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3月31日 やや風強し

ひたすらwebと 動画を作り続ける 肩凝る。百年会に参加している人々のためには情報を共有する方法が確立してない、PC使えない地域の人が多いので出来ない段階なのである。しかし遠くからやってくる若い人には web頁の情報は最低限の安価に早くつくれる情報発信方法なので 1週間は続けないと出来そうにない作業量だが、先にいって混乱を防止するためには不可欠な作業をしこしこする、肩凝るね。 

■ 29日で行われた鮪立憩いの家での 被災後の現況護岸地盤より高さ1.3前後mほどの盛り土を施し岸壁をつくる漁港施設。千年に一度は対応しないが 数十年から数百年に一度遭うだろう大津波に対抗する海岸保全施設(高さ10mと明記されていた)についての説明会のようすを動画にし公開した 鮪立へ向かう道沿いの風景を動画の続編動画である

■本間英一さんより下屋と庇の鉄板一文字屋根葺き 工事完了の写真が送られてくる 明日中にweb頁をつくり公開したいが・・

      


 3月30日  

メールなどする データ整理をする  本間家土蔵に関する記事のスキャンなどして夕方になる 午後宮城資料ネットニュース2本つづけてを更新する


 28日の夜泊まった宿から小鯖の港を通り 鮪立へ向かう道沿いの風景を動画にまとめユーチューブにアップする フリーペーパー鮪立へ。あおいてあるので写真に撮る 

 3月29日  まだ外は寒い 
 
唐桑半島の真ん中あたりに在る民宿だがユースホステルのデカイ宴会場のような部屋で目ざめる 真東向きなので カンカン日射しがはいる 目玉焼きと納豆と味噌汁の朝食を食べ 髭を剃ったりし 鮪立湾を目指して歩き出す 8時

会合は10時からなので 小鯖の港などを見学したり 鮪立の東側を歩いたりして見学する予定 間伐が行われず手に負えなくなった杉林の伐採や仕分けされた瓦礫などを眺め ウロウロ 1時間ほどで鮪立に着く

途中佐々木さんに会い自宅に招かれワイワイ意見交換を30分をど、佐々木さんの家を出て尾根をあるき 下り鮪立湾沿いの町中にでる 歩かない分からないことだらけだが 歩いているゆとりが 何度来てもタイトな時間割で 全くなかった 鮪立に数ヶ月泊まり込んで歩き回るしかないと 何度も思っているのだがなかなか実現出来ずにいる 5月ぐらいから実現したいのだが 

憩いの家で県と市共催の 護岸と胸壁についての説明会がある。激しい応答などあり2時間で終わる 詳細は別web頁をつくり記録する予定 

 25日に行った東大理科大生を主にした 模型や図面が人気をあつめ人垣ができワイワイ話が弾む 

鈴木さんの家に行き 意見交換する 13日支所に挨拶し 市役所のまちづくり課に挨拶して 鈴木さんと別れる  市役所で外国人対応かかりの村上さんに会い意見交換 

電車で仙台にでて宮城大学の竹内泰先生と意見交換し今後の活動についての役割調整などを考える 





3月28日 

2時まで調整し 3時ごろの新幹線で気仙沼し唐桑に向かう PM7:30に着く することもないので9時に寝てしまう 移動とデータ整理で終わった 

鮪立へ・が棚においてあったので 写真を撮る




 3月27日  穏やか

メールとデータ整理をして 座ったまま長時間だが終わらず 24日からの日記、粗く書きいずれ 仕上げよう 気仙沼市役所から 電話があり 29日10時からの説明会に参加せよとのこと いろいろ調整して みる 




■ 3月26日 晴れたり曇ったり吹雪ありの春先の荒れた空模様

鮪立で活動 砂子で目ざめ 途中のコンビニでコピーなどとり 気仙沼市役所の土木課の課長さんまちづくり推進課の課長さんと意見交換を2時間ほど行う 
今後の百年会の活動の方針も大きく見え始める

昼太田先生と気仙沼駅で別れ ブラジル人の動画ライターをひろい 鮪立に戻る 唐桑支所に行き今までの活動報告と意見交換を行う  護岸が11mとの認識だったので驚く  鮪立の街を調査しつつ 主立った人々に会い話を聞く 聴く聴く 
web日記に書くとまずいことばかりであるから記憶にだけとどめておき今後の活動に活かしていきたい

