HOME   佐藤敏宏が作成しました     佐藤敏宏(元・エア建築家)@セシウム都市フクシマ  による聞き取り記録集
三島香子さんに O邸を語る 2013年7月4日 代々木傍に中山事務所にて
その01  その02 


 2013年7月3日 「o邸」in京都市内




 6月30日 滋賀大生とO邸を訪ねたが留守





 台所から家型へ階段はs字型で上が




 階段の真下で自撮り


縦に敷いたmyお泊まり用布団

 2013年 7月3日の晩に敷いた寝床は 7月4日朝には3人の子ども達に不法占拠されてしまいました 




 カボチャ 木々の実などを抜け
 北西側の木戸 現在玄関 幅40センチ 




玄関側から メタボチェック木戸を見返す

七夕飾りもあります











 家型とったんの先に配置された 台所から 物干し用庭を観る



東側の洗面洗濯場から 物干し庭を観る






 家型の1番奥を上から見る
現在は食堂用テーブルが設えてある



 満田衛資さん提供写真














 01

佐藤:O邸用の最初の模型を保管してあるんです
三島:中山さんがあんまり、気に入っていない ふふふ ちっちゃい模型で。
   (模型をケースからとりだす)

佐藤:最初の時点の模型ですね〜 それはいいな〜
三島:最初の模型です。

佐藤:こんなお宝がでて来ました
三島ふふふふ 景観法で色とかが決まっていたんで。周りの色をしっかり再現する というのをやっていたんですけど。
  
佐藤:この模型は出して大丈夫なんですか
三島:大丈夫なのかなー これが1番 初めの模型ですね。

佐藤:写真撮るの俺のスマフォ写真撮るとる 術では難しい〜
三島むずかしいですね

佐藤:では 設計を担当された三島さん「O邸を語る」よろしくお願いします

三島
:お願いします
佐藤:1番最初の模型がこれだったと言うのは・・法律では家型と屋根の色でしたっけ決まりは。 それが決まって。あら、機能も模型には既に あるね 台所が書いてあるね 

三島:もう(機能わけも) はじめてますね
佐藤:初めから 現在のような配置してますね。ほぼ最初のまま 現地でも完成 出来ているじゃないですか
三島ふふふ
佐藤:この まんまじゃないですか
三島:あんまり変わってない 

佐藤:ああ 二階の位置とか変わったかな
三島:そうですね こういう段差とか(かわったかな)
佐藤:そうですね、段差なくなっちゃいましたね。上降りてくるって感じのアプローチだったのかな  この当たりはぴったりくっついてるか。現物は離れているね。 家型の平面の曲がりかたが緩やかになっているかな

三島:そうですね。初めは 平面も まっすぐだったんです。
佐藤:あ!まっすぐなプランも あった〜の??

三島:まっすぐだったんですよ。まっすぐで描いていたら、ある日中山さんがぐにゅーっと曲げて
佐藤:曲げて よかったね
三島:周りの敷地とか観て、曲げてきたんですよね ふふふふ

佐藤:まっすぐだと隣と たんに並んでいるようになっちゃうからね。
三島:うんうん そうですね。 ちょっと周りに設備とか台所を寄せていく という、だいたいのゾーニングは決まっていたんですけど。
佐藤:中山さんがおっしゃる 21世紀の傑作階段というのは最初から出来てますね

三島:そうなんです。これは そうそう 初めここに螺旋階段とか、色んなことをやっていたんですけど。
佐藤:これは撮りにくいな− 透明で反射と映り込みがあるから な〜 
三島:ははは 
 

佐藤:
家型の領域から 台所・設備の領域に渡っている階段は出来ている

三島:そうなんです。
佐藤:中山さんが家の外といっている領域から登りだして 家型に入って上がるは出来ている。最初の段階で既にきまっていて。

三島:この時は凄いスピーディー キャッチボールが出来てじゃー外から入った方がいいって言って。決まっていったですけど。

 平面が曲がった理由は確かにここに お風呂があって ここのボリュームをどうしても欲しいということになった時に、風呂場で必要な量と 台所側で必要な量が平面が曲がっていた方が入るな−ということで。

