちが出てきている感じがあるから、毛羽立ちを座れへんとするのか?さじ加減が難しいです。お客さんには10年ぐらいで相談してくださいと言ってます。まだ10年作り続けてないので分からないんです(微笑) 今5年ですけど、まだ話しは来てないですね。

佐藤:材料を集めて、乾かして、部材に切り出して、加工し整えて、座面用の和紙を編んでいくと、編むのも時間と力も要りそうだね。
大橋:編むのは工程の中では1/5ぐらいです。
佐藤:ほぞの穴堀に時間掛かるのかな・
大橋:穴掘りも機械で掘っちゃうので、今からの作業、角を取って綺麗に仕上げていく、この作業が一番大変かもしれないです。 一番最初、佐藤さんが座ってはるやつ、誰も見向きしなかったんですよ。

佐藤:初期の製品には確かに滑らかな感じが無いかもね。丸味を付けて加工したわけね。

大橋:その違いだけで、全然印象がよくなりました。反応が違いました。

・・・部材を削り出している大橋・・シューシュー

佐藤:部材のクズや鉋屑はストーブで燃すんですか。風呂に炊くに使うとか。
大橋:そこの暖房用です。
佐藤:山の中なので冬は暖房要るよね。雪多いですか?
大橋:そんなには降らないですけど、篠山の中では降るほうですね。トンネルを抜けてきましたが、あのトンネルで変わるんです。そう言うても関西なんで。ここから1時間ぐらい行ったらスキー場あります。但馬のほうですけど。

佐藤:鮪立で家具作りしますと言っていなかったよね?
大橋:あの当時は思ってなかったです。長野の学校紹介してもらって、そんな学校にただで行けて、お金もらえて、教えてくれる所あんねん?!長野に1年行って、何もならんでも今よりはよっぽどいいなと当時思って行きました。

■ 生い立ち

佐藤:生い立ちはどうなっていたんだっけ?最初から茨木で生まれ育った。

大橋:
茨木生まれて育って、中学は茨木で、高校は高槻でした。どちらも地元です。大学は行ってないです。大学行かずに高校を出たあとはフリーターで、アルバイトして。その後、京都にある専門学校に行ったんです。あの学校も、ここから1時間圏内です。亀岡の方です。京都建築大学校、そこは2年間ですね。2年で出た後に建築士資格取得の授業が始まるんです。 「資格とるのはあほくさい・・」と思って、一瞬就職はしたんですけど、すぐ首になって(笑)その後ですね、佐藤さんに出会ったのは。

佐藤:首になった?・・・とはどういう事ですか。
大橋:施工図を描く仕事で、派遣社員みたいなものです、現場に行って描く仕事やったんです。リーマンショックのタイミングで、仕事が半分以上無くなったので。試用期間でした、厳密には本採用になってない時期です。最初、雇用主にそのことを聞いたときには「ぜんぜん大丈夫」と言ってたのに(笑)

 ・・・鉋で部材を削る大橋・・・

佐藤:リーマンショックでも、世間の冷たい風を存分に浴び、味わっていたと。今の地で家具作りしている時間の方が自由で、全て自分の時間で時間配分も自由にできるから、いいよね。作るほどに収入にも上がるし。
大橋:やらんかったら、お金が入ってこない(笑)ありがたいことに仕事も続いてます。













口約束で作る

佐藤:注文受けて、納品期限と金額を決めて契約はしているんですか?
大橋:いやいや、建築みたいにしないです。口約束です。「だいたいこれぐらいです・・・」と書いてますけど。半年ぐらいで、納品。数が増えると分らなくなってくるので、受けた時のモチベーションで作りたいじゃないですか、半年後にどんなモチベーションなのかと。

佐藤:記録しておくほうがいいよ、何時、どこに何を幾つ納品したか、それは記録してあるんでしょう?
大橋:一応椅子に番号ふっています。今現、一脚6万6千円です、通しで250脚納品してます。番号は見えないところにふってます。千脚までは番号ふろうかなと思ってます。

