早稲田大学
ジャーナリズム研究所

J-Freedom
 

          所長の伝言  2015年4月〜
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2018年4月1日

私の最終講義の岩波書店『世界』への掲載は、緊急の特集が入ったため、はみ出してしまい、次号(6月号)送りとなったそうです。今日、編集部から連絡がありましたので、修正します。

2018年3月31日

ご挨拶

今日をもって私は早稲田大学を定年退職し、同時にジャーナリズム研究所長をも退任いたします。これにより、所長を私が務める代の研究所は終わります。これまで研究所の活動をご支援いただいたみなさまにお礼を申し上げます。研究所は4月から野中章弘さんの所長のもとで第2期に入ることになります。そのWebサイトはこれとは別に開設される予定です。

このWebサイトは、もともと佐藤敏宏さんが私の活動アーカイブとして開設されたのもので、それが内容的に研究所Webサイトへと膨らんできました。私の退職・退任にともない、このWebサイトは継続されますが、研究所Webサイトとしてではなく、元の私の活動アーカイブへと戻って継続されていきます。

早稲田大学を去るにあたっての感慨は、2月3日に行われた私の最終講義で述べたところです。幸いなことに、その講義原稿は4月8日頃に発売となる岩波書店『世界』5月号に掲載されることになっています。記録として活字に残していただきましたので、ご関心の方はそれをご覧いただければと思います。

花田達朗

2018年2月15日
 
大統領の辞任とジャーナリストの「勝利」
 
本欄の昨年12月19日の記事「犠牲者の救済を目指して、権力を撃つ―GIJC 2017 in Johannesburgを顧みて」の最後のところで述べた、ジャーナリスト、ジャック・ポウの闘いはひとまずポウの「勝利」に終わった。南アフリカ共和国の大統領ジェイコブ・ズマは昨日の14日に辞任を表明した。
ポウの本が刊行されたのは、私たちが南アを訪問した昨年11月中旬の直前、10月29日だった。ANC(アフリカ民族会議)議長でもあるズマ大統領の不正と腐敗の人脈を暴露した、探査ジャーナリズムの作品は政権を震撼とさせた。南アの国家安全省SSA(State Security Agency)は直ちに動いた。SSAがポウ訴追の準備を終えたと、ザ・ガーディアン紙が11月13日に報道した。それはちょうど私たちがケープタウン沖合のロベン島の刑務所跡を見学していた、その日のことだった。アパルトヘイト時代にその監獄にズマも一時収監されていたのである。
高まる批判のなかで、昨年12月にズマはANC議長を解かれ、ラマポーザが議長に就いていた。ANCは下院での大統領不信任決議案に賛成する方針を固め、決議案が可決されるのが確実になったなかでの辞任である。ANCはズマをやっと見放したのである。ラマポーザが新大統領になるという。彼は実業家で大富豪でもある。
大統領辞任で、ポウの闘いが終わることはないだろう。一時的な「勝利」に過ぎない。人間の首が変わっても、不正と腐敗を産み出す構造は何も変わらず残っているからである。その構造とは何か。それはアパルトヘイトを終わらせたときに行った大きな妥協そのものではないかと思う。国際社会から経済封鎖によってアパルトヘイト政策に圧力がかけられているなかで採られた選択は政治的にはアパルトヘイ政策を終わらせるが、経済的にはそれまでの利権構造を温存するという妥協である。いや、それは妥協とは言えないかもしれない。経済的な利権構造を救出するためにアパルトヘイト政策を諦めたのではないか。アパルヘイト政策廃止により結果的にANCは政治的権力を手に入れたようではあるが、経済的な利権構造には手を出すことができない。それどころか、むしろズマやラマポーザのように個人的にはその経済的な利権構造から利益と富を得てきている。アパルヘイト廃止とは何という取引であったのか。もちろん廃止されるべきものではあったのだが、政治と経済の結び付きを認識しておかないと、欺瞞的なものが見えなくなってしまう。
権力の欺瞞から生まれる不正と腐敗、その意味でジャック・ポウの仕事に終わりはない。そして、ポウの仲間である探査ジャーナリストたちにとっても同様に終わりはない。


2018年1月16日

 ジャック・ポウのその後

 本欄に2017年12月19日付けで掲載した「犠牲者の救済を目指して、権力を撃つ」の最後に、ジャーナリスト、ジャック・ポウについて書いた。その続きである。

 2017年11月13日付けのガーディアン紙電子版は、南アフリカ政府のインテリジェンス機関、SSA(State Security Agency)が『大統領キーパー』の著者、ジャック・ポウを告訴する準備を終えた、と伝えている。その記事のなかで、同書の発行者は、「われわれはその本と勇気ある著者の側に立つと、公衆に対して約束する。我が社は誇りをもって、いかなる法的アクションに対してもわれわれの著者を防衛する意志がある。この問題について市民社会グループから寄せられた多くの支援をありがたく思う」とインタビューに答えている。
 同書は10月29日発売以来、南アフリカの書店で2万5000部が売れ、5万部以上の注文が来ており、2004年のニールセン調査の開始以降で最も早い売れ行きだ、と発行者は語っている。

2018年1月1日

新年おめでとうございます
このホームページで、こう申し上げるのも最後となりました。

私はこの3月をもって早稲田大学教員を定年退職します。それに伴い、ジャーナリズム研究所所長も退任します。研究所そのものは存続しますが、私の代の第1期は終了して、次期所長のもとで第2期に入ることになります。

2015年の設立以来3年間、みなさまにはご支援をいただき、大変ありがとうございました。日本のジャーナリズムの改善のために微力ながら尽くしてきたつもりですが、状況という相手が大きすぎて、思うようにはできませんでした。あとは皆さんにお任せして、私は大学から引退します。

恒例ということなので、「最終講義」を用意しました。以下の日程で行われます。どなたでも参加できます。

最終講義「公共圏、アンタゴニズム、そしてジャーナリズム」
日時: 2018年2月3日(土曜日)午後2時30分開場(午後3時より講義)
会場: 早稲田キャンパス 15号館02教室


2017年12月19日 

犠牲者の救済を目指して、権力を撃つ
 ―GIJC 2017 in Johannesburgを顧みて



1 この2年間にあったこと
 第10回GIJC(Global Investigative Journalism Conference: 世界探査ジャーナリズム会議)が南アフリカ共和国ヨハネスブルクで2017年11月15日から19日までの5日間開催された。2年に一度、探査ジャーナリストたちが集う世界大会である。今回は127カ国から1200名のジャーナリストが集まった。定員をオーバーし、参加申し込みの受付を途中で停止するほどの盛況だった。開会セレモニーが行われた、ウィッツ大学の大講堂がジャーナリストたちによって埋め尽くされた光景は壮観だった。期間中、150を超えるパネル、ワークショップ、イベントなどが同時並行して開催され、あっという間に過ぎた濃密な時間だった。
 この大会にワセダクロニクルから私を含めて8名が参加した。GIJN(Global Investigative Journalism Network: 世界探査ジャーナリズムネットワーク)のデービッド・カプラン事務局長の計らいで、ワセダクロニクルは初参加にもかかわらず協賛団体(co-sponsor)としての取り扱いを受けた。ワセダクロニクルは2つのセッションで発表をして、それぞれに好評だった。そうした光景を見ていて、私には感慨深いものがあった。ここまで来たのだなあ、という感慨である。私は2年前の2015年10月に開催された前回大会に初めて参加した。それはノルウェーのリレハンメルで開かれ、参加者数は121カ国から950人にのぼった。そのとき、ワセダクロニクルはまだなかった。あったのは、ただWaseda Investigative Journalism Project (WIJP)という名称と、大学を拠点にしたニュース組織を作りたいという目論みだけだった。そのとき、カプラン事務局長やアメリカン大学チャールズ・ルイス教授をはじめ、リレハンメルで私の知り合った人々は、まだ計画とも呼べないような、その計画がやがてワセダクロニクルとしてスタートし、加盟申請を出し、2年後の大会にGIJN加盟メンバーのニュース組織の一つとしてデビューするとは想像しなかったのではないだろうか。
 ワセダクロニクルは今年2月に「買われた記事」のシリーズで発信を開始し、次のシリーズの仕込みで国際連携を進めている最中にヨハネスブルク大会に登場した。だからこそ、さまざまの形で歓迎されたのだと思う。手ぶらではなく、探査ジャーナリズムの「ブツ」を手に持って、今後のコラボレーションの具体的プランを示して参加したからだ。だからこそ、さまざまの国や地域から来たジャーナリストたちと「ジャーナリズムという共通言語」で話し合い、理解し合うことができた。彼女ら・彼らの、最初の挨拶は「what are you doing?」で始まる。探査のテーマこそが最大の共通の関心事なのだ。
 渡辺周編集長は、カプランさんの推薦を受けて、5日目の“Lightning Round: Great Stories You’ve Never Heard of”(輝きラウンド:いままで聞いたこともないすごいストーリー)という人気のセッションで「買われた記事」について発表した。その発表が終わったとき会場から拍手が起こった。あとである国のジャーナリストが渡辺さんのところにやって来て、握手を求め、自国での電通の行動について語った。別の国のジャーナリストは「記事の形をした隠された広告は自分の国でもありえそうだから、帰ったら調べてみる」と語った。
 (写真 アメリカン大学インベスティゲイティブ・レポーティング・ワークショップ編集長のチャールズ・ルイスさんと筆者)