6時 気仙沼駅発で仙台二戻る




■ 3月25日  

早起きし my長男と 車で鮪立を目指す  途中気仙沼で丸橋さんをまつ 気仙沼市内の通は 1mほどかさ上げされ舗装が終わっていた 観光客も訪れている 

鮪立i憩いの家で 東大・理科の学生さんと合流する 鈴木さんの家に行き挨拶する 太田・桑田・伊藤も合流し1時間ほどワイワイする 

3時から憩いの家で道路を主とした計画発表があり 地元の人も多数来ていただき 6時ぐらいまで白熱した話し合いとワイワイ のち 宴会もあり遅くまでワイワイ

my長男の車に乗り日が帰り予定だったが いろいろあるので1泊することにした。
真夜中まで呑みながらわいわい



■ 3月24日 

my長男の家で目ざめ 長男を送り出してから 石巻に向かう。仙台発石巻行きのバスは補助席をつかっても満席乗れる者まであらわれた 石巻に向かうふうけいは 昨夜降った雪が色彩を白にかえていた。 お彼岸過ぎであるにもまふゆの風景にかわる 

本間さん土蔵の下屋がついたので動画を撮る。本間さんの挨拶動画も撮る。テニスクラブの事務室の椅子テーブルを少しお借りして 土蔵用HPの修繕をしつつ 必要なデータなどを本間さんよりいただき お客さんも多く 賑やかである しかし廻りには家がほとんどなくなた 旧北上川沿いは護岸が7mぐらいになるとかで 立ち退きをおこない家屋が解体されるとのことで より空き地が多くなるようだ 

夕方7頃、仙台に戻り駅前で食材を買い出す my長男の家にもどり弁当用のおかずをつくったりする 

my長男10時頃戻りワイワイ 寝る 


 3月23日 小雨ときどき  

■石巻の本間さんより工事の進展写真が送られてくる。仙台のmy長男の家に来てその写真を元に 石巻本間家の土蔵修繕に関するHPの私案をつくり 関係者に電送する

■my既存サイトでは情報が混乱してしまうし新しい動機も生まれたので、 新しいサイトをさらに一つ作り始める 。建築をかいした人人の交流可能な実空間とwebサイト、同時につくりをながら それぞれの可能性を模索していく

このような活動の 実例がない、見あたらないので 当然支援もない。俺が気づいてしまったのでやっておこう。まずは手間暇の掛からないサイト、と実践にしたいので、まずはwebサイトつくりから始めた。

新サイトをつくる動機は、311以降に関わった宮城県内で行った古建築レスキューで知り得た、体験したことなどを簡単に伝えたいのである だから分かり易い(一覧できる簡便)サイトがつくれたら、今後の活動もそのサイトで更新作業も便利な省エネ作業になるような (都合よすぎるなー)サイトに作りあげたい。

午後も しこし 作業をする。311以降関係したる建物は多いのだが 所有者のプラーバシーなどの問題があるので 慎重に慎重に内容の公開はすすめたい

 webサイトも実空間での交流可能な場も育てていきたいものである。それらを淡々と日常の生活の一部にしてすすめるようと想うのだが、どうなるかな


 3月22日  風強し

■ 主立った事務的処理をしこしここなす 今日は設計事務所の登録関係などで県庁に年ぶりに入る 親切に対応していただき おおかた理解 ついでに顔見知りの県庁マンの方とだべったり、県内で古民家の活用を時間外で行っている方の話をし 宮城県内の1年間の活動を付き合わせつつ 語る 仕事をしないを最初に掲げる、トシチャン使用は福島県内ではまったく通用しないと思った

既存の県内活動は建築系の人々の仕事を発生させるための装置だったりするからだ、これは初動や最初の誘導装置としての問題が多いと俺は考えてしまうのである。縦割りのあり方に皆が辟易しているからだ 儲けるために組織があってみたいな話だ (以下詳細内容省略) 

■昨日は文字起こし関係書類は 東電から来た被害者認定にされたので回答などを郵送する用事や 新HPのための資料調査などで1日終えた

■石巻の本間さんより 下屋下地完成のメールあり 

絵をみると何の変哲もない土蔵に下屋を付け修繕してる絵柄しか見えないのがとても面白い 
 (写真本間さん提供)
百聞一見は 見えてるだけでは この作業が行える素地 つまり地力は何も見えないってことになるので面白いのです)

■法律というもんは恐ろしい仕掛けだ。半年前は各自家庭で除染せよと声高に叫んだ福島市広報。今日の県紙広告ではみだりに除去土壌を投棄すると5年以下の懲役もしくは1千万円以下の罰金を科すと告知  激!ダッチロールぶりに触れると納税の義務を放棄したくなる 自分で決め市民を守れない役所ぶり