佐藤:この小さい椅子は子供用ですか。
大橋:子供用とかリビングでちょっと座りたいときに使う。肘を置いたりもする。座面の高いのは高さ調整をつけて使います。
佐藤:背もたれのある椅子もつくるんですか?
大橋:背もたれはまだ、アームチェアまだ作ってないです。出来たら、大阪の食べ物ではないですけど、安くていいもの作りたいですね。できるだけ高くないものにしたいじゃないですか。
佐藤:あまり高価だと買うことが出来る人少なくなるからね。250脚納品したということは、皆さんに知れ渡っているということですよね。

大橋:小売店で取り扱っている所がいてて、そういう人にお世話になっているんです。その店に卸してます。そのお店で展示会をひらいて、注文をとっています。
佐藤:直接注文もありますか?
大橋:ありますけど、やっと増えて来たような

佐藤:直接注文の数が多くなると取継ぎ店の注文と重なると・・・難しくなるよね。
大橋:ずっとお付き合いは続けて行きます。家具って地域性がある気がします。お世話になっている店が静岡とか徳島なんです。自分ではお客さん付かない場所なんです。静岡は数がでます。豊かな土地なんだと思います。


佐藤:
小口を削って、足の裏かな?
大橋:あしの裏です。
佐藤:使っている時にすり音がでないように何か対策しているんですか?買った人が対策するのかな。
大橋:フェルト貼ったりしてますね。
佐藤:身体動かして椅子作っていると毎日すこしずつ状況が変わるからいいよね、でないと、頭でっかちに・・そうはならないからいいよね。
大橋:頭でっかちには成らないですけど、自由度も無くなっていくなと。

佐藤:
注文がたくさん来ちゃうとそうなるよね。商売繁盛すればするほど、機械のように作りつづけなければならない。数をこなさざるを得ない。自由時間はなくなるね。

大橋:余裕がなくなる。もっと早くできるようになればいいだけです。
佐藤:機械に凝りまくらないからまだいいよ。機械メーカのために家具作ってることになってないからいいよ。千脚まで番号だけじゃなくって、生涯ふりつづければいいのでは?

大橋:早めに買ってくれた人へのお礼です。同じ形の椅子を何個か一気に作るので、部材、一個一個調整していかなきゃいけないので、番号を付けています。

佐藤:栗材のように固い木材の方が加工はしやすいんでしょうか?
大橋:栗はめちゃ固いわけでもないので。樫が一番固いです。
佐藤:鉋の台に使っているんだね。樫材は。鉋も手作りですか?

大橋:自分で作った鉋もあります。作ってもらったのもあります。鉋を作る人がまだ居ているんで、かろうじて居ます。言ったら作ってくれます。
佐藤:中国地方や山陰地方は砂鉄、で鍛冶屋さんがまだ残っているのかな。

大橋:兵庫県の三木市が鉋の産地というか。今はもう廃った産業ですけどね。
佐藤:好い鉋の歯は色がまったく違うよね。この鉋はいい色している。作ってもらったんですか。
大橋:これは今の台、この鉋の台を作ってくれたオジサンはだいぶ変わった方です。この方は知る人ぞ知る方です。 


佐藤
:砥石はこの辺りに産地があるの?
大橋:産地はありますけど人工です。大工さんより家具づくりの方が鉋は圧倒的に多いと思いますね。今はほとんどの大工さん鉋使ってないと思います。宮大工とか社寺建築専門の大工さんは。でも材料もどんどん変わって来てるみたいですよ。そのうちに集成材でお寺が建つのでは・・・と。
佐藤:昔も材料がないと東大寺のように寄木で束ねてつくっているから。仁王像も寄木づくりだし。砥石の砥ぎかたはどこかで修行したんですか?

大橋:学校に行ったときに一番最初に習うのが砥ぎです。そこからは、教えて出来ることでもないので、力加減が難しい。
佐藤:へたに砥ぐと刃先丸くなって、削れなくなるね(笑)

大橋
:初歩はそうですね、この鍛冶屋さんが前の務めてた場所にフラット来て、僕が砥いでいる横に来た。「お前何年やってんねん?」と「3年ぐらいですかね」と言ったら、「3年砥いでそれか・・?」みたいな感じで言われました。凄い優しい人なんですけど。砥ぐ姿を見るとわかるんですね。下手くそやったと思います。その人に出会ったおかげで道具を自分で作るようになりました。