佐藤:意外に地味堅実な理由ですね 建ぺい率はギリギリなんですか
三島: まだ余裕があります
佐藤:最初の案よりは神社側、西側の隙間が大きくなって。 北東は畑 玄関だったのかな
三島:玄関は 北東から入る 初めから ここだったんですけど。
佐藤:西側の入り方は勝手口って感じだったんですね

三島:勝手口です。アプローチ 。「とにかく、お庭が欲しい」って言われてたから。はじめに。 家型の平面は50センチ以上太っていたんですけど、どんどん生活圏に押されて小さくなっちゃったんですよ
佐藤:家型の幅は 狭くなってよくなったね。 今の方が 50センチ太い平面より断然いいですよね。このまま横にして 布団敷いて俺が寝てると 子供に踏んづけられちゃうので 縦長に敷いて寝るしかない 選択肢が無いのがいいので。

三島:決め手はそれで 横になってもギリギリ布団が敷けるとか、それで2m
佐藤:最初に泊まっ日は 横に布団を敷いたけど 早朝子供が起きて来て 寝坊の俺は安眠できなくなるので 最近は縦長に布団敷き 泊まりですね
三島:最初は横断敷きだったんですか

佐藤:そうです でも玄関とトイレの間に敷くと お父さん遅く帰って来ても踏んづけられるし 朝は子供がトイレに起きるし 寝る場の 確保が 選択肢が無いので 縦に敷き 寝る しかなかった
三島:私は初め 寝た時には この平面の丸のところに頭を入れて寝ました

佐藤:ああ、それはいいね。  最初に泊めていただいた時には 家型の突端   そこには食堂の椅子とテーブルが置いてあったからね 食堂になっていたからね
三島:そうだったですね。
佐藤:今は玄関が西側。 神社側の勝手口が玄関になっているので また丸い場所に食堂は戻りましたね
 
三島:写真によっては色んな所に食堂テーブルが移動しますね

佐藤:
家型の中はどこでも使い方 機能の発明は 自由に 決めて 活用できる建築ってことで。 ドンドン変化しますね ここまで来ると風呂桶も そこら中移動出来た方がよかった 好きな所で行水形式の方が好かったかもしれない


三島:
ふふふふふ 動かせればいいんですけどね

佐藤:家の中に側溝 配列してジャージャー流す お湯を運ぶのに 苦労するかな 機能区分として平面がキッチリ決まってないよさが強調されたかもね  使われ方で 家型は存分に活用利用され 建築の力が発揮されていますね。 食堂予定だったところが玄関になっていますね
三島:そうなんですよね、奥まった感じ 出てて
佐藤:今現在の玄関通路は人が ギリギリ通れる メタボ・チェック路が 一部に ありますけどね 棺桶 通過は むりか〜って幅 ギリギリの幅 

三島:40センチぐらいしかなくって。裏木戸 を付ける予定だったんですけど、人を選ぶ通路です ふふふ
佐藤:メタボ・チェックも 建築の配置で作り できてしまうという 優れた門が 玄関前に待っている という
三島:そうなんですよね

佐藤:当初 玄関だった所に テントで子供部屋を設えてありました。 仮設で でも子供が乱暴に使うのでテントの骨が折れてましたけれど 仮設子供部屋ありました:子供部屋は天井からハンモック状に吊り 子供が縄梯子で上り下りするのがいいんじゃないかと。 俺 徹子の部屋の 徹子状態になってますね
 
三島:はは はは どうぞどうぞ。
佐藤: お父さんと お母さんがここから出て行く。 通いパパ・ママになるとか。増築しないでくれとお願いしておりますが 

三島:
ふふふふ それがあって 二階のベットとか話してたときも、増築するとか将来的に。 京都って2万円とかで周りに下宿できるっていうから。目の前もレンタルスペースだったりするんですよ。だから 兄弟二人はレンタルスペースで

佐藤:とりあえずは 家出するのは パパだね 
三島:ははは は お父さんが出る

佐藤:
まず最初に「寂しがり屋のお父さんが追い出される」という筋書きでいきましょう

三島:あそうか子供とお母さんの家で
佐藤:お父さんは通い婚状態ですね 駄目ぱぱになると 家に入れてもらえない という緊張感ありでね。 そんな感じでね 暮らすといいよね。15、6歳になると 高校生になると合宿所とか入る人も多いし my長女は高一で下宿だったので O邸 兄弟も外に出ていくかもしれないしね 通い婚状態は10年ぐらいで解消してしまう 直ぐです
三島:そうですよね〜

