この記録は2023年6月11日、浜松市から佐藤を訪ね、佐藤の家に2泊した若い建築家辻琢磨さんの導きによって発生した思いを記録したものである。71才の佐藤にとって36歳ほど年下の辻さんは神の使いであった。そのことを記し体験記WEB頁を公開することにした。
1)辻琢磨さんからのメッセージ
2)2023年6月11日のこと
3) 同 6月12日のこと
4)資料画像 放射性固体廃棄物などについて
5) 体験のあとのまとめ
辻琢磨さんがフクシマを体験したあとのFBないの記録を読む
■2023年4月30日に届いた辻琢磨さんよりメッセージ。
(辻)
佐藤さん聞き取りそろそろ敢行しに福島行こうと考えているのですが、いつ頃が良いとかありますか?&公共交通で行けますか?自家用車の方が良いですか?こちらとしては今自費制作中の本が5月末にできるので、6月以降だとそのタイミングで持参してお渡しできます。
(佐藤)
連絡ありがとうございます!前立腺癌になっていまい、ホルモン剤のんだり、皮下注射打たれたりして、活力はすこしなくなり、夕方だるくなります(男性更年期障害ににてる)。 いま、福一の保存に関して設計を始めてました。デカイです!模型で説明するのは難しいので構築物説明アニメーション(紙芝居)を作ろうとして粗いコンテをかいたら74枚になりました。きょうはアニメーションの背景歌(「護福人」など数曲)書いたところです。
■試作アニメーション01
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「Gofuku Rimains] 作詞・佐藤敏宏、作曲・バッパ
「護福人」作詞・佐藤敏宏、作曲・サンサーンス |
■2023年6月11日のこと
(夕方、浜松市から辻琢磨さんきちゃいました!)
マジに20世紀建築の次を考えている人は勝手に我が家に来てしまうのだが・・・・若い人はそのような事は考えてないのか「フクシマ」にはさほど来ない。放射線も浴びるし来なくていいんだけど、今日は珍しいことが起きた。浜松市から福島市は東京駅をはさんで同じような距離だろうか、自家用車で6時間ほどかけないと我が家には着かない。
明日(6月12日)は「元・東京電力福島第一原子力発電所、法律名:廃止措置・特定原子力施設(以下・福一)」という。福一、その現場に入り体験する。「ついでに俺の私案「護福まち」計画」の14kmに並ぶ20基の護福ピラミッド、その部分の意図を双葉町と大熊町の町役場を歩き説明しようぜ!」ということで、早出し浜通りを視察だ、辻さんの車に乗せていただき一緒に見てまわることにした。今年に入って浜通りは三度目と縁が濃くなてきている。
福一体験は俺にとって新発見があるとすれば各町役場の担当職員との問答の中に埋め込まれているように想える。はたしてどうか?新たな発見はあるのか楽しみな一日が始まった。
福一は2011年3月11の事故後、今何が問題なのか?それをマスコミ情報を得ているだけの若い人に、フクシマを知るために必要と思われる放射能などの技術的なこと、「電力県ふくしま」の歴史的な説明をする準備はしていない。
私案は300年後の2323年3月11日完成するとしている。私案の手描きの絵だけでもって理解していただくのは思ったより難しい。個人的な体験語りが強くでてしまうこともあるし、原子力の知識をどこまで正しく知っているのか?も判断できないからだ。さらに福一の事故が私にはどのように問題で進行しているのか?・・・などの資料をつくり広報活動する手段も手に入れてない。田舎・フクシマに暮す一個人が日々を通して小さい活動しても、身の周りの知人にも届かないものだから、福島から遠く離れ原発事故をマスコミで体験した若い人々には伝わらないのは当然だ。(若者よフクシマのことなど気にせず淡々と生きよ)
政府の主な機関(経産省と規制庁そして環境庁、復興庁など)が多量の資金をマスコミに投じ、広告料を支払い各省に有利に働く広報活動に余念がない中で、小さな私案などを含む佐藤の考えてきた過程を含め総体を理解してもらうのは難しい事のような気がする。私案は現在の法を越え非常識を含む提案だし、300年後だから現在地上に暮らしている誰にも体験させることはできない非常識な案だ。
淡々と同じような作業を続け暮らし、日本列島に暮す人々が現在とは異なる統治機構、例えば現在誰でも知っている日本国という名さえ無くし、今、打ち込んでいる日本語さえ意味を成すことがないような気もする。150年ほど前の日本語、江戸期の崩し字を読める人は研究者しかいないのを確認すればその無謀さは十分に分かってもらえるだろう。
この12年間の間、政府が税金を使い続け発信する情報量は多い。その状況下では私案を提出しても国民の方々に理解されていくとは想定できない。そんなことは誰にでも容易に想像がつく。まして、私の思うことなど理解しようともしないのは私が全ての日本人の思考を理解できていなことを確認すれば、当然の理だ。
福一事後処理広報にもマスコミや中抜き業者の仕業がべったりへ貼りつき、寄生虫のように税金を吸い抜きとっていく。そうしてできた情報を垂れ流し続ける中、多様な業界人たちは佐藤の私案を当然のように無視するだろう。同様に戦後を生き延びている者が耳を立て目を開くはずはない。お金の流れてこない個人の川面など覗きもしないだろう。政府や福一が流す広報などは「飯の種が多量に落ちている!・・・」とほくそ笑んでいる業界人の姿に何度か触れたことがあるからそう考えるのだ。それが人が生き延びようとする行動(金を稼ぐ)の幻想の常なのだが、そうは思わず、うまく生きていると思う人が多そうだ。
廃炉安全確認県民会議に参加してみると、県民代表の方々は政府と東電の語る言葉を受け入れてはいない。受け入れていない政府と東電の実態・中味の全体を知る人もいない、もしかすると東電も政府も分かっているのかさえ疑問に思う。だから私案はこれから12年経っても県内の人々にさえ伝わっていないだろう。