2 GIJCとはどういう場所か
 この世界大会とはどのような場所で、何を目指している場所なのだろうか。これは私の知っているような国際学会とはかなり違うものだ。この場所は、お互いに学び合うという雰囲気に満ちている。ジャーナリスト同士、誰でもお互いの仕事に関心をもち、お互いにリスペクトを払って、会話している。ここでは、ジャーナリストの同僚(colleague)としてみんなが平等で、対等なのだ。先輩面をしたり、経験をひけらかしたり、上から教えようとしたり、権威になろうとしたり、威張ったりする人はいない。なぜだろうか。探査ジャーナリズムについての理解や目的が共有されているからであり、そのうえで共通した困難に立ち向かおうとしているからだ。「シェアーする」ということが、そこにいる人々の共通した態度なのである。日本の状況からすれば、別世界だと、私は思った。
 では、その探査ジャーナリズムについての理解や目的とは何だろうか。さまざまなセッションに出てみて、それは一言で言えば、「犠牲者の救済を目指して、権力を撃つ」という言葉で表現できると、私は思う。単に権力を批判することが目的なのではない。また、弱者に寄り添うことでもない。もちろん利益や利潤をあげることでもない。目的は犠牲者を救済して、この社会状況を具体的に改善することである。それを実現するために、そのような犠牲者を産み出している政治的、経済的、社会的権力を撃つのである。
 もちろんそのような活動を実践しようとすれば、容易なことではない。鉄壁の権力を撃つこと自体が至難の業だし、ひとたび権力を撃てば、ただちに反撃を受けるからである。その容易なことではないことを自らに引き受けようという人々が世界のさまざまの地域からそこに集まっている。世界中至るところで探査ジャーナリストは脅威に曝されている。Visible prison(目に見える監獄)だけでなく、invisible prison(目に見えない監獄)があり、hard threat(ハードなおどし)だけでなく、 “soft” threat(ソフトなおどし)が働く。権力側は硬軟取り混ぜて、最近やることが露骨になってきた。国境なき記者団(RSF)のジャーナリストが言っていたが、チェコでは首相が記者会見に肩からカラシニコフ銃を下げて登場し、記者たちを脅かしたそうだ。
 カプランさんと3日目の日にランチをとる約束をしていたので、食堂の前で待っていたが、彼はいっこうに現れなかった。その日の夕方にわかったことは、会議に参加するためにヨハネスブルク空港に着いたアラブの編集者が入国審査を通過できず空港に留め置かれているという連絡が入り、カプランさんは急遽弁護士の手配や空港での折衝のためにランチに来ることができなかったというのだ。結局、その編集者は入国できず、引き返したそうだ。また、4日目にあったセッション “Journalists Under Fire: Strategies and Resources” (砲火を浴びるジャーナリスト:戦略と資源)に出席したら、スピーカーは5名のはずなのに壇上には4名しか並んでいない。一人足りないなあと思っていたら、あとから聞いたのは、そのスーダンのジャーナリストはヨハネスブルク空港に向かう途中のダッカ空港で逮捕されたというのだ。さらには、そのセッションに登壇したメキシコからのジャーナリストはどうしたらいいかわからないという困惑の表情で、メキシコを発つ2日前に彼女のよく知っているジャーナリストが殺害されたと語った。
 GIJCに集まっている人々にとってはこういうことは珍しいことではないのである。彼女ら・彼らはそういうことをグッと飲み込みつつ、お互いの経験をシェアーしながら、智恵を出し合いながら、そして同僚(colleague)としての連帯を示しながら、探査ジャーナリズムを実践していこうとしているのである。
 ワセダクロニクルは3日目の大学セッション“Creating Effective University Investigative Journalism Centers”で、“University as an ‘Incubator’ for Investigative Journalism: Japanese Case”(探査ジャーナリズムのインキュベーター/孵化器としての大学:日本のケース)という発表を行った。そこで中東のジャーナリストから質問があった。「大学はほんとうに守ってくれるのか。大学の不正を取り上げたら、どうなるのか」と。司会者のチャールズ・ルイスさんがアメリカン大学での自らの苦労と苦心の話をして応じたあと、もう一人のスピーカーのセリア・コロネルさんが発言した。彼女は現在、米国コロンビア大学で「探査ジャーナリズムのプロフェッショナル実践」担当教授で、探査ジャーナリズム・センター長も努めている。しかし、彼女のキャリアは別の所にある。彼女はフィリピンで、1989年という驚くべき早い時期に「フィリピン探査ジャーナリズム・センター」を創設メンバーとして立ち上げ、その後ジョゼフ・エストラード大統領の資産隠しや蓄財などの不正と腐敗を暴露して、2000年の大統領失脚の端緒を作ったジャーナリストである。そのジャーナリストは、「探査ジャーナリストにとって、大学にせよどこにせよ、安全な場所などはありません。安全を求めるのなら、最初からジャーナリストになるべきではありません」と言い切った。

 
 (写真 大学セッションで語る、コロンビア大学教授のセリア・コロネルさん)

3 GIJNとはどういう組織か
 GIJCが始まったのは2001年である。現在は2年に一度開催されていて、今年で10回目になった。最初は有志が立ち上げた、小さな会議だった。何かが始まるときはいつもそうだが、情熱のある少数の人々が集まって、それを始める。創設者たちだ。そして、2003年にコペンハーゲンで開催された第2回会議ときにGIJNが結成された。今年2回ほど来日し、ジャーナリズム研究所およびワセダクロニクルとともにシンポジウムやワークショップを行ったマーク・リー・ハンターさんもGIJN創設メンバーである。こうしてGIJNは個人が加盟する国際組織ではなく、組織が加盟する国際組織として発足した。そして、GIJNがGIJCを開催するようになったのである。現在、GIJNは68カ国からの155組織をメンバーとしている。
 そこに至までのGIJNの発展もまた容易ではなかった。組織の理念の形成と財源の調達で努力をし、苦労もしてきた。そして、GIJNは、探査ジャーナリズムを実践する組織(ニュース発信組織や探査ジャーナリストのネットワーク組織)がお互いに助け合い、全体の力を強化していくこと、とりわけ状況の厳しい地域のジャーナリストやニュース組織を助けることをやってきた。そのために、リソースをシェアーするというスタイルが出来上がっている。リソースにはさまざまのものがある。うまくいったプロジェクトの経験と、そこから得られた智恵や方法論、データのソース、さまざまの実践ケース、ノウハウやスキル、財源の獲得方法などがすべてリソースであり、共有資産である。これらのリソースが蓄積され公開されているGIJNのサイトは、共有資産目録として重要なのである。
 カプランさんから聞いたところでは、今回のGIJCにかかった費用の総額は80万ドル(1億円弱)だそうだ。そのうちの10万ドルが大会参加費、残りの70万ドルは財団などからの助成金だという。そして、参加者のうちの300名にはGIJNからのscholarship が出されている。つまり旅費が支給されている。こうして自前で参加費用を調達できない地域のジャーナリストにも参加の機会を作り出しているのである。
 もう一つ、GIJNが重視している役割がある。それはニュース組織間のネットワークの形成である。政治権力や経済権力が国民国家の枠を超えて作用し活動しているグローバル状況の中で、その不正や腐敗や悪行をウォッチドッグ(権力監視)するためにはニュース組織もまた国際的な連携を組まなければ成果を上げることはできない。クロスボーダー・プロジェクトが当たり前のように必要になってくるのである。こうした対抗策の中から成功事例がいくつも生まれるようになった。そのネットワーキングの場を提供しているのがGIJNなのである。助成財団の担当者の口からもネットワークの活動を積極的に支援したいという発言があった。
 探査ジャーナリストにとっては、ナショナルなフレームの中で自足(自己満足)するのではなく、国境を越えてグローバルに広く深く進行しているwrongdoing(悪事)と不正義に自らが帰属している国や社会、そしてその政治的・経済的権力やそのプレーヤーが加担し、場合によっては主役を演じているということへの想像力が必要なのである。ジャーナリストたちを探査の始まりの入り口に立って辛抱強く待っているのが権力活動の犠牲者たちである。つまり、権力の犠牲になっている人間こそが、探査ジャーナリズムの出発点であり、探査活動においてもストーリーにおいても終始中心化されるべき存在なのである。すなわち、aであり、zなのである。
 その権力活動の犠牲者とは何のことであり、誰なのか。強い力を持った者たちの活動やそれらが巧妙に作り出す仕組みや構造やシステムの作動によって、生命と財産、幸福の追求、そして人間的尊厳などを奪われた者たちのことである。国家や為政者はお題目としては「国民」の生命と財産、幸福の追求、そして人間的尊厳を守るという言葉を繰り返す。しかし、歴史の事実と現在の出来事を正直な目で見れば明快なように、あるいは犠牲者の目で見れば明白なように、国家や為政者こそが「人々」の生命と財産、幸福の追求、そして人間的尊厳などを奪い、破壊してきたのである。そして、そのことを政府・議会・裁判所や政治家たちは隠蔽しようとするのが常である。したがって探査ジャーナリストは隠蔽に対して暴露で応えるのだ。
 権力の二律背反性、そこに権力による統治というものの根本的な矛盾がある。それぞれの統治機構の政権や為政者が、実際は、普遍的な価値ではなく、自己の利益すなわち手に入れた権力の維持拡大と延命という利害関心に基づいて活動するからである。誰が、何がこの矛盾に対峙することを選ぶのだろうか。当面のところ、それは探査ジャーナリストであり、探査ジャーナリズムなのである。さらにNGOもそこに加わり、権力監視の影響力を増している。
 
 (写真 GIJN事務局長のデービッド・カプランさんと筆者)