ふるさと除染事業に408億円計上(通年予算の50%ぐらいだろうが) と太字と凄い金額の後に〜除染罰則事項をかれちゃうと、政治と除染業者と行政が一体となった除染利権構造完成しました!の宣言にしか読めないし聞こえない、パパ・ママ達を被曝させて除染を誘導した見切り発車の責任は棚上げか 

先の2呟き、原発事故被害者に乗じての行政批判をする気持ちはない。書き記しておきます、市政たよりをマジに読見込み並べて観てると、編集者の馬鹿振りに苛たちを覚えるのは 俺の知性アホ℃の問題なのですね




3月18日 

須賀川のH先生の家に行き、色々お話をし、昼飯をごちそうになり戻る。電車が南へ進むほどに周囲の風景は春めくので飽きない。昼食も直腸癌手術摘出のあとだということで 手作りの和食の品々を用意していただいた。アサリご飯のアサリのでかさったら見たこともないほどデカイ、寒ブリの厚さも仕立て具合も申し分ない。

3月で永年の教職を離れられ悠々と楽しい生活をおくられるとのことで、なにか昔のように協働でワイワイ出来るようにして行きたいなどどもワイワイする。

そのような他者との境界低き自主的行為が周辺地域やそこで暮らす人々に感染し 豊かな人間同士の生活になればよいと想うが 特別な行為なのよ  暮らしぶり違うからねと そのような言葉で思考停止されてしい感染していかないのが最大に難しいことなのだと永年思うのである。 難しい 押しつけたり、これがモデルの行為ですよと宣言し行ってしまうのでは 貧しさを補填するための行為として受けとめられて 私良いこと行っているという貧しさに陥る 

それらの全てを老後の課題として継続的であり多地域にても活動し試行錯誤していく予定だ 事例が沢山ないと 発表すらできない

■国語の先生であり書道部の担当だったので 『鮪立へ。』を持参した。いろいろ盛り上がる 「フォーガイ節」の作詩の意図なども説明し 毎回歌い方が 音符に並べると違ってしまうが 歌う度に同じ感情であると 笑っていただく楽器なしの時空に戻った歌い方であり野蛮なのだが あんがい気に入ってしまった俺




 3月17日 から霙そして曇りなど変化多し

昨夜 文字起こし02こまめ 完了し電送しおえたのに続きする03こまめを起こし始まる すこし起こす 今日は右往左往してあまり実質てきな作業はできなかった。

新しい建築をふくめた土蔵などの古建築や愛着のある建築を 地域社会や専門家などで共有するための前活動用 HPの構成など考える

 ツイッター板のように2列にし 基本情報は左側に流す形式にしようかなどど考える この日記の形式で済んでしまうので 楽でもある。行間に間をあけるものいいが何枚ものセルを張り重ね整えるのは綺麗には見えるけど、日々の更新を簡便にすすめるには向いてない 手間が掛かりすぎるように思う さて。決めなければ



3月16日  

昨年9月の入院 全身麻酔にて鼻手術半年が経ち検診 順調とのこと だが鼻水も鼻汁も出ないので鼻の内部粘膜は回復していないと俺は思っている 引き続き鼻を生理食塩水にて洗浄したり 感染症かからないように薬は日に1回噴霧しておくようにとのこと 薬の服用はなくなった 風邪薬としての抗生物質は3日分ほどいただいてある

■ 蜻蛉返りして 早稲田大学ジャーナリズム教育研究所関係の 教科書つづくのための文字起こし 取材源の秘匿と ジャーナリズムの社会性や公共性にいて 倫理や憲法からの講義内容 とても大切な事柄を未来のジャーナリストの教えているし、一般の人も知って 身につけておくと、日々身の回りから湧き出す情報の扱い方について 有用であると思う。俺は動画取材やインタビュー記録を作り続けているしHPも更新ン続けているので 実によく役立つ講義である。教科書になっても買ってしまおう(笑)

■京都工芸繊維大学の岡田ゼミ生のみなさんがつくってくれたフリーペーパー『鮪立へ。』は翻訳されることになってきた。 メルボルンのRMIT大学の学生グループ(元東大内藤廣研で博士号を取ったM・Jという女性だそう)どのように翻訳されるのか楽しみである 俺のフォーガイ節も翻訳されたりするのだろうか 

■石巻の本間家の土蔵修覆工事 いよいよ木工事がはじまった 本間さんが写真を写して メールで送ってくれた 以下FBに書いたこと 解説をつけないと分かりにくいが 今日はつかれたのでこれまで
  • 石巻の本間家土蔵修繕工事 1年間待ったが今日 庇下地木工事が施工なった(持ち主撮影) 1年間俺は何を待っていたのか? そうさなー20年間に起きた地方の建築業の衰退の時間を知れや〜と神がの与えた沈黙の時間を見ていたように思うよ  色々分かり腑に落ちるが多くの業種がこうなっていくよとの神の指南でもある 
  • こういう事が起きてしまうなんて、俺は聴いたことも見たこともなかった事象が現れてしまった馬鹿と言われようが建築と人との関係においてみてだが「石巻における311奇跡のトポス」と称してもいいと考えている