「フクシマの課題」の新たな一つ一つを確認するための機会とすべく「辻さんの来福と我が家での語り合い」それは貴重な出来事だと佐藤は思っていた。
夕方、我が家に辻さんが着いた。恒例の自撮り、いつもの場所で2ショット。派手な赤シャツで我が家にやってきた建築人は記憶にない。遠路、我が家にきていただきありがたいことだと思った。
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長年続けてい「建築あそび」を思い出させるような2ショットを撮る。
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(その日の夜)
福島県産地酒を呑みながら我が家を体験していただき、同時に私案である「護福まち」計画をもちだし、『マンハッタン計画』を冒頭に加えながら少し説明する。
1986年生まれの辻さんに敗戦後60年ほど続いてた「電力県ふくしま」の歴史などを説明し理解してもらえるとは思わない。分からない人に佐藤が伝えるための努力、すなわち段取りと資料をまとめていない・・・そのことに気付いた。何しろ300年後完成を目指す私案づくりに没頭していて気が回っていない、そんな気がする。すこし他者に伝えることも努力することが要るようだと確認できた。
佐藤にとっては冥途の土産でもある「護福まち」計画草案を、他者に伝えるため清書するには相当の時間が要る。手持ちの草案では粗い説明になってしまい、理解が深まらないことは覚悟している。同時に福一元原発の専門的技術の解説をする術を持っていない。核廃棄物が多量に出続け止まらないという想像をふんだんに加えた私案・構想なので、他者に伝える手法づくりは1人では手に負えていない。多様な多重な資料が要る。辻さんが理解を深化させるための資料も確保してもいない。その事にも気づくことになった。
多くの人がフクシマを理解するのは困難だろう。だから「12年たったフクシマの現在は何か?」それを感じてもらえば、フクシマ初体験はいいとも思える。一度フクシマの体験を経ることと継続的にフクシマに係わらないとフクシマの理解、つまり敗戦後日本社会の(政治・経済・人心など)ひとつの失敗事例の理解は深まらない。そのことに気づいてもらえたら、今回の我が家とフクシマとの二つの体験はベストの成果を得た事になる。
同時に今後の対話条件が整ったことになるだろう。始まりは一度の体験でフクシマの複雑怪奇な事態を感じるだけでいいのだ。そう思うことにした。
さて、辻さんは2泊3日の我が家体験でフクシマに触れたと感じたのだろうか、それは不明だ。この記録を残すことで後日フクシマ体験を数度にわたり確認できるようにした。この体験記録を進めることにする。
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2011年9月18日 0.23μsv/h 以上汚染地域が着色図(環境省)
■福島市最大放射線量
2011年3月15日(火)18:40
24.24μsv/h
同日15:40 0・21μsv/hであった
(福島市災害対策本部刊行書籍より) |
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佐藤は福一を昼と夜が同置された町だと想う。この様(幻視)、昼夜同置はフクシマを護るための神の仕業だと考えている。そこで護福まちと名付け、私案を説明したり語っている。
英語名「Fukushima Gofuku Remains」 |
■ 6月12日のこと
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各種の鳥瞰図はWEB地図より採取し加工したものである
福一から放たれる送電線と鉄塔
事故以降は外部から電気うけるための鉄塔になっている。 |
いまごろかよ!
「元・東京電力福島第一原子力発電所(法律名・特定原子力施設)」編
体験した施設の現在は、老害人=佐藤には目が腐るとともに脳も腐りだすような人生の終盤に似合う最適な場所であったと思う。
ここで行われている福一福二全体の行為を法律名では「廃止措置」という。同じく元原発は「特定原子力施設」という。廃止措置は=元F-1とF-2、二つの原子力発電所」として一般に知られている場所にある施設と核物質を取り除いて保管する(保管場所は不明)ことをいう。つまり「廃炉」マスコミで流すあれ?のことだ。
このWEB頁は廃止措置途中の福一の現在を経産省の木野さんに案内いただき体験し、道中ワイワイもメモをとった資料を元にWEB記録として時系列順に並べ作り替えもの。聞き違いメモ間違いもあるだろうから、その点はご容赦ください。
木野さんは「廃止措置でもなく、言葉(概念)を見つけていない・・・」と別れ際に語った。佐藤は福島を護る21世紀の都市だと思うので「護福まち」と名付け語っている。廃止措置はフクシマにとっては「護福まち」づくりであったと、300年後に語り合ってほしい。そういう無謀な願いを込めている。
(福島市の我が家から福一を目指す)
我が家を午前8時に出発し目的地着10時着をめざし高速道を東へ走り、浜通りにでると南下し富岡町のスーパーマーケットの駐車場をめざした。車中での辻さんとの対話は「録音していて、文字起しもする」というので佐藤は音録せず。佐藤の文字起こしWEB公開記録は、20数年の積み重ねがあるのだが、辻さんは自分で記録を作るという。
佐藤はこの10年ほどは自分の発言には手を加え全体をメリハリのある、陰翳を強くだそうとしてて、一種の創作記録として仕立てている。