4 ヨハネスブルクから持ち帰ったもの
 「これから何ができるか、何をすべきか」。GIJCの場に身を置いて、そこで深呼吸すれば、今後の方向性ははっきりと眼に見えてきたことだろうし、ヒシヒシと体に感じられたことだろう。それは、「犠牲者の救済を目指して、権力を撃つ」、これをひたすら愚直にやっていくことだ。そして、国際的な評価に耐えられる「ブツ」を、つまりストーリーを、作品を出していくことである。それによってのみ探査ジャーナリストはその存在が問われるのであり、存在証明をすることができる。ガラパゴス化したドメスティックな国内水準に関わることなく、アフリカやアジアなどの探査ジャーナリストたちと共有されたGIJN基準にかなうストーリーを生産していくことによって道は拓けるであろう。GIJCに参加したワセダクロニクルの人々はその思いをヨハネスブルクから持ち帰ったのではないだろうか。
 私は何を持ち帰ったか。南アフリカ産の赤ワインとゴート・チーズ、そして2冊の本である。本は両方とも今年南アフリカで刊行されたものであり、ともに350頁の厚さがある。
Anya Schiffrin (ed.), African Muckraking: 75 Years of Investigative Journalism from Africa, Auckland Park: Jacana Media, 2017.
Jacques Pauw, The President’s Keepers: Those keeping Zuma in Power and out of Prison, Tafelberg: Cape Town, 2017.
 シフリン編著の本は、75年間に及ぶアフリカ諸国の探査ジャーナリズムの業績を41作品に代表させ、それぞれのストーリーの紹介文と作品の抜粋とから構成されている。分類の見出し語を抜き書きすれば、独立への闘争、デモクラシーへの闘争、健康・農村問題・環境、腐敗、鉱山業、女性、ヒューマンライツである。書名にはマックレイキングを使っている。シフリンは、Global Muckraking: 100 Years of Investigative Journalism from Around the World, New Press, 2014 という本も出している。
彼女は、はしがきの文章の中で次のように書いている。
 「1980年代から1990年代にかけてアフリカ大陸の多くの地域で、たとえばナイジェリア、ガーナ、タンザニア、ボツアナなどの国々で権威主義的体制からの移行があった。そのことがいくつかの地域では自由なメディアへの道が舗装されるのを助けることになった。この道の開通が、多くのジャーナリストにとっては探査報道をする自由が生まれたということを意味した。そして、世界の多くの場所でプレスへの攻撃が行われているにも関わらず、この過去5年間の間に探査ジャーナリズムのグローバルなブームが起こったが、そのブームがアフリカにも及んだ理由の一つはこの政治的な移行があったということにあるのである。」(xxiv頁)
 2冊目の、ジャーナリスト、ジャック・ポウの本は、過去の業績のコレクションでなく、今年発表されたばかりの探査ジャーナリズムの作品である。そのタイトル「大統領キーパー:ズマを権力の座に留め、刑務所から遠ざけている者たち」は、南アフリカの現職の大統領ジェイコブ・ズマの不正と腐敗、そのズマを支えている人脈と構造を暴いた探査の成果物だということを語っている。ズマは、もともとは南アフリカ共産党の活動家であり、アパルトヘイトの廃止のために闘ったアフリカ民族会議(ANC)の活動家である。政治犯が収容されるロベン島に収監されていたこともある(GIJCに出席する前に、私たちはケープタウンの西に浮かぶ、脱獄困難な刑務所の島のツアーに参加し、政治犯として収監されていた元囚人のガイドで元刑務所の中を見学し、ネルソン・マンデラの独房も見た)。ズマは1991年のアパルトヘイト廃止後の第3代大統領のもとで1999年に副大統領になり、2007年にANC議長に就いたことによって、2009年選挙でANC大勝の結果、アパルトヘイト廃止後の第6代目の大統領に就いた。
 しかし、政治家としてのズマは汚職疑惑、レイプ容疑による起訴、蓄財などさまざまの疑惑に包まれている。が、その都度生き延びてきた。彼をサポートする勢力や人脈が働き、その都度助け出してきたからだ。ポウのこの本は、多くの内部告発者、匿名の情報源に支えられて書かれた、大統領の権力の暗部に迫る探査ジャーナリズムの作品である。ポウは本の最後に置かれた謝辞を次の文章で結んでいる。
 「私は彼ら(情報提供者)に深い恩義を感じている。そして、ジェイコブ・ズマの後見人たちの汚い秘密を私に暴露することで、自分の職を運命に委ねた勇気に敬意を表したい。私は、よりよき南アフリカを追い求める彼らの努力のために正義を為したと希望する。」(332頁)
 反アパルトヘイト闘争を担い、体制変革を成し遂げたANC、そして政治的権力の座についたANC議長、その腐敗を暴露する本を前にして、私は改めて確信する。革命政権であろうと何であろうと、権力は手に入れたその日から腐り始める、と。ヨハネスブルクの高級住宅地の中にネルソン・マンデラが最後に住んでいた豪邸はあった。そこは息子に引継がれ、息子が住んでいた。その豪邸の前に立ったときの感覚を後から思い出して、私は人々のマンデラへの敬意にある形式的なものを感じていたことの理由、そして人々のオリバー・タンボへの敬意の深さにある種の納得をした。タンボは1967年から1991年まで、つまりアパルトヘイト廃止前までANC議長を務めた。ザンビアへの亡命の中で、運動におけるさまざまの犠牲を払いながらも、闘争を指導してきた人物だ。権力を取る前には腐敗は大規模に始まらない。タンボには腐らせるほどの権力はなかっただろう。一体どっちがいいのだろうか。一体何をもって成功というのだろうか。タンボは1993年に75歳で病に倒れて亡くなった。彼は1年後にくるマンデラ大統領の就任式を見ることはなかった。
 ポウは1980年代に創刊された、反アパルトヘイトのアフリカの新聞「Vrye Weekblad」(フリー・ウィークリー)の創立メンバーだった。ジャーナリストとしていま、大統領となったANC幹部の腐敗を告発しなければならないことに、彼は歴史と権力のアイロニーを感じているではないだろうか。




2017年11月7日

10月15日開催のシンポジウム「日本の報道は何を伝えていないか―ジャーナリズムが殺される国からの報告」は、工藤律子さんと今井高樹さんを講演者にお迎えして、大変興味深いものとなりました。そのときの私の開会挨拶をここに掲載します。

花田達朗

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シンポジウム開会挨拶(2017年10月15日) 

ジャーナリズムの死とは何か
 
本日はシンポジウム「日本の報道は何を伝えていないか―ジャーナリズムが殺される国からの報告」にお越しいただき、ありがとうございます。私は主催の早稲田大学ジャーナリズム研究所長の花田と申します。本シンポジウムは本研究所およびワセダクロニクル、そして岩波書店の総合雑誌『世界』の編集部の共催で行われます。両者が企画する連続シンポジウム「ジャーナリズム考」の第1回目です。
 
さて、今日の登壇者、工藤律子さんは岩波書店の総合雑誌『世界』の2017年1月号?3月号に連載「マフィア国家という敵〜メキシコ・麻薬戦争を生きる」を掲載されました。
国境の町、シウダー・ファレスなどで、NGOや弁護士や犠牲者の家族などに取材されています。『マフィア国家―メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』として単行本化されました。
 
その連載のあとのことですが、5月15日ハビエル・バナーデスがメキシコ北西部シナロア州クリアカンの路上で銃撃を受けて殺害されました。50歳でした。バナーデスは、麻薬犯罪組織の取材で顕著な実績があり、世界的にも著名なジャーナリストです。本研究所の友好組織である米国のジャーナリスト保護委員会(CPJ)の国際プレス自由賞を2011年に受賞しました。
CPJのサイトによれば、メキシコでは1992年以降今日まで41人のジャーナリストが殺されています。今年だけでも彼を含めて、彼の後の1人を含めて、すでに4人が殺されています。バナーデスの死後、アルジャジーラは彼の業績と闘いを偲び、追悼する映像を送出しました。CPJもバナーデスの死を悼む映像を配信しました。
その2本を上映しますので、ご覧ください。
 
トルコのエルドラン大統領は、昨年7月の彼に対するクーデター未遂事件のあと、広範な弾圧を開始しました。そのなかで多数の新聞社やテレビ局が禁止され、多数のジャーナリストが拘禁され投獄されました。ドイツに逃げたトルコのジャーナリストたちは今年の初め「亡命編集局」を設置し、本研究所のワセダクロニクルと友好関係にある、ベルリンの探査ジャーナリズムNPO「コレクティブ」がその場所を提供しました。そのせいで、コレクティブはドイツ在住のエルドラン派トルコ人住民や組織から身の危険を感じるような攻撃を受けてきました。
 
そのようなエルドラン大統領と「個人的な信頼関係にある」と誇る安倍晋三首相は、たびたびトルコを訪問し、原発輸出のトップセールスを行ってきました。それを「成長戦略」と呼ぶのでしょうか。自国で失敗し、多くの犠牲者と被害者を出した原発を同じ地震国のトルコに輸出してまで、日本企業に利益を上げさせ、経済成長したいのでしょうか。トルコの原発立地候補地では住民の反対運動も起こっています。他国の住民の犠牲の上に、自国が経済成長することを私たちは望むのでしょうか。こうした構図を日本の「マスコミ」、既成メディアはどれだけ読者に伝えているでしょうか。安倍政権がそのような報道を望まないならば、そのときはその抵抗を排して、ということです。
 
地球上には、ジャーナリストがその書いたものの故に脅迫され、投獄され、行方不明になり、殺害されるような地域や国々があります。そして、決して少なくありません。むしろいま増えています。しかし、一見矛盾するようですけれども、そうした地域や国々ではジャーナリズムが死んでいるとは決して言えません。何故なら、そのような危険と脅威の中にあっても、あくまで書くべきことを書こうとするジャーナリストたちがいるからです。彼女らや彼らはそれを書き続けるからこそ危険と脅威に晒されるのです。
地球上には、他方で、ジャーナリストがその書いたものの故に殺害されることはないけれども、ジャーナリズムが緩慢に死んでいく国があります。ほかならぬ日本です。書くべきことを書こうとするジャーナリストが少なくなったか、ほとんどいなくなったところには、もはやジャーナリズムの抜け殻しか存在しません。蝉の抜け殻のように、です。そして、ジャーナリズムの抜け殻はジャーナリストが弾圧され、殺害される地域や国々のことにはほとんど関心をもちません。下手に関心をもつとヤバイということを、抜け殻に棲むジャーナリストたちは知っているからでしょう。ほかの地域や国々にそのように闘っているジャーナリストがいるということを、自分たちの読者に知られるとマズイからです。闘っていない自分たちの姿が炙り出されてしまいますから。いや、そうではないかもしれません。抜け殻に棲むジャーナリストたちは、自分たちはかなりいい仕事をしていると胸を張って満足しているのかもしれません。しかし、書くべきことを書いてはいないのです。伝えるべきことを伝えてはいないのです。にもかかわらず満足しているのは、どうしたことでしょうか。自己満足の病としか言いようがありません。
 
さて、「日本の報道は何を伝えていないか」、私はこの命題を以上のような観点から考えていきたいと思っております。これで私のご挨拶を終わります。ありがとうございました。


2017年9月30日

 河北新報社編集局報道部長・木村正祥氏の批判に応答する

 宮城県仙台市に本社を置く河北新報社の編集局報道部長・木村正祥氏が、同編集局の『局報』に掲載された「調査報道の担い手」と題する2頁にわたる文章の冒頭で私を批判しておられる。まずそれを引用しておこう。
  
   「ある月刊誌の9月号に刺激的な論考が載った。『報道と権力』をテーマにした特集の一稿。早稲田大学ジャーナリズム研究所の花田達朗所長が日本のマスコミをこう批判した。
 『世界から隔絶し、ガラパゴス化した「マスコミ体制」においては、会社主義の原理が支配しており、政府があからさまに介入しなくても、その手前で会社というシステムが言論・表現の自由の抑制機構として自動的に作動し、その環境のもとではジャーナリズムの主体的当事者たるジャーナリストが集合的に立ち現れることはないのである。メディア組織内部における「忖度(そんたく)」や自主規制という名の自己検閲とはジャーナリストの主体性、自律性の消去であり、放棄にほかならない』
 長々と原文を引用したのは趣旨に賛同したからではない。実態を知らない、あるいは曲解による独善的な的外れな主張として、正確に紹介したいからだ。」

 そこにある「ある月刊誌」とは岩波書店発行の『世界』である。私の論考はその9月号に「ジャーナリズムと市民社会の再接続――『イズム』はいつも居場所を求めて旅に出る」とのタイトルで12頁にわたって掲載された(44-55頁)。

