1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 1999年 大島哲蔵さんと佐藤敏宏の私信交換 home 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 ●1999年11月2日 16:37 大島哲蔵さま 福島はすっかり寒くなりなした。低気圧の通過でこのところ風の強い日があります。風吹く度に冬が近づいて来ています。先週の電話の後、準備をして青森のコンペ現地を見学に行ってきました。途中天気が荒れてきたのでパーキングで寝て、青森に着いたのは昼でした。福島よりは寒い、そして遠い、外気が1度でしたし、紅葉も盛りを過ぎていました。 コンペの会場は運動公園で野球場で試合をしていたのが唯一。陸上競技場はからつ風が吹きすさんでいました。第一印象は山内遺跡に面しているとは言うものの競技場の高見から眺めて見ても大きな木々で見えないので、「遺跡はどこにあるのだ」でした。野球場や陸上競技場は本当に解体する気なのだろうか、が第二の印象です。なにもそこまでやらなくても美術館や劇場を作ることは可能なのにが第三の印象です。縄文の世界を復元するために三内遺跡周囲の公園と縄文センターで事足りる、が第四の印象です。 縄文遺跡から青森の町を眺めると破壊と想像の文明の進展の姿が見えて感慨深いです。(現代人はそう思う)生活する姿が美しいのか痛々しいのか。経済活動(人の欲望)に圧死されて仕舞いそうな感覚が襲います。縄文公園から見る青森の街の姿こそ美術品としてふさわしいのだと唐突に思う。縄文、縄文と言っても大阪城の石垣が現代文明では作れないように、このコンペの土地で縄文をことさら掲げ宣言するのは滑稽ですね。只美術館や音楽劇場を作れば良いではないかと思います。恣意性と縄文サークルと宣言されたデザインコンセプトのどこに違いどれだけの違いがあるのだろう。現代人が支払った税金は惜しくないのか。 照明や空調を完備した美術館がはたして縄文の生活と…何ら関係が無いではないか。川合さんのドラム缶建築が…イシヤマ氏によって骨抜きにされ、厚化粧をし建築界と言う座敷にひき出されたように、縄文に厚化粧を施し現代の建築の間に引きずり出せば良いのだろうか。どうせ生活の質が地震などの変化天変地異がおきても自ら変えられないのだから、無理なことは今さら言っても始まらないような気もするが。政治の世界では何か宣言しないと始まらないようですね。建築(生きる)することと、環境保護が矛盾する行為となった現在ですが、その中で何か自分らしい美術館を提案してみたいと想いました。 先月の美術館見学では死んだような美術館の生暖かい空気をたくさん吸い込んで、本当に死にそうに疲れた。青森の縄文宣言を見ながら津軽海峡冬景色を歌えばそのウエットさに辟易とする。人が人に物を直接売り付ける街の市場はいい雰囲気で、昼から酒を飲んでいる大人もいた。八甲田のそばの「酢か湯」は混浴だつた。嫌な大人達がいるのだろうが青森に住んでみたいと思いました。 帰り道に角館に寄りワタナベさんの小学校を三度訪ねた。すつかり村の人々から愛されていたが老けるのが早いようだ 。角館は武家屋敷が観光みやげを売り始めていた。ワタナベさんが見たら嘆くだろうなと想いました。 明日から役所の手続きに3年ぐらいかかつた「千万家」の工事が始まります。「この模型がなければ途中であきらめていたなぁー」と植木職人の発注者は深いため息をもらしました。 可笑しくて変な美術館を提案してみます。近況まで。 佐藤敏宏 ●99年11月7日 17時29分 佐藤敏宏様 青森の荒涼とした感じが文面から伝わって来るようです。ミュージアム建設ブームもいよいよ辺境の地に達してあとは竜飛岬ミュージアムぐらいでThe Endとなるのでしょう。それでも地元の人は待望しているのでしょうね。そこが悲しいところですね。観光とか人寄せ作戦によって状況はどんどん悪くなっていったようです。それでも建築を設計せねばならないというのは気の毒なことです。現行の審査システムでは望みはないと思いますがやる以上は健闘ください。 こちらは楽しいことが多いですが、その分早く時間が過ぎていくように思います。神は公平ですね。きっと建築家も同じ思いがすると思われます。忙しくしているうちに年寄りになってしまいます。