2009年12月10〜13日「じゅっくりの会」in京都 記録 home 10日 駅から えいぞうさんの家体験記 えいぞうさん父を語る えいぞう・きみこさん新居を語る 11日 柳原照弘の この1年 工芸繊維大講義 デザインイースト 00 を語る 12日 渡辺菊眞さんに聞く 鼎談 アガカーン賞の王路 (森田一弥・渡辺菊眞・江崎貴洋) 松岡聡さんに聞く 工繊大3年生・浅野翔さんに聞く えいぞう 「父を語る」 その01 その02 その03 その03 えいぞう:何だか分かんないけど。うちの母親の中ではオロナミンC呑んどけば、栄養採れると思ってるらしい。 佐藤:炭酸飲料じゃないの えいぞう:面白い母親なんですよ、思いこみが激しいふふふはははは オロナミンCを呑みなさいよ!とか言われて。 佐藤:コマーシャルの勝利 えいぞう:うはははは、そうやって暮らしてたんですね。出前とオロナミンCで。それでうちの親父が退院してきて。鼻は効かないけど何とかまあよくなったと。それでね〜倒れてからちょっと改心、自分でも思う処があったみたいで。ちょっと母親にお金をもらって、タクシーの免許を取りに行ったんですよ。タクシーの運転手に。 佐藤;凄いね えいぞう:運転は好きだったから。免許取って来て。タクシーの運転手になったんです。でまあ客と話すのも好きな人ふふっふふ 意外と向いてるみたいな。 タクシーの運転手頑張っていたんですけっこう。それでね、ああこれから親父ちょっと ましになっていくのかな〜?と小学校の5年生ぐらいの俺は思っていたんですよ。ふふふふそれで、当時ね。それで頑張ってたんですよね〜、そしたら頑張り過ぎちゃって今度。タクシーの運転手っていうのは、あるノルマクリアするか、しないかで結構大きいから、それであるときノルマクリアするために自分で長距離を一人で、長距離運転して 佐藤:自分出払って えいぞう:払って帰って来た日があって。そんときに倒れちゃたんですまた。2回目やったんです病気。それで倒れたんです。それはね私が小六か中一当たりで。またやって、また手術したんですよ。そしたら今度は知能がやられちゃったんです。今度は 佐藤:脳味噌いかれた、酸欠になったんだ えいぞう:それで手術で命は取り留めたんですけど。幼児になっちゃったんですよ。 佐藤:言葉しゃべれない えいぞう::最初にね、まず幼児になったんですよ。母親の顔見ても知らないって。分かんない! 佐藤:認知症みたいだな えいぞう:認知症です。それで精神年齢が幼児なみの精神年齢からスーターとして。不思議な事にそこから成長していくらしいんですよ。行ったんですけどね。それでね、うちの母親が付きっきりで、もう大変な 佐藤:お母ちゃんのこと覚えてたんだ えいぞう:覚えてたのか思いだしたのかで。何かうちの母親が言うには夜中に寝ぼけて隣のベットに向かって小便したりとか。寝ぼけてね。子供だから。ねーみたいな話で きみこ:う〜ん えいぞう:子供だから立ち小便して、我々が会いに行っても ほら えうぞうだよ!って言っても分かんないんですよ。ほんとに。親父〜っと思って 佐藤:そのときえうぞうさんはどう思いましたかね えいぞう:なんか不思議な事にね親父が入院しているとねホットしてるみたいな 佐藤:ふふふ えいぞう:うちの家族は慣れているわけですよ、色々あるから。余所で変な事しないでくれてるみたいなのがあって。平穏にはなるわけですよ。だけどまあちょっと、どうしたもんかな〜って、一応ね。保険も入るし。それでまあ家計はなんとか平穏にはなるんだけれども。母親も大変だしと思って。 あんな親父どうなっていくのかなみたいな。で、そうこうしているうちにでも呆けたら呆けたで、退院はしてきて。でもその前にはまず家の近くの、友達のお母さんが看護婦やっている病院に親父がまた入院して。とりあえず。まだやばいときに。そしたらね〜行方不明になったと。いなくなったと。 でね。家族中で探し回ってね。僕学校休んで、兄貴と一緒に色んな処歩き回って。親父いないか〜?と思って。でも私は学校休めるからちょっと嬉しいな〜みたいなふふふ。周りの人は心配してくれるんだけど。ふふふふふ、そしたら全然違う台地の上に住んでいた、台地を下りたどっかで居た!みたいな。、警察から通報があってふふふふ。引き戻されてふはあはは。帰ってきたみたいな。何かっつうと居なくなるみたな ことろがあって。 佐藤:どこへ行きたかったんだろうね?