花田達朗先生が加わる対話録は花田先生が全て校正と修正を行って、その後に公開している。(記録例・花田達朗教え子と語る 森純平さんと語る)。辻さんの記録はどのような内容でどのような形式に仕上がるのか?それは辻さんの表現の自由である。佐藤は「まな板の鯉」を楽しむことにしよう。
(富岡桜モールに着く)
辻さんの車が一番のりだった。次に「辻さんの教え子だ」と語り楢葉町で「まかない付きシェアハウスと食堂」を営む古谷さんが現れた。続いて大玉村で「一般社団法人コロガロウ」を営む佐藤研吾さんとスタッフの五十川泰規さん。続いて今日、福一の現地を案内誘導してくださる経済産業省の木野さん。最後にいわき市から「福一は3度目になる」という活動家の小松理虔さんが到着。総勢7名が集合となる。
木野さんから福一に持ち込める物や注意事項を伝授され木野さんのワゴン車に乗り込む。古谷さんは楢葉に戻り福一体験には参加されず。桜モールからは6号線を北上し大熊町にはいるとほどなく右折し、東に向かう道を下り進む。車窓からは民家や廃棄物置き場となった、大熊町の帰還困難地域の現在が見える。
道は、東へ一直線に3km弱のびる。6号線から分岐した東電専用道路だ。両側は環境省が管理している中間貯蔵施設であり、それを東へ一直線に突き破る道でもある。途中、中間地点だろうが二人の警備員が立っていた。彼らに木野さんが許可証のようなものを示す。そうして検問所を通過するとその先は「東電国の領域である」あるいは「東電藩」ともいうと分るかもしれない。ここは環境省藩と東電藩の領地だと分る。天空を裂いて送電線があちこちに飛び連なっている。その足下は朽ちかけた民家が見えたりする。送電線が集まる結節点が福一だ。3・11後は廃止措置のための電源をよその発電所から受電するための鉄塔に変わっているそうだ。
加えて、東電藩領地は現・建築基準法に照らしてみると無法地帯になっている・・佐藤は調査中だけど確信しているが、確認申請をしないで工事が可能になる根拠法があるというので現在調査中。この記録では断言できないので、でおまちください。タンク数や311後に建造された建物の概要、タンクの数を知るには確認申請の記録が頼りなのだ。万が一、基準法上、無法の場に建築士として突入するなら、見るべ場所やチェックすべき要点が多すぎると感じていた。何しろ建築物や工作物の数が多いすぎてどれが311後の、タンクはこれだ、建物はこれか・・・など仕分けして理解できない。
さらに東電の正門までの周囲は環境省が土地をほぼ支配している台地で、地図を広げると中間貯蔵施設と呼ばれる土地に福一は包まれてしまって身動きがとれない形状だと分る。福一は拡張できない閉じた形なのだ。福島県内の除染、放射性廃棄物の置き場に囲まれているからだ。経産省と環境省の語り合いがないと東電藩領地は拡張できない。植物にとっては台地が誰の領地であろうと無関係である、目の前の大熊の大地は初夏の陽をうけ緑色濃く左右に翼を広げてい、夏草などが茂りフレコンバックを見えなくしているかのようで黒い袋は目に入らない。
繰り言になるが、福一への誘導路は6号線からは少し下り、平らになり、門に近づくと海抜35から40mの東電国の大地に至る。私案を作っているので、その完成した姿と福一の現在を脳内で重ね合わせながら、考えてしまう。あの起伏そこの起伏などと重ね合わせながら体感することになっていた。起伏は脳内の方がはっきりしているのだが、現況で構内は4機原子炉のある場所をのぞけばほぼ6m勾配差があるのだが、広いので平地に見える。第一へ歩を踏み出しそう思った、福一はやはり特段に広いのだ。
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(東電藩領地に入る─ 土地の所有者はだれなのかも知らない)
東電藩の敷地の境界には門やゲートなく守衛は立っていない。3・11後に造られただろう真っ黒な外壁で形状はミニマリズムふう建築の外壁が不意に現れ印象深い。その建築物は事務棟だという。この敷地内に東電社員は1200人ほど働いているので事務所棟は必要だ。今日は4000人の下請け労働者が構内で廃止措置作業に従事しているのだいう。そのような木野さんの説明がある。富岡から乗って来た自家用車は入口に駐車し全員下車する。
西に立つ黒い事務棟建物とこれから入るだろう東側のベージュ外壁を眺めてみると、色の相違は際立つのだが東のベージュ建築の外壁にベタリと貼りつく、構内で作業を請負っている大企業の広告表示が目に焼き付く。
建築関係企業だけ名を記しておこう。鹿島建設、大成、清水、熊谷、安藤ハザマ、五洋、日本国土、中里工務店、MAEDA などだ。
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坂を上りきり左が正門 |
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(ボディーチェック)
受付で木野さんは入域する者の名簿を係員に差し出す。係員から名を呼ばれた順に免許証などで本人確認を受ける。免許証などの身分証がないと入域できない。
ボディーチェック・ゲート周りでは、まず金属探知ゲートを通る。金属の持ち込み(財布やメモ帳、筆記用具は別通過)佐藤は安全靴を常にはいているので、何度も検知器が鳴ってしまった。右中指の指紋をチェック、というか個人情報抜き取られる行為は慣れていないので受け渡しが難しい。3度試行してOKとなる。構内は来館者などもふくめ体調不良者に処するために24時間で対応可能な医療スタッフを抱えているとのこと。
検問の準備をすませ検問ゲードを抜けると2階に上がる。放射能塵の防塵対策と思われる白いチョッキを身に着けさせられる、やがて白いチョッキは廃棄物として焼却処分される。手袋、各種の核種に対応するマスクが並んでいるのを見ると原発の現場だと思うことになる。この視察で各人がどのていど被曝するのかを計測するために、積算線量計を各自受け取る。首から吊るす紐2本も手渡しされる。入域可番号カードと線量計二つを身につける。