 「実態を知らない、あるいは曲解による独善的な的外れな主張」とは、私に対する最大級の批判の言葉である。これを看過することはできない。反論したい。上記引用箇所のあとでは、わが研究所のプロジェクトである「ワセダクロニクル」、そしてそのメンバーが批判を受けている。

 反論に先立って、私の地方紙へのスタンスを書いておこう。いまも火曜会系地方紙によって続けられている「地方紙フォーラム」が14年前に立ち上がった時、私は故・林利隆さん(当時早稲田大学教授)と故・藤田博司さん(当時上智大学教授)とともに信濃毎日新聞社編集局長(当時)の猪股征一さん(『増補 実践ジャーナリズム入門』信濃毎日新聞社、2016年の著者)に協力して、シビック・ジャーナリズムの「日米シンポ」を実現した。その頃から私は一貫して日本の地方紙ジャーナリズムに期待をかけ、その応援団であることを自認してきた。それ以前から北から南まで多くの地方紙を訪れ、社長や編集局長などのトップ、部長やデスクなどの中間管理職、そして若手記者のみなさんと対話を重ねてきた。
 そして、過去1年間だけをとってみても、私は地方紙について3点の論考および意見を発表してきた。時系列では、
@ 「あとがき――地方紙の現在と可能性」早稲田大学ジャーナリズム研究所編『日本の現場――地方紙で読む2016』早稲田大学出版部、2016年10月5日、452-459頁。
A 「新春インタビュー:これからは地方紙の時代」『文化通信』2017年1月9日、第1面。
B 「地方紙の連帯でジャーナリズムの危機を乗り越える」農文協編『地方紙の眼力――改憲・安全保障・震災復興・原発・TPP・地方創生』農村漁村文化協会、2017年5月15日、17-30頁。

 しかし、私は一抹の不安を感じてきた。Bの農文協の本に書いた論考では、その最後を次のように結んでいる。
 
    「このようにして、地方紙の連帯でジャーナリズムの危機を乗り越えることはできると私は思う。楽観的に過ぎるだろうか。現実離れしているだろうか。地方紙に幻想を見ているだろうか。しかし、ほかにどこに、この中央支配の権力構造にブレーキをかける力があるだろうか。地方紙の経営者、編集幹部、記者、そして制作、広告、販売のスタッフ、販売店主が一丸となって、ビジネスとしてではなく結社として新聞社を捉え直すことで、そして『土地』を這うメディアの個性を再認識することで、それは可能だと考える。その成否はそれら当事者の意志と能力に委ねられていると思う。」(29頁)

 この原稿を書いたのは今年の正月休みであったが、その後、さまざまの経緯を見るにつけ、私はやはり「地方紙に幻想を見ている」という思いを強くしてきた。原稿で伏線を張っていた予感が現実になってきた。残念ながら期待は裏切られ、「地方紙に可能性はない」「これからは地方紙の時代にはならない」という思いを強くしてきた。自ら書いてきたものを自ら否定せざるをえないという感慨に見舞われてきた。

 木村正祥氏は私を「実態を知らない」と批判している。そうだろうか。私には過去からの蓄積があり、現在も時々刻々地方紙を含めてメディアの現場・実態についての情報が入ってくる。私の「千里眼」は、現場にいても現場の実態が見えていない人よりも遥かによく見えている。何人かの地方紙の社長とも対話ができるし、編集局長クラスや多くの若手記者とも話ができる。さまざまの新聞社のOB/OGからの意見も聞く。メールや電話や面会や、ルートはいろいろだ。

 数年前から私が確信したのは、地方紙を含めて日本の「マスコミ」の病巣は部長やデスクなど中間管理職にあるということである。中間管理職が若手記者を潰し、やる気を失わせている。現実に多くの地方紙で若手や中堅の記者の退社が続いているではないか。もともとやる気のあった記者、志のある記者、能力のある記者が辞めていく。中間管理職は「会社の中で出世した、偉くなった」と思っているのではないだろうか。ジャーナリストではなく、典型的な新聞社員になってしまい、普通の会社の上司として配下の記者に対する。そこにメディア組織の病が生まれる。会社のトップはその事態がよく見えていないのか、口が出せないのか、いずれにせよ、この事態を改善できないでいる。そして紙面の質はどんどん下がっていく。読者も離れていく。販売部数も落ちていく。この事態が長く続いてきたことによって、いまの地方紙はもはや以前の地方紙ではなくなった。

 私はこれまで日本の「マスコミ」の欠陥を、木村正祥氏が引用された箇所にもあるように、メディア組織内部における「忖度」や自主規制という名の自己検閲にあると考えてきた。そう考えてきたのは私だけではなく、多くの批評家もそのように言ってきた。しかし、私は最近、考えを変えた。『世界』の論考でも使った言葉だが、欠陥の原因は「自己満足」にある。その「自己満足」が中間管理職のメンタリティとなっているのである。権力や会社トップからの圧力があって自主規制するのではなく、中間管理職が自分を自己客観視できず、自分はいい仕事をしていると「自己満足」し、「調査報道」などと言って看板は掲げるものの何もせず、何の成果も出さず、その「自己満足」の態度を若手記者に押し付けていくのである。木村正祥氏の文章にもそれがよく現れている。

 私は地方紙に対する幻想から目が覚めつつあったと書いたが、木村正祥氏の文章、私への批判を読んで、私は地方紙への応援団であることを最終的に取り止めた。もう救いようがない。

 最後に、木村正祥氏に直接応答しよう。
 貴殿が私を「曲解による独善的な的外れな主張」と批判するのであれば、それを実証していただきたい。その手段はただ一つだ。もしも貴殿がジャーナリストならば、ジャーナリズム作品で、つまりブツによって、私の言っていることが間違っていることを実証していただきたい。米国ならウォーターゲート事件やペンタゴンペーパーズ事件のような報道で、日本なら立花隆氏による「田中角栄研究―その金脈と人脈」(『文藝春秋』)や山本博氏ほかによる「リクルート報道」(『朝日新聞』)のような報道で、日本の中央権力なり地元の地方権力なりの中枢の不正や腐敗や不正義を暴く、ジャーナリズム作品を出していただきたい。記者はブツのみで問われる。「調査報道」を言われるのであれば、チマチマとしたものではなく、政治権力・経済権力・社会権力に対して対抗的で突破力のあるものを出していただきたい。そのようなブツを出されたなら、私は私の間違いを認めて、貴殿に脱帽しよう。そのようなブツが出せないなら、私の『世界』の論考は反証されない。


■2017年9月13日

 FCCJでの受賞スピーチ

9月11日に行われた「2017年FCCJ報道の自由推進賞」授賞式での私の受賞スピーチを掲載します。以下、英語のスピーチとその日本語への翻訳です。


Acceptance Speech for the FCCJ Award    2017/09/11
 
President Khaldon Azhari, and dear colleagues and friends! I would like to express to FCCJ my deepest gratitude for 2017 FCCJ Freedom of Press Award, Supporter of the Free Press.
 
FCCJ recognition of the work of the Waseda Chronicle and the Institute for Journalism at Waseda University has special value for me. Our university-based, nonprofit newsroom is struggling in the Galapagos-like landscape of media and journalism in this country, but we are looking forward to joining the global movement of investigative journalism.
 
The Chronicle is currently running alone on a track without any other Japanese media organization or journalist, but this award shows us that we are not alone and that our work is being watched carefully and appreciated by foreign correspondents in Japan. We are encouraged too by the support of donations and encouraging messages from Japanese citizens.
 
Today, coincidentally, is September 11. In addition to being the anniversary of the attacks in USA 16 years ago, the date is bitter and auspicious here too. Three years ago today, the president of the Asahi Shimbun, Tadakazu Kimura, retracted a major investigative story about the Fukushima Dai-ichi nuclear plant under pressure from conservative forces. Kimura apologized and the journalists responsible for the story were punished. Three months later in this room of FCCJ I gave a joint press conference to protest that retraction. The birth of Waseda Chronicle is a consequence of that suppression of investigative journalists, who subsequently left the Asahi.
 
Our project promoting watchdog journalism is also a response in kind to this year’s Japan report on the promotion and protection of the right to freedom of opinion and expression by the Special Rapporteur of the Human Rights Council of UN, Professor David Kaye. In the report, Kaye strongly recommended Japanese journalists to promote independent reporting.
 
Our journey of journalistic innovation has just begun. I am sure that this journey will be hard, but the Waseda Chronicle is proud to stand on the common ground of international corroborations with the journalist community. The Chronicle will never give up. Thank you very much!


FCCJ授賞式での受賞スピーチ 2017/09/11
 
カルドン・アズハリ会長、同僚、友人のみなさま、
「2017年FCCJ報道の自由推進賞」(フリープレスのサポーター部門)をいただき、FCCJにこころから感謝申し上げます。
 
ワセダクロニクルと早稲田大学ジャーナリズム研究所の活動がFCCJによって認められたことに私は特別の価値を感じております。大学に拠点を置く、非営利のニュース組織であるワセダクロニクルは、この国のメディアとジャーナリズムのガラパゴス化した状況のただ中で闘っており、そこから脱して、探査ジャーナリズムのグローバルな運動に加わっていくという展望をもって活動しているからです。
 
クロニクルは目下、競技場のトラックを日本のほかのメディアやジャーナリストの伴走も得られず、ただ一人で走っていますけれども、この授賞は私たちが一人ではないということ、そして私たちの活動が日本駐在の外国人特派員によって注意深く観察をされ、価値を認められてきたということを私たちに教えてくれます。私たちは、また、日本の一般市民からの寄付と励ましのメーセージによっても勇気づけられています。
 
今日は、偶然にも、9.11です。16年前の米国での攻撃の記念日であることに加えて、この日付はこの場では苦いものであり、同時に幸先のよい印です。3年前の今日、木村伊量・朝日新聞社長は保守的勢力の圧力のもとに福島第一原発についての一流の探査報道記事を取り消しました。彼は謝罪し、その記事に責任のあるジャーナリストを処分しました。その3ヶ月後、私はFCCJで共同記者会見を開き、その記事取り消しに抗議しました。その場所がこの部屋です。弾圧されたインベスティゲイティブ・ジャーナリストたちはその後朝日新聞を去っていきました。ワセダクロニクルの誕生は、インベスティゲイティブ・ジャーナリストへの弾圧が産み出した一つの帰結なのです。
 
番犬ジャーナリズムを推進する私たちのプロジェクトは、また、国連人権理事会の特別報告者、デービッド・ケイ教授によって今年提出された、意見および表現の自由の権利の促進と擁護についての日本報告へのある種の応答です。その報告書で、彼は独立した報道を促進するようにと日本のジャーナリストに強く勧告しました。
 
ジャーナリズムのイノベーションの私たちの旅はいま始まったばかりです。この旅はきっと厳しいものになることでしょう。しかしワセダクロニクルはジャーナリストのコミュニティとの国際的協働という共有地の上に立っていることを誇りとしています。ワセダクロニクルは決して諦めません。どうもありがとうございました。


 2017年8月27

A Real Crisis, a Real Hope

On July 1st I presented a short speech at the conference of Japan Focus: The Asia-Pacific Journal on Contemporary Crises in the Asia-Pacific, invited by David McNeil who organized and moderated the session on the Attack on Critical Journalism and the False News Debatte: Japan, the US and the Asia-Pacific. I carry here the full text of my presentation.

