HOME 文責・作成・佐藤敏宏 | 佐藤敏宏の京都ことば閲覧2017年1月27日から2月2日 |
ことば悦覧録 |
牧野研造さん2017年1月27日京都市内 その1 その2 その3 その4 |
その3 牧野:ときどきあるんですけど。描いてあるほうが助かるって言いますね。描いてないと、後で揉め事の原因にもなりますし。詳しく書いておくほうがいいのかなと。 独立した当初はどこまで描くものなのかなと分からなかったので。出来るだけ描いてコミュニケーションすれば、何でこんなに描いたかとか、ちゃんと相手に伝えれば分かってもらえるし、手紙みたいなものんじゃないですか。 ラフにいった方がいいときにはラフに描くこともあります。改修とかの場合は特に。 佐藤:既存改修の場合は少し解体してみないと痛み具合など分からないことが多いしね 牧野:内部が白いだけじゃない写真も見せたかったのですけどね。 佐藤:相変わらず元気そうでいろいろな仕事をおこなっていると。 牧野:元気ですよ 佐藤:仕事が来たら、ランドスケープ仕事でも何でも仕事をしていくぞと 牧野:何個も作っていく、心づもりだったんです。どこで作っても、違う植物が育つので色んな所で作ることによって、それぞれの価値が増すかなと思ってます。出来るだけそこの花のルーツとか、現地の人にやってもらうことで、あんまりコントロールし過ぎないようにして、そこの特色が反映されるようにしたいなと思ってます。植物みたいな状態になったらいい 佐藤:植物だって環境に合わないと育たないし。設計者の思いのようには育たないし。京都には町家の庭も含めて植生は長年考えてきていると思うのですが、京都の作庭例なども参考にされたのですか。 牧野:京都の庭と北海道の庭は全然違って、北海道の庭はヘクタールで、ふふふふ 佐藤:規模が全然違うと 牧野:そうです、全然京都の庭とは違います。庭は一回囲い込んで、そこに作るのが一般じゃないですか。せっかく北海道でやるんだったら、境界線がどこからどこまでというのをできるだけ無いような状態にしたいなと。そういう考え方です 佐藤:清家清先生に関する修士論文ですよね。飛び石の話とか、その成果も作庭に投影されていますか 牧野:それはしてないです。ふふふうふ。それを無理やり言うと分けわからなくなるふふふふ 佐藤:そのうち繋がってくるかも知れないですよね 牧野:清家清先生の論文書いたときは頭の中に構想があって、実際それとリンクするようなものは発表できるかなと思います 佐藤:まだ温めてあるんですね 牧野:そうです。 佐藤:それは楽しみです。素晴らしい継続力ですね。自作の論文を忘れたい者もいると想像しますが 牧野:論文書いたのは有意義な時間だったので。今読み返しても同じように思えるんです。論文は文字だけなので、それが結実というか現実に、両方見たときに説得力あるものが作れるたらいいです 佐藤:現況の仕事はこんな感じですか。事務所は一人ですか。 牧野:はい、そろそろ人を雇うかなと思うんですけど。去年今年と仕事の量がだいぶ多くなってきたので。その次ぐらい一人で処理できないようになってくると。募集はしているんです。 佐藤:現状での悩みはないんですか。一杯ある 牧野:ICレコーダーがあると嫌ですね ははははは 佐藤:酒の席で聞かせてください。今回聞き取りで記録しておきたいことはありますか。前回の時はバイトの方とともに毎日チラシを切さいて色を並べる作業をされてましたね、あのような作業は今はどうですか。日めくりのように同じ作業をし続け自分を発見するかのような行為はされてますか (前回の自主トレ作業風景) 牧野:今は貼ったりするのはやってないですけど。今忙しくてそれはしてないです、植物を 佐藤:確かに、作業場にいろいろな植物が持ち込まれてますね 牧野:部屋が暗いから写真撮っても汚いと思うんですけどね 佐藤:へたな写真ですが無いよりいいんで 佐藤シャッターを押す 牧野;面白いんですよ、何でこういう形で。ここにあるのは日本にない植物が多いんですけど。何でこういう形になったのかなーとか。こういう形だと生存し易かったのかなーとか。何となくちょっとは理由が見えるじゃないですか。これはこういう地域に合って、こういう形で生き残ってきたのは合理性があるなーとか。