 3月15日  時々つよい風が吹いてベランダが賑やかであって。

ジャーナリズム教育研究所に関係したジャーナリズム概論授業のための 教科書作り用文字起こしをしこしこする。取材源秘匿と刑事事件と公共性などに関した内容で とても興味深いが じっと座っている時間がなかなか近ごろとれないので 進みはとても悪い

石巻の本間家の土蔵は簡単な足場が掛かったと連絡有り。しっかり足場が出来て 屋根工事がはじまったら動画採取などしに 石巻に行く予定

昨年から依頼されているつい最近基本が決まった住宅設計も順調に進んでいる 。データなど送られてきて 第二期  建築あそびの 建築としても使用させていただく予定である 業者なども決まり順調に建築工事や使われ方が進展して欲しいと願うばかりである 。

雑誌に掲載する予定はないので、時折企画し実践する 建築あそびの場にきて体験していただければ嬉しいだけだ。雑誌発表が俺や発注者に意味のある行為だとは思わない。長い間貧乏もあって建築の専門雑誌は買ってない、観ない読まないまるで 不勉強者振りであるから そういう場に参加するのは失礼極まると考える 日々の生活同情報同よう ネットで発信していればよい

■鮪立活動も2年目に入り 英語のメールが沢山来る〜でももあまり意味はわからない(わらい)が活発になってきたことだけは確かであるわい



 3月14日  

鮪立港まちづくり百年会の2年目の活動は国際交流も豊かになる空気の模様になってきました。 多様な人々がそれぞれ活動でき できることを誰にも依頼されずに鮪立でおこなうにと、お願いしていましたが、今日の太田浩史先生の電話によると 国際性も多層になりそうで好い展開になる気配があります。

鮪立地域の漁師さんたちは
世界の海で漁業活動たあの当然そいう境界なしで世界に続いていくのがよいわけですが。 呼び掛け人としては鮪立に来ている皆さんの活動を見届ける義務があるので、活動のおりおりに 訪ねそれぞれの活動をコツコツとお伝えしていきたいので、活動予定の方々は「こんなこと鮪立でしますよ」と連絡をお願いいたします 

などどフェスブックに書いておいた 。簡単だけど誰にも頼まれず、出来るだけを行って続けていくという活動構えかたはとても大切だと考えている そのことは案外に簡単だと思っている人が居るかもしれないけれど、おうぎょうに統制し統治した活動になると 従来の階層的発言が横行して どどのつまりは解体するに至のは目に見えている 

男達がやってきた組織と運営というのは既に破綻しているのだが まだその味で311以降も続くと思いこんでいる人々の多いことか 俺はそうは考えないので違った方法で 復興には直接関係ない位置で多様な関係性をつくっていくわけだ

鮪立フォーガイ節は 男達の話にしているのだが、あれは意図的に欠陥を保ったまま次の課題である女子どもとともに地域もつくらねば成らんという意識や自覚と方法が顕在化 そのことを共有して活動できるようになったら フォーガイ節の次の歌詞を書く予定なのである。 現時点で俺が希望している老若男女が共に生きる漁師町の様を歌詞に書くことはたやすい。それを書いてしまうと 鮪立の未来を限定することになるので あのような歌詞に一時的に 収めて節をつけて公開しているわけだ




3月13日 

午前中など色々計算したりし 毎年同様とほほなる確定申告をする  税務署の庭には高齢者の男女が列を成して後期高齢医療費申告を200人ぐらいでしておった。例年の税務署の風景とはことなり 異様だった。

■今日は昼から暖かくなったので県図書館・美術館建物の周囲の除染工事チュウの現場に出掛ける。3週間ぶりに観察し動画に収めるタメにに出掛た

 俺が高校生の時分には昔福島大学経済学部のキャンパスだったその敷地はすっかり綺麗に整備されているのだが、セシウムなどが降ってしまい除染工事をしている。大きな敷地の廻りを傍にある高校の陸上部員のような若者男女が10人ぐらいグルグル走る。