 ・・電話の音が突然なりだす・・・

美容室を始めたら僕に電話かかってきたりしますね。「美容室の広告掲載しませんか・・」なんて。僕の電話番号知っているんですね。インターネットで書くことあるじゃないですか、そういう情報を売り買いしている業者がいるんですね。

佐藤:物買ったり、宿に泊まったりすると住所とか電話番号書かせられるからね。情報売買してるだろうね。なるほど。ホテルのフロントマンがコピーしてアルバイトしているかもしれないしね(笑)

・・・鉋を調整している大橋・・・

いい椅子ある暮らし

大橋:材料は丸太で買って、丸太の単価と製材賃。それは立米いくらで製材してくれるんです。丸太の市場はここから1時間ぐらいの所にあります。丸太の買い付け覚えました。そうじゃないと、後ろの背もたれの幅と厚みのある材料は流通してないので 

佐藤:背もたれは直材から湾曲を削りだすんだね。
大橋:大方は鋸で引いてから仕上げますよ。木の曲がったところを探して、背もたれ材を採る。

佐藤:自然の中で生きている。いい感じ満て、いいね。木材使って身体をつかって、物が出来て来る、安定の暮らしの型だね。口設計で建物が出来上がるのとは少し質が違うね、比べられないね。設計者は自分で身体動かして建築造りはしないからね、家具手作りとは違う世界だよね。
大橋:自分で作れへんかったら人に言えないな・・・と思ったんですけど。出来たら1人ぐらい雇って作りたいです。
佐藤:人を雇うと張り合いが出るかもね。給料払ってあげなと生きていけないし。今より多く注文とってこなければいけないね。一人前に椅子職人に育てていくのも楽しいよね。

・・・・ 鉋をかけている音がつづいている・・・・

大橋:今はモデルチェンジした椅子。展示してある椅子です。何個下さいというお客さんはほぼ居ないですけどね。だいたい一脚売りです。家族の分を買う人が現れるといいんですね、どちらかというと、家を建てる時に声かけてもらえると、そういうのがあります。

佐藤:建築家でもいい椅子揃えでもっている人少ないかもね。
大橋:佐藤さんはいろんな椅子、モンローチェアーとかあるじゃないですか。
佐藤:俺はモンローチェアー家族分買って使っている。
大橋:相当値段するんじゃないですか。

佐藤:したね、一脚40万円したよ。物品税がついてて、税金幾らだったか?半分弱だったかもね。今は消費税10%だけど。今の方が値段下がったかもね。伊東豊雄デザインのパンチングメタル製の椅子は50万円ぐらいしたかも、覚えてない。あれは手作りだから。加工するのは細いから難しいよ、溶接すると細いから溶けちゃって何度も作り直ししたと言われた(笑)モンローチェアーは山形県にある天童木工が製作している、座り心地いいよ。長時間座っていても疲れないんだよね。いい椅子に座ると会話が盛り上げるんだよ。

大橋:椅子のその価値感を分る人がなかなか居ないんですよ。
佐藤:自宅つくったばかりの時はお金が無かったので、安い椅子かったら、飯食ってるとイライラしてくるのね。で、いい椅子を買おうと思って、何にしようかなと。毎日座っているとデザインした人の気持ちが分るじゃないか?・・と思ってね。もう時期40年経つけど、分るような気がするよ。磯崎さんは親指の頭ぐらいの小さなスケッチを天童の制作者に渡したらしいだけど、ジグで合板整形して切り出すんだよね。背が長いので背もたれの細い桟は寄りかかり過ぎると抜けるね。座り易いね。伊東さんの椅子は家人に好評だよ。

大橋:
伊東豊雄って佐藤さんと幾つ違いですか。

佐藤:10才上だね。建築家の椅子を使っていると、建物を実体験しなくっても、彼が何を思っているのかの、その一端は分ると思う。毎日使っていれば分る、そんな気がします。車新車一台買えるから、手を出さない人は多いかも。馬鹿だと思われるだろうから、誰にも言わないけど。そういう行為をできない奴は建築家なんか言われないほうがいいよ。紙に線を引いてお金に成る仕事だよ、設計士の仕事って(笑)その後いろんな建築士に会ったけど椅子に金をかけている人はいないね。