………………………………………………………………
A real crisis, a real hope
 
                                                         Tatsuro Hanada
 
The black ships (“Kurofune”) of Commodore Matthew Calbraith Perry famously forced Japan to open up to trade with the rest of the world in the mid-19th century. Recently another symbolic black ship visited Japan to tell the government and people about international legal standards of freedom of opinion and expression based on Article 19 of the International Covenant on Civil and Political Rights (“ICCPR”), and to open the Galapagos-like conditions of media and journalism in this country.
 
When I read the report by David Kaye, the UN’s special rapporteur for freedom of expression, however, I found that his aim is neither to criticize the Japanese government and media institutions nor to put pressure on them. David Kaye’s academic title is clinical professor of law, director of international justice clinic at University of California, Irvine. That should provide a clue to his mission.
 
He visited Japan last year to examine freedom of opinion and expression as if he were a clinical doctor examining a patient. At the end of May this year, he sent his report - in effect a medical certificate of health - to the UN Human Rights Council. He diagnosed the Japanese media as suffering from an acute lack of independence. The core conclusions and recommendations in his report refer to this lack of independence, aimed at three parties: the Government, media groups and journalists. Specifically:
 
* The Government should develop a framework for an independent regulator of broadcasting media.
* Media groups should publicly reject any form of threat and intimidation of journalists or other professions carrying out investigative reporting work.
* Journalists should assess how the promotion of independent reporting could be furthered by the promotion of associations among media professionals. For that purpose journalists should have greater collective solidarity.
 
I would say in short that what Mr. Kaye said to journalists in Japan simply was, in the words of reggae star Bob Marley: “get up, stand up for your rights!”
 
Among the three addressees of these recommendations, only the government responded - defensively - presumably because it feels under attack by this new black ship. Government officials cannot understand that the UN Special Rapporteur’s report is a medical certificate.  Media organizations and journalists, on the other hand, have stayed silent. 
 
In my view, Japan’s media organizations are not interested in investigative reporting, having given up their roll as public watchdog. Journalists are silent because there is no professional association of journalists in Japan. Indeed, reporters employed in Japanese mass media companies probably do not recognize themselves as journalists, as it is commonly understood as profession. Therefore they can hardly feel that Kaye’s recommendations apply to them.
 
This is a real crisis of journalism in Japan: In mainstream media there is a dearth of watchdog journalists committed to investigative journalism.
 
By the way, I am neither a journalist nor a clinical professor of law. I would say that I am an experimental professor of sociology. As director of the Institute for Journalism at Waseda University I coordinate the Waseda Investigative Journalism Project, which created the investigative news site, Waseda Chronicle in February this year. The Chronicle is a university-based, nonprofit and investigative newsroom, which will join the global movement of investigative journalism. In June this year, the board of the Global Investigative Journalism Network approved Waseda Chronicle for membership. This project is an experiment to develop a new sustainable model of investigative journalism, including content, production and financing.
 
If watchdog journalism cannot find its proper place in the mainstream media in Japan, the function and the sprit of journalism will leave and look for a new home, perhaps online or in a civil society stakeholder such as an NGO. The mainstream media does not have exclusive rights over watchdog journalism. New carriers are emerging in the form of associations. This is a real hope for journalism in Japan. For this hope we need support from global civil society and collaboration with other actors and players in the movement, especially around Asia.


 (チラシを拡大して見る )


■2017年8月1日

 情報流出と内部告発の違い

加形学園問題、防衛大臣辞任と、新聞やテレビのニュースは賑わっている。が、それは記者の「探査」の成果ではなく、政権内部からの情報流出によって引き起こされている。そこで情報流出と内部告発は区別されるべきだろう。どのように? 自己の利益のための情報流出と他者の利益のための内部告発と補えば、区別することができる。この間のニュースの賑わいは、メディアが情報流出の受け皿となって政権内部のコップの中の嵐を実況中継させられている姿だと言える。
その点について、月刊誌『FACTA』の8月号の最終ページ、「from readers」の欄からの求めで、一文を書いた。その横のコラムは招聘研究員でもある宮ア知己さんが書いている。この号から同誌の編集人に就いた。(記事を拡大して読む

2017年6月13日

デービッド・ケイ教授、記者会見でワセダクロニクルに言及

国連人権理事会が任命した「言論表現の自由権の促進と擁護についての特別報告者」、デービッド・ケイ氏(米国カリフォルニア大学アーバイン校法学教授)の目には日本の状況はどのように映ったのか。同氏は臨床医のように日本の言論表現の自由の状況を診察して「診断書」を書いた。「診断書」が国連理事会に提出される前に、6月2日上智大学で記者会見が行われた。

前提として、次のことは言っておかなければならない。特別報告者について「個人の資格で報告する」という言い方が政府を初めとしてメディアでも流布されているが、それは誤訳か、さもなければ意図的な歪曲である。国連のサイトには次のように書かれている。
“A Special Rapporteur is an independent expert appointed by the Human Rights Council to examine and report back on a country situation or a specific human rights theme. This position is honorary and the expert is not United Nations staff nor paid for his/her work. “(注1)
訳せば、「特別報告者は一国の状況あるいは基本的人権について調査し報告を上げるために人権理事会によって任命された独立した専門家である。この立場は名誉職であり、この専門家は国連職員でもなく、報酬が支払われることもない。」

ここには「個人」という言葉は登場しない。登場するのは「独立した」という言葉である。これが重要なのであって、何者からも影響されないということを意味している。菅官房長官は記者会見で「個人の資格」と言っていたが、外務省の通訳は大丈夫なのか。日本は現在、国連人権理事会の理事国である(MEMBERSHIP OF THE COMMISSION ON HUMAN RIGHTS、2006年から2008年まで)。

記者会見場の受付では英文報告書のうちの「第5章 結論と勧告」の部分、3頁分が配布された。記者会見のスピーチでケイ氏は「結論と勧告」のうちで特に3点をピックアップして強調した。@メディアの独立、Aデジタル技術、Bマイノリティ・グループの権利の擁護である。そして、時間をとって説明したのが、@メディアの独立だった。そこが今回の報告書で最も重視されたことが分かる。

その「メディアの独立」という論点では言論表現の自由が脅威に直面しているとして、さらに3点がピックアップされた。
 ・独立性の確保の問題
 ・ジャーナリストの連帯の欠如という問題
 ・記者クラブシステムの問題
報告書の「結論と勧告」の方を見てみると、「メディアの独立」は第65項〜第68項の4項目となっている。

第65項:これは政府向けで、放送の独立を強化するために放送法第4条の見直しと廃止を勧告し、同時に独立した放送規制機関の設置を勧告している。

第66項:これはメディア企業・組織向けである。調査報道に携わっているジャーナリストや他の職能人に対するいかなる形の脅迫や介入に対しても拒否する姿勢を公に表明するように要請する。

第67項:これもメディア企業・組織向けである。公共放送も民間放送も、また新聞や雑誌も、その編集活動への直接的であれ間接的であれ、いかなる形の圧力に対しても不断の警戒を怠るべきではない。特に、議論のある争点について調査報道に携わり、また論評するジャーナリストに対して十全な支援と擁護を保障しなければならない。とりわけ注意が払われるべきなのは、大変敏感な争点について調査しているジャーナリストたちを支援することである。そのような争点とは、たとえば、沖縄における軍事活動に反対する抵抗、放射能汚染・被害の影響、そして第二次世界大戦における日本の役割などである。

第68項:これは日本のジャーナリストに向けられている。これは全訳しておこう。
「メディアの自由と独立とは、ジャーナリストの間の大きな連帯なしには確保されることはあり得ない。特別報告者はジャーナリストのアソシエーションに現在の記者クラブシステムの影響を議論すること、また責任のある立場の全ての人々にできるだけ広い範囲のジャーナリストの参加を許容することを要請する。同時に、特別報告者はジャーナリストに次のことを要請する。独立した報道の促進というものが多くのメディアで仕事をするプロフェッショナルズによるアソシエーション作りの促進によってどのように先に進みうるかということを評価検討するように要請する。」

この第68項こそは、私の見方では、この「結論と勧告」の中で核心部分となっている項目である。つまりここでケイ氏は何を言っているのか。簡単に言えば、「日本のジャーナリストは連帯して自分たちの職能組織(アソシエーション)を作り、メディアの自由と独立を守るために立ち上がれ」と言っているのである。

ただ、私の見るところ、ここでの問題はケイ氏に呼びかけられている「ジャーナリスト」は日本にいるのかという問題である。ここで表現されている「ジャーナリスト」がいないのであれば、ケイ氏の呼びかけには対象が存在しないということになる。絵に描いた餅である。ケイ氏は会見で、日本のジャーナリストは会社への忠誠心が第一にあって、ジャーナリストの同僚への連帯感やジャーナリズムの原理への忠誠心が乏しいように見える、と述べていたのを思い出す。問題は、そういう人々を国際的な用語で言うところの「ジャーナリスト」と呼ぶのかということだろう。

さて、ケイ氏の発言で注目されたのは、調査報道への言及の多さである。調査報道の強化を強調して、そのためにこそ「プレスの自由」は使われ、擁護されなければならないのだと述べていたことが印象に強く残った。

質疑応答の中で、ケイ氏は調査報道について述べた下りで、以下のような発言をしたのを聞いた。そこでケイ氏はワセダクロニクルについて言及した。

「全てのジャーナリストは全員がそれによって、染まっているということを言っているわけではない。すばらしい調査報道があるということも知っている。日本においてそういうものも存在しているというのは、目の当たりにもしたことがある。英語に翻訳されたものは私も読ませてもらっている。『ファクタ』とか『早稲田クロニクル』(注2)、あるいはそういったようなところが本当にいい作業をしているということは承知をしている。でも私はこの部屋におられるジャーナリストの方々に聞きたい。文字通り、お願いしているということではないが、そういう種類、まっとうなジャーナリズムが、定期的にマスメディアに存在しているかどうかということを自問自答していただきたい。そしてそれを報道してほしいということだ」(注3)