 道路も歩道も街路樹も除染はしてないがフックら育った芝生面だけを大がかりデカイショベルで剥がしまくりダンプに積んで穴に詰め入れる。だから方方に堤のような山が出来ている。紙場面から工事車両が出来るするので敷地内の歩道のピンコロ石は泥だらけ。派手だがやりやすい除染しかやらなのかな?のではとも見えるんだが意図は分からない。もしかすると除染はしなくっても2.0μsv/hぐらだろうからその数値ではは安全さ〜と考え 効果的かつ派手に...えるやりやすい部位だけ工事をすすめ、県民に安心させるためにアピール工事を先行しているのかもしれない。

 そこらの意図を発注者に取材してる時間が無いので真意は確かめられない。地域の放送・新聞記者の方方にでも調査してもらいたい気分だが。(事後でも記録は公開させていただけるかもしれない)

 311以前に毎日通っていた図書館だが、大震災後に始めてしてしまったmy活動の始末がついてない。だからこの1年間は一度も悦覧室に入ってない。活動の仕舞いを付けるには1年ぐらいは掛かりそうだが、支援者たちの動画に厚みを持たせたいので ナレーションや戦前の記事なども加えたいし 色々なデータを入れて編集したいので今月末ぐらいからは図書館通うも始めたいものだ。





 3月12日 のち雨から霙にかわる

確定申告のためデーター整理をする 311が起きてすっかり忘れていたが昨年は2月中旬に申告していた ことしは2月は京都を拠点に動画をとっていたのでぎりぎりになって整理となる




 3月11日 


日記を書くタイミングを逃したのでフェースブックの書き込みをはっておこう後記憶が整理できしだい書き直したいのだが・・・


等しく遭遇した311の大震災の被害や福島第一原子力発電所の水素爆発での放射能物質の拡散によりオイラの日々の生活はそれ以前とは異なる状況と精神状態に置かれ、福島市においては俺は何も始まらない停滞状態です。

それにも関わらず、この1年間に私に対する各地の皆さんからは多数のご支援や、強引であるも押しかけmy活動の数々を歓迎し受け入れて頂ありがとうございました

 俺の推測では原発事故後の福島の状況は、行政の方々が懸命に対応されているのですが、ニモかかわらず、上手く対応出来ずに空回りしているので、多額のお金も落ちるでしょう、寂しさもららに募るでしょう。ですからこれからが荒れた精神や生活が顕在化し社会問題を抱えると覚悟しております。(おれの福島の友達は多くが早死にしてて、いないので気楽です)福島市も世間同様 人々のあり方は多様に専門分化してあるので、私には手の着けようがないです。ですが何かフックをつくりだし、地域の活動にも参加したものだなと想っております。

今日は大震災の鎮魂をする日です。そして余裕があれば戦後の我が地域社会のありかた、こんなんで好かったのか?を反省したり 未来の地域社会の人とのあり方を想うべき、その日です  なんだか偉そうに書いているな〜 馬鹿だなおれは会いくわぁらず 


1年が過ぎた。未だ平安な日々が約束されてはいないし融け落ちたと語られる核燃料を捕まえたわけではないので、再び放射能物質が飛散し収拾がつななくなる最悪以上の事態が起きないとだれが俺を説くことができるのだろう。

そんな状況下にいるので黙祷しようとは考えなかった。311の大震災によって運悪く命を落とされたり、いまだ行く経知らずの人人居ることも知っている。だが生きているけどジンワリ被曝し続けながら死の路上に暮らしている人だっているのだ

この1年で知り得たことは嘘を知らんぷりして実行する国や行政おやり口だ。しかしそれしか無い貧しい現実だ。そしてそれらの不信の根元とそれを支えている俺の存在だ。

終わったり解決の道でも見付けたかのように語りたくはない
。総311の痴呆症化を進める国営企業や国営に帰属する人々、利権に群がる関係者 マスメディアが仕掛ける各種の行事のうさん臭さにはついてはいけないのである。

3〜40年後と国が示した廃炉事業が完了するまでは311黒い拳をあげるが 国営の黙祷行為は拒否するよ。「黒い拳」と「白い挙手」を同時に体現しているという報告でした へーなんやつだな^俺って


自分の壁だけに貼りたいのだが方法が分からない。(失礼しつづけよう)これからは311に「黒い拳」を上げ続けるのだが、一方では311以降全国各地の人々によて集まった数百万円の2種類の義援金についても記しておこう。黒い拳をバランスするかのような「清い挙手」と書いておこう

一つのそれは「お前の活動は俺の活動だから被災地で活動し報告しつづけよ」と投げ入れられたお金である。もう一つは宮城歴史資料ネットの建築班として多数の被災した古建築の終末を看取ったり、応急処置し古建築の所有者と交流することによって、必要に迫られて「古建築の修繕費をくれよ」と呼びかけることで集まった数百万円である。