次にカードと線量計を身に着けているか?そのチェックを受ける。同時にこの場所は食べることや飲食禁止の域であることを告げられる。これら2つ禁止事項は福島市の除染監理員を3ヶ月ほど担ったし放射性物質汚染対処処置法の教育を受けていたことを思い出し、そうだなと理解できる。除染作業と同じ対応だ。
除染作業は、労働安全衛生法、労働安全衛生法施行令、除染電離則にしたがい、全てガイドラインが整えてあった。福一構内は出入りのチェックが厳格になされていて、除染のそれとはスタート時、チェックゲートはことなる。
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環境省の係官から特訓をうけたのち、除染作業に従事する。たしか考査と実技試験も通過したと思う。
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絵:福島市除染業務管理員の証
放射能からでる放射線の種類と遮蔽できる物資。
使用済み燃料を水につけ保管するのが合理的で人に安全であることは右の図で分るだろう |
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年間被ばく量によって汚染地域は分けられる。これがフクシマ域内の分断対立の因でもあった。
・1mSV以下はは除染しない
・1〜20msvは市町村が独自の方法で除染
・20〜50msvは国が直轄で除染
・50msv以上は帰還困難区域に指定し除染しない
福一で働く人は5年間で100msv積算被曝すると福一にも入場したり他の廃止措置作業にも従事できない。(裏技がありマスコミにあばかれ報道されていたのを知っている人もいるだろう)
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(福一域内に入る)
2階から階段でくだり海抜40mほどだろうか、1階に降りる。出口をでて福一に入域する。自家用車が10数台停車していて、木野さんのワンボックスカーに乗り込む。車のシートや床など内部は透明のビニールシートで覆いガムテープで貼りとめていてる。福一内の放射能が車の内装にへばりつかないように防護措置されているのが分る。座席に座るとバリバリごわごわするので、乗り心地満点の自家用車に乗り慣れている人は違和感をもつだろう。放射能防止対策としては真っ当な対策だと思った。
福一域内は南北2.5km東西1.5kmほどで「東京ドームが75個入る広さだ」と木野さんの説明があったが、用途の不明な建物が方々に林立していて、水平線が見渡せる場所がないのでピンとこない。移動範囲が広いことと双葉町内の福一は起伏が激しくあるし、汚染された域内は車で移動し視察しないと2時間ほどでは見ることにならない。福一の主な場所は見つくせないとのこと。2時間でも全体を理解したことにはなっていないと、佐藤は思った。ほんのチラ見体験ていどだ。
右手の車窓からは汚染水タンクの列が見えてくる。その場所は3・11前は森や桜並木だったという(工場立地法の届け出にもとづて造園されたのだろう)。2011年3月末には満開だったろうと想像できる桜並木は400本の並木だったそうだ。全て切り倒しタンク置場になったという。WEB地図で見ると汚染水タンクは方々に塊をなして設置してるのが分る。現在は一体型の汚染水タンクに貯水しているのだが、以前はフランジ付きのタンクだった。ニュースでフランジから漏れたと報道された例のタンクがフランジ型だ。使わなくなったそのタンクもさび付いて並んでいる。核汚染廃棄物なので鉄くずにしても福一からは持ち出せない。廃棄するにも置き場に困り建ったままだ。いずれ東電藩は核のゴミで満杯になることは想像しやすいタンク群。
放射能汚染は福一の地表面、汚染水タンクそのもの(内外)だけではなく、2011年3月11日以前から駐車や作業に使用していた土木作業用重機、消防車なども、全て放射能を浴び付着してしまい、福一外には持ち出せないのだ。持ち出せる車と仕分けするために車輛に赤いラベルを貼って管理しているそうだが、説明を聞いても車がたくさん止めてあるので、赤いラベルが車体のどこに貼りつけてあるのかも分らず、目が泳いでしまい、これがはっきりと汚染車輛で数を数えることには至らない。
福一内を走り回る放射能汚染車輛に給油するためにオイル・スタンドも修理整備工場も新たに造ったそうだ。東電カラー、ブルーの汚染水タンクがいたるとこに目立ちだす。
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現在使用している汚染水タンク
三菱重工 直径8.1m 高さ15.6 厚さ16ミリ 容量 700立米 |
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木野さんの運転する車は3・11後設置された展望スペースを目指しうねうね走る。数分後展望スペース用駐車場に着き下車。先客は大きなバスで乗りつけた老人団体だった。彼らの視察が終えるまで、ぶらぶらと無惨な姿をさらしている4機の炉頂部を眺める。炉の北に旧事務棟、その西に新免振棟、北・遠くに5,6号炉の外壁が見える。太平洋の水平線もみえた。(すでに記憶が曖昧)
団体視察の老人たちが展望スペースから出ると、入れ替わるように私たち6人はエキスパンドメタル製の階段を登り降りして展望スペースに至る。木野さんが1号炉から4号炉までの3・11後のあらましを説明している。遠くに太平洋の水平線がクッキリ見えるけど空は梅雨空で境は一部ぼやけている。木野さんが1号炉の前で集合写真の号令をかける。ナイスショットを決めるために木野さんが屈んだり立ったり、いい写真を追求し続けて、人柄を示すような動きに親近感を覚えた。最初のショットが決まる。