佐藤:もしどうしてもここにパパが寝ていたいなら 天井からベットを吊ってね
三島:上から吊れるようには してあるから。ちょうどこの棟部分の下にナットが埋め込んであって。吊れるようになっているんですね。
佐藤:なるほど、それは いいや 知らなかったよ

三島:壁にもぽつぽつと穴が空いていてそれも鉄骨下地なんでそこにナットが埋め込んであるで
佐藤:なるほど。 最初の案がこの模型だっていうことは

三島:あれだけ時間が 掛かったのは なんでだろう??ふふふ
佐藤:俺に聞かれても解らんです〜 今見せていただいている 最初の模型からものすごい時間が掛かったんですか。
三島:ここから 軒を出す、景観法との闘い
佐藤:軒でないと駄目なの 
三島:出ないと駄目なんですけど。

佐藤:出て軒があったほうが水仕舞とかいいけどね、屋根の材料はなんですか
三島:あれはチタン亜鉛合金といって 本のちょっとチタンが入っていて、
佐藤:高価そうだね
三島:この建物になかでは 確かに高い材料かも知れないです

佐藤:使用材料は法律で決まっているんですか 
三島:色は決まってますね。素材は決まってないですね。金属葺き、金属葺きは決まっていたかな この地域は。

佐藤:
瓦じゃなきゃ〜駄目とかじゃないのね

三島:色彩の明度が決まっていて落ち着いた山に合った色でということでしたね。

佐藤:最初泊まったときに雨だったんですよ 風呂場の屋根に雨滴が当たり やかましいんですけど 雨脚の強弱が音に変換されて それはそれで自然の営みを音になり伝わるので いいよね 俺の家も一部がガラス屋根で音が鳴る建築ですのですが 良いですね雨音を聞くのは  低気圧の通過時は温度が下がるので 暢気に受け止められない 台風時もあるかも かもしれないけどね 
三島:庭に水を落とすとかいう理由で。 台所の部分には 周りに流れないように樋は付けました。確かに高い家型の方には樋は付けてないですね

佐藤:自然現象に合わせて 鳴〜る家だな−と 
三島:雨音がするふふふ


佐藤:「建築の理想は路上だ」って言っている者なのだから  理想が出来ちゃてた〜と 凄い驚いた 何にも知らずに行ったのでね
三島:そうなんですね 

佐藤:o邸の発注者である岡田先生には京都の飲み屋で一度だけ会っただけなんですよ。ある日突然 「我が屋が出来たから泊まってけろ 泊付けに来い」ってメールが来たので 行ったんだな〜。なにゃろ??なーと この20年間も 不勉強なので雑誌なども購読してないし 若い建築家の事も何も知らないので。O邸の情報も知らないんですよ。
三島:路上 ふふふ

佐藤:本当に路上状態が 建築化されていたので、あまりにも驚き 喜んでね。どういう経過でO邸が出来たのか? ってことを発注者のご夫妻の話と、施行者の話と、構造家の満田さんの話と、設計者の中山さんに聞いて記録をつくり、それらの内容をまとめて、出来ることなら「o邸 人・人物語のような 本にできるといいなー」と思っているんですけど。

三島:
ああ〜そうですね
佐藤:「o邸という 建築」に関わった人々の 人生録集って無いように想うんですよね。中山事務所が本を出しても 中山事務所のPR、広報誌になるので

三島:そうですね自作自演になっちゃうから ふふふ
佐藤:自分で設計した建築もそういう本に仕立てたいんだけど、自分で作ると他者の視点が入らないで 自作自演のPR本になっちゃうんですよね 歴史的 資料価値としてはほぼ無い 自らがレイア−を掛けたPR資料になるので 価値は低い
三島:ああなるほど。ああ、ああ