そういうことが建築にも共通しているんじゃないかなーと思って。一見奇妙な形だったり変てこなのが多いんですけど。それなりの合理性が感じられるというか。 佐藤:本当にそうなのかなー 牧野:本当はね、違うみたいなんですよ。聞きかじった話で申し訳ないんですけど。種(たね)の種(しゅ)って色々遊ぶんですって。そうすると色んなものが出来るでしょう。そのなかの、たまたま、その環境に適応してたものが残るから、植物とかのほうは適した形になっていこうとしたと言うよりは、長い年月かけて残っていった結果、人間から見たらそう見える。 佐藤:おれもそう思うんだよ。 牧野:重要なのは種は遊びがあるから残っていくと。人も違うキャラクターが居て。違うところに行ったら活躍できたりと。 佐藤:そういう見方で言うと大学の建築教育って人間に合ってないかもね 牧野:今は海外の作品なんかを観てもすぐ理解できるというか。共通したマナーというか現代建築の作り方 佐藤:世界中似てきては、絶滅近しでしょうか、環境が凄く変わりそうなのに建築思考は似ているように思うって 牧野:でもたまにはこういう、変なやつが居るから、それが意外に潮流になったりっていうのはあるんじゃないですか。 ともに ははははは 佐藤:ダメ・変な奴が危機を知らし教えてもくれることもあると 牧野:そうですね。だから文化の遊びみたいなもの。あんまり成功しない遊びもあれば失敗する遊びもあって。でも失敗するとか成功するとかそこまで考えずにやるのが遊びだから。 佐藤:建築をつくるためにもがき苦しんで楽しんで、その結果が雑誌に載り。後付で有名作家の道があるかのように流布されたりしてはははは、雑誌の受け手は世界の有り様は順序が逆であることを、知らずに。それをなぞり人生にしようとしたりする 牧野:そういうのもありますよね。 佐藤:偉人の伝記もそうですけれどね。偉人の実生活とはとはかなり異なる物語が作られて伝わるように。一般の人に受け止めやすいよう編集され販売戦略に乗せているので。その当事者は現実に生きて活動しているときは偉人になるその結果を考えて行動してないと思いますよね。セルフプロモーションして偉人の道をなぞって生きている人もたまにいそうだし、それは人間のありかたを誤解していますよね 牧野:そうですね。変だと思います 佐藤:人生は終わったときじゃないと示せない。ここにある植物のように環境にあった合理性で生き残ったと言うのは・・人間の後知恵でしょう 牧野:サービス精神というか、そう言ったほうが面白いということじゃないかな。それも一つ面白いことだと思うです。自分の今まで関係なかったものを物語としてつなぎ合わせる力。それが人を面白がらせるのだったら、それもまた一興かなと。 佐藤:自分の建築の作り方を決めて、だから仕事くださいと仕事をさがす方が楽に見えますが。仕事に一つ一つ答えが無い、手探りでやっていると膨大なエネルギーを掛けてしまいますよね。大変そう。そこが面白いともいえるんだけど。 牧野:自分の頭の中から出て来るものなんかたいした事じゃない。 佐藤:それはそうですが、若いのにすでに悟っちゃいましたか。そうだけど。半面自分が参加することで伝えられ作らる可能性もあるとも思っていませんか。 牧野:そうです、自分の頭の中で美術作品を作って外に出すという感覚では、可能性の幅が小さいので出来たら脳みそ一個じゃなくって。たくさんあったほうがいいし、感覚もたくさんあったほうがいい。それをきちんとコントロールして、導くことができたら、よさそう。 佐藤:新しい公共というのとは違うと思うですけど 牧野:そうは言っても序列がないと、ぐちゃぐちゃになってしまう。それをどこまで人が共感した参加したりできるかというのを、綺麗ごとじゃないレベルでやるというのが。自分のキャパにもよると思うですけれど。強引に一人でまとめてしまった方が好い場合もあるでしょう 佐藤:牧野さんはこつこつ一人で建築を追求し実践してしまうタイプかなと思いましたら、意外 コミュニケーションを活発にし、他人の脳みそをも活用して作っていこうとしていた!。前回のときと印象が違う。変わったですか。 その4へ |
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