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1号炉を背に 左から、小松さん 、俺、辻さん、五十川さん、佐藤さん |
■特定原子力施設(1号炉から4号炉)を背に集合写真を撮る
展望スペースに入ると最初目に入るのは1号炉の上部鉄骨の歪んだ形だ。当時の水素爆発を思い出し生々しい記憶がよみがえる。排気塔は100mの高さだったが、半分の50mで寸止めし、天辺に黄色がかったキャップをかぶせ放射能飛散を防止しているそうだ。部位としても珍しいし面白い、誰が登って取り付けたのだろうか? ベント不発後の応急処置のリアルの一例として目の前に有った。佐藤には有意義だ。作業員の皆さんは決死の覚悟をもって日々の廃止措置作業を淡々とこなしているようにも思え頭が下がる。
1号炉の足場や足もと周りには(落差25m下)数人の作業員が作業をしている。現在も2000ミリシーベルあるという、直に被曝したら即死する放射線量だ。危険を承知で外部の足場を行き来し短時間労働に就いている、それを見ると頭が下がる、手を合わせてしまいたくなる、なんていう惨事を人は起こしてしまったのだろうか・・脳がざわつく。
次に私たちを今でも悩ませ続ける2号炉。右側に3号炉(モックス燃料)を背に集合写真。2011年3月15日に2号炉の格納容器が割れて、福島県こえ日本列島に空地球の空間に放射能を撒き散らしたのは2号炉を破り出た放射能だ。人は1号と3号炉の水素爆発が列島と世界に放射能を撒き散らしたと記憶しているのだろう。それは間違えてしまった記憶なのだが・・・・マスコミの報道は正確であらねば、記憶が間違ってしまいう、歴史も間違えて記されることになるので注意したい。
福島県佐藤雄平知事が3号炉、モックス燃料はプルトニウムを混ぜ燃やしOKをだしてしまい、原発を稼働させたので、3号炉格納容器はプルトニウムに汚染されている。半減期が10万年と聞かさている。、がだれも確認するほど長生きできない。人がこのような科学的知恵を行使して許されることだったのだろうか?アインシュタインさんにお聞きしてみたくなる場所に立ってしまった。
私たち見学者5人はそのままの位置で突っ立っていると、木野カメラマンは北西に移動しまわることで南に並ぶ2,3、4号炉を背にした集合写真の構図を決め、とたんに2,3度シャッタを切る音が耳に入る。木野さんはインスタ映えのショットを探りだし、こまめに撮影するので皆はおとなしく従う。
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■廃止措置作業を続けることは、特定原子力施設の廃棄物の上に作業で出る核汚染廃棄物を重ね続けることだ。その矛盾を万年単位で継続しなければならないということだろう。目の前の惨状はたった12年を経たばかりの核汚染ゴミなのだ。なにも転用などかなわない。
(線量が高い1号炉付近)
やはり1号炉は爆発後のままで放射線量が高く、作業員は長時間滞在し足場を組んだりすることができないので、たいへんそうだ。短時間交代作業でもあっという間に、年間被曝許容量の20ミリシーベルトを超えてしまうだろうし、5年間継続し被曝すれば100ミリ超えで原子力施設では労働できなくなってしまう、福一のようは廃止措置の場では労働者も使い捨てを続けることになる・・簡単に察しがつくだろう。
そういう労働環境で命がけの作業をしている人が数人行ききしていて拝みたくなる。使い捨てられることを覚悟で働いている、彼らの存在なしには福一の廃止処置だって成せない。
木野さんによると2号炉が水素爆発しなかったのは、1号炉が爆発したときに2号炉の外壁の一部が吹き飛び、その箇所から水素が大気中に放出されたことで、爆発量に至る水素は貯まらず2号炉崩壊は起きなかったと語る。偶然の重なりで3炉連続爆発の悲劇を見てしまうことは逃れていたようだ。説明を聞くたびに3月12日、14日の福島中央テレビ(日本TV系列)の無人カメラがとらえた爆発の絵を思いだしてしまう。なんていうことだ。
3,4号炉は使用済核燃料は取り出し、完了したそうだ。1号炉と2号炉は使用済燃料の上に瓦礫が積み重なり取り出せない。取り出し作業前に作業によって放射能が飛び散らないよう防護ドームを原子炉の上に造り覆い使用済み燃料の取り出しの順序で作業を完了するみこみだという。が、それが2028年目標だという。時間当たりの放射線量は毎時80ミリシーベルトとだというから人は即死する。そこでロボットを発明開発しつつデブリも、使用済み燃料も取り除いたり、取り出したりするということなのだろうか?瓦礫を取り除かなことは燃料取り出し作業にとりかかれないなど、工程の詳細は不明だ。それらを取り出しキャスクに保管するまで、燃料を冷やし続ける漏らし続けるしかないのだな・・・。
だが目標の2028年に至るまでトラブルが発生しないとは誰も断言できないので、さらに数年延長になることは想定すべきだろう。それまで俺は生きているか?わからない。現在生きている人が廃止措置の作業を終えた姿を見届けることはできないのではないか、と想う。廃止措置という概念は有効なのか、そして廃止措置そのもの完成は不可能じゃないのか・・・と確信しそうになる・・。
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(2号炉のデブリ取り出し)