佐藤: 発注から施行まで関わった人と人の物語と 建築を通した肉声をまとめた本を作り、他の領域の人々へと どうしても伝えたいという願望があったので。幸運にも O邸でその機会がやって来たと感じました 岡田先生の誘いなので棚ぼた的 行為になってますが

三島:なるほど
佐藤:それで 聴きとり文字に起こし記録を作り始めたんですね、O邸に出会ったのは4年前の話です。間に 311大震災と原発事故があったので、2年間ほど手つかず〜で 右往左往しまくって辛いですが 311後は 記録を作るような落ち着いた気分にならなかったんですけど、ようやく311福一の原発事故から2年4ヶ月ほどです けど 以前のような余裕ができたので。5月19日の中山さんの声を聴き採り記録を作りを開始し 公開したんです

三島:号泣されて
佐藤:そうなんです、なんだか泣けたんですよ 泣きながら文字を起こしました  「o邸について」語りは 設計じょうの 具体話が少なすぎたので 三島さんも登壇願わないと 忙し中すまんです
 
 上の絵 中山さん記録の頭の部分

三島
あ そうだったですか。(インタビュー内容を)私きこえてなかったんですよね〜

佐藤:o邸を実物で作る時に設計サイドの 設計と工事の現場で起きる苦労って必ず あるじゃないですか そこが記録されてないんですよ
三島:初めのイメージでは路が入って来ているみたいな、とか。路が入って来て終わらせ方はどうする、とか話していて。凹面だけで作ると終わりも見えないじゃないですか。壁の終わり最後が見えないだから丸い平面にしようとなって。壁面も曲がっていた方が都合がいいから 丸にしようと、実際鉄骨造で作ろうと思ったら、丸い建物って凄く大変で。

佐藤:そうだよね。
三島:凄い沢山模型を作った
佐藤:現場じゃなくって何がすごい大変だったですか。
三島:設計も、図面 いっこいっこ、曲線の物を 直線の部材で作るっていう設計も 大変だったし、現場だったら、墨出しが本当に大変で。

佐藤:最初に基礎の図面を大地に描くからね ぴしっと描かないとね 細いしね建築が
三島:細い鉄骨で作っているから 通してみるとみんな曲がっていて 
佐藤:まっすぐに戻ろうとしてしまうわけね。
三島:スパンも3,4スパン有るわけではなくって、グリットじゃないんで。この一個がどっちに倒れているのか 判らないですよね。

佐藤:工事を請け負った永岡さんは 北東の柱を直すと 南西の柱に響くと 柱の建て付けの修正は モグラ叩き状態になって 毎日大変だったと 言っていました
三島:そうなんです、真夏の炎天下の中ほんとうに
 
 今日は 岡田先生中山事務所に来てワイワイ打ち合わせしてました

岡田: 昼飯 行きますので

佐藤:あと30分ぐらいです

三島:
そんなに ふふふ
佐藤:すぐもりあがちゃうから。鉄骨を立てたあとの建屋の歪み直しが難しかったといいう点ですね 出来上がっても 局面平面は地震があると揺れ元に戻ろうとする力が生まれるよね 。それでも外壁も 内壁も割れてないので凄いですねね

三島:
それはけっこう気をつかっったんです。

佐藤:壁のクラック防止はどういう方法で、凄い技だよね 普通にしてたらばりばり割れると思うんだけど
三島:一応構造とは縁を切って下地を作ってとか、そういうのはやっていて
佐藤:全体の壁厚があんなに薄くっても
三島:ノンクラック工法っていうのを 一応うたってるのがあって。でも沢山割れているのを見たことがあるんです 。 その時に 確かモルタルを塗った後にキチンと養生期間をとって。一回ひび割れたものをしっかり補修するとか。 o邸は現場常駐してたんで。

佐藤:最初に壁を養生しながら割れさせ尽くしたとそれを補修し

三島:あとは吹き付けているのが弾性の物なんで、コツプロックというごつごつしたやつなんですけども。
佐藤:外壁がね 1階の壁はコンクリートそのものがだからね 湿気がね来てないのは優秀だよね 外側に防水を施したのですか。
三島:躯体は膨張剤を入れて

佐藤:地下の物入れ あって驚きまいた おお!あるこんな所に隠し部屋だって

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