お父さんは えいぞう:分かんない。その時は色々記憶が戻ったり戻んなかったりしたのか知んないですけど。そういう状態だった。でまあちょっと、ましに成って家に戻って来たんです。 でもまあちょっと働ける状態でもないし、働いても欲しくもないし。それで家に居るんですずーっと。親父が。呆けた親父がね。それで、それで僕は中学校2年、3年生になって。 そしたらね、親父 暇だからね、家に前に居るんですよ。それでねうちのね。うちの前通学路で、小学生たちの。それでうちの親父は、昔っからね、ひょうきんな人間だったで、親戚の集まりで腹踊りするような男だったので、こう描いて。それで、もともとそういう気は有るですけど、けっこうひょうきんな処が有って。 当時ね九州の地元でねオロチョンと言うラーメンがね。韓国ふうのねインスタントラーメンが流行って。そのCMがねけっこうインパクトが有ってね、みんな知ってたんですよ。でうちの親父は何だか知んないけど、通る小学生にみんなに おろちょん!おろちょん!って 佐藤:おろちょんおじさん えいぞう:おろちょんと呼ばれていた。それでね、変なオジサンでね、けっこうね居るねみたいな。僕思春期だから、それが!!凄い嫌で。それはそうだね中学校3年生ぐらいになっていて。おやじおろちょんと呼ばれているよ〜。それで、僕中学校3年生で学級委員長とかやっていて。それで運動会の応援団とかやってたんですよ。何組みたいなの。応援団の練習をね、色んな集まりでやっていると、あのおろちょんて知っている?みたいな。面白い人居るよね〜みたいな 佐藤; 多感だからお父さんとは言えないね えいぞう:言えない!ふふふ、言えないだよね。ほいで、言えないで、う〜ん 。ふふうふ感じで。だけどもう〜んふふふふ困ったなおやじ〜ほいで、そういう感じなんですけど。でも面白いのが、親父たぶんその頃小学校高学年ぐらいの感じだったと思うんですよね。 そしたらねうちの母親がねあるとき仕事から帰って来たら、家の前で親父と小学生が真剣な顔で、話合っている。それはねその小学生がクラスの問題を親父に相談してる!。おろちょんに。信頼されて。ふふふふそんで。ふふふ。 佐藤:いいね えいぞう:ほとんど下着同然の親父と ふははははは小学生が こ〜むずかし顔で あはは 。だからね〜、みたいな、意外と信頼されているよみたいな感じで。ねふふふふ居たんです 佐藤:いいね えいぞう:まあ有りがたい時代なんですよだから、。変な人がまださ〜そいいうコミュニティーで生きていけるような それで田舎だしね きみこ:う〜ん えいぞう:なんで、それでありがったかったですよね、そういう意味ではね、今はあり得ないでしょう、そんな人が近所に居るって。今の社会では きみこ:前の家の大屋さんオジサンが えいぞう:大屋さんのオジサンはうちの親父にちょっとだけ似ている きみこ:ふふふふ えいぞう:なんですけど。やっぱりね、ちょっとね、ちょっとした事件があって。うちの住んでいた近所に、ある女性が居て。その女性がちょっと、その女性自身感じやすい人だったんですね。それでうちの親父に声掛けられたんで、警察に行っちゃったんです。それでちょっとね、問題になっちゃって。それでさすがにそれで問題になっちゃったから、うちの母親もちょっと自分も働きに出ているし。面倒みれないっていうんで。拙いっていうんで。そいで、心療内科に入った。いわゆる精神病院当時でいう。 佐藤:不寛容な人が居たんだね えいぞう:まあその人自身がそう言うのだからしょうがないんですけど。 佐藤・:まわりで納めてくれる人いなかったの えいぞう:そういうのもね、さすがにね、 佐藤:みんな おろちょん隠しやったわけだな えいぞう:それでうちの母親しかたないんで。さすがにもうちょっと限度だというので、いわゆる精神病院と当時呼ばれていた処に入院さしたんですよ。 佐藤:病名ないんじゃないですか えいぞう:病名ないでしょうね〜やっぱり。手術によるなんらかんだ。それで入院っしてもらって。僕は子供の頃から、あそこ頭おかしい処へ居るんだよねはははって子供のころから学校で言ってたら!うちの親父入るんですよ。親父 精神病院入ってなんて誰も言えないじゃない 佐藤:その時は何歳ですか 16才ぐらい えいぞう:僕が中学生でしょう、中三とか。それで、 佐藤:ショックだよね えいぞう:ショックというか、まあでも、でも、ショックだし、自分としては安心なんですよ、やっぱ親父が居ない。