2号炉には880トン(?)のデブリが有り、格納容器に付けてある直径50pほどの穴から、22メートルの長さの先端にロボットアームを差し込み、ロボットハンドでデブリを採りだすのだという。まだ1グラムだったかな・・つまり塵しか取り出せていないようだ。22mの先端に数キロのデブリを掴ませると重さでアームが歪んで50pの穴から引き出せないという。で、数グラムずつ880トンを取り出すのだと!それが完了するまでの時間は数万千年じゃないのか?と暗算してみた。うむー。不可能だなデブリの取り出し作業・・・佐藤はその話を聞きながらそう思った。
同時に多量の放射能のある場所にロボットなどの機材を挿入するとそれ自身に放射能が付着するので、ロボット自体が核汚染廃棄物になるのだ。廃止措置することは数万年間、あるいは新技術で短縮したとしても千年間(仮定)にわたり核汚染物質を発生させつづける行為だと分る。廃止処置作業を継続するほどに廃棄物が溜まり続け保管庫を造り続けなければいけない、そういうイカレてしまった行為が目の前で始まていたのだった。どうするのがいいのだろうか・何もしない選択肢はないのか?・・・汚染水もたまり続け、廃炉措置をする度に処理水に関わる機材を被曝させ、廃棄物にする。そういう愚行を続けていいのだろうか?と新たな疑問が脳内をかけ回る。いやいや、それは仲間みんな飯の種さ・・・と歌う人もいそうだ。
廃止措置は、賽の河原の石積行為より遥かに長い時間が要るようだ。人は20世紀に核発電という魔物に憑依されてしまい、永遠に除霊もできないまま新たな時空に入っていたのだと確認できた。当たり前のことを気づくことになった。
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(汚染水、処理水)
汚染水が溜まり続ける原因は雨水の流入、冷却水の漏れ、地下水の侵入が主なようで、凍土壁が完全に繋がっていないので漏れる・・・などだという。水圧差で外部にもれないよう、建屋内は周囲の水面より低く水面の高さを維持していると言うが、1号炉の具体的な水面の差を絵柄に作図しようとしても難しい、想像しにくい。
原子炉建屋からの漏れは外側からしか止水できないので炉内からの水の出を止めるのは不可能なのではないか・・・建屋に入ってしまった核汚れがひどい汚染水。その水が外へ漏れづづけるのを止めるのは難しそうだ。そのような処置をし続けても現在の目標は日100トンに抑えることだという。処理は30%しか安全にできず70%は溜まりつづける。現在のタンクはこのまま汚染水が溜まり続けると1年で許容量を使いし尽くす。よって30%の安全だという処理水を海水と混ぜ合わせ太平洋へが彼らの理屈だ。陸から沖1kmの地点から放流に向け海底トンネルを造っていた。(海洋沖1.5kmは東電藩領地で漁業権は失っている場所) 6月12日、今日から真水を使って放水テストを行っているという。
見学している足下では汚染水の放出設備の試運転をおこなっていたという公共放送のニュース。
(リンク切れしそうですが) 6月末にIAEAの検査結果が報告されるという。
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格納容器底部模型 3点東電2023・6.13 県民会議配布資料より
汚染水の量の変化。2011年から3年間はふめいなのか? ただ放流していたのか?不明。
2014年、540立方米、2018年170立方米、現在は100だがまだ増えることはないのか、その説明はなされない。(詳細へ)
除染された台地上空に線状降水帯が生まれ襲わわれと汚染水はどっと増えそうだ。 |
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左絵:2013年 8月25日福島駅西口にあるコラッセで開かれた原子力学会にて配布された資料より。赤、海に流れ出ない方にする壁。
2号機の建屋だけが水蒸気爆発に遭っていない。
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(海抜35m台地におけるプチ現代史)
木野さんの説明によると、海抜35mの福一の台地は、もと陸軍特攻隊の練習場であり、敗戦後は塩田として活用していたという。(その後、国土計画が手に入れ、福島県の開発公社が譲り受け東電に渡すのだが、説明はない)25m掘さげ海抜10mに造成し地盤を強化した。津波想定は6mだったとのこと。
佐藤が読んだ『原子力政策研究会100時間の秘密音源─メルトダウンの道』の記憶を思い出すと、25m台地を掘り下げた理由は今日の木野さんの説明とは異なる。東電原発のビックボス、豊田正敏氏の証言があるので少し要点だけ『原子力政策研究会─100時間の秘密音源』から引用しておこう。
「海抜を25m掘り下げたのはGE(エジソンがつくった会社)が設計した「スペインのサンタマリア・デ・ガローニャ発電所の設計図をまま使えるから安くしますよ、とGEがいってきた、それでGEいに決めた」208頁。東電はGEとターンキー契約をすませた。ターンキー契約とは、GE社は設計、建設、試運転から営業運転開始まで全責任をもって実施し、完成させ原子力発電所を引き渡す。さらに燃料調達および運転教育訓練費を含む」209頁。「タービン発電機には復水器があって、ポンプで多量の海水をくみ上げて冷やしてやるわけです、だけど設計されていたポンプには海抜35mもの高さまで海水を汲み上げる能力はなかったです。せいぜい10mが限界だった。ターンキー契約は向こうにお任せですから追加の要求をこちらから出したらね、それこそひどく高い追加費用を要求されることになっちゃうんですよ。・・・よって東電社会内の判断は、高さ35mの台地を海抜10mまで掘り下げることだった。210頁