0711



加工場の出入り口から見える風景


磯崎新デザインモンローチェアー
大橋:そういう処にちゃんとお金をかけたんだなと何となく思っていたんです。そういう人居ないですね。
佐藤:我が家の人はモンローチェアーのファンだね。他の人に「いい椅子を買いましょう」と言っても買わないね。
大橋:今もデパートに出してもらってますけど、値段だけ見て自分の世界じゃないと。
佐藤:口コミでのんびり数を増やしていくしかないんじゃない。
大橋:今はインスタがあるんで、何となく価値をわかってくれているというか、共感してくれていると言うか、出会い易くはなっていますね。

佐藤:そうだよね、発信すれば検索で目に付くかも・・・だしね。
大橋:遠いところから来ました人もいてたんで。
佐藤:これから増えるんじゃない。ファンが増えるよ・・・きっと。
大橋:同世代で注文してくれる人が増えたので、未来はちょっとあるかなと。

佐藤:店の名前だけど?
大橋:店始めてから、半年後ぐらい「enno」でいこうかと。字でかくと「縁の」です。
佐藤:今っぽくローマ字にしたわけね。
大橋:そういう意味ではおおいかも、日本語をローマ字。

佐藤:脱力して自然縁で生きている感じかな。
大橋:なるほど。手描きで書いたのを掘ったんです。撲一人で椅子作っているときは何もなかったんです。店、美容院つくるときにいろいろ要るじゃないですか。どれでもいいというから、そんなこれでいこう・・・と(笑)ご飯食べた後に手描きでぱっと書いたやつです。

佐藤:HPは作っているんですか?
大橋:作ってないです。要らんのかなと思って。
佐藤:口コミで広がるのがいいよね。
大橋:椅子は出来たらHPやりたいと思います。美容室は要らないと思います。

佐藤:椅子、注文きすぎたら困っちゃうんじゃないの。
大橋:インスタだけじゃなくって、HPもやっているという社会性、というと大げさですけど。
佐藤:今は情報を簡潔に伝えるのは必要だからね。大橋さんのHPを開いてみると必要な情報は書いてあるといいよね。FBは使っているしね。

大橋:数が1/10位なので。インスタが多いです。

・・・・鉋で削ってる・・・・

佐藤:鉋で削っていると、いい音だすね。
大橋:この刃物はいい音する。
佐藤:よい刃物はいい音を出すんだね。
大橋:響きが違いますね。しゅーっていう高い音が。これはこの人の鍛冶じゃないらしいんです。その方の一世代上の人の鉋で、ヤフオクで見ても凄いいい値段で取引されているんです。そこに有った端材をもらって作った鉋ですので。
佐藤:端材だったから小さい鉋がつくれただけだね。弟子来そうだね。

大橋:それじゃないと続かないと思うんですよね。従業員雇ってとかシンドイし。楽しくなかったら。今のブラック企業とかいうの・・・あるじゃないですか、言葉というか。

・・・・鉋を削る音が続いている・・・・




佐藤:端材のような刃はいまは作れないんでしょう?
大橋:作れないです。
佐藤:砂鉄から日本刀つくるの、想像できない大変だったろうね。
大橋:玉鋼はこの人も作っていた時期があるんです。
佐藤:元の砂鉄から素材にするまで、4日間不眠不休で炉を燃やし続ける話は読んだことがある。その後トンチンカンチンとんとんと叩き合い不純物を追い出すんでしょう。

・・・・鉋を削る音が続いている・・・・

このような長閑な場所に居を構えて、大橋さんが椅子を作っていると。

大橋:電車は1時間に1本ぐらいです。時間あるから観光しますか?
佐藤:大橋さんの仕事を見るだけでいい、お城見に来たわけじゃなから。気仙沼、当時よりリアルな人間になってきたね。
大橋:そうですね。
佐藤:気仙沼の鮪立のころは、具体的な人間像じゃなかった。 自分探ししている時期だったね。
大橋:そうですね。何でもできると想っていた、まだまだ可能性があると思っていた。木工始めてからは。
佐藤:ようやくスタート時点にたっている気分か。

・・・・鉋を削る音が続いている・・・・

大橋:岡本太郎展に行ってなかったですか?
佐藤:太陽の塔に行ったけど、太郎展は観なかった。待ち合わせで中之島美術館には行った。青山にある岡本太郎美術館に行っているから。大阪で見なくっても・・・いいなと。