記者会見に出席していた記者たちはこの発言を聞いて、彼の要請をどのように聞いたのだろうか。私には手がかりはない。しかし、この点といい、第68項といい、これらの問題の当事者は記者会見場に来て、私が座っていた座席の前方の記者席で質問を発していたり、メモを取っていたり、カメラを回していた人々ではないのだろうか。他人事のようにやり過ごせる問題ではない。もしも「自問自答」することもなく、自分の問題ではないとやり過ごすことができたとしたら、記者席に座っていたのは「ジャーナリスト」ではないということになるだろう。果たしてそれでいいのだろうか。

(注1)http://www.ohchr.org/EN/Issues/FreedomOpinion/Pages/OpinionIndex.aspx
(注2)正しくは、ワセダクロニクル。
(注3)産経ニュースは「デービッド・ケイ氏会見詳報」を掲載している。そこからの引用である。私の訳ではない。
http://www.sankei.com/politics/news/170603/plt1706030001-n9.html
全体は以下の通り。
http://www.sankei.com/politics/news/170602/plt1706020055-n1.html
http://www.sankei.com/politics/news/170602/plt1706020056-n1.html
http://www.sankei.com/politics/news/170603/plt1706030001-n1.html

花田達朗

2017年6月11日

安倍首相へのCPJの手紙

6月4日の国際シンポジウム「アジア地域における調査報道ジャーナリズム:その可能性と展望」は無事に終わりました。この会議によって、「可能性と展望」は確実に開かれたと言うことができます。参加者の誰もがそのことを実感し、確信したと思います。そのことを、シンポが終わったときに言葉を交わした人々から強く感じました。何かが始まる、何かが始まろうとしているという雰囲気がありました。これこそが国際的に見られる、ジャーナリストたちによる会議の雰囲気なのです。

さて、そのシンポを共催した国際NGO、「ジャーナリスト保護委員会(CPJ)」は6月9日付けで安倍首相宛に手紙を送りました。その公式の英文版と日本語翻訳版をここに掲載します。CPJはその手紙で、外務省がシンポのために来日中だったCPJのデレゲーションのメンバー、元ロイター通信編集長のDavid Schlesinger氏およびCPJ会長のSandra M. Rowe氏との面談に応じなかったことを明らかにしています。おそらくそこで伝えようとしたことが伝えられなかったので、安倍首相への手紙となり、その手紙を公表したものと思われます。その手紙では、国連人権理事会特別報告者のDavid Kaye氏の報告書の提言を真摯に受け止め考慮するように求めています。

海外のジャーナリスト団体が日本の「言論表現の自由」「プレスの自由」状況についてアクションを起こしてる中で、日本のジャーナリストたち自身がケイ報告書を受けてアクションを起こすべきときなのではないでしょうか。

花田達朗    (公式の英文版を読む)    (日本語翻訳版を読む) 


2017年5月12日 

その訳

「どうしてこの人はジャーナリスト養成教育などというものを大学でやっているのだろう」と思われていた方が多かったかもしれません。その背景のある部分を伝える記事が、2017年5月11日付け朝日新聞夕刊に掲載されました。「一語一会」という欄です。「あなたのためにならないから、やめておいた方がいい」、これが見出しです。ご関心の方は、どうぞご覧ください。 (記事を読む

花田達朗


2017年5月8日

  マーク・リー・ハンター氏とともに作った5日間終わる
 
ジャーナリズム研究所の招聘で来日された調査報道ジャーナリズムのトレーナーの世界的第一人者、マーク・リー・ハンターさんとの5日間が昨日終わりました。公開シンポジウム、ジャーナリスト向けのワークショップ、ワセダクロニクルとの作業討論と、連日にわたって大変濃密な時間を早稲田キャンパスの中で持つことができました。これは日本の一般公衆(メディアのオーディエンス)、ジャーナリストのみなさん、そしてワセダクロニクルにとって貴重な財産となることでしょう。10年後から振り返った時、あの5日間から日本の調査報道ジャーナリストは多くのことを学び、それを実践に移し、事実に語らせる強靭なプロダクトを産み出し、それまで知られることがなかった権力活動の被害者や犠牲者の無念を晴らし、そして社会が少しでもより善いものへと改善されていく切っ掛けを作り出したと言われることでしょう。そのころにジャーナリズムの歴史の研究者がいるならば、きっと本にそう記述することでしょう。将来から見て、それほど意味のある5日間だったと私には思われます。
 
2015年10月にノルウェーのリレハンメルで開催されたGIJC(調査報道ジャーナリズム世界大会)で私がハンターさんに会って以来、ハンターさん編著の『調査報道実践マニュアル―仮説・検証、ストリーによる構成法』(旬報社)を翻訳出版し、そしてハンターさん自身を日本にお招きしてイベントを開催するなど、戦略的に進めてきたことの一部ですけれども、研究所としては、やるべきことはやったと考えています。あとは、日本のジャーナリスト(これからジャーナリストになる学生を含めて)のみなさんの意志と才能と努力にかかっています。この芽から果実を、大きな収穫を収めてほしいと思っています。
 
ハンターさん、お疲れさまでした。またいずれビールで乾杯しましょう。
 
花田達朗

   

2017年1月1日元旦

新年あけましておめでとうございます。
今年も早稲田大学ジャーナリズム研究所をよろしくお願いいたします。

研究所はジャーナリズムの改善を目標に掲げてきました。その改善のやり方として、以前からのジャーナリスト養成教育の活動に加えて、ジャーナリズム実践の活動に自ら参加していくことにしました。非営利のニュース組織を立ち上げて調査報道ジャーナリズムをウェブ上で展開していくというグローバルなムーブメントの一角をここ日本で担おうとしています。そのプロジェクトが早稲田調査報道プロジェクト(Waseda Investigative Journalism Project: WIJP)です。現在発信開始に向けて準備中ですが、今月中には『ワセダ クロニクル』の題字でみなさんの前に登場する予定です。

この国のジャーナリズムを改善し、調査報道ジャーナリズムを支援するために、昨年11月終わりに二冊の本、花田達朗、別府三奈子、大塚一美、デービッド・E・カプラン著『調査報道ジャーナリズムの挑戦―市民社会と国際支援戦略』、マーク・リー・ハンター編著『調査報道実践マニュアル―仮説・検証、ストーリーによる構成法』(高嶺朝一、高嶺朝太訳)を旬報社より同時に出版しました。ぜひお読みいただきたいと思います。私がなぜいまWIJPをサポートするのか、その理由と背景は、一番目の本の中の「第1章 なぜいま日本で調査報道か―ジャーナリズムとグローバル市民社会の接続」で十分に述べたつもりです。いまのところ、それに付け足すことはほとんどありません。

『ワセダ クロニクル』は帆船のようなものです。やがて帆を高くあげて、風を受けて、大海へと乗り出していきます。小さいながらも優秀なエンジンを備えていますが、残念ながら燃料が十分ではありません。そう、お金、資金がないのです。それでも出航します。帆船の主たる動力は風です。偏西風に乗れば最高です。その風はどこからやってくるのでしょうか。『ワセダ クロニクル』にとって、それは市民社会から吹いてくる風です。頼りはその風しかありえません。高く掲げた帆に風が吹いてくるのか、市民社会は凪なのか、それは出航してからでないとわかりません。

ジャーナリズムというイズムの発露を憧憬するジャーナリストたち、そしてその発露を待望・渇望し、その動きに連動していこうとする市民社会の人々、それらが両輪となって同期して回転していくとき、この世の中を善い方向へと変えていく力が生まれるのではないでしょうか。いや、順番は逆で、この世の中はもっと善いものであっていいはずなのではないかという市井の人々の想いと、どうして善いものになっていないのかという疑問をもち、その原因の解明を探求していこうとするジャーナリストたちの気概とが両輪となって、と言うべきでしょう。その両輪を繋ぐシャフトこそは善く生きようという市井の人々の倫理観(あるいは夢)と、パブリックに議論されて作り出される、つまり異質な他者とのコミュニケーションという過程の中から作り出される「正義」ではないでしょうか。「正義」の悪用に辟易としてしまって「正義」を破れ草履のごとく排除するのではなく、「正義」の作り出し方の基準を明快にすることによって「正義」の地位を回復していく道があるのかもしれません。「正義」を完全に追い出してしまっては、ジャーナリズムは成り立ちません。ジャーナリストが立つのは「暫定的な正義」という基礎だと思われるからです。


2016年7月31日 その2 

相模原市の障がい者施設「津久井やまゆり園」で、7月26日未明、元職員の26歳の男性が施設利用者の19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせた。そのあと、自首して逮捕された。

容疑者は2月に事前に永田町の衆議院議長公邸を訪れ、大島理森議長宛の手紙を公邸職員に手渡していた。その手紙の文面が東京新聞の7月27日朝刊に掲載されている(一部省略あり)。それを読んで、私はこの事件が思想的殺人事件だと思った。容疑者側の思想に立つならば、実に論理的に書かれている。明晰な動機と準備に基づく犯罪だ。

容疑者はその手紙において、「日本国と世界の為」に2つの園の障がい者260名を抹殺する任務を引き受ける用意があるとして、日本の立法府と行政府の長に対して、具体的には大島理森氏と安倍晋三氏に対して、その委託を自分にするように要望しているのである。そして、それを受託する条件も周到に考えてリストアップしている。心神喪失による無罪判決を受け、最長で2年後に釈放され、自由を得るというシナリオを描き、その自由の保障を契約として求めている。そして、5億円の支援金が対価であり、契約金である。「ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します」と書いている。国家が仮にしたくても表立ってはできないことを、自分が裏で委託を受けて代行しようと提案しているのである。

容疑者は、大島氏が安倍氏と相談するように促しており、その相談後に彼に秘密の契約書が送られてくると信じたのであろう。しかし、5ヶ月経っても返事がないので、委託契約なしに踏み切ったのであろう。

この犯行は確かに極めて突出したものである。しかし、その突出さの標高の高さは広い社会意識の裾野をもたずには存在できないはずだ。犯罪者も人間として社会的存在であり、犯罪現象は社会が生み出すものだからだ。その広い社会意識とはどのようなものなのだろうか。氷山の見えない部分、海の中に沈む氷山の本体部分に相当する。そこにこの思想的大量殺人事件は根を張っている。