東電のビックボス豊田正敏さんの残したインタビュー記録が本来なのではないか・・・。非常電源として外部からの電源を確保するための鉄塔が福一構内で倒れたと木野さんは語っていたが、豊田正敏さんは外部からの送電用鉄塔が地震で倒れてしまったと語っていて異なる。倒れた場所、構内の鉄塔が倒れたとは語っていない。(鉄塔が倒れず通電されても冷却ポンプが動いたのか?その点も不明だ、水浸しでポンプは稼働しないのではないか)
安全性より経済性優先であったことが台地を25m掘り下げた因だと佐藤は思ってきたのだが・・木野さんの説明はもっともらしい岩盤強化説だ。地盤のボーリングデータを実見しないと、その説明をうけいれることはできない。
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佐藤作成の汚染水に関する資料頁へ
絵:左太平洋。右1号炉基礎底海抜0あるいはマイナスに見るが、海水も地下水も流れ込んでいないのが分る。
黎明 -福島原子力発電所建設記録 日映科学映画製作所1967年製作 - YouTube 24分53秒あたり
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(5号炉、6号炉─双葉町領域をまわる)
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展望スペースで記念集合写真を撮り、次に5,6号炉に向かった。海抜35mから25mほど下ることになる。5号炉の南側の道路を右折して 津波で潰れたという大きなタンクを見る。(丸い白点)津波の威力を説明しようとしてたのかもしれないが、5,6号炉のある双葉町の起伏に飛んだ形状は地図や断面図を描いて覚えていたのでそちらに気が向いてしまい、潰れたタンクを説明する意図は解らなかった。起伏は車での登り下りで理解できた。それほど高低差があるということだ。
想いもしながったのが、すでに汚染された、被曝車輛と重機の汚染鉄屑の量の多さだった。3・11時以降も爆発時も作業員は構内では作業している。車はたくさん福一構内を行き交っていたことを、頭の片隅にも描いていなかった。とにかく汚れちまって車輛などは福一領域外には運び出せない。被曝車輛の多さと錆びかけた核汚染物の残骸はこれからも、廃止処置を続ければ溜まり続ける。同様に汚染鉄屑など発生し続けるわけだ。やがて保管している台地は汚染車輛の剥落錆とともに核汚染され続けるだろう。
機材の汚染鉄くずは、私案にも保管庫をつくりストックする計画なのだが、その量は私案作成時の想定よりはるかに多いかもしれない・・と考え込んだ。溶かして汚染鉄の塊にしても放射能は消え去らないので、鉄の塊は何にも使いものにはならず溶かすための燃料が無駄になるだけだろう。まま保管するのがもとも労がすくないのではないか?飯の種を減らすなと言われるだろうが・・・。
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双葉町にある福一構内を進むと乾式キャスクそのものなのか、それをストックするための構築物なのか見えだす。人が内部に入って作業をし柱も壁も屋根もあるので建築だろうか?遠くて初見なのでわからない。人が入室できないなら法律上は何と言えばいいのだろうか?工作物か。乾式キャスクの名称だけでは目の前のコンクリートの塊のような物を理解させるには不十分な代物だ。これが5、6号炉の使用済み燃料・乾式キャスク置き場なのか!と・・唾を呑みこむほど不気味で巨大な存在だ。
私案の乾式キャスク置き場は高さ20mでクレーンスペース10mをふくみ総計30mの高さを想定しているのだが、乾式キャスクの現在は野ざらしのままのように見えたが確かめる術がない。
起伏が大きく道も曲がりくねる、その中を車はクネクネ進むので、ここがどこなの?それが分かり難くなっていた。突然、開ける砂地は鉄くずなどを保管する保管場庫をこれから造る用地だそうだ。着工が開始されたとのこと。もちろん巨大だが確認申請はだしていないはずだ、その施設づくり工事前の更地を眺めながら35mの台地に戻った。
何度もいうが、廃止措置というのは賽の河原の石積みよりキツイ惨状を生身の人が延々と続けなるしかない、それを指しているのだ。そのことが分るので、私案計画は小さすぎるかもしれないと思うのだった。何もしない放置するという選択肢が最も賢いようにも思える。スリーマイル島やチェルノブイリ原発事故地は覆うだけで手を掛けないという選択肢を選びとって、監視しているだけだという。その方が作業によってうまれる核汚染鉄くずなど、多種多量の廃止措置に関わる核ゴミは発生しないだろうな・・・・。
「護福まち」計画を提示するよりは廃止炉措置せずまま監視せよ!と語り合うべきなのかもしれない。私案は措置を止めためにも有効だとも思う。もうすこし時間をとって、1年ほど思案をしつつ私案も練り込んでみたいと思った。
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左絵:木野さん撮影
汚染された重機各種と車輛と敷き詰められた万能鋼板 それらは既にすべて核汚染廃棄物である |
(廃炉にともなうデブリを保管する構築物が見当たらない)
廃炉・廃止措置はあの日から40〜5年ほどの目標設定だったと思うが、廃止処置を開始し12年経った。今はわずかな量のデブリ、粉だろうが、それだけしか取り出せていない。で、デブリ保管庫を構想するには早すぎるのかもしれない。あるいは取り出しは不可能だと諦めてしまうのか、どちらの結論も得られず、だらだらと現況を先延ばししていくのか、それらのどれでもないのか、不明である。政府や東電は出来ない燃料デブリを取り出す、廃止措置しているとだけ言っているように思える。
本当は何が起きているのだろうか・・・。デブリを取り出した後、格納容器、そして原子炉建屋を解体するという、はやりできると思い込むしかない、狂った作業工程だと思う。300年間かけて考え議論を続けてもらいたい。