大橋:法隆寺も行ってたじゃないですか。
佐藤:行きましたよ。世界最古の木造建築1400年。
大橋:今、行って観たいと思ってました。
佐藤:行ったほうがいいよ。関心した点は1400年間増築したり、後世の人たちが手を加えてないことだった。まま残ってきた。見るべし。空いてる場所に、なにか建てちゃったくなるじゃないかな、1400年間だよ。回廊もいいね。空間の演出とバランスと調和は上手いよね。日本人には出来なかったんじゃないかな。外国人と日本人が力を合わせて造り上げたというほうが、いいじゃない。

大橋:そんなこと考えた事なかた。
佐藤:建築を作る人がいないと維持もできない、設計者の名前なんか当時は出さないからね、記録に残っているかもしれないけど。東大寺は記録があって大工さんたちの事は分っている。建築家の名前なんか表に出なくって、いいわけで。ナイスな建築を作れば人々は1400年残した貴重な事例がある。継承されている点、そこが大切だよね(笑) 法隆寺を体験してみると5重の塔と金堂と講堂、三つの棟で、他は回廊と門。シンプルな感じがいい。門から見て回廊の奥の方が講堂の手までで絞ってあって、構成が上手い。単なる四角な構成だと同じ回廊になるから、体験が単調になるんだけど、勉強する場所、講堂の手前で絞ってあって視線が動くので、単純さに変化を与えていていいなと思いました。門の中太柱は有名だけど、あれもいいね。
大橋:それは木工しているとよく出てくる話しですね。
佐藤:エンタシスと同じだというけど嘘だと思うけどね。
大橋:笑
佐藤:柱の太った感じがいいね。
大橋:実物まだ見たことないです。木工やる18才位のとき、何も知らんときに行きました。今、法隆寺見たら何を感じるやろう・・・と。
佐藤:修繕の手は入っているんだろうけども、いいよ。
大橋:法隆寺の専用の大工さんがいてたという。
佐藤:代々引き継いで修繕しているんだろうね。
大橋:僧侶的な暮らしだったと思いますよね。
佐藤:回廊の幅と高さがいいよね。俺は近代建築には壁があるからよくないと言ったりしているだけど、法隆寺の回廊の内側は壁が無い。外側連珠窓だスースー。風も虫も野鳥も人の視線も通り抜ける。法隆寺にある廊下の手法を忘れているのではないか?と思いました。塀を造り完全に閉じてしまっている。

話しかわるけど、ここに置いてある作品は練習用ですか














大橋:それを教室で造るんです。
佐藤:手間かかる作品だね。これはやめた?
大橋:やめました、背もたれの網が思った通りにならなくって。うまくまとまっていない。
佐藤:糸も違うね?
大橋:それはデンマークの糸です。その糸の網かたの完成形がこういう感じです、そっちはスカスカじゃないですか。
佐藤:最初に使ったデンマークの紐づくりは失敗して、日本の和紙を撚ったものにかえて編んだと。
大橋:編み方を工夫したら、まとまりました。
佐藤:失敗作の絵も撮っておきましょう。東大寺は法隆寺と比べると500年後の建築だけど、重源が俺は好きなので、行ってみようかなと。
大橋:浄土寺はここから近いです。

佐藤:浄土寺はだいぶ前に行きました。浄土寺浄土堂は虚実が反転して構成されているのでいいよ。
大橋:ここから車で1時間ぐらいで行けます。法隆寺と違って重源は名前残っていますけど。
佐藤:重源は焼かれた東大寺を再建したから名前が残った。重源は建築家というよりは福祉系もつくったし、天皇からも武士、頼朝からも、乞食からも建設資金お金を引き出した、総合プロデューサーに見えるので好きなんだ。建設資材を集めるときに、奈良県周辺には無い、周防一国を天皇から与えられたんだと思うけど、そこで材料を探す。その時に探した者に米一石だったかな?米を与えた。材料を切り出した時に木こりたちが疲れ果てるのでサウナなどをつくった。そういうマネージメントもやったと言われている。当時のサウナが残っていると言われている。石室だろうけど。当時だと人間以下の身分の者達を使って東大寺を造った。でも律令制の下ものでは穢れるから助けてはいけないと禁止されていたと思う。だが彼らのために役立つお助け小屋なども造るのは禁止されていたと思う。だが造った、僧侶による社会福祉事業だよね。