前者は被災地でのmy活動と活動の報を告するための旅費などとし使い切ったった。各地へ出向き支援者が暮らす現場で直に「被災地からの報告」は語った。何度も行った所もある。報告会で呼びかることによって、支援者が被災地に入り活動...したり、活動を続けている人々も多数現れた。そのなかの学生さんは「修論や博論を被災地をテーマに書き上げる覚悟だよ」とも聞いた。一つはそのような義援金の使い方になった。

後者のお金 土蔵修繕義援金。地域紙や東京拠点紙のジャーナリストの仕事によって各地に配信されたことで、土蔵の修繕費にはあっという間に目標額の倍以上が集まった。

俺は土蔵や古建築に興味など無いが、だれも被災古建築を看取る活動をしていないのでそこに遭遇しただけだ。だから引き受けて修繕活動をするしかなかったのだ。目的は大津波に遭っても残った古建築建築の存在を知らせること。2つ目はその土蔵建築や消えてしまった建築や屋敷が持つ永い時間の記憶ほ保全維持。三つめは土蔵に収められていた多数の文書(古人知のアーカイブ)を同時に救い出し全体を記録しする。4つ目は土蔵の所有者はもちろん地域の人々やそれらの領域に関係する人々交流する場をつくりだし、同時にその事実の共有化についての方法を模索し提案し建築の誕生から終末の共有化のモデルとつくること。そして最後が その事実を可視化するために後者のお金は使い方を語り合う実行することであった。(細かい事実は省略した)





  3月10日 

我が家の仮仮置き場も作ってないが 中間貯蔵施設どこにつくるのかもめているなーhttp://t.co/mLcB37ef

posted at 17:42:41

311から1年 各地の多様人々から「義援金、支援物資 言葉など」頂ました。思わぬ行為をしていたり全く知らない人々に会い交流させて頂たりと幸いなる1年間ありがとうです。禍と幸は同じ事象であり見方、解釈、行動のしかたによってそのように成っていくのかも知れません次の1年も同様に願い鱒 

posted at 14:53:03

早稲田大学ジャーナリズム教育研究所の所長の伝言 久しぶりに更新しました。(俺 HPの世話人です)所長は4月から1年間ドイツ滞在なので催促し更新するようつとめますhttp://t.co/ZfJtzVBj





 3月09日 

福島県の被災した建物へのJA共済金の支払額2372億円でまだ増えるとのこと。朝一の新幹線で酒の呑みながら「あの土蔵に掛け金しないで損したと」大声で語り合うわけだよな 生命保険に各種の共済金に農業所得補償 に原発事故賠償金にと 時給でなんか働く気にならんでしょうね

posted at 22:45:31

では実名で動画制作します 動画な写真など大橋さんの方にも連絡しておきましたので 店主に了解を得てから 店内での働き姿などは協働撮影にてお願いいたします@Mieee_Y 遅くなってすみません!写真など送らせていただきます。実名オーケーです!

posted at 17:58:00

福島原発事故後 人間が作ったシステムのお陰様で 作り出され起きているフクシマ市内での数々の事象はなんとも痛々しいとしか書きようがないほどむごい様だ。と俺には感じるのだが 他の人にはそう見えてないので俺は狂っているのだと証明できる。ある大学教授も「あんた狂っている」と言っていた

posted at 13:43:19

手塚治虫さん『メトロポリス』の書出と終わりで人間が生み出した科学技術で自らを滅ぼすのではないかとロマンに裏打ちされた不安を描いた。科学技術の進展が人類を滅ぼすのではなく科学技術を運用する人間が作ったシステムが科学技術にそのような役割を果たさせることだった。福島原発事故はそう教える

posted at 13:39:42

被災地女性をケアしている福大女性教授「私突然泣きだしてわけがわかなくなる」と神戸の報告会で話した。分かる気がした。賠償金などで解決は出来ない人間の営為を支える人それぞれの何かがセシウムなどの放射能物質のベント行為によって蒸発してしまったかのよう未知なる不安に泣き出すしかない慟哭様

posted at 13:33:59

東京電力から「自主的避難等に係る賠ご償金請求案内」が届いたお陰様にて311以降の出来事が目の前を走る。原発事故公害と言え何たる不幸。多様で複雑さのだろう。日々目にすることは「訳分からん発狂してるかのような事実と状況だ」若者でも妊婦でも母親でもないが、未来が閉じていくように見える

posted at 13:26:17

核汚染によって世界各地で起きている被曝被害者をとり続けている森住卓さんは泣きながら学生の前でそのことを講義していた。311以降 飯舘の長泥などに入り写真などで記録し続けている。気の長い観察と記録と可視化への永い活動要で後に被害の事実が分かる。そこが核被爆被害の恐ろしく面倒な点