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(案内する目的はこれなのか?な・・といぶかった、嵌められたな・・・)
〆は放流予定の汚染水・処理水をシンチレーションサーベーメーターで測る。そして容器を1人1人が手にもって写真撮影。処理後の手に持っても被曝しない、安全水を海水で希釈し放流するのだという。あの広報活動の一環に嵌められたな、俺は持つことを拒否。我が手に持って撮影することは・・・組み込まれている?と思った。(そうとう違和を覚えた。)
漁連との約束の件は知っているが、たった一人の県民としては「福島県の魚食文化を科学的理屈で安全だから流すというのは、福島県の魚食文化そのものを破棄するアホな行為だ。処理水は安全なのだというのは構わないが、福島県の魚食文化を守ろうとする者たちと語り合うべきだし代案を思うべきだ。ひたすらIAEAを神のように頼みとする。その姿は占領国日本が今も続いていた、一つの証でもあろう。6月末にIAEAの調査結果の報告を待ち、語り合べきことの位相を意図的に違えて、押し切って海に汚染水の一部を放流しようとしているようにも見える。
IAEAから6月末に処理水の分析結果を待っていて、それが発行されれば印籠のようにかざし福島県民に事あることに刷り込もうとする。太平洋に放出してしまう、あとは野となれ山となれ海と成れの無責任ぶりは現在の政府そものの姿である。そうして福島県の被災者一人一人をさらに踏みにじる理屈の愚行を政府が胸をはって行うのだ。政府をかえるのは主権者しかいないが抗う術をほとんど何一つもっていない。そういう構図になっていると佐藤には見える。
アルプス処理水は放射能核種が64種類混合していて、トリチュームだけが除去できない。そういう説明がある。処理方法は何度も何度もフィルターを通し核64種を取り除こうとする行為らしい(処理過程を見ていない)。というか核が消えてなくなるわけでもないのだから、核種をフィルターに付着させるというべきだろう。そして核物質で汚染してしまったフィルーターを保管する保管建物、あるいは構築物も要るし、とめどなく汚染フィルターは増えづづけるのだ、この要点は説明されない。
経産省の方の入場許可誘導者がいなければ体験できない?(私には政府の隠密行為に乗るしか体験する・・それしか術がない)、3月12日は廃止措置の現場2箇所を体験できた。確信犯で突っ込んで行った福2は門前払い(笑)。すべて辻さんが誘った神のお導きと佐藤の確信犯ふう行為の結果である。が、身体が病と老いで朽ち果てる晩年に、日本近代150年間の突端に見える営為に出会うことができた。これが日本近代の結末総体なのだと思うのだった。
私の欲望があの惨状を生み出した。ようやくその現地(鏡)に到達できた、そう換言しても違いない。このうえない極楽支援施設、永遠の飯の種の場、同時に悪所を体験できたのは望外なことであった。とりあえず6月11日を祝日にしておきたい。2000本ほどあるというタンク、工作物の届けでが無いので、確かめていないので正確な数がわからない、それらもやがては核核汚染鉄くずとして保管するための、専用保管庫が要る。錆腐らせ台地に滲みこませたり、ままだらだらと流すことは許される措置ではない。
今日12日からから処理水の流れぐらあの点検を、真水を使って始めたという説明はなかった。処理水のタンクを背にし写真を撮り、ここで福一構内の視察は終了となった。
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(退域)
福一体験後、残された行動は最初に抜けたゲートを逆に進むことだ。体験で突き抜けたα線とガンマー線の被曝線量のチェック受ける。構内で放射能を付着させないための不織布製チョッキを脱ぎ捨てる。線量計と許可証とそれぞれの紐を返却して福一領内から開放される。
東電域内に立ち入ったことを証明するために、構内唯一のコンビニに案内されたので、のこのこ後ろを追い、バナナ一本を買った。125円のレシートもいただく。高いバナナだなあ。受領書は2023年6月12日12:11と記載されている紙だった。
出口付近には岸田総理が2021年10月17日、内堀県知事が2022年1月、山口公明党党首が2023年3月4日入域と表記された写真掲示が目に焼き付いた。
これで体験記は終わりです、下部資料のあとにまとめを書いてこの記録はおしまいとします。
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資料 (放射性固体廃棄物などについて)
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東電の資料は時々刻々変わっていくが、2023年6月13日現在の知り得た数値をしめしておく。 |
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■300年後の「護福まち」計画の保管庫容量 13,020,000立方米(宇宙卵型保管庫)外直径2160m 高さ35m 構造体をはぶく保管容積可能量。
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■東電の現在の姿 約560、000立方米 (以下2枚の絵:福島県廃炉 安全確保県民会議で配布された資料より)
当面の10年程度の予測 810、000立方米 敷地が無いので無駄な化石エネルギーを使い続け減容しようとしているかのように見える。
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