興味深いのは、容疑者が大島氏と安倍氏を相談相手に選び、その二人を、自分の任務を理解してその遂行を委託する可能性のある人物と見なしているということである。容疑者にはこの国の政治的リーダーたちがそのように見えていたということなのだ。この国の政治はそのような方向をとっているのか。「国民」にそのようなメッセージを発しているのか。

もしそうではないというのなら、大島衆議院議長は間髪を入れず、代議制民主主義の議会の議長として彼が代表している「国民」に向かって声明を出し、容疑者の思想と行為を公然と否定すべきではなかったか。議長はいまだに沈黙を守っている。その声明は容疑者を批判するよりも、むしろ「国民」に向かってこの優生思想を決然と否定してみせるものであるべきだろう。ドイツのガウク大統領であれば、そうしたに違いない。日本には本当の意味の政治的リーダーシップを理解した政治家がいないのではないだろうか。この国の国家機関および政治家はこの事件の思想と行為に対して音無の構えである。それらと関係がないと考えているのだろうか。それらに黙して同調しているだろうか。

むしろ間髪を入れず声明を出したのは、障がい者の当事者団体であった。27日の東京新聞夕刊1面トップには「全国手をつなぐ育成連合会」が出した「障害のあるみなさんへ」というメッセージが全文掲載された。少し大きな活字で、やさしい文章で、ルビもふられていた。そのメッセージは、「もし誰かが『障害者はいなくなればいい』なんて言っても、私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください」と結ばれている。この文章が新聞に大きく掲載されたことは、多くの当事者、障がいのある本人やその家族を助けただろう。これを本人に読んで聞かせた家族もあっただろう。多くの当事者はこの文章が多くの一般の人々にも読まれたであろうことを想って、少し救われたかもしれない。

そして、これを読んだ多くの非当事者、一般の人々は考えただろう。容疑者の思想と行為が何と野蛮なものであるかということを、この社会が野蛮になってはいけないということを。誰がその野蛮を許しているのかということを、それは黙している者たちではないかということを。

東京新聞は翌日の朝刊でも社会面トップに再びこのメッセージを堂々と掲載した。どんな識者コメントの掲載よりも編集部の想いが伝わってくる。新聞が決然としてその役割を果たしている姿はすがすがしい。

私たちはどのようなコミュニケーションでこの社会を作っていこうとするのか。私たちは社会と国家の間にどのような関係を求めているのか。この事件の犠牲者がそのことを考えるようにと私たちに問いかけているように、私には思われる。
 (花田達朗 )

右見出しの記事を読む( 1 容疑者の手紙  2 障害のあるみなさんへ 3 手紙に関する記事と声明 

          

2016年7月31日 その01 

過ぎ去った4月の出来事について、遅ればせながら、ここに資料を収容しておきたい。
国連人権理事会から特別報告者に任命されているデービッド・ケイ氏(米国カリフォルニア大学アーバン校教授)が4月11日に来日して、日本における言論表現の自由の状況を調査し、暫定的調査結果を公表した。正式の報告書は来年公表される予定。  (花田達朗)

これに関する東京新聞の記事および暫定調査結果 

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国連のプレスリリース原文と暫定調査結果の原文

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報道自由度ランキングで日本は72位

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 (花田達朗)



  
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2016年7月24日

3年前、本研究所の前身であるジャーナリズム教育研究所は2冊の本をセットとして早稲田大学出版部より刊行した。『レクチャー現代ジャーナリズム』と『エンサイクロペディア現代ジャーナリズム』である。刊行後、書評紙『週刊読書人』の依頼で、その主要執筆者4名が座談会を行い、それが紙面に掲載された。そこで私たちは、なぜその2冊の本を刊行したのかという背景と動機を中心に語り合った。この国のジャーナリズムの問題状況を語り、その改善の方向を示したつもりである。その座談会は「ジャーナリズムの自由と未来に」と題されて掲載された。まさにそれこそが、私たちの動機だった。

私たちはあれから3歳、年をとった。その間に、日本のジャーナリズムにおいて「自由」は拡大しただろうか。「未来」は開かれつつあるだろうか。私たち4名のうち誰一人として、3年前の座談会で述べたことを修正しなければならないと感じる者はいないだろう。つまり、何も変わっていないのである。いや、残念ながら、むしろ逆の方向に進んでいると言わざるをえないのである。自由は外からも内からも抑圧され、未来は開かれようとしていない。犠牲者は日本の公衆(パブリック)である。私たちの出版行為に対して、共鳴板はないのか。世の中に、それに共振する周波数はないのか。日本の公衆(パブリック)は犠牲者に甘んじるのだろうか。

このホームページの世話人の佐藤敏宏さんからの提案を受けて、その座談会の紙面を再掲することにした。いま、再度、「ジャーナリズムの自由と未来に」を問いたい。 (花田達朗)
       (記事を読む)
■2016年7月3日 

研究所では調査ジャーナリズムに特化したメディアをネット上に立ち上げるべく鋭意準備してきました。今年の3月11日にデータジャーナリズムのサンプル版をアップしましたが、調査ジャーナリズムのプロダクトは夏以降にリリースする予定です。そのプロジェクトの案内チラシを作りましたので、ここに掲載します。ご覧ください。ご支援のほどお願い申し上げます。 花田達朗  (チラシを見る
2016年5月2日 
最近の全国紙の動向を見ていると、ジャーナリズムの顔をほとんど失い、情報産業としての顔、ビジネスとしての顔がひときわ強調されるようになったと思われる。その点では全国紙同士の間に違いは見られなくなった。違いが見られるのは地方紙と全国紙の間である。そこで、私は『いいがかりー原発「吉田調書」記事取り消し事件と朝日新聞の迷走』(七つ森書館、2015年3月刊行)に収録された拙稿「『吉田調書』記事取り消し事件」の論理的解剖」のなかでカットした文章を思い出すのである。依頼した原稿が予想以上に集まったので、紙幅が膨らみ、ゲラ段階で自分のところを2割ほどカットしたのだが、カットされたなかに次の箇所が入っていた。それをここに陽の目を見させたくなった。それは本の41ページ末のあとに置かれていた。

 付言しておけば、朝日新聞や有力地方紙以外の、ほかの記者クラブ・メディアには少なくともジャーナリズムとしては(ビジネスとしてはいざ知らず)もっと希望がないのは言うまでもない。その点ではジャーナリズムとして日本の地方紙には優れた実績とともにまだ十分な潜在力と可能性があることを強調しておきたい。日本の新聞の景観・風景はいま山脈の形をはっきりと変え、ふたこぶラクダの形をしてきた。朝日新聞がこういう事態になってくると、そして全国紙(中央紙、在京紙とも呼ばれる)を初めとした、首都に本拠地を置く全国カバー・メディアが与党色を強めてくると、ここで地方紙ジャーナリズムが在野精神を発揮して一層がんばらなければ、地方と「地元」の世論が中央を動かし、中央の独走・暴走を制御していくことはできないであろう。名ばかり「地方創生」の中央支配を組み替えていくことはできないであろう。地方紙ジャーナリズムにはただがんばるのではなく、明確な方向性をもって展望を切り開いていってほしい。ジャーナリズムの山脈の「山が動く」情景を見たいものである。 (花田達朗)
2016年4月16日
今夜、『スポットライトー世紀のスクープ』(トム・マッカーシー監督、2015年製作)を観てきました。もうご覧になりましたか。
事実に基づく映画です。舞台は米国東海岸のボストン・グローブ社で、時期は9.11のあった2001年。ということは、同新聞社がニューヨーク・タイムズ社の100%子会社になった1993年よりも後であり、ボストン・レッドソックスのオーナーに売却された2013年よりも前のことになります。その紙面に「スポットライト」という欄をもつ調査報道部の記者4名+デスクと、ニューヨーク・タイムズから派遣された新任の編集長がカソリック教会の神父たちによる児童への性的虐待を暴いていく物語です。司祭個人の問題から教会システムの問題へと捉え方が深まっていくところが圧巻です。アカデミー賞の作品賞と脚本賞を授賞しました。

この映画で調査報道記者たちがVictim(犠牲者)の側に立っているのが印象的です。それは「パナマ文書」でICIJがそのサイトに「Victims of Offshore」(オフショアの犠牲者)というアニメ動画をわざわざ掲載して、提示していた視点と同じです。そして、強者が不正や悪事を行うとき、それを個人のレベルを越えてシステムの問題として捉えている点でも両者は一致しています。権力とは個人のレベルを越えたものです。こういう視点をもっていることこそが Investigative Journalism の本質だと思います。

新宿の映画館で、午後8時50分からの回で観ました。土曜日の遅い時間だったせいか、観客に私の世代はほとんどおらず、ほとんどが若者でした。入りはよかったです。こういう映画に関心をもつ若者を大勢目にして、明るい気持ちになりました。スクープが掲載された新聞が輪転機で印刷されていくシーンは、どの映画で見ても感動します。(花田達朗)

     
2016年4月4日
東京で見る新聞では、今日の朝日新聞と東京新聞(共同配信)の朝刊にICIJ(The International Consortium of Investigative Journalists)のプロジェクトパナマ文書によるタックスイヘブン(租税回避地)に関する調査報道記事が掲載されています。朝日新聞記事を読む) (東京新聞記事を読む

今日が解禁ということで、ICIJ自体のサイトでも記事が大きくリリースされています。
https://panamapapers.icij.org/?goal=0_ffd1d0160d-4ddea55429-100373257&mc_cid=4ddea55429&mc_eid=eff04bbf3c

そこに掲載されている動画「Victim of Offshore」は特に興味深いものです。公衆に対して、問題は何かを伝えるための表現方法の工夫が凝らされています。それも重要ですが、もっと重要なのは何を訴えたいかという、その視点です。脱税によって、それが世界中のさまざまな種類の権力犯罪(戦争犯罪を含む)の背景となっており、その権力犯罪によって多くの犠牲者が生まれているのだという視点が示されています。その犠牲者たちのためにこそ、このファクトを暴くのだという構え方が表現されています。強者の側に立つのではなく、強者によって犠牲となった人々、つまり犠牲者の側に立って強者の不正を暴露するのだという精神的構えです。その立ち位置があって初めて、Investigative Journalismなのだと私には思われます。

日本の朝日新聞と共同通信の記事にはいまのところ、脱税というお金の問題という視点だけで、権力犯罪とその犠牲者という視点は伺えません。これは金持ちや権力者が単にお金でズルをしているという個人的・表層的なレベルの問題ではないはずです。日本の両メディアが続報を出すかどうか、注目しましょう。