大橋:超よく出来る、現場監督(笑)
佐藤:今の現場監督は利益追求だけするけど、足りないお金を総理や天皇から持ってとってこないよ。下請けを奴隷のように扱っているかも知れないな。現在の建築現場、知らないので。
大橋:それは重源は立派というか凄いですね。
佐藤:当時は天皇制を守ること、国家鎮護のための仏教で、その僧侶だ。本来は下々の者のための仏教じゃない時代にだ。後に浄土真宗ができる以前で、女性が仏教によって救われるというコンセンサスが無い世の中。鎌倉初期に活躍した重源は面白く興味深い人物だと思います。

大橋:今、佐藤さんが評価できる人は。
佐藤:総合的に、現在の世にあって政治的、福祉的な面でも活躍をしている人は居ないんじゃない。世界は広いからいるかもしれないけど、俺は知らない。
最近の新宗教では、旧統一教会問題が国会でも議論されているように、あのように多数の二世被害を生み出しているから、鎌倉初期の宗教とは質が違ってしまっている。

大橋:いわゆるカルト宗教のイメージそのまま。
佐藤:現代は詐欺まがいで、お金儲け、金集めが主みたいに見えるね。重源とは違うね。
大橋:重源に関してはいっぺん本を読んでみたいとは思ってます。

佐藤:重源に関してはあまりお勧め本は無い。浄土寺浄土堂にいったり、東大寺にいったり、狭山池にいったり、サウナの跡地に行ったりして、自分で想像を膨らませて、重源像をつくるしかないと思います。
法隆寺は1400年間建ち続けているけど、最近できた新国立競技場もふくめて、今都市を賑わせている建築はほとんど1400年間維持継承されることはなく地上から消えていくでしょう。

大橋:政治家の個人的な意見が採用されるというか?
佐藤:オリンピックも元首相の利権のために開かれたと伝え聞いてます。それが明かになってしまった。開催前から今時オリンピック開催する必要はなく福祉国家にかわるべき論が多かった。成熟した社会になっても、戦後みたいな利権政治が暗躍して、うまく開催してしまった。これから犯罪として検挙されるのか?不明だけど。大阪万博も政治家達の利権が原動力だから、1970年に万博より酷い結果になるんだろうね。

大橋:オリンピックやってよかったという政治かもいる。
佐藤:1964年のときは。敗戦から約20年だから日本の人心をまとめ、世界に胸を張れる、その効果はおおきかったと思う。国立競技場は消えたけど、代々木の体育館は残り続けるよね。原子力発電所はあの辺りから稼働させ、さらなる高度成長を企てたからね。








木工初期の作品
・・・・鉋を削る音が続いている・・・・

 法隆寺の話が続いている

大橋:奈良は古いのがけっこう残っているので。

・・・美容院に入り写真を撮る佐藤・・・

佐藤:ここは子供の勉強コーナーだね。いい場所考えたね。
奥さま:うちの子もおれるし、お客さんの子もおれるし。
佐藤:男じゃ考えつかなかったでしょう、さすがです。
大橋:設計者が女の人なので。

佐藤:自分も仕事しながら子育てしているんだね。
奥さま:そうそう。

大橋:ここは子供の場所だったんだけど物置になってしまって。
奥さま:ぜんぜん居ない、ここか、椅子の周りまわっているか。
佐藤:天井ポリカだと夏暑いでしょう?
奥さま:めちゃ暑いです。今でも暑い。

佐藤:風通しをよくするといいかな、陽射しが入ると暑すぎるよね、明るいのはいいけど。ありがとうございました。
大橋:これお土産にちまきです。温めないと食べれないやつです。
奥さま:1年ぐらいもつんだそうです。
佐藤:ありがとうございます。
どうもおじゃましました。

奥さま:いいえありがとうございました。

佐藤:あっという間に家・屋敷持ちになっていたので驚きました。
大橋:笑

佐藤:では駅に向かいましょう。

 共に どうもありがとうございました。




鉋の刃を砥ぐ大橋さん

 大橋力さんに聞く最後まで読んでいただきありがとうございます。これでお仕舞です。
 作成・文責佐藤敏宏   01へ  Homeへ