posted at 13:16:11

被曝に関する被害を遺伝子で診るか被曝量で診るかの見解は分かれ安価な線量での判断が進む。児玉先生国会委員会での警鐘が正と受けとめた俺は証明する術を持たない。少数ではあろうが被曝によって奇形虚弱知恵遅れが生まれてくることは確実なので そのような状況を受けとめ育む社会が出来るか活動しよ

posted at 13:08:11

よろしくお願いします 実名でok確認もね。動画編集思いの外 難しく進みません(笑)BGM入れられるようになたのでオリジナル音データなら編集で加えますよ@8rover 岡田先生からいただけることになりました。ありがとうございます。山下の映像遅くなりすいません、来週中には送ります!

posted at 12:56:27

東京電力から「自主的避難等に係る賠ご償金請求案内」が届く。311以降掛かった経費の全ての領収書と行動した内容を記録してあるのでそれに基づいて請求してみよう。領収書が無いと受け付けられないようだが細かく調べてみたい・・妊婦と18才以下は(40+20)万円そ他の人には8万円支払うと言

posted at 12:51:22

@8rover どうもです『鮪立へ。』入手手配終わったでそうか。次につくろうとしている動画はmieさん編です 。店で働いている10秒細切れで版本か動画データ欲しいので撮って送っていただけませんか。写真データもお願いします (色々準備で忙しいですか?)

posted at 11:50:43

hp更新の量が多い1日は終わった (目玉がいかれてきるのだろう)のんびる訂正終わるまで作業をしつづける





 3月08日 曇り時々晴れ

県美術館の芝生部分の除染工事 を見てる やりやすい土地だけやっているように見えるのだが 今後難しい処に進み作業がおこわレルのだろうか?白樫の大木の除染とかどないするのか ピンコロ石の除染や舗装道路や駐車場も多量にあるのだが 放置なのかな

■文字起こしをする ジャーナリズム研究所と 宮城県知事から感謝状がでた資料ネットの頁を更新をする




 3月07日  

早稲田大学ジャーナリズム教育研究所関係で ジャーナリズム概論授業用の教科書をつくるための、文字起こしを始める。テープで送られてきたのでデジタルデータに変換するのにレコーダ見つからず それから移し換えに手間が掛かった。確定申告の準備もしなければと思うも 進まず

昨日公開した 気仙沼市 鮪立レポート『鮪立へ。』制作の様子動画は順調にみていただいている 250再生ぐらい行くかもしれない と思ったりする 再生される回数は動画の内容よさには関係ないことは分かったが 何がみていただく回数の多さにつながるのかは分かっていない 




公開したmy動画 やく25分ものです

初伴奏つきで「主題歌」を歌ってます シャウトして大失敗の歌い方だったのですが恥しらずに入れました

気仙沼市 鮪立レポート『鮪立へ。』制作の様子
 



3月06日  

支援者たち動画 「京都工芸繊維大学岡田ゼミのみなさん」編をしこしこつくりユーチューブにアッぷ。5日にどどいた 『鮪立へ。』ふりーぺぱーを作っていただいた学生の皆さんにスポットをあて作った動画。

巻頭に鮪立の歴史と現在が簡単にわかるように要約して歌詞を書き、いきなり歌った〜「鮪立フォーガイ節」を掲載していただいた。

間に合わせるよう民謡+御詠歌のような歌い方をしてみた。 民謡などを見続けたり 歌ってみたりと 日時を費やしてしまった その間に大腸の手術もしたので体力も落ちていて げんなりしていたこともある 大した作業でもないのいに〜 徒労感が残った 年老いたな〜俺の躰は

他の俺のよびかけで宮城県唐桑半島にある小さな漁港周辺の鮪立で活動をつづけている学生さんなどは多いので 今後はその人達の動画も作る予定だ ことしは 動画作りに明け暮れるのかもしれない





 3月05日 大雪 春のべた雪

動画など編集し 部屋に籠もり 動かず 『鮪立へ。』工芸繊維大大学の岡田ゼミ生がつくったフリーペーパーが10部届く 鮪立フォーガイ節もだいぶ歌い方が上手くなったぜ ユーチューブにアップしている歌は 歌詞をいきなりうたった最初のものなので あれは味があるが 歌いにくいので 歌いながら普及するように(笑)仕上げるために歌い方を練習中 