親父が近くに居なくっておろちょんなんて言われなくって。自分が普通に居られるみたいな感じもあってははは 感じもあって。 きみこ::小学生たちはおろちょん居なくなった!?と えいぞう:話してたんだと思うだけど、 佐藤;おろちょんんてどころでそういう字なんですか えいぞう:カタカナですね。韓国語だと思うですけど 佐藤:どういう意味なんだろう えいぞう:分かんない。そんで僕は高校受験して、高校はいり。そいで親父はそこへ入ってずーっと入っていたんですよ。 佐藤:ときどき会いに行っていたですか。 えいぞう:ときどき戻って来てるんですよ。 佐藤:家に一時帰宅してたのね外泊ね えいぞう:外泊をするんですよ。そいでね、もう可愛そうですよね今考えるとね〜。あんなどう考えても自由を束縛されてるわけでしょう。そんなかでは 佐藤:本人は分からないから えいぞう:でもどこまで分かるようになっていたんだろうな〜と思って。その時点で小学校高学年には成っている、精神年齢的に。それで、戻って来て。働きたい働きたい言っているんだけど。とうてい そういう事もないし。 で、そうこういしている内にうちはねちょっと裕福になって来た。なぜかというと証券バブルですよ。日本の景気がよくなって証券会社が儲かるようになって。うちの母親が営業マンとして優秀だったんで。いい給料もらうように、なったですよ。証券会社から。 そいでまあまあ裕福になって来たんで、前住んでいた所からちょっと町中の新しいマンションに、賃貸に引っ越したんですよ。 僕は歩いて高校に通うようになって。それでそこで僕は何とな〜くいっぱしの10代の生活をおくらせてもらったふふふふふ、兄貴も姉も独立してたから。もうそんときは。ほんで僕一人部屋、二つ部屋もらっちゃって〜。ふふふ いきなり。子供の頃縁側が僕の部屋だったんですけど、。いきなりね〜僕の遊び部屋と勉強部屋みたいあのふふふふ出来ちゃって。もうね、ぼくはね自由でね。やっていた。謳歌してたですよ。部活も入らずに。帰宅部生で きみこ:う〜ん えいぞう:楽しい高校生活を。ほいで高校3年生になり、親父はときどき帰って来きて。でもまあ私もまあ、時々帰ってくるのめんどくせーなとは思っていたんですよね、やっぱね。親父、居る方が気を使うし。それで、まあでも、時々帰って来てて。で、高校3年生のある日 また帰って来てたんですよ親父が。で、母親と寝てて僕は自分の寝室で寝てたら、僕が寝てたら 母親の「おとうさん!!」っていう声で僕は目が覚めて。でもその瞬間はもう一回やったなと。親父。で119番して。救急車来て。病院は直ぐ自分のマンション裏なんですけど。ふふ。それででっかい親父だから、担架で運ぶのも大変で。ぼくの親父はね。ピークはね180pでね、120〜30kgあった 佐藤:でけ〜 俺のバイだ 関取なみだ えいぞう:ぐらい、割腹がよかった。そんときもけっこうでかかったからもう大変で救急隊員も、私も一緒になって、運んで。それで病院に行って。それでさあどうするかと言う話になったんですね。で一応まあ、人工呼吸器とか付けている状態で。手術しますか?と。 うちの母親はもういいですと。やめてくださいと。この人も充分ですから、延命処置はしないでくださいって言って。それで、一応まあ、兄貴と姉をちょうどそんときは東京へ行っていたんで。呼びなおすところまでは延命してもらって。それで呼んでみんな揃ったところで、じゃあ〜ここでみたいな きみこ:う〜ん 佐藤:へーえ えいぞう:うちの姉は優しいことに泣き。私なんか無感情でしたけどね。ちょっとホットいてますよ。うん。ああ!とうとう家族のでっかい荷物が下りるな〜ぐらい思っていたですね。で、ほいでまあ死んで。 佐藤:棺桶はいりましたのか えいぞう:デッカイ体だったのでギュウギュウで入ってましたよ!でそれが50才だったですね、うちの親父は。 佐藤;早いね死ぬの えいぞう:たぶん 逆算すると42、3で倒れて。50で死んだんです。その年に自分が近づいて来るか〜と思うとね〜不思議な感じですね〜 ふふふふ これで以上ですから 佐藤:いったん やすみましょう 休んでから えいぞう きみこさん 新居を語るにいきますので えいぞう きみこ「新居をかたる」へ 2009年12月10日 音採り えぞうさん「父を語る」 読んでいただきありがとうございました 続きの内容は 2014年です 文字起こし・文責:佐藤敏宏 |