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私事圏という日本語ないんですけど・・要するにプ
ライベート・スフィアーっていう英語を訳したら私事圏かなーと思い・・私事の圏ですね。公共の領域と私事の領域。それからもう一つ家事の領域がある。家のことですね。家事圏、こういう言葉も無いんですが・・
公共圏・私事圏・家事圏・それから親密圏。・・という
四つの間のですね・・相補い合う関係というものをみていく必要があるんじゃないかということです。簡単に言うとこの四段ロケットで考えてたほうがいいということ。第一段ロケットというのはどれかと言うと
親密圏。二段目のロケットは
私事圏。三段目のロケットが
家事圏で、最後の人工衛星を積んだ最終段階のロケットが
公共圏。そういうイメージを私は持ってますけども・・。
公共圏というのはですね。ロケットで発射して、最先端にあるわけですけれど、
何処に向かっているか、
何を相手にしてるかと言うと。一つは
公権力の世界ですね。公の権力の世界と相渡りあわなければならない。常々そうなわけですね。我々はあることが起これば公権力と渡りあわなければならない。実際日々それを陰に陽にしているわけです。市役所に行けば市役所の窓口で実は些細な一つの書類の申請にしてもですね・・公権力との交渉関係に立っているわけですね。
そこでヒョツトしたら情報公開条例に従って市長の給料はいくらかっていうことを請求してみたり、そこで逆に自分の職場とかどういう政治団体に入っているかとか窓口で聞かれて、それが役所のデーターベースに残っているということも起こるわけですけれども、そうやって・・
我々は公権力と日々折衝関係に立っているわけですね。
それからもう一つは
市場という世界と折衝関係に交渉関係に立っている・・買い物に行くっていうことも、それ一つとってもそうですけども、お金を支払って何かを得るっていう経済的な行為をするときに
市場という世界と向き合って日々暮らしているんですね。
そういう公権力という世界と市場という世界と我々が向き合う時にですね、さきほど言った親密圏・私事圏・家事圏・公共圏というこの四段ロケットで向き合っているとイメージすることが出来ると・・思います。
逆に言うと公共圏というのはですね・・あるいは
公共圏のパワーっていうものはいかに豊かな家事圏や私事圏、プライベートな世界というものが在るかどうか・・さらに背後に控えている親密圏というのがいかに豊かに在るのかということと重なってくるわけですね。親密圏インティメート・スフィアー。あるいはインティマシーというと・・すぐ佐藤さんなんかは笑いたくなるようなですね・・
佐藤笑う
笑いたくなるような世界ですよね。あのー・・これは決して人には見せられない。人の目の決して届かない世界であって、
ある意味でそれは何でも有りの世界。
ただそこは同時に自分の
信念世界ですね。良心であるとかですね。あるいは信仰も入るでしょうね。要するに合理的には説明出来ないもですね・・自分自身が・・自己の閉ざされた世界の中で、築き上げている、一つの固有の世界ですね。これは決して合理的な世界だけではない。合理性だけが支配している世界ではない。非合理であるとか・・スゴーく悪いことを考えているかもしれない
佐藤 笑う
ね・・。だけど
それは表に出さない限り許される世界ですね。
その一つ先が私事・・プライベートな世界。これにはプライバシーという言葉がありますね。私事的な世界というモノを即座に語るのがプライバシーという言葉なわけですけれども・・プライバシーというと直ぐにですね、プライバシーというのは犯してはいけないとか、守らなければいけないということが続いてきます。これは・・親密圏と重なっているところがありますが、
他人の目が届かない、あるいは他人の目に晒されないという私事の世界ですね・・。
台所でフライを揚げる音がする・・パリパリ・・
これはですね。
家庭も入るでしょう。皆さん誰でもが家庭を持っているわけではないですから。単身の人間もいるわけですから、家庭とは限らないですけれども・・
人の視線から遮られた自分の固有の世界ですね。
それから
家事圏。
家族の経営単位ですね。家事というのは
所得の単位でもあるんですね。一つの経済的単位。経営の単位なんですね。
家事というカタチで経営が行われているわけです。
一月の収入があり、一月の支出があり。その中からどいう割り振りをして教育費を捻出するとか子供を育てるとか、要するに経営単位ですね。そういう単位の中で家族、家庭というのが運営されていく。その先にパブリックな世界、公共の世界っていうものがある。
ですから、決して
それら4つは相互に排除されるようなものではなくてそれぞれが前提になっている。お互いがお互いを前提にしている。そういう世界だと。
一番重要なのは
公共圏というものはこういう私的な世界の最先端・・突端に存在していて公権力とか市場とかと交渉関係にあり、渡り合う。そういう所なんだということ。これをハッキリさせておかないと次の問題とも絡んでくるんですが・・。非常におかしな定義の公共ということが登場してくる。つまりとんでもない・・私の解釈からするととんでもない話になりますけれども、
公共というモノのをですね。こっちの公権力の側の・・モノと見なす・・そういう考え方は日本では依然として強いんですが・・そういう考え方が出てくることになる。
例えば
日本ではお上とかですね。官というものが公だというふうに主張されることがありますけれども、あれはまさに
公権力が公、公共であってですね。こっちの私的な世界に公共というものが無いという考え方ですね。
それは決してパブリックという意味ではない。
パブリックというモノはあくまで公権力と対峙する。パブリックというものはあくまで私的な世界から生まれてきて、私的な世界が公権力とか市場と渡り合うときに私的な世界の突端部分に生まれてくるモノであると。
これまで
公共って言葉を巡ってですね、大変キチンと見れば
シビアーな戦いが行われている。どういう意味で公共、公っていうのを考えるのかを巡ってですね、