 3月03日  

 入院後の疲れが出ているようでぐったり して休む my長男仙台家にて 8時半におき飯 10時から12時まで動画の編集と整理などする 昼飯を食べmy長男とダベル 




  3月02日   夜半 春先のべたりした 大雪

早朝から寒く 布団に潜り 動画編集作業 直腸癌の手術から10日ほと経ち出血は収まったものの 体力は回復していないので そうとう疲れる 昨日撮った動画を、編集する。即編集すると時間が掛からないのだが 遠出しまとめて取材する場合は被取材者の予定もあるので分かっているけどその場編集は出来ないことが多い

■ 午前寝 昼寝 夕方寝と 何度も寝ては 起きては昨日撮った動画作業をする。夕方となりシチューをつくるために近くのスーパに行き 豚と鳥肉いりとし作り始める 火が強くて 焦げたので途中からカレー作りに変更する。カレー ルーをいれすぎて ごったり濃すぎるので だし汁で溶く 林檎とトマトを隠し味にいれたので とても美味いカレーに仕上がったのであった

8時半頃my長男帰ってきて飯後ダベル。 10時には2人とも寝る お互い311以降の1年の疲れが溜まっているのだろう 



 3月01日  快晴 


 my長男を送り出してから支度をし 石巻市の本間家土蔵を目指し仙台駅前からバスに乗る。関西弁の大柄のオヤジが隣に割り込み座り 関西人のずーずーしい人間まるだしで 動画撮りはする 朝酒は飲むで臭いわ〜動くわ〜五月蠅い〜 困った者が隣にすわった 諦め寝る 一番前に座ったのが悪かった

pm1時本間さんの家につく 本間さんは 本間家の墓から骨壺にいれた先祖の骨を家に持ち帰り 大津波の泥を洗い落としていた  傍でみている奥さんは気持ち悪そうに複雑な顔をし何度もしかめる 家長は辛い仕事とも淡々とこなさなければならない。お爺さんのお婆さんの名を良いながら30分ほどで洗いきる

本間家の墓の納骨堂には 土葬(土色に成った骨なので分かるそうだ)の他者の骨も流れ着いたので お寺に運び納骨堂に収めたとか 

本間家土蔵の廻りは墓だらけなので 11年4月末に訪ねた当初から 墓の上を歩いているように思っていた 。墓石は転がり骨壺は散乱し 遺骨なのか 日本製紙から流れ着いた パルプの原料なのか 同じ白く細かな色の粒で足下の風景は満ちていたからだ。

周囲のお墓は墓石屋が何人か入り 元の位置にもどった石碑など 立っていて 少しずつ墓石 墓場らしい景観になってきた

■ 庭先で先祖の骨を洗い泥をとり骨壺に戻すなとという作業は日常にはないので あるから 1年経ってもまだ石巻には元の生活が戻っていないことが分かる 骨を洗う人を見たのも人生では初めての体験だった。

・江戸時代中期から3都や江戸といわれる地域で暮らす 都市生活が増えることによって 産業が分化し家内工業が盛んになると同時に○○家の墓という墓作りーブームが起きたのだそうだが 21初頭の日本には核家族時代はとうに過ぎ、個族の時代に入り 墓を守る人の存在もなくなり 孤独死をした際に大家さんに迷惑をかけないように 孤独死保険も売り出されている時代になった。ことを思いながら この先洗骨を見ることに立ち合うのは無いだろうと思った

■ 本間さんは自宅も被災したので 家を大手ハウスメーカーに発注し工事中である。地元工務店では手が回らず3年も先になるとのことで 大津波に遭い暮らす人びとの心情をさっすればそうなるのだろう。で大手に依頼したそうだ。 工事の人々は長野県からやってきて 顎足代持ちで 工事をしているとのこと。

 新自由主義の嵐のあとの家づくりのための建築業とはこのようなものになったのだ とシミジミ感慨深い この20年の政治は米国材を買入、在来工法で生きていた地域の工務店を消し去り大手メーカーが勝ち残る 神戸の大震災のときもそうだったが 311大津波に遭いまた消えていくような政治状況をつくってきたわけだが その欠点を見ているようで複雑極まる思いが湧く

■3時過ぎに本間さんと宮林工務店に行き契約を済ます 6月までに左官工事を除き主なる修繕工をは終わることになった 。(動画へ

 土蔵の1階を悦覧させることになり パネルなども相談もしたりする 詳しくは「石巻本間家土蔵」とと称する新たなHPを作り工事の進捗状況などの情報を公開していくことにした 

ジャーナリストの皆さんの仕事などによって日本の各地から本間さんに寄付金があつまることによって 修繕工事が始まる 珍しいし 21世紀の建築などを共有するため社会を創る糸口になることが多く発見できるように思うので 1年関わってきているが 1年経ってようやく地元の工務店に仕事を発注することが出来 ほっと一息つけた感じだ

 1年後の石巻駅周辺の町の様子の動画もつくった