07 経歴
s:残りのこりテープが15分ほどあるので、折角の機会なので 松川さんの経歴などとか・・
松川:経歴か〜
s:松川さんは建築家になろうと思って大學の建築科へいかれたわけですか
松川:はい
s:それはどのような動機だったんですか。なにか建築を見て感動したとか。
松川:笑い そういう語って記事になりそうな話はないですね。そういうエピソードはまったくなくって。なんですかね
s:行くところないから入っちゃった
松川:なにか漠然と僕にむいてるな〜と思って。(笑)
共 笑い
s:なにかそんな感じでいいじゃないの。感ね
松川:感です
s:具体的には理科大入られて、4年間で学部生時代に 勉強さられたことはこなしたんですか。
松川:ギリギリのギリギリ 卒業〜
s:なんとか卒業できた。
松川:はい。僕を廻りから見てた人からみると、一番ダブル学生だったと思います。
s:最悪の学生態度だったんですね
松川:ただ設計製図だけは 凄く一生懸命やって。
s:その設計製図は従来的な手で書く行為ですか
松川:はい。非常勤講師の方々や先生方がいて。エスキースを受けて建築を提案する。その授業だけはやっぱり。 逆に言うとそれしかやらなくって、他でダブりそうになったんですけど。そこは楽しいな〜と思っていたんです。
佐藤 笑う
今から思うと有名な先生がいるのもどうかな〜と思うのですけど。 僕たちのところは居なさすぎて。 逆に外に出ないとダメになると思ったですよね。で あまり学校も全然行かずに。僕は学部の時期から磯崎アトリエにアルバイトに行っていたんですよ。
で、そこで。外にでると、こんなに楽しい人が一杯いるんだと思ってですね。たまたまICCがあるじゃないですか。ICCがオプニングする時期と丁度重なって。オープニングイベントが磯崎新さんの海市展という展覧会があったんですけど。
1年ぐらいICCに凄く籠もって準備のために出入りしていたんですね。そうすると、ICCの人達とも仲良くなってきて。、そこでコンピュータを使っている最新の日本なり、世界の人達がそこに集まってくるわけですよね。 そう言う人達がヤッテイル事をこう見て「あぁ・こんなことがあるんだ!!」というのを。衝撃を受けたわけなんですよね。
s:そうか。具体的な成果物から刺激を受けちゃったわけね。パソコン持ってみてじゃなくって。
松川:そうですね。その頃は僕も既にコンピュータは持っていたんですけど。学校のキャドとかですね。設計製図のプレゼンツールとか、その域を全然出てなかったんですけど。 ICCに行って、そういうのに凄く沢山ふれさせて頂く機会があったので。 それでなにか凄く刺激になって、コンピュータと建築の関係 みたいなものを 一寸ずつ考え始めてたんで。
だけどその時は、コンピュータのスキルは まあまあ有ったので。そこで一緒に知り合った倉持っていう。当時 ゼロ・スタ 二人でやっていたんですけど。その相方と一緒に そのバイトもやっていたんですけど。そのアルバイトが丁度終わる頃に卒業しちゃって。
一番最初に そのICCのつてで、伊東豊雄さんの展覧会が世界各国 巡回するという話があって、「映像を作る人を捜している」という。それがICCの所に来たんですよね。 ICCのキュレターの人に僕と倉持を紹介してもらったんですよ。
s:それが あの柱が産まれたり、平面図が消えたり産まれたりする あの映像ですか 。あれが松川さんと倉持さんが作った映像ですか。 伊東さんが世界中で見せ歩いた。ゼロ・スタって書いてなかったな〜(笑)
松川:書いてあるんですよ ちゃんと。笑
s:それは見逃したな〜笑
松川:展覧会にはクレジットがちゃんと載ってますよ。
s:コンピュータのスキルアップしていくって いうのは いきなり自己流ですか。
松川:自己流です。誰にも教わっていないので。
s:パソコン買ってきてグジャグジャ使い、何台か潰したりして。スキルアップした。
松川:そうですね。それは何かこう、むいていたというか。填っちゃったんですね。
s:それでは 学校へ行かないな〜・・ 笑い
松川:行っていなかったですね。 それを機にゼロ・スタジオ作ろうという話になって、さっきの名前を。(笑い)なにか これから仕事あるかどうかわかんないから、少しでも確立高いことしよう、みたいな話をしつつ。 最初はズートITとかWEBとかプログラムとか映像とか。そいう仕事ばっかり。
で その何年か前に、ワインバー の内装の仕事があって。そこでなにか一個 エイヤーと決めて。 ここで一寸本気でやろうとして。 いきなり内装を 普通の作ちゃうのは面白くないので、なにか僕たちにしか出来ない。今での経験を生かせるような。
s:それは二人でやられたんですか。
松川:いろんな人に関わってもらいましたけど、最後は 結局ほとんど僕がやりましたね。
s:いまもあるんですか。
松川:お店自体は潰れちゃった。(笑)今日はその資料もあるんですがもう時間ないですか。
s:あと5分 。あと5分だから。その話じゃなくて、。今は建築の仕事と画像を作るということになっているんですか。
松川:今ちょうど今やってるのは展覧会の映像の仕事ですかね。
s:映像を作る仕事と、建築を考えプログラムをつくり、建築を具体的に作ると。他になにかやられているんですか。
松川:SFCで非常勤講師をやっています
s:SFCってなんですか。
松川:田中浩也さんが勤めている学校です
s:慶応大学の藤沢キャンパスね。いけね〜おせわになってた
松川:あそこで 関数空間というお題で演習をやっています。
s:そのほか、いろいろやられたらいいじゃないですか。
松川:いろいろやりたいですね〜
s:僕が失敗したな〜と思うのは。色んなことやってこなかった。僕は若いときなにもしなかったので、オジサンになってしもて〜 インタビュアーになっているわけですけど。
松川 笑う
いろいろやったほうがいいよね。同時に全てプロフェッショナルであると。それを持続されて 継続する。というのが正しい生き方というか、それが一番面白いと思います
松川:とある アーティストの方がいて。その人とよく仕事をする機会があるんですけど。その人は30後半なんですけど。その人に散々言われいたことがあって。20代はとにかく色んな方向にベクトルを向けろ。発散しろ〜。
s:まだ20代なんでしたっけ
松川:今31です。30〜35才のあいだはとにかく、自分の代表作と言われるヤツを幾つか決めてそれに本気で取り組め。と言われて。
s:代表作を決めちゃうわけ!ね(笑)
松川;代表作って後々ついてくるんだと思うんですけど。本気でやる、掘り下げるところを決めろと。それが結果的に代表作になるようなものを作れと。 35からはそれの惰性だ〜みたいな。ことをいわれて(笑)。というのは35からは人間の脳は一気に衰えるから、そいうモチベーションが今よりも当然一寸ずつ落ちてくる。僕まだそこに行っていないので判らないですけど。
そういうふうなことを言っていたんですね。それを素直に「あなるほど」って 守って。
s:尊敬できる先生があらわれた。人生における先生なんだ。
松川:そこまで言うと嫌がられそうですけど。
s:それはそうだろうけど、心秘かに 私淑する。そのような人が 建築界じゃない場に存在しているというのはいいことだ よね。
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