本当は暇でも自分らしい作業を続けることが大切だと感じます。 千万家は楽しみにしています。実家より早く出来そうですね。(まだ着工してません)ミヤジマを見ていると大組織に居る人はやはり駄目だと思います。それを遂行しないと食っていけない、という状態は必要なのだということがよく判ります。恵まれた人にはよい仕事は出来ないということがよく理解できる。福島もすぐ寒くなるでしょう。そういう環境で設計している ●1999年11月14日 4:42 大島哲蔵様 先日はFAXありがとうございました。なかなか重たい内容でしたが、いつでもそう(生に対する矛盾のような仕事)ですからもう充分なのですが、そういう世界を選んで生きていますので、自分にとって少しでも良いことをしたいと思うだけです。 現行の審査システムの欠陥とはどんなことなのですか。主観的な要素が入ってしまえばどうしても選択の良い方法が無いので、発注者が経験を重ねて行くしか他にないのだと思います。多くの無駄な労力が消えて行くのは仕方の無いこと。その事を参加するモノは知っておくべきでないでしょう。綺麗ごとで良いのです。その事がなんにもならなくて当たり前です。生きて行くことに意味なんかないのです。自らの生に、いかに集中していけるかだけですかね。 小さなアトリエの発注者の前で、いつも業者からも発注者からも不審や軽蔑をもって工事をしているんだし、小さな住宅ごときに真剣になる建築屋は居ないです。と言いましたらショックを受けて大騒ぎでした。金を払う人が偉いわけでなく、金の大きさによるのです業者は。こんな当たり前のことが判らないのです。消費社会はお客様は神様ですが、侮られた神ですかね。モノをこしらえる世界はなかなか神様とはいかないので、いずれ私は淘汰されるのでしょう。 大阪の石垣や浄土堂は夢のまた夢なんでしょか。 千万家楽しみにしていいただき感謝いたします。予算がないので一つの部屋の分は母親が資金提供しますから、母の間に代わりましたかね。 今週の頭にンさんからこんぺの写真と紅の着いたティシュが送られてきました。これは大島さんのモノだとノジリさんやコバヤシさんが笑っていました。彼女はいろんなことに興味があり、それをこれからまとめる作業が必要ですが、大島さんがそばに居るので安心です。 コウケさんからも今日「消化不良」の案内が届きました。成功して奥さんを幸せな気分にさせてあげれば良いのですが。 話は変わりますが今日よやくメールboxを開きました。カードが無いと開けないのでカード作りに手間取りました。早速ンさんの所へメールしましたが受け取り拒否にあいました。彼女が訪ねてくることがありましたら番号を知らせてやっ居ただければ幸いです。 アさんややノジリさんを誘い今週末は五戸の住宅を見学に行く予定です、感想をまた書きます。都会での楽しい生活は浦島現象を引き起こすのですか、こちらは暇がありすぎて役に立たないことばかりに熱心になっています。また連絡します。佐藤敏宏 ● 1999年11月18日 14:52 大島哲蔵様 福島から見える山にもとうとう雪が降りました。大島さんと行った温泉場は20センチほど積もったとのことです。寒いと何かと身体が強ばりいけません。 その後浦島的大阪はいかがでしょうか。こちらはメチャメチャな生活時間となっております。青森のコンペのプランを明日で完成し、来週から模型を作らないと間に合いそうにありません。土曜日の早朝からはヤエガシさんの処女作である五戸の住宅を見に行く予定です。遠いし寒いので、それに岩手山の火山活動が盛んだとか。で少し気後れしますが、酸ヶ湯と言う東北最大の混浴に泊まる予定です。東北的浦島太郎は爺ちゃん婆ちゃんが沢山湯に浸かっている世界です。寒いので湯煙がモウモウで綺麗な綺麗な、夜目、遠目、湯気目と言ったところですかね。 コンペは落選の太鼓判をまた押されそうなプランになりました。とても偉そうな建築プランに出来ないのでこれはいけません。宝くじより確立は相当に悪いんですが 暇だからします。金が無いので今回はカラーコピーで済ませるしかないようです。模型が完成しましたら写真を送りますので、意見を聞かせて頂けたら幸いです。 大阪でも大勢の人が参加してそうですから、知人が誰か入賞するといいですね。 五戸から帰りましたら感想など連絡いたします。ではまた。 時雨れ来て 湯気目で見る プランかな 佐藤敏宏 1999年12月分 私信交換へ |