非常に厳しい戦いがズーット続いている。決着ついてないですね。お上や国の側に公共というものがあるんだということが繰り返し登場していますよね・・
2 公共圏と国民国家
public sphere nation−state
public と national
公衆 と 国民
それで
二番目ですけれど、今の話と繋がりますが。
公共圏というものと国家の関係。ここでも公共圏は時々失敗をしてうまくいかないですね。で・・いま国家って言いますけども
ギリシャ古代の都市国家もあればですね。今我々の住んでいる日本という国家もあるんです。国家と言ってもいろいろなんですね。
今の国家というモノがどういう国家かというと、国民国家と呼ばれる国家なんですね。そういう国家のありかたなんですね。
それは
どういう原理かって言うとデスね・・これは19世紀・・ヨーロッパでは18世紀の終わりから
19世紀を通じて創り出されてきた一つの発明品です。国民国家というものはもともと無いわけで・・
国民国家ネーション・ステートとは一つの国家のあり方としての
発明品なんですね。考え出されたもの。
このあり方を
日本もですね、明治維新以来追求してきたわけです。
国民国家の原理とは何かと言うと実に簡単なんですけど。ネーションとステート。
国民と国家を一致させると。これは当たり前じゃないかと思うかも知れませんけど。当たり前だと仮に思うっていうことは、我々が国民国家とい考え方に
飼い慣らされてるからなんで・・
これは決して当たり前じゃないんですよ。国家を作るときにですね・・ネーションと一致させなければならないという原理は必ずしも無くたっていいわけですね。
ネーションというもの自身が一つの発明品なんですね 。
ネーションというものがあるんだということ。これは日本語では国民って訳されてますけれど。ある
民族集団ですよね。
ある文化を共有してるとか、
言語を共有してるとかですね。ある意味では
文化的な概念です。ある人間の集団なんだけれどもそれを
ネーションと呼ぶということはそこに共通の文化を持っているとか、共通の言語を持っているとか、共通の伝統を持っているとか、そういうふうにして一括りに出来るんだということ。
じゃ何故そういう一括りに出来る
ネーションというモノが一つの国家を作らないといけないのかと・・・これは決して
自明のことではないでしょう。複数のネーションが一つの国家を作ったっていいわけだし。一つのネーションが複数の国家にまたがることだってあり得るわけですよね。
ところがこのネーション・ステートっていう考え方っていうのは
一つのネーションが一つの国家を作るんだと。そういう考え方。このネーションステートには
3つの条件があって一つは
主権というモノを持っている。・・それから
国民を持っている 。それから
領土を持っている。固有の領土。この三つを持っている。
だから一つの領土・・
領土ということはボーダーがあるっていうことですね。地理的にある・・地球上のある場所がですね、
国境線ということで区切られている。その
区切られた国境線の内部に主権という権力が統一的に及んでですね。そこに住んでいる人間達を一つのネーションと呼ぶ。で、そこには
ネーションである以上は共通の文化というものがあるんだと。そういう考え方ですね。
ずっと
19世紀というのはまさに、
ヨーロッパではですね・・
ネーション・ステート、国民国家を作る競争を展開してきたということ。
日本は遅ればせながらスタートしてそれを
キャッチアップしようとしてきたんですね。
これが行き着く所がですね・・国民国家をみんなでいろいろ作って競争する・・それが行き着いたのが
19世紀末の帝国主義であり、その結果としての第一次世界大戦 であるとか第二次世界大戦であるとか・・
帝国主義戦争という戦争に行き着く。
ネーションステートの競争下で世界大戦というものが生まれてくる。なぜ生まれてくるかというと、先ほど言ったようにネーションステートっていうモノは三つの要素で出来ている。
主権・領土・国民ですね。領土っていうことで地球という地理的な表面を境界線で区切るわけですね。決して曖昧にしないですね。その領土っていうのはなにかって言うと、産業が発展してきてネーションステートがそれぞれ
産業国家としていくときに、
領土っていうのは同時に市場なわけですね。
国民国家の国民経済があって。その国民経済が生み出すその様々な財というか商品の販路。これは同時にそのネーションステートの領土が市場なんですね。
そこに住んでいる国民がマーケットの消費者なんですね
生産力をどんどん増やしていった時に、商品のはけ口としてのマーケットが足らなくなるわけですね。
そこで領土を拡張しようというふうに働くんですね。
領土の拡張っていうのは何かというと同時に
市場の拡張なんですね。
それは主権を持った国同士がぶつかりあうわけですから、どこの国だって「はいどうぞ」って言うわけはないんで、そこで
軍隊を使って領土拡張をおこなう。その
領土拡張というのが何が目的なのかと言うと市場の拡張と同時に資源の・・天然資源ですね。資源の入手ということが目的。
でそういうふうにそのー・・・ネーション・ステートっていうのが発展してきて・・・日本も今日依然としてネーションステート。特に
日本は単一民族主義っていうものが非常に強いですね。国連に対しては日本政府は「
日本にはアボリジニはいないと」言ってるわけですけれどね。
会場笑い
単一民族であると。日本人だけが住んでいると言っているわけですね。
こういう
ネーションステートっていうモノを作り上げてくるプロセスのなかで、どういう事を国家がするかって言うと・・我々はみんな一つのネーションだという神話を人々の間に植え付けようとするわけですね。
一つの民族でないとネーションにならないから。国民文化っていうモノを共有しているんだと我々は・・あるいはそのー・・・
共通の伝統文化というモノを持っているんだと強調。場合によれば発明するわけですね。これが
伝統の発明と呼ばれることですね
会場笑い
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