ICIJのサイト:
https://www.icij.org/index.html

最初に「パナマ文書」を入手した南ドイツ新聞のサイトも大きく展開しています。
http://www.sueddeutsche.de
その国際版(英語版)です。
http://panamapapers.sueddeutsche.de/en/

花田達朗
2015年11月14日

ドローン・ジャーナリズム
    
      

ドローンというと、日本では今年4月に首相官邸の屋上に墜落しているのが発見されて以来、その名が一般にも通り始め、そして墜落場所が日比谷公園ではなく、よりにもよって首相官邸屋上であったことから直ちにテロ対策とか飛行規制とかの文脈で語られる羽目に陥った。何でも規制しようという勢力に格好の材料を与え、困った顔を装いつつ喜ばせてしまった。しかし、実際はテロとは関係なく、ドローンを飛ばして楽しむ趣味の人間が案外多いらしいということが伝わってきた。ラジコン趣味の延長に見える。ただ、カメラを搭載できることや、上空で停止できることなど、ラジコンとは大いに異なった点も多い。

日本でのドローンは、このようにホビーがテロ問題へと飛躍するという奇妙な展開を示したが、米国ではどうか。日本の新聞でも、オバマ政権下でイラクやパキスタンなどで無人飛行機が投入されるようになってから一般市民がその犠牲になっていることが伝えられ、また無人飛行機の投入自体の是非が論じられてきた。その無人飛行機という日本語は英語ではドローンである。どうして同じ英語を日本語ではこのように使い分けるのだろうか。何か狙いがあるのだろうか。使い分けている結果、人々の意識レベルにどのような結果がもたらされているだろうか。

中東地域で戦争に使われる米国のドローン。10月初めにノルウェーであった、あるジャーナリズムの国際会議で、初日夜のセッションのタイトルが「ドローン」だった。CIAがパキスタンで投入しているドローンを取り上げたドキュメンタリーが上映され、監督が挨拶した。それはドローンが両サイドを蝕んでいる様を描き出していた。ドローンによって攻撃される側では、民間人や子どもたちが実際に誤射されて犠牲になっているのみならず、ドローンの飛行音そのものが日常的に聞こえてきて、人々の恐怖感を極限にまで高めているのである。子どもたちの顔は強ばっていた。きわめて非人間的な武器が登場したのだ。もちろんそもそも人間的な武器があるのかどうかは問われなければならないとしても。

他方、地球の反対側にはそのドローンを画面上で操縦し、ボタンでロケットを発射する「兵士」がいる。この兵士たちは毎朝自宅から車でサラリーマンのようにドローン操縦席に出勤してくるのである。そして、ゲーム機に向かって遊ぶように、通信衛星経由の電波を使って遠隔操作で戦争をするのである。自分の側からだけカメラを通して敵が見えて、自分は決して敵から見られることはない。敵から狙われる恐怖のない、まったくの「安全地帯」にいて、そこから敵にロケットを打ち込むことができる。一体これは何なんだろうか。それは命のやり取りをする戦闘における、絶望的な非対称性にほかならない。まさにその非対称性に耐えられず、精神を病む「兵士」が出てくる。「安全地帯」にいるのだからラッキーなはずなのに、逆に底知れぬ罪悪感に陥れられる。その「兵士」は機械ではなく、人間だからだ。こうして安全なはずの兵器ドローンはそれを使う側を蝕み始めていく。敵の弾丸によって心臓を撃たれるのではなく、自分の操縦する兵器によって自分の心が撃たれるのだ。これが米国のドローンだ。

さて、私が初めてドローンという言葉を知ったのは、2012年12月初めのことだった。しかも、「ドローン・ジャーナリズム」という組み合わせによって、である。場所はトルコのイスタンブール。そこに1ヶ月近く滞在していたが、ある日、現代デザイン・ビエンナーレを訪れた。とある会場の片隅に、変なものが置かれていた。虫のような形をしたロボットに見えた。近づいてみると、プレートがあって、そこには「ドローン・ジャーナリズム」というタイトルが書かれていた。何のことだか、よく分からなかった。drone=雄バチ。それがジャーナリズムと何の関係があるのか。その黒いロボットの横にディスプレーがあって、画面にタッチした。そこに出てきた映像は上空から自由自在に警官隊とデモ隊の双方の動きを映し出していた。確かに蜂の眼から見た情景はまさにこういうものだろうと思われた。自分が蜂になったような感じにさえ見舞われた。プレートを見ると、それはポーランドからの出品で、映像は2011年11月の独立記念日にポーランド警察と、ポーランド、ドイツ、バルカン諸国から集まった右翼過激派の衝突をドローンで撮影したものだった。「ドローンが戦争の形を変えたように、ジャーナリズムの形を変えると、多くの人々は思っている。」とも記されていた。私は何故か強く心を動かされた。蜂の視点を獲得したジャーナリズム!! 私はその映像をiPhoneに収めた。

同じドローンでも、こうも違うのだ。ジャーナリズムの新しい観察の飛び道具として、人殺しの新しい構図をもたらす武器として、ホビーの失敗を国家安全保障問題へ都合良く転化する格好の機会として、雄バチはブンブンという持続低音を響かせて、さまざまに異なった文脈を飛んでいくのである。 (花田達朗)

   

   














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2015年9月11日
 
日本版9.11の一周年に寄せて
 
この1年は長いようで短く、短いようで長く感じられた。「日本版9.11」とは、朝日新聞・原発「吉田調書」記事取り消し事件のことである。私はあれからもう1年が過ぎたのかと、ある感慨を禁じ得ない。と同時に、状況に対する、ある種の不信感をももたざるを得ない。あの事件は何であったのか、戦後ジャーナリズム史においてあの事件はどのような意味をもつものなのか、どのように位置づけられるものなのかについて、どれだけの深い議論がこの間に行われただろうか。そういう議論を行う用意と覚悟を人々はどれだけ示し、実際にどれだけ展開しただろうか。
 
管見するところ、残念ながら、ほとんどなかったと言わなければならない。見られたのは、問題の本質を捉え損なった表面的な「コメント」ばかりだった。問題の本質を気付いてか、気付かないでか、知ってか、知らないでか、いずれにせよ、それを迂回し、回避するような多くの文章であった。核心をずらし、斜に構え、どこか人ごとのような多くの発言であった。言うまでもなく、その際、この事件をデマゴーギッシュに取り扱うものを除外した上のことである。
 
私は、『いいがかり―原発「吉田調書」記事取り消し事件と朝日新聞の迷走』(七つ森書館、2015年3月刊行)において、はっきりした立場と見方から発言をした。多くの著者が参加した本であったが、その本の書評は地方紙数紙に掲載され、共同通信の新刊紹介で配信された。しかし、朝日新聞およびその諸刊行物を初めとして、全国紙からは黙殺された。本そのもの、あるいはその本のなかの論考に対して、反論があるなら反論してほしいものである。賛同するなら、そう表現してほしいものである。議論があるのなら、議論を持ちかけてほしいものである。
 
私は日本のジャーナリズムおよびジャーナリストがこの問題をオープンに深く議論し、一定の決着をつけない限り、次の展開はないのではないかと思っている。もちろん、これはジャーナリズムを止めたメディアや社員にはそもそも関係のない話である。ジャーナリズムでもジャーナリストでもないのだから―。そうではなく、仮にもジャーナリズムやジャーナリストを標榜するのであれば、それらにとってこの問題は、頬冠りし、素知らぬ振りをしていれば、いつの間にか忘れられるだろうという問題では決してない。正面から対峙しなければ、いつまでもそこに残っているのである。そして、それを何らかのやり方で乗り越えなければ、「次」は決して来ないであろう。乗り越えるやり方はただ一つ、言葉を尽くした議論しかないのである。 (花田達朗)


2015年7月14日

7月4日ジャーナリズム研究所設立記念シンポの基調講演の延長線上に、琉球新報から依頼の寄稿原稿を書き、それが今日7月13日の新報の文化欄に掲載されましたので、ご参考までに掲載します。 (pdfを開いて読む)  


 

2015年7月4日 

 基調講演記録を公開しました (講演録を読む) 

権力とジャーナリズム - ガラパゴスからロドスへ -
花田達朗 (早稲田大学ジャーナリズム研究所設立記念イベント基調講演録)

     










 

 早稲田大学出版部 目次などを読む


2015年4月26日

この4月、総合研究機構設置のプロジェクト研究所としてジャーナリズム研究所が開設されました。この研究所は多少の歴史、前身の歴史をもっています。それを振り返ってみましょう。
2002年12月〜2006年3月 ジャーナリズム研究所
2007年4月〜2010年3月 ジャーナリズム教育研究所(第1期)
2010年4月〜2015年3月 ジャーナリズム教育研究所(第2期)

2002年のジャーナリズム研究所を作ったのは故・林利隆氏でした。それは早稲田大学に独立ジャーナリズム大学院を作ろうという彼の構想の一環でした。同様に、彼が関わった石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞の設立もその構想の一環であり、そのための準備でした。ところが、林氏は2005年9月に急逝します。彼の遺志を引き継ぐことを要請された私は2006年4月に早稲田大学に移り、翌年ジャーナリズム教育研究所を作りました。それが2007年の研究所です。しかし、結局、独立ジャーナリズム大学院設立の林・花田構想はうまく運ばず、頓挫してしまいました。力及ばずして、林氏には申し訳ないことをしました。とは言え、学部学生向けのジャーナリスト養成教育プログラムである全学共通副専攻のほうは着実に発展させることができ、2013年に教科書『レクチャー現代ジャーナリズム』を早稲田大学出版部より刊行することをもって目下の条件のもとでの完成形に達しました。この教科書のなかに私たちが開発してきた教育の形が凝縮されています。

それをもって研究所を終幕としようと思っていたところ、ジャーナリストのみなさんのほうからは研究所の仕事はまだ終わっていない、まだやるべきことがあると言われ、私もそう言われれば返す言葉も無く、その通りだなと考え直すことになり、昨年このジャーナリズム研究所の設立申請をすることになりました。そして、昨年はまさに日本のジャーナリズム状況が今までとは違う次元の危機に入っていった年でした。

ジャーナリズム研究所は思いを新たにして、「ジャーナリズムの改善と発展」のためにさらに取り組んでいかなければならないし、それをやっていきたいと思います。ジャーナリストの横の連携を目指す器になりたいと考えています。みなさまのご支援をお願いいたします。

ジャーナリズム研究所